魔法都市日記(37)
1999年12月頃
2000年を迎えてのご挨拶と総括
とうとう2000年に突入してしまった。別段特別な感慨もないが、このWeb Siteを開いて約2年半が過ぎた。私自身の備忘録のつもりで始めたのがきっかけであったため、反響など二の次、三の次であった。ところが、一年ごとに頂くメールの数が増えている。この一年間だけで、二千数百通のメールをいただいた。このようなことは当初予想もできなかった。
いただいたメールには8割から9割くらい返事を出しているが、決して愛想が良いとはいえない返事しか書いていないのに、多くの方々から有形無形の情報を提供していただいている。
出席できなかったコンベンションやレクチャーの報告・感想をメールでいただいたり、レクチャーノートを送っていただいたりと、大変助かっている。そのような様々な情報が、見えないところで強力なバックグラウンドとなっている。もし「魔法都市案内」に少しでもおもしろいと感じていただける部分があるのなら、それは表には現れてこない多量の情報が裏で支えてくれているからだろう。また、いつも訪問してくださっている大勢の方々がいてくださるという事実も、私自身にとって大きな励みになっている。
オフミーティングのお誘いもしばしば受ける。都合のつく限り、お会いするようにはしているのだが、元来、出不精であることと、ビデオがこれほど出回っている昨今、今さら私がマニアの方に何かを見せるようなものもないし、私でないとお見せできないというものもないので、つい、おっくうになってしまう。マジックに関しての私自身の考え方であれば、「魔法都市案内」を読んでいただければ十分だと思っている。とは言え、決してオフミーティングが嫌いというわけではない。この一年だけでも、10回くらいは個人的にお会いしている。人数にして14、5名になる。何度かのメール交換で、ご縁を感じ、私自身、お目に掛かりたいと思う方とは、できるだけ会っていただくよう、声を掛けさせていただいている。
20数年前は、マニアを引っかけることに無上の喜びを感じるという、今から思えば相当屈折したメンタリティもあったが、それは今ではすっかり消えてしまった。サービス精神があるのかないのか、自分でもよくわからないが、折角マジックをお見せするのであれば、たとえ相手が超マニアであっても、確実に相手を引っかけないと申し訳ないと思ってしまう。それで、ついマニア相手に見せることが面倒になっていたが、最近はそのような意識もなくなってきた。私が一般の人に見せているマジックを、そのまま見せればそれでよいと開き直っている。
都合さえつけば、できるだけオフミーティングもするつもりなので、お気軽にお誘いいただきたい。たいてい神戸、大阪、京都のどこかになる。12月は、偶然にも大阪駅近くのウェスティンホテルで、3回オフする機会があった。ウェスティンホテルのすぐ隣にあるスカイビルの前には、毎年、高さが30メートルくらいある大きなクリスマスツリーができる。12月の上旬から点灯するので、夜、空中庭園から大阪の夜景を楽しむと同時に、ツリーも楽しめるので、この時期、デートスポットとしてもお薦めである。以前、メールでそのようなことを紹介したら、それを覚えていて、ここに宿泊されたようだ。
マジックに関しての2000年の目標は、とにかく本を読もうと思っている。できればこの20年間に出た大型の洋書の中から、50冊ほどピックアップして、読んでしまいたいと思っている。読むと言っても、マジックの解説が中心のものは隅から隅まで全部読む必要もなく、どのようなトリックかわかればそれでよいものが大半なので、昔なら200ページ前後のものでも2,3時間で読めた。この十数年間、マジック関係の洋書を読んでいなかったら、読むスピードが愕然とするほど落ちていた。勘が働かなくなっていた。洋書に限らず、日本語で書いてあるマジックの解説書でも同様であった。それがこの2,3ヶ月前から、昔のスピードで読めるようになってきた。どうやらマジックの本を読むには、頭のスイッチをそれ用のモードにしないと読めないものらしい。消えかけていたマジック関係のシナプスが、やっとつながりだしたのかも知れない。
