魔法都市日記
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2002年12月頃


空飛ぶ魔女:クリスマス用オーナメント

12月はIBM大阪リングの例会にも出席できないほどスケジュールがつまっていた。大学入試センター試験も目前に迫っているため、生徒だけでなく私も知らないうちにストレスがたまっているのかも知れない。

マジック関係としては、イタリア料理の店に行ったとき、いつも演じているものを2、3ご覧に入れたのと、クリスマスケーキを囲んでいるときにキャンドルを使った簡単なマジックを演じたくらいしかない。


某月某日

12月8日、デビッド・カッパーフィールドがカナダ公演の最中に気分が悪くなり、救急車で病院に担ぎ込まれたそうである。幸いすぐに回復し、その日のうちに帰ったそうだからたいしたことはなかったようだ。若いと思っていたがD.C.もいつの間にか46歳になっている。

年間500回を越える公演をこなし、日によっては午前、午後、夜と3回も舞台に立たなくてはならないこともある。少々体調が悪くても、本物の魔法使いなら呪文をひとつとなえるだけで治してしまうかもしれないが、D.C.は生身の体のようである。芸の世界に限らずどんな仕事でもそうだが、本職で活躍している人というのは代役を立てたり、簡単に休んだりすることもできないため、こんなときはつらい。

空中を悠然と飛んでみせる「フライング」にしても、実際には見かけ以上に体力がいる。何年か前、ドイツ公演の際にはフライングの途中で落ちたという話もある。体力の衰えとともに集中力もなくなるため、ますます危険と隣合わせになってくるだろう。これからは、実演できないイリュージョンが増えてくるかもしれない。

つい最近、ある方から昔のD.C.のビデオを送っていただいた。昔といっても、5、6年前のものだと思うのだが、このときのステージは本物の魔法か、カメラトリックとしか思えないくらい完成度の高いものであった。あのまま同じ演技を10年くらい続けてもよいのではないかと思うのだが、年にひとつくらいは目玉となるくらいのイリュージョンを作らないと、商業的にはやって行けないのだろうか。ミュージカルや他の分野では長期間同じものをやっていても、それでも観客は十分満足している。意外性が売り物であるマジックの場合、同じものを見せるのは難しいというのもわかるが、新規さを求め続けるよりも、ひとつひとつをきちっと仕上げ、全体として完成度の高いステージを作り上げるといった方向性を持ってもよいのではないかと思っている。

近年、D.C.を取り巻く環境はあまりにも巨大化している。大勢のスタッフをかかえ、舞台も大がかりになるため、年間の売り上げ目標も膨大にならざるをえないのだろうが、どこかで線引きをしないことには、早晩つぶれてしまうのではないかと危惧している。

LASER

先日、something interestingの中で「造形のマジック」としてデビッド・カッパーフィールドの顔を紹介した。これは特殊造形の仕事をされているある方がお造りになったものをゆずって頂いた。詳しいことは「造形のマジック」をお読み頂くとして、この顔を使ったイラストも知人のデザイナーの方に描いてもらった。顔だけがアップで出てくると不気味だが、ピーター・パンに扮したD.C.はかわいいと、見てくださった方からもメールをいただいている。

それともうひとつ、レーザー光線で胴体をされ、自分の足を抱えて階段を降りてくるイリュージョン"Laser"も一緒に描いてもらった。(上の画像)

某月某日

暮れには読者の方からの頂き物も多く、恐縮しっぱなしである。本当は全部紹介させていただきたいのだが、何だか贈り物を催促していると思われそうなので、めずらしいものだけ、2、3ご紹介させていただくことにする。

ひとつは四国の讃岐で、200年の伝統ある醤油屋にお勤めの方から、醤油の詰め合わせをいただいた。200ml入りの小さな容器に入っているので、食卓での使い勝手がよい。まさかホームページを開設しているだけで、醤油を送っていただけるとは夢にも思わなかった。

「だし醤油」「さしみ醤油」「サラダ醤油」「ポン酢醤油」などが詰め合わされている。「だし醤油」が一番普通の醤油なのだが、これは何にでも使える。少しなめてみるとわかるが、まろやかで、天然の素材を熟成させて出来ているのがわかる。どのようなものにかけても、料理の持ち味を邪魔することなく、うまみを引き出してくれる。家人にも、お裾分けした近所の方からも大変好評であったのでお薦めしたい。何もおかずがないときは、この醤油だけをなめて、ご飯が食べられるくらいうまい。

