SCENARIO#11
 はるか昔、空の宮殿にまだ神々が君臨していた時代。全能の神タイタンは彼自身の名前を冠するこの世界を創造した。世界に浮かんでいる球形のかたまりに水の神ハイダナが海と呼ばれる模様をつけると大地の女神スロフが陸を描き、森の女神ガラナが森を繁茂させる。太陽のグランタンカと月であるルナが世界のまわりをめぐると昼と夜が訪れて、獣の神々は残ったかたまりを分けあうと自分たちに似たちいさな生き物をつくりタイタンの上に解き放った。
 道化の神ロガーンはこの神々の遊びをながめていたが、世界があまりにもよくできていておもしろくなかった彼はかたまりを分けてもらうと自分の一部を頭に埋めこんだ「男」と心臓に埋めた「女」をつくり世界の上に置いた。

 神々は道化の神の作品を見るとおおいに笑ったが、この不格好な生き物がスロフの石やガラナの木を削ってさまざまな道具をつくり、動物を狩ってその毛皮をかぶり、あまつさえ火を焚いて寒さを避けている様子に首をかしげた。ロガーンを問いただした神々は気まぐれな道化がしでかした行為を知るとおぞましく感じたが、中には感心したものもいて女神スロフは同じようにしてドワーフを、女神ガラナも自分に似せたエルフをつくりだした。
 いじけたハシャクは神々の遊びをいつも羨んでおり、ある時かたまりをこっそり盗み出すと同じようにしてトロールをつくった。だがトロールはあまりにもひどい出来だったので今度はもう少ししんちょうにオークをつくりだした。ハシャクは自分がつくったものをすぐに忘れてしまうとタイタンの上に置き去りにしてしまったから、神々の戦いの後に忘れられると混沌が彼らを汚染してぶざまな生き物に変わってしまう。以上が賢人や学者により信じられている世界創世の姿である。

 あるとき死と腐敗と疫病の兄弟が神々の前にあらわれると大きな袋をかつぎながら言った。タイタンと呼ばれている、この世界はまことにすばらしい作品だがたいせつなものが欠けていると思わないかね。袋からしばられたロガーンと、もうひとつ奇妙なものが転がり落ちるとそれは最初はみずみずしい赤ん坊のような姿をしていたがたちまち成長して立派になり、やがて老いてしなびてしまう。
 死は言った。このばかものはまったくおもしろいものを見つけてくれた。この「時」を解放すれば世界は繁栄の後に大いなる滅亡が訪れるようになるのだ。まったくすばらしいことだと思わないかね。

「嫌だ!そんなことはさせないぞ!」

 こうして神々は世界を守るために立ち上がったが、死と疫病と腐敗の兄弟も奈落の底から大いなる軍勢をかき集めた。このとき邪悪な軍勢を率いたのが三人の魔王子、シスとイシュトラとマイユールであり四人の魔人であるシャコールとレレム、カリンとヴラドナがこれに従う。神々の軍勢はスロフとガラナを筆頭にして、大いなる力を持つハイダナやタイタン自身も力を振るった。純粋な力である精霊と竜が互いの陣営から呼び出されて雷や嵐が世界を飛び交う。

 善の神々は邪悪な軍勢を勇敢に退けたが戦えば戦うほど世界は傷ついていくばかりで、周囲には死と疫病と腐敗が笑う声ばかりがひびきわたった。絶望的な戦いはいつまでも続くように思われたが、金色の竜王キラニラックスが甲高くいななくと光の矢のような稲妻がまっすぐに戦場を横切り「時」に命中してばらばらにしてしまう。
 こうして邪悪の軍勢は追放されて奈落の底ふかくに押しこめられたが、砕かれた「時」の破片が世界にばらまかれたことによってこの世界は永遠に同じままでいることができなくなってしまった。時の影響を逃れた神々は自分たちがしでかしたことを悔やみながら世界から離れると、今は星座の姿をして地上を見下ろしている。

 追放された邪悪の軍勢は怒りと憎しみを募らせながら、いつか自分たちの正当な地位を取り戻すべく今も奈落の底にいて世界の様子をうかがっている。
 シスはもっとも強大だが奈落を統べるのに忙しく、彼女を崇拝する蛇人カアスの勢力は砂漠の奥地から人間社会に伸張することができていない。マイユールは彼に忠実な闇エルフを用いて世界に不和をもたらすべく画策していたが、王子ケリスリオンに渡した首飾りが破壊されてからはその力を及ぼすことが難しくなりすぐには立ち直れそうになかった。もしもトカゲ兵が崇拝するイシュトラを退けることができれば、さしもの邪悪の軍勢も数百年は奈落に押しこめられて思うままにうごめくことができなくなるだろう。

