SCENARIO#6
アーガイルの宮廷はにぎやかな喧噪に包まれている。港町ラーヴングラスにあるスラングの寺院で起きた騒動を受けて、王都に連れ来られていた者たちは高名な白い魔女アルガラドに会見を許されると王城の広間へと導かれていた。
広間はかつてはきらびやかであったのかもしれない。石造りの壁面は美しく高価な掛け布で飾り立てられてはいるが、階の上に置かれている壮麗な玉座、アーガイルの玉座には今は誰も腰かけてはいない。周囲を囲う廷臣たちは異邦の者たちに視線を向けてはがやがやとどよめき、或いはあえいでいるだけでごくゆるやかな風にさえ揺らいでしまうような、まったくの俗物たちの集まりにしか見えなかった。
「仕方があるまい。自らの力によらず、他人のおかげで地位を獲得した人々とはそのようなものだ」
さすがに小声でつぶやくと小さく首を振っている、白の狩人ガルド・ミラの言葉が聞こえていたのかもしれない。アーガイルの宮廷人たちはラーヴングラスで騒動を起こした冒険者たちに好意的な目を向けてはいなかった。
彼らの猜疑と疑惑の目はただ一点に注がれていた。闇の首飾り、一行の中央で身を屈めている快風のフィアリアが手にしている黒曜石の首飾りに対してである。
彼女たちエルフ(elf)の言葉でいうアル・アンワール・ゲリサン、悪意の神スラングの寺院で闇エルフの襲撃から守られたそれは不吉な輝きを発していた。人間の悪意と競争心を肯定するスラングはかつて、探求心と野心を備えたエルフを邪なダークサイドに引き入れた神でもあり、それを持つことはフィアリアにとって闇エルフの祭器を身に付けているに等しい。首飾りを求める者どもから逃れるためでなければ、自らを貶めるような品を好んで手にすることはなかったであろう。
幾度か、彼女の仲間たちが首飾りを手放すべく薦めたが頑なな拒絶にあって今では断念している。エルフにとって、闇エルフの野心を阻むための試みがどれほど大きな意味を持っているかをほとんどの人間は知らない。
「とはいえ、見せ物になるは良い気分にあらじ」
「まあ宮廷とはそんなものだ、といえば白の狩人と同じだな」
東方の僧侶、ウンスイがつぶやく声に魔人殺しバリィ・ウォーグが揶揄するように答えると小さく笑った。空の玉座を前にして、左右を衛視に挟まれたまま好奇心に支配された宮廷人らに囲われているのはあまり楽しい状況とは言えなかった。やがて勿体つけるようにして、官吏の一人が現れるとアルガラドとの会見が許されたのでお通しする、と告げる。
どうやら広間がただ待たされるためだけの場所であったらしいこと、彼らが本当に見せ物として廷臣の好奇の視線にさらされていたことを知って、幾人かは激高しかける。王城でもあり、賢明にもこらえるがガルドなどは完全に黙り込んでしまい、もはや彼らに礼節の欠片を見せようともしない。
だが長い通廊を歩かされて、彼らが案内されたのは木々の生い茂っている城の中庭であった。謁見としては異例の扱いばかりが続いているが、気にする風もないのはサヴァンくらいであろうか。
「高名な魔女アルガラドにお会いできるとは、光栄至極ですな。はたして国を治める魔法使いというものがどのような方であるのか、いや実に興味深い」
魔法使いが奇人であることに、自身が魔法使いであるサヴァンは慣れているのだろう。通された中庭の入り口にある丈の低い棕櫚の木立ちをくぐり抜け、美しい空き地に足を踏み入れるとそこには彼らが想像もしない情景が広がっていた。
何千羽もの色あざやかな鳥が、空中や木々のあいだを埋めつくしている。アオサギとワシがゆったりと空を舞う。彼らが唖然とする、このすばらしい場所のまんなかに、美しい女が腰を下ろしていた。彼女が白い魔女アルガラドである。
「ようこそおいでくださいました。汝ら、第四の石板に描かれし者たちを私はどれほど待ち望んでいたことでしょうか」
歓迎の辞を伝える、魔女の言葉の意味を理解できた者は誰もいなかったろう。アルガラドはまず、宮廷人たちの非礼を詫びる。多くの者が知らぬことだが、王がいなくなった今のアーガイルを指導する者はいない。白い魔女アルガラドは統治者ではなく、宮廷魔術師として助言を行うことができる立場にあるが実際に国を治めているのは空席の玉座を囲っている彼ら廷臣たちの集まりなのだ。
どよめき、あえぐことはできても議論に自らの声を上げることすらできぬ彼らの様子を思い返すに、先王ソーステインを討ったカスパーのターグ男爵は確かに大それた所行にふさわしい危難をアーガイルにもたらしたといえるのだ。アルガラドは続ける。
