魔法都市日記(22)

1998年9月頃


今年の夏はどうにも気候が変調であった。数年続いたエルニーニョ現象は収束に向かっているらしいが、7月中旬から下旬にかけては突然涼しくなり、このまま秋になってしまうような気配さえしていた。ところが8月に入ると例年並の暑さになり、9月は逆にいつまでも暑く、おまけに後半は梅雨のように連日雨ばかりであった。9月が終わり、10月下旬まで半袖ですごしていた。こんなに夏が長いと、きっと秋は短く、夏から一気に冬になってしまうのだろう。枯れ葉が舞い始めるころのもの寂しい気分も好きなのに、それもすぐに終わってしまいそう。

某月某日

いつもの散歩コースを変更して、少し遠くの本屋まで歩いて行くと、途中に新しいモスバーガーの店ができていた。帰りにもう一度店の中を覗いてみたら、午後の中途半端な時間帯であったせいか、客は誰もいなかった。ここの店は広く、机も木製の大きなもので、座席の間隔もゆったりととってある。ファストフードの店というより、落ち着いた喫茶店のような雰囲気になっている。ここなら本を読むのもゆっくりできそうだったので、買ったばかりの本を持って入る。

Coffee Time

30分ほどいたら寒くなってきた。ホットコーヒーを追加で頼むと、このような店にしては珍しく、紙コップではなく、陶器のカップに金属製のスプーンが付いてきた。このカップをながめていると、何年か前、ジョン・ケネディが売り出した"Coffee Time"($10.00)というトリックのことを思い出した。

現象は、コーヒーにクリームを入れ、スプーンでかき混ぜると、確かに入れたはずのクリームだけがコーヒーの中から消え、「ブラック」に戻っているというもの。

これをするためにはいくつかの条件が必要である。ひとつは、使用するクリームは、ファストフードの店でよく利用されている、上の写真に写っているようなプラスチックの小さな容器に入ったものであること。スプーンは金属製であること。この二つが絶対条件なのだが、この二つを満たしている喫茶店は意外なくらい少ない。バーガーを扱っているような店だと、金属のスプーンではなく、プラスチックの棒のようなものが付いてくる。普通の喫茶店だと金属のスプーンは付いてくるが、プラスチックの容器に入ったものは出てこない。そのため、これは一度やってみたいと思いながら、長い間できなかった。いかにも「即席」という雰囲気でやりたいので、家にこのクリームを買ってきてまでやるつもりはなかった。

原案では続きがある。入れたはずのクリームの容器を観客に調べてもらうと、ふたが密閉されており、クリームが入ったままになっている。さっき、絶対、この容器から白い液体、つまりクリームがカップの中に入っていくのを見たはずなのに、カップから消えたクリームが、また容器に戻っている。しかし、これはどうも蛇足のような気がして仕方がない。クリームだけ完全に消えてしまったほうが説得力があるのではないかと思っている。ところが、実際にやろうとすると、戻さないと難しい。(笑) 容器にクリームを戻す方が簡単なのだ。もし入れたクリームがカップから消え、容器を見るとこっちも空になっているという現象を見せようと思ったら、前もって空の容器を入手して、準備しておく必要がある。即席でもできないことはないが、前もって準備できた方が便利である。そのうち誰かに見せるつもりなので、クリームの容器だけ持って返ってきた。

昔、スライディーニーは、レストランで誰かと食事をしているとき、マジックを見せて欲しいと頼まれたら、そこの店の紙ナプキンを破って、それを復活させるマジックを得意にしていた。その店にあるナプキンを使うほうがベストなので、一度行った店の紙ナプキンを数枚こっそりと持ち帰り、常にネタを作っていたそうだ。ニューヨークのカフェやレストランのものなら、相当な数、ストックしていたのだろう。誰かに誘われて入った店で、そこの店名が印刷された紙ナプキンを破って、復活させたら、確かに見せられたほうは驚く。日本では、ストローの紙袋も同じように使用できるので、これもストックしておくと役に立つかも知れない。このような下準備にどれだけ手間暇をかけるかで、不思議さに決定的な差が生まれるのだろう。

この"Coffee Time"は海外から通販で買ったのだが、現象を見ることなく買ったので、送られてきたタネを見たら、あまりの馬鹿馬鹿しさにやる気はしなかった。ところが、松田さんはこれをジョン・ケネディが演じるのをご覧になったことがあり、完全にひっかかったそうだ。マジックという雰囲気ではなく、ちょっと休憩という雰囲気でコーヒーを飲むときにやられたら、ひっかかるのだろう。松田さんが驚くようなトリックなので、いっぺんはどこかでやろうと思っている。