† † †

 ミッドランドから海峡を越えた西方に浮かんでいる、火山島ロクスがトカゲ兵(Lizard Man)の帝国となった歴史は意外にもそう古いものではない。そこがかつて罪人を閉じこめる囚人島であったことは今も人々によく知られている事実だ。そしてその囚人たちの見張り役として、金で雇われたのがトカゲ男の種族だった。
 オラフ王子にとって、自分の国の好ましからぬ人物たちを追い出そうとするのは軽率で無意味な試みだった。この善良だが愚かな王子はミッドランドから火山島に罪人を送り、呪術をよくする者に監視させるのが早道だと考えた。だが罪人の数が増えすぎたのである。王子は火山島を囚人島にする考え捨ててしまい、彼が治めていた小さな国もやがて滅んでしまうと今は影すら残っていない。

 火山島の沼地で怠惰に暮らしていたトカゲ男たちは、むりやり集められた挙げ句に金をもらえなくなったと知ると囚人たちはトカゲ王(Noble)のために鉱脈を掘り当てるべく強制的に働かされることになった。食べものもろくに与えないひどい扱いだから、多くの囚人が死んだ。魔王子は王の心に直接語りかけて、トカゲ兵の帝国がミッドランドを治めることがもっともすぐれた方法であることをていねいに説明した。

 逃げようとした囚人はほとんどが死んでしまっていたが、いかだに乗ってようやく島を抜けると数人が漁師に助けられた。憔悴した彼らがもたらした情報は王や賢人にも伝えられたがこの二、三年間について島で何が起きているかを知っている者は誰もいない。
 どう猛だがこれほど強大とは思われていなかったトカゲ兵の帝国が、海峡を渡りミッドランドに侵攻してカスパーを襲撃するようになるまで火山島ロクスの脅威はほとんどの人々から忘れ去られていたのである。アーガイルがカスパーを助けたことによってトカゲ兵の侵攻は阻まれていたが、王をそそのかした魔王子の目論見を知らなければならないだろう。

 水はあたたかく波は静かで、くもりがちの空がいかにもミッドランドらしいと黒衣の僧ウンスイは小さな舟の後ろに立ちながら思っている。流れはあるが温暖で穏やかな内海をいくつかの舟が渡っている。
 沿岸を恐怖と混乱に陥れていた悪名高い殺し屋アブダルの海賊船がアーガイルの軍船によって沈められると、一行は一度港町ラーヴングラスに戻ってからあらためて火山島に出港するための準備を整えていた。カスパーへの侵攻は食い止められていたものの、ミッドランドへの上陸を図ろうとするトカゲ兵の意図を調べるために彼らの前線基地がある火山島ロクスに乗り込まなければならない。

 ウンスイは彼が生まれたはるか東方の国である八幡が周囲を海洋に囲われた小さな地であったことを思い出し、潮の臭いは故郷もミッドランドも変わらぬことにごくわずかな郷愁を覚えながらも心中では別のことを考えている。火山島がかつて囚人島であった事実は彼も知っていた。

「人の都合でつくられたトカゲ兵の島をあえて人が討伐することは必ずしも正しきふるまいとは言えぬ。だが彼らが海峡を越えて人を襲い、魔王子の復活を試みるのであればそのたくらみは挫かねばならぬだろう」
「またムズカシイこと考えてるみたいだね」

 櫂を握りながら海に向けていた視線を、奔放な声に気がついて舟上に戻すと舳先の近くでは自らをマホウ剣士と呼んではばからないマキが彼女の大剣を肩に笑っていた。小さな舟の上で重いかたびらは脱いでいたが、それ以上に重そうな剣だけは手放したくないらしい。どうも自分はこの類の娘に好かれるのだろうか、とも思うが国は違えど僧として素朴な問いかけに一言返さぬわけにはいかなかった。
 自らの行いを考えることは正しい答えを求めるためではなく、求められた答えを自らの意思で選ぶためである。どれほど正しくても、あるいはどれほど間違っていたとしても自ら選ばなければそれは自分のものではない。だから人は自ら考えることを決して怠るべきではない。

