Antipsychiatry試論#1

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 雑誌などを読む限り、精神医学に関する議論は紛糾しているという印象を拭い去ることは出来ない。それぞれの論者達の主張する立場、そこにおける微妙な偏差を敢えてごく大雑把に整理するなら、そこには二つの立場があるといえるだろう。即ち、「生物学的精神医学」と「精神病理学」である。精神疾患を生物学的手法にしたがって治療することを企図する前者と、精神疾患という患者にとってのクライシスを分析的・了解的に捉えようとする後者と。この立場の違いは、立論の違いに決定的であり、この両者は往々にして議論の前提が異なるために対話は平行線をたどることが多い。今とりあえず2つの立場を取り出したが、勿論このグループ内でも議論はすれ違いつづけることもまれではない。おそらく、現代においてこれほどまでに立場が相違して、出会いそこねの論争を続けている分野は精神医学を措いて他はないであろう。
 しかし、この議論には、単に多様な立場が存在し、きわめて論争的な状況が維持されている、というだけではない。そこでは、そう言いきることの出来ない点、それだけでは語ることの出来ない点がある。むしろ私が関心を抱くのはそこである。もはや精神疾患をめぐっては、その議論が精神医療内部にとどまらず、常に社会的メディアを通じて別の領域へと拡大・拡散していき、本来疾患に関しては特権的な位置付けをされているはずの医療者が、この問題に関してはその特権性を失うという点だけをとっても、この問題の特殊性は表れている。メディアを通じて誘起された諸問題が、ふたたび医療内に回帰して、新たなる議論を巻き起こすという情報経路は、通常医療界へ突きつけられる透明性の要求とは全く違った様相を呈しており、独自の分析が必要なことは明らかである。そしてそうした文献は決して多くはない。
 だがしかし、なお語られていない問題圏は存在する。私がここで分析してみたいと思うのは、そこである。例えばどうしてこれほどまでに精神疾患は社会的な議論を巻き起こすのだろうか? 精神疾患は本当に「生物学的」に、あるいは「精神病理学的」に論じ切ることの出来るものなのであろうか? こうした紛糾した事態は、何によって引き起こされているのか? そもそも「精神医学」とは何を意味しているのか? ……こうした問いかけは、むしろほとんど行われていないといっても良い。今問われるべきことがあるとするなら、こうした議論が行われていないのはどうしてなのか、ということであろう。

 ここで、まず一つ、議論のための補助線を引くことにしよう。そもそも「精神医学」の「医学」とは何か? 一般的には、精神医学の歴史はクレペリンにその端を負うものとされていいる。クレペリンは「精神」に関する「医学」を打ち立てたのだと。しかし、そもそもこの「医学」とは何であろうか? それは「医療」とは違うものなのであろうか? 精神医学と精神医療。ここで、本来私は精神医学と精神医療のそれぞれの系譜を歴史的にたどって行くべきであろう。その上で両者の差異を同定していくべきであろう。しかし、この二つの間にあるねじれた関係は、我々が通常この両者を同一のものとして見、それに関して懐疑を差し挟まないが故にあまりにも隠蔽されてしまっている。そもそも単純にはこうした系譜をたどることが出来ないのだ。そのためにはある種の戦略が必要とされる。我々はそれゆえ、クレペリンの『精神医学』での記述にまで溯らなくてはならない。そこから「医学」とは何かという問いを、いわば先取りした形で考察せざるをえない。

