〜3 那須資永〜

 福原城の那須資永は予てからの不安もあり、ずっと探りを入れていたので、那須の諸将の不穏な動きを察知していた。資永のまわりは結城家から同行してきた 家臣らで固められていた。
「殿!近ごろの諸将の動きは不可解にござりまする。那須家当主である殿を差し置いての談義とは、謀叛の密談としか思えませぬ。」
「分かっておる!しかし、何ひとつ証拠は無い。証拠が無ければ誅することも出来ぬ。それは武士の道にも外れたことじゃ。」
「しかしながら、証拠を探している間にも奴らは着々と準備を進めていることでしょう。」
「・・・・・。」
「よう、お考えなされ!殿は何ひとつ悪いことはしておりませぬ。そればかりか、那須の当主として那須家のことをよう考えておられます。それなのに殿を討と うと考えている。これこそ武士の道に外れたことです。」
「うむ・・。確かに・・・・。以前に大田原胤清が訪れ、資親様の遺言として資久に家督を譲るように言っておった。わしが断わると、胤清は諦めたようだった が、諦めきれず武力にて成就させようと考えたわけだな・・・。」
「まずは、白河結城家に援軍を要請するのが得策でありましょう。那須の諸将が集まり、この城に押し寄せれば、ひとたまりもありませぬ。その前に結城軍の力 により戦況を優位にしておく必要がありまする。さすれば、話し合いで決着がつくこともございましょう!」
 家臣・大野義隆が発言したその時、資永の実父である結城義永(政朝)が部屋に入ってきた。
「義隆!結城家の援軍など期待するでない!援軍など来ぬぞ!」
 白河結城家は1510年の永正の変という内紛にて、城主結城義永(政朝)は白河を追われ、資永のもとへ身を隠していた。今や、白河結城家は勢力衰え、仮 に助ける気があったとしても、援軍など出せぬ状況であったのだ。
「されど、大殿!このままでは・・・。我らには50騎と雑兵100人ほどしかおりませぬ。」
「義隆よ。結城家が単独で動くことは無理であろう。しかし、岩城家や宇都宮家が動けば、あるいは・・・・。」
「父上!宇都宮家は那須家と縁戚です。それこそ無理では!」
「いや、宇都宮成綱は野心家。条件次第では味方になってくれるだろう。それに、あくまでも、これは、那須家当主である資永に対する謀叛である。さすれば、 宇都宮家としても、大義名分はある。さらに烏山の那須資房殿にも援を求めるのじゃ。」
 まず、結城義永(政朝)は夜のうちに城を出て白河に向かった。白河では仲違いしていたはずの嫡男顕頼が迎えてくれたが、やはり、援軍を送るだけの余裕は なかった。
 資永からの使者で上那須諸将の動きを知った下那須の資房は、直ちに大田原胤清を呼び寄せ、その非を諭したが、既に資永のもとへ白河結城からの援軍が向 かっているとの報告を聞き、考えた末、大田原以下上那須諸将に味方することにした。資永への白河結城の援軍の話は、実は資房を納得させるための胤清の嘘で あった。資房とて、白河結城に上那須を奪われるのは本意では無かったのだ。
 そして、白河からの援軍も無いまま、那須諸将の兵が出馬した。福原城にいる資永のもとへ、突如として報告が入った。
「申し上げます!大田原、大関、伊王野などの兵が蛭田ヶ原(ひるたがはら)に出陣!先陣は伊王野・稲沢勢!」

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