「大丈夫!あたしはいつでも何も考えない」

 力強く、小さな胸を叩いてみせる娘に黒衣の僧はむしろほうと感心する。八幡の教えに決して正解はなく、ウンスイの言葉を無批判に受け入れずに自らを保つマキの姿勢は実は容易なことではない。
 むろん、それでウンスイが彼の思索を捨てることはないとしても、直接的なマキの言動が時として最善の道を選ぶことはこれまで幾度か見せられていた。あるいは彼女は何も考えていないのではなく、正しきことに迷いとためらいがないだけかもしれないのだ。それは多くの賢人や僧が求めても決して得られることがない、英雄と呼ばれる者が持つ素養である。

 火山島に向かう船はアーガイルの軍船ではなく、漁師が使うごくありきたりの小舟に数人ずつ分かれて乗っていた。トカゲ兵がカスパーに軍勢を送り込んで、これを退けたアーガイルが軍船を火山島に上陸させたとなればミッドランドは種族を越えた戦乱に向かいかねない。トカゲ兵の帝国がこれ以上ミッドランドを脅かすことがなくなれば、必ずしも犠牲を出してまで彼らを討伐する必要はないだろう。
 舟の扱いに慣れた者が後ろに立ち、帆をすばやく上げて櫂でこぎ出すと銀色に波がくだける海上を舟がすべり出して背後ではミッドランドの浜辺が遠ざかり小さくなっていく。内海は暖流の影響が強く、舵をたくみに操ることができれば風に頼りきりにならずとも越えることは難しくなかった。

 空はくもりがちだが穏やかで、頭上には海鳥が旋回しながら飛んでいる。雲のあいだから狭い甲板に差し込んでくる日差しを楽しみながら、舟の舳先で周囲をぐるり見渡していたマキが目の上に手をかざすと唐突に身を乗り出した。

「火山島が見えた!」

 指さす方角にトカゲ王の島がある。浜辺を離れたのは日が登ろうとする前で、背後に消えたミッドランドからそれほど遠く離れてはいない。緑にあふれた島は中央から北に向けてとがった山がそびえていて、一番高い頂上からは煙がゆるやかに立ちのぼり今にも爆発しそうな様子だ。
 島の南側にある、木々に覆われた小さな入り江に向けて小舟が次々とすべりこむ。入り組んだ湾に入ると岩かげに舟を隠してから浅瀬に足を濡らす。空気はあたたかいが湿っぽく、ウンスイとマキは汗ばんだ身体にザックを背負うと密林へと足を踏み入れた。

† † †

 帝国を率いるトカゲ王のたくらみが魔王子イシュトラの復活にあるとして、ミッドランドに軍勢を上陸させてまで何をするつもりでいるのか。それを知るために彼らは火山島に乗り込んでいたが、まずはうわさ話のみで人の記録が絶えて久しい島の様子を知らなければならないだろう。
 島を遠景から見たかぎりでは火山がそびえている中央から北が山岳地帯になっていて、彼らが上陸した南側は密林と沼地で占められている。トカゲ人はかつて南の沼沢地帯で半ば泥に身体をひたして気ままに暮らしていたというが、魔王子を崇拝するトカゲ王が現れると鉱山のある北に砦を構えるようになったとはアーガイルの白い魔女アルガラドが彼女の啓示魔法で得た知識と情報である。

 あえて砦から遠い南に上陸した彼らは、火山島の原住民を探すのでなければ囚人や奴隷の居場所を突き止めるべきだと考えている。海峡を渡る前に、港町の周辺で聞いていた話では海賊にさらわれた人々が奴隷として火山島に買い取られているという話もあった。この島に新たな囚人が送られることがなくなりトカゲ兵には新たな労働力が必要になっていたが、連れ去られた彼らは火山島の内情を知る貴重な存在かもしれない。

「奴隷がいるとすれば鉱山だよね」
「助けることができるとは限らぬが・・・彼らならば充分な協力者となってくれるやもしれぬな」

 野馳の二人、ニン・ガラと白の狩人ガルド・ミラが言葉を交わす。ガラが不機嫌に見えるのは彼女が気に入っていたアルガラドのオウムがミッドランドに帰ったためらしく、かわりに内海を越えてきたヨタカを肩に止まらせていた。ヨタカは勇敢だが愛嬌のある鳥とはいいがたく、手紙が差されていた足環を外されると今はおとなしくしている。野馳は本来、ものごとにあまり執着しないがどうやら例外もあるらしかった。