「その窮状を救う者を探し、そして導くことが白い魔女の役割です。あなた方はそれを秘めた者たちである、ですが、より以上に大きな困難もその身に受けた者たちなのです」
魔女の言葉はいささか謎めいていてその意味が明確には伝わり難い。単純明快を旨としているマキなどにとっては、まわりくどいことこの上なかった。悪いけど、何が言いたいのかさっぱり分からないよという礼節をまるで気にせぬマホウ剣士の言葉にアルガラドは笑みを浮かべると、彼らが耳にした嵐の子エーレン、闇のマルボルダスや彼を取り巻く闇エルフたちの企みと首飾りの力について語る。
「時として力ある者が名を告げることは名に力を与えることになります。私には邪な三つの神の名を唱えることは許されていませんが、そのうちの一つは闇に傾倒したエルフたちによって奉られています。そして近年、勢力を伸張しつつある西方のトカゲ兵団についてはご存知でしょうか」
「聞いたことがあるよ。西の火山島から来ているらしいね」
答えたのはニン・ガラである。野馳りの娘は旅先で多く噂話に接する機会があるが、トカゲ兵と呼ばれる好戦的な爬虫人の一団が気候の温暖な地域を選んで、軍勢を起こしているという評判が昨今では広がりつつあった。中でも西方にある火山島に近い、ミッドランド沿岸一帯の村落は多く犠牲になっていると聞く。ガラの言葉に白い魔女はうなずいた。
「闇に傾倒したエルフたちは、これ以上のトカゲ兵団の伸張を抑えたいと考えています。首飾りは嵐の子マルボルダスが異界を覗く窓となり、現界に直接力を及ぼすことができぬ邪な神がマルボルダスの姿を借りて世に混沌をもたらす、そのための祭器が首飾りです」
それを聞いて、フィアリアの顔つきが曇る。彼女自身は理解していたが、この首飾りこそが魔王子マイユールを信奉する者たちの祭器であってこれを所持している限り邪なものの影響を受けねばならないのだ。そして、その彼女と伴にいる者たちにも、何れ影響は及ぶであろう。
あろうことか、閉鎖的な森のエルフである彼女はこの時このような境遇にあって、彼女の仲間たちを心から心配していたのである。自分と関わると闇に落ちるかもしれない、好き好んでそれを望んでいるフィアリアにつきあう必要など誰にもない。
「面倒な説明はいらないよ!どうせあたしは理解できない!」
フィアリアの思索を打ち消すように、力強い声が響く。いっそ堂々と思考を放棄しているマキの言葉だが、単純すぎる彼女の心には一点のやましさもない。アルガラドは優しげな顔になると娘たちに語る。
王ソーステインの死を受けて、白い魔女がアーガイルの困難に啓示魔法を用いたときに得られた言葉が「四つの石板に描かれる者たちが国を救うことができる」というものであった。おそらく石板とは象徴的な意味であろう、そのうちの三つは力と知恵そして技を示している。アーガイルの魔女アルガラドが高札を立てて、「難題」と称した布告によって人を募っていることは広く知られていた。捕らわれた貴族の救出、おそるべき悪魔魚の退治など多くの危難に、国を憂う者たちが挑んでいる。
「彼らはいずれも力と知恵と技を示す者、三つの石板を示す者たちです。そしてもう一枚の石板に描かれた者が混沌と無秩序からミッドランドを守る盾となる。それは何でしょうか」
「もちろん、正義だね!」
簡潔にして明快なマキの言葉にアルガラドは笑みを深める。
「あなたは善なる者ですね。残念なことに第四の石板の言葉は正義ではありません。ですが正義という言葉には大きな意味があります」
やはり魔女の言葉は回りくどくて分かり難い。アルガラドが首を巡らせると、一羽のオウムがその場を去ってからすぐに戻ってくる。くちばしにくわえていた小さなかたまりを手にとると、それをマキの手のひらに乗せた。それは金属にも宝石にも思える、不可思議な光をはねかえしている小さな立方体であり、これを持っていきなさいとアルガラドは言う。
彼らがこれからどうすべきか、白い魔女は二つの道を示す。一つはもう一度ラーヴングラスに赴いて、賢人アラコール・ニカデマスに会うというもの。もう一つはどくろ沼に行ってかの地に咲くアンセリカの実を手に入れるというもの。耳なれぬ植物の名に声を上げたのはガラであった。
「アンセリカだって!まだアンセリカが残っているというの」
