魔法都市日記(55

2001年6月頃



上高地帝国ホテル

4月、5月は仕事の量が倍に増えたのと、家の改築が重なり、くたくたになっていた。それもやっと一段落したので、今月は息抜きのつもりで、ゆっくりしていた。小旅行には行ったが、それ以外はほとんど外出していない。

来月からまた忙しくなるため、6月は休暇モードに徹していた。


某月某日

大阪の難波にあるKPOキリンプラザで「オプ・トランス!」展を見る。

「眼球をグルーヴさせよ!」とパンフレットにあった。「グルーヴ」というのは、20年くらい前、"Earth, Wind & Fire"が "Let's groove tonight"と歌っていたあの"groove"のことなのだろう。目玉が飛び跳ねるくらい刺激のある芸術なのだろうか。おもしろいのかおもしろくないのかもよくわからないまま、とにかく展示室に行ってみることにした。

「オプ・トランス!」展の感想は、「煩悩即涅槃」に書いておいたので、興味のある方はお読みいただきたい。

オプ・アート
オプ・トランス展で購入した扇子

 

難波まで足を伸ばすことはめったにないので、美術展のあと、近辺を少しぶらついてみた。

一番驚いたのは、ラーメン専門店、「金龍」の数の多さである。雑誌などで名前だけはよく目にするが、これほど多くの支店を出しているとは思ってもいなかった。5、6分歩いただけでも、4、5軒あった。

これまで一度も食べたことがないので、この機会に食べてみようと思ったのだが、店の造りがどうにも私の好みではない。支店の一軒は建物の角にあり、ドアがなく、壁ものれんもない。駅のホームにある、立ち食いのうどん屋と同じような構造だが、のれんもないため、道路と店の境目もはっきりしない。

この日はまだ6月だというのに大変暑く、35度近くあった。こんな日に、空調もない店で熱いラーメンを食べたら汗だくになりそうで、それを想像しただけで食べる気は失せてしまった。

他の支店も似たような構造になっている。店によっては、畳一枚分くらいの台、昔夕涼みのときに使った縁台のようなものが外に置いてあり、座れるようになっている。この台の中央には小さなテーブルがあり、靴を脱いで上がりこむか、台に腰掛けて食べることになる。これだと体をヘンにねじって食べなければならないので、それもまたイヤであった。

食い道楽で知られている大阪の中でも、「南」のこの一帯は飲食店が密集している。そのような場所で何軒も支店を出しているのだから、それなりにうまいのかも知れないが、飲食店は安くて味さえよければよいというものでもない。店の雰囲気や店員の態度なども、味に直に反映する。「金龍」の「造り」や「サービス」は、客の回転率を考えれば効率的なのかもしれないが、私の好みではないことは確かである。腹も空いていたのでうしろ髪を引かれる思いはあったが、今回は見送ることにした。

商店街から一筋入った細い路地を進んで行くと、飲み屋や小料理屋の密集している狭い場所に、水掛不動(法善寺)が唐突に現れた。

水掛不動(法善寺)昭和32年、藤島桓夫が歌って大ヒットした曲、「月の法善寺横町」で全国的に知られるようになったあの水掛不動さんである。私もカラオケでたまに歌うので(汗)、名前だけはよく知っているのだが、このような場所にあるとは意外であった。実際に来てみると、あの歌詞の状況がよくわかる。商売繁盛や恋愛成就に御利益があるそうで、今でも一日中線香の煙が絶えることがない。

以前、高校生の生徒から、この歌についてたずねられた。「包丁一本、さらしに巻いて〜」 のあたりまでは知っていても、そのあとを知らないため、これが何の歌なのか、常々疑問に思っていたそうである。クラスの誰に訊いても、知っているのはこのあたりまでで、そのあとはだれも知らないのだそうだ。そのため、クラスの大半の子はこの歌はやくざが殴り込みに行く歌だと思っていると言っていた。