 上陸した湾を離れてしばらく歩いてから、潜むことができそうな低木の茂みを見つけてそこで最初の夜を過ごす。あまり浜辺に近ければ哨戒の兵がいた場合はもちろん、密林に暮らしている者に見つかるかもしれずなるべく面倒は避けたかった。
 日が昇るよりも前に出立すると半日ほど北に向かうが、なるべく見晴らしのよい場所は避けて周囲に目をくばりながら進んでいるためにあまり足取りは速くない。ときおり樹間に見かける巨大ガニや密林小人の一団をやりすごして島の中ほどにある山岳にたどり着くと、切り立った岩肌に明らかに人の手で穿たれた坑道を見つけることができた。

 入り口は崩れないように横木と柱で支えられており、周囲に人影はなく放棄されているのかもしれないが、坑道が無秩序に掘られていれば奥で他とつながっているかもしれなかった。調べてみる価値はあるかもしれないと、たいまつを灯して順番に中へと足を踏み入れる。

「暗いね・・・」

 狭い入り口には手押し車が横転して進路を邪魔しており、おそらくドワーフ(Dwarf)のものと思わせる小さめの骸骨がそばに転がっていた。一行は顔を見合わせると、野馳の娘がたいまつの明かりをかざしてみるが、坑道の中は入り組んでいて奥の様子をうかがうことはできず半ば手探りで進まざるをえない。
 坑道はしばらく誰も訪れたことがないらしく、天井を支える柱もぼろぼろでときおりぱらぱらと土が降ってくる。しばらく進んでみると行き止まりになる少し手前で、垂直に掘ってある縦穴のふちにくることができた。覗き込んでみると底には別の横穴があり、ここから他の坑道や採掘場に繋がっているかもしれない。木のはしごを下りるとほどなく縦穴の底についた。

 薄暗い中で、更にのびている坑道の向こうからかすかに歌うような声が聞こえてくる。顔を見合わせるとたいまつをその場に残し、かわりにランタンに火を灯してからあらためて明かりを隠す。気がつかれないようにゆっくりと近づいていくと歌声もしだいに大きくなり、やがてハンマーで石を打つ音が混じってきた。暗がりの向こうを指してサヴァンが叫ぶ。

「おりますぞ!」

 魔法使いの声と同時に皆が駆け出した理由は採掘場の光景に彼らが激怒したからであろう。腰まで裸にされて動物のように鎖で繋がれたドワーフたちが岩の表面をハンマーで穿ちつづけている、その背後で鎧を着たトカゲ兵がムチを鳴らしているのだ。
 トカゲ兵は板や鋲を打ちつけたムチを右手で振りまわしながら、左手にはねじくれた剣を握っている。大柄で力が強いことはもちろん、うろこのある厚い皮膚が生まれつき鎧の役目をする彼らは盾で身を守るよりも両手に武器を持つことが多く侮ることができる相手ではない。

 いっせいに駆け出した彼らは採掘場に躍り込むと正面からトカゲ兵に殴りかかろうとするが、狭い坑道でマキの大剣は天井や壁に当たってろくに振ることができず、サヴァンの呪文も複雑な身ぶりをするには壁どころか仲間にすらぶつかってしまう有様だった。
 襲撃者たちが混乱する様子にトカゲ兵は耳まで裂けた口をにやりとした笑みのかたちに歪めると、先頭に押し出された野馳の娘に残酷な剣を突き刺そうとする。横にも後ろにも逃げようがない娘の鼻先に鉄の刃が届こうとした刹那、ウンスイとガルドの声が狭い採掘場に響いた。

「文句は後で聞こう!」

 とっさに足を止めたガラを後ろからガルドが突き飛ばすと同時に、羽毛の軽さで跳んだウンスイがハッソウの技で娘の頭上をとびこえた。ガラがそのまま倒れるとねじくれた剣先は空を切り、目標を失ったトカゲ兵に向けて身を沈めたガルドの短剣が横になぎ払われるとひるんだところに黒衣の僧が躍りかかる。下と上から襲われたトカゲ兵はそれでも左手の剣を振りあげるが、ウンスイは更に土壁を蹴ると頭上からルーンの彫り込まれた棒を爬虫類の眉間に深々と突き立てた。

「南無!」

 絶叫をあげたトカゲ兵が倒れると繋がれていたドワーフたちのあいだから喚声があがる。彼らはハンマーやつるはしで足かせを壊してからバケツの水でのどをうるおすと、英雄たちをとりかこみ手を握りながらもっと深いところの採掘場で他の囚人たちが働かされているはずだと言う。
 土まみれにされたことに不本意な顔をしているガラをなだめてから、ドワーフに案内されて複雑な坑道を足ばやに進み奴隷たちを助けてまわると六十人をこえる戦士たちが集まった。ハンマーや鎖といった彼らをしばりつけていた道具の数々を逆に武器として身につけ、衛兵として幾人か置かれていたトカゲ兵やオークらを襲いこれを打ち倒してしまう。囚人たちは歌い踊って喜びあうと、ほんのいっとき色々な苦しみや心配ごとを忘れることができた。

