魔法都市日記(54)
2001年5月頃
1995年の阪神大震災から6年が過ぎた。築90年を越えるボロ家があの大地震で崩壊しなかったのが奇蹟のようなものだが、手を入れておかないとまずい部分が出てきた。普通の雨なら大丈夫でも、台風クラスの大雨が降ると、雨漏りがする。瓦屋がいくら点検しても見つからないくらい小さな穴らしいが、この際、全部取り替えてもらうことにした。昔の瓦は重いので、もし再びあのような大地震があったら、今度こそ屋根が落ちるだろう。瓦も新しい素材の軽いものに換えてもらった。しかし、瓦屋は換えることに反対していた。なんでも、うちの屋根の瓦は金閣寺で使われているものと同じで、この先200年でも持つということであった。と言われても、雨漏りの箇所が発見できないのでは困る。
工事は5月のゴールデンウィーク明けから始まり、6月上旬まで丸一ヶ月かかった。屋根と外壁だけの工事にしては随分長くかかったのは、昔の造りのため、今の若い大工や建築屋では手に負えない部分があるらしい。頼んだ工務店も、年輩の大工さんを連れて来て、その人にまかせて、コツコツと時間をかけてやってくれた。つい数日前に全部終わり、やっとほっとしてコンピューターに向かえる環境に戻った。
某月某日
三ノ宮のジュンク堂書店で、アメリカの古い雑誌や新聞の切り抜き広告が、一部500円で販売されていた。数は何百種類とあったが、私が購入したものはすべて『サタデー・イブニング・ポスト』のものである。日付を見ると1947年となっているものも含まれていたので、50年以上前のものらしい。
食料品や電気製品の広告などは今見ても古さを感じない。むしろ洒落た感じさえしてしまう。レトロブームなのか、近ごろではわざと古めかしいデザインをした電気製品などもよく見かける。今回の広告も、年代を見なければ新製品かと思ってしまうようなものが多い。それにしてもこの頃のアメリカにはバイタリティがあふれかえっていた。まさにアメリカの"the good old days"であった。
販売されていた広告は1枚ずつ透明なビニール袋に入って、段ボール箱に無造作に詰め込まれていた。ひとつずつ繰りながら次々と広告を見ていくと、トランプの広告が見つかった。カードのデザインを見ると、今でも世界中で使われている「バイシクル」である。U.S.プレイング社が50年ほど前に掲載したものらしい。U.S.プレイング社の「バイシクル」ブランドは1885年から製造されている。すでに116年になるので50年以上前の広告に載っていても不思議ではないのだろう。
売り場で私が見つけて購入したのは3種類である。これを買った数日後、群馬のマジックショップ、福正堂から届いたカタログに、めずらしいトランプが何種類かあった。現在製造が中止になっているウインドミルのファンカードや、マリリン・モンローがデビュー前、モデルをやっているときに撮った写真を使ったトランプもあった。ウインドミルの「バッカス」は、ファンカードとしては最もポピュラーなものであったのに、今では製造されていないらしい。ファン(扇形)に広げると、鮮やかに変化してくれる。古くからマジックをやっている人は大抵一度はこれでファンカードを練習したはずである。
懐かしくなって、「バッカス」やモンローのカードを注文したら、U.S.プレイング社の広告が額に入ったものをプレゼントしてくれた。うまい具合に私の買ったものとは重ならなかったので、少なくとも4種類はあることになる。
今となっては「レアもの」の、モンローデビュー前のトランプ。
話は逸れるが、最近日本で「バイシクル」を購入すると、ケースに不思議なシールが貼ってある。
「警告:人や物に向かってカードを投げないで下さい。本来の目的に従い安全にご使用下さい」
このような警告文が付いているからには、トランプを人や物に向かって投げる人がいるのだろう。トランプを投げるということであれば、リッキー・ジェイ(Ricky Jay)が「カード投げ」の本を出していた。"Card as Weapons"(A Darien House Book,1977年)1枚のトランプを135フィート(約40メートル)投げて、ギネスブックにも載っていた。
