Ancestors 3

人類の祖先についての最近のお話 その3

もくじ

はじめに
ヒト誕生のころ
猿人段階
原人段階
旧人段階
新人段階
ヒトはいつ裸になったのか・・島泰三氏への反論


FOXP2 遺伝子と言語獲得

「言語遺伝子の発見」という話は、2年以上前になるわけで、WEBでかなり詳細を読んでいたんですが、最近、NHKの「地球大進化」の第6章の本のほうを読みまして、で、そこに、「言語遺伝子FOXP2」の話として、その遺伝子の起源が20万年前以降、たぶん、10万年前以降で、5万年前ではないか、という話が書いてありました。でも、人類全部にわたって、遺伝子が共通で、かつ、人間に一番近いチンパンジーの遺伝子との違いがあった場合、その違いとなる突然変異が起こった時期は、チンパンジーと人間が別れたたぶん、800万年前から500万年前から現在まで、あるいは、世界の人類の共通祖先がいた時代、女系では15万年前、男系では5万年前ですので、そのころまで以前のいずれかの時代とするのがふつうで、突然変異の起こった時期が正確にわかるはずはない!と思って、いろいろ調べてみました。

さて、FOXP2遺伝子の話を簡単に書きましょう。アメリカにおいてKE家族と呼ばれる家族がいて、その家族では、約半数の人たちに重大な言語障害が現れるため、これは家系的なもので、遺伝的なものであろうという推定が為されました。その後、この重大な言語障害のもとになっていると思われる遺伝子が発見されました。それがFOXP2遺伝子です。 神経系に近いところの遺伝子発現制御に関わるものだそうです。で、この遺伝子が壊れていることで、このKE家族とよばれる家系においては、口を動かすための神経系に障害がでて、さらにそれだけでなく文法理解などの面でも障害が出ると言われています。さて、ここまでの話は、最近よくある、「なんちゃら病の原因遺伝子を特定」っていう記事です。で、そのあと、このFOXP2遺伝子について、霊長類から、ネズミまで人類と近縁な種について調べられました。その結果、ネズミとヒトでは、この遺伝子によって発現するタンパク質のアミノ酸配列が3カ所で異なっていて、また、チンパンジーやそのほかの霊長類とでは、2カ所で違っているということがわかりました。ついで、その二カ所の違いについて、その突然変異が起こったメカニズムを調べると、20万年前以降で、おそらく5万年前ごろに起こった突然変異だというのです。そこで、結論として、人間が言語を獲得したのは、このFOXP2遺伝子がチンパンジーのものとは違うようになった二カ所の突然変異が起こったあとであり、よって、人間の言語獲得は20万年前以降で、たぶん、5万年前で、よって、20万年前以前に分かれたネアンデルタール人は言葉が話せなかったという結論が与えられるわけです。

さて、まず、FOXP2遺伝子の機能が、言語に関わる口の運動や文法理解に関わるような部分に影響するものである、というのは、まあ、よいでしょう。で、この遺伝子に問題のあるKE家族では、言語障害が出るわけです。ところが、このKE家族における遺伝子の壊れ方と、ネズミや霊長類のFOXP2遺伝子と標準的なヒトの遺伝子との違いの場所は全く違うわけです。つまり、いまのところ、ヒトのFOXP2の遺伝子を二カ所ないし三カ所変更して、チンパンジー、あるいはネズミのFOXP2と同じ配列にしたところで、それが言語の獲得や学習に重大な影響を及ぼすかどうかは、全く不明です。もちろん、これを実験することはできません。じゃあ、逆に考えましょう。ヒトのFOXP2と同じ配列をもつネズミ、あるいはチンパンジーを作ったとして、その「GMネズミ、GMチンパンジー」は突然言語能力を発揮するでしょうか?これもまたあり得ない話です。よって、現状において、FOXP2遺伝子における、ヒトとチンパンジーとの違いである2残基分のアミノ酸置換が、言語獲得の時期と関係することは、仮説としてはありえても、全く証明はできないことになります。

次に、ヒトの言語獲得については、たった一発の遺伝子でどうにかなるものではないことは明らかです。チンパンジーは、現在のところ、遺伝子的にみて人間に最も近い動物ですから、ヒトが言語を獲得するにあたって、チンパンジーと比べてみるといろいろわかると思われます。脳神経的な話や認知的な話はおいといて、人間は、ハードウェアとして、言葉を話すようにできています。まず、人間は随意呼吸が可能です。呼吸を止めると、生理的に大きな問題がおきますから、呼吸は無意識で行われるわけです。寝ていても、また、気を失っても呼吸は続けなければならないので、ふつう、呼吸をするための肺の運動などは、すべて、脳幹の奥底からの信号で行われています。チンパンジーもこの調子なので、逆にこれでは、呼吸を止めることはできません。ところが人間は意図的に呼吸が止められます。また、苦しくないのに深呼吸することもできる。苦しいけれど、心臓がばくばくいっているときに、短時間呼吸を止めることもできるわけです。歩きながらも、呼吸のリズムは歩調と一緒でなくすることもできます。これは、呼吸がかなり随意的であることになります。ただし、呼吸をとめすぎると生理的に問題が起こるので、呼吸を止めているとだんだんと苦しいと感じるようになって、それで呼吸は意図的に再開されるように促されるわけですね。ただし、寝ているときなどは無意識で呼吸をしますから、基本的な呼吸をするための肺の筋肉制御はやっぱり脳幹部から出ているのですが、それに対して、随意的な部分で、インタラプトがかかるようになっているのが人間の呼吸制御の仕組みです。これはチンパンジーにはありません。呼吸が随意的にできれば、しゃべることができる。言語活動は随意的なものであるから、呼吸がコントロールできない段階では、音声は、ふつうの呼吸にのせるしかなく、非常に制約の厳しいものになってしまいます。ようするに、ヒトが音声言語を発展させるためには、どうしえても随意呼吸を可能にする神経的な配線がなされないといけません。FOXP2は、その遺伝子の発現する場所からして、これとは無関係でしょう。

次に、人間が音声言語を用いるためには、喉頭の位置が下がって、音の共鳴の場を用意する必要があったようです。この結果として、ものを食べながら呼吸をすることができなくなりました。赤ちゃんは喉頭の位置が猿と同じなので、ミルクを飲みながらでも、呼吸が可能ですが、幼児期以降、次第に喉頭の位置が下がってきて、いろいろな音声がだせるようになります。母音の種類などと関係するらしく、たとえば、ネアンデルタール人の場合、この喉頭の位置が高い位置にある猿に近い状態なので、母音が非常に少なかったのではないか、と言われています。この喉頭の位置を変化させるのは身体の形に関することだから、神経系の発現ネットワークに関わるFOXP2遺伝子は無関係でしょう。 さて、最後になるのが、肺の呼吸の微妙な調整と、舌や口の運動との問題です。ふつう、多くの言語では、20近い数の子音があります。母音については、のどの共鳴ですから、ふつうに声をだして、口の形を変えれば、何種類かの母音が出せます。永続的な音です。喉頭の位置が十分にさがれば、母音は多数出せるようになります。その意味で、喉頭の位置が低いネアンデルタール人は、二母音程度しか発声できなかったとする説は正しいように思います。では、子音はどうでしょう。子音を発声するには、たとえば、m の発音なら、唇を閉じて、呼吸を鼻に抜きながら声帯を震わせて鼻音を出し、その後、唇を開いて、通常の母音をだすようにすることで、m の発音ができます。しかし、この唇の動かし方に対して、肺からの呼吸が調整されていないと、鼻に空気が抜けなかったり、口の中に空気がたまったりします。そのタイミング制御はかなり大変です。破裂音になると、口の中の圧力調整と肺からの空気の両、圧力などをかなり微調整しないと、うまくいきません。このため、解剖学的には、ヒトの脊髄は肺の裏側あたりまでは非常に太く、ここから肋骨や各種の肺を動かす筋肉に細かい神経が多数つながっていて、この神経で、横隔膜やそのほかの肺を動かす筋肉を微妙に調整し、これによって、複雑な子音を出すことが可能になっています。さらに、舌の神経なども微妙に調整されていて、それでいろいろな種類の子音の発音が可能になっています。どうやら、FOXP2遺伝子はこの制御と関係しているらしいことがわかっています。解剖学的には、肺の裏側の脊髄の神経束の太さからすると、160万年前のホモ・エルガスターは猿並ですが、ネアンデルタール人は現代人並ということです。とすると、この肺の微妙な制御が可能になったのは、ネアンデルタール人と現代人の共通祖先のころにまでさかのぼりまして、およそ50万年前ごろになりましょうか。FOXP2が劇的に関係しているとすれば、口の中の動きの制御で、非常に微妙な子音の違いなどとからむのかもしれません。

もちろん、これだけではありませんが、音声言語を話すようになるには、かなりいろいろな進化が絡んでいます。呼吸の随意化、喉頭の位置の変化、肺の筋肉の微調整と脊髄の中の神経束が太くなること、などが重要ですが、それ以外にも多数のハードウェア的な発達が必要だったでしょう。という意味では、ヒトが言語を獲得するには、かなり長い時間がかかり、その間に、それぞれの段階で可能なレベルの音声言語が使われていたとみるべきでしょう。とすると、音声言語の獲得は、百万年以上前から始まり、だんだんと高度なことがハード的に可能になったということになります。ネアンデルタール人については、母音は二種類程度だというのを認めるとしても、ほかの点、たとえば、子音の調音は、現代人よりも不器用だったかもしれません。さらに、ヒトの場合、言語のために、食事をしながら呼吸ができないとか、随意的に呼吸ができるなど、生存をおびやかす方向にまで進化しているのですから、ヒトが言語を獲得することは、これらの不利な点を補うほど重要な利益があったとみるべきで、しかも、その利益は、これらハードウェア的な進化が最初に起こる前から、重要なものであったということになります。つまり、随意呼吸もできず、子音も作れず、母音も1種類しかないような状況でも、十分に意味のあるコミュニケーションがあって、それができることが生存の上で、あるいは子孫を残す上で重要であったからこそ、それらのコミュニケーションにおいて多少でも有利になる進化、すなわち随意呼吸は喉頭が下がることや、子音が可能になるようにすることなどが、つぎつぎに選ばれてきたということだと思われます。

こうしてみると、言語遺伝子FOXP2とはなんなのか、たとえ、その遺伝子におけるチンパンジーとの違いの二カ所の残基置換の突然変異が言語をはなす上で有利な違いであったとしても、それは、せいぜい、人間の長い言語獲得においては、ほんのちょっとの違いでしかなかったと思われます。つまり、言語獲得に関わる一連の進化の中で内容的にしめる割合は、たかだか数パーセントにもならないのではないか、と結論できます。

さて、では、FOXP2遺伝子のチンパンジーと異なる二残基の違いに関する突然変異はいつごろ起きたということなのか、ですが、これについて、計算機シミュレーションで、求めたということが論文には書かれているようです。周囲のほかの遺伝子との関係から、などとも言っているようです。しかし、これは、遺伝学的にみてあまり確立した方法での突然変異時期の推定ではないようです。むしろ、ミトコンドリアDNAからもとめた人類の祖先が20万年前から15万年前ごろで、また、後期旧石器時代の始まりが5万年前ごろだということをあらかじめ知った上で、これらの時期に合わせようとして、20万年前から5万年前という結論をだしたように見えます。よって、たとえ、計算機シミュレーションでの推定ができたとしても、それは、オーダーとして、100万年前から現在までなのか、それとももっと前のことなのか、程度を見分けることにしかならないように思うのです。このような点からしても、ネアンデルタール人がしゃべれなかったとするために、いろいろな証拠というものが出されているけれど、実際にはそれらはあまり確実な証拠とはなっていない、ということではないでしょうか。



はじめに

さて、人類の祖先についての最近のお話と、 人類の祖先についての最近のお話 その2の二つのページで、いろいろ読んだ本とかそういうのをベースに書いてみたんですけど、正直、ここ10年の古人類学の進歩は非常に恐ろしいほど速いっていう感じで、数年の間にどんどん変わってしまう。邪馬台国論争のときも、1997年以降くらいで、急激な変化があったんだけれど、だから、そっちも1998年以降出版のまともな本でないともう時代遅れっていう部分がありましたが、こっちの古人類学のほうもまさにそういう感じで、たぶん、21世紀に入ってから書かれたもの以外は、参考程度、っていうような状況になりつつあるかと思います。そこで、一応、まとめてみようかな、と思ったりします。

まあ、私も素人ですから、素人として一番わかりやすいようにして、さらに、多少「とんでも的」な部分があったとしたら、そういうことを明示的にしめしつつ、書いていこうかなと。

で、新人段階のところがなかったので、大幅に書き加えました。なんか、一部内容がかぶっっていて、重複も多いですが、これもおいおい整理していきますので、よろしくお願いします。


ヒト誕生のころ

現生人類は、homo sapiens という学名で、homo 属の sapiens 種ということになりますけど、現在のところ、homo 属の動物というのは、ほかにはいません。また、世界各地には、いろいろな民族がいて、いろいろな生活習慣や言語があって、文化も違い、もちろん、見たところ、肌の色もずいぶん違うし、体格も大きく違っていて、一方で、平均身長が2メートル近いような大柄な集団もあれば、120センチ程度の小柄な集団もあります。けれども、現在、まず、どのような民族どうしでも、混血することが可能であるし、また、混血で生まれた子供もまた完全な生殖能力をもつという点では、全く同じ種に属するということになります。1990年代に入ってから、DNAの分析が普及したこともあって、いろいろな民族のDNAの違いを調べたりもできるようになりました。その結果わかったことは、DNAから見て、人種というのは定義ができないということです。DNAの中でも、とくに変化が激しいミトコンドリアDNAの中のさらにとくに頻繁に変化しやすい領域を調べてみても、世界のさまざまな民族、地域集団間の違いは、その共通祖先のいた時代が長くみつもっても、20万年程度にすぎない程度でしかないといわれています。つまり、20万年前か、あるいは10万年前くらい前に、全人類の共通祖先だったヒトがいたということになります。逆にいえば、現在のさまざまな地域集団ごとにことなる肌の色、言語、生活習慣なども、せいぜいここ10万年の間に形成されてきたことだということになろうかと思います。