某月某日
神戸の三宮を歩いていると、アーケードで人だかりがしていた。マジシャンの嗅覚だろうか、遠くからでも何か感じるものがある。もしかしてと思い、覗いてみると、案の定マジックをやっていた。
街頭でおじさんが一人、音楽をかけながらシルクやリングを使ったマジックをやっている。神戸市主催のイベントの一つのようである。アマチュアの人だとは思うが、ずいぶん手慣れているので、どこかのクラブで講師でもしている人なのかも知れない。もう少し見ていたかったが、別の場所で人と待ち合わせをしていたので、2,3分でその場を立ち去る。
某月某日
「ジョニー広瀬&霞のマジカルナイト」
日時:1999年12月18日(土)
会場:梅田花月シアター
開演:午後7時
料金:前売り/2,000円 当日/2,500円
約20年ぶりでジョニー広瀬さんのステージを生で見た。今回のものを皮切りに、約1年かけて6回このようなステージを「梅田花月シアター」で開催されるようだ。最後の6回目は難波のNGK(難波グランド花月)で大がかりなものになるらしい。内容は、スライハンド、トークマジック、クロースアップ、イリュージョンと、広瀬さんのいろいろな面が楽しめる構成になっている。
広瀬さんが大阪梅田の阪神百貨店にあったマジック・コーナーでディーラーをなさっていたのはもう20年以上前になる。同じ頃、東京では現在のMr.マリックである松尾昭氏や、トランプマンの星野徹義氏、名古屋では現在スピリット百瀬を名乗っておられる大嶽重幸氏などがディーラーとして活躍されていた。今にして思えば、このころがデパートのマジックコーナーの全盛時代であったのだろう。とにかく日本中に優秀な人材がそろっていた。
私も20数年前、大阪駅前にある阪神百貨店の売り場に行っては、よく広瀬さんのところで遊んでもらっていた。そのころから、広瀬さんは誰かの発表会や、アマチュアの発表会などにもゲスト出演されていたので、ステージも何度か見せていただいている。最近は吉本興業に所属し、大阪弁丸出しのしゃべりで、どちらかといえばお笑い中心のマジックになっているが、当時、ステージで、喋らないで行うマジックは、スライハンド中心であり、大変繊細なマジックが多かった。なかでも「宝石のプロダクション」や、実際にワインの入ったグラスをシルクからいくつも取り出す「ワイン・グラス・プロダクション」は幻想的とも言ってよいほど独特のムードが漂っていた。
今回のショーでも、最初の約15分間は喋らないで、スライハンド中心のマジックと、最後にひとつ、イリュージョンがあった。カードの飛行や、シルクとリングを使ったマジックを中心に組み立てられている。後見として一緒に出ておられる奥様の霞(かすみ)さんはいつまでも美しく、ついそちらに目が行ってしまう。そう言えば広瀬さんが阪神にいた頃、奥様も阪神にお勤めで、マッチ箱の裏にデートの時間や待ち合わせ場所を書いたものを、広瀬さんが奥様に、こっそり手渡している場面を何度か目撃したが、あれから20数年経っている。それにしては広瀬さんも奥様も、全然当時と変わらない。ウエストのあたりはお二人とも多少肉付きはよくなっているが、それは、私も同様なので深く触れないことにする。(汗)
それにしても、広瀬さんの「シルクとリング」は当時からよく見せていただいたが、ほんとうにすばらしい。今では日本のマジック界ではクラシックになっているのだろう。アマチュアの発表会などでよく見かける。名古屋のUGMから、広瀬さんの「シルクとリング」用のネタとビデオも発売されている。タネを知っていても、本当にリングがシルクをとおり抜けたとしか思えないくらいスムースに貫通する。