この歌が流行ったのは40年以上も前なので、高校生が知らないのも無理はないが、冒頭の歌詞だけは今でも耳にする機会があるのだろうか。歌詞はこの後、「旅に出るのも、板場の修行〜」と続くのだから、決して物騒な歌ではない。

しかし、板場さんの話によると、料理人が包丁を1本だけ持って、どこかの店に修業に行くことなどありえないと言っていた。少なくとも5、6本、使い込んだ包丁を持っていかないと仕事にならないそうだ。

難波ではうろうろしただけで、結局何も食べずに梅田まで戻ってきた。

某月某日

友人から、『闇の手品』が上映されるというメールをもらった。

新作の映画かと思ったら、1927年(昭和2年)の製作となっている。私に限らず、マジックをやっている人間は「手品」や「奇術」「マジック」といった言葉を見ると、条件反射のように敏感に反応する。これだけ古い映画なのだから、タイトルだけでも知っていてもよさそうなものなのに、まったく記憶にない。

メールに添付されていた資料によると、今から70年以上前に神戸の本庄映画研究所で製作されたものらしい。無声映画ということはわかったが、内容についてはよくわからなかった。メールをくれた友人も、この映画に関しては何も知らなかった。

上映日時を確認すると、6月23日(土)、24日(日)の二日間だけであり、この映画自体は約35分となっている。これとセットで上映されるのは『アンダルシアの犬』で、これはわずか17分である。『闇の手品』のほうが長いにもかかわらず、「アンダルシア」がメインで、「闇」は”おまけ”扱いになっている。『アンダルシアの犬』は1928年、フランスで作られ、ルイス・ブニュエル監督が画家のサルバトール・ダリと共同で脚本を書き、ダリ自身は神父の姿で、死体役として出演している。音楽付きのヴァージョンもあるらしいが、今回はサイレントであった。

これが上映される会場は座席数が30しかないことからも、普通の映画館ではないのだろうと想像できる。映画館というより、映画マニアの人がやっている特殊な場所なのだろうか。この日はこれ以外に三本の映画が予定されていた。

『サタンの書の数頁』1919-21/デンマーク/120min:監督カール・テホ・ドライヤー
『魔女』 1918-22/スウェーデン/120min:監督ベンヤミン・クリステンセン
『曲馬団ヴァリアテ』1925/ドイツ/70min:監督E・A・デュポン

『ヴァリアテ』はサーカスの世界では貴重な映像として有名なので、ぜひ見たかったのだが、私が行った日曜は、どういうわけか急にドライヤーの『吸血鬼』に差し替えになっていた。

料金は各映画ごとに払うシステムになっている。複数本同時に見ると割引がある。『闇の手品』と『アンダルシアの犬』は2本で1本分の料金、1,000円を支払えばよいらしい。

会員1本:¥800 2本:¥1500 全4本:¥2500
一般1本:¥1000 2本:¥1800

会場の住所から、場所は大阪駅から歩いて10分程度のところだとわかったが、普段私が行くことのない場所のため土地勘がない。インターネットで地名から割り出した地図をプリントアウトし、おおよその方向に行ってみた。

商店街があり、その途中、脇道に入るらしい。この商店街はヘップナビオ(旧ナビオ阪急)やヘップファイブなど、梅田の賑やかな場所から歩いて5分程度しか離れていない。日曜の正午過ぎなのに、商店街全体が薄暗く、まだ眠っているような雰囲気であった。飛び飛びに開いている店は風俗店やあやしいビデオショップなどが多い。夜には飲食店も開き、毒々しいネオンが光り、風俗店のお姉さんが店頭に立って客引きをやっていたりするのだろうか。

勘を頼りに会場を探してみたが、気がつくと見覚えのある場所に出てしまった。どうやら行き過ぎてしまったらしい。もう一度地図を確認すると、会場のすぐそばにはタクシー会社がある。それを目標に戻ってみる。