いまどきの醤油屋「鎌田醤油」のサイト。

その他のものでは、手作りの小物入れなどもいただいた。代官山の或る店で、小型のスーツケースの内側に布を貼り付け、トランプなどをあしらったデザインのものがあった。それにヒントを得て作ってくださったようだ。マジック関係の小物や、トランプなら3ケースは入る。ふたの部分は手芸用の石を使い、ハートやスペードなど、四つのスーツを作ってある。

また品物だけでなく、メールも数多く頂戴している。最近はこの日記で好きなことを書いているだけなのに、ご縁というのは不思議なものである。何もかもありがたい。

某月某日

前々回、10月の日記で紹介したように、土曜日の深夜にはナイナイの二人が出演している番組「99サイズ」がある。この番組の中で、岡村隆史さんが再びマジックをやっていた。前回、この番組の反響はすさまじかった。放送終了後わずか30分くらいしてからメールが届きはじめ、1日で60通ほどオンラインマジック教室への申し込みがあった。マジック関係の番組放送終了後、これだけの反響があったのは最近では前例がない。

この番組は、種明かしなどなくても多くの人に喜んでもらえるよい見本になったにちがいない。岡村さんをはじめ、この番組に関わった方々には大変感謝している。岡村さんにマジックの指導をしたのは若手のプロマジシャンたかはしひろき氏である。以前はウイザードイン所属であったが、現在はフリーで活躍されているようだ。まずは慶賀に堪えない。たかはし氏の今後のご活躍に期待したい。

番組の中で岡村さんが演じたのは、3枚のコインが1枚ずつグラスに移動するコインマジックと、スケッチブックを使った透視マジック、それと観客の選んだトランプが自動的にせり上がってくるライジングカードの三つである。

今回のコインマジックは技術的に決して簡単なものではない。パームとハンピンチェンムーブのバリエーションを使うため、これまでマジックをやったことのない人が、教えてもらってすぐにできるというものではない。それを岡村さんはテレビで演じて、視聴者の人をほぼ完璧に驚かせていたのだから、かなり練習をしたにちがいない。何でも一生懸命やる人だから、きっと家で黙々と練習していたのだろう。

スケッチブックやライジングカードは技術的には難しくないが、それでもあそこまで演じられるのは、彼自身のキャラクターに負うところが大きい。

今回私が感心したのは、ゲストの華原朋美さんにマジックを見せたときの岡村さんの態度である。華原さんがテーブルのすぐ側まで来て、テーブルにあごを乗せて下からのぞき込もうとしたとき、「そちらのソファーに座って見てください」と後ろにさがるよう、指示していた。それでも華原さんはまだ下がろうとせず、目の前で見ようとすると、岡村さんは毅然と言った。

「約束したでしょう」

これは最後に演じたマジック、ライジングカードのときの出来事である。華原さんが目の前まで近づいてきたのは、タネを暴いてやろうといった嫌味なものではなく、本当にマジックに驚いたときに一般の人が示す、むしろ好意的な表現であった。それでも最初に約束したように、ソファーに座って、そこから見て欲しいと、席に戻るように頼んだのは大変良いことである。

ライジングカードに関して言えば、このマジックは目の前で見られても、後ろからでも下からでも、どこから見られても困ることはない。実際にはどのような位置から見られてもよいのだが、クロースアップマジックにとって、テーブルは「ステージ」である。そのような場に、あごを乗せて、下からのぞき込むような態度を戒めた岡村さんの態度はすばらしい。ストリップ劇場のかぶりつきじゃないんだから、下からのぞき込むような下品な振る舞いを毅然と拒否したのは特筆ものだと思っている。

岡村さんの態度、並びに「約束したでしょう」というこの言葉は、箴言集に残したいくらいのものである。

前回のときも触れたが、岡村さんのマジックを見てあらためて私が感じたことは、演者のキャラクターである。マジックを始めたばかりの人は、マジックの難しさは指先の技術的な面にその大部分があると思っている。そのため、みんな必死で難しいテクニックを練習するのだが、指先の難易度と、観客の驚きの間には必ずしも相関はない。そのことに気がつくのに2、3年はかかる。そして次に演出に凝り出すのだが、これは指先の技術的なことと比べると、さらに数倍難しい。これも2、3年で頭を打つときがやってくる。この頃からマジックを演じるのがこわくなり、人前ではほとんど見せなくなるのが、大半のマニアがたどる道である。少なくとも、多少なりとも感受性の強い人は、大抵このようなコースをたどるものである。

この期間は人によって様々だが、10年から20年くらい続く。多くの人はそのまま永久に人前で演じることはなく、マジックから離れていく。本やネタは買い続けていても、人前で見せることはごく限られた場や、年に1回あるかないかと言った程度になる。

