マジシャン紹介
Lance Burton (1960-)
2000/5/15 記
Lance Burton.アメリカのケンタッキー州、ルイビル出身のプロマジシャン。現在、マジック界のスーパースターの一人。
5歳のとき、クリスマスパーティに来ていたマジシャンが、ランス・バートンの鼻や耳からコインを取り出すマジックを見せてくれました。このとき、ランス少年は、僕の耳や鼻からはいつでもコインが出てくるのだと信じたのです。これがマジシャン、ランス・バートンが生まれるきっかけとなりました。その後両親からマジックセットをプレゼントしてもらったりしているうちに、ますますマジックの魅力に取りつかれてしまいました。
高校生の頃にはちょっとしたマジックのイベントに出演するようになっており、ローカルなコンテストではいくつかの賞も獲得しています。しかしなんと言ってもランス・バートンを一躍世界的に有名にしたのは1982年、スイスのローザンヌで開かれたFISM国際大会です。この大会でランスはグランプリを受賞しです。FISMはヨーロッパを中心に、3年に一度開かれている伝統ある大会ですが、ランスはアメリカ人としては初めての受賞者であり、最年少(22歳)受賞者でもありました。
このとき演じた「鳩」を中心にした一連のマニピュレーションは大変すばらしく、「鳩出し」としては1950年代の後半、一世を風靡したチャニング・ポロック以来、最高のものであることは間違いありません。
この演技をランスは今でも演じ続けています。今回(2000年5月)来日したときも、ステージで見せてくれた最初の演技がこれでした。私だけでなく、ほとんどの観客がこれに一番感動したのではないでしょうか。特に途中、白い手袋を脱ぎ、丸めて客席に向かって投げると、客の頭の上で手袋が鳩に変わり、その鳩が羽ばたきながら大きく弧を描き、ステージにある街灯をめがけて飛んで行き、静かに止まる場面はまさに魔法を見ているとしか思えないほど強烈なイリュージョン(幻影・幻覚)です。
鳩のマジックでは、ハンカチなどから取り出した鳩が会場を飛び回ったりしてみっともない場面もよく見かけますが、ランスの鳩はみんな行儀が良く、仕付けが行き届いているのも感心します。このような生き物は飼い主に似るものです。
以前テレビのインタビュー番組で、ランスは、「私の一日の仕事は鳩の世話から始まるんだよ」と言っていたのを思い出しました。実際、自分で鳩の世話をしているので、たくさんいる鳩でも、一羽一羽区別がつくそうです。自分で愛情を込めて鳩の世話をしているからこそ、あのような仕付けの良い鳩になるのでしょう。 鳩の扱いや、ステージに小さな子供を上げて接するときの態度などにランスの人柄の良さがにじみ出ています。
FISMでグランプリを取ったのが22歳で、その後の活躍は目を見張るものがあります。ショービジネスの世界として、ラスベガスは最も厳しい場所です。人気がなければすぐに解雇されます。ランスはトロピカーナに最初8週間の契約で入りましたが、結局9年間も出演することになりました。その後、ハシエンダ(現、マンダレイ・ベイ)に移り、自ら脚本、演出、プロデュースをしたショーを作るチャンスを得ました。これが大好評で、ハイエンダでの観客動員数の記録を更新しました。そして、ホテル・モンテカルロがオープンするとき、オーナーから見込まれ、ホテルの中にランス自身の設計による専用劇場「ランス・バートン・シアター」を作り、13年間という破格の長期契約を結びました。現在でも週に10公演をこなしています。
私自身はランス・バートンが1982年にFISMで賞を取ったときから彼の演技を見ていますが、最初はこれほど「化ける」とは思いませんでした。鳩の演技はすばらしかったものの、他の大ネタを使ったものや、観客と接するときの雰囲気がどうにも田舎のアンチャンといった雰囲気で、あか抜けしていなかったのです。しかし数年後にはそのようなこともなくなり、人間的にも大きく成長したことが演技の端々や、観客と接する態度からもうかがえるようになってきました。このころから私も彼のファンになりました。
最近ステージでイリュージョンを行う多くのマジシャンは扱うネタが大きくなり、マジシャン自身の腕よりも、道具やスタッフの力でマジックを見せるようになっています。ランス・バートンの場合、FISMで賞を取ったときの演技など、鳩、カード、タバコのような小さいものを扱いますから、手先の技術も相当必要です。このようなマジックを大切にしながら大ネタも扱っていますので、バランスがよく、その点でも私は好きです。
日本での本格的な公演は、2000年5月に東京でありました。(cf.「ショー&レクチャー」)
魔法都市の住人 マジェイア