 精神医学は精神的な疾患とその治療に関する学である。その出発点を為すのは精神障害の本質の科学的認識である。未開民族では精神疾患は敵意ある悪鬼の影響にされるのが常で、東洋では今日でも精神疾患は神に烙印を捺された人ということになっている。それに反して古代ギリシアの医師達はすでに、狂気の座に脳を置き、精神疾患をある種の身体的障害、特に熱や体液の変化と結び付けるほどに進歩していた。今日の命名の二、三のもの(「メランコリー」、「ヒポコンドリー」など)はそれに端を発している。残念ながら、すでに体系学に発達したこうした視点は、古代文化の瓦解と共にほとんど完全なまでに失われてしまった。それに対して中世は精神疾患の見方について、一方ではスコラ哲学的、他方では宗教的・迷信的な推測を押し付け、自然科学的理解の既存の芽を急速に排除した。精神疾患はもはや疾患ではなく、悪魔の仕業、天刑、また時には神的恍惚でも有った。精神障害者の研究や治療に携わるのはもはや医師ではなく、僧侶が悪魔を退散させるためにそうしたものを追求した。民衆は狂人を聖者として崇め、魔女裁判の判事は推測上の妄想的な罪のために、狂人を拷問室の中や火刑台の前で罰させた。
 科学の復興と特に医学の発展と共に、次第に医師達の興味はまた精神疾患者に向けられ始めた。ただ、精神障害は医学的見地からのみ正しく追求され認識され得るのだという明らかな知識が一般に通用に達することが出来るまでに一世紀を要した。カントはまだ、病的な精神状態の診断には医師よりも哲学者を呼ぶべきであるという見解を支持していた。精神疾患者のための医師の監督下での幾つかの特定の施設の建設がやっと次第に、精神疾患の科学的観察法の発展の道を拓き始めた。少数の先駆的業績を度外視すれば、実際の精神科医はやっと十八世紀から存在することになる。精神医学はその時から、内的および外的な困難にもかかわらず、医学の一つの力強い分岐にまで目ざましく急速に発展してきた。
 とは言うものの、特にドイツでは、まだ困難な闘いをまず克服せねばならなかった。なるほど聖書の権威に支えられた憑きもの迷信は、今日でも密かに噴き出すようであるが、既に力を失った。それに反し、まさにエスキロールによって当時豊かな臨床経験の手に委ねられた若い精神医学的知識は、精神疾患のある種の道徳神学的把握に存する危険な敵と闘い続けた。それは前世紀の最初の十年間にハインローやベネケなどによって精神疾患の学説の中に持ち込まれたもので、こうした見解によれば精神障害の主な性質は自己の罪の結果、これが人間に対し暴力を加えるようになって、結局心身を駄目にするのであるという。こうした、また類似の、非常にうまくひねり出された見解に対しては、ナッセやコービを先峰とする、精神疾患を身体的障害の表われとして説明する「身体論者」達が、自然科学的研究の武器で闘った。
 彼らは勝者であり続けるのに成功している。七十年前にはまだ苦労して論争し闘い取らねばならなかったことが、こんにちでは、しばしば異なった形でではあるが、精神医学の自明の基盤となっている。もはや誰も、精神障害が医師の治療すべき疾患であることを敢えて疑わない。今では我々は、精神疾患においては精神現象の形が多かれ少なかれ、脳、特に大脳皮質の精細な変化を呈示するのだということを知っている。こうした知識によって精神医学は、自然科学的な手段と原則に基づいて邁進する確固たる明らかな目標を獲得したのである。

(『精神医学』第一巻緒論)

 クレペリンのこの記述から、何が判るであろうか?

1.まず、精神医学は、科学的認識に基づく、精神疾患とその治療に関する学である、という主張が分かる。

2.ところでこの「科学的認識」について、クレペリンはもっとはっきり、「身体的障害」に基づく、という言葉を使っている。ということは、精神医学とは、精神障害を身体的な障害から理解する学である、ということが判る。

3.次に、クレペリンは、従って「精神障害」は「医師が治療すべき疾患である」ということを主張する。即ち、精神に関する疾患は、医師が治療すべき疾患、医学の範囲にあるということを主張するのである。

4.その具体的な方策は、クレペリンにすれば、「脳、特に大脳皮質の精細な変化」の研究に基づいて、病状を呈する部分を改善するということに求められるだろう。クレペリンの時代にはまだ出来ないが、精神医学の目標は一つであり、脳の研究に基づいて異常を正常に戻すための方法を追求することにある、ということになる。