10年、20年の間、マジックを離れていた人がまた突然マジックを見せるようになるのは、何かふっきれるものがあったからである。端的に言えば、その人がマジックなどやらなくても、十分魅力的であれば、その人のマジックも観客に受け入れてもらえる。

世間では、女性にもてないからマジックでもやればもてるようになると思っている人がいるのだが、これが大きな誤解であることは、どんな人でも数ヶ月で気がつく。きしょくわるい人間がマジックなんかやったらよけい気持ち悪いだけである。とにかく、マジックを見せるだけで人気者になるとか、女性にもてるなんてことを思っているのなら、それはとんでもない誤解であると、この際、はっきりと言っておく。

何かの分野で第一人者といえるくらいの人は、みんなそれなりの魅力がある。このような人が趣味でマジックをやると、マジックのキャリア自体は初心者の域を出ていなくても、プロマジシャンも顔負けといったウケ方をすることがめずらしくない。これは人間自体の大きさ、もしくは魅力のせいである。つまらない人がどれだけ指先や、てのひらにタコを作るくらい練習して奇妙なことをやって見せても、一瞬好奇の目で見られて、それでおしまいである。マジックという芸は、ある意味、観客に対して挑戦的になるため、この部分をクリアーできないかぎり、アマチュアでもプロでも、観客には受け入れてもらえない。

ナイナイの二人がこれだけ人気があるということは、多くの人の心をつかむ何かを持っているからにちがいない。岡村さんが演じるマジックがMr.マリック以上の反響があることからしても、芸は技術プラス人間的な魅力で決まるのだとわかるはずである。似たり寄ったりのことをやっているお笑いタレントの中から一歩抜け出すには、何かがないと無理である。その「何か」はすべて異なっている。その「何か」を見つけ出せたものだけが、お笑いの世界で生きていける。

この1、2年、インターネットの普及に伴い、マジックをする人がずいぶん増えているが、2、3年もすれば、マジックを人に見せることの難しさに気がつき、大半の人が離れていくだろうと思っている。

某月某日

テレビドラマ「トリック」が映画にもなった。このドラマは売れない女手品師山田奈緒子と学者の上田次郎が、マジックと科学の知識を使い、いんちき超常現象をあばくというコメディ仕立てのものである。この番組は、関西地方では深夜に放送している。過去に偶然1、2度見たが、そのとき「魔法都市案内」で紹介している情報がそのまま使われているのには呆れてしまった。インターネットで公開しているとはいえ、著作権は勿論私にある。このような商業番組に使うのであれば一言くらい挨拶があってもよさそうなものなのに、何の連絡もなかった。最近は仁義も何もあったものではない。最初の1、2回でこのようなことがあったため、それ以降この番組はまったく見ていない。

今回、映画館で見たものは、メンタルマジックのいくつかの原理を含む数種類の種明かしが行われていた。ドラマ全体の雰囲気がおちゃらけのため、原理を解説しても、はたしてそれが本当にマジックで使われているのかどうか視聴者は半信半疑かも知れない。まあこの程度であれば、種明かしを問題にするには及ばないのだろう。

今月はもう1本、ハリー・ポッターシリーズの第二作目「秘密の部屋」も見てきた。上映館の数だけは多いが、あれで採算が取れているのか不思議である。私が行ったのは神戸の映画館だが、座席は1割程度しかうまっていない。別の映画館はいつ行っても客数が一桁である。それでいて、何年もつぶれないでやっている。どうなっているのだろう。配給元や関連グッズを売っている店は笑いがとまらないくらい儲かっているようだが、上映館がこんな入りではしょうがない。映画館で、隣の席に同伴者以外の誰かがいるくらい満席であったのは「千と千尋の神隠し」くらいしかない。

映画自体は、たいして期待もしていなかったため、別段どうってこともなかった。映画にうるさい人の評判はいまいちだが、あんなものじゃないの?1作目もそうだが、あの種の映画に何を期待しているのだろう。「ちびまるこちゃん」や「ドラえもん」の映画だってそれなりに楽しめるのだから。

近年、コンピューターグラフィックスの発達で何でもできてしまうが、それでも映像がイマジネーションを越えるのは難しい。頭の中で想像するものは宇宙の果てまでも広がって行くが、映像として出来上がったものは、見る側がすでに持っているイメージとは一致しない。今回の作品でも、大蛇が出てくる場面など、本の方がもう少しドキドキハラハラするが、映像では逆にちゃっちい。話の展開が唐突過ぎると文句をいう人がいるが、それを言い出すと切りがない。魔法世界の出来事なんだから何でもありに決まっている。