「さてこれからどうするか決めなければなりませんな」

 ひと段落がついたところでサヴァンが言う。トカゲ兵の帝国は北の砦が本拠にされていてトカゲ王もそこで指揮をとっている。復讐に燃える囚人たちはこのまま坑道を出て王の砦に攻め入らんばかりの勢いで騒いでいるが、解放された人間やドワーフに混じっていたダークウッド出身のエルフが自由を喜びながらも皆に話したいことがあると言った。

 トカゲ兵の社会において、トカゲ王はもともと部族の象徴として祀られる純血種のことであり、本来は祭儀を司る存在で帝国を築きミッドランドに侵攻するほどの統率力は持っていない。彼らはダークウッドにも姿を現したことがあり、不審に考えたエルフやドワーフが幾人も火山島へ赴いたが上陸したところを海賊に襲われ囚われていた。海賊アブダルの船団が壊滅した事実を知ると彼らは再び歓声をあげる。
 森を監視する魔術師ヤズトロモがエルフに伝えていた話によれば、彼らの目的はダークウッドにあるように思えるが今のところその理由は分からないでいる。だが少なくともトカゲ兵の帝国を支えているのは王が象徴する魔王子への信仰心であり、王を倒せば彼らは統率を失うだろう。危険は伴うが正面からトカゲ王の砦を攻め立て、だが誘い出すだけにして軍勢があらわれたところで別の者が砦に忍び込んで王を打倒することができれば犠牲を少なくして帝国を瓦解させられるかもしれない。

 もう一つ、魔王子イシュトラはゴンチョン(Gonchong)という力をトカゲ王に与えていて、王はゴンチョンを介して魔王子の思うままに動いている。ゴンチョンに守られた王は何者にも傷つけられることがない無敵の戦士だが、イシュトラの力を象徴する、炎を宿す短剣があれば魔力を打ち破ってトカゲ王を傷つけることができるだろう。王が隠しているはずの短剣を王を倒すために探さなければならない。

† † †

 砦への道を進んでいた、ガルドやウンスイらは岩だらけの谷底につくとすぐに身を隠すべく雑木林の中へ入る。と、林に足を踏み入れたとたん樹木のかげから幾つもの見なれた顔があらわれた。彼らが鉱山で助け出したドワーフやエルフ、男たちとここで合流することに決めていたのだ。

「戦士が六十九人、ここからは皆が一つでなければならぬ」

 助けられた男たちは坑道を出ると隠れやすいように幾つかに分かれてから、めいめいが火山島の北にあるトカゲ王の石の砦を目指していた。島に慣れたドワーフの一人が言う、砦の目の前にある雑木林にひそめばそこまでは見つからずに済むだろうという言葉に従ってそこを集合場所に決める。
 全員が集まり、一人も欠けることがなかったのは彼らの復讐心がそれだけ強いからでもあったろうが、採掘場を抜けてただ南に逃げたところでこれだけの人数を乗せる舟も足りず追われる可能性が高いからかもしれなかった。いずれにせよ王を倒してトカゲ兵の統率を崩壊させる、そこに望みを託すしかない。

「相手は軍隊だよ、こんな人数で戦えるの?」
「トカゲ兵の社会はアリの巣に似ています。戦士は一握り、一人がそれを支配している」

 戦いそのものに懐疑的な様子でいるガラに、サヴァンはといえば魔法使いらしく泰然とした調子を崩そうとはしない。うっそうとした林の隙間からは切り立った岩肌に囲われている荒れ地が見えて、その向こうにトカゲ王の石の砦が見えた。
 砦は巨大な城ではなく、石造りの塔の上に胸壁がせり出しただけの建物でありイシュトラを崇拝する王が前線基地として設けたものであることが分かる。軍勢のほとんどは火山島ではなくミッドランドへの上陸に割かれており、まともに戦わず時間を稼ぐことさえできれば侵入することも不可能には思えなかった。林と荒れ地の境に立ち、皆の視線が集まるのを待ってからガラが息を深く吸い込む。

