住宅街の真ん中にびえ立つ吸水塔がある。 コンクリート製だが、時代を感じさせる立派な建造物だ。 どちらの塔の前にも「水道タンク」というバス停がある。 古くから住民に親しまれているランドマーク、つまり「街のシンボル」なのだろう。 | |
(左) 板橋区大谷口丁目 (日大病院近く) 有楽町線「千川」より徒歩10分 (右) 中野区江古田1丁目 (哲学堂公園近く) 西武新宿線「新井薬師前」より徒歩10分 (98/09/06)
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東京都内に残っている唯一の芝居小屋。 以前は木造で、いかにも「芝居小屋」の雰囲気だった。 数年前に立て替えられ、今では「劇場」となってしまった。 それでも、ドサ周りの芝居一座、いや旅回りの巡業劇団が公演を行っている。 出し物は芝居・舞踊ショー・歌謡ショーなど。 ショーではごひいきの人気役者が舞台に上がると、おばさん達がご祝儀を包んだ「おにねり」を舞台に置く。 その度に役者が、踊りながら歌いながら、お辞儀をする。 舞台の前で財布を開け、直接「現金」を手渡す人もいる。 その日の演目が終了し、お客さんが出て行く時には、役者一同が出口に並び、お客の一人一人にお礼の挨拶をする。 芝居小屋ならではの光景だ。 平日(月曜〜金曜)は夜のみ、土曜・日曜・祭日は昼と夜 昼の部は12:30〜16:00、夜の部は18:00〜21:30 入場料は、大人が1400円、子供が700円 演目などの問い合わせ先は、電話 03-3908-1874 (98/09/12)
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「目黒不動の縁日には行ったことがある」とか、「目白の学校に通ってた」という人でも、「目赤不動なんて聞いたことがない」と言うだろう。 |
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元和年間(1915-24)に万行和尚が伊勢の国にある赤目山で黄金の像を授かった。 関東に向かった和尚は動坂(文京区本駒込)に庵を結んだが、その後この地(南谷寺)に移つされ「赤目不動」と呼ばれるようになった。 寛永年間(1624-44)に三代将の軍徳川家光が鷹狩りの途中に、岩槻街道(現在の本郷通り)にあるこの寺に寄り、当時の「五色不動」信仰に因み「目赤不動」と呼ぶように命じたという。 江戸五色不動
(2003/02/27)
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中国風の山門は赤羽の普門院にもあるが、王子の飛鳥山に近い正受院の山門は、明治35年に作られた扇樽木造りの純中国風で、都内でも珍しい鐘楼門となっている。 |
ここのお寺は「赤ちゃん寺」としても知られており、境内の地蔵大菩薩(赤ちゃんの供養塔)では亡くなった赤ちゃんの供養をしている。 | ||
地蔵の周りには、生前の赤ちゃんの好きだった玩具や菓子がたくさん供えられている。 子供の供養のために訪れる人の姿と線香の煙が絶えることはない。
(98/10/03)
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