このサイトは「魔法都市案内」と名乗っているせいか、ハリー・ポッター関係の検索に引っかかるようだ。わけのわからないメールをもらう機会が増えているので、それだけはうっとうしい。

某月某日

毎年暮れになるとNHKテレビで「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」という番組をやっている。日本全国を北海道から九州まで八つのブロックに分けて、各高専から1チームか2チーム出場している。

この番組は深夜の1時ごろから始まり、2回分連続して放送するため、終わるのは午前3時ごろになる。それが月曜から木曜まで4日間あるため、毎年この時期は寝不足になっている。テレビ欄をチェックしているわけでもないのに、これだけは不思議なくらい見落とすことがない。

深夜にやっている番組はたいてい再放送のため、これもそうだと思っていた。しかしどうやらこれが正式な放送時間のようである。決勝は東京の国技館で開催されるのだが、こちらはこれまで一度も見たことがない。決勝だけは夜中ではなく、もっと早い時間に放送しているようである。仕事柄、夕方の5時ごろから10時過ぎまでテレビは見られない。どうせなら決勝戦も夜中の同じ時間帯にやってくれないものだろうか。

この競技では、毎回課題が与えられる。今回はロボットに、30センチ角くらいの段ボール箱を指定の場所に積み上げさせるというのが中心のテーマであるが、その前に3段ある階段を降りなければならない。この階段を降りる部分がクリアーできずに早々とリタイアしてしまったチームが数多くあった。階段は一段ずつ降りても、一気に飛び降りても、スロープのようなものを作って滑って降りてもよいのだが、まずこの部分をどうにかしないことには、あとの作業はできない。しかし降りるにしても、台が1メートルほどの高さがあるため、実際にロボットを製作してみると、ここを無事に降ろすのは思いの外、難しいようであった。階段から転げ落ちて、下でのたうち回っているロボットや、落ちた瞬間に崩壊してしまい、あとはピクリとも動かないものが数多くあった。予選の1回戦では半分以上がこの段階で終わっていたと思う。

箱を積み上げる部分に限れば大変よくできていても、この部分を最初にどうにかしないことには、後半の部分でどれだけよくできていても意味がない。階段を降りる部分は運を天にまかせているとしか思えないものが少なからずあった。なかには調整が開催日までに間に合わず、僥倖を期待して、目をつぶって階段を飛び降りているロボットもあったが、このようなものはほとんどすべてが失敗に終わっていた。

最先端のロボット工学の世界でも、二足歩行ができるようになったのはごく最近のことである。階段をスムースに降りるのは難しいことは理解できるが、地区予選を勝ち抜いたロボットのなかには、シンプルな設計で、このあたりをみごとに切り抜けていたものもあったから、確かにアイディア勝負という面もある。

サンタクロース型ロボット?

2チームごとの対戦形式になるため、両方が階段の下でひっくり返ったり、落ちた瞬間に崩壊してしまい、その後はどうにもならないものもあった。箱がひとつも積めなければ零点であり、あとは審査委員の判定になる。中には両チームとも階段を降りる以前、つまりスタートの時点でまったく動かないものもあった。こうなるとどうやって判定するのか知らないが、相撲の行司と同じで、審査員は必ずどちらかに軍配をあげなくてはならないらしい。

何年か前、ロボットがスタート地点から3、4メートル離れた的に向かって、棒状のものを発射するものがあった。目標点に落ちれば点になるが、範囲外に飛んでしまうとマイナス点になる。あるチームのロボットはスタートの時点からまったく動かず、もう一方のチームのロボットはそれなりに動いていたが、発射したもののひとつがマイナス点のところに入ってしまい、合計点はマイナスになっていた。スタートからまったく動かないロボットは零点なのだが、マイナス点より「高得点」ということで、このチームが勝ってしまった。予選の段階ではこのようなこともあるようだが、いくら何でもこれは理不尽ではないのか?

宇宙飛行士が乗っているロケットの場合、発射した後、途中で墜落するくらいなら最初から動かなければ少なくとも乗員が亡くなることはないため、このほうがよいと言えなくもないが、最初から全然動かないほうが勝ちというのには、判定に文句をつけたくなったのは事実である。

この競技では相手チームのロボットを妨害することも許されているため、目標にカバーを掛けてしまい、相手が得点できないようにしたり、進路を邪魔する機能を付けているものがあった。ところがこの種のものは相手を妨害する以前に、自分自身がまともに動かなくて自滅していた。「人を呪わば穴二つ」のことわざは、ロボットの世界にも通用するようだ。