それにしても、先のような警告文はいつからカードに付けられるようになったのだろう。つい数年前にはなかったので、ここ1、2年のことだと思うが、わざわざこのような警告文を添付しなければならないということは、カードを人に向かって投げて、失明でもさせた人が出たのだろうか。4、5年前にPL法が施行されてから、各製造メーカーは過剰なくらいに警告文を入れている。しかし、もし誰かがトランプを投げて、それで人を怪我させたとしてもメーカーに責任はないだろう。
最近包丁を買ったことがないのでどうなっているのか知らないが、包丁には「これで人を刺したり、人に向かって投げないでください」といった警告文が付いているのだろうか。
トランプを投げて、それでキュウリを切ってみせるという番組がテレビであった。なんでトランプでキュウリを切る必要があるのかわからないが、そのようなことに精魂を傾ける人がいるのだろう。カードを一枚投げて、それで百発百中、キュウリを切り落とせたら芸として見せられるかも知れないが、カードを一組全部投げて、それでやっとキュウリが1本切れるかどうかわからないようなものなど芸とは呼べない。見ている側は退屈で仕方がない。
50年前の広告には、「カードを人に向かって投げるな」といった警告文はどこにも見あたらない。
某月某日
はじめて「回転寿司」の店に入った。回転寿司は大阪が発祥の地で、1958年に東大阪市にオープンした「廻る元禄寿司」が第一号店だそうである。そう言えば1970年の大阪万博のときにも店が出ていた。随分昔からあるが、ここ数年、ブームといってよいくらい、店も増えている。日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでも「スシ」はファストフードのひとつとして、すっかり定着している。
うちの近所だけでも回転寿司の店は数店ある。しかし私はこれまで入ったことは一度もなかった。店の外から、ベルトコンベアーで流れているすしを見ていると、養鶏場で強制的に餌を食べさせられている鶏を思い浮かべてしまい、どうにも入る気にはなれなかったのだ。
一昔前の回転寿司といえば安さだけが売り物であったが、昨今のものはそれだけではないようだ。高級感を出すために、値段も普通のすし屋と変わらない店や、テーブルにあるパネルを押して注文すると、それだけが流れてくるものなど、店によって工夫を凝らしている。
しかし、世界中でスシがこれほど人気があるのは、おいしいからというのが一番の理由だろう。
何かの拍子にすしが無性に食べたくなることはあるが、昔ながらのすし屋で、まったく知らない店に入るのは勇気がいる。おやじとの相性もあるし、まして「時価」などと書いてあるようなすし屋では恐ろしくて頼めない。そのことを思えば、回転寿司はありがたい。一人でもマクドナルドでハンバーガーのセットを頼む感覚で気軽に入れる。
今回、知人がよく行くという回転寿司の店に連れて行ってもらった。ここは本業が魚屋であるので、ネタがよいことでは評判の店らしい。
カウンターに座ってみると、すし屋という名前はついていても、昔からあるすし屋とはまったく別の空間であることがわかる。客層も子供連れであったり、サラリーマン風の人が一人で食べていたり、女性だけのグループも何組か目に付く。いわくありげな男女のカップルは意外なくらい少ない。
昔からのすし屋といえば、場所柄にもよるが夕方の早い時間に入ると、水商売風のきれいなお姉さんが客席にいたものだ。同伴出勤の相手なのか、金を持っていそうなおやじが隣に座り、酒を酌み交わしながらすしを軽くつまんでいる場面がよく見られた。さすがに回転寿司の店には同伴出勤のお姉さんはいないようだ。
今回、私は回転寿司初体験であったため、入るまで要領がわからなかった。流れているものをながめていると、この店はベルトコンベアーが二段になっていた。スシは上の段を、それ以外のお茶やショウガ、小皿などは下の段を常時流れている。
値段は一番安い緑の皿が160円、最高に高いものが金の縁取りがあるもので480円である。そのすぐ下が銀で400円、全部で6段階くらいに分かれている。壁に貼ってあるメニューでは「銀の皿」であるはずのネタを取ると、金色の皿に乗っていた。料金を精算するとき、金色として計算されたら80円損した気分になると思い、係りの人を呼んで確認してもらった。
「これって、銀ですよね?金の皿に乗っていますが……」
「あっ、その皿は銀ですよ。安心して召し上がってください」