途中、クロース・アップ・マジックをカメラで撮影し、ステージ正面に用意されたスクリーンに大写しで見せる場面もあったが、これは少々見づらかった。カメラのアングルをうまく調整しないと、途中、手が画面から消えることもある。「リング・フライト」、「コイン・アセンブリー」、借りたお札が、1枚のトランプをはがすと、中から出てくるものや、最後は破ったお札が復活する例の広瀬さんのオリジナルマジックなどであった。
ステージでは、サインをしてもらったシルクがフランスパンの中から出てくる"Silk in Bread"や、「ヒンズー・バスケット」で予想外のクライマックス付きのものなどがあった。
途中、近畿大学の学生が「四つ玉」を演じたのと、吉本で、ジャグリングと曲芸を混ぜたようなことをしているプロの人がゲスト出演していた。マジック以外のショーが間に入ると息抜きができてよい。
全体では1時間半くらいのものであったが、最初の15分をのぞけば、あとは大阪弁丸出しの喋りで、観客とのやりとりが中心になるお馴染みの広瀬さんペースのものであった。広瀬さんは、喋らないで演じている姿だけを見ていると、ずいぶん恐そうなおじさんに見えるのに、一度喋ると小さい子供でもすぐにうち解けるキャラクターは得難いものがある。
全体としては楽しかったのだが、苦言もひとつ。現在の花月シアターは、昔の梅田花月と比べるとずいぶん小さくなっている。昔は2,000名くらい入ったはずである。それが今では400名くらいだろうか。大型の花月劇場は難波に移り、梅田の花月シアターは縮小されている。小さくなったため、ステージと客席が接近しているのと、座席の配置にも工夫がされており、リラックスして見られるようになっている。昔のような2,000名も入る劇場では広すぎて手軽に利用できないこともあっただろうが、これくらいの広さなら、出演者も気軽にリサイタルや独演会が開催できるだろう。とは言え、上のほうの座席はステージと多少の距離がある。
先日のステージで気になったのは、広瀬さんが前のほうに座っている観客にばかり話しかけ、真ん中より後ろの客をほとんど見なかったことである。ステージに近い席は、チケットを大量に売りさばいてくれた関係者が大勢いるようで、その人たちに愛嬌を振りまくのはわかるが、自腹を切って来てくれている観客、特に後ろの方の観客にも視線を向けないとまずい。手伝ってくれる人を募集したときも、真ん中あたりに座っていた女の子が指名してもらおうと一生懸命手を振っているのに、前方の人にばかり意識が行って、後ろの方の観客を無視するのはどうにもまずい。あの女の子は、2回目からは来てくれないかもしれない。観客とベタに接するのは広瀬さんのキャラクターであり、親密さのある空間を急激に作り出すにはよいのだが、他の人にも神経が行き届いた上でそれをやらないと、なれ合いの場になってしまう。声を掛けたり、舞台に上げていたのも、いつも行く雀荘のお姉さんであったり、一緒にゴルフに行くどこかの社長であったり、また、そこの家族ということばかりでは、他の一般客は気分がよくないだろう。
某月某日
現在東京にいる友人の福井哲也氏から、珍しい本が手に入ったというメールが届く。昭和22年に力書房から出版された『定本 奇術全書』(坂本種芳著、定価85円))である。福井さんは力書房から出ている本はすべて持っておられるそうだが、この本に関しては、このようなものが出ていたこともご存じなかったようだ。勿論私も知らなかった。松田道弘さんにおたずねしたところ、さすがに松田さんはお持ちで、さらにこの本に関するちょっとしたオフレコの話もうかがったのだが、それは近々、松田さんがどこかに発表される予定なので、それまでここに書くことは控えておく。日本の奇術史で、よくわからなかったある部分が、わかるかも知れない。
さらに、「この本自体は決して入手しにくいようなものでもなかったのですが、今ではそういう時代になっているのですね」、とおっしゃっていた。「そういう時代」と言われても、昭和22年なんて、だいぶ長く生きている私でも、まだ生まれる前のことなので、何とも返事のしようがなかった。私よりも古い三田さんでも、これはお持ちではなかったので、客観的に見ても今では相当珍しい本であることは間違いない。このようなものを譲っていただいて、福井さんにはお礼の申し上げようもない。