それにしても私が毎年この番組を見てしまう理由は何なのかと考えてみると、どうやら「意外性」にあるらしい。課題をクリアーするために、十代の若い人たちの頭から出てくる自由な発想に触れられるのが楽しいことと、さらに頭の中でイメージしたものを実働可能な状態まで作り上げる際の困難や葛藤もおもしろい。実際に動いて、競技で勝ち抜いていくだけのものを作り上げるには、柔軟なアイディアに加えて、電子回路の設計や機械部分の構造など、知識や技量等も必要となってくる。予選段階ではこのあたりのバランスが悪いものが多いため、予想外のことが起きる。

決勝戦を見ないのは、このあたりの意外性が期待できないからかも知れない。

某月某日

ブリキのおもちゃコレクターとして高名な北原照久氏が経営するミュージアムが、神戸駅のすぐ南、モザイクの二階にオープンした。横浜や静岡にも北原氏の展示場はあるが、それと比べるとこちらはずいぶん規模が小さい。そのため展示品の数も多くはないが、期間ごとにテーマを設定して、随時展示物を変えるようである。今回は第一回目として"LOVERS COLLECTION"と題し、「愛」や「恋人」をテーマにしたものがそろっている。しかし入場者数が極端に少ないようなので、これがこの先、本当に続くのかどうか半信半疑である。興味のある方は、早い目に行っておくことをお勧めする。

展示物で実際に動くものは、その動作を楽しんでもらいたいという北原氏の意向から、一定の時間間隔をおいて、自動的に作動するようになっている。展示されているものはレプリカではなく、すべてオリジナルである。50年以上前の物も少なくないため、長時間動かすことはできない。ひとつの展示物が動くのは30分に一度、それも1回2、3分程度に限られている。これが順に動いていくので、約10種類ほどある動く展示物をすべて見ると、30分程度かかる。

今回展示されている動くディスプレイは1940年前後、アメリカの宝石商ベリンジャー氏の店頭を飾ったものである。クリスマスのときなどに、客寄せ用ディスプレイとして特別に作られたようである。「愛」や「恋人」がテーマになっているため、展示されているものはどれも恋人同士が寄り添っているものが多い。しかしその中で、ひとつだけ場違いなものがあった。"Old Saw Mill"(古い製材機械)と題されたディスプレイは、若い女性が木に縛られ、回転するノコギリで今にも切断されそうになっている。実際に動き出すと、縛られた女性が回転する刃にだんだんと近づていくため、そのまま進めば体が縦に、真っ二つに切断されることになる。

Old Saw Mill

これを最初に見たときは、ひょっとしたらこの男がマジシャンで、台になっている木は二つに切断されても、上で寝ている女性は怪我もしないというマジックを見せるのかと思っていた。しかしそれにしては女性の体に布も掛けていないため、どうやって切断するのか、もっぱらそちら方面に興味があった。これだけは絶対見てから帰ろうと思い、動き出す予定時間を確認すると、これが最後になっている。入った時間との関係でそうなってしまった。他の展示物などを見ながら30分近く待つことになった。

ほどなく予定時刻になったので、ガラスに貼り付いて見ていると、刃が回転し、木材が動きはじめた。木に縛られている女性は何の抵抗もしないまま回転するノコギリに近づいていく。このままでは間違いなく二つに切断される。あわやという瞬間、窓から若い男が顔を出し、鉄の棒をノコギリの刃の部分に差し込んだ。これで回転するノコギリの刃を止めてしまった。どうやらこの男が彼女の恋人のようである。

上の画像は、窓から棒を差し込んだ瞬間である。

マジックが見られるかも知れないと期待していたのに、こんなオチではおもしろくない。しかしそれにしては台に奇妙なメッセージが刻まれていた。

He could have won her with one of our beautiful diamonds.

読んだ瞬間、何のことなのかよくわからなかった。直訳すれば「彼はわれわれの美しいダイヤモンドをひとつでも持っていれば彼女に勝利したであろうに」ということらしいが、状況が今ひとつ把握できない。しばらく考えていたら、このディスプレイは宝石店のものであることを思い出した。上の文中の"He"というのは、助け出した若い男ではなく、切断しようとしていた男、左端に立っている男である。おそらくこの男は女性に振られたのだろう。それでヤケになり、女性を縛って、切断して殺そうとしていた場面なのだ。

これでやっとメッセージの意味がわかった。要するに、「女性を口説くには、当店のダイヤモンドがひとつあれば簡単ですよ」という意味なのだ。"win"の意味も「勝利する」ではなく、「彼女を獲得する」ということである。

これは1940年代の作品だが、ずいぶん過激なメッセージがあったものだ。ダイヤモンドに目が眩らむのは『金色夜叉』のお宮さんだけでなく、時代も国も関係ないのか?

