〜11 烏山城の戦い〜
天文8年(1538年)、これまでも那須資房は那須諸将との縁組みを盛んに行ない、那須家をまとめあげようと努力していた。上那須の将と下那須の将との
縁組みだけでなく、政資の娘を芦野資泰や伊王野資直に嫁がせていた。また、宇都宮一族の茂木家、東の大勢力である佐竹家とも縁組みをした。しかし、気掛か
りは大関宗増である。
大関宗増の増長ぶりは益々ひどくなっていった。最近では那須資房でさえも手を焼くほどである。那須政資の子の高資の養育係でもある宗増は、まだ17歳の
高資を完全に味方につけている。しかも、宗増に似たのか、高資の性格は自信に満ち、怖い者知らずであった。他の那須諸将は大関宗増に対して、良い思いは抱
いていないが、何を言っても高資がかばってしまうので、手の打ちようが無かった。ただ一人、伊王野資勝は宗増の横暴を許さじと思い、軍議の度に宗増と対立
しているが、他に宗増に逆らう者などおらず、孤立していたと言ってもよかった。
とある軍議の場で、対立はさらに表面化した。那須政資が烏山城に行き、那須諸将を集め、今後の政策について話し合った時のことである。そこには資房も高
資もいた。
「本日、集まってもらったのは、今後の那須家の政策について話し合うためだ。知っての通り、奥州勢との和睦により、しばらくは北からの憂いは無い。しか
し、宇都宮からの脅威は残っておる。那須の地で、領民が安全に暮らすには、この脅威を取り除く必要がある。そこで、宇都宮尚綱とは手を結びたいと思う。先
日、宇都宮殿と書状を交したが、同じ意見であった。」
賛成する将ばかりであったが、大関宗増と那須高資だけは違った。
「父上!宇都宮と結ぶ必要などありません。逆に攻め滅ぼすことが、かえって宇都宮の脅威を無くすことに他なりません。」
「高資様の言う通りじゃ。この宗増も宇都宮と結ぶのは反対じゃ。そのような弱腰ではもの笑いの種じゃ!」
「簡単に言うではないか、宗増。だが、関東の雄、宇都宮を攻め滅ぼすなど、困難を極める。例え、滅ぼすことが出来たとしても、那須家は疲弊しきっており、
逆に近隣諸国につけ込まれるぞ!それこそ、那須家滅亡にもつながりかねん。」
「それは策がない場合じゃ。結城や小山を動かせば良い。今、宇都宮とはこじれておるからのう。」
「大関殿。結城や小山とて信用出来ぬであろう。それは浅慮というものだ!」
伊王野資勝が宗増の意見に反対した。しかし、他の将らは黙っていた。
「そうだ、資勝の言う通りだ。他に反対意見が無ければ、宇都宮との交渉を始める。良いな!」
政資は資勝の一言を救いに意見を押し通した。宗増も高資も納得いかない様子である。その様子を見て、資房は言った。
「宗増も高資も従うのじゃ。これは当主である政資が決めたこと。他の将らも宗増と同じ意見ならば、考える余地もあるじゃろうが、そうでもなさそうじゃ。良
いな!」
大関宗増はしぶしぶ従うことになった。
翌年の天文9年(1539年)、宗増は烏山城の高資と密談をした。それは謀叛の密談であったのだ。
「高資様は那須家の未来をどうお考えか?」
「うむ。父上が、あのように弱腰では不安でしかたない。今の世の中は攻撃こそ最大の防御だ。今の力を維持しながら平穏に暮らしても、いずれ、北条が関東制
覇に動き出す。その時、今の那須家の力では負けてしまうであろう。だからこそ、近隣諸国を奪い取って、その前に那須家を大きくしておく必要がある。」
「さすがは高資様。ようお分かりじゃ。他の那須諸将は馬鹿ばっかりじゃ。誰も、そのことに気付いておらぬ。じゃが、当主が命令すれば奴らも従うはず
じゃ。」
「しかし、父上は頑固だ。あれから、何度も忠告申し上げているが、まったく考えを変えぬ。」
「那須家のために一番良い事は高資様が当主になることじゃ。」
「・・・宗増?何を言っておるのだ?当主は父上だ。無理を申すな。」
「無理ではござらぬ。高資様さえ、その気なら問題ありませぬ。」
「謀叛を起こせと申すか!?宗増!」
「謀叛と言うと人聞きが悪いが、これは那須家を救うためじゃ。那須家のご先祖様たちも許してくれるじゃろう。那須家のことを一番考えておられるのは、わし
と高資様じゃ。結果を見れば、那須諸将も目が覚め、ついてきてくれるはずじゃ。」