途中、向こうから手に桶のようなものを持った下駄履き姿の女性と、ネクタイにスーツ姿の初老のおじさんがやってきた。何となく妙なカップルだと思ったが、この近所の人らしい。この人達にたずねてみることにした。数メートルの距離に近づくと、突然このカップルは右に曲がり、のれんをくぐってどこかの店の中に入って行った。女性が手に桶のようなものを持ち、かったるそうに歩く姿から、夫婦で風呂屋にでも入ったのかと思ったら、そこはラブホテルの入り口であった。この種のホテルにしては、随分地味で、知らないと通り過ぎてしまうような造りである。

電柱に貼ってある住所を確認すると、目的地のすぐそばまで来ていることは間違いないようだ。ほどなくタクシー会社が見つかり、目的のビルもやっと発見できた。しかしどうみても普通の集合住宅であり、通りすがりの人がここで映画をやっていると気づくことはないだろう。マジックショップと同じで、一般の人に知られる必要はなく、マニアだけに知られていたらよいのだろう。

入り口

地下へ降り、通路を進んで行くと突き当たりの一番奥に、"PLANET studyo +1"と書いた看板が出ていた。 どうやらここのようだ。

私が見る映画は、この日の二本目である。会場に着いたのは、上映10分くらい前であった。ちょうど一本目が終わったところで客が出てきたが、たった一人だけであった。入れ替わりに私が入ると、上映室は折り畳みの椅子が30ほど無造作に置いてあるだけの狭い部屋で、他には誰もいなかった。スクリーンは横が1.5メートル、縦が1.2メートル程度の小さいものである。幼稚園の頃、母に幻灯の機械を買ってもらい、近所の子供を集め、家で幻灯会を開いたのを思い出してしまった。

今回も客は私だけかと思っていたら、パラパラと5、6名入ってきた。いずれも若い人で、映画マニアか、映画製作を勉強している人たちのようであった。ここはそのような人が集まる場所なのかも知れない。

定刻になると部屋の照明が消え、頭の後ろでカラカラというリールの廻る音がしたかと思うと、『アンダルシアの犬』が始まった。サイレントのため、効果音も何もない。

私は全然知らなかったのだが、この映画は映画マニアや美術関係者の間ではよく知られているものらしい。

始まるとすぐに、椅子に座っている女性の顔がアップになった。誰かの指で、目が上下に大きく開かれている。その眼球に、ひげ剃り用のカミソリが当てられ、横に引かれた。ゲーッ!目を切る場面が大映しになっている。

目の玉は切っても出血しないのか、ゼリー状のものが出てきた。後から知ったことだが、このような場面があるのを知らないで見に来ていた女性の中には卒倒するか、悲鳴を上げる人が少なくないそうだ。私は入り口でもらったパンフレットにこの場面の写真があったので、ある程度心の準備はできていたが、それでも直視はできなかった。

病院で行う正規のものでも、目の手術は状況が見えているだけに恐ろしいという話をよく聞く。最近はレーザーメスなどを使い、進歩しているのだろうが、このような場面を見てしまうと目の手術などできない。

この映画は当時ヨーロッパにシュールレアリスムが興(おこ)り、それが映画にも影響をおよぼした時代背景の下に作られたのだそうだ。わずか15分程度の映画は、内容に脈絡はなく、奇妙な場面が次々と現れるだけである。夢の中で見た場面が再現されているのか、ダリの絵のように、現実にはあり得ないような場面が映像として現れてくる。あっという間に15分が過ぎた。感想もなにもなく、私の頭の中にはクエスチョンマークが飛び交っていた。

これが終わると、引き続いて『闇の手品』が始まった。

70年以上前のフィルムなので、画面にも傷が目立つ。タイトルが映った後、

「闇は手品をおこなひます......」

という字幕が現れ、映画は始まった。

暗闇でのマジックと言えば、どくろが飛び跳ねたり、踊ったりする「ブラックアート」の原理を使ったものがあるが、そのようなことでもやるのか?