歯をむいているミッキーマウスこのミュージアムでは、古いポスターや最も初期のミッキーマウスのぬいぐるみも展示されている。初期のミッキーは、今見ると歯をむき出しにした、ただのネズミである。可愛いどころか恐い。実際、この時代のぬいぐるみは全然人気がなかったそうである。そのため市場に出回ったぬいぐるみも数が少なく、今ではコレクターの間では値段がつけられないくらいの金額になっているそうだ。

展示されているこのミッキーも、世界的に有名な某歌手や俳優が、驚くような金額でゆずって欲しいと言ってきたそうだが、北原氏は断ったそうである。日本ではプリンセス天功もミッキーの古いものを持っているそうである。興味のない者には汚いゴミとしか思えないが、コレクターやマニアには垂涎の的なのだろう。

このミュージアムでは北原氏が復刻したブリキのおもちゃなども販売されている。またオリエンタルカレーの復刻版もあった。なんでオリエンタルカレーが今頃よみがえり、ここで販売されているのかよくわからない。


場 所:JR神戸駅の南、モザイクの 2F-23
営業時間: 11:00〜20:00
電話番号:078-360-0774 
入場料:300円(税込)

某月某日

例年のことだが、クリスマスの頃は「大学入試センター試験」までひと月を切り、最後の追い込みに入っている。そのため、クリスマスと言ってもそれらしいことは何一つしていないのだが、それでも食事に行けばテーブルの上にキャンドルが灯っていたり、小さい子供がいる席ではキャンドルの立っているケーキが出ることもある。

キャンドル

照明を落とした薄暗い部屋でロウソクの炎が揺らめいているのをながめていると、ついいろいろなことを連想してしまう。いつも真っ先に出てくるのは「諸行無常」や「存在と無」といったことなのだが、ヨーロッパの城にある牢獄も条件反射のように私の頭に浮かんでくる。これは昔イタリアで見た本物の牢獄、壁はすべて石、前面だけが鉄格子という牢なのだが、夜になれば完全な闇になる。ときおり見回りにやってくる看守は手にロウソクを持っている。このときのロウソクが印象深かったせいか、ロウソクというと、このような石でできた牢獄を思い浮かべてしまう。自分がこんなところに何年も閉じこめられたらと想像すると、それだけでぞっとしたからかも知れない。ひょっとすると、私の前世はジャン・バルジャンかエドモン・ダンテスか?

キャンドルの幻想的な雰囲気はマジックにもよくあうせいか、ステージマジックでもよく使われている。ランス・バートンのキャンドルルーティンもそうだが、火のついたロウソクが指の間で次第に増えていくキャンドルマニピュレーションも昔からよく演じられている。

「ロウソクの科学」クリスマスとキャンドルと言えば、もうひとつ思い出すことがある。物理の「電磁誘導」や、化学の「ファラデーの法則」でよく知られているマイケル・ファラデー(1791-1867)が、ロンドンの王立科学研究所でクリスマスの時期に行っていた特別講演、クリスマスレクチャーである。1861年のクリスマスの時期に行った第一回目の講演はロウソクを使い、6回連続の講義を行っている。このときすでにファラデーは69歳であるが、当時の講演記録を読むと、参加者を引きつける話術、実験全体の構成のうまさには、ショーを見ているような楽しさがある。

たった1本のローソクからでも、いかに多くのことを学べるか、それを興味深い実験を織りまぜながら見せていた。このときの講演は、英語の正式名称は"The Chemical History of a Candle"となっているため、実際にはローソクを使って科学の歴史を紹介するという主旨なのだろう。

クリスマスの時期に開催されたこの講演は、元来小さい子供達に科学への関心を向けさせるものであったが、ファラデーの名声に加えて、巧みな話術やわかりやすい解説が評判を呼び、王侯貴族から一般市民まで幅広い層の観客が押しかけたそうだ。クリスマス講演はファラデーが亡くなったあとも毎年様々なテーマで続けられ、1961年には100回を記念した出版物も出ている。

「ロウソクの科学」の第一回目は、「一本のロウソク その炎・原料・構造・運動・明るさ」となっている。

この回だけでも実にさまざまなことが学べるのだが、私が小学校の3年生の頃に知って、私自身がよくやっていた実験が含まれていた。当時、私の愛読書のひとつに、子供向きにわかりやすく、化学や物理の現象を解説した本があった。その本で「慣性の法則」や「摩擦」も知り、わくわくしながら読んだのを覚えている。