某月某日
本の話題がもうひとつ。筑摩書房から出ている松田さんの「遊びの冒険シリーズ、全5巻」は、ほとんどが出版社にも在庫がない状態になっている。現在、これを5巻全部そろえるのは難しい。「魔法都市日記(34):1999年9月」でも、埼玉の医師Tさん(これは、後で出てくる田代氏)の奮戦記をご紹介したが、つい最近、大阪、高槻市のK.S.さんからも、5巻全部そろえたというメールをいただいた。これも読んでいて、マニア特有の熱意が伝わってくるのでご紹介したい。
9月の「魔法都市日記」で、このシリーズがすでに絶版になったこと、それにもかかわらず、なんとか5冊をそろえた人がいることを読み、「後悔」の2文字が頭をよぎりました。
「ブックテスト」の原理が知りたく、第2巻の『超能力マジックの世界』だけは早々と購入していたのですが、読んでみてマジックの歴史も書いてあり、全体におもしろく、これは全巻読みたいなあと思っていたからです。でも、「ネタ買い」に考えがいってしまい、ついつい後回しになっていました。
とりあえず、第1巻以外は揃うと書いてあったので、近所の本屋に注文したところ、第2巻と第3巻以外は在庫もなしとのことでした。
そこで、インターネットで「ジュンク堂」「紀伊国屋」「三省堂」「宮脇書店」へ在庫確認のメールを出してみましたが、予想通りだめでした。
次に、魔法都市日記の中でJ書店の明石支店に電話して見つかったと書いてあったので、各支店の在庫は、WEB検索で、把握できるのかどうかというメールを上記の書店に送ったところ、「ジュンク堂」からは支店に電話して確認して下さいとのことでした。「紀伊国屋」からは各支店のメールアドレスと電話番号を教えてもらいました。「三省堂」と「宮脇書店」は支店にもないとのことでした。
「紀伊国屋」の各支店にメールを出しましたが、各支店とも3冊とも「在庫なし」の回答。新宿店からは、このアドレスは在庫確認用ではないと苦情までもらってしまいました。
最後の手段は、「ジュンク堂」各支店への電話ですが、魔法都市日記を見て電話した人も多いことを考えると憂鬱でした。
そんなとき、群馬のマジックショップ「福正堂」から12月のカタログが届きました。そこで、10月のカタログに『現代カードマジックのすべて』(東京堂出版)が載っていて、本も扱っていたこと、三輪さんのショップ紹介で、「福正堂には他の店では在庫切れの商品でも、意外なくらい見つかることが多い」と書かれていたことを思い出し、電話で聞いてみました。すると、その本は絶版だが、絶版前に確保していたかもしれないので調べてみるとのことでした。翌日、かかってきた電話に驚喜しました。なんと、第1巻『トランプ・マジック・スペシャル』と第5巻『とっておきクロースアップ・マジック』があると言うのです。すぐに2冊とも注文しました。
第1巻があったというのが驚きで、これに勇気づけられて、第4巻『ミラクル・トランプ・マジック』を見つけるために、最後の手段、「ジュンク堂」の各支店に電話攻撃を掛けました。まずは明石支店でしたがダメでした。近畿各支店もダメでした。やはり遠方かと考え、姫路支店に電話したところ、ここで見つかりました。
こうして、昨日、福正堂からの荷物が届き、全巻揃いました。
それにしても熱意があればなんとかなるものだ。「求めよさらば与えられん」という聖書の一節をまた思い起こしてしまった。(笑)
ちょうど1年前にこのシリーズを紹介したら、たちまち書店から品切れが続出した。筑摩にも問い合わせの電話が相当な数、行ったようである。筑摩のような大手の出版社は、増刷するにしても、五千部単位くらいでないと刷れないようなので、少々の問い合わせくらいでは動かない。しかし今回は想像を超える問い合わせがあり、筑摩も現在増刷を検討しているところまで来ている。欲しい人は、どんどん筑摩に電話することをお薦めする。