さて、一方、現在、DNAの解析などからしても、また、形質上の特徴などから考えても、ヒトにもっとも近い存在は、チンパンジーであり、ついでゴリラ、それからオランウータン、そして、テナガザル、というような順番で、ヒトは、類人猿、つまり、尾の無い霊長類の一種であるということがわかります。で、チンパンジーとヒトとが共通祖先から別れたのは、ミトコンドリアDNAの違いからは、おおむね500万年前から800万年前ということなっていて、ゴリラとは、800万年か1000万年。オランウータンなどとは、1200万年前ごろ、などということがわかってきます。ゴリラもチンパンジーも現在アフリカに生息しているわけで、ヒトもまた、これらアフリカの大型類人猿の一派から現在にいたったということになりましょう。なお、チンパンジーについては、一般のチンパンジー以外に、ピグミーチンパンジーあるいは、ボノボと呼ばれる種(あるいは亜種)がいます。以前ははっきり区別されていなかったチンパンジーとボノボについて、最近では別の種であるという認識になっていますが、ただ、両者の間で混血することも知られているので、本当に種として分けてしまうべきかどうかは難しいところですが、ただ、両者は生態的にみて、かなり違うのも事実なので、一応、別種としておきましょう。で、そうなると、チンパンジーとボノボとヒトとの間の関係が難しいのですが、ミトコンドリアDNAの分析によれば、ヒトとチンパンジーが分かれた後で、チンパンジーとボノボが分かれた(たぶん、300万年くらい前)ということなので、以前は、ボノボとヒトのほうが、チンパンジーとヒトよりも近いか遠いかなどと議論がありましたが、今では、チンパンジーもボノボも、ヒトからは同じ程度の違いがある、ということになりましょう。

ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒトは、その共通祖先の時代から1000万年程度たっていると思われるわけで、だとすれば、この四種を比べると、共通祖先がどのようなものであったのか、なんとなくわかるかもしれません。実際のところ、この共通祖先については、化石などの資料が全くといってよいほどないわけで、推測するしかありません。実際不思議なことは、いまのところ、ヒトの祖先の化石というものは、いろいろみつかっていて、500万年前ごろのもの(かなり怪しいかも)とか、400万年前の猿人とか、そして、250万年前ごろの初期 homo 属のものとか、かなりあるのですが、ゴリラやチンパンジーの化石というのは、実際のところ、皆無といってよいような状況です。で、素人的にいえば、たぶん、500万年前とかのチンパンジーとゴリラとヒトの共通祖先、あるいは、共通祖先からそれほどへだたっていない時代においては、互いにかなり似た動物だったので、現在初期人類(あるいはホミニド)の化石とされるものの中には、実は、ゴリラやチンパンジーの祖先の化石も混ざっているのではないかと思うわけです。

では、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒトを実際に比べてみます。これが案外面白い。まず、社会。ゴリラは、雄のボスが、周囲に雌を数頭したがえる、ハーレム的なものです。次に、チンパンジーは、乱交的で、集団内に序列はあるけれど、複数の雄と複数の雌が一緒に集団を作ります。序列の高い雄ほど、交尾の機会が多いというようなことはあるけれど、ゴリラのようなハーレムとは違うようです。ボノボは、ほぼチンパンジーと共通しているけれど、交尾が社会的なコミュニケーションとしてつかれていて、非常に頻繁で、普通の雄と雌と言う組み合わせ以外に、雄どうしも、雌どうしもありえるというかなりやりまくりな社会のようです。ヒトは、というと、一夫多妻から一夫一婦から、一妻多夫までなんでもありだけれど、まあ、原則としては、一妻多夫はあまり多くなく、基本的には、一夫一婦制と一夫多妻のどちらか、ということになりましょうか。で、このアフリカの大型類人猿と、ヒトだけで考えるとわかり難い部分があるんだけれど、ヒトの一夫一婦制というものを、同じく類人猿で、ただしアフリカ型類人猿とはかなり遠い、テナガザルの一夫一婦制と比べてみると、かなり違います。テナガザルは、ほぼ完璧な一夫一婦制で、しかも、生涯を同じ伴侶とともに暮らします。で、子供ができると、両親がそだてて、やがて子供たちは巣立っていくというもので、かつ、その家族というものは、他から完全に独立していて、夫婦と子供からなる家族が多数あつまって群を作ることはないとされています。これほど仲むつまじいおしどり夫婦でありながら、交尾をするのは、年に数回とか非常に少ない。人間の夫婦の場合、熟年になっての仮面夫婦のような場合はおいといても、結婚して、性行為が年に数回などでは、離婚の原因にもなりましょう。っていうわけで、テナガザルの一夫一婦制とヒトの一夫一婦制はかなり違うことがわかります。また、ゴリラのハーレム的な社会も、他の霊長類のものとは違っていて、集団のボスの雄が年老いたり、あるいは死んだりした場合には、その集団で生まれた雄が集団を受け継ぐことになっていて、つまり、ボスにとっては、同じ集団の自分の息子たちが、ライバルであって、息子がボスになる、というものです。集団で生まれた雌は、ある程度の年齢になったら、集団から離れて、別の集団に「嫁入り」します。だから、集団には、ボスである雄と、そのボスの複数の妻、それも、それぞれ異なる集団からやってきた妻たちと、そして未成熟の子供、さらに、成熟して、集団のボスになることをねらっているボスの息子たちが存在することになります。ということは、集団内の雄はみな父子あるいは兄弟関係があり、血縁ですが、未成熟の雌を別にすれば、雌は、その出自集団がみな異なるわけで、集団に嫁入りしてきたものたちということになります。他の霊長類、たとえば、よく調査されているニホンザルの場合は、集団内の雌がみな母子あるいは姉妹関係にあり、雄は成熟すると群をでて、別の群に「婿入り」する形をとりますので、集団は母系的です。それに対して、ゴリラの場合は、父系的であるというわけです。同じことは、乱交的なチンパンジーやボノボでも同じで、集団内にいる雄たちは、みな兄弟、父子関係で、成熟した雌は、どれも出自が異なる「嫁入り」してきたものたちだということになります。で、もう一つの類人猿であるオランウータンの場合は、というと、単独雄と、母子集団という形をとります。雄はほぼ完全に単独で独立し、一人であっちこっちうろつき、子育ても一切しません。雌は子供をそだてて、自分の子供とともに数頭で移動し、交尾期になると、単独雄と交尾して、そのまますぐに雄とは別れるというものです。

まず、こういうわけで、ほとんどの霊長類、つまりサルは、母系的な集団をつくり、ボスは雄だが、ボスの周りの雌は母子姉妹関係にあり、雄は他の集団からやってくる、というものであるのに対して、類人猿は、テナガザルの一夫一婦制やオランウータンの単独雄と母子集団というもの、ゴリラの父系的ハーレム、そしてチンパンジーの父系的乱交集団、そして、ヒトの場合は、いろいろではありますが、原則として、集団を作る場合は、かなり父系的なものが多く、雌が集団に「嫁入り」するパターンが多いことになります。これはヒトの場合でもある程度は言えることのように思うんですけど。

というわけで、ゴリラ、チンパンジー、ヒト、と言う形で考えると、ゴリラのハーレム社会では、集団内の複数の雄は、兄弟、父子関係にあって、ただし、最上位のボスだけが、他の集団から来た雌を独占する形式で、チンパンジーは、一応集団内で序列はあるが、最上位の雄以外も、他集団から来た雌と交尾することもあるし、それで子供が産まれたりもしているし、また、最近の調査では、雌が他集団の雄と浮気をすることもかなりある、ということがわかったので、まあ、複数の雄と複数の雌が、ある程度大きな集団で、交尾は比較的自由にやっています、ということになり、ヒトの場合は、一つの大きな集団があって、それはどっちかというと父系的な集団で、本家と分家みたいな状態で、ただし、女性は、できるだけ別の集団から嫁入りしてきて、大きな集団の中に、一夫一婦的な夫婦とその子供たちという家族がある、というわけですから、まあ、集団の構成、社会の構成という意味では、ゴリラ的なものから、チンパンジー的なものを経て、ヒト的なものへ、スムーズにそれぞれつながるように思います。で、オランウータンは、単独雄と未成熟な子供をつれた雌の母子集団という形式なので、これは、ゴリラの社会の前段階に近いのではないか、と思われるわけです。テナガザルの一夫一婦制は、ヒトの一夫一婦制とはかなり異なるので、これは由来が違うと思われますし、また、他の類人猿以外のサルと比べると、これは母系集団ですので、そうなると、そもそも、初期類人猿は、類人猿以前のサルの母系社会をいったん破壊して、一夫一婦制(テナガザルの場合)や、単独雄と母子集団という形(オランウータン)になり、アフリカにおいては、単独雄と母子集団複数が一緒に集団を作る形でゴリラ型のハーレム社会ができて、その中で、ボスによる雌の独占という形が崩れて、チンパンジー型の、複数の雄(ただし兄弟、父子関係にある)と複数の雌(出自集団が異なる嫁入りしてきたものたち)が大きな集団を作るような社会になって、雌がボスによって独占されず、乱交状態になり、その後、乱交状態にある程度の秩序が与えられると、大集団の中に、一夫一婦制に近い形の夫婦とその子供からなる家族という下部集団が形成されたヒトの社会に近いものができた、と考えられるわけです。

このことから、チンパンジーと別れたあとのヒト、500万年くらい前の猿人は、基本的にチンパンジー型の社会で、場合によっては、夫婦と子供という家族が、集団内に存在していた、と考えられます。

アファール猿人の歩き方の図

次に、歩き方を考えてみますと、ヒトの場合は、直立二足歩行です。よほどものぐさな人間でも、四つん這いで歩くということは、寝起きや身体がよほどよわったとき以外はしないし、赤ん坊も、1歳をすぎれば、よたよたしつつも直立二足歩行をします。もちろん、現代人は、移動のためには、座ったままの姿勢で自動車や電車や飛行機で、っていうこともありますが。では、この直立二足歩行は、他の動物ではどうか、ということですが、まあ、鳥類は、飛ぶ以外に地上や木の上を歩くなどでは二足歩行をしますが、ヒトとは違う姿勢です。鳥類は恐竜の子孫っていうのがかなり確実になってきましたから、鳥類の二足歩行は、恐竜の二足歩行をベースにしているんでしょう。では、ヒトに近い霊長類全般で見てみると、二足歩行は、頻度は少ないけれど、他の霊長類でもある程度可能ではあります。もちろん、哺乳類全体でも、イヌやネコ、クマなどもときには後肢で立ち上がることはしますが、かなり不安定です。サルの中では結構上手に人間のように二足歩行するものもいます。で、類人猿になると、地上を移動するときに二足歩行を頻繁にしているのは、どうやら、ボノボで、ボノボの二足歩行は、結構前屈みではあるが、人間的な二足歩行にかなり近い。ゴリラもそれなりに二足歩行をします。チンパンジーもしないことはないけれど、基本的には、前肢の指を曲げて、グーをつくって、それで地面を押すような形にするナックル歩行をします。ゴリラも基本的にはナックル歩行ですが、手の構えはチンパンジーと多少違います。ボノボも、ナックル歩行はします。オランウータンやテナガザルはほとんど木の上で過ごすのですが、他の木の枝を前肢でつかんだ状態で、あるいは前肢を左右に広げてバランスをとりながら、木の上で、二足歩行をすることがあります。

なにがいいたいかというと、人間ほど二足歩行ばかりになって、四足歩行をほとんどしないのは他にはいないけれど、テナガザル、オランウータンは木の上で、ゴリラもチンパンジーもボノボも、必要に応じて二足歩行するし、その中ではボノボの二足歩行がもっともヒトのものに近い、ということがわかります。ゴリラが二足歩行をあまりしないのは、一つには、身体が重いことと関係ありそうです。チンパンジーがなぜ二足歩行をほとんどしないのか、はわかりませんが、ボノボの二足歩行がヒトと結構似た姿勢で行われることを考えると、直立二足歩行そのもののは、チンパンジーとヒトの共通祖先の段階でもかなり頻繁に行われていた可能性があって、ボノボ程度には、あるいはそれ以上、二足歩行を行っていた可能性も十分あるということになります。

では、化石からわかるのはどういうことか、というと、数少ない類人猿化石の中で、1000万年前の類人猿化石、オレオピテクス(イタリアのサルディニア島で発掘された)は、直立歩行していた可能性があると言われています。で、500万年前とか、あるいは700万年前とかの類人猿化石の場合、直立二足歩行をしていた可能性があれば、それは即、ホミニドの化石であって、チンパンジーやゴリラとは違う、とされているようで、じゃあ、直立二足歩行をしていた可能性はどこから示唆されるか、といえば、残っているのは、ほとんどが頭蓋骨の化石だから、その場合、頭蓋骨が脊髄につながる穴の方向が、チンパンジーよりも、直立歩行をしていたように思われるとかそういう理由がほとんどで、実際に、大腿骨とか骨盤の骨などで、「これは直立歩行していただろう」と思わせる証拠があるものは、たぶん、400万年前の初期のアウストラロピテクスの段階のものまでないようです。ここで言いたいのは、ボノボよりも多少直立二足歩行が発達した、そんな程度のものは、ここ1000万年の間にいろいろな系統で発達した可能性があって、それは、人類の祖先やオレオピテクスにかぎったことではなくて、アフリカあたりではいろいろあったかもしれない、ってことです。だとすると、400万年前の初期アウストラロピテクスは、確実にチンパンジーとは違うかなりヒト的なホミニドであったというのはよいとしても、それ以前の、700万年前だとかいわれるような、トゥーマイ猿人が、本当にホミニドなのか、それともたまたまボノボよりも多少二足歩行がうまかった程度の別系統のチンパンジーとかゴリラとかの一種なのか、というのはなんともわからないと思えるわけです。脳容積についても、身体が大きければ大きいかもしれないし。