彼女が探している恩師が以前、語っていたことがあった。アンセリカは一見すると他愛ない植物であり、白い花に紫色の小さな実をつける。だがそれはさまざまな病を癒す、多くの白魔術を助ける材料となる。こうした植物のほとんどが携行するには長く保たない性質があるのに対して、アンセリカだけは数年でも用いることができるのだ。
「混沌の者はアンセリカを根絶やしにしようと努めました。そして、それはほぼ成功していました。それがどれほど邪悪と混沌の繁栄に寄与するのか、彼らは知っていたのです。アンセリカが増えればアーガイルに限らず、ミッドランドの多くの病に対抗することができるでしょう。ひとつの実があれば構いません。白魔術には繁茂の術があり、それは白い魔女アルガラドも用います」
そのためには、再びどくろ沼を解放せねばならない。アンセリカの場所はアルガラドが心得ており、闇エルフたちも多くがラーヴングラスの襲撃に赴いた後であるから、その数は決して多くはないであろう。
さきほどのオウムが羽ばたくと、ガラの肩の上にとまる。どうやら彼が案内をしてくれるということらしい。アーガイルの民を救うためであれ、魔王子とその下僕どもの野心を阻むためであれ、彼らの目的は等しく邪悪と混沌を世界の一隅へと追いやることにあるのだ。
† † †
マキやガラたちが白い魔女に謁見を申し出て、旅の行方について啓示を受けている間、数人はそれを避けて軍団の営舎に足を向けていた。単に宮廷の堅苦しさを嫌っただけかもしれないし、あるいは別の目的があったのかもしれない。
慣れない空気に鼻をひくひくとさせている、ウェイ・ラスローのような蛮人にとっては王城や宮廷の雰囲気は居心地が悪かったのかもしれず、少年めいた顔でもの珍しげに周囲に目を配っているエア・トゥーレなどは騎士としての任官を目指すという目的があったから、軍団に近いところに興味を持っても当然ではあったろうか。
「やあ、戦士たちよ!」
気軽な声を聞いて、羽根飾りのついた兜を被っている蛮人や小柄な剣士が首をめぐらせると、すっかり日に焼けて、緑ずくめの服装をした背の高い男が腰かけていた。こんなところに何のご用かな、という言葉にエアは戸惑いながらも、自分は騎士になりたいと考えている、と誤解しようもない明快な返答をする。おかしそうに笑う様子に、エアは明らかに気分を害するが男には悪意があった訳ではないようだ。
「失礼、騎士の栄誉は結構な目標だ。では馬には乗れるかな」
「いや、馬は金がかかるから・・・旅の身では・・・」
半分は本当であり、半分は嘘である。荷役で牽くのではなく騎馬として扱うのであれば馬に乗るには技量がいる。エアがまだ幼い頃に、傭兵であった父の馬を扱おうとした記憶は確かにあるが、それで乗馬の技量が身につくというものでもない。馬を駆る戦士の姿は崇敬の対象とされることが多々あるが、その多くは生まれたときから馬上での生活を営む部族の出自であるか、あるいは富裕な生まれにより狩猟に慣れ親しんだ貴族であるかのいずれかであった。
誰にも聞こえぬつぶやきで、機会がなければ上達するはずもないだろうと抗弁するエアを置いてあんたは誰だ、というもっともな質問をウェイが発すると男は気の良さそうな笑みを浮かべた。
「シグルドソン。私がシグルドソンだ、君たちのことはストーンブリッジの王ジリブランから聞いている」
驚いた相手の顔に、もう一度笑う。白い魔女アルガラドを守るアーガイルの剣、剣士シグルドソンがこれほど若々しい、陽気そうな男であるとは考えてはいなかったのだ。毒気を抜かれているエアやウェイたちの後ろでは、多量の酒瓶を抱えた女ドワーフ(Dwarf)が身体を揺すらせている。自身も酒樽のような姿をした猛女の弓フールフールは、堅苦しい宮殿の喧噪を避けるつもりでいたところで思わぬ人物を見かけたことに、ほうという顔を見せていた。
かつてストーンブリッジの王ジリブランの手に魔法のハンマーを取り戻した一人であるフールフールは、王と謁見をした際に剣士シグルドソンの話を聞いている。この男が多くの遍歴を重ねて剣を振るい続けてきた、その冒険譚は勇壮な伝承を好むドワーフに広く知れ渡っていた。異称にふさわしい、背丈に勝る長さの長弓を担ぎなおすドワーフ女にシグルドソンは視線を向けると「猛女の弓」の名はジリブランの親書にも書かれていたと言う。ストーンブリッジの王とアーガイルの剣士の間に交友があることを、彼らはジリブラン自らの口から聞いていた。