「ミッドランドへの侵攻をもくろむトカゲ王を討つ!邪な企みは力を合わせて挫かなければならない、皆の力を私たちに貸してくれ!」

 似合わないと自覚しながらも、全員に命じて石の砦を襲撃すべく雑木林から谷間へと率いていく。間に合わせの武器にヘルメットをかぶり鎖を巻きつけただけの姿で、剣や鎧で武装した軍勢を相手に正面から戦うことは難しい。勢いに任せて攻めたて、隙をついたら守りに徹するしか生き残る道はないだろう。
 ときの声をあげて、全員がいっせいに林をとびだして砦へ走りよるとすぐに木の門がゆっくりと開く。トカゲ王は衛兵と改造トカゲ兵たちの一団に彼らを迎え撃たせようというのだ。ガラやサヴァンたちが指揮する小軍団もそれぞれが勇ましく武器を振り上げる。戦士が持つハンマーやつるはしが石の砦に向けてかざされると陽光を照り返した。

 皆が奮い立っているが、戦いが本格的になれば力でも装備でも貧弱なこちらの勝ち目は薄いだろう。王の軍勢は全員がトカゲ兵ではなく無様なオークや力が強いだけのオーガも混じっているが、味方も全員が屈強な男やドワーフだけではなく苦役の末に弱った者も老いた者も混じっていた。

「私が・・・君たちの支えに!」

 十数人の男たちを連れたサヴァンが一団の先頭に立って奇妙な角笛を吹き鳴らしているが、魔法使いも戦場では勝手がちがうらしく勇敢な角笛の呪文も数人にしか届けることができずにいた。鼓舞された数人が岩をも穿つハンマーを振り上げるとトカゲ兵の分厚い皮膚に突き立てる。数体はそれで倒れたが生きていた兵士はねじくれた剣や槍を伸ばし、男たちの頭や胸をとらえていく。
 最初の衝突で何人もの戦士が殺されるが、勇敢に踏みとどまると奴隷たちの思わぬ勢いにトカゲ兵の足なみも乱れてすきまが生まれた。原始的だが力強い押し合いが続き、幾人かが砦の門をくぐり抜けて中庭へすべり込むとあわてた軍団が戻ろうとするが門の入り口に波うつ剣を持つ剣士が立ちはだかる。

「力には力で対する。フレイムストライクの切れ味を見せてやろう」

 遅れて戦場についたハインツが狭い門をふさぐように宝剣を構えて仁王立ちとなり、傍らでガルドが魔法の短剣を構える。押しよせる先頭のトカゲ兵になぎ払ったフレイムストライクが厚い皮膚を裂き、ラヴィス=カノンの刃が胴鎧と固い鱗のすきまに楽々と突き刺さった。ひるんだ背後から戦士たちが襲いかかると怪物どもの軍勢はうろたえて状況が一変する。これで時間かせぎをすることができるだろう。
 ハインツは振りおろされた大鉈を剣で受け止めながら、足ばやに中庭へ乗り込んで行く数人に向けて叫ぶ。ゴンチョンを破る炎の短剣を探すこと、あとは皆が持ちこたえているあいだに少しでも早く王を倒してくれればいい。深くうなずいたガラが羽のように身をひるがえして、他の者もそれに続くと走りながらマキが呟く。

「でもさ、自分を倒せる唯一の武器なんてものがなんで存在するの?そんなものなければいいのに」
「邪悪には邪悪の戒律がある。魔王子の力を借りた王は力を宿す品が必要だが、強い力は己を滅ぼすこともできるということだ」

 説明するガルドの言葉にマキが納得しがたい顔でいる理由は、まさしく彼女が邪悪と縁遠いからだろう。炎はイシュトラの象徴であり、魔王子の力を得るためには手元に置かなければならないからどこかに隠しておく必要がある。けっして大きくはない砦のどこかに短剣があることは疑いないが、ごく短い時間でそれを見つけることができるだろうか。

 喧噪を背に、中庭に駆け込んだ勢いのまま左手の壁にある扉を開ける。左右に並んでいる牢獄の間をまっすぐに抜けた突き当たりには木の扉が設けられており、マキが大剣で叩き割るとそこは陰気な拷問部屋であった。部屋はおそろしい苦痛を与える道具だらけで、拷問台、指締め器、鉄の処女、そしてムチの数々が置かれている。
 部屋のすみのテーブルの上に何本か錆びたナイフが置いてあるのに気がつき、そういえばこれも短剣かとガラが一本を手にとると柄を握ったとたんにナイフの形が変わり、切れ味の悪そうな古びたナイフではなくすばらしい炎をあげる刃を持つ剣に姿を変えた。