であるからして、たぶん、1000万年前から500万年前くらいには、いろいろな類人猿がアフリカにはいて、その中の一種類がゴリラに、そしてまた一種類がチンパンジーやボノボに、そして、またその中の一種類が、ホミニドになっただけであって、そういういろいろな類人猿の中には、大きいのも小さいのも、結構二足歩行が上手なのも、いろいろいたんではないかと。ただし、ヒトに至るホミニドは、たぶん、その中では、かなり二足歩行が上手な部類だったということになろうかと思います。

中公新書の「親指はなぜ太いのか」という本は、結構考えさせられる本で、あそこにいろいろな霊長類の手の形が絵で紹介されているけれど、その中で、ヒトともっとも近いと思われるのはワオキツネザルだかのもので、類人猿の中ではチンパンジーの手よりはゴリラの手のほうがずっとヒトに近いこともわかります。たぶん、ゴリラのほうがチンパンジーよりも手が器用で、それは、ゴリラが葉食性で、葉から細かい棘を取るとか、器用なことをやっているからで、それに比べると、チンパンジーは主として果実食で、しかも枝をたぐり寄せて果実を食べるということが多いために、枝をたぐり寄せるのに適した、非常に長い手をもっていて、親指がかなり貧弱という印象があります。ボノボの手については、たぶん、チンパンジーと近いのだろうけれど、ただ、チンパンジーが二足歩行をあまりしなくなった理由は、かれらの生活習慣がそれを必要としないからであろうと思われます。単純に、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒトから、アフリカの大型類人猿の祖先の姿を考えれば、手は、ゴリラやヒトのものに近く、チンパンジーの長い手の形は、後から独立に進化したもので、ヒトの二足歩行とボノボの二足歩行が似ているなら、ヒトとチンパンジーの祖先も、同じような二足歩行を、場合によっては、ボノボよりも頻繁に行っていた可能性があって、それは、ゴリラがそれなりに二足歩行をする、っていうのとも対応付けられると思います。ナックル歩行ばっかりになったチンパンジーのほうが、あとからそうなったと思えるわけです。あと、ボノボとチンパンジーに共通の、雌が交尾期(あるいは発情期)に性器の周りを風船のように腫らすのは、これはゴリラにもヒトにもないことだから、たぶん、チンパンジーがヒトと別れてから、ボノボと別れる前に獲得した形質だろうと思われるわけです。

さて、アフリカの類人猿とヒトが大きく異なるところで、初期人類やホミニドの化石から考えて、これはヒトの特徴と言えることは、実際には案外少なくて、脳が非常に大きくなるのは、原則として、原人段階で、200万年前ごろに、チンパンジーの400cc程度に対して、800ccとかそれ以上という、倍近い大きさになるのですが、それ以前のアウストラロピテクス段階(猿人段階)だと、500cc 程度かそれより小さく、身体が若干チンパンジーより大きかった可能性があることを考えると、100cc程度の脳の大きさの違いは身体の大きさの違いに基づくものではなかったかと思われます。で、もし、500万年前とかに、大型のチンパンジーで、ボノボよりも二足歩行を頻繁に行っていた類人猿がいたとしたら、それはヒトとは無関係であっても、500ccくらいの脳と、直立二足歩行に適した、頭蓋骨と脊髄との配置をしていたかもしれません。私は、そういうののうちのいくつかが、現在では、初期ホミニドの化石として扱われている可能性があると思います。でも、現代のヒトがアフリカの類人猿と大きく異なるところとして、一つ、臼歯のエナメル質が厚い、という特徴があります。この特徴は、オランウータンももつので、以前DNAによる類縁関係がわかる以前は、チンパンジーよりもオランウータンのほうが、ヒトに近いのではないか、と言われていたこともあったし、おそらくオランウータンの祖先に近いとされるラマピテクスが発見されたときに、これが人類の祖先ではないか、といわれたこともありました。で、このエナメル質が厚いということは、歯が非常に丈夫だということで、堅いものが食べられるとか、そういうことになりそうです。で、アウストラロピテクスなど、400万年前ごろから登場する猿人の場合は、明確にこの特徴があり、かつ、その時代は、直立二足歩行の証拠として、大腿骨や骨盤、さらには足跡化石などもあって、その足跡からも、足の親指の配置は、ヒト的であって、チンパンジーやゴリラとはだいぶ違うので、このアウストラロピテクスは、おそらく、チンパンジーとヒトが別れて、かなりヒトっぽくなったあとのホミニドであることがわかります。もちろん、この時代のホミニドも、いろいろいたらしく、そこから傍系にわかれたパラントロプスなどもいますので、アウストラロピテクスがみな現代人の祖先ということではないでしょうが、かれらはホミニドであったと考えられます。で、このホミニドの化石をみると、エナメル質は丈夫だから、堅いものを食べていた可能性があるにも関わらず、歯は、チンパンジーなどよりいくぶん小さくなっていて、顎も小さくなりつつあります。で、パラントロプス類はむちゃくちゃ頑丈な顎をもつようになったから、それはおいておくと、初期のアウストラロピテクスは、エナメル質は厚いが、歯は小さく、顎も華奢になりつつある、ということで、だとしたら、いったいなにを食べていたのか、そのあたりが非常に難しい。顎がチンパンジーなどより華奢なのは、食べるのに力が必要なものではなくて、一方、歯は小さいけれど、すり減りに対して強い厚いエナメル質をもっていたのだから、なんか、大臼歯ですりつぶして食べるようなものを食べていたんではないか、ということになります。果実食が主流のチンパンジーとは多少ちがってきていたんでしょう。

ってことで、いままでのことをまとめると、チンパンジーの祖先と別れた直後の人類の祖先、初期ホミニドは、おおむねチンパンジーと同様の乱交状態の父系集団で暮らしていたらしく、かつ、ボノボよりも頻繁に直立二足歩行をすることがあって、そして、400万年前ごろのアウストラロピテクスに至るころには、分厚いエナメル質の歯をもつようになっていて、かつ歯は小さいし顎も華奢とすれば、草原にでて、二足歩行しながら、砂やら泥をくっちゃくっちゃ食べていたとか、あるいは、肉食動物の食べ残しの骨を石で叩き割って、こりこりとかじっていたとか、そういうことになるんではないかと思います。ただし、エナメル質が厚い初期ホミニドは、400万年前ごろになってなので、もし、チンパンジーとヒトが別れたのが700万年前ごろだとすれば、300万年の間は、いろいろあったはずで、それについては、チンパンジーの祖先の化石がみつかっていないのと同様、まだその時代のホミニド化石がほとんどないので、よくわからないということになります。でもって、オロリン・ツゲネンシスとか、サヘラントロプス・チャデンシスとか、あるいは、アルディピテクス・ラミダスなどと名前のついたホミニドとされる化石については、ホミニドなのか、チンパンジーの一種なのか、はてまたゴリラの一種なのか、絶滅したアフリカ類人猿なのか、なんともいえません。直立二足歩行も、今の類人猿よりはずっと広く行われていたものではないかと思います。

ちょっと追加

クレイグ・スタンフォード著「直立歩行 進化への鍵」青土社
という本が出版されました。2004年11月20日という日付での発行ですから、ゲットが早かったかな。面白いです。従来からある「ヒトはなぜ立ち上がったのか」についてのいろいろな説を紹介し、さらに、そこにかなり痛烈な批判をした上で、最終的には、派手ではないが、非常に納得できる結論を出しています。で、その話の一部は私が上で述べていることとも一致するような。

簡単にいえば、これまでのいろいろな「なぜ二足歩行を始めたのか」に関する説は、どれも、本当だろうし、どれもウソだろう、という結論です。ようするに、二足歩行に至るには、いろいろな理由があっただろうが、どれもただ一つの理由で二足歩行が始まったとしている点で問題があるということです。理由として、現在のところ、一応、300万年から400万年前のアウストラロピテクスの時代には、二足歩行がかなり完全に近い形で行われていたことについては、ほとんど異論はない状況であるが、このときのホミニドの分布をみると、実に多岐に及んでいて、東アフリカも南アフリカも、さらに若干に西に入ったあたりも、いろいろなところで、しかも、当時の環境を考慮しても、さまざまなところに二足歩行の類人猿がいたのだということです。しかも、それらの系統関係もよくわからない、としたら、ようするに、800万年前から500万年前ごろに、いろいろなところで、いろいろな理由で二足歩行が始まり、かつ、始まってしまったら、それは有利だったので、そういう二足歩行の類人猿は、あっちこっちで非常に繁栄したのだ、というわけです。それらが、あるときは離合集散して、その中から、人類へとつながるものが現れたという説です。

もともとは、チンパンジーの観察などがメインの方なので、考古学的な意味以上に、現在のチンパンジーの観察に基づく記述が多く、また、最近のいろいろなホミニド?といわれる化石についても一応あつかいつつ、かなり懐疑的に見ています。たとえば、チンパンジーは日に十数キロを走破するとか、それもほとんどナックルウォークで歩くとかいう話などもありました。現在の類人猿で、もっとも初期の人類、あるいはホミニドに近そうなのは、その分布域の広さ、文化がいろいろあること、食べ物、生活の多様性などから、やっぱりチンパンジーだというのです。

なお、上のほうで、ボノボの二足歩行はチンパンジーよりも頻繁で、またその姿勢も人間により近いと書きましたが、これについても、実際の自然状態ではボノボがそれほど二足歩行をするわけではない、という話もかかれています。

つまり、上で書いたことは一面正しいかも、と思いました。あっちこっちで、二足歩行を独自に、あるいは他からの影響などで始めたりして、それはよちよち歩きであったとしても、状況が進めば有利なことがあったので、結局、さまざまな類人猿が二足歩行に移行し、逆にいえば、チンパンジーやゴリラ、ボノボもふくめて、最後まで二足歩行を選ばなかったということなのかもしれません。もちろん、彼らも二足歩行はある程度行うので、それが、大いに加速されることがいままで無かったということかもということです。で、それは、チンパンジーやゴリラが比較的古い環境に近い状態におかれたからで、それに対して、他の二足歩行を多少なりとも始めた類人猿は、いろいろな環境に適応するときに、その二足歩行を有効につかい、やがて、二足歩行が中心となったというわけです。だから、二足歩行をしているらしい類人猿の化石が発見されても、それがヒトにつながるものかどうかはなんともいえないとしています。

もちろん、二足歩行をはじめてから、石器を使い、かつ言葉を話し、また、脳が大きくなり、というのも、基本的にはどれも二足歩行によってより加速された、あるいは前適応ができたことがらだろうと述べています。

とにかく、ここ数年の話、さすがに、「ホモ・フロレシエンシス」は載っていませんが、かなり最近の話まできっちりかかれた本ですから、よろしかったら読んでください。


猿人段階

さて、400万年前になると、アウストラロピテクスとして一応ひとまとまりでいえるホミニドが登場します。もちろん、この時代のホミニドが、何種類くらいいたのかはまだなんともいえません。種の違いなのか、個体差なのか、というのは非常に難しい問題です。ルーシーとして知られる有名なアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の場合、ルーシーの全身骨格がおおむね推定できる形で発見されていて、その骨盤の形はあきらかにヒト的で、チンパンジーとは大きく違い、確実に二足歩行をしていたことがわかるし、また、ルーシーの場合、足の指の骨などはみつかっていないけれど、ほとんど同じ時期の足跡化石から、ヒト的な足をもっていたこともわかっています。以前の研究では、アウストラロピテクスの雌雄の体格差は非常に大きかったといわれていて、それは、一般的に霊長類の場合にあてはめると、絶大な力のあるボスが集団を率いるハーレム社会であったのでは、といわれていましたが、最近、もう一度でてきた化石の骨格を調べたところ、体格の性差は比較的小さいことがわかり、また、犬歯が小さいことなどから考えても、雄の間の権力争いなどが比較的小さい集団を作っていたと考えられます。今の類人猿の中では、ボノボに近いように思えるし、もっとヒト的なのかもしれません。身長は、120センチとか130センチですし、また、全体のプロポーションとして、脚はかなり短く、腕が長いので、まだまだみたところ、立ち上がったチンパンジーのような感じです。脳容積は、チンパンジーよりも多少大きいようではあるけれど、それは、チンパンジーよりも身体が多少大きいことも関係しているようだから、知能がチンパンジーよりも高かったかどうかはなんとも言えません。ルーシーは、340万年前のアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)ですが、他に、アウストラロピテクス・アナメンシスとかいくつか系統があって、古いものでは、南アフリカのステルクフォンテインのものなどが、400万年前にさかのぼります。まあ、いろいろいたんでしょう。化石がみつかっている場所も、エチオピアから、南アフリカまで、おおむねアフリカ大陸の東半分を中心に南北あっちこっちから見つかっています。何種類かに別れていたと思われるし、また、アファール猿人の腕の骨などから、かなり樹上生活もしていた可能性があるとすれば、チンパンジーのような生活空間であったと思われるわけで、にも関わらず、チンパンジーよりはずっとずっと化石がたくさん発見されているのだから、アウストラロピテクスは、かなり高い密度で暮らしていたとも思われるし、地域も広いのだから、結構成功した種であって、繁栄したのでしょう。なんせ、チンパンジーの化石はここ数百万年分、全くみつかっていないわけで、ゴリラもそうですけど。本来はたまーにしかみつからないアフリカ類人猿の中で、アウストラロピテクスの化石が、これだけあるってことは、若干生活空間がチンパンジーとは違っていたのと、そしてなによりも非常に繁栄したのだ、ということではないでしょうか。