なお、福正堂にも現在、在庫はすでにないようだ。福正堂から神奈川のF氏のところへ、在庫があれば譲って欲しいという問い合わせがあったそうだから、まず無理だろう。
某月某日
今年(1999年)の夏ごろ初めてメールをいただき、それから何度かメールの交換をしている埼玉の医師、田代茂氏が大阪奇術愛好会(I.B.M.大阪リング)の例会にお見えになった。これまでにも2回ほど、オフミーティングをする機会はあったのだが、私の都合で今まで実現しなかった。今回、田代氏がI.B.M.大阪リングに入りたいということで、わざわざ埼玉からお越しくださった。
話を伺ってみると、田代氏は1976年に東京の帝国ホテルで開かれた、P.C.A.M.東京大会のとき中学1年生で、コンテストに出場されていたそうだ。小学生の頃からプロマジシャンの村上正洋氏に個人レッスンをうけていたというから半端ではない。私もあのコンベンションには参加していたが、さすがに23年前のことであり、コンテスト出場者までは覚えていなかった。着流し姿で、「日本セイロ」を演じたそうである。その後、十数年のブランクがあり、昨年(1998年)、埼玉県の北本市で内科・整形外科のクリニックを開業されたのを機会に、またマジックを始められたそうである。今回、I.B.M.大阪リングのメンバーに、入会の挨拶をしたいということで、わざわざ大阪までお越しくださった。
I.B.M.の例会では、初めてお見えになった方がいるとき、メンバーも自己紹介をかねて、何かひとつ見せるのが慣例になっている。同様に、来てくださった方にも、何か一つ見せていただくことにしている。これは決して強制ではないが、ひとつでもその方の好きなマジックを見せていただくと、マジックに対する好みや、マジックを見せるときの雰囲気、人柄などがわかり、お互いを知るには手っ取り早い。
田代氏にも事前にお願いしたら、今回は、勘弁して欲しいと固辞されてしまった。一ヶ月ほど前から、昔習っていた村上正洋氏にまた習っているので、一通りの手順が完成するまで、今回は見送って欲しいとのことであった。
愛好会の雰囲気をご存じないため、入会テストを兼ねたマジックのように思われたのかもしれないが、実際にはそのようなものではなく、普段一般の人に、ご自分が好きでよく見せている簡単なマジックをひとつだけやっていただくだけで十分であった。そのこともあわせてご説明すると、「では、本当に簡単なものをひとつだけ」ということで、承諾いただいた。
今回、田代氏お一人だけでお見えになる予定であったが、東京の若手で、大変優秀な方がいるので、その方をお連れしたいという申し出があった。木本秀和さんという、現在まだ学生の方なのだが、ここ2,3年でS.A.M. JAPAN東京大会のクロース・アップ・マジック・コンテストでグランプリ受賞、同時にボブ・リトル賞、マジックランド賞、日本奇術協会賞も受賞され、アメリカのシンシナチで行われたS.A.M.のクロース・アップ・ショーにゲスト出演もされた方である。
実は、木本さんとは、私も3年ほど前に一度会っている。マジックも見せていただいた。そのときの印象は、マジックの技術的なことは言うまでもないのだが、そのようなことより、とにかく感じのよい方というのが強く印象に残っている。マジック自体も「正統」を感じさせるセンスと、何にもまして感じがよいというのが第一印象であった。ここ十数年では、前田知洋氏、ヒロサカイ氏につぐ期待の大型新人だろうと、そのときも感じた。木本さんのような繊細な方は、プロになるよりも、アマチュアとして続けたほうが、彼の繊細さが壊れることなく、大きく花開くと思っている。今回、3年ぶりに見せていただいて、ますますその思いを強くした。
