沖縄の自然には神々と精霊達が宿っている。

 沖縄南部の知念村にある斎場御嶽(せいふぁーうたき)は島内最高の聖地であり、首里王家の女性・
 聞得大君(きこえおおきみ)を最高の神官とする神女(ノロ)組織が維持し祈祷を捧げてきた場所である。 (※メモ1)
 男子禁制であり、国王といえども入口から奥には立ち入れなかった。


 1999年2月の温暖なよく晴れた日に 私はこの場所を訪れた。

 入口からすぐに亜熱帯の樹木が覆う神域になっており、琉球石灰岩で造った白っぽい石畳道が
 ほの暗い林のなかを縫うように各拝所に通じている。


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入口  樹木の下の石畳道 拝所に近づく



 大庫理(ウフグーイ)、寄満(ユインチ) といった巨大な岩の窪みに鍾乳石が垂れる拝所を経て、
 巨岩と巨岩とがもたれあった隙間 ―― 三角形の入口を入って行くと 最後の聖域サングーイに到達する。
 ここは3方を巨岩に囲まれた空間である。


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拝所を巡る石畳道 サングーイへの入口 (クリックで拡大)


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久高島を望む面が開けており、遥拝場所に座ると、
樹木の飾り窓の中に、久高島が遥か に浮かんで見える。(左写真)

 

天空の彼方のニライ・カナイから、久高島 を経由して神々が訪れる
聖なる回廊の終端 がこの場所である。

森閑とした聖域でしばらく時を過ごした。
長い歳月の間、この拝所でノロ達により祈願されてきた祈りが、
周囲の岩盤に染み入り、周辺に木霊しているかのようであった。



 次は久高島に行かねば、と思った。




※メモ1
 斎場御嶽で行われる聞得大君の就任式(御新下り:おあらおり)では、外間ノロが、聞得大君の頭に王冠をのせて
 「聞得大君の御セジ」(チフィジンミウヂ)と唱え、 神前に供えた洗米三粒を、聞得大君の頭にのせて、神名をたてまつる。
 このときからニルヤセヂ(ニライカナイ神の霊威)が宿り、大君は地上の神となる。
 これは新天皇即位の大嘗祭で、大嘗殿(ユキ殿・スキ殿)で行われる儀式(秘儀)と同じ意味をもっている。
  「日本の神々」 谷川健一 P30 より


 琉球王国の祭祀組織は 聞得大君を頂点に、 聞得大君 ― 君々(三十三君) ― 大阿母(おおあも) ― ノロ の神女群で構成される。




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 3月初めの週末に、馬天港から連絡船に乗り久高島に渡った。(注1)


 久高島は知念沖6キロに位置し、青い海原のなかで珊瑚礁に囲まれた小島である。
 全島が神域であり、島そのものが結界のなかに位置しているかのように思われる。
 琉球料理の最高級食材であるイラブー(海蛇)の漁が行われる島としても有名である。

 面積は1.4平方キロ程で全く平らな島である。南北に細長く、人々は南の端に集落を造って住んでいる。
 戸数115。住民248人(平成9年)の過疎の島である。


 12年毎の午の年に行われる「イザイホー」の神事で有名であるが、前々回の1978年に最後に行われたときは、人口は579人であった。
 前回1990年は中止となったが、この人口ではもう2002年のイザイホーも無理であろう。

 この島は、島開祖を出自とする二つの家系のノロが神事などを司どっている。
 久高ノロと外間ノロで、集落の狭い小道を挟んで担当区域が分かれている。
 島は男は漁業、女は農耕にいそしんでいる。
 久高の漁師は糸満の漁師とならんで、沖縄の代表的な 海人(うみんちゅ)である。


 島の集落は港から近いところにあり、台風除けなのか、石垣を高く組上げ、道路は狭い。
 風除けのフクギが植わっている個所もある。
 昔ながらの風情のある集落の姿を留めている。

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 集落風景(1)  集落風景(2) フクギの防風林



神アシャギに辿り着いた。集落の奥にあった。(左写真)

島の女達によりここで行われるイザイホーの儀式はあまりに有名で、
比嘉康雄氏の写真集などで紹介されている。

今日の神アシャギは、イザイホーの際の神事用のクバの葉の装いもなく
ごく平凡でかつ平穏なたたずまいであった。

ノロ達の歌う讃歌 ”てぃるる” はいつ聞けるのだろうか。


 村を後にして、細長い島の北の先端 カベール(神屋原)を目指して歩き始めた。
 途中、神事で使われる泉ー ヤグルガーの拝所、フボー御嶽(フボーうたき)を経由した。


 フボー御嶽は久高島最高の聖地である。
 男子禁制の場所であり、今でも島の男達は立ち入らないそうである。

 薄暗い樹木の密生した入口から、トンネル状に林の中を進んでいくと、前方に円形の開けた場所が現れる。
 そこだけ日が射し込んでいるため明かるい。クバの木が茂っている。

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農道からの入口 前方に明るい広場  クバに囲まれた広場


 拝所があり、広場 には何かの神事を行った跡であろうか、柔らかな草が拝所に向かって半円形に敷かれ ていた。
 その上でしばらく横になったが、神域の覆い被さってくるような気配を感じ、早々に立ち去った。


 海の彼方に斎場御嶽を望む場所を経て、島の北端のカベール(神屋原)に着く。

(左写真)
カベールに着き、今まで歩いてきた道を 振り返る。



kua01ss.jpg (7521 バイト) kua02ss.jpg (10392 バイト) 荒々しい岩礁と、美しいお花畑、
アダン、クバの原生林がそこにはあった。

(写真はクリックで拡大)




kua03ss.jpg (12032 バイト) ニライ・カナイに地上で一番近い場所である。



 神はカベールに降臨し、フボー御嶽に渡り、そこから知念・斎場御嶽を経由して沖縄中に広がっていった。


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 帰路は海岸の東側の女達が耕作する畑地を通った。
 所々、浜へ下りる横道があると、ウパーマの浜、イシキ浜(※メモ2)などへ下りていった。

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       イシキ浜      イシキ浜


 どこかにノロが手掴みでイラブーを捕らえる、イラブーの産卵洞窟があるのだろう。
 海岸には強風が吹き寄せていたが、アダンとフクギの林に遮られ畑地には届いていない。
 これらの樹々の逞しさと有用性には感嘆した。


                                  1999.3.24 宇田川 東


※メモ2
 イシキ浜は、(琉球創世神話で)麦や粟の種子と クバ、アダカなどの入った壺が(ニライ・カナイから)流れ着いた地。
 この壺は波間に漂い、拾うことが出来なかったが、ヤグルガーの水で身を清めると手にすることが出来た。



注1:久高島行の港は、2000年(平成12年)春より、馬天港から、知念村・安座間港に変更になった。
注2:斎場御嶽は、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、世界遺産に登録された。
注3:2020年9月 メモ1,2の追加と、 サブページに、「てだが穴」の観念、穀物起源神話と儀式、フボー御嶽の儀式 を追加



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