さて、アウストラロピテクスは、その後もずっと存在しますが、途中で、華奢なタイプと頑丈なタイプに別れてきます。300万年前から後くらいに、頑丈型が登場し、これはやがて、パラントロプスに進化していきます。顎がむちゃくちゃ頑丈で、咀嚼機械のような猿人です。堅い果実、堅果類や、地下茎とか、そういうものをばりばりと食べていたのではないかといわれています。で、華奢なタイプは、途中から、すうっとホモ・ハビリスになったとかいう話がでてきます。ホモ・ハビリスとかホモ・ルドルフェンシスとかいろいろありますが、これこそが現代の人類と同じホモ属であるというのですが、これもどうもあまり確定的ではないようで、時代的には、250万年前ごろから、ホモ属化石ではないか、というものが登場するのですが、それが、はたしてアウストラロピテクスとどれほど違うのか、なんかよくわからない。さらにいえば、ホモ・ハビリスの化石と、原人段階のホモ・エルガスターが同時代に発見されていたりするので、ホモ・ハビリスというのがどういうものなのか、たんなるアウストラロピテクスの中で、多少脳がでかいタイプなのか、どうなのか、よくわかりません。ホモ・エルガスターが登場するのは、200万年前ごろからで、160万年前ごろとされる、有名なツルカナ・ボーイの場合、9歳くらいの少年なのに、身長は160センチ。大人になれば180センチは越えるという長身長で、かつ脳容積も大人になれば、900ccを越えるとなれば、これはヒトだ、と思えるのですが、ホモ・ハビリスやホモ・ルドルフェンシス(最近ではこの二つは統合されて、ホモ・ハビリスになったようだけれど)は、身長も140センチから150センチ程度かもっと小さいか、で、脳容積も、600ccから800cc とくれば、うーん、やっぱりアウストラロピテクスではないか、と思ってしまいます。ホモ・エルガスターについては、170万年前ごろになると、グルジアのドマニシでも発見されているし、有名なジャワ原人も、古いものは、それくらい昔にさかのぼる、と言われているので、アウストラロピテクスの130センチ程度の身長から、いきなり180センチ程度までのびて、脳容量も、500cc 前後から、900cc 前後までくるっていうことは、その間に、数十万年はあってもよい、とすると、たしかにホモ・ハビリスは、200万年前くらいなんだけれど、実際のところ、ホモ・エルガスターがもう少し早い段階で登場していてもよさげなので、だとしたら、160万年前ごろにもホモ・ハビリスらしきものがいた、とかいわれているから、やっぱり、ホモ・ハビリスは傍系で、ヒトというよりは、アウストラロピテクスの一種と思ったほうがよいかも、と想うわけです。でもって、グルジアのドマニシで見つかったホモ・エルガスターの頭蓋骨については、脳容積がかなり小さい600cc程度のものも含まれているという話があるんで、じゃあ、ホモ・エルガスターが、アフリカをでてグルジアとかジャワにいって、ホモ・エレクトスになったのはいつか?と考えると、これまた、180万年以前を考える必要があって、脳容積も、小さいままで、でも確実に、オルドバイ式石器を使う段階にはなっていて、ですから、そうすると、石器使用は、アフリカでも、中近東でも、250万年前ってことで、だったら、ホモ・エルガスターが250万年前に登場していてもいいし、石器文化と身体の進化的変化は後の時代でもあまり対応しないことを考慮すると、ホモ・エルガスターとアウストラロピテクスの中間的なものが、300万年近く前に登場していてもよいことになろうかと想いますが。ホモ・ハビリスはそれにしては、ちょっと登場が遅すぎ。まあ、身長については、全身骨格がみつからないとなんともいえないので、もしかしたら、180万年前のアフリカをでていったホモ属は、身長はそんなに大きく無かったのかもしれないし、だったら、ホモ・ハビリスみたいなのでいいのかもと想ってみたり。まだまだこのあたりは、謎です。

というわけで、ちょっと原人段階の話までいっちゃいましたが、猿人段階というのは、古くは、400万年前で、そこから、パラントロプスの系統は、100万年前まで存在していたことがわかっているから、かなり長い間にわたって存在したことになります。つまり、非常に繁栄した種であったわけです。石器使用は、250万年前ごろ始まり、しかも、その場所は、アフリカから中近東付近まで考えられるので、そのころには、アウストラロピテクスからもうすこし脳の大きいホモ属がでてきて、アフリカをでていくことになり、そして、オルドバイ式石器をともなってユーラシア大陸に広がったことになります。 とすれば、アウストラロピテクスからホモ属がでてきたのは、300万年前か、270万年前か、そういう時代になるので、ホモ・ハビリスよりは古い時代で、まだ見ぬホモ属の祖先がいてもよさそうだと。アフリカをでたホモ・エルガスターは、170万年前までには、グルジアまで達したので、アフリカをでたのも、さらにもっと前。

とにかく、ツルカナボーイにせよ、グルジアのドマニシのホモ・エルガスターにせよ、かなりヒトであって、アウストラロピテクスとは違うわけだから、身長も50センチくらい違うし、脳容積も倍近いし、もうすこし中間的なものが、270万年前くらいの段階ででてこないかな、と想います。ということで、400万年前から、250万年前くらいの段階では、アウストラロピテクスががんばっていた時代で、やがて、頑丈なタイプがパラントロプスになり、100万年前にこの系統は滅びた、ということになります。


原人段階

上でぐだぐだ書いたように、原人段階を、一応、ホモ・エルガスターから、と考える立場としては、その始まりがいつなのかがまだ謎だ、としかいえないけれど、この段階で、ヒトは、おおむねヒトらしくなったということができそうです。でもって、まだ確実ではないらしいけれど、中近東あたりでも、石器ではないかというものが、250万年前にあったならば、また、ドマニシで、ホモ・エルガスターが、170万年前に登場しているなら、ホモ・エルガスターの進化が、かならずしもアフリカで起こったかどうかも不明だといえるようです。もっとも、250万年前の石器は、アウストラロピテクスの中で頭のいいやつ、それこそ、ガルヒ猿人あたりがやったことなのかもしれませんが、だったら、中近東から、アウストラロピテクスに近い、ちょっとだけ頭の大きいのが、でてきてもおかしくありません。

で、ホモ・エルガスターがどれくらいヒトらしいかというと、確実に石器をつかっていたことと、それから、なんといっても、身長が170センチとか180センチという現代人よりも平均からすれば大きいようなものになっていること、それと、体格からみて、現代人以上に直立二足歩行が上手で、非常に速く走ったりできた可能性があること、そして、脳容積も、800ccを越えるようになったこと、などですね。ただし、ドマニシ発掘のエルタスターの頭蓋骨の中には、600cc程度のものもいたらしいので、脳が大きくなるよりも先に、身体が大きくなって、それにともなって、脳も脳重比の都合で大きくなり、さらに加速的に大きくなって、160万年前ごろまでには、900cc くらいまでになったようです。みたところも、アウストラロピテクスとはまるで違う顔しているし、かなりヒトっぽいです。体型がおおむね現代人的になったとすれば、運動能力、運動に関わる代謝も現代人的なので、おそらく体毛も現代人なみに無くなっていたと想われます。とすれば、見たところは、頭だけが小さいヒトでしょうか。

骨格はおおむねヒトとはいえ、多少違うところがあるようだ、と言われています。これは、160万年前の化石といわれている、ツルカナ・ボーイの化石からわかることです。まず、肩幅が小さいこと。それと、肋骨の幅が、上にいくほどくびれていて、このあたりは、太鼓腹のチンパンジーなどに近いこと。ツルカナ・ボーイが9歳の少年であることを割り引いても、骨盤の幅も小さいことが知られていますので、身体が現代人よりはほっそりしていて、しかも、幅が小さい。それと、これは重要な発見だったのですが、脊髄の中の神経が細いこと。で、この神経は現代人の場合、横隔膜の制御などをしているとされていて、横隔膜は当然呼吸の制御だから、ホモ・エルガスターだって、呼吸はしていたはずなのに、と想うわけですが、でも現代人とは違うとしたら、それは、音声言語能力ということになります。現代人の場合、たとえば、破裂音の子音、p,t,k などの発音とか、強い摩擦音などの場合には、その破裂や摩擦の起こるタイミングで、呼気の量を的確に制御していて、それは、100分の一秒よりも短いくらいのタイミングで、口の動きと同期させているといわれています。で、この微妙で難しいタイミングの制御を喉頭の動き、唇の動き、肺の呼気に関してやっている以上、現代人のその制御に関する神経系はそうとう発達しているといえます。全身骨格がわかっていて脊髄の神経の太さがわかるような化石は、ツルカナ・ボーイ以外だと、ネアンデルタール人のものくらいしかありませんが、そのネアンデルタール人の場合は、現代人なみの神経の太さがあるわけで、だとすれば、ネアンデルタール人は、現代人なみの音声がだせた、ということになります。もっとも、ネアンデルタール人の言語能力については、いろいろな考え方があるので、いちがいには言えませんが。とにかく、ホモ・エルガスターは、音声の種類とかそういうのを神経の太さから推定するに、チンパンジーなみの能力ではなかったか、ということになりましょうか。

最近になって、言語遺伝子という話がでてきました。家系的に子音を発生するのが困難な人たちがいて、その家系にかぎって、神経系に関わる特定のタンパク質の配列が、一般人とは違っていたということが発見され、さらにそのタンパク質の配列を、いろいろな霊長類や哺乳類について調べてみると、ヒトだけが、アミノ酸が二カ所くらいちがっていて、あとは、げっし類からチンパンジーに至るまで、同じだったというのです。とすると、この変化があったのはいつごろか、ということになりますが、タンパク質の配列が二カ所ちがっているとすれば、結構昔ではないかということにもないます。これが、ホモ・エルガスターと、その後のヒトの間で変わったかどうかは、全くなんともいえませんけど、音声言語能力が、飛躍的に進化したのは、ホモ・エルガスターよりは後の時代ということになりましょうか。

ホモ・エルガスターは、グルジアのドマニシの例からもわかるように、アフリカ以外からも発見されているので、アフリカからでていった最初のヒト属といえそうです。有名なジャワ原人についても、最近では、170万年くらい前にさかのぼるのではないかといわれているので、おそらく、人類が最初にアフリカをでたのは、200万年前か、さらに、中近東から250万年前の石器が発見されているならば、さらに前にアフリカからでていったことになりますけれど、まあ、一応、原人段階、ホモ・エルガスターが、最初にアフリカからでていったヒト属だということになりましょうか。私の考えでは、250万年前に中近東にいって石器をつかっていたヒトがいたとしたら、それは、初期のホモ・エルガスターではないかと想います。あるいは探してみれば、アウストラロピテクスが中近東から発見される可能性もありますけど。

で、ホモ・エルガスターは石器を伴ってアフリカをでたことは確実ですが、グルジアのドマニシの遺跡では、でてきた石器は、オルドバイ式でした。また、アジアにおける原人遺跡の場合も、石器は、やっぱりオルドバイ式が中心です。ところが、140万年前ごろになると、アフリカでは、アシュール式石器が登場します。一応ここで、石器の違いを簡単に書くと、まず、250万年前に登場したオルドバイ式石器は、石を一発割って、刃物になるような薄い石片を作り、それで、動物の骨から肉をはぎ取ったりするものです。剥片以外にも、残った石核にも鋭い角があるから、それをつかって骨を割ったりするのに使った可能性もあります。ともかく、基本的には、石に石をぶつけて、一発で割って、剥片と石核にわけて使うものです。それに対して、アシュール式の石器は、ほどよく手に収まる程度の石を何度も割って、左右対称に整形して、握り斧を作るものです。もとの石から、剥片をつぎつぎに割り取って、最終的な形になるまで続けるというもの。一発の動作ではできません。オルドバイ式石器の使い方は、わかりやすいのですが、アシュール式の石器は、どうやってつかったのかわかりません。投げたのかもしれないし、ものを削るのにつかったのかもしれないし、削るとしたら、その対象は、骨についた肉を削ったのか、それとも、木を削ったのか、、。で、次に、ネアンデルタール人を中心として、ムスティエ式石器があります。これは、石を何度か割って形を整形したあと、最後に一発で剥片をとり出すものです。あらかじめ刃にするために形を整えた石核から、最後に剥片を取り出すわけで、かなり「設計」能力が必要です。ムスティエ式石器ともなると、現代人で石器作りを研究している研究者でもそう簡単に作れないものらしく、世界中で20人くらいしかつくれない、といいます。まあ、この石器の形式の違いは、ほぼ確実に、脳の思考能力と関連しそうで、一発割ればできるオルドバイ式、なんどもなんども割って形を整えるアシュール式、そして、形を整えたあと最後の一発で、きれいな剥片を取り出すムスティエ式ということになりましょうか。現代人と直接つながる後期旧石器時代の人々は、石をまず細い棒のようなものにして、画一的な形の材料をつくり、そこに刃をつけていくという石刃技法を使います。もとの石からとれる刃の長さで考えると、オルドバイ式は、石ひとつから、その石よりもはるかに小さい刃が一つとれるだけで、アシュール式だと、もとの石の大きさと同程度の刃がとれ、ムスティエ式では、その何倍かの刃がとれ、石刃をつくる後期旧石器時代の方法では、十倍以上の刃がとれるということで、確実に進歩といえます。