「安心」って、私たちはよほど心配そうな顔をしていたのだろうか。80円程度のことだから、「金の皿」であっても、それくらいは払える。それにしても金と銀の区別がつきにくいのはやはり困ったものだ。間違った皿に乗っているのかと思うだけで気分が悪い。二つ並べてみれば確かに違いはわかるが、流れているところを見ていると差がわからない。さっきのおねえさんに、わざと金の皿を避けているように思われるのもシャクなので、大トロやウニなど、金の皿のものばかり2、3頼んだら、いずれも売り切れになっていた。残念なようなホッとしたような気分であった。それでも30分程度の間に、二人で23皿食べて4,000円程度であったのでやはり安い。一皿180円程度か?そんなに安い皿ばかり選んだつもりはないのに、無意識のうちに高そうなものは避けていたのだろうか(汗)。
江戸前のすしは、東京湾で捕れたばかりの魚を使い、屋台で握っていた、まさに日本古来のファストフードである。元来大衆のものであったはずのものなのに、いつの頃からか妙にお高くとまった食べ物になってしまっていた。回転寿司は、それをスシ本来の食べ物に戻したとも言えるのかも知れない。
某月某日
大阪の南港、WTC(ワールド・トレーディング・センター)であったプリンセス天功(二代目引田天功)のマジックショーに行ってきた。WTC開業1周年記念イベントのひとつとして開催された無料のショーであったため、たいして期待もせずに行ったのだが、約45分間の本格的なショーは十分見応えのあるものであった。
2回公演があり、午後1時の開演を見るつもりで早く家を出ると、11時頃には着いてしまった。イベント会場に行ってみると予想外に好評のようで、すでにチケットの配布が始まっていた。
会場は吹き抜けになっているフロアーに300名程度の座席が用意されていた。座席に座らなくても、階段や他のフロアーからもステージを見ることができるからか、警備の人が随分と多い。アメリカの大統領がパレードをするとき、道のあらゆる場所、ビルの屋上まで銃をもった警官やF.B.I.が見張っている。今回もステージの上方、人が絶対上がれないような場所にまで何人もガードマンがいた。ここまで厳重にする必要があるのかと思うほどガードマンや関係者が立っていたが、あれはビデオでの隠し撮りなどをしている人を発見するために見張っているのかも知れない。
1979年に初代の引田天功が亡くなった。まだ45歳と若かったこともあり、突然亡くなったことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは女性、それもこれまでマジックなどほとんどやったことのない若い女の子が二代目を継いだことである。
初代と同じ事務所で、「朝風まり」の芸名で「ザ・マジック」という曲を歌っていたアイドル歌手であった。それほど売れていたわけでもないが、私が知っているくらいだから、時々はテレビで歌っていたのだろう。「ダンシング・ケーン」や簡単な「鳩出し」をやりながら歌っていた。
歌の中で、アクセントとしてちょっとマジックが入っている程度のことであり、マジックと言えるようなレベルものではなかった。それが初代が亡くなった翌年、突然二代目引田天功を継ぐことになった。マジックの世界に詳しくない人から見れば、マジックをほとんどやったことのないアイドル路線の女の子が、ある日からマジシャンとして舞台に立っているのだから、このことのほうがマジック以上に不思議であったはずだ。
しかしイリュージョンの世界はそのようなものである。舞台で大がかりな道具を使って演じるイリュージョンは、マジシャン自身は実際にはほとんど何もやっていない。技術的なことはすべて裏方の助手と、道具自体の仕掛けで現象は作り出せる。あとはステージの上での振る舞いだけである。
デビッド・カッパーフィールドやランス・バートンにしても、ステージで演じているマジックの9割くらいは、マジックなどやったことのない人であっても、ひと月ほど特訓をすれば同じ現象を作り出すことは可能である。しかし即席の代役が立ったとしても観客を満足させることはできない。現象は同じであっても、ステージの上に生じる「空気」が違う。これは一朝一夕に真似することは出来ない。その人の才能やキャラクター、時間を掛けてつちかってきた様々なものが集約されて「空気」となる。観客が感動するのはステージの上の空気である。どのようなマジックを見たのか、観客は現象の細かい部分などは数日後には忘れてしまっている。しかしいつまでも残るものがある。それは「印象」、つまり「空気」である。いかにして魅力的な空気を作り出すのか、それが大成するマジシャンとその他大勢のマジシャンの違いである。