「那須家を救うのか・・・。那須家を救いたいものだ。わかった!今は、例え那須諸将にそしられようとも、わかってくれる日がくるであろう。決心したぞ!何
か策はあるのか?」
「フフフ。結城、小山には既に高資様に荷担する意思を確認してあるのじゃ。我らは烏山城にろう城しつつ、隙あらば討って出ればよいのじゃ。烏山城は難攻不
落の城。いずれ、和睦の使者が参る。その時には、高資様へ家督を譲ることを条件にすればよい。」
同年9月、那須資房が出かけた隙に、白旗城に子の増次と守りの兵を残して、大関宗増は烏山城へ入った。直前に那須諸将で味方になってくれそうな将にも書
状を送っていたが、かつての盟友である福原資澄(資安)でさえ今回は味方にはならなかった。しかし、予想の範囲内であったので、慌てることもなかった。
山田城にいた那須政資は怒り、那須諸将を集め、さらに、宇都宮尚綱、佐竹義篤、小田政治も援軍として駆けつけた。那須政資は自分が生まれた城が、いかに
落とせない城か知っているのである。だからこそ、近隣諸国の力を借りなければならなかったのだ。
翌年の3月になっても城を落とすことは出来なかった。ここで佐竹義篤は那須政資に和睦すべきだと言い残して、全軍を退いて帰ってしまった。これほど長引
くとは考えてもいなかったのだ。また、宇都宮と小田も、結城や小山が盛んに宇都宮領を侵してくるので、これ以上、那須家に関わるわけにもいかなかった。
「那須殿。佐竹殿が言い残したように和睦すべきだ。これ以上争っても那須家をすり減らすだけだ。」
「もはや、打つ手は無いか・・・。」
早速、和睦の使者を送ったが、大関宗増の出した条件は、第一に政資は隠居し高資に家督を譲ること。第二に伊王野資勝は隠居すること。他にも細々とした条
件があった。使者が戻り、その条件を聞いた政資は頭に血が上り、陣幕をひき破っていた。
「おのれ、宗増!我が子、高資をも巻込み、やりたい放題!今に見ておれよ!」
政資は怒りをようやく抑え、和睦の条件に従うという使者を送った。そして、那須政資は山田城で隠居し、伊王野資勝も隠居し、家督を資直に譲った。
その後、大関宗増は白旗城へ凱旋した。白旗城では子の増次が待っていた。
「父上ー!やりましたな!」
「うむ。増次もよう頑張った。白旗城を守りきった手柄は大きいぞ。」
そして、益々、大関宗増は増長していった。子の増次とて同じであった。増次は気に食わない者がいれば、因縁をつけ、相手に喧嘩をおこさせ、無礼者とばか
りに斬り殺すこともあった。さすがに政資も我慢出来ず、宗増に注意したが、子の正当性しか言わないのである。もはや、那須家は大関家に乗っ取られたような
ものであった。
老体、那須資房と政資は密かに大関宗増打倒を考えていた。それは伊王野資勝と資直も同様であった。しかし、ただ、討つだけでは大義名分に欠けるし、高資
の命も危うくなる。そこで、人望厚き英才、大田原資清待望論が浮上するのである。あくまでも、大田原資清の私怨で宗増を討つことにしなければならない。だ
から、那須家の兵は動かせない。宇都宮家にも支援してもらおうと考えていた。
資房にしてみれば、大田原資清を追放させたのは間違いで、きっと大関宗増の謀略であったに違いないと思うようになっていた。資房は金丸肥前守義政に資清
の行方を聞いた。
「義政。大田原資清の所在を知っておるか?」
「さて?水口城にて戦死されたのでは?」
「噂では生きておるらしいではないか?」
「確かに噂はありまするな。しかし、生きていたとしても、何故お聞きになるのでしょう?」
「わしはのう、資清に悪い事をしたと思っておる。あの時、資清を攻めたのは間違いじゃ。あれは大関の策謀であろう。大関の横暴をとめるには那須家では大義
名分に欠けるが、資清には大義名分がある。つまり、資清には那須に戻ってもらいたい。そして、大関を倒して欲しい。」
「大殿。私にそのような話をするとは、何もかもお見通しなのでは?我が娘は資清殿の正室です。資清殿の所在を知らぬはずがありませぬ。我が娘とともに越前
で暮らし、男子も授かっておりまするぞ!元気で暮らしておりまするぞ!」
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