清水安子  清水安子 (雅号「静秀」)
 1984年 佐藤香石 和紙絵研究会に入門
 1985年 雅号「静秀」を拝受
 1986年 第1回作画会展に「金門橋」出展
中曽根弘文賞を受賞
  佐藤香石 和紙絵研究会 支部長に就任
教室開設を認可される
  佐藤香石著『魅力の和紙絵』に「白鳥」が掲載される 
 1987年 第2回作画会展に「赤いバラと白いバラ」出展
大日本美術家連盟賞を受賞

明治44年(1911年)11月1日、東京に生まれました。 清水金吉と結婚し、世田谷区太子堂で長男を出産した後、足立区西新井に移り、さらに2男2女をもうけました。 5人の子供が独立した後、埼玉県三郷に移り、土に親しみ、花に囲まれた生活の中で「和紙絵」との出会いがありました。 和紙絵を作り始めたのは72歳の時です。

それからの14年間は、寝食を忘れて作品づくりに没頭しましたが、平成10年(1998年)4月1日、多くの弟子達に慕われつつ89歳で亡くなりました。 今は「しばられ地蔵」で有名な金町の南蔵院に眠っています。

清水安子が残した和紙絵は、色紙から10号の大作まであります。 10号というのは...とにかく「かなり大きい」そうです。 作品の数も全部で...「ずいぶん沢山ある」と従兄が言ってました。

「作品集を作りたい」という願いを叶えるため、昨年(1998年)11月、5人の子供と多くの孫達(全部で何人いるのかな?)が、作品集として『 出会いとおもい出 』をまとめました。 さらに「個展を開いてみたい」という、もう一つの願いを叶えるため、インターネット上に清水安子のギャラリーを設け、『出会いとおもい出』に載せられた和紙絵を順次展示します。

和紙絵というのは、和紙を細かくちぎり貼っていく、かなり根気の要る作業です。 非常に細かな描写のため、パソコンの画面で見ると、まるで油絵のように思えるかもしれません。

清水安子の作品は、一部の入選作品を除き、題名が付いていません。 展示に当たっては便宜上、私の独断で題名を付けました。 花を題材にした作品が多いのですが、私にはチューリップ・タンポポ・ヒマワリしか分かりません。 私の家内が花の種類を識別できた場合にはその名前、不明の場合は「花」とします。