プリンセス天功のステージは、ショーとしてはじつによく研究され、観客を飽きさせない工夫が随所にみられる。これはスタッフの強力なバックアップがあってはじめて実現することではあるが、彼女自身、並はずれた根性があるのだろう。そうでなければ、ここまでショーアップすることはできない。
ダンサーの衣装や音楽も凝っている。観客に集中してもらいたい部分とリラックスできる部分がうまく考えられている。ショー全体のうち、マジックそのものの時間は半分から2/3程度なのだろう。マジック以外の部分も決して手を抜いていないから、全体の質が大変高いものになっている。
女性のイリュージョニストは、昔は松旭斎天勝などがいたが、近ごろはほとんど見かけない。世界的に見ても、これほど大がかりで、ショーとして完成している女性マジシャンは他に見あたらない。
マジックショーとしては「切断もの」が多いのが少々気になったが、それも衣装や演出である程度カバーはできていた。
公演日 5月3日
会場 大阪南港WTC特設ステージ
時間 13:00〜 18:00〜某月某日
もうひとつ無料のイベントがあった。阪神大震災の教訓を生かすため、神戸の東に新しいHAT神戸という一帯が開発されている。大きな災害があったときのために、十分な避難場所や防災施設が整っ建物が建設される。ここには美術館も移ってきて、文化面でも充実した場所になるようだ。海岸のすぐそばでもあり、ゆったりしたスペースの中でそのような施設ができるのは喜ばしい。
今年一年、神戸市が復興記念事業として約60億円かけ、さまざまなイベントをおこなっている。今回の江戸太神楽(えどだいかぐら)もそのひとつとして、東京から招かれたものである。
江戸時代から伝わる日本の古典的な曲芸であるが、単なる大道芸というより、神社などに奉納する芸としても伝わってきたのだろう。現在では結婚式の披露宴や様々なイベントでおめでたい芸として、あちこちからお呼びがかかっているようだ。曲芸だけでなく、獅子舞や和太鼓なども一緒に演じられているので、大変華やかな芸になる。
江戸太神楽は現在十三代家元の鏡味小仙さんを筆頭に、若いお弟子さんも随分大勢おられるようだ。テレビで、海老一染之助・染太郎のお二人がよくやっている傘の上でボールや枡を回す芸が一番馴染みがあるかもしれない。実際にはそれ以外にも羽子板を使ったものや湯飲み茶碗など、数多くの演目がある。
今回、イベントが開催されたのは海岸に特設された野外の会場であった。この日は風が強く、曲芸には大変つらい状況のようであった。江戸太神楽を中心としたイベントは夕方、日が落ちた頃から、花火と一緒に始まった。花火と一緒と言ったが、本当に花火と、ステージの芸が同時に始まったものだから、視線を上下させなければならず、これは大変見にくかった。ひと月ほど前にも、海岸で別のイベントがあったときも、花火とステージを同時にやっていたから、これは演出上、このようにしているらしいが、あまりにひどすぎる。前回のときは、このようなことをするのはこのときだけだろうと思い、主催者に何も連絡をしなかったが、毎回、花火とステージを同時進行などさせるのなら、言っておくべきだったと後悔した。今からでも神戸市に改善してもらうよう、一言苦言を呈しておこうと思っている。
舞台は和太鼓の演奏から始まり、その後、様々な曲芸や獅子舞などが披露された。家元の小仙さんがホームページに書いておられるのを読ませていただくと、子供の頃、朝は学校に行く前に稽古、帰ってきてからも稽古と、起きている間はほとんどが稽古の毎日であった。おまけに夏でも冬でも外で、ハダシに短パンという格好での稽古であったそうだ。冬は雪や霜柱が立っている地面の上にハダシで立つだけでも無茶なことだと思うのに、扱っている玉などを落とせば、すぐに親方やおかみさんから棒でピシャリとやられたそうである。
子供の頃から何年もこのような修行を積んでいるから、今の若い人とは芸の安定性がまったく違う。この種の芸は、しゃべりも重要な要素になるので、芸で観客を楽しませるには、技術的な面と同時に、話の巧みさも不可欠である。どのような芸にでも言えることではあるが、とくに江戸太神楽のような芸は絶妙な「間」で言葉をはさむことで、客が盛り上がる。これは年期がいる。
