「スタジオパークからこんにちは」 (2000年05月 放映)
上田早苗キャスター(以下、上田):
今日皆さんに会っていただくゲストの方はこの方。今、大河ドラマ「葵 徳川三代」にご出演の清水紘治さんです。どうぞ
<拍手>
どうもこんにちは。
清水紘治(以下、清水):
どうもー、こんにちは。
上田:こういう場はお得意ですよね。
清水:いやぁ、お得意じゃないですね。
関口知宏(以下、関口):
緊張しちゃいますか。
清水:緊張してますね。
関口:あはは、ほんとに?
上田:照れ屋な感じでもいらっしゃる。
「葵」昨日の夜、ご出演のシーンがありましたよね。
清水:ええ
上田:榊原康政。徳川四天王の一人。
清水:そうです。
上田:この佇まいがねぇ、かっこいいんですよねぇ、渋くて。
清水:いやいやいや・・・。ただ座ってるだけなんです。
上田:いやいや、そんな。
関口:嘘だぁ(笑)
上田:「徳川三代 葵」のお話も含めまして、清水さんの今に迫ってみたいと思います。
それではスタジオの方へお願い致します。
上田:改めてご紹介いたしましょう、今日のお客様は俳優の清水紘治さんです。
清水:どうも。よろしくお願いします。
今日はいい天気で。
上田:汗ばむ感じでした。
清水:緑がきれいで、今の季節はいいですね。
上田:この季節はお好きですか?
清水:そうですね。
上田:なんか清水さんというと「翳りがある」とか「冬」という。そういう印象があるんですけれども。
清水:あの、大体夏は嫌いなんです。
関口:あ、やっぱり嫌いですか。
清水:寒い方がいいんです。
上田:それはなぜですかね。
清水:なんかね、暑がりっていうこともあるんですけれども。
身をこうやってるのがやっぱり好きなんでしょうね。
関口:なるほど・・・。
上田:ご共演なさったことがあるとか。
関口:そうなんですよ。
上田:そうそうそう。
関口:民放で一度お会いしましたよね。あの時は・・・和歌の先生の役をなさってらっしゃいましたよね。(「清少納言殺人事件」)
清水:そうそうそう、で殺される役でね。
関口:僕はカメラマンの助手の役で、ちょうど僕が初めて会うシーンの時にはお亡くなりになられていたんですよね。
清水:そうそうそう。
上田:既に横たわられていた・・・。
関口:もう、こういう状態だったんですよね。
清水:もう何回死んだかわかりませんからね。
関口:役中で・・・。
上田:長い芸暦をお持ちですものね。そのあたりじっくりと聞いてまいりたいと思います。
関口:清水さんの方に視聴者の方からたくさんメッセージが届きますから楽しみにしていてください。
清水:あ、どうも。
<「葵 徳川三代」より、秀忠の遅参について家康にとりなすシーン>
関口:迫力のシーンですねぇ。
清水:(髪をくしゃくしゃとかき回して)いえいえいえ・・・。
上田:今のその「いえいえいえ」という仕草は何を表しているんでしょうか(笑)
清水:いえいえいえ。大変だったなぁ・・・と
関口:役中では、かなりもう「下がりません」というような役ですけれども、生本番となりますと・・・。
清水:いや、あの・・・勿論緊張しますよ。
関口:役の中では結構イメージが出来上がっているからあれなんですけれども。
生本番の時にはものすごく緊張なさる方が多いんですよね。
清水:そうでしょうね。
関口:やっぱり緊張されます?