しかし実際には、この映画は手品とは何の関係もなかった(汗)。

主人公は中学生くらいの男の子で、両親と三人家族である。父親は病気で家は貧しく、借金がある。そこに鬼のような高利貸しがやってきて、家の中を探しまくり、書類や布団までもはぎ取って持って帰ろうとする……。

昔、クレージーキャッツやザ・ピーナッツが出ていたテレビ番組「シャボン玉ホリデー」でお決まりのコントがあった。

娘(ザ・ピーナッツ):「おとっつぁん、おかゆができたわよ」
寝たきりの父(ハナ肇):「いつもすまないね〜、(ゴホッ、ゴホッ)」
娘(ザ・ピーナッツ):「おとっつぁん、それは言わない約束でしょう……」

このコントの原型かと思うような映画であった。

詳しいストーリーは書かないでおこう。この映画で主張したかったことは、人の心は悪魔にも神にもなるが、闇はそれを増幅する不思議な力がある。そのことを言いたかったのかも知れないが、映画の中で、「正直の頭(こうべ)に神宿る」という標語が貼ってある電柱が何度もアップになっていた。これからわかるように、ある種の倫理観を啓蒙する目的で作られた映画なのかもしれない。

『闇の手品』
35分/1927(昭和2)年/本庄映画研究所
主演:三田村次郎 原作:八木祐鳳
脚色・監督:鈴木重吉 

会場:PLANET studyo plus one
大阪市北区堂山町15-2関西中央ビル別館B1
Tel (06)6312-8231

プラネット映画資料図書館
大阪市北区堂山町15-2関西中央ビル別館2F
Tel (06)6364-2165  Fax (06)6312-8232

某月某日

夜、部屋で本を読んでいると、FAXがカタカタと音を立て始めた。送信されてきたのは週刊誌の1ページ分だけである。普段私は週刊誌をまったく読まないため、それを知っている岩手の友人がわざわざ送ってきてくれたようだ。

目を通してみると、『週刊文春』(2001年6月28日号)に連載されているコラム「テレビ消灯時間」で、そこではマジックの番組が取りあげられていた。マスクトマジシャンことヴァレンチノが、日本テレビ(NTV)系列で放送された悪名高い番組、「スーパースペシャル'01」についてのものである。

このコラムはナンシー関さんが書いている。マジック関係者ではない方の感想を目にする機会はほとんどないので、興味深く読ませてもらった。

マスクトマジシャンが暴露したマジックについてはほとんど言及されていなかったが、番組の冒頭にあった紹介、国籍や一切の素性が不明という部分について、「時代が昭和に戻ったかのようであった」とナンシーさんはツッコんでいた。

力道山が活躍していた頃の覆面レスラーの中には、国籍や正体不明という触れ込みのレスラーがよくいた。当時小学生であった私でも、国籍不明でどうやって税関をくぐり抜けたのか、税関は覆面をしたままでも通してもらえるのか、疑問に感じていた。

プロレスの場合、覆面レスラーがたまにマスクをはがされることがある。人気が落ちてきた頃、話題作りと、盛り上げるための演出としてやっているのだろうが、マスクをはがされたレスラーは、たいてい髪の毛が薄くハゲていた。何度かそのようなことがあると、覆面をかぶっているレスラーはみんなハゲているのかと思うようになってしまった。

ヴァレンチノのマスクを取った素顔が、スティングさんのサイトで「マスクマジシャンの正体!」として公開されている。これを見ると髪の毛はふさふさとしている。この男の場合、ハゲ隠しのためというより、コンビニ強盗などがフルフェイスのマスクをしているのと同じなのだろう。素顔の写真は、警察で撮られたものではないはずなのに、犯罪者が留置所で撮られたような表情のない顔に写っている。どれだけ大義名分をならべて正当化しようとしても、自分の心はだませないものだ。

ナンシーさんは、イリュージョン全般に関しても、おもしろいことを言っていた。

デビッド・カッパーフィールドでもテンコーでもいいが、「イエス!」とか「ファイヤーッ!」とか叫んでキメられても、どうにもこれは我々の文化ではないと思ってしまうのである。