小仙さんは、前半ずっとお弟子さんの芸に喋りを入れる役を演じておられたが、最後に「花籠鞠の曲」(はなかごまりのきょく)を見せてくださった。棒の先にかごのついたものと、鞠を使った華やかで楽しい芸である。強風が吹いた中でも、鞠を一度も落とすことなく演じておられたのは、さすがに子供時代からの修業のたまものなのだろう。これは観客にも大変うけていた。
マジック(和妻)もひとつあった。和田奈月さんが「蒸籠(せいろ)」を使ったマジックなどを演じておられた。奈月さんは「藤山新太郎&東京イリュージョン」に所属しておられて、藤山さんのお弟子さんをやっておられた。日本舞踊などもされているので、着物姿での所作が美しい。マジックの世界でも、ステージに立つ人は日本舞踊やダンス、パントマイムなどを基礎訓練としてやっている人が増えてきた。
奈月さんのレパートリーとして、「蒸籠」以外にどのようなものがあるのか知らないが、和妻を中心になさっていくおつもりなのだろうか。大変美しく、ステージが栄える方なので、これからが楽しみである。
江戸太神楽 鏡味小仙さんのホームページ にジャンプできます。
■HATフェスティバル2001 (花火1500発!と、江戸太神楽)
場所:JR灘駅から南へ徒歩10分。
日時:5月20日(日)19:00〜某月某日
大阪の某ホテルでNさんにマジックをご覧に入れる。私のマジックを見るために、わざわざこのような席を設けてくださったのはありがたいことだ。道楽でマジックをやっているのだから、本来ならこちらが一席設けて、ご招待してしかるべきだと思っているのに、本当にうれしいことである。
食事も終わったころ、黒い服を着た人が二人近づいてきた。さきほどから料理長、マネージャーと、次々にご挨拶に来てくださるものだから、恐縮してしまう。今度はホテルの総支配人でも来たのかと思ったらそうではなかった。黒服を着たレストランの従業員が二人、そのうちの一人は手に黒い機械を持ち、もう一人はキャンドルの灯った丸いケーキを持っている。おまけに生演奏のピアノが、突然"Happy Birthday"の曲に変わった……。
「お誕生日おめでとうございます」
うん?誕生日って誰の? Nさんは1月だよ。まさか私の?!
確かに1週間ほど前、私の誕生日ではあったが、この歳になるともう誕生日と言われてもピンと来ない。しかしなんでこの人たちは私の誕生日を知っているんだ?
どうやらNさんが前もって、レストランに知らせてくださっていたようだ……。
もしかして、あの黒い機械はラジカセかCD? あれでハッピーバースデイの曲をかけながら、この人達が合唱するのか?この前、東京の某ホテルのレストランでも、ガラスで囲まれた中央の席で同じようなことをやっていたが、あんなことをこの場でやるつもりなのか?
想像しただけで、恥ずかしくなり、体がだんだんとテーブルの下に沈んで行った。もし音楽がかかったら、その瞬間、テーブルの下に潜り込むか、はっきりと、歌はやめてもらいたいと言うことに決めた。
このレストランは関西でも屈指のフランス料理の店である。他の客もみんな静かで、各テーブルの間も数メートルは離れている。隣のテーブルの話し声さえ、ほとんど聞こえてこないくらい静かである。そのような場で、「ハーピーバースデートゥーユー」はないだろう。
幸いにも、手に持っていた黒い機械はラジカセやCDではなく、インスタントカメラであった。やや旧式の大きいものであったので、CDの機械のように見えたがとりあえずホッとした。記念写真も恥ずかしいが、歌われることを思えばずっとよい。
このあとプレゼントとして、バースデイケーキをいただいた。イチゴがたっぷり入ったものである。このケーキをショートケーキとして切り分けたものは以前食べたことがある。見た目は白いクリームに包まれたシンプルなケーキなのだが、私が今までに食べた数あるケーキの中でも、ピエール・エルメのケーキと甲乙付けがたいくらいおいしい。というより、タイプがまったく違うため、どちらがおいしいとは言えない。デザインには何も凝っていなくても、素材のよさと技術の絶妙なバランスであのような味になるのだろうが、とにかくおいしい。これはショートケーキとしても販売されているので、試してみたい人はホテルの中にある喫茶店で、お茶と一緒に食べることができる。
大阪:リーガロイヤルホテルの中にあるレストラン「ガーデン」
某月某日