「お前の名もジリブランから聞いている!ストーンブリッジはアーガイルとの変わらぬ友誼を伝えるように、特に王から言づかっているぞ」
相手が誰であれ、遠慮も礼節もないフールフールの答礼をシグルドソンはおかしそうに聞いている。それにしても魔女アルガラドであれ剣士シグルドソンであれ、一見して国を治める人物には見えない。なにが楽しくて狭苦しい宮廷などで暮らしているのか、率直に問うフールフールの言葉は彼女なりにシグルドソンを讃えているつもりかもしれないが、アーガイルの剣と呼ばれる男はやや表情をあらためた。
「今は亡き、我が君ソーステインは並ぶ者とてない勇士でもあった。私は彼が王になる以前に仕えていた戦士だ。憎むべきターグ男爵はソーステインを討ち、アーガイルの王の座を奪おうとしたのだ」
「カスパーで起きた騒乱を鎮めるために遠征をしたけれど、そのカスパーを治めるターグ男爵が裏切っていたんだよね」
エアの声に、シグルドソンは苦々しく頷く。
「その通りだ。アルガラドは宮廷魔術師であるが、ソーステインとは異なる家系に連なる古い王の血族でもあった。だが魔術師が国を治める訳にはいかない。今は彼女への支持よりも、ターグへの反目が彼女を今の地位に置いている。今、アーガイルに王はいない。アルガラドが国を救うために用いた啓示の魔法、それは第四の石板と呼ばれ、ミッドランドを救う者は力と知恵と技を備える者であり、そしてもう一枚の石板の秘密を備える者であると言われている。だが最後の一つが何を指しているか、それはアルガラドにしか分からない」
そこで話を変える。ラーヴングラスで起きた事件は彼の耳にも届いているらしく、シグルドソンは思いもかけぬ話題を持ち出した。君たちはテュテュフにカサンドラという剣士の名を知っているか、というのだ。
途端にフールフールにウェイ、そして彼らの傍らでそれまでは興味なさげにいたハインツ・シュタインの三人までもが顔色を大きく変える。ラーヴングラスの酒場で不覚を取ったことを彼らは忘れておらず、常の平静さを装おうとして失敗しながら、ハインツは長身を乗り出すと詰め寄るように言う。
「あなたは、奴らを知っているのだな」
「彼らはターグに雇われている戦士だ。海峡を越えてカスパーを脅かしているトカゲ兵団に対して、ターグは闇エルフをそそのかしてこれに当てようとしている。そのターグに雇われて暗躍している、それが彼らだ。君たちが手に入れた首飾りの話は聞いている、テュテュフとカサンドラは闇エルフをそそのかすためにも、君たちの首飾りを狙うだろう」
その言葉に、ハインツやフールフール、ウエイたちは望むところだと思う。狭い酒場での出来事とはいえ、魔人殺しのバリィを含めた四人でテュテュフとカサンドラの二人にあしらわれた恥辱は剣で償わせなければならなかった。フールフールにすれば剣でなくとも、弓でも棍棒でも構わなかったろうか。
彼が知る限りのカスパーの動向を伝えたシグルドソンは、エアやハインツらと別れる前に、彼らの旅に役立つものであれば好きなものを持っていって構わないと告げた。そのまま営舎の一角にある石造りの倉庫に連れられるとウェイはよく研がれている短い広刃の剣を、フールフールは地面に突き立てられるように先端のとがった大盾を、ハインツは剣闘士が用いる手首から肩までを覆う腕甲を手に取る。
旅の仲間たちが思い思いの品を選んでいる中で、エアは悩んだ挙げ句に古い金属製の軍旗を手に取った。なぜそんなものを、という目にエアはなんとなく、としか答えられないがシグルドソンは笑みを深める。
「それはアーガイルの百人隊で用いている軍旗だ。軍団兵は旗を持つ者に従って戦場を駆ける、軍団の名誉でもある旗を人に与えることはできない」
慌てて軍団旗を戻そうとする、エアの手を止めると続ける。
「もし君がそれを返しにくるつもりがあるなら、そして軍旗を持つにふさわしい者となるつもりであればそれを貸しておくのもいい。だが忘れるな、旗を奪われることはアーガイルにとって最大の恥辱でもあるのだ」
いささか変わった形ながら、シグルドソンはアーガイルのお墨付きを渡そうというのである。エアは感謝して軍団旗を受け取ると、厚手の布を巻いて棒持する。一見すれば長めの杖か槍にでも見えるだろうか。