「嘘!こんな都合よく見つかるものなの?」
「これぞ善の神々の御業、あるいは中立の神の気まぐれか」

 かつて善の神々は神話の戦いの中で世界を傷つけたことを恥じて、二度と自らタイタンに介入せぬという誓いを立てた。そして人が本当に正義にふさわしい振る舞いを行うとき、神々は彼らの成功を助けるべくちょっとした手助けをするだけにとどめている。
 英雄を狙った矢が当たらない、背後から襲いかかろうとした敵が足をつまづかせる、あるいは邪悪な王を倒すための短剣があっさりと見つけられてしまう。英雄は思わぬ幸運に救われたことを感謝するが、彼を助ける者の存在に気づくことはなく善の神々は満足してその姿を見守る。それこそ人が「幸運」と呼ぶものの正体であり、英雄と呼ばれる者たちが神秘的な力に守られている理由なのだ。

「別に英雄ってつもりじゃないけどさ」

 ガラにとっては彼女が善に認められたのでも偶然に助けられたのでも構わない。一刻も早く戦いを終わらせて、砦の外にいる皆を助けることが彼女の願いだった。トカゲ王の支配を止めて魔王子の影響を断つことができれば、坑道から戦場に放り込まれた人々は今度こそ解放されてそれ以上血を流す必要がなくなるだろう。
 短剣で二、三回空を切ってから、背嚢に備えていた石綿の布で包む。さらに奥にある扉へ向かうと樽と麻袋がいっぱいつめこまれた小さな貯蔵室、木製の机の上にガラスのビーカーやフラスコ、コップやつぼが並べられた実験室を抜けた後で右へ直角に曲がる廊下を発見する。

「外から見た様子だと、ここが塔の入り口だよね」
「行こう!」

 廊下の端にたどりつくと塔の中央部にのぼるらせん階段があり、階段をのぼりつめたところに仰々しく草食の凝らされた扉が据えられていた。取っ手をゆっくりと回し、ほんの少し開くことを確認するとそこは広々としたテラスへと続き、覗き込んだ視線の先には悪名高きトカゲ王の姿がある。頭に冠を頂いた王は胸壁をまたぐようにして眼下に声を張り上げていた。
 トカゲ王の言葉は彼女には理解できなかったが、その姿を見れば戦いが続いていて勝つとも負けるとも言いがたい状況であることが分かる。戦いに結末をもたらすべく、黒衣の僧を先頭に侵入者たちが躍り出た。

「覚悟!」

 娘らを従えたウンスイがすべるように駆け出すが、王は無礼な侵入者を見ようともせずに指を鳴らすと傍らに従順にすわっていた黒いライオン(Black Lion)、獅子と黒豹をかけあわせた魔法実験の産物をとびかからせた。巨大な獣は後足で立ち上がらずともマキやガラよりも背が高く見える。
 どう猛な獣はナイフのような牙をむき出して石段をひととびに越えると頭上から襲いかかってくる。獣の動きを敏感に察知した野馳の娘はその一撃だけで自分が潰されてしまうことを知ると、後ろにとんだ勢いのまま床に転がってしまう。黒いライオンはもう一度とぶためにすでに身を沈めており、今度こそ避けることはできないだろう。

「・・・!」
「あたしが、助けるっ!」

 ガラを守るようにライオンの前に割り込んだマキが、彼女の身体よりも大きく見える巨大な頭に大剣を振りおろすと重い音と叫び声がして獣の動きがにぶった。ふつうなら絶命する一撃に、ライオンは怒りくるって牙をむこうとする。
 厚すぎる肉と皮を貫くのが難しいと見たウンスイはすかさず羽織っていた外套をはずし、舞うように踏み込むと黒いライオンの頭にかぶせて目を奪った。こんなものがわずかな時も保つとは思っていないが、そのわずかな時があれば充分である。たとえばもう一度、マキが大剣を振りおろすことができるだけの時間があれば。

「今だ!娘よ!」
「今度こそ!あたしが任されたあー!」

 すばやく横にまわりこんだマキが、全身で振りあげた剣を首の後ろから叩きつけた。馬の胴体ですら両断するというザンバの大剣が、太すぎる獣の首を一撃で落とすと巨大な体が縮こまってから後足だけで立ち上がり、思い出したように赤黒いしぶきが吹き出した。首のないライオンの胴体が音を立てて横向きにどうと倒れる。
 トカゲ王がようやく振り返ると、彼の飼っていた獣が死んでいるのを見て信じられないという表情をする。王は怒りくるってどすどすと石段を下りてくると、陽光を照り返す曲刀で空を切りさきながら向かってきた。邪悪の王らしい大仰な動きだが、巨体と鎧のような厚い皮膚があるからこそ弱々しい人間の剣を恐れる素振りもない。かわされた一撃が石の床に深い切れ込みを刻みつける。