大阪駅のすぐそばにあるHEP FIVEで、フランスから来た二人組のコメディグループ、BP ZOOM(ビー・ピー・ズーム)の公演があった。
背の高いMr.Pと、背が低くて小太りのMr.Bのコンビである。二人ともサーカスでのクラウン(道化)や役者としての経験も豊富である。1992年に二人が知り合い、1993年からBP ZOOMとして公演活動を開始している。コメディといっても言葉はほとんど使わない。肉体言語(パントマイム)と様々なサウンドやビジュアルな小道具を使い、言葉を越えた笑いを作り出してくれる。
以前から感じていたことであるが、コメディはマジックと重なる部分が数多くある。今回の公演を見ていても、客席から大きな笑いが起きるのは意外な出来事が起きたときである。人は自分の常識を覆されるようなことや、予想外のことが起きると、自ずと笑い出してしまうものらしい。
えらそうにふんぞり返って歩いている人がバナナの皮を踏んで、全身が宙に舞うようにひっくり返ったら、これは理屈抜きで笑ってしまう。どれほどエライ人であっても、空中で手足をばたつかせている瞬間、すべての権威や威厳がはがれてしまう。王様だろうが、大臣だろうが、大僧正であろうが、仮面がはがれた生身の人間が現れる。
多くの人が普段何気なくしていることのなかには、随分おかしな振る舞いがある。当人は勿論、同じ環境で暮らしている人であっても、そのなかに一緒にいると、おかしいことに気がつかない。誰かにその部分を切り取り、抜き出されてはじめて、自分自身のやっていることのおかしさに気がつくことが少なくない。自分自身の愚かさに気がつき、笑えるのは健全なメンタリティなのだろう。コメディにはカタルシス、つまり精神の浄化作用がある。そのため、人はわざわざお金を出してでもコメディを見に行くのだろう。笑わせてもらえることは、お金を出すだけの価値があることなのだ。
BP ZOOMのおかしさの秘密は、古典的な笑いの手法をきっちり押さえた上で、独自のアイデアが豊富に盛り込まれているからである。
この種の笑いは、吉本新喜劇を見慣れている関西人には特に受けるのかも知れない。BP ZOOMの場合は、ナンセンスなビジュアルギャグだけでなく、サウンドギャグといったものもあった。単調な音でさえ、繰り返し聞かされると意味もなくおかしくなってくる。また、状況が違えば、日常的な音であってもおかしくなる。ビジュアルなギャグの手法としては、よく知られているものとして、物体が予想外の動きをしたり、予想外の場所に存在したり、予想外の大きさであったりするものがある。このようなとき人は驚くと同時に笑い出す。
マジックでも、クライマックスに大きなものを出現させることが少なくない。コインマジックの最後に巨大なコインが出現したり、カップ・アンド・ボールの最後にレモンやジャガイモが出現したとき観客から驚きと同時に笑い声が起きるのも上の条件に当てはまるからだろう。
BP ZOOMは日本でコメディのワークショップも開いているくらいだから、このあたりの理屈も十分わかっている。どうすれば観客を笑わせることができるのか、笑いを作り出すための方法論がしっかりしている。
コメディにおいて、最大の武器は何と言ってもその人のキャラクターである。これにまさるものはない。しかしBP ZOOMの二人は、それに加えて笑いを作り出すための手段を豊富に持っている。どうすれば観客を笑わせることができるのか、笑いを作り出すための方法論がしっかりしている。古典的な手法をよく理解した上で、独自のアイディアをうまく織り交ぜている。具体的な例をあげると、まだ見ていない人の興味をそぐことになるので、それには触れないでおく。
このBP ZOOMの公演は友人の紹介で、担当のO氏からチケットをいただいた。公演が終わってからも、食事をしながらO氏からいろいろとお話をうかがうことができた。
今回、大阪での公演では前売り券があまり売れず、入りが心配であったそうだ。しかし朝日新聞で紹介されたり、当日の昼間、HEP FIVEのなかでパフォーマンスをおこなった甲斐があり、当日券がかなり売れたそうだ。私は見ていないので詳しくは知らないが、ビルの中を歩いたり、テナントの店に入って、マネキンの真似をしたりしていたらしい。このようなことをはじめると、たちまち人が集まってきて、ぞろぞろと後を付いてきたそうだ。この人達のかなりの人が当日券を買ったそうである。このような努力が実を結んだのか、初日は補助席が出るほどの入りになったそうである。私が行ったのは二日目であったが、この日もちょうど客席が一杯になる程度に埋まっていた。大阪ではこれまで知名度はゼロであったのだから、大成功と言ってよいだろう。