話が前後するが、22日の夕方、大阪駅でお二人と待ち合わせをして、本町にある例会の会場に向かった。本当なら23日が例会の日なのだが、当日は祝日のため変更になっていた。いつもとは例会の日程が違うため、常連のメンバーでは、松田さん、田中さん、六人部君等が来られなかったようだ。FISM国際大会の審査委員でもある瀬島順一郎さんが、大重さんとおっしゃる新人をお連れくださった。大重さんは、現在、医学部の学生さんであり、瀬島さんが関係しているクラブで、数年前からマジックをなさっているそうである。瀬島さんだけは、引田天功が大阪のホテルでイベントをやっており、そこへの顔出しのため、先に帰られたが、偶然にも、新しい方が3名もいっぺんにお見えになることなど、ここ10年くらいはなかったことなので、大変にぎやかな会になった。
例会では露払いを兼ねて、私が最初に何点かお見せした。私がやったものは、いつものディーラーショーで、テンヨーの新製品を3点紹介しただけ(汗)。その後、メンバーも半分くらいの人が何かやってくれた。 せっかくなので、田代さんにもお願いしたら、突然、本格的なステージショーが始まり、驚いた。
さらに、大阪駅で会ったときから、大きなバッグと共に、手に赤い鉄パイプでできた不思議なものを持っていると思ったら、それはマジックの道具を掛けておいたり、取り出したシルクなどを捨てる「捨てかご」にもなる置き台であった。下の写真がそのパイプである。
こんなものを埼玉からずっとかついできたのかと思うと、その根性にメンバー一同、呆気にとられてしまった。飛行機なら絶対、金属探知器に引っかかる。さらに小型のラジカセが鞄から出てきた。音楽に合わせて、村上流のダイナミックな動きで演じるシルクマジックと、直径が40センチくらいある大きなリングを5本使ったリンキングリングを披露してくださった。
大阪奇術愛好会ができて30年以上になるが、例会の会場で、ここまで準備してきてくださった方はいない。 アマチュアとは言え、芸を見せることに多少なりとも本気で取り組むのなら、これくらいのサービス精神がないとダメですよ、と暗に示されたような気分になった。それにしても、とにかく驚いた。
現在、田代さんは伝統ある「日本ドクター・マジシャンズ・クラブ(NDMC)」も、もう一度活性化させようとがんばっておられるようだ。日本だけでなく、世界中のマジシャンとも積極的にコンタクトを取って知己を広めておられるので、数年後にはマジック界のドンとして君臨していることと思う。(笑)世話役というのは面倒なものだから、誰もあまり引き受けたくないのだが、田代さんのような方が引き受けてくださるのならそれは喜ばしいことだと思う。ご縁があれば、応援してあげて欲しい。
この後、木本さんが、カードマジックやコイン、小型のポケットリングを使ったものを見せてくださった。メンバーの大半は、木本さんの演技を見るのは初めてなので、大変喜んでいた。それにしても本当にうまい。特にデパートのマジックコーナーで販売されている小さな4本セットの「リンキング・リング」は、タネを知っていても、同じものを使っているとは思えないほど鮮やかで、不思議に見える。田代さんが見せてくださったのはステージ用の特大のリングであり、あれも迫力があるが、目の前で演じられ、何度も観客に手渡しながら演じられると、あの小さなリングも立派な芸になっている。本木さんはデパートの売り場でバイトもしていたそうなので、こんなものを見せられて買って帰った日には、詐欺にでもあったとしか思えないだろう。箱から出てきたリングで、あのようなことができるなんて、一般の人どころかマニアでも信じられない。木本氏のリングは、噂だけは聞いていたので、ぜひ見せていただきたいと思い、今回、私が事前にリクエストしておいた。
もうおひとりの新メンバー、大重さんもオリジナルのカードマジックを2点見せてくださった。レギュラーデックで演じられる「ブレイン・ウエーブ・デック」と、もう一点、コインを使ったものであった。
この後、梅田方面に帰るメンバーが例会終了後、大阪駅近くの喫茶店に寄った。9名がせまいところに押し込まれ、煙がもうもうと立ちこめる薄暗い喫茶店に田代さんはあきれられたようであった。根っからの関西人にしてみれば、こんなことくらいどうってこともないのだが、大阪以外の人から見ると、このようなことですら、普通ではないのだそうだ。田代さんがタクシーの中でもらした一言、「大阪はアジアだ」に集約されているのだろう。