確かにそうである。プリンセス・テンコーの場合、決めぜりふの「スターファイアー!」の前に、マントラか呪文のようなことを早口の英語で言っている。これを聞くたびに、お尻のあたりがむずがゆくなる。

プリンセス・テンコーに限らず、イリュージョンは年々大がかりになっている。1960年代後半、「大きいことはいいことだ」というテレビコマーシャルがあったが、それと同調するかのように、マジックの世界も大がかりなものが主流になり始めた。フレッド・カップスやチャニング・ポロックが活躍していた時代、それはナイトクラブが全盛で、ボードビルが華やかな時代でもあったのだが、この当時演じられていたマジックが懐かしい。指先の技術や人柄が客席にも伝わる位の距離で見てこそ、マジック本来の妙味は味わえる。

ブラウン管の中でジェット機やテレビ局の建物が消えるよりも、自分の目の前でコインが忽然と消えるほうが観客は驚く。目の前で飛行機や島が消えたら、それは驚くだろうが、モニターを通してしまうと、何が起きても不思議さは大幅に割り引かれてしまう。

さらに、ナンシーさんが書いていたことだが、「笑点」に出演するマジシャンは、燕尾服姿であっても靴を脱いで、靴下姿でやっていることを指摘していた。私もこれは大変恥ずかしい。落語中心の高座なので、靴をはけないのはわかるが、もしどうしても靴を脱がなければならないのなら、そのような場に合った衣装を考えてもらいたい。チャニング・ポロックが、靴下姿で「鳩出し」をやっている場面など想像もできないはずである。昔、「笑点」には、マジシャン本人は燕尾服姿であるのに、後見役の助手にはアロハシャツを着せているのもあった。ポロックの「鳩出し」の場合、後見の女性も大変美しく、それも加味されて全体の雰囲気ができあがっている。マジシャンだけが燕尾服姿で、助手にアロハシャツを着せているのは、貧乏くさくて見るに堪えない。

ヴァレンチノの番組の少し前に、NHKで「サムタイ」のネタバラシが日本人のマジシャンによっておこなわれた。これも大きな問題になり、日本奇術協会もアマチュアマジシャンの声に押される形で、ようやく重い腰を上げ始めた。マジックの世界における「サムタイ」の位置づけなどを説明したことで、NHKもわかってくれたようだ。例の番組は再放送でもよく流れているが、この種明かしがあった分に関しては、再放送はしないという確約を取ったそうである。これは些細なことのように思うかも知れないが、大きな一歩であると私は思っている。

現在、ヴァレンチノはヨーロッパやアメリカのショービジネスの世界では、最低、最悪の人物として排除されている。欧米で食えなくなり、ブラジルで一儲けしようとしたが、ここでも国外追放になっている。タネを勝手に暴露することは、ただ行儀の悪い行為と言うよりも、泥棒と同じであり、犯罪であることをテレビ局もわかって欲しいものだ。

これだけ世界中で顰蹙(ひんしゅく)を買っているのに、日本テレビ(NTV)は秋にもまたヴァレンチノを呼ぶかも知れないという噂が出ている。しかし、今回ヴァレンチノの面倒をみた日本のイベント会社は、次は頼まれても断ると言っているので、少しは改善されるかも知れない。だがこの会社が断っても、視聴率さえ取れたら何をしてもよいと思っているテレビ局があるかぎり、喜んで引き受ける製作会社はいくらでもあるだろうから、期待できない。

某月某日

いつもみなさんから、マジックに関するものや、私の好きそうなものを送って頂いて、大変ありがたいと感謝している。頂くばかりで本当に心苦しいのだが、少しでもホームページに何らかの形で反映できればお返しになるのだろうと思い、遠慮なく頂戴している。

マジック関係には限らないで、最近頂いたものの中から、ちょっと変わったものを紹介しよう。

パンダ

ひとつは山田真美さんから頂いた、パンダ柄のオリジナルTシャツ。これは真美さんのサイトで、私が切りの良いカウンター番号を踏んだ記念に送ってくださったものである。インドで製作して、現地から送ってくださった。このパンダは印刷ではなく、刺しゅうなので、とてもきれいに色や柄が出ている。