羽根兜に短い広刃の剣を手にした蛮人、背丈に勝る長弓を手に大盾を担いだ酒樽のような女、長身に大振りの平剣と剣闘士の腕甲をつけた男。そして軍団旗を棒持する小柄な剣士。あるいは不格好な来訪者たちの姿が、第四の石板に彫り込まれた姿であるのかもしれぬ。アーガイルの剣と呼ばれる剣士は今更のように白い魔女の啓示を思い返していた。
† † †
王国アーガイルから北方、グランドピアン山麓にあるエディンバラへとつながる要路を遮っている、この恐ろしい沼地とそこに生息する妖怪どもについてのおぞましい噂の数々は今更であったろう。再びどくろ沼の縁にたどりついていた彼らは、この暗黒の沼地を解き放つために、跳梁する邪な闇エルフどもを倒さなければならない。
沼の近くに建てられている<豚と盃>亭を切り盛りする、格幅の良い女ドワーフは店を訪れた彼らのことを覚えていた。格幅の良い、丸い顔をしたドワーフの女主人が驚いた声をあげる。
「あんたらかい!まさか沼地の道を見付け出した英雄殿がもう一度ここに来て下さるとはねえ。ずいぶん立派になってくれたもんだよ」
スダンという名の女主人が景気付けの酒を出して旅の労苦を労うと、周囲にまばらにいる村人や旅の商人たちも期待の目を向ける。かつてどくろ沼を解き放ったエアやウンスイの名はここら周辺では有名であり、異国の僧と小柄な剣士は慣れない歓待にむしろ戸惑いを隠せない。以前にこの酒場で威勢良く騒いでいたときには、未熟な坊主扱いをされていたものであった。
「まかせておけ!闇エルフだろうが何だろうが、そんなものはボクが倒してやる!」
「慢心せぬが良い、だが邪悪は討つに値する」
闇エルフが現れたことによって、どくろ沼を北に抜ける道は今は閉ざされている。邪なエルフたちはその多くがラーヴングラスの襲撃を行った際にその数を減らしている筈であり、いまだ沼地を守る者の数はけっして多いとは思えない。
だが闇エルフたちは嵐の子エーレン、闇のマルボルダスが求めている首飾りの所在を追っているに違いなく、フィアリアが手にするそれが狙われるであろうことも疑いない。エルフ娘の傍らにはマキが常に控えており、彼女たちは闇エルフを追うと同時に彼らから追われる身ともなっているが、以前の高慢なフィアリアであれば旅の伴たちに守ってもらうことをごく当然に受け入れることはなかったであろうか。
「今は下品なドワーフも蛮人もいないものね?」
軽口を叩きながら、フィアリアは不思議に数日前に比べて首飾りの力が弱まっていることに気が付いていた。おそらくは白い魔女アルガラドが謁見の折りに、何か手を施していたのであろう。アーガイルの王城に向かう道ではその重さにひざをつきたくなるほどであった、闇の首飾りが今は負担になっていない。
まがまがしい光を放つ黒曜石の首飾りはエルフ娘の懐に忍ばせており、これを邪悪と混沌の勢力に奪われることがあってはならなかった。本来であれば、この首飾りの力を封じる方法を探すべく賢人ニカデマスに会いに行くべきであったかもしれない。だが、フィアリアが闇エルフの討伐に向かうであろうことは誰もが予想していたことであり、それを咎めるつもりは誰にもなかった。
沼地に入ってしばらく続く、街道は少しずつ舗装が始められており左右の草木は切り拓かれて、路上に敷き詰められた丸木の上には砂利と敷き石までが並べられている。それはどくろ沼に入るとすぐに砂利だけの道に変わり、踏み固められた土に変わっていたが沼地を征服しようとするアーガイルの意気込みが感じられた。
彼らの目的はこの道を救うこと、そして白い魔女が求めるアンセリカの実を手に入れることである。それまでガラの肩におとなしくとまっていたオウムがひと飛び、頭上に上がるとすぐに戻り、道の先を指して鳴き始める。案内とはいえ、昼夜を問わず不気味な霧が覆う沼地では空を舞う鳥であっても視界が届くとはいかぬのであろう。
「本当に大丈夫かい?どうも頼りない案内役だね」
口に出してガラが言うと、オウムは抗議するようにきいきいと鳴く。白い魔女の使いでもあり、こちらの言葉が分かっているのかもしれない。
一行は道を確かめるように一歩一歩をしんちょうに踏みしめながら進む、それは沼地に落ち込まないためであると同時に襲撃者の影を警戒しているためだ。ガルドやガラのように野で道を探る心得を持っている者でさえ、身を潜めるエルフの影を捕らえることは容易ではない。フィアリアがどくろ沼に来ることを選んだ理由は、自身エルフである彼女が旅の伴たちを助けるためでもあるのだ。
「ふん、ダークサイドの嫌ぁな臭いがぷんぷんするわ」