このように石器をつかっていて、さらに、石器に残った使用痕を分析した結果として、オルドバイ式石器の場合は、おおむね骨から肉をそぎ落とすのにつかったらしいことがわかっていて、だとしたら、ホモ・エルガスターは肉食もかなりしていた可能性が高いことになります。ただし、集団で狩りをしていたかどうかはわかりません。肉食動物のくいちらかした残りを解体していただけなのかもしれません。ただ、チンパンジーの集団の中には、集団で連携しながらコロブスザルの狩りをするものがあって、木の棒で地面をたたいたり、枝をたたいたりして、コロブスザルを追い立てて、最後は棒で撲殺したり、地面にたたきつけたりして、殺して、そのままむしゃむしゃ食べて、その後、狩りに参加したほかの個体や、ひいきにしている雌などに、引き裂いた肉を配ったりします。とすれば、この程度のことは、ホモ・エルガスターもやっていてよいはずで、まあ、チンパンジー以外の類人猿でこういうことをするのはいませんが、すくなくとも、人間よりも小さい小動物の狩りなどは、この原人段階から行われていた可能性が高いでしょう。大きな動物の狩りは、やはり、本格的な道具がそろったネアンデルタール人などの旧人段階ではないかと想われますけど。

ホモ・エルガスターは、アフリカをでていって、東アジアに移り住んだものについては、ジャワ原人や北京原人もふくめて、ホモ・エレクトスとよばれています。頭蓋骨の形などが、ホモ・エルガスターとはかなり違うというのがその理由です。ジャワ原人については、その後100万年以上かけて、さらに一段と特殊化していったことがわかっていて、おそらくアフリカのホモ・エルガスターとは違う種になっていったと言われています。もっともここでいう種の違いっていうのが、混血の可能性とかそういうことで考えると微妙です。生活パターンなどがほとんど違わない、ボルネオのオランウータンと、スマトラのオランウータンは、ミトコンドリアDNAで調べるかぎりにおいて、互いに交流がなくなってから300万年以上は離れているといわれていますが、混血は可能で、それに、みたところ、ほとんど同じです。チンパンジーの場合も、300万年以上前に別れたボノボと混血した例があるし、だから、たとえば、50万年前に、アフリカの原人(これをホモ・エルガスターといってよいのかどうかなんともいえませんが)と、アジアのホモ・エレクトス、たとえば、ジャワ原人や北京原人が混血可能であったかといえば、可能だったと思えるのです。このあたりは、別れてから数十万年といわれるネアンデルタール人と現代人の祖先たるクロマニョン人がヨーロッパにおいて、混血種を作れたかどうか、というあたりともからんで微妙な問題です。

さて、原人の時代はかなり長くて、200万年前から、数十万年前です。あるいは、アジアでは、数万年前まで、ホモ・エレクトスの子孫がいた可能性もあります。アジアでは、石器の使用は、だんだんとなくなり、オルドバイ式石器が若干つかわれた証拠がある以外は、あまりつかわれなくなったということで、じゃあなにを使っていたのか、というと、もしかしたら竹かもしれない、などといわれています。もっとも竹を切るにも、石器は必要だったと思いますけど。

で、原人段階で、人類はアフリカから、ユーラシア大陸にどっと広がったのですが、その理由については、肉食が頻繁に行われるようになって、肉食動物的なニッチをしめるようになったので、アフリカだけでは、人口が養えず、そのために、外にでていった、と言われています。原人段階で、どうやら火をつかうことも始めたようです。また、原人段階では、脳も次第に大きくなり、数十万年前には、どの地域の原人も、1000ccを越える脳容積をもつようになりました。それと、成長のしかたが、原人の段階で、だんだんと現代人的になったのではないか、といわれています。160万年前のホモ・エルガスターのツルカナ・ボーイの場合、歯の生え方や骨の成長度合いなどからは、12歳程度とおもわれるのに、歯の年輪のようなものを数えると、9歳程度とでて、非常に早熟だった可能性があるというわけです。一方で、ネアンデルタール人の場合、子供の化石もでていますが、かなり現代人に近いのでは、ということが知られているので、その意味では、長い原人の時代に、だんだんと現代人的な成長パターンをもつようになったと考えられます。これは、脳容積とも関係していて、現代人の場合、生まれから最初の1年の間に、脳が急成長して、4歳ごろまでには、大人に近い大きさになり、それから先は、顔の下の部分、顎などが発達して、最後に大人の顔になるのが、15歳とか16歳というパターンです。でこうなる理由は、生まれてくるときに脳が大きいと出産がほとんど不可能になってしまうからで、この出生後の最初の一年でどっと成長するというのは、たぶん、脳容積が、900ccを越えたころから必要になったと考えられています。というわけで、原人段階で、おおむねヒトらしい身体とヒトらしい成長パターンをもつようになり、そして、たぶん、100万年以上におよぶ原人段階で、次第に音声言語のための発声能力なども獲得し、だんだんと人間的になってきた、と考えられるわけです。

火も使い、アシュール式の石器もつくりだし、そして言葉もはなす、そして、ユーラシア大陸のあっちこっちに広がって生活していたホモ・エルガスターやホモ・エレクトス。かなり人間的ではありますが、一方で、100万年以上にわたって、その生活パターンや作る石器はほとんど変化していません。アシュール式石器も時代とともに、より精巧になってはきますが、最近発見された最初のホモ・サピエンスではないかというみたところ、ほとんど現代人とかわらない16万年前のエチオピアの化石もまたアシュール式石器を伴っています。原人段階の後半、100万年前ごろになると、脳容積も1000ccを越えて、身体も現代人に非常に近いものになり、かつ火もつかっていて、たぶん音声言語もある程度つかっていたのに、生活はまったく変化せず、のっぺりとしていたとしたら、なぜなのか、それは、15万年前ごろにヨーロッパに登場し、3万年前まで生きていたとされるネアンデルタール人の場合も、現代人より大きな脳をもち、ムスティエ式石器という非常に高度な技法で作られた石器をもち、木工細工をしていたこともわかっていて、木でつくった槍などもあったり、槍の先に石器の刃をアスファルトで接着したりなんていう高度な技法もあったのに、でも、10万年以上にわたって、ほとんど変化のない生活をしていたわけです。ネアンデルタール人は、現代人なみに音声をあやつって音声言語をはなしていたと思われるし、でも、なんかちがう。原人段階も、まさに100万年、のっぺりと変化のない生活をしていたわけで、文化や技術の進歩よりも進化のほうが速いということは、文化や技術も進化論的なものであって、知能によるものではなかった、ということが言えるのかもしれません。ヒトが石器を作るようになったのも、こういう石器を作ろうという意図的な行動というよりは、ビーバーがダムをつくって巣をつくるようなものであったかもしれない。進化的なものであれば、文化の違いはそのまま種の違いといってよく、オルドバイ式石器のまま200万年近く変化のなかったアジアのホモ・エレクトスと、アシュール式石器を使いはじめたアフリカのホモ・エルガスターは、違う種だったと言えるかもしれません。現代人が住んでいる地域によって、肌の色も髪のちじれ具合も、そのほかもろもろの身体的特徴もかなり違うわけだから、200万年前にアフリカをでたホモ・エルガスターは、それぞれの地域で、数万年のうちに肌の色も大きく変化して、骨格以上にみためが大きく違うものになっていったと考えられます。

ちょいと追加

トピックスにも書いたように、新しい、しかも驚くべき原人が発見されましたね。インドネシはアフロレス島の、たった1万8千年前の「原人」です。しかも、身長はわずかに、1メートル。脳容積は380ccで、これまで知られているホミニド化石中でもほぼ最小の部類です。身長1メートル程度というと、アファール猿人のルーシーもその程度ですが、彼女のほうが、脳容積はもうすこしありそうです。

原人です。ジャワ原人の子孫でしょうね。さて、脳の大きさという意味では、小さいのですが、実際に、脳重比を考慮すると、それほど小さくもないように思います。一応、BBCのページなどを見ると、このホモ・フロレシエンシスは、1万2千年前までは存在したらしく、また、石器も大量に発見されたらしいですね。ってことは、まず、オルドヴァイ式石器だと思われますが(ジャワ原人がアシュール式石器をつかった形跡はないらしいので)、一応、原人としての生活習慣はもっていたことになり、猿人ではないということになります。脳容積は380ccですが、体重は30キロ程度です。アフリカ型のホモ・エルガスターは、男性で身長が180センチ程度とされていますので、体重は、どうみつもっても、80キロや90キロはあったでしょう。そうすると、彼らが、脳容積が800とか900ccであることを考えると、体重との比率でいえば、身長1メートル30キロで、380ccは、まあ、十分かな、と。

してみると、脳重比で考えると、猿人、原人初期段階ではほとんど大きくなっていないということもわかります。ホモ・エルガスターやホモ・エレクトスの脳容積が大きいのは、たんに、体がでかくて体重が重いからだ、ということになる。それがどんどん大きくなったのは、ハイデルベルゲンシスから以降だということになります。後期アシュール式石器や、木材の加工による槍などがこのころ出てきます。また言葉が複雑になったのも、この時代でしょう。今回の発見は、いろいろな意味で面白いものです。

また、このフロレス島には、小人伝説があって、ebu gogo というもので、意味は、「なんでも喰うババァ」みたいな意味らしいのですが、一番最近の目撃例はだいたい100年か150年前だというのです。毛深くて、小さくて、手が長く、なにやら互いにつぶやくようにしゃべったりする様子で、かつ、島の住民が話しかけるとオウム返しする、とかいうので、これは、今回の化石(化石化していないとかいう話もありますが)のホビットと非常に付合します。もしかしたら、つい最近の骨もみつかるかもしれません。

というわけで、世界のあっちこっちに、小人伝説がありますので、そういうものの一部は、原人あるいはネアンデルタール人のようなものの生き残りって可能性があります。人間が十分に文化を持ち始めた1万年前ごろまでには、あっちこっちにそういうのがいて、その記憶が、人間の伝説の中に生き残っていてもいいと思うし。


旧人段階

旧人段階というと、基本的には、ネアンデルタール人の段階です。ただ、脳の大きさという観点でみると、50万年前ごろから、20万年前にかけて、どっと大きくなっている様子があって、さらに、その50万年前ごろに、ネアンデルタール人と現代人が別れたということも考えて、まあ、50万年前ごろからを、旧人段階としましょうか。アフリカ、ヨーロッパあたりですと、ホモ・ハイデルベルゲンシスが登場してくるころです。これがどうやら、ネアンデルタール人と現代人の共通祖先と考えられます。ところが、アジアでは、北京原人やジャワ原人が相変わらず存在しているわけで、脳容積も、1000cc前後まで大きくなった後期の原人は旧人といってもよいかもしれません。ただ、アジアの原人は、ホモ・エルガスターから別れたホモ・エレクトスだと考えられていますので、すでに、現代人の祖先とは、百万年以上も前に別れたことになります。もっとも、アフリカ・ヨーロッパのハイデルベルゲンシスと、アジアの多少頭蓋骨が大きくなった後期の原人あるいは旧人がどのような系統関係にあるかは、まだわかりません。アジアの後期原人ないし旧人が、ホモ・エレクトスから進化したものなのか、あるいは、アフリカ・ヨーロッパのハイデルベルゲンシスが進出してきたものなのか、というのは謎です。ただ、ジャワ原人については、その後もずっと進化を続けたという説が有力のようです。

化石資料からすると、この50万年前から、あとは、ネアンデルタール人や現代人の祖先のものはたくさんあるけれど、他はあまりでてきていません。この間にどのような進化があったのか、そのあたりは、まだまだ謎です。

現在までにわかっている範囲でいえば、まず、ヨーロッパでは20万年前から、15万年前段階で、ネアンデルタール人に似た特徴を多少もちはじめた人類がいたことがわかっています。ホモ・アンテセソールとかそういう学名がついたりしています。ネアンデルタール人のいかにも、っていうのは、15万年前ごろになって登場します。さて、そのころアフリカでは、あまり資料がないのですが、最近になって、16万年前とされる、ホモ・サピエンス・イダルトゥが発見されました。どうみても現代人的な頭蓋骨ではあります。一緒に発見された石器は、アシュール式の握り斧のようなものだったらしいので、石器の形式上は、原人段階後半と同じです。12万年前から10万年前ごろになると、アフリカのあっちこっちで、現代人的な特徴をもつ人類の頭蓋骨が発見されていて、まあ、みればすぐわかる現代人的な特徴があります。これらは、一般的にはホモ・サピエンスと考えてよいと思われます。で、9万年前ごろになると、中近東からもホモ・サピエンスと思われる頭蓋骨化石が見つかっています。で、この時代は、ヨーロッパにおいては、ネアンデルタール人がだんだんといかにもそれらしくなってきた時期です。つまり、ネアンデルタール人と現代人の祖先とは、決して、ネアンデルタール人が先で、あとからホモ・サピエンスというものではなくて、20万年前から15万年前にかけて、両方がほとんど同時に進化してきて、両者ともに、10万年くらい前になって、いかにもそれらしくなってきた、ということが言えます。で、その時代、他の地域のことはよくわかっていません。アジアのほうは、ホモ・エレクトスの子孫と思われる人々が暮らしていたと思われます。石器なども、多少はでています。