またこの本には、ローソクを使った実験もあった。

ローソクに火をつけておいて一度吹き消す。まだ煙が出ている間に、マッチの炎か、別のローソクの炎をその煙に近づけると、まるで炎が飛び移るかのように消えたローソクが再びともる。ローソクの太さや空気の流れによるが、数センチ離れた状態でもこのようなことが起きるため、魔法のように見えたものであった。ファラデーはなぜこのようなことが起きるのかを実験を重ねることで教えてくれる。このあたりの手順のうまさは、ファラデーが実験で行うことで数多くの発見を成し遂げてきただけに、まさに真骨頂といってもよいほどうまい。ある現象を解明するためには、どのような手順を踏んで実験を行えば良いかが、知らず知らずのうちにわかるようになっている。科学に興味のある子供なら、これだけでも智が開かれる思いがするはずである。

一度消したロウソクが再び灯る実験は比較的よく知られているのだが、小さい子供がいるところで、ロウソクがあれば私は今でもよくやって見せている。消えたロウソクに火が飛び移るのはそれなりに不思議だと思うのだが、このままではマジックと言えるほど強烈な現象でもないだろう。多少なりともマジックらしくするために、私はFantasioの "Thumb Tip Flame"を使っている。これは普通のサムチップにちょっとした加工をしただけなので、簡単に自作もできるがVernet Magicから商品として販売されているため詳細は省略する。買ったとしても10ドル程度のものだろう。

現象としては、まず1本のロウソクに火を灯し、左手で持つ。右手を軽く開いて、何も持っていないことをさりげなく示した後、右手の人差し指と親指を炎に近づけ、指先で炎を摘む動作をする。すると指先に炎がともる。まるで火のついたローソクの芯をちぎって、持っているかのように見える。左手のロウソクは、このときまだ燃えている。ローソクに息を吹きかけ消し、右手の指先にある炎を近づけると、再びローソクがともる。右手の指先の炎を吹き消すか、指をこすりあわせて消してしまう。右手を開いて、何も持っていないことを示す。

ざっと以上のようなことをやってみせるだけなのだが、指先で炎を摘むという現象が見慣れないせいもあり、これだけのことでも子供達は驚いてくれる。もう少し凝ったことをしたいときは、この後フラッシュコットンかフラッシュペーパーを使って、何かを出現させている。

また最近では変わったデザインのキャンドルもいろいろとある。中にダイスが入っているもの、たまごの形をしていて、二つに割ると中から芯が出てくるものなどもある。このたまごキャンドルを使うと、借りた指輪が完全密封のたまご型キャンドルの中から出てくるといったマジックもできそうである。

マジックが少しでも出来ると、この程度でも喜んでもらえるのだから重宝する。

『ロウソクの科学』
ファラデー /三石巌訳
角川文庫 ISBN4-04-312701-4

某月某日

大阪駅から見えている「空中庭園」のある建物、梅田スカイビルにはクリスマスシーズンになると高さ30メートル近くある巨大なクリスマスツリーができる。今年はドイツのハイデルベルクから来ている店が数十出ていた。ドイツ特産のビールやソーセージが食べられたり、キャンドルやクリスマスにあう小物類を扱う店などがあった。

スカイビルのツリー

このようなドイツからの売店のなかで、私が興味をひかれたのは、針金やボルトナットなど、金属を加工して小物を作る店である。自転車や鉄砲、動物などいろいろなものがものが針金を中心にして出来ている。鉄でできたバラの花もあった。大きさは本物のバラと同じくらいであるが、持つと大変重く、凶器になりそうなくらい危険なバラである。これだけ1本買った。

鉄のバラ

会場周辺にはドイツから運んできた小型のメリーゴーラウンドもあり、普段は何もない場所なのに、臨時の遊園地になっていた。

スカイビルの上、空中庭園のある39-40階のフロアーは展望台にもなっている。ここでは、先ほど紹介したデビッド・カッパーフィールドの顔を使ったイラストを描いていただいたY.S.さん製作のドールハウス、「シダーウッド物語」がパネルで紹介されていた。通路全体が円形になっているので、壁にそって展示されていた。

「シダーウッド物語」はネズミの親子がくりひろげるほのぼのとしたストーリーを、ドールハウスを使うことで立体的に展開している。木に小鳥の家がある場面など本物を使って撮影したのかと思うほどよくできている。写真ではわからないが、実物は机の上に乗るほど小さい木や、角砂糖くらいの大きさの鳥小屋であるとうかがって驚いてしまった。