「でもやっかいだね。こんな場所で弓を扱う連中の相手をしなきゃいけないんだから」
ガラは頭から被っていた厚手の獣皮を一度ほどくと、深く首に巻き直す。無論、矢を避けるためであり野馳りとしては外見など気にする理由はないし、気にしていられる場合でもなかったろう。彼女と同じようにガルドも厚手の頭布を深く被り、懐にはあらかじめ矢をつがえた弩を忍ばせている。狩猟に用いられるこの武器は狙いも早く威力もあるとはいえ、矢を放てばそれまでであり、一度撃たれることを承知でその隙を狙うしかないであろう。
すでに沼地に入り込んでから半日は過ぎており、空までも深い霧に覆われて方角も時も定かではない。ふと視界の隅、沼地の端にフィアリアが目を向けた様子にガラは気付く。野馳りの娘がすかさず身を屈めた次の瞬間、数本の矢がいちどきに襲いかかった。
獣皮に突き立った矢はわずかに抜けて肩に痛みがにじむがどうということはない、だが彼女の後ろで悲鳴が聞こえると、胸と脇腹に二本の矢を突き立てたエアが崩れ落ちる姿が視界に入る。ウンスイの声が霧中に響いた。
「娘よ!おのれ許さぬ!」
声と同時に魔法のルーンの棒を投げつける、正確な軌跡を描いたそれは霧の向こうにいる敵を捕らえると襲撃者の絶叫が上がった。霧に隠れての優位を確信していたのであろう、思わぬ反撃に怯みを見せる闇エルフの姿を見つけたと同時に、ガルドとガラは同じ目標に向けて弩の矢を放つと二本の太矢がこれを射抜くと二体めの闇エルフが沼地に倒れる。
「力と技の風車は回るぜぇ!」
すかさず巨大な斬馬刀を振り回したマキが無謀にも沼地に向かって走り出すが、足を取られたところに続けて二本、矢が襲いかかるとマホウ剣士の肩と腿に突き刺さる。ひざをつきかけて耐えようとするマキをしとめるべく続けての矢が迫ると、その正面に割り込んできたのはフィアリアだった。
「させない!」
フィアリアの細剣が矢を弾き落とすと同時に、きぃん、という澄んだ音がマキの立方体に響いた。三体目の闇エルフの姿を認めたウンスイは意を決して沼地に飛び込む。草を編みこんだ奇妙な靴を履いている黒衣の僧侶は水蜘蛛と呼ばれる体捌きで比較的足場の固い、それでも泥の上を一気に駆けると唖然とする闇エルフに錫杖の柄を突き込んだ。近くにいたもう一体に返して一撃、闇エルフはこれを避けるが目の前にはすでに怒りと憎しみの形相に満ちたフィアリアが迫っていた。
後に本人が思い出したくもない、という下劣な言葉を吐いて細剣が邪なエルフを貫くとようやく辺りは静かになる。エルフ娘が言うところの、ダークサイドの嫌な臭いは立ち消えたようだ。
「娘!娘よ!」
その声にフィアリアは我に返る。エアとマキの二人は並べられて土の上に横たわっているが、ことにエアの傷は決して浅くはないように見えた。ガルドやガラが応急で血を止めるが矢を抜けるような状態ではない。もともと白い、フィアリアの顔色が更に白くなる。何故だろうか、アーガイルの中庭でマキが叫んでいた姿をエルフの娘は思い出していた。
小さな羽音が聞こえて、飛んできたのはアルガラドのオウムである。足にはウンスイの棒を持っていたが、くちばしには紫色をした小さな実を数個、くわえている。ガラにはすぐにそれがアンセリカの実であることが理解できた。
幸い、実はひとつあればいいと言っていた。野馳りの娘は迷うことなくひとつの実を潰すとかんたんな薬を煎じて、二人の矢を抜くと同時にそれを塗り付ける。彼女の恩師が話していた薬の効き目は娘たちの血を止めて傷口が広がる様子もない。薬師としての知識には自信がなくとも、野馳りとしての知識で怪我の具合は見ることができたガラはエアやマキたちの様子が安堵できる状態に変わったことを知った。
「・・・助かったよ。頼りないなんて言って悪かったね」
首を向けた先、誇らしげに胸をそらしているオウムがくわえていたアンセリカがアーガイルの白い魔女の手によって甦るだろうことにガラたちは満足を覚えていた。白魔術を用いずとも現れるその効用は、彼女たちの目の前で示されていたのだから。
† † †
ハインツたちが港町ラーヴングラスをもう一度訪れることになった、その理由は二つある。一つはターグ男爵に雇われているという二人の戦士、テュテュフとカサンドラの足取りを追うこと。もう一つは首飾りを封じるべく知恵を借りるために賢人アラコール・ニカデマスを探すというもの。白い魔女がニカデマスに頼るべく助言をした理由、フィアリアが持っている闇の首飾りの力を失わせる手だてを賢人ニカデマスであれば知るだろうと言われてのことだ。