清水:いや・・・ね・・何喋っていいのかわかんない
上田:そうでしょう。こちらも時々何聞いていいのかわからないくらい緊張するんですよ。
清水さん、すごく大河にはたくさんご出演なさっていて。
本当は大河ドラマで年譜を作ってみようかと思いましたら数え切れないほどご出演で・・・すごいんですよ。
清水:そうですねぇ。一番最初が「春の坂道」という萬屋錦之介さんとの作品で。
上田:もうすごい昔ですよ、関口さんにとっては。
関口:そうですね、まだ生まれてない・・・
清水:おいおいおいおい(笑) そう・・・20幾つですよね。
上田:今回の「葵」いかがですか。すごく皆さん、ベテラン勢がたくさん・・・。
清水:これはね、とにかく現場行って楽しくてね。津川さんにしろ西田さんにしろ、60代、50代、40代、70代、
その役者さんがずらっと揃ってるんで、それだけでもう感動してね。こんなに素敵な役者さんに会えるのは、そうそうないだろう・・・と。
上田:今のテレビ界じゃ珍しいですよね、その年齢の役者さんが・・・。
清水:みんなね、ほっとして話をするんですよ。
上田:なんでほっとなさるんでしょう。
清水:トレンディとかに出ますとね、誰も話相手がいなくて。片隅でこうやって座って、という状態なんですよ。
上田:清水さん出番です、って・・・。
清水:そうそうそう。とちっちゃいけないって一生懸命・・・ねぇ。
芸暦うん十年やってると、若者の間に入ってとちっちゃいけない、って。若者達は自由自在にお芝居なさってて。
僕は出ていくと変に緊張してどうやったらいいんだろう・・・っていう風になっちゃうんですよね。
関口:まわりの若い人たちのほうが緊張してるのかと思ってましたけれども。
清水:もう自由自在ですね。自由自在に見えるっていうそのことがいいことであろうとは思うんですけれども。
だから話相手が大体いないんですよ。
そうすると今回の場合は行くと「あ、(誰々さん)。あ、(誰々さん)」ってね。非常に楽しかったですね。
上田:今後ますます、一年間続くわけですから見せ場は出てくると思いますけれども。
清水:あ、もうそろそろ僕は。
上田:榊原康政という役の方はもうそろそろ・・・。
清水:そろそろ現場から引いていくんですよ。
上田:じゃあ、そこは見逃さないように我々は見ないといけませんね。
関口:そうですね。
上田:大河って贅沢ですよね。一枚看板を張れる方が・・・
清水:ずらりと揃ってますから・・・
上田:それでちょっとだけ出ていただいたりとかしてますしね。
清水:面白いと思いますよ。それで今回見ててね、合戦のシーンで死んでいく人たちがいるでしょう。
それはようするにアルバイトであったりそういう人達なわけですが、あそこが妙に悲しいんですよね。
だから歴史物というのは勿論、英雄がいて、時代をとっていくということなんだけれども、
そうではなくて、巻き込まれて死んでいく雑兵の人達、我々は雑兵――歴史の中では雑兵の部分だと
思うんだけれども――その人たちの悲しみみたいなのがね、1カットでもぽんぽんぽんと抜いてあるから面白いなあと思って。
歴史ってのは、ただ強い人が勝って、残っていっただけじゃなくて、
それに参加したり参加できなかったり、巻き込まれたり、そういう人たちが作ってるんで、
そういうところもちゃんと捉えてあるなと思って悲しいなぁとおもいながらみてたりするんですよ
上田:いいお話ですよねぇ。雑兵の人たちがいたからこそあのおおいくさもできるわけですね
清水:そうですね、ほんとにそうおもいますね。
上田:血が流れて徳川という時代がうまれたともいえるわけですよね
清水:特に、徳川が勿論天下を取ったんだけれども、それはそれなりのドラマがあるんだけれども。
それの歴史を形作っていった人、無数の人たちが悲しかったり悔しかったり嬉しかったりそういったことを作ってきたんだと思って、
今回はそういうところに思いがあるんだなと思ってうれしくなって見てますね。
上田:カメラの目線がそこにありますものね。歴史好きにはたまらないドラマなんですよ。私、歴史好きでしょうがないんですけれども。
でも思えば、先ほどトレンディドラマという話が出ましたけれども、わたくし清水さんといえば「舞台」の方という印象が濃いんですよ。
清水:そうですね
上田:最近テレビも多いでしょうけれども。舞台とテレビや映画って違います?