喫茶店を10時過ぎに出た後、田代さんの宿泊先であるウェスティンホテルに行き、そこでも4人で、夜中の2時半頃まで遊んだ。私はタクシーを利用すれば家まで30分程度なので、そのまま帰るつもりにしていたのだが、わざわざ広い部屋を取ってくださっていた。せっかくなので、恐縮しながら泊まらせていただいた。(こんな部屋でした)
翌日は、午後からマジックショップ「ミスター・マジシャン」のオーナー、根本さんのご自宅へお邪魔することになっていた。その前に、正午から扇町公園近くの「キッズ・プラザ大阪」という、子供を対象とした遊技施設の中で、30分程度のマジックショーがあることを聞いていたので、そこに寄ってから行くことにした。キッズ・プラザは、ホテルからタクシーで10分程度のところにある。
ここは関西テレビが関係しているようだ。予想していた以上に大きな建物で、5階に行ってみるとマジックをやっていそうな部屋があった。中に入り、しばらく待っていると、暗くなり、ステージから大きな音と共に煙が吹き出してきた。レーザー光線も飛び交い、ずいぶん迫力がある。デビッド・カッパーフィールドのオープンニング以上に金が掛かっている。今回出場するのはアマチュアのマジッククラブから、3,4名、アマチュア・マジシャンが出るだけのものなのに、設備の物々しさに驚いた。
予定どおり12時ちょうどに始まったが、最初はスクリーンにイルカが写り、その後しばらくDukeというコンピューターと少女の愛の物語が続く。この映画と、マジックを融合させたマジクックになっているのかと思いながら見ていたが、マジックの前振りにしてはずいぶん長い。途中、デビッド・カッパーフィールドの"Snow"を思わせるような「雪」も降ってきた。そして、15分で映画は終わり、部屋が明るくなった。このとき初めて、私たちは部屋を間違えていたことに気がついた。
あわてて同じフロアーの別の場所に行ってみると、子供が100名くらい行儀よく床に座ってマジックを見ている。30分のショーのうち、前半の15分は見られなかったので、最初に出た二人のマジシャンが何をやったのかはわからない。3番目の人はバルーンの造形をやっていた。最後に出てきた人はひどかった。最初、トッパー・マーチンのパロディかと思った。トッパー・マーチンというのは、失敗することを売り物にしているマジシャンである。体中から、動くたびにネタが落ちる。ビリヤードボールが数十個、、シルク、ステッキ、ロープ、このようなものが、体中から落ちまくり、終わってみると、舞台一面、よくこれだけ体に入っていたと思うほどの量が散乱している。マジックを見せるのでなく、ただひたすら失敗を繰り返す。今回、ここでトリを取った人が落としたのは、「取り出しようのパラソル」と、「アピアリング・ケーン」なのだが、突然、体のどこかから傘が床に落ちて開いたり、ケーンが伸びながら落ちるなどしていた。もっともこれは意識的な演出ではなく、ただの失敗なのだが、ちょっとひどすぎた。
おまけにクライマックスの最後の場面で、突然低い椅子に座り込んでしまった。私は見ていて、本当に疲れたのかと思った。年齢はまだ30代後半か40代前半だと思うのに、ステージの最中に座り込む人など見たこともない。この後、座ったまま両手をこすりあわせていると、手の中から紙吹雪が出てきた。デビッド・カッパーフィールドの"Snow"でもこのような場面があったので、そのつもりなのだろうか。
「スノー・アニメーター」という機械が海外で売り出されている。結構高い値段が付いていたので、自作したのかも知れないが、紙吹雪が出てくる量も少なく、おまけに低い椅子に座っているものだから、疲れ果てた手品師がチョロチョロと紙吹雪を出しているとしか思えず、これもひどかった。カッパーフィールドの演出では、子供のとき初めて見た雪は、小さい少年であったデビッデ少年にとっては魔法であり、その場面を再現するという演出になっていた。「雪」に意味があった。今回のは、何の脈絡もない。