今回スカイビルでは「ほのぼのクリスマス」をテーマにイベントが開催されていた。スカイビルの関係者が偶然Y.S.さんのサイトをご覧になり、展示の要請があったようである。インターネットの世界は、ほんとうに誰が見ているかわからない。

ドールハウスのパネル展示

ここからさらに階段を使って屋上に上がると、地上170メートルの高さから大阪の街が一望できる。夜景が美しいのだが、私が行ったときは太陽が沈む直前であり、空もまだほんのりと明るかった。雲が、沈みゆく太陽に下から照らされ、ライトアップされているようで、幻想的な雰囲気がただよっていた。

空中庭園の屋上から見た雲

このような場面に出会うたびにこの宇宙はひとつ、万物は一如であると了解できる。

 また見つかった、
 何が、永遠が、
 海と溶け合う太陽が。

   ランボー「錯乱U」


 ランボーは若くして宇宙と言葉の秘密を知ってしまった。うちの祖母は何の学問もない人であったが、毎朝起きたら太陽に向かって手を合わせていた。太陽は、知識や理屈を越えたものを私たちに向かって放っている。そしてあるとき、自分の体から逆に光が放出されていると感じるとき、梵我一如の境地にたどり着く。

某月某日

毎年大晦日の夜9時頃といえば年賀状を書いている。いや、書いているというのは正確ではない。プリンターで刷っている。25日頃までには終えておきたいと思いながら、気がついたら大晦日になっている。これを30年間、凝りもせずに繰り返してきた。せっぱ詰まらないとできないというこの悪癖は中学生の頃から気がついていたが、本当になおらない。ここまで来れば「悪癖」というより、これが地であると思うよりしょうがない。

それでも今年は例年より1日だけ早くこの作業が終わった。30日の夜には刷り終えていた。30年かけて1日分だけ進歩したのか……。地球の歴史を見るような思いがする。

大晦日はどこかに出かける予定もなかったため、ひさしぶりにNHKの「紅白」を見た。裏番組をチェックしてみると、時間つなぎに何かをやっているという雰囲気ではなく、ここ数年は本気で対抗番組をぶつけてきている。NHKも視聴率の低下に歯止めを掛けようと、躍起となっているようだ。

今年の紅白の目玉は、なんと言っても中島みゆきであろう。昔から出場依頼はしていたが、紅白の会場で、他の出場者達と一緒に、恥ずかしくなるような応援合戦にまで引っ張り出されることには耐えられないため、これまで拒否してきたという面もあるらしい。黒四ダムからの中継であれば、そのあたりのことがクリアーできる。どれだけ金がかかっても、出てもらえるのならということで、NHK側もすべての要求をのんだようである。中島みゆきにすれば、黒部のトンネルの中は零下二度という寒さであるが、応援合戦の恥ずかしさに比べたら、まだこちらのほうが耐えられるということなのかもしれない。

隠れ中島みゆきファンは昔から大勢いた。それがここに来て、NHKの人気番組「プロジェクトX〜挑戦者たち」のテーマソング「地上の星」を歌ってからは、新しく中島みゆきファンになった人が急増している。私も随分前から携帯の着メロには「地上の星」が入っている。

最近の携帯電話は誰からかかってきたのかわかるように、発信者別に曲を変えることができるため、ある人(グループ)からのものだけ、この曲が鳴るようにしている。他の曲としては"LADY MARMALADE"、これは映画「ムーラン・ルージュ」のサントラからとったもの。さらに女性プロマジシャン瞳ナナさんの「魔女伝説」や、リッキー・マーチンの"Livin' La Vida Loca"も入れてある。

「魔女伝説」というのは、

「千年前にハートを奪われ〜♪」

というあの曲である(汗)。一昨年テレビでやっていた「マジック王国」で一度聴いただけなのに耳について離れない。この着メロはマジック関係の知人、それも女性からの電話のときだけ流れるようにしている。2曲で月に50円という着メロサイトがあったので、そこからダウンロードした。この曲だけ落として、すぐに退会すれば50円で入手できる。

瞳ナナさんのサイト「魔女伝説」に行けば、そのあたりの情報もあるので、興味のある方はどうぞ。

本当はMr.マリックのテーマ曲を入れたいのだが、どこかで着メロを作ってくれないものだろうか。これが携帯に入っていればマジックを見せるとき、シャレで流すだけでもウケるにちがいない。着メロとしては無理なら、インターネットの適当なサイトに曲を置いておき、そこにアクセスして流すという手が使えるのではないかと考えている。「オリーブの首飾り」は着メロでも入手可能だが、これはいくら何でも恥ずかしすぎて使えない。


「着メロ情報追加」(2003年1月23日)

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