〜2 那須諸将の密議〜

 大田原父子はすぐに行動に移した。まず、山田城に行き、資久に事の次第を説明した。まだ6歳であるゆえに、事の重大さもわかっていない様子ではあった が、父君の仰せと分かり、大田原父子に一任すると言った。
 そして、資親の遺言として資久に家督を譲るように那須資永を説得し、事を穏便に済まそうとしたが、資永は応じようとしなかった。仕方なく、その場は引き 下がり、この話は無かったことにし、資永に従うふりをしたのである。
 次に同じ資久の養育係である大関宗増と金丸肥前守義政を山田城に呼び、事の次第を話し、意思を確認した。大関宗増は勢力的には大田原家と同等で、大田原 家とはライバルでもあった。大関宗増も金丸義政も資久が当主になれば、養育係である自分達が繁栄するであろうことを知っているので、反対するはずはなかっ た。
 次いで、当時、那須家で最も大きな力を持つ伊王野資勝と密談することにした。伊王野家は那須与一宗隆の甥である資長を祖とする那須の一族であり、伊王野 城に居住していた。資長の兄である光資が那須家を継いだのである。大田原父子は伊王野城にて、伊王野資勝・資直父子と対面した。
「おー!胤清殿。その後、資久様の養育の任はいかがですか?もう6歳でござりましょう。」
「資久様は立派になられました。近ごろは剣術に精を出しておられ、先行きが楽しみでござりまする。資勝殿も相変わらずお元気のご様子で・・・。」
「ハハハ。まだ31歳だ!胤清殿こそ、わしより20歳も年上だと言うのに、まだまだ若く見える。秘訣をお教え頂きたいものですな。おー、貴清殿も立派にな られたものだ。確か、今年で21歳であったのう。資直は貴清殿の5歳下。そなたを兄のように慕っておる。今後とも資直と仲良く頼むぞ。」
 笑ってうなづく貴清であった
「ところで、資勝殿。本日、お伺いしたのは重大な相談があってのことじゃ。」
「重大な相談・・・?もしや、資永様と資久様のことか?」
「さすがじゃ。お見通しか。」
「那須諸将の中でも動揺しておるからのう。あの二人はいずれは戦うことになろう。わしも危惧しておったところだ。資永様は那須家のことをよう考えて下さっ ているようだが、資永様の周辺は結城家からの従者で固められておる。そのことが、いずれ、那須家と結城家の争いに発展し、その頭には資久様と資永様が奉り あげられるのは目に見えておる。」
「資勝殿。確かに、その通りじゃ・・・。しかし、もっと差し迫った話じゃ。」
「・・・?胤清殿。何の話でござるか?」
「資親様の遺言の話じゃ。今まで伏せておったが・・・・・。」
 大田原胤清は那須資親の遺言を伊王野資勝に話した。那須家中で有力である伊王野家を味方に引き入れれば、他の諸将も追従するであろう読みがあるのだ。し ばらく考えた資勝は答えた。
「ことは重大ゆえ、返事は明日いたしたい。また、心配はご無用である。決して他言いたさぬ。」
 翌日、大田原家の水口城を訪ねる武将がいた。伊王野資勝の嫡男・資直である。今年15歳になる若武者ゆえ目立たぬであろうと、資勝は資直に伝言を授けた のである。伊王野家からの使いを待っていたのであろう。城には大田原父子が揃っていた。
「胤清殿。父・資勝からの伝言でございます。資久様を当主として那須家のため戦うこと承知いたすとのこと。」
「おお!よくぞ、申してくれた。資勝殿には宜しくお伝え下され。」
「はっ!それから、もうひとつ。稲沢弾正政泰殿は私の妹むこであり、私とは従兄弟でありますれば、稲沢家への説得は伊王野家にお任せ願いたい!」
「うむ。実はわしもそれを頼もうと思っていたところじゃ。有難い!お頼み申す。今、現在、我らに賛同している武将のことや、打ち合わせることもあるゆえ、 資直殿は貴清から詳しい話を聞いてから城に戻って欲しい。」
 そして、大田原貴清は大まかな戦略を伊王野資直に説明した。時に貴清20歳、資直15歳であった。その後、福原、芦野、稲沢といった那須の有力武将らと も密談を重ね、了承を得て、着々と準備は進められた。

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