 王がくりだしてくる容赦のない攻撃に、堂々と正面に立ったマキは真上から振りおろされる曲刀を大剣で受け止めた。おそるべき一撃を小柄な全身で支えると、脇からすべり出たガラの構える短剣から魔法の炎が走る様子を見てトカゲ王がひるむ色を見せる。奴隷が魔王子イシュトラの力を破る武器を手にしていることに王は驚きを隠せない。
 トカゲ王の目の前で小柄なマホウ剣士は振りおろされる刃を正面から受け止め、黒衣の僧が右に左にとびまわって狙いを定めさせようとしない。ガラは仲間の後ろに控えながらトカゲ王の注意が彼女の短剣からそれる一瞬をうかがっている。ウンスイの身体が視界をさえぎった瞬間、マキの大剣が王を押し返して巨体をよろけさせると影になったガラの姿がトカゲ王の視界から消える。

「これで、終わらせる!」

 野馳の娘が逆手に握っていた短剣をもう片手で押すように突きあげると、柔らかいあごの下に深々と突き刺さった刃から火が走り、牙だらけの口から炎が吹きだした。致命的な一撃を受けた王が絶叫をあげて石の床にくずれおちると、戦いの様子を見上げていた仲間たちから歓声があがる。邪悪な兵士たちも何が起きたのかを悟ると臆病なオークが我先に逃げ出そうとして、主を失ったトカゲ兵も呆然として軍勢をまとめることすらもできずにいた。
 胸壁の下で戦いはまだ続いていたが、統率を失ったトカゲ王の軍勢は血の気が多いオーガが暴れるのがせいぜいで、ほとんどの雑兵は逃げるのでなければ反乱軍のハンマーで叩きのめされている。門に立ちはだかり仲間を守っていたハインツとガルドはこれ以上無駄に血を流す必要はないと、皆を砦に呼び込みながら怪物どもが逃げるに任せていた。

「これでロクスは解放される。逃げるものは逃げるに任せればいい。我々は勝った!」

 数百を数えていた怪物どもの軍勢が蜘蛛の子を散らすように去っていくまで、思ったよりも時間がかかったがようやく戦場が静かになると輝かしい勝者だけが砦に残された。これでトカゲ兵は魔王子イシュトラの支配から解き放たれ、ミッドランドをうかがうこともなくなるにちがいない。幾人もの犠牲こそ避けられなかったものの、ドワーフたちは彼らの労苦がむくわれたことに純粋な喜びの声をあげていた。小柄だが頑丈な彼らの肩上にハインツやガルドが担ぎ上げられる。
 奴隷たちを率いていた幾人かのドワーフと人間、そしてエルフがトカゲ王を倒した英雄に感謝の言葉と手を捧げるために塔をのぼる。ガラやマキ、そしてウンスイも思い出したように疲労がこみあげるとその場に腰を下ろしていた。

 背後のテラスへと続いている石段には首のないライオンと死んだ王が横たわって二度と動かない。仰々しく飾られた扉の向こうから仲間たちが姿を現し、英雄の働きに驚きの様子を見せるがトカゲ王の骸を見たエルフの顔が突然蒼白になる。

「まだだ!ゴンチョンはまだ死んではいない!」

 叫ぶと同時に、かばうように皆と王とのあいだに立つ。トカゲ王の頭上に王冠のようにとまっていたおそるべき寄生生物、ゴンチョンが宿主の脳に突き刺していた鋭い触手を抜くと新しい犠牲者にとびかかった。魔王子イシュトラの意思を伝える怪物が、求めていた生き物の頭上をついに捕らえるとエルフの表情が失われる。

『奈落の底から扉をこじ開けて世界に現れることができる場所は多くないが、イシュトラは人間がダークウッドと呼ぶ場所にそれを見つけた。この妖精はダークウッドと世界をつなぐ力を備えている。イシュトラが望みを果たすにふさわしい』

 魔王子の意思が無理矢理脳に流れ込んでくると周囲の者たちは耐えられずにひざをつき頭を抱える。その間に、先ほどまでエルフであったものは胸壁からとぶとその姿を消していた。妖精は異界とのはざまにある夢の世界を自由に行き来する力を備えており、もはやミッドランドに渡りダークウッドを目指す彼を阻止することはできないだろう。

 魔王子イシュトラが復活するのだ。

...TO BE CONTIUNUED
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