余談になるが、このBP ZOOMを呼んだ会社はおもにサーカスなどを招へいしている。その会社に、あの悪名高いマスクト・マジシャン(Masked Magician)ことヴァレンチノから、日本に呼んで欲しいというオファーがあったそうだ。サーカースは扱うが、マジック、しかも魔術団ではなく一人のマジシャンを呼ぶことなどほとんどないのに、なんでそのような依頼があったのかわからなかったそうだ。
実は、今回のマスクト・マジシャンの来日は、日本のテレビ番組に出演することが目的であったようだ。それが今日(6月16日)の夜、日本テレビで放送される。
今回、私がO氏とお目にかかったのは、マスクト・マジシャンの件はまったく関係なかった。友人が以前からO氏と知り合いで、そのつてで、今回のBP ZOOMのチケットをいただいた。公演が終わってから、食事をしているときに、私がマジックをやっていることをはじめて申し上げたような次第である。O氏ご自身も、O氏の所属しておられる会社も、マジックの世界に関しては、ほとんどご存じなかった。そのため、今回のマスクト・マジシャンの件も、当初、いぶかしく思われたそうだが、引き受けたそうである。
マスクト・マジシャンがブラジル公演では裁判に負けて国外追放になり、その他、アメリカに本部がある世界的なマジックの組織、I.B.M.やS.A.M、その他、いくつかの団体もマスクト・マジシャンの行為を糾弾している事実などがあることもご存じなかった。勿論、マスクト・マジシャンが、自分からそのようなことをO氏に言うはずもないだろう。
今晩放送される番組は日本で収録したものである。これがどのような内容になっているのか見てみないことにはわからないが、おそらくひどいものだろう。
他のマジシャンが考案したネタを暴露することで、自分の金儲けに利用しているのだから、これは泥棒以外の何ものでもない。これまでこのような悪行が見過ごされてきたことにも問題があるのだが、ここに来て、インターネットのおかげで大きな動きが出てきた。
「ラウンド・テーブル」にも書いたが、NHKで「サムタイ」の種明かしをやったのは日本の某団体に所属するマジシャンである。この「サムタイ」の問題にもかつてないほどの動きが出てきた。
マスクト・マジシャンや、その他の悪名高い団体がこれまで生き残ってこれたのは、日本のプロマジシャンの団体があまりにも根性がないこと、マジック界の内情を日本のマスコミがまったく知らないことが原因であった。プロマジシャンの団体である社団法人日本奇術協会も緊急会議を開き、先の「サムタイ」や今回のマスクト・マジシャンの問題に関して、協議するようだ。協会に所属のプロマジシャンからも、協会が何もしないことに業を煮やし、怒りをあらわにする人が出てきた。
聞いた話では、現在マスクト・マジシャンことヴァレンチノはラスベガスに住んでいるらしい。詳しい居場所はトップシークレットになっているそうだ。知人がラスベガスに行ったとき、ランス・バートンにヴァレンチノはどこに住んでいるのか訊ねたら、「砂漠の下で眠っている」という返事がランスから返ってきたそうだ。勿論これは冗談だが、いつ殺されてもおかしくないほど、多くのマジシャンから憎まれているらしい。そりゃそうだろう。
ヴァレンチノがどれほど種明かしを正当化しようが、顔を隠さないと人前に出られないのは、自分にやましいところがあるからだろう。銀行強盗にしても、オートバイに乗ったひったくりも、みんなマスクで顔を隠している。
BP ZOOMの話から突然マスクト・マジシャンの話になってしまったが、私自身、BP ZOOMのチケットを手配してくださったO氏がマスクト・マジシャンとつながりがあるなんて、まったく知らなかった。誤解のないように一言付け加えておくと、O氏ならびに、O氏が所属しているA社はマスクト・マジシャンがブラジルで国外追放になっていることや、その他、マジシャンの間での評判をまったくといってよいほどご存じなかった。
O氏はサーカス関係では本も書いておられ、某大学でも教えておられる学究肌の方である。ご一緒していても大変魅力的な方で、私がマジックをしていることも最初はまったくご存じなかった。
私も今日の番組を見て、また感想を書くかも知れない。