清水:そうですね、舞台というのは・・・あら、何でしょう。
<舞台写真が何点か映る>
これは「三人姉妹」をやった時ですかね、これが「早春スケッチブック」の舞台の。
これは・・・また随分変わりましたね「チャイコフスキー(殺人事件)」ですね。
上田:(和服姿に眼鏡の舞台写真を見て)こういうイメージなんですよ、私、清水さんていうと
清水:これは「糸女」ですね。・・・舞台好きですよ、だいたい舞台が好きでやってますね。
何ていうのかな、稽古があるでしょ。だからその間、台詞を覚えるのも、大体そんなに器用な人間じゃないので、
ぱっぱっぱっと何でもできちゃうというタイプじゃなくて、じっくりじっくりやって、あ、やっとこれなら面白いかなというくらいにできるんで。
お酒でもじっくり寝かせて寝かせてという時間が今のドラマにはあんまりないんで。
ぱっぱっぱっぱっとやらなきゃいけないんでそれに対応できるというのがちょっとそう簡単にできないんですよね、僕は。
関口:なるほど
清水:じっくり寝かせて一ヶ月なら一ヶ月、段々いいお酒になってきたかなという・・・。
寝かせすぎるとお酢になったりもするんですけどね(笑)
上田:ちょっと寝かせすぎたか・・・という(笑)
清水:そのへんが難しいところだと思うんですけれども。舞台というのは寝かせておく時間がある。
テレビ・映画というのは即断即決というか、それを迫られることが多いですからね。
上田:見てる側にはそういう区別は・・・
清水:映画だとね、黒澤明先生の作品に出た時にはそれはじっくり・・・・じっくり、しんどいんですよ(笑)
上田:しんどいんですか。
清水:いや、楽しいんだけどしんどいんですよ。
上田:黒澤さんのどのあたりがしんどかったんですか
清水:朝から、支度して全部着て、リハーサルだって行ったら扮装テストで一週間二週間使いますからね。
そうすると、来てこうして座ってて、「はい、今日はお疲れ様」帰っていいんですか、「どうぞお帰り下さい」。
それ一週間くらいやって、「うーん着慣れると似合うようになるもんだね」って言われて、うーん、そりゃそうだと(笑)
関口:何も無しなんですか
上田:その間フィルムはまわらずに?
清水:まわしてらして・・・勿論そんなにちゃんとまわしてはいないんですよ。
上田:「着慣れると似合うもんだね」って・・・(笑)
清水:そりゃそうですよね、こんな格好が鎧武者になるのに、やっぱりそれはちゃんと着こなして、こうやった方がいいんだって
それぞれが個人的に気がつくまではその格好で歩いてなさい、座ってなさいということなんでしょうね。
関口:随分気長なもんだねって感じですよね
清水:気長なもんですよ
上田:面白いですよね、そういうことでいうと、俳優さんて言うのは。
自分の意志もありながら監督の方だったり、テレビだったら演出の方だったり、そういう方のイメージもありますしね。
清水:だからまぁトレンディドラマとか出ますとね
上田:(笑ってる)
清水:「あ、清水さんそこ居ていいです」って「そこにいていいです」っていうのはどういうことかなって。
一応役者だからどうしようかな、と考えてると、そこで座ってていいです、
座っている存在感が欲しいと、あんまり余計なことやらなくていいですよ、という意味なんですよね。
上田:存在感があるというか、
関口:そうですよね。役者としてはちょっと嬉しい台詞ではないですか
清水:でも僕が喋っている時は若いスター、アイドルのアップをとったりしてるから
関口:それはちょっと切ないですね
清水:あんまりやらなくていいのかな、とそういうこともあるんですけれども。
上田:そうか、一概にテレビ、映画、舞台って区切るわけではないんですね。関わる人たちの心持で・・・。
清水:そうですね、だからみんな、いい作品を作ろう、いい番組をつくろうと思ってますからね。
俺はそういうんじゃないよ、と言ったって面白くなるかどうかはわからんことだし。
僕はそういう意味では、そうやって下さいとそういったら、それをちゃんと全うできればいいなとそう思ってます。
関口:(真剣に)大人だな・・・。
上田:「大人だな」って、あなた。
清水:大人だよ(苦笑)
上田:何を言うんですか。
関口:失礼しました。
上田:さあ、清水さんこういう風に俳優への道に進んでいかれたのを振り返ってみたいんですけれども。
こちらに3つのキーワードをご用意しました。「清水紘治 幼き日から青春時代」。
今もう五十・・・
清水:六ですね
上田:56でいらっしゃるから、青春時代、18ぐらい・・・ すごい、40数年前ってことですね。
清水:そうですね。で、俳優生活・・・・10歳の時に――京都の太秦で生まれましたもので・・・
上田:そのね、キーワードなんですよ「父の影」
清水:ええ、太秦でですね、親父が映画のプロデューサーだったんですよ。
関口:ほぉ。
<写真>
清水:あららら 困ったな・・・。
上田:お父様、すごくお洒落な方ですよね。
清水:いや、時代がまぁお洒落でしたからね、その頃は
関口:そうだったんですか
清水:ええ、映画のプロデュサーでね、・・・あららら
上田:これはご家族ですか?