さて、ではこの旧人段階の文化はどうだったのか、ということです。当初、ヨーロッパのネアンデルタール人が詳しく研究されていたので、ネアンデルタール人は、ムスティエ式石器をもったヨーロッパの人類として位置づけられていました。ところが、その後、中近東などのホモ・サピエンス的な外観をもつ化石もまたムスティエ式石器と一緒に発見されるようになったわけです。つまり、10万年ぐらい前の段階では、ネアンデルタール人も、現代人の祖先となったホモ・サピエンスも、両方とも、石器の段階としては、ムスティエ式石器だったことがわかります。では、アフリカから中近東にいたホモ・サピエンスと、ヨーロッパから中近東、中央アジアの西にいたネアンデルタール人ではなにが違うのか、ということになります。文化段階は同じくムスティエ式石器を使い、また、彼らは、少なくとも中近東では、ほとんど同時期に似た場所で暮らしていたこともわかっています。実際のところ、ホモ・サピエンス的な形状の頭蓋骨が発掘された場所でも、ネアンデルタール人と大きく異なる文化をもっていたとは思えないところがあります。ただ、アフリカにおいては、一部、細石器とか、HP文化などと呼ばれる、高度な石器製造技法をもった遺跡が発掘されており、こういうものは、ネアンデルタール人の遺跡からは、最後のほうのシャテルペロニアン文化にならないかぎり見られないものなので、やはり、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人とはちょいと違っていたんだ、と主張できなくもないのかもしれません。

とにかく、この時代のことはわからないことがかなり多い。たしかに、ホモ・サピエンスの化石とされるものが登場するのも事実だし、また、ネアンデルタール人は一層ネアンデルタール人になっていく過程も見られる。一方で、文化的には両者は非常に似ていて、石器はムスティエ式である。で、そういうものが、ホモ・サピエンスのものとしては、15万年前から8万年前くらいまでの段階で、アフリカから中近東まで見られるし、同じ時代のヨーロッパから中近東でも見られることになります。ミトコンドリアDNAから考えられる現代人の祖先は、15万年前ごろ、ということですから、たしかに、現代人の祖先というものは、このあたりであろうと思われますが、でも、15万年前段階で、骨の形が現代人的であって、なおかつ、現代人的な文化をもつヒトの遺跡というものはほとんどないわけです。とすれば、60万年くらい前に、現代人の祖先とネアンデルタール人の祖先が別れたあと、そもそも人口密度が薄いヨーロッパにおいては、基本的に旧人としてのネアンデルタール人が進化していったが、アフリカにおいては、おおむね現代人的な解剖学的特徴をもつものが、いろいろと現れたのだ、とも考えられます。そういうものの中で、ある種族が、後の後期旧石器文化につながる文化をもつようになって、そういう種族が、一応交配可能な範囲として形成されたのが現代人の祖先ということになりましょう。つまり、アフリカにおいては、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスが進化したのと同時期にいろいろなホモ・××がいたんではないか。アフリカにおける10万年前前後のムスティエ式石器に近い形式をもつヒトの遺跡からでるヒトの化石は、みたところ、ホモ・サピエンス的なものが多いけれど、脳容積が小さいタイプもかなりあります。彼らはネアンデルタール人ほど特殊な特徴は持たないけれど、かならずしも現代人と直接つながるかどうかもわからないものです。で、そういう中に、とりわけ現代人的な特徴をもつものとして、オモ人骨とか、最近のエチオピアで発見されたホモ・サピエンス・イダルトゥの化石などがあるということなんでしょう。ただし、現代アフリカの人々も、ミトコンドリアDNA の解析では、たしかにバリエーションは大きいものの、他の地域の人々と同じく、15万年前ごろに共通の祖先がいたことを示していますので、結局、60万年前から15万年前ごろに登場した、ホモ・サピエンスになれなかったアフリカの旧人は、なんらかの形で滅んだのだ、ということになります。


新人段階

この写真は、最近発見された、およそ15万年前の現生人類の祖先とされる、Homo sapiens idaltu の頭蓋骨の写真です。復元図を見ると、なんとなく、現在のアフリカ人か、あるいは、パプア・ニューギニアあたりの人たちのような感じに見えるようです。現代人に比べると、眉上隆起があって、しかも、額の立ち上がりも若干ネアンデルタール人的に平たい感じがしますが、でも、やっぱり現代人的なんだそうです。ミトコンドリアDNAによって、現在生きている現代人の祖先は、およそ15万年前となりますから、この15万年前の homo sapiens idaltu は、現代人の祖先かもしれないし、あるいは、祖先に非常に近い人類だったといえましょうか。使っていた石器は、後期のアシュール式だそうですから、結構古くさいことになります。ホモ・ハビリスから、ホモ・エルガスター、そしてアジアへいったホモ・エレクトスがオルドヴァイ式、そして、アフリカの後期のホモ・エルガスターからアシュール式。中近東系の現生人類の祖先(10万年前くらい)と、ヨーロッパのネアンデルタール人のおおかたがムスティエ式というのがだいたいの石器の形式ですから、後期アシュール式は、ホモ・サピエンス(現生人類)の初期の人たちも使っていたものだということがわかります。

現生人類はあきらかにアフリカで出現したようですが、実際のところ、50万年前くらいから、20万年前くらいまでの人類の化石はアフリカでは非常に少なく、その後、10万年前くらいになると、あきらかに現生人類の祖先と見える化石が、あちらこちらから、発見されます。で、その分布域は、というと、アフリカだけでなく、中近東にもでてきます。で、石器だけからいうと、やっぱりムスティエ式は、10万年くらい前にならないと出てこないのですが、10万年ぐらい前の段階のアフリカでは、若干の細石器という形式のものがでてきて、どうやら、文化の段階として、アフリカの人類は、この10万年前くらいから、多少の発達をみせた、ということになりましょうか。

とはいえ、アフリカでも中近東でも、その初期現生人類の生活ぶりというと、それほど進歩した様子はなく、相変わらず骨格器などを多様していた可能性もなく、また、漁労をしていた形跡もなく、狩猟の戦略なども、ネアンデルタール人と変わらないような感じがします。たしかに、ホモ・ハイデルベルゲンシスの時代、つまり50万年前後前から、多少は、「象徴的」といえる、芸術的活動の痕跡がないわけではありませんが、それもかなり限られていて、偶然の産物なのかどうかもわかりません。頭は大きいけれど、ネアンデルタール人はもっと大きかったわけなので、頭が大きいからといって、なんか文化が進化するわけではないのは、ホモ・エルガスターが、体はしっかり現代人なみになっても、オルドヴァイ式石器の段階にとどまったというのとにているかもしれません。

とにかく、初期の人類の進化についてはまだまだわからないことが多いです。それにくらべると、同時期のヨーロッパにおけるネアンデルタール人については、発見された化石の数、個体数ともに非常に多いし、また、石器なども豊富に見つかっているという感じがします。そういうわけで、現在、10万年前後前の現生人類型の化石がみつかったとしても、それが全部現代人とつながるかどうかわかりません。たとえば、現代人の祖先は、あきらかに中近東を経てヨーロッパやアジアへ向かったことになりますが、その中近東における現生人類の化石がムスティエ式石器段階にとどまっていて、しかも生活パターンも非常に素朴で、ネアンデルタール人とそれほど変わらない、としたら、どうして、その数万年後に入ったヨーロッパのクロマニョン人が、非常に発展した文化をもっていたのかわからない、ってことになるわけで。

実際のところ、このあたりはかなりのミステリーです。最近になって、ヨーロッパにおける、非常に明確な後期旧石器時代前期の文化は、いわゆる新人(クロマニョン人)の化石を伴っていないことが証明されたといいます。いくつかの例については、化石そのものが、実際は新石器時代のものであることが判明したのです。とすると、ヨーロッパの後期旧石器時代を始めたのが、もしかしたらネアンデルタール人、あるいは、ネアンデルタール人とクロマニョン人の接触の結果だったかもしれない。その一方で、オーストラリアへの移住などは、非常に早い段階でなされているので、なんだかもうわからないという状況。とにかくこのあたりはまだまだ全然資料がすくなすぎるということですね。

で、旧石器時代の最後の後期旧石器文化というのは、高度な芸術的なものや、非常に高効率の石器制作法などによって存在が知られているわけですが、これが実際に起こったのが、7万年前とか6万年前とかいわれています。それ以前は、新人、つまり現生人類の祖先と思われる化石も、せいぜいムスティエ式の石器と素朴な生活習慣しかもっていなかったことになるわけです。ところが7万年前とかになると、細かいビーズを使った例などが出てきて、あきらかに、人類の生活がそのころから華やかなものになってきたことがわかります。さらにいえば、オーストラリアへの移住も、これはある程度の航海をしないと氷河時代の海面が低い状況でも不可能だったとされていますが、これが、古く考える人で6万年前です。あと、石器の形式はムスティエ式でも、非常に丁寧な埋葬がなされた遺跡などが、やっぱり7万年とかそのあたりから見つかり始めます。とすると、どうも、北東部のアフリカや中近東を中心にして、7万年前かそのあたりで、一つ人類の文化の爆発があったように思えるのです。で、その時代と、現在、Y染色体から考える男性系統の起源が6万年くらいというのが、結構見事に一致しているように思います。

ちょっとまとめると、まず、15万年前というのが一つのキーとなる年代で、それが、ミトコンドリアDNAから求められる人類の祖先の時代。つまり女性系統の祖先の時代です。この段階で、現生人類の祖先集団というのが存在し、その集団の中では、他のミトコンドリアDNAのタイプをもっている人たちが、次第にいなくなって、イブとされる女性の子孫だけがその後生き残ったということになります。たぶん、他のミトコンドリアDNAをもつ人たちは、確率的な理由かなにかで、次第に子孫の数が減っていったということになります。ある程度小さい集団ではそういう揺らぎは起こるので、この解釈は可能でしょう。で、この時代あたりを象徴するかのように、homo sapiens idaltu が発見されます。15万年前のこの化石は、概ね現生人類の祖先と考えられる形の頭蓋骨をもっていたことになります。もちろん、彼のミトコンドリアDNAがイブとつながるものだったかどうかはわかりません。ただ、彼はその時代にいたイブとつながる人々と同じ種に属する人類だったということになります。

で、これから10万年前くらいにかけて、現生人類型の化石は、おもに東アフリカ、エチオピアを中心として、また、中近東を中心として発見されます。ただし、文化的には、アシュール式石器からムスティエ式石器の段階にとどまります。とすれば、イブと同系統の人類が、このころ、北東アフリカから中近東までの範囲に存在したことになります。

ところが、次に、7万年前ごろに、多少なりとも発達した文化が見られるようになります。丁寧な埋葬や、細石器なども始まり、また、細かいビーズ細工などの芸術も生まれます。また、6万年前になると、オーストラリアまで進出していた可能性が出てきます。そして、この時代に、Y染色体のアダムとでもいうべき男系の祖先がいたことになります。

その後は、4万年前ごろ、ヨーロッパに到達した人類は、たぶん、ネアンデルタール人などとも共存していたのでしょうが、かなり発達した後期旧石器時代型の文化をもっていたと考えられています(これは、まだはっきり決まったわけではなく、この後期旧石器文化がネアンデルタール人のものであるかもしれませんが)。また、この時代くらいのY染色体は、各地共通の形があるのも事実で、非アフリカ型のY染色体の起源が、この時代あたりにありそうです。

さて、7万年とか4万年とかいうと、実は面白い話があります。シラミのミトコンドリアDNAの研究です。現代人の衣服につきまとうコロモシラミのミトコンドリアDNAを調べたら、その起源は、7万年±4万年と出たという研究があるのです(ドイツ マックスプランク研究所ストーキングら)。つまり、現代人の衣服にくっついているシラミは、そのころに、人の衣服にくっつくようになったということになります。ネアンデルタール人や、ホモ・ハイデルベルゲンシスは、もちろん、極寒のヨーロッパにいたわけで、当然なんらかの毛皮などを着ていたもの、と思われますが、ここにシラミがいたとしても、そのシラミは、彼らが滅んだときに死んでしまったということになりましょう。で、シラミのミトコンドリアDNAからわかることは、やっぱりアフリカに多様性があるというヒトのミトコンドリアDNAの分布と非常に似ているわけです。ただ、年代が、ヒトのミトコンドリアDNAの場合とちがって、年代が半分くらい新しいことも面白いです。ちょうど、Y染色体DNAの場合と一致する。しかも、寒くないアフリカでも共通する。ってことは、寒さに関係ない衣服をつけるという習慣が7万年前前後に始まり、そういう衣服をつけた男たちが、シラミとともに、世界を駆けめぐった、ということになるのかもしれません。

まあ、シラミのことはおいといて、解剖学的な意味での人類の祖先、つまり体の形などの形質的なもの、頭蓋骨の大きさ、形状などは、15万年前に概ねきまり、その形質が現代人までつながっているといえます。で、これは、ミトコンドリア イブの一族のものがもとになっているということになりましょう。ところが、文化的なものは、7万年くらい前に始まり、それは、Y染色体の起源やシラミの起源と一致するわけですから、このあたりで、非常に精力の強い男の集団がいて、その一族が、文化的に高いもの、たとえば、衣服を着ているなどの文化をもっていて、アフリカ北東部からいろいろな種族のもとに、ボス的に入り込んだとでも考えればよいかと思うのです。で、文化的な伝搬速度と、男たちの「征服者」の伝搬速度がある程度一致していたと考えることもできるかと思うのです。実際、Sykes 教授の「アダムの呪い」によると、かつてのモンゴル帝国の領域からのみ高い頻度でみつかるY染色体DNAのパターンがあり、これが、モンゴル王室と関わる、つまり、チンギスハーンのY染色体DNAパターンである可能性が高い、というのです。