 さて、ここからクレペリンの「医学」観についてもおおよそのことが分かる。クレペリンによれば、そもそも医学とは、「科学的認識」に基づいて、何が異常か研究し、異常部分を正常に戻すべく治療する、そのための「学」であるのである。従ってクレペリンは、この視点に立つ以上、正常と異常の区別、更にその分類を徹底させる必要に迫られる。事実クレペリンの仕事はそのように要約可能である。クレペリンはその生涯をかけて、膨大な症例を、固定し、分類し、記載した。その分類は、年月を追うごとに細分化し、何度も何度も書き換えられ、まさに終わりが無い。あたかも百科事典を作るかのような作業。現在の医学もこの方法論を基本的に踏襲し、その一部門である精神医学もおおよそこの延長上にある。
 ところでここで注意しなくてはならないことがある。このように書くと、あたかも「医学」は「医療」という実践のための膨大なマニュアルを作成するものであるように思われる。確かにそういう一面もある。だがクレペリンの『精神医学』をはじめとして、膨大な「医学」研究を前にした時に、そうした観点は実は有効ではない。確かに医学は「医療」にその端を負う。しかしそのままそれを記載するのでは単に経験論に終わる。医学の役目とは、過去の経験を分析し、抽象化することで、将来に対してある種のビジョンを呈示することではないだろうか?
 このことは医学に限らない。いかなる学も、その目的は単に経験論に終わることではなかった。たとえその学が発生した時にはそうした意図はなかったとしても、遡行的に見た時には常に何らかの投企性が見えてしまう。精神医学の場合にしても、たとえ最初は症例を集める経験論に過ぎないものでも、それが分析され抽象化されると、それはもはや単なる過去へのコメント=経験論以上の何かになる。それは未来に対してもコメントするのだ。何が「症状」で、何が「疾患」か、そしてその「治療」法は何か、等々。それは過去の遺産であると同時に、将来に覆い被さるフィルターになる。そうなって初めて「学」が成立する。
 無論、「学」は常に正しい結論を呈示するとは限らない。だが、遡行的に見るとき、我々には「学」の間違いは「見えない」。何故か。我々は歴史を振り返る時に、我々の持つ「学」の中で、その視点に沿って「学」の歴史を振り返る。ところでそうして見ると、「学」の中で、個々の研究者が間違いを犯すことは判るけれども、その基盤である「学」そのものの間違いを「見る」ことが出来るであろうか。数学について考えてみるといい。様々な学説が飛び交った。その中には我々からすれば、完全に的を外れた意見も有ったであろう。しかし我々は常に、今我々が持つ「数学」とは違うものであるかもしれなくとも、「数学」そのものの誤りなど、見えるであろうか。個々の学説の誤りでなく、その議論の基盤である「数学」そのものが、その考え方自体が誤りであるなどという、そうした考え方を我々は許容するであろうか。そう考えた時、「医学」に間違いなど無いのである。
 医学に間違いなど無い。個々の学説に間違いがあっても、医学そのものに誤りがある可能性はない。それが「学」一般の特徴である。ここで、精神医学に話を戻そう。クレペリンは「精神医学」を、ともかく「分類」から始めた。「自然科学的認識」がいかなるものであろうが、この点は動かない。従って、個々の学説ではなく、精神医学という土台とは、今の文脈からすれば、「分類すること」そのものに求められよう。分類の仕方には誤りがあるかもしれないが、分類するということそのものには誤りはない。このことは、将来も決して変わらない。しかしこれはどういうことか。
 ここで、精神医学だけでなく、もっと広い視野に立って考えてみる。クレペリンの生きた時代は、実はフッサールやヴィトゲンシュタインといった、論理実証主義の哲学が広範に受け入れられていった時代でもあった。というよりも、時代の風潮自体が元々論理実証主義に基づいていて、あらゆる学がその影響下にあったといった方がいいかもしれない。この影響は現在においても消えていないが、ともかくこの時代にその思考形態は整備された。ところでその論理実証主義とは何か。これは、一つのカントへの応答であると整理できるだろう。
 次の図を見て欲しい。論理実証主義とは何か。一言で言い表すならそれはmetalevelとobjectlevelとの徹底した乖離を特徴とする論理である。ではこの図に沿って説明していこう。