清水:そうですね。
上田:お母様は。
清水:下にいますね。
上田:下でしゃがんで着物を召していらっしゃる。
清水:兄ちゃん、姉ちゃん。
上田:じゃあこの左の下の。
清水:かわいい子が僕です(笑)
関口:かわいい子、自分で言ってしまいましたね(笑)
上田:でもなんか今だと映画プロデューサーってカタカナ仕事って感じがしますけれども。
清水:ええ。
上田:その当時、1900年の前半で映画のプロデューサー・・・
清水:カタカナもいいとこですよ。お洒落でね。トレンチコート着てソフトかぶって、肩でひゅーって風切ってね。
かっこばっかりつけるそういうタイプでした。そのかっこつけるのがね、受け継いだらしくてね。
上田:(笑)
清水:清水紘治はかっこつけると言われつづけて何十年・・・
上田:でも子供心にそういうお洒落なお父様をご覧になるというのは結構、自慢、嬉しかったんじゃないですか。
かっこいいな、うちのお父さん・・・て
清水:でも貧乏だったんですよ(笑)・・・まぁ、それはあれだけど。時代もそうなんだけど。
上田:でもプロデューサーっていうとすごいお金持ちという感じがするんですけれども
清水:外ではいい顔してましたね、ええ。家ではまぁ、大変でしたね、結構。
上田:お給料は全部外で使っちゃう・・・
清水:そうなんでしょうね、わかりません、そのへんは。
上田:まだ小さいお子さんでしたものねぇ
清水:だから、昔の写真というのは・・・あ
<写真>
上田:これはお幾つ・・・
清水:かわいいでしょう(ちょっと自慢そう)
上田:ほんとに目がパッチリしてて
清水:これでおばあちゃんが外で抱いてたらね、坂妻さんが通りがかって「おお、いい子だねぇ」って言われたって、
おばあちゃんがそれが自慢でね、「バンツマさんにいい子って言われた」って。
で、その頃はね、太秦村っていいますか、太秦の町は映画監督さんもいれば撮影技師さんもいれば、証明技師さん、スクリプタの方もいれば、 お隣が原セイシロウ(?)っていう役者さんでってそういう路地だったんですよ。
上田:あらー
清水:そこで育ったものですから、見るものなにもかもそういう中で育って。
上田:京都というと我々なんかはお寺が多くて、とか古都という印象ですけれども、映画の・・・
清水:そうなんです。太秦ですからね。
上田:映画の町で育ったと。
関口:錚々たる面々の中でお育ちになられた。
清水:志村喬さんが路地のチョット向こう側にいらしたとかね。
上田:日常としていらっしゃるんですよね
清水:映画ロケだって、常に夜になったらあのへんは明々と、林の中。
そうすると鞍馬天狗が走ってきたり丹下作善が走ってたり、
日常の中で走っているんだから、そりゃもう・・・しょうがないでしょう。
上田:なんか夢現って感じ・・・
<「鳴門秘帖」の写真>
清水:あ、参った参った
関口:ご出演もなさってるんですね
清水:ええ
上田:これが先ほどおっしゃっていた
清水:長谷川一夫先生の「鳴門秘帖」で若様をやったときですね。
上田:これがお幾つの時?
清水:十歳か十一歳ぐらいかな。
上田:単純に芸歴を引き算すると45,6年・・・。
清水:そうですね。
関口:うわー、すごい・・・
清水:(笑ってる)いや、これからだよ。
関口:(僕なんて)こんなもんですよね、まだ。
清水:何言ってるんだよ(笑)
上田:十歳でこの子役で時代劇の格好なさって、映画にだーっと入っていかれるって感じはありました?
清水:そうですね・・・まぁ好きは好きだったんですけれども。その・・・なんていうのかな、
華やかと裏の・・・子供心に裏表の格差がすごくあると思ったんですよ。
だからなんて言うのかな、映画に行けばいいのに、でも映画も段々沈んできていた頃だし、親父も年くって力ないから。
そしたら芝居やろうって言うんで、映画界よりも