カッパーフィールドのステージでは、小さい子供が現在のデビッド・カッパーフィールドに変わり、手のひらから雪が吹き出してくる。それも半端な量ではなく、大量に雪が吹き出してくる。これだけでも驚くのに、さらに会場全体にも雪が降ってくる。これには観客一同感激した。おそらく、今回の人も、そのようなことをやりたかったのかも知れないが、もう少し金をかけるのならかけないと、何もかもが中途半端になっている。トリを取るくらいだから、クラブでは上のほうの人かも知れないが、それだけに一層悲惨なことになっている。周りに、客観的にアドバイスしてあげる人がいないのだろうか。
私はアマチュア・マジシャンには寛容なのだが、とにかく、これはちょっとひどすぎる。小さい子供の頃、はじめて生で見たマジックは後々まで印象に残るものである。その子にとって、マジックの原点と言ってもよい印象が刷り込まれる。子供が大勢いるところで演じる人は、マニア相手やクラブで演じるときとは違うのだということをもう少し自覚してほしい。自信がないのなら、そのような仕事は引き受けないことだ。小さい子供に見せるマジックを研究したいのであれば、『保育に生かすマジック』( 河合勝著/明治図書出版 1995/08出版 126p \1,709 )をお薦めする。河合さんは幼児教育の研究者であり、ビデオも出しておられる。これを見ると、幼稚園児くらいの子供に見せるとき、どのように構成し、どのような説明の仕方をすればよいのかがよくわかる。
この後、マジックショップ、「ミスター・マジシャン」をやっておられる根本さんのご自宅に、3人で向かう。電車を降りると、最寄り駅まで根本さんが迎えに来てくださっており、前日、愛好会のときに頼んであった宮中君もすでに着いて待っていてくれた。前回、根本さんのご自宅にお邪魔したのは、まだショップを開く前のことであったから、もう20年以上も前になる。
根本さんとは電話では時々話しているが、お会いしてみると、相変わらず好奇心とジョークの固まりの方であった。年に6,7回海外旅行に行くときも、マジックの道具は忘れても、ギャグのネタだけは、数点仕込んで行くのを忘れない。
背広の一部から糸くずが出ていて、それを引っ張ると、ずーと糸が伸びるというギャグがある。糸巻きを背広の内ポケットに入れておく例のものだが、このようなことを毎回旅行のときにセットしていっては、ツアーに同行した人を引っかけては喜んでいるそうだ。カードマジックの技法なども見せていただいたが、もう60歳を越えたと思うのに、とにかくお元気であった。
根本さんのところでは、宮中君がめずらしくカードマジックを2,3やってくれた。最近、彼のマジックを見ることは滅多にできないので、田代氏や木本氏にとっては、これ以上ないプレゼントになったことだろう。本当は六人部君にも来てもらう予定にしていたのだが、年末の忙しい時期と重なり、紹介できなかったのが残念であった。
お休みの日に男4人が押し掛け、5,6時間、楽しい話をうかがっている間、奥様が終始手厚いおもてなしをしてくださり、恐縮するしかなかった。奥様が部屋に顔を出してくださるたびに、「うちの母です」という根本さんの言葉にその都度律儀に反応しておられる姿を見ていると、この奥様だからこそ、根本さんともこれだけ長く続いているのだろうと、納得できた。(汗)長年連れ添った夫婦漫才を見ている思いがした。
田代氏と木本氏には遠方からお越し頂いたが、私自身は何もお持てなしできないどころか、こちらが持てなしていただくという本末転倒なことをやってしまい、恐縮しっぱなしの二日間であった。 あらためてお二人にはお礼申し上げる。
(注:「大阪奇術愛好会」と「I.B.M.大阪リング」の関係については、、私の「プロフィール」の中に書いてあるので、気になる方はご参照いただきたい。)
マジェイア