 超越論的自己とは、簡単に言えば、「知覚する」私である。私は様々なものを感じる。外界の光、音、温度、様々な形象も運動も知覚する。それだけではない。私は自分自身を知覚する。自身の感情の動き、嬉しいとか悔しいとか、痛いとか苦しいとか、妬ましいとか憎たらしいとか、自分の中のことをも知覚する。これら全てを知覚する主体、それを超越論的自己と呼ぶ。そして先に挙げたような、知覚されるもの全てを合わせて、意識平面と呼ぶ。ヴィトゲンシュタインは、この超越論的自己を目に、意識平面を視野に喩えた。視野の中に目は無いように、意識の中にも超越論的自己はない。
 これを学一般に拡張して考えよう。例えば数学を例に取る。数学では様々な数を計算する。数学では権利上、いかなる数も計算し得る。従ってこれらは計算の対象=objectになる。しかし計算の対象に出来ないものが数学の世界にも存在する。それは、計算すること、その方法そのものである。例えば5+3=8、これは通常の計算である。しかしこの計算で使われている+や=は決して計算の対象にはならない。5+=8、という計算式は、計算の結果がどうこう言う前に、そもそも間違っている。計算にとって、計算すること、計算する方法自体は、決して計算の対象にはならない。ここに挙げた例で言えば、+や=はmetalevelなのである。
 学においては、このmetalevelとobjectlevelとは決して混同されない。このことを我々の文脈から考えてみる。クレペリンは様々なことを分類した。その分類対象は考察の対象となった。しかし彼は、自身の「分類すること」そのものを考察することはなかった。少なくとも彼の体系の中では権利上不可能であった。言い換えよう。クレペリンの体系の中では、彼が立てた分類すること=metalevelは、考察の対象=objectlevelから常に逃れる。クレペリン自身も含め、精神医学者たち、一般化して「分類する」者たちは、その分類に変更を加えることはあっても、決して自身のやり方を、あるいは自分達を考察することはない。話を広げよう。分類すること/現時点での分類法、精神科医/患者、精神医学体系/症状、この二分法自身は、決して揺るがない。精神医学は「学」一般のこうした構造を逃れられない。

 「学」の構造について、もう少し整理しよう。前述したように、「学」の一般構造として、ある種の抽象化が存在している。この抽象化とは何であろうか。
 「学」は一般に、確かに過去に対するコメントから始まる。この意味では通常の経験論と変わらない。過去に起きた事象を執拗に記載し続けることは、確かにそれなりに意味の有ることである。そもそも通常「慣習」や「伝統」の名の下に語られるものというのは、そうした側面が強いであろう。確かに膨大なノウハウはあるだろう。幾つかの行為の選択について、良い回答を用意するだけの準備もあるかもしれない。しかしそこには原理はない。
 「学」はそこに留まらない。いったん分類され、分析され、抽象化を経てしまうと、それは前とは違った何かになる。即ち、「原理」が出現する。それは、過去に関するコメントを、それ自身独立させ、いわば折り返す形で、未来に関するコメントに変えてしまう。もう少し言葉を補うなら、それは過去のある一事象が持っていた時間性を汎時間性に、非時間性に変えてしまう。時間なきものは普遍的であり、それは未来に関してビジョンとなる。
 過去の未来への送り返し、まずはこの構造を確認しておく。しかし「学」の構造は、これだけに留まらない。「学」はそれ自体基底材として自身を表出する。どういうことか。「学」は今述べたように、未来に関してもコメントする。ということは、学は自らの中にある種の基準=ノルムを持つということを意味する。ノルムとは通常「原理」として語られ、この「原理」の二重性が、「学」にとって不可欠な性質を付与する。
 まず「学」は、社会的な要請に応じ、その権威付けの条件として、何らかのノルムを呈示する。ノルムとは、この場合「規範性」の確定、正常性と異常性の区分を呈示する最終審級を意味する。この意味では、「学」は透徹した分類、完全に透明な基準の作成を己の条件とする。この主張は、しかし同時に別の問題を喚起してしまう。つまり、そうしたノルムには従わないように見える事象、説明できそうにもない事象をどう捉えるのか、という問題である。それゆえ「学」は、自身の正当性の主張のために、同時にあらゆる事象に妥当可能なロジック、あらゆる現象を説明可能とするmetalevelの原理を呈示することになる。事象に密着し、その正常/異常を判定するobjectlevelの原理と、事象からは離れて、むしろ事象に対する判断自体を判断するmetalevelの原理。「学」はこの二重構造を持つ。
 別な言い方で繰り返そう。「学」は確かに社会的な要請から発生している。その意味ではある種の直接的な政治性を、即ちobjectlevelの判断における審級という役目を常に担う。しかしそれだけでは「学」はむしろ自身の正当性を取り逃す。なぜならそのままでは様々な思考システムの中の一つに過ぎなくなってしまうからである。自身の正当性を決定的なものにするために「学」は自身の政治性を隠蔽し、非政治的なもの、非価値判断的なものにしようとする。規範に従っているか否かを全く判断しない以上、その判断は常に正しい。つまり、学におけるこのmetalevelでの原理性には、通常の意味での批判は不可能なのである。
 「学」はこのレベル横断性を常に再生産する。ここに「学」一般の無謬性と非政治性が維持される原因がある。この二重性の分析こそが、「学」に関する批判に中心的な位置を示すものになるだろう。もう少し付け加えよう。この二重性の分析は、おそらくそのずれから考察できる。また、学は常にその独自な体系から再生産されていくという点も、見落としてはならない点であろう。その体系は、社会的な要請から始まったとしても、それ独自の体系化を持つ。例えばそれはアルチュセールが分析したように、上部構造は下部構造から独立して振る舞うというふうに定式化も出来るだろう。確かに上部構造は下部構造から影響を受ける。しかし上部構造は独自に「呼びかけ」、それ自身として再生産され得るのである。