初期の人類のところで考察したように、アフリカ型類人猿は、男系の群をつくり、女は、生殖可能な年齢に達すると、群を出て、別の群に嫁入りする形式を持っています。初期人類もまたこの形式の発展で、男系集団の中に、比較的密接な関係のある夫婦と子供からなる核家族が存在し、女の子が産まれると、女の子は結婚可能な年齢になったときに、別の男系の集団へ嫁入りする、というような形であったと考えられます。この場合、遺伝子の拡散は、主として女性が担うわけで、男系の遺伝子は、集団からあまり外には出ていきません。ですから、この形式で15万年前の人類が、だんだんと増えたとすると、一応、通婚圏内のミトコンドリアDNAは共通のもので、距離が離れると、だんだんとミトコンドリアDNAの中に変異がたまっていって、地域ごとに、特定のミトコンドリアDNAのタイプができることになります。これは、概ね現在のミトコンドリアDNAの分布から考えて妥当です。北東部のアフリカで、イブが存在し、そこから南アフリカ系と、北部アフリカ系に分かれ、北部アフリカ系の中から、出アフリカ系が出てきて、その出アフリカ系は、南回り系と北回り系に分かれ、南回り系は、アラビア半島、インド、東南アジアをたどって、オーストラリアに達するグループと、一部が、中央アジアで、後述の北回り系と合流する。そして、北回り系は、ヨーロッパ系とアジア系に分かれ、中央アジアで、一部の南回り系と合流した上で、中国東部、シベリア、日本、そして、アメリカ大陸へと向かうグループになるわけです。まさに、人類の拡散と通婚圏の拡大に伴う形が読みとれます。

ところが、男系を表すY染色体DNAの系統からすると、その起源は6万年前ごろのやはり北東アフリカになっていますが、しかし、系譜を世界地図上に当てはめると、比較的少数のものが、非常に広い範囲に拡散していく形になっています。これは、6万年前ごろに、一人の男性がいて、その人の子孫の少数が、非常に遠いところの人類集団にまで拡散していったことを表しているわけです。つまり、本来の「嫁入り型」による遺伝子拡散ではない形式が、6万年前ごろから始まったといえなくもない。とすれば、これは征服者の系統であろうということで、征服者となった男とその子孫が、近隣の男系集団の中に、入り込み、つぎつぎと、集団のリーダーになって、集団を乗っ取るようなことが、高い頻度で起こったということではないかと思えるのです。しかも、この年代と、後期旧石器文化の展開とが、非常に近い関係にあるように思われます。

もちろん、この男系の征服者の系譜もまた、女系の場合とにて、まず、南部アフリカ系、そして、中央、北部アフリカ系が分かれ、そして、出アフリカ系は南回りと南回り、北回り系は、そのままヨーロッパ系とアジア系、さらには、アメリカ系といきますが、南回り系は、東南アジアを起点に、東アジア、オセアニア全般、そして一部がアメリカへと入るということで、本質的には、女性系と似た形を持っています。ということは、人類の拡散ルート、征服ルート、通婚圏のつながりのルートも、基本的に地勢学的にみて同じ系統をたどったことになりましょうか。ただ、女系に比べて、合流がほとんどないようなのが面白いところです。やはり征服者と呼ぶにふさわしいのではないかと思えます。 実際、ポリネシアの人々の間でのDNA調査によると、女系を表すミトコンドリアDNAでの系譜は、地域的なつながりを良く表していて、ほとんどがポリネシア人らしいものをもっているようですが、一方Y染色体DNAの男系でみると、なんと半数近くが、現代のヨーロッパ人の系統であるということがわかるわけです。これはつまり、近代になって以降、ヨーロッパの男ばかりの船乗りたちがやってきては、現地の女性との間に子供をもうけていた、ということがはっきりわかるといえます。もちろん、この影響については、分析すればすぐにわかるので、この影響を排除した形で、Y染色体系譜を求めているわけですけれど。

さて、こうしてみると、新人とされる homo sapiens の10万年くらいの移動、文化の移動などがかなり見えてくるように思うのです。現代人型の形質の拡散を表す15万年前にさかのぼる女系の系譜と、後期旧石器文化を象徴するおよそ6万年前にさかのぼる文化の拡散を表す男系の系譜が見えてくることになります。

後期旧石器時代に入って以降は、地域ごとに非常に異なる文化をもつようになるので、ここから先は、X式石器とかそういうのは人類全般で使える言葉ではなくなります。地域ごとに違う石器の形式があり、そして文化の形式があるわけです。でも、共通するのは、どこでも、芸術的要素であり、また、石器の種類の爆発的増加です。それぞれの地域の人が、それぞれの地域に合った形で、生活を工夫し、石器を改良する、というのが、たぶん、非常に頻繁に起こっているということです。もちろん、文化の伝搬も見られます。後期旧石器時代は概ねどこの地域でも4万年前くらいから始まり、そして、1万年前まで続きます。ただ、およそ2万年前ごろからは、またいろいろな発展があるように思います。たとえば、日本や中国では土器の製作がかなり早くから始まり、中国では、最近1万8千年前の土器が見つかっているようです。で、この5万年前から、1万年前までは、氷河時代であり、もっとも厳しい時代は2万年前です。1万年前ごろ、氷河時代が終わり、その後、非常に気候の不安定な時代がしばらく続きますが、この時代が、中石器時代と呼ばれる時代で、それから、やや気候が安定してくる紀元前7千年ごろ(いまから9千年前)には、各地で、農耕が始まった形跡があります。もっとも、農耕が中心ではなく、狩猟も盛んに行われていました。家畜については、イヌがおそらくもっとも早く、氷河時代の最後のころに、東アジアで狼の家畜化によってイヌが誕生したといわれています。世界のイヌのミトコンドリアDNAの調査などから、だいたい1万5千年前ごろだとされています。イヌは、現在では、狼の亜種と考えられています。他の家畜は、だいたい紀元前7千年ごろの農耕が始まるころからだんだんとなされてきたことがわかっています。そして、新石器時代へと入っていくことになるわけです。

ということを考えると、時間的な長さも考慮した場合、homo sapiens を象徴するのは、およそ、4万年前から2万年前の氷河時代の文化であり、その時代がもっとも安定していた時代だともいえます。自然とも調和していたようです。氷河時代の末期になると、いろいろな動物がつぎつぎに絶滅し、その場合、多くは人間が食べたんだ、といわれています。ネアンデルタール人の痕跡は、2万5千年よりも前に途絶えています。3万年前ごろには、ムスティエ式文化の発展型としてのシャテルペロン文化という後期旧石器文化をもつにいたったネアンデルタール人ですが、ついに氷河時代のもっとも寒い時代(2万5千年前ごろ)がくるころに、滅びました。DNAの系譜からすると、ミトコンドリアDNAでも、Y染色体DNAでも、ネアンデルタール人の系統が混ざっている可能性は現在のところ発見されていません。ヨーロッパでは、新人であるクロマニョン人が4万年前に入り込んで、およそ1万年以上にわたってネアンデルタール人と共存していたわけですから、多少の混血などもあったのでしょうが、その系統は残らなかったということです。私は、シャテルペロン文化は、もしかしたら、そういう混血の人々の起こした文化ではなかったかと思っています。場所としても、ネアンデルタール人とクロマニョン人の生息域の境界上です。

さて、ここまで考えてきたときに、新人段階における一番面白い謎は、やっぱり6万年前ごろに起こった、後期旧石器革命ともいえる現象です。おそらく、ハードウェアとして人間が変わったわけではないでしょう。それから、不器用ではあるけれど、ネアンデルタール人の一部も、この文化を取り入れ、芸術的な活動をするようになったのですから、これまたハードウェアとはあまり関係がないことがわかる(もっともシャテルペロン文化が混血の影響だとすればハードウェアも絡みますが)。なにか文化的に根本的な違いが出てくるということになります。

いままで、人類の進化を見てきたわけですが、後期旧石器時代の革命以前の段階では、まず、ハードウェアが進化し、それからちょっと遅れて、石器の形式が進歩する、というのが繰り返されてきたように思います。最初の石器であるオルドヴァイ式石器は、250万年前から始まり、これと、ホモ・ハビリスの出現時期は重なっているようですが、実際に、ガルヒ猿人とよばれる、アウストラロピテクスの一種が石器を使っていた可能性も考えられることから、たぶん、猿人段階で、オルドヴァイ式石器を使いはじめ、そして、それを発達させたのは、脳の大きさを別にすれば、現代人と変わらない体格をもつにいたったホモ・エルガスターでしょう。そして、この形式の石器を作り続けて、アジアまで進出して、ホモ・エレクトスもまたオルドヴァイ式石器までしかもっていませんでした。続いて登場する、アシュール式は、年代としては、150万年前くらいまでさかのぼるわけですが、使っていたのは、ホモ・エルガスターのアフリカ居残り組です。で、その後、ホモ・ハイデルベルゲンシスの時代には、この形式がヨーロッパまで広まります。このアシュール式は後期になるほど緻密になりますが、ちょうどこれは、ハードウェアとしての脳の大きさと関係するようです。でもって、ハイデルベルゲンシスも、ヨーロッパの初期ネアンデルタール人も、そして、アフリカの初期現生人類の祖先もやはりアシュール式でした。その後、10万年前になると、ヨーロッパのネアンデルタール人も、中近東の現生人類と同系統の人々も、ムスティエ式石器になりました。ムスティエ式石器の製作法であるルヴァロア技法は、後期旧石器時代の細石器や、石刃技法などよりも、ずっと難しいと言われています。しかし、この石器は、数万年変化せずに使われ続けてきたわけです。

つまり、石器造りが複雑になり、より高度になるには、進化が必要で、進化、とくに脳容積の拡大があって、それから少し遅れて石器の製作法が複雑で高度になる、というのを繰り返しています。そして、脳容積が現代人の平均よりも大きい1500ccを越えるようになった10万年前ごろに、最後のもっとも複雑で高度なムスティエ式石器が使われるようになったというわけです。つまり、進化と技術の進歩が、ここまでは一致している。ところが、後期旧石器時代に入ると、逆に石器の造り自体は簡単になって、ムスティエ式ほどの熟練を必要としないのに、より効率よく効果的な石器が作れるようになる。ここに、「意図的な工夫」というものが読みとれるわけです。

非常に単純に考えると、ムスティエ式の時代までは、頭が大きくなると、認知能力も発達し、そしてそれにあった石器の作り方が生まれる、というわけですが、後期旧石器時代以降は、頭が大きくならず、認知能力も変わらないし、逆に石器の技法は単純化するが、効率的なものがつぎつぎに生まれるようになる、ということです。おそらく、物の見方が、がらっと変わったということでしょう。

さて、このあたりについては、またもう少しまとまったら、いろいろ書いてみたいと思います。


追記: 島 泰三氏への反論

今年(2004年)9月に、島泰三氏が、「はだかの起源」なる書籍を出版されました。基本的に、人類がいつから、「裸になっったのか」についての深い考察をしているものです。この書籍のほぼ前半から中盤にかけての議論はすばらしく、これまでの多くの人類進化の説をさまざまな視点で検討し、さらに、人間以外で、「裸」である動物についてその生態を詳しく検討し、そこで、出た結論から、人類が裸になった時期についての論証をされています。

結論からいえば、ホモ・サピエンスの発生段階、すなわち遺伝学的にいわれている20万年前後前、あるいは、考古学的に解剖学的にみて現代人的にみえる人骨が発見されはじめる15万年前後前の段階をもって、裸になったということを述べております。

この結論にいたるまでの論証として、以下の点があります。

体重との関係

まず、生物種の科単位で裸である動物は、ほぼ例外なく、陸生であれば、1トン以上の体重があるもので、象、カバなどがあげられ、これらの巨大な動物は熱の放射、体温の維持のために、裸(無毛)である必要があるとしています。

水棲動物の場合

水棲動物のイルカやクジラなどは例外なく裸であるとしています。ただし、半水棲のアザラシなどについては、陸生の場合と同じく1トン以上ないと完全な無毛にはならず、一般に陸生動物と同じく毛があるとしています。

例外的な動物

例外的なものとして、コビトカバ、ハダカデバネズミ、ハダカオヒキコウモリなどを挙げ、これらは特殊であるが、特殊なりに、非常に変わった生態をもっていて、それらが、裸になった場合の問題点を克服しているとしています。たとえば、コビトカバは、頻繁に水の中に入って皮膚からの水分の蒸発を防ぎ、かつ皮膚のケアには細心の努力をしている。またハダカデバネズミについては、アリのような巣穴での生活で、真性社会的な生態をもっていて、これが裸であることの諸問題を解決している、という具合です。

さて、以上の点から、以下の結論が出てきます。

体重との関係

人間は、体重との関係からはみれば、1トン以下であるため、裸になるはずがない。

水棲動物であったかどうか

これについては、いわゆる「アクア説」は、様々な直接的根拠をもって、否定できる。また、たとえ、水辺に住むことが多かったとしても、完全な水棲動物であるクジラをはじめとする種以外では、1トン以下では、裸ではないので、この点でも、人間が裸になった理由として、水棲を挙げるのは不可能である。

このあたりはかなり納得のできる説明になっています。そこで、結論として、以下の内容になります。

人間が裸であるのは、上記の「例外的な動物」の例と同じであり、それらは、科、属、種単位で考えると、同じ科内で、一種しか許されていない。よってまず、これまでの化石人類もふくめて、概ね三つの属(アウストラロピテクス属、パラントロプス属、ホモ属)でみても、おそらく1属でしか、このような例外的なことはないだろうし、また、ホモ属(ホモ・ハビリス、ホモ・エルガスター、ホモ・エレクトス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・サピエンスなど)においても、一種程度でしか、裸であることが許されないだろう。