「白い魔女アルガラドを除けばミッドランドに高名な賢人は三人、ダークウッドの番人ヤズトロモと氷指山脈の癒し手ペン・ティ・コーラ、そしてかのアラコール・ニカデマスであると言う。彼らと会えるとは魔術師冥利に尽きるというものですな」
「そんなものかね」
片眼鏡を光らせながら、軽妙な足取りを進めているサヴァンにウェイは首をひねっている。蛮人とはいえ多少は文明を知っているウェイにとって、魔法使いというものは目の前にいるサヴァンも含めて奇態な存在でしかなかった。どうやらウェイ同じことを考えたらしく、バリィなども苦笑しているがニカデマスと会うこと自体が目的であるサヴァンに比べれば、他の四人はテュテュフとカサンドラを追うことが目的となっている。首飾りを封じる術を調べようとする彼らに対して、闇のマルボルダスやターグ男爵は必ずこれを妨げようとするであろう。ウェイたちはそれを待っているのだ。
「だがどういうつもりでこんな所に暮らしているのやら」
呆れたふうに呟く。高名な賢人であるというにも関わらず、ラーヴングラスでニカデマスを探すのは用意なことではなかった。そもそも賢人がなぜこのような喧噪に包まれた町に潜んでいるのか。
聞いた話ではつまらぬ用事で訪れる多くの客人に辟易したニカデマスは、特に混沌とした治安の悪い一帯に住むことでかえって煩わしさを避けているのだという。ニカデマスであればそのような場所であってもふつうに暮らせるということだろうが、彼を探す身としては面倒なことこの上ない。
「まったく魔法使いとは気の触れた連中に違いない!」
不愉快を酒で紛らすこと決めたのか、数本の瓶を抱えたフールフールは度々の足労に憤然として声を荒げては酒の一本を口に運んでいる。ラーヴングラスに入ってより、彼女はすでに二人のスリと三回の喧嘩に出くわしていた。
小柄だが酒樽のような体躯に大盾を背負い、東方の長い弓を担いだドワーフ女の姿が人の目に奇異に映ることは確かだろう。好奇が嘲笑に、嘲笑が侮蔑に変わればフールフールも彼女の伴たちもそれを黙って受け流すような性格をしてはいない。ドワーフ女がラーヴングラスで損耗した酒瓶のうち、幾本かは飲むためではなく頭を叩き割るために用いられたものであった。
日も暮れようかという頃になって、ようやく探し当てた銀灰色の天幕は汚物と異臭が漂う川近くの空き地に立てられており、入り口を開いて足を踏み入れた中には一人の大男が腰かけている。
濃いあごひげと白い眉に、天幕と同じ銀灰色をしたローブを着た男は威圧的な目で何のようだと聞く。このような場所を訪れる客といえばたいていはろくな輩ではないだろうし、賢人としては随分荒々しく見える反応も当然であるのだろう。口を開いたのはバリィである。
「賢人アラコール・ニカデマス殿とお見受けする。闇のマルボルダスと彼が追う首飾りについて助言をうかがいたく参った」
「魔人殺しか。聞いたことはある、まずは座られるが良い」
鷹揚に座をすすめると、ローブを着た男はゆっくりと口を開いて闇エルフの社会に育てられた嵐の子エーレン、闇のマルボルダスの企てについて彼が知る知識を語りはじめた。カスパーのターグ男爵をそそのかした者がマルボルダスであること、カスパーを悩ませるトカゲ兵団を闇エルフが撃退し、その見返りとしてマルボルダスと闇エルフが求める首飾りの探索に手助けを求めたということ。
マルボルダスと闇エルフがトカゲ兵団を退けて領土を手に入れる、その間にカスパーはアーガイルを手に入れて互いに手を結ぶ。だがターグ男爵は闇エルフとトカゲ兵団が争うことでカスパーが漁夫の利を得るつもりでいること、更にマルボルダス自身がターグにそう思わせていることまでをローブの男は語った。
「人間を弱め、トカゲ兵に先んずれば闇エルフは力を得ることができる、だがそれはマルボルダスの目的ではない。トカゲ兵と闇エルフを争わせればターグは漁夫の利を得ることができる、無論それもマルボルダスの目的にはない。闇のマルボルダスはただ魔王子マイユールの力を得ること、それだけを求めている。魔界の王はそれだけの力を与えるのだから」
突然、男の様子が変わる。
「だが残念なことだ。このことを知ってお前たちはここから出ることができないのだから!」