 医学とは、「学」である以上、常にある種の「原理」性に立ち返ることになる。原理性とは何か。それは、ある種のノルムを呈示することにある。ノルム、即ち規範性、その呈示においてこそ、「学」は社会的に権威付けられる。精神医学において、その役割は決して小さいものではなかった。よく知られているように、そもそも歴史的に見て、精神医学の発生は精神に関する「規範性」の確立という、極めて社会的な要請によるものであったからだ。クレペリンの記載が、如何に自身の「正当性」を主張しようとも、そのロジックが何らかのノルムの提示を行っていることに変わりはない。それは、異常と正常とを分ける規範の呈示こそ、第一に行うものであったからだ。その「非政治的」な外見の裏に隠された「政治性」に関しては、もはや疑いようもない。
 精神医学は、その広範囲な伝播によって精神の規範的規範を練り上げてきた。文化相対主義を主張する文化人類学によってもそのことは覆せない。なぜなら、まさに様々な精神の在り方、精神の規範の在り方があるという事実それ自体が、精神医学にとっては自身の正当性を主張する論拠になっているからである。精神医学は自身を決してobjectlevelには置かない。精神医学はあらゆる文化の精神の規範の在り方に対して、metalevelであることを主張するのだから、まさに精神の様々な在り方こそが精神医学の広範な可能性を約束することになってしまう。精神医学とは、己を完全に透明にしつつ、あらゆる事象に関してかぶさっていくようなフィルターとなるのである。そもそも精神に関する医療、精神に関する分類という考え方それ自身が精神医学から発生したものではなかったか。そうであるとすれば、文化人類学が様々な精神の在り方を呈示するまさにそのことこそが精神医学のやり方なのではないか。
 精神医学はノルムを呈示する。それは個人文化を縛り付けるノルムではなく、それを解釈するノルム、metalevelにおけるノルムである。従って、通常の意味での精神の多様性の主張は、むしろ精神医学の権威を強めてしまう。精神医学は、常にその記述を非政治的なもの、非価値判断的なものにしようとする。その意味において、精神医学はmetalevelにしかない。しかし精神医学は同時に、objectlevelについても語ってしまう。この奇妙とも言えるレヴェル横断性は、精神医学の中心的な位置を占めることになるだろう。
 ところで、こうした点から「精神医学」を考察・批判した文献は存在しなかったか? それは執拗に書かれ続けたのではなかったか? そうした系譜は、では現在どうしてそれにふさわしい注意を受けていないのか? 私はここで特権的に、クーパーの『反精神医学』を取り上げる。この本の原題は、“Psychiatry and Antipsychiatry”であり、精神医学と反精神医学との関係について彼が書こうとしたことがすでにタイトルから明示されている。私がここで行おうとしている「精神医学とは何か」という問いかけは、実はこの本によって先取りして考察されている。勿論クーパーは当時の精神医療の現状に対して批判しているのだろう。しかしそこで彼は同時に精神医学についても何事か語っている。我々はここで、この本の精読を行わなければならない。その上ではじめて、現代における精神医学をめぐる議論を分析することが出来るであろう。