ここまでの議論は緻密であり、かなりしっかりしたものです。ところがこの次あたりから、議論がきわめて怪しくなります。それは、ヌードマウスをもってくるあたりです。まず、突然変異的に裸になる例としてヌードマウスなどをもちだし、これらが裸であるという突然変異のほかに、胸腺がないなど他の遺伝的欠陥を抱えているとしています。そこで、ここから、人間の他の動物との違い(とくに他の類人猿との違い)を考慮して、言葉を話すことと、そのために喉頭の位置が「言語の機能以外の点では自殺行為的なものである(喉にものが詰まりやすくなり呼吸が止まる可能性が高い、あるいは、食べながら呼吸ができないなど)」ことを挙げて、これと、毛が無くなったことが、同時に起こった可能性を指摘しています。つまり「ヌードマウスにおいて、裸になることと、胸腺がないことが同時に起こったように、人間も裸になると同時に喉頭の位置が変わった」というものです。そして、それが、人間を人間たらしめたのだ、としています。そこから、ネアンデルタール人や、ホモ・エレクトス、さらには、ホモ・エルガスターやホモ・ハイデルベルゲンシスについても、裸ではなかっただろうとています。

ここから、最終的に人間が裸になれたのは、それを保護する特殊な生態、つまり、火の使用と家と衣服があってはじめて可能になったという説をだしています。ただし、衣服については、現在のアフリカなどでの民族がほとんど裸でも暮らせることから、あとからできたものだろう、とし、火と家の存在を重視しています。そして、火が確実に使われだしたのは、現代人の祖先とネアンデルタール人においてであり、また、家については、現代人の祖先でしか考えられないとしています。

さて、反論にうつります。まず、細かい点からすれば、家、火の使用については、もっとも「懐疑主義的」なものに沿っています。つまり、それ以前の数十万年、あるいは百万年前以前の家の痕跡、および、火の使用の痕跡については、すべて「疑わしいので信じられない」としています。これは、あまり納得できる態度ではありません。つまり、島氏の議論では、家の起源が古くなれば、その段階で裸になった可能性を示唆し、かつ火の使用についてもそうであり、また、この二つが一致している根拠もありません。また、ネアンデルタール人については、洞窟で暮らしていたことはほぼ確実であり、さらに洞窟内で、火を使っていたことも確実であるならば、それは家と火を使っていたといってもよいでしょう。これまでいろいろな考古学的な発見についての書籍を読みましたが、洞窟に暮らしていたのが確実なのは、ホモ・サピエンス、ホモ・ネアンデルターレンシス、および、ホモ・ハイデルベルゲンシス程度ではないでしょうか。また、火の利用についても、概ね数十万年前と考えてよかろうと思います。だとしたら、裸になったのが、ホモ・ハイデルベルゲンシス程度にまで遡ってもよいと思います。

しかし、反論すべきは、このような些細な問題ではありません。ヌードマウスのところが、一番の問題であろうと思います。ヌードマウスは裸です。しかし、これは完全なる無毛です。人間は無毛ではありません。むしろ、人間は毛に覆われていると見るべきでしょう。ただ、生えている毛が、他の類人猿に比べて著しく短く、また、頭髪などのように、特殊なのび方をする、という点です。実際に、皮膚における単位面積あたりの毛の本数などは、人間の場合、類人猿とほとんど同じです。ヌードマウスをはじめとする、遺伝子的な突然変異による無毛は、人間の場合でもときどきありますが、完全な無毛です。これは、遺伝子発現の異常であるから、そもそも毛を作る仕組みを欠いています。よって、この場合は、毛が選択的に無毛になったり、あるいは、毛の長さが短くなったりというような人間に現れた現象とは全く違います。ましてや、そのヌードマウスの無毛が、胸腺をなくすという遺伝子疾患と一緒に現れることを、喉頭の位置の変化と結びつけているのも全くでたらめでしょう。実際のところ、ネアンデルタール人の喉頭の形状が現代人と異なるのは、ネアンデルタール人の後半の場合であって、初期のプロトネアンデルタール人の段階では、喉頭の形状は現代人と変わりません。また、ホモ・エレクトスなどでも、概ね現代人と同じ構造をしていたことが知られています。ネアンデルタール人の特殊な状況は、おそらく寒さに対抗するための手段であって、彼らはそのような状態になっても、言語を維持できるように、たとえば子音が複雑化したなどの可能性が十分に考えられます。よって、言葉の発達、喉の形状と裸になったことを遺伝的疾患として結びつけるのは、すくなくとも遺伝学を多少でもかじったら、全くのナンセンスであることは明確です。

さて、こうして考えると、島氏の論点で、ヌードマウスに関する部分を取り除くと、結果として、「火の使用」と「家」が始まった段階から、人間は「はだかになれた」というものになります。だとすれば、人間が裸になったのは、考古学的に「家」と「火」についての遺跡があった段階以降ということになりますので、まだ考古学的には決着がつかない問題だ、ということで終わります。ネアンデルタール人がどうだったか、ハイデルベルゲンシスがどうだったか、エルガスターがどうだったか、などについても、言語の問題と同じく、全く論点としてぼやけてしまうでしょう。

さて、それでは、島氏の説は完全に捨て去るべきでしょうか?けっして、そうでありません。私としての結論を書いておきましょう。

言語の獲得

言語の獲得においては、喉頭の形状や肺の神経系の発達以前から言語があったからこそ、逆に、言語的に有利である形質が選択されたと見るべきで、この点については、テレンス・ディーコンが「ヒトはいかにして人となったか 言語と脳の共進化」で述べているように、随意呼吸が可能になること(これは、クジラ類、鳥類以外では、コウモリや人間くらいしかない)、続いて、肺の神経系の発達、そして、喉頭の形状の発達と、ハードウェアとしても、非常にたくさんの仕組みが順次選択されて進化してきたと考えるほうが納得できます。それには、ディーコンのいうように、200万年近くかかっているというのが本当のところではないでしょうか。ただし、言語といっても、論理的思考を可能にする言語であったかどうかは別です。

そこで、まず人類の最初の言語として、スティーヴン・ミズンが「心の先史時代」で述べている説である「社会的文脈で」の言語というものを考えることができるでしょう。これは、石器の使用や狩猟などの生業に関わることにはタッチしない言語です。サルの毛繕いのような言語であり、私が考えるには、具体的には、群の中の個体に対する固有名詞と、個体の社会的地位や個体間の関係や、社会的動作を表す形容詞、動詞群からなる言語です。このような言語は、チンパンジーなどの毛繕いに対応するような意味あいをもったコミュニケーションとして使われるものです。音声を使っている例としては、ゲラダヒヒの食事中の声によるコミュニケーションなどがあります(もちろん、ゲラダヒヒの音声によるコミュニケーションにはとくに文法や語彙があるとは思われない)。このような言語がいかに文法的に複雑であっても、また、どれほどの音声的複雑さがあっても、おそらくこの言語のみの段階にとどまっていれば、石器の変化や、狩猟の正確さなどには影響しないでしょう。文化的停滞と、このような「社会的文脈での言語」の両立は全く問題ありません。この言語は主に、男性が女性を口説く場合、あるいは、社会的に同盟をくんだりするための相談などに使われたのでしょう。

この「社会的文脈での言語」というものは、おそらく、近年非常に重視されている進化心理学の分野で議論されている「心の理論」と呼ばれるものと深く絡んでくると思われます。「心の理論」では、その複雑さのレベルとして、志向性の程度が知られており、人間でも4歳以下では明白な「心の理論」をもたず、志向性が1次のレベルであり(自分と相手の心の状態の違いが認識できない)、類人猿では、志向性が2次のレベル(相手と自分とで見ているもの、知っていることが違うことを認識し、だましたりすることができる)ですが、人間の大人は、多数の人々の間の互いの心の中身を推測しようとする、3次のレベル(私はA氏がBについてこう考えていると、思う、というような相手と第三者との心の理論をもつレベル)以上、具体的には6次以上を使いこなしていると言われています。これは、「社会的文脈での言語」が高度に発達した場合に獲得される能力でしょう。チンパンジーや類人猿と人間とで指向性のレベルが大きく異なるならば、それにかなりの時間をかけた進化があったはずで、そこには、社会的文脈での複雑な言語が長い時間をかけて発達してきたことが示唆されます。ただし、この言語においては、道具、物、動物などを表現する手段がないので、道具の進歩や狩りの成功率の向上などには必ずしも結びつかず、もっぱら社会的文脈でのみ、使われていたということになろうかと思います。

後期旧石器時代の到来とともに、言語が論理思考に使えるようになったのは、まず、それ以前に、前適応として、十分複雑な「人間関係」などを表現できる文法構造、構文構造をもっていたことと、そして、群の中の人間以外の動物、物、などについて「普通名詞」を発達させたことで、人間関係以外の情報交換が言語によって可能になったときであろうと思われます。言語に関する脳の領域について化石人骨からいえることは、このような文法的に複雑な言語は、概ねホモ・ハイデルベルゲンシスの段階で発達していて、ネアンデルタール人も十分発達したはずだというものです。おそらく、ハイデルベルゲンシスやネアンデルタール人の言語は、基本的には「社会的文脈での言語」にとどまっていたのでしょう。しかし、これが十分発達していたので、あとで、クロマニョン人と遭遇したときに、ちょっとした刺激で、後期旧石器的な言語による論理思考が可能になり、シャテルペロン文化を持つにいたったと考えることができましょう。

体毛の減少

重要なことは、人間の体毛は、「少ない」ではなく、「選択的に短い、あるいは長い」です。これも人種的に、アフリカ人は非常に短いし、また髪の毛は旋毛になっています。それに対して、ヨーロッパ人は、かなり毛が長く、また生えている面積も多いです。アジア人、とくに北方系の場合は、直毛で短いです。髪の毛については、いくらでも長くなるといわれています。私の同僚に10年以上のばし続けている女性がいます。

このように、毛が無毛になるのではなく、選択的に短くなったり、形状が旋毛になったり、あるいは長くなったりというのは、一回の突然変異で起こるというよりは、長期間のいくつかの突然変異で、だんだんと変わるタイプのものです。ちょうど、骨が長くなったり、短くなったり、というのと同じです。よって、体毛が減る現象は、かなり長い時間、それは10万年とかその程度であった可能性が高い。また、現代人の共通祖先は、20万年から15万年前に遡り、そして、現在においても、地域集団ごとに、多毛もいれば、またそうとう毛が少ないのもいる、ということを考慮すると、おおかた数万年程度を経て次第に毛がなくなっていったと見るべきでしょう。

もっとも、島氏のいう、「火と家と衣服」が、体毛の減少を可能にした、というのは十分示唆的なので、そこを考えるならば、人類が洞窟に住み始めたころ、そして火の使用が始まったころと考えることもできましょう。また、島氏も認めているように、毛があると汗の蒸発による熱の放射が難しいという点から考えれば、直立歩行と、最近の話のように、長距離走が可能になったころ、と考えることもあり得ます。やはり、そうなると、ホモ・エルガスター段階で、現代人と同じ体形をもつようになっているので、ホモ・エルガスター段階でかなり毛が少なくなったと考える、これまでの多くの研究者の立場をかなり支持します。

現代人の祖先とネアンデルタール人との交流

問題はここにあります。シャテルペロン文化の存在は、あきらかにネアンデルタール人と現代人の祖先、後期旧石器文化をもった人々が交流したことを意味します。これは、ネアンデルタール人と現代人が物品の交換などの交易をしていた可能性を直接指すだけでなく、互いの村、洞窟を訪れて、なんらかの意志疎通を果たしていたことも意味するでしょう。実際のところ、この関係が、たとえば、現代人の祖先が、ネアンデルタール人を奴隷的に扱っていたのか、それとも平和的な交流だったのかはよくわかりません。しかし、このような交流が行われたのならば、そこにはやはり最低限の言語があり、互いに「同類ではないが、意志疎通が可能な相手」と考えていたことを意味するでしょう。しかし、一方で、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの配列の解明がなされて、その配列を現代人の中に求めた場合、全く発見できないということは、二種間の交雑はなかった、あるいは、現代に痕跡を残すような広範囲なものはなかったと考えられます。

もっとも、中国の山東半島に住んでいた紀元前500年ごろのヨーロッパ系の民族集団のことが、当時の墓からでた人骨のミトコンドリアDNAから知られていますが、この集団のミトコンドリアDNAのパターンは現代の中国人の中からは発見できません。このあたりは、紀元前500年ごろ春秋時代の斉国があった地域であり、歴史的に、斉国の人々が皆殺しになったということはかかれていませんし、また、この地域の漢代の墓の人骨も、半数がヨーロッパ系であることが判明しましたが、現代には残っていません。つまり、混血があっても、ミトコンドリアDNAの系統などはある程度の時間で消えてしまうこともあるようなので、今後、核DNAにおけるSNPs解析などで、ネアンデルタール人との混血を示唆するものが見つかる可能性も十分にあります。

また、ネアンデルタール人についてですが、ネアンデルタール人が多毛であった可能性は十分にあります。ただし、それは、後から獲得されたものだろうということです。ヨーロッパに長く住んでいる現代のヨーロッパ人はもっとも多毛ですから、さらに数十万年ヨーロッパの冷涼な気候にいたネアンデルタール人は現代のヨーロッパ人以上に多毛だったと考えられるでしょう。

以上で、反論と自説を述べてみました。島氏の「はだかの起源」は、非常に面白いですが、途中でとても生物学や遺伝学を知っている人とは思えないようなでたらめの話が出てきて、当惑させられました。あれほど緻密に綿密に議論をしているようにみえて、最後になって、ヌードマウスなどの突然変異と人の毛の「少なさ、短さ」を同等に扱い、さらに、その突然変異が「喉頭の形状と一緒に起こった可能性」を述べている点は、あきれるばかりです。


Last modified: Fri Dec 24 00:11:51 JST 2004