その声と同時に頭上から巨大なクモの網が落ちかかると、ハインツとフールフールがねばつく糸に絡み取られて身動きが取れなくなる。恐ろしげな咆吼をあげた大男は身もだえをして椅子から地面にころがり落ちると、動きまわって姿かたちを変え、再び身を起こした。
人間の顔を持つ、巨大な灰色のクモが牙をむき出して歩み寄ってくる。男が賢人などではない、闇のマルボルダスの這いまわる遣い(Creeping Thing)であることを知ってウェイとバリィは構えると手早く剣を抜いた。
頭上からかぶせられている巨大な網は粘りついてハインツとフールフールを捕まえたままだ。がちがちと牙を鳴らしながら大グモが近づいてくる。目の前に立ちはだかったバリィが剣を振り下ろすと、ウェイはアーガイルで手に入れた短いイスパニア剣を抜いて仲間たちを捕らえている網を切ろうとする。
大グモは牙を突き出してたびたび襲いかかり、バリィも細身の体躯から繰り出される鋭い剣先でこれを受けているが、狭い天幕の中で仲間を背にして身軽に動くこともできずたびたび傷つけられている。腕のしびれる感覚がおぞましい怪物の牙をしたたる毒の存在を窺わせる。魔人殺しは一歩も下がる様子を見せずに剣を振るっていたが、やがてしびれた腕を上げることすら困難になる。
「残念だが・・・どうも逃げ遅れたらしいな」
もとより逃げるつもりはなかったろう。遂に力尽きる、というふうにバリィの動かなくなった腕から剣が落ちると膝から倒れかかる。
人間めいた顔に残酷な笑みを浮かべながら、飛びかかろうとする大グモだがその動きが唐突に止められる。八本ある足の一本がねばつく力によって地面に縫いつけられたように固定されており、目の前の犠牲者にのしかかることができない。身をよじる怪物の耳にサヴァンの声が届く。
「やれやれ。足を止めるには止める足のなんと多いことで」
足が何本あろうが、一本を止めればその場から離れることはできなくなるであろう。サヴァンの術で大グモが動きを止められている間に、ウェイがようやく網を切ると解き放たれたハインツとフールフールが飛び上がった。
「余分な足はトロールに食わせてやろう!」
地面に割れた酒瓶の池から躍り出たフールフールは、手近な武器ではなく背負っていた大盾を頭上に振り上げると、そのまま振り下ろして大グモの背に深々と突き立てた。体液が飛び散って恐ろしげな悲鳴が上がる。
「お前さんの!奈落に帰れ!」
身体を大きく反らせたハインツも重い平剣を豪快に振り下ろして、地面ごと叩き割ると足の数本がちぎれとんだ。追い詰められた大グモはサヴァンに縫いつけられている足を自ら引きちぎると、半分に減った足で頭上高く飛び上がる。牙をむきだして、ウェイにのしかかろうとするがその動きが今度は頭上の天幕にはりついて止められた。
「これだけ大きければ止められる時間は八寸、と言ってる間に残りは四寸!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
サヴァンが言い終わる前に、雄叫びとともにイスパニア剣を突きだしたウェイの一撃が化け物のやわらかい腹部に突き刺さり、手首からひじまで埋まる。おびただしい量の体液と断末魔の絶叫が蛮人の頭上に浴びせられると、支柱が折れた天幕ごと倒れて頭上から落ちかかりしばらく悶えた後でようやく動かなくなった。二度も頭上から網なり布なりを被せられたハインツやフールフールは不機嫌な面持ちで、ことさらに天幕を刻んでから沈みかけた日の下へと姿を現す。
「とんだ無駄足、それも八本もある足でしたな」
サヴァンがおどけてみせる。騒動が収まり、しびれていたバリィの腕も動くようになるが、結局賢人ニカデマスの居場所が知れたのは彼らに遅れてアーガイルからの使者が到着した後のことであった。
とはいえ闇のマルボルダスの遣いを倒した、彼らに何も収穫がなかった訳ではない。マルボルダスと彼が引き連れている闇エルフたちの集団、そして憎むべきカスパーのターグ男爵と彼が雇った戦士テュテュフとカサンドラ。少なくとも彼らの目的を知ることができたのであり、その中心にあるものが魔王子マイユールの力を与えるという祭器、闇の首飾りである。
まずは首飾りを止める力を賢人ニカデマスに尋ねなければならない。その時、それを阻もうとするマルボルダスも、テュテュフやカサンドラも姿を現すのであろう。
...TO BE CONTIUNUED
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