'93年の旅行記

8月28日(土)

 夜中3時頃(だったと思う)、愛車のシルビーで川崎を出発。羽田から湾岸にのり東北道を走る。北上から一般道で横手に向かう。夏休み終わりに近く道も順調で10時くらい(だったと思う)に横手に着く。

 横手にあまりに早く着きすぎたので、一度大曲に行って下見をした後、横手に戻ってホテルにチェックインし車を置いて電車で大曲に向かうことにする。大曲に着いてみると、街はなにやらお祭りモードに入っており、私らも気合いが高まる。河原に行ってみると、前日からキャンプをしている人達を発見した。その時「なるほどキャンプをするって手もあるなぁ。」と思いはしたが、未だにやったことは無い。

 結局ひやまだの提案により、横手には帰らず大曲に車を止めて花火大会後、横手に戻ってチェックインすることにした。チェックインが遅くなるのが不安だったが、電話を入れてみたらOKと言われた。駐車場は、比較的早い時間であったため桟敷席のある河原の向かい側(つまり花火を打ち上げる側)に取ることができた。後から思えばこれも凄くついていたね。

 駐車場に車を置いた後、早速場所の確保を行った。河原はかなり広く、桟敷席が対岸に向けて長く伸びていた。桟敷席と出店(これもかなりの数)の間と出店から堤防までが一般客のスペースのようであった。この時間はまだ場所も選び放題だったので、桟敷と出店の間で河原のほぼ中央に場所を確保することができた。この時には、まだ河原はがらがらで花火が始まったときにあんなに人が、集まるとは思わなかった。(田舎だからたいして混まないね。と楽観していた。)

 とりあえず、お昼も食べていなかったので、私が残ってひやまだが食べ物&飲み物を調達しに出かけることにした。その辺でさっさと買ってくるだろうと思っていたのだが、奴はなかなか帰ってこなかった。その間、小雨が降ってくるは、お腹が空いてくるは、トイレに行けないは、かなり淋しかった。

 一時間半くらい待った頃、やっと奴は帰ってきた。あまりに遅かったので、一体どこまで行っていたのか聞いたところ、どうやら道に迷って駅まで行ったらしい。(ちなみに駅まではかなり距離があり、買い物にそこまで行く必要は全くない。)そういえば奴はとんでもない方向音痴だということを忘れていた。色々文句を言おうかとも思ったが、そもそも奴は人を待つ立場になる事は希で、待つ身の辛さなぞ解ろうはずもないので、怒っても暖簾に腕押しで疲れるだけであるから腹が立つがあきらめることにした。

花火大会

 河原でさらに暫く待って5時になり「昼花火の部」の競技が始まった。昼花火というのはこの時初めて観たが、煙にさまざまな色が付いており、煙と色の変化を楽しむ渋い花火だった。その日の風の具合や空の色合いなどに大きく左右されるので、見た目の割には難しい花火のように思えた。

 昼花火が終わって、そろそろ水澤さん達が来るはずであったが、なかなか来なかった。人は昼花火終了後からどんどん増えてきているので、明るいうちに会えるといいと思っていたが、結局夜花火が始まる前には会うことができなかった。

 号砲がなりいよいよ「夜花火の部」が始まった。まず、標準審査玉という基準の花火が打ち上げられてその後から競技開始だ。競技は渋い声のおっちゃん(呼び出し歴30年って感じで年期の入った声)の呼び出しで始まる。この時点で、これは普通の花火大会ではなく競技会なんだという雰囲気がびんびんに伝わり、わくわくしてきた。

 参加団体は30組あり尺玉2発と創造花火の合計2種目で争われる。一発一発名前を確認しながら観るので、普通の花火大会よりじっくり観れて面白い。競技が始まって少しして、トイレに向かっていると、偶然水澤さんたちに会うことができた。(これまたすごい偶然)彼女を連れてきていたので、ひやまだがさぞかし驚くだろうと思っていたら、全く驚かず少しつまらなかった。

 競技の途中には、仕掛花火というスポンサーのついた花火をやっていた。しかし、私達のポジションでは桟敷席が邪魔して、ナイアガラとかそういう花火はほとんど観ることができなかった。この位置で観ているとあの桟敷から観たいという欲求が大きくなる。今度来るときには桟敷から観るようにしよう!と思った。

 競技も終盤に近づくと、大会提供の花火が始まった。これは本当に凄かった!今まで使っていた3か4カ所の打ち上げ台を全部使い前面の視界全部が花火という状態だ。今まで観てきた花火なんて手持ち花火程度に思えるくらいのド迫力だった。来年もまた来ようとこの時に決めた。この花火が終了すると、まるでササキが出てきたときの巨人ファンのように、かなりの数の客が帰り始めた。そして、暫くして競技も終わりフィナーレの尺玉連発ですべてのプログラムが終了した。

花火大会終了後

 花火大会は大満足で終わったが、実は大変だったのはこの後からだった。水沢さん達は、電車で来ていた。そのまま私の車に乗って行っても良かったのだが、車が狭いこともあり結局電車で帰ることにし、河原で別れた。

 駐車場は川を渡った向こう側で駐車場としてはかなり近い位置にある。しかし橋に向かうまでの道には人が溢れかえっており、なかなか橋にすら近づけない状況だった。それでも30分位かけて何とか駐車場にたどり着くと、そこも大変混雑しており駐車場に出るまでにさらに30分程度かかった。

 駐車場を出ると、私達は国道の方に向かいたかったのだが、交通整理は逆の方に誘導している。誘導に従っていくとどんどん国道から離れていくので、私は焦った。(ひやまだは方向音痴なだけに全く気にする様子はない。)かなり細い道も通らされたので、今どの辺りを走っているかはすでに把握できなくなっていた。地図を開いてひやまだにどの辺かあたりをつけて欲しいと言ってはみたが、とうぜん無理な注文だった。しょうがないので、そのページを開いておくことと、地名の入った看板を見過ごさず連絡することをお願いした。

 南に向って走っている事はほぼ確実だったので、とりあえず広い道に出るまでは前の車についていく事にした。前の車は相当なぢもてぃらしく、あぜ道のような道を駆使して近道しているようだった。(私らはそらもう凄く不安だったが)さらに走ると道も空いてきたところで、ほどよく広い道を見つけた。地名からいってここを東に走ればかなりいい線いくであろうと判断し、東に向かった。10キロ位走ったところでうまく国道13号にぶつかり、何とかホテルにたどり着くことができた。夜中の1時すぎだった。

 チェックインをすまし部屋に入ると、夜食としておにぎりがおいてあった。だてに割増料金を取っていないな、と妙なことに感心しながら、そのおにぎりをすかさず食べた。とてもお腹が空いていたので、実にうまかった。食後シャワーを浴びたのち爆睡した。このあと朝まで全く記憶にない。

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