色やサイズも数種類あり、とてもかわいいので人気が爆発して、欲しいという人が殺到したようだ。最近は条件が厳しくなっているので、簡単にはいただけないだろう(笑)。かなりのレアものになる可能性大。

カードケース

二つ目はRさんから頂いたカードケース。東京にある皮専門店、「オーソドキシー」にオーダーして作ってくださったものである。Rさんには以前にもひとつ頂いているので、これでふたつになった。鞄の中にカードだけを入れておくと痛みやすいが、このカードケースは大変厚く、頑丈な皮でできているので中のカードやケースが傷つかない。大変重宝している。

超ミニのバイシクル

もうひとつは東京のSさんから頂いた、すべて手作りの極小「バイシクル」。今のところカードケースとフォーエース他、枚数に限られているが、そのうち52枚全部がそろうそうだ。「レア」のレベルで言えば、これは最高ランクだろう。

ここまで面倒なことをして頂くと、放ってもおけない。お返しに、私も何か小さいものでもと思ったが、それもつまらないので、逆に思い切り大きなものをお返ししておいた。

パドルムーブを使ったマジックで、黒い棒に埋め込まれた宝石がだんだんと大きくなるものがある。群馬のマジックショップ「福正堂」から販売されているネタで、オプションの巨大な宝石まで入れると4段階に変化し、最後は200カラットを越えるダイヤモンド(実際はジルコニア)が出現する。

福正堂の巨大ダイヤ

このマジックをご覧に入れたあと、巨大「ダイヤモンド」をプレゼントしても良いのだが、これだけ重いものをもらっても困るだろうと思い、一回り小さいダイヤモンドが付いた髪飾りをお礼に差し上げた。 (下の写真、右側)

右が髪飾り

大きな声では言えないが、これは輸入雑貨を扱っている店で、400円で買ったものである(汗)。福正堂のダイヤモンドに比べたら値段は格安なので、これなら気兼ねなくプレゼントできる。

某月某日

「即席マジック」をうまく行うコツは、偶然生じたチャンスを逃さないようにすることである。しかし、ただ漫然とそのような機会を待っているだけでは、マジシャンにとって都合のよい状況はやってこない。やってみたいマジックがあり、それをやるのにふさわしい場面を思いついたら、意識的にそのような状況を作り上げるくらいのことはやる必要がある。ただし、裏では周到に準備をしていても、そのことを相手にさとられてしまえば驚きは半減する。あくまでこっそりと、さりげなく行うことが肝要である。

問:「一枚の葉っぱを隠すのに一番よい場所はどこか」
答:「森の中」
問:「もし森がなかったら?」
答: 「森を作ればよい」

一枚の葉っぱを隠すために森を作るという発想、これをはじめて知ったときは驚いた。ここまで壮大な準備をするのは簡単なことではないが、これに近いことはサービス精神の旺盛なマジシャンならやっている。たとえばマックス・マリニ。彼には数多くの逸話が残っている。

あるとき、マリニは友人と川岸を歩いていた。友人がふと下を見ると、一枚のトランプが落ちているのに気がつき、マリニに向かって言った。

「君がマジシャンなら、下に落ちているあのトランプが何か、ここから透視して、当てることができるかい」

マリニは裏向きになっているトランプを川岸からながめていた。しばらくして、一枚のカードの名前を告げた。友人はすぐに下に降りて行き、カードを拾い上げて、表を確認した。すると、それはまさにマリニが言ったカードであった。

実のところ、これはマリニが前日に準備しておいたものである。翌日、友人とこの道を歩くことがわかっていたため、川岸にさりげなく一枚のトランプを置いて、準備しておいた。しかし、この友人が川に落ちているトランプに気がつかなかったら、この準備はまったく無駄になる。むしろ気がつかない確率のほうが断然高いにちがいない。しかしうまく気がついてくれて、今回のようなことになれば、友人の驚きは計り知れないものになる。