某月某日

アンクルトム神戸の大丸百貨店で、人形作家、与勇輝(あたえ・ゆうき)氏の作品展があった。与氏のことを初めて知ったのは今から20年ほど前、何かの雑誌で特集が組まれたときだと思う。そのときは、辻村ジュサブロー氏などと並んで、これから有望な新人という扱いであった。『ヘンデルとグレーテル』、『にんじん』等の登場人物を与氏のイマジネーションで作りあげた作品は、私がそれまで知っていたどんな人形とも異なっていた。誰かが、与氏の人形は布でできた彫刻であると言っていたが、ある時は絵画のようでもあり、また写真を見ているような感覚になるときもある。不思議なくらい現実感を持った人形達が、今までに経験したことのない空間を作り上げていた。

与氏の作品は、民話や童話の登場人物を扱ったもの、ごく普通の人々の日常を切り出したもの、最近では『アイヌ語事典』にあった妖精ニングルを題材にしたものなど様々なテーマがあるが、すべてに共通しているのは「魂」である。その叫びは静かではあっても、深い。与氏は、人形を作っているとき、自分が作っている人形に教えられることが多いと仰っていたが、人形を作るのは自分の分身を作り出しているようなものなので、その中で何度も行う人形との対話や交感のなかで、自分自身の魂が昇華され、勇気づけられるのだろう。

チュチュ

絵画であれ、彫刻であれ、何の分野でも、すぐれた作品は製作者のフィルターを通した世界観・人間観を我々の前に切り出して見せてくれる。それは否応なく、見る者に様々な刺激を与えてくれる。結局、作品に感動するということは、とりもなおさず、その製作者の魂に感動しているのだろう。「あっ、この人はこんな風に世界や人間、その他諸々の生き物を観て、感動しているのか」と知るとき、作品を媒介にして、作者と見る者の間に交感が起きる。

「与 勇輝の世界展」 1998/9/17-9/28
大丸ミュージアムKOBE(神戸大丸)

某月某日

確率の問題で面白いものがあった。これは、IQ(知能指数)が228ある言われるMarilyn vos Savanの作らしい。

テーブルに箱が3つあるところを想像してほしい。テレビのゲーム番組やクイズ番組でよく見かけるようなものだが、一つの箱にはダイヤの指輪が入っており、他の二つの箱にはティッシュペーパーが入っている。勿論、箱にはふたがしてあるので、参加者はどの箱にダイヤが入っているのかわからない。今、参加者が一つの箱を選び、その中にダイヤの指輪が入っていたらそれがもらえるというゲームである。ダイヤよりティッシュペーパのほうがよいと言う人もいるかもしれないが、とにかく一つには割と高価なものが入っていて、他の二つははずれというようなゲームである。

箱には「A」,「B」,「C」と書いてあるものとしよう。参加者はこの箱のうち、一つを選ぶ。今、仮に「B」を選んだとする。このとき、司会者が誤って「B」以外の箱にぶつかり(それを「A」とする)ふたが少しずれてしまって、「A」の中身がチラッと見えた。「A」の中にはティッシュペーパーが入っていることをこの参加者は見逃さなかった。このような状況、つまり、自分が最初に選んだあと、残っている箱のどちらかの中身が見え、ティッシュペーパーであることがわかった時点で、最初に選んだ箱から、他の箱、この場合であれば「C」になるが、「C」の箱に換えたほうがよいのか、それとも換えても換えなくても同じなのかという問題である。他の箱の中身がひとつだけ見えたとき(ティッシュが入っている)、「絶対、いつでも換える」という主義の人と、「絶対に換えない」という主義の人がいるとして、どちらが得だろう。換えても換えなくても、当たる確率は同じだろうか、という問題である。勿論、普通に選べばダイヤが当たる確率は1/3である。換えたら確率が上がるだろうか、それとも同じだろうか。

この問題を高校生にさせてみたら、全員、間違えていた。それほど出来の悪い子達ではなく(汗)、京都大学や医学部志望の連中ばかりなので、確率はむしろ得意にしている。ところが、みんなドツボに落ち込むようで、「条件付き確率」の問題として15分くらい必死で計算をしていたが、やればやるほどおかしなことになっていた。(笑)実際は計算など不要で、小学生でもわかる。

あなたはどうだろうか。なかなかよくできた問題なので、2,3分でも考えてみて欲しい。

補足更新:(1999年2月19日)

この確率の問題は好評であったので、少し状況を変えて、"something interesting"の中にある「オンラインパズル」で紹介した。まだ読んでいない方は、解答もつけておいたので、そちらを読んでいただきたい。

 

マジェイア

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