マリニのことだから、おそらく準備したのはこの川岸だけでなく、友人と歩くコースのあちこちに仕掛けをしていたはずである。そのうちのひとつでも今回のようにうまくいけば苦労は報われる。いや、マリニにとっては、このような準備は苦労ではない。むしろこのような準備をしているときのほうが、彼にとっては心弾む、最も楽しい時間であったのだろうと私は確信している。

以前、「商品紹介」で「パーフェクト・ペン」を取りあげた。観客から借りたお札にペンを突き刺す例のものである。私が使っているのは現在のものではなく、最初に売り出されたタイプ、「ペン・スルー・エニシング」と呼ばれていた黒いペンを今でも愛用している。

そのときにも紹介したが、このペンは大阪のホテル、リッツ・カールトンの部屋に常備されているものと、外見がそっくりのため都合がよい。頃合いを見はからって、見せる相手の人にペンを机の上から持ってきてもらう。お札も財布から出してもらうか、こちらが手渡した札を調べてもらっている間に、「ペン・スルー」用のペンとすり替える。このくらいのことは簡単にできる。これでお札を突き刺し、抜いた後、観客がお札を調べている間にもう一度ペンをすり替えてしまえばどこにも証拠は残らない。

最近購入したマジックに、「ミステリーキーホルダー」というマジックがある。ミカメクラフトから4,500円で販売されている道具なのだが、これも似たような状況が作れることがわかった。知らない方もいると思うので、簡単に現象を紹介しておこう。

ミステリーキーホルダー

長さ15センチ程度の細長い木に、キーが鎖でぶら下がっている。鎖が通っている穴は棒の端である。ところが、この穴が移動して、上の写真のように中央に来る。また再び、穴は端に戻る。

紙や写真に穴を空け、それが移動するマジックはよくあるが、立体の棒に開いている穴が移動するのはめずらしい。とは言え、このタイプのマジックは今から30年近く前、天地奇術研究所から似たものが販売されていた。それには鎖は通っておらず、アルミ製の棒に穴が開いているだけであった。道具自体が普段見かけないものであったのと、現象もあまりおもしろくないため、すぐに消えてしまった。当時、大橋巨泉氏が司会をやっていたテレビ番組、「11P.M.」に天地の社長が出演し、これを実演していた。巨泉氏に見せたら簡単にタネを見破られてしまって、頭をかいていたのを思い出してしまった。

それはともかく、「天地」のものはアルミの棒に穴が開いているだけであったため、道具自体が不自然であった。今回のものは、鎖とキーが付いているため、見た目にもクラシックなホテルの鍵のように見え、不自然さがなくなっている。

「天地」のものと比べると不自然さは少ないのだが、場所も考えずに、唐突に取り出せば、やはり違和感はある。もし、実際にこのキーホルダーとほとんど同じものが使われている状況で演じたら、見せられた人は驚くはずである。

上高地帝国ホテルのキー

つい先日、帝国ホテルが出しているメンバー用情報誌『IMPERIAL』(No.36 2001年)が届いた。ここで上高地帝国ホテルの特集があり、部屋の鍵が写っていた。これを見ると、「ミステリーキーホルダー」と外見がよく似ている。細かく比べればホテルの名前が入っていたり、鎖の形状が違っていたりするが、このような差は、はじめてこのマジックを見た人が気づくことはまずないものだ。穴が移動したことの驚きが大きいため、そのような部分の違いには意識が向かない。

部屋から出て、レストランで食事をしているときにでも、ポケットから取りだして演じてみせれば、道具を怪しまれることはない。

これを思いついた瞬間、後先のことも考えずに予約の電話を掛けてしまった。ひとつのマジックをやりたいために、わざわざ上高地まで出向くというのは正気の沙汰とは思えないかも知れないが、「道楽」というのはそのようなものである。「森を作る」のは私には荷が重いが、自分から森のあるところへ出向いて行けば、安上がりで同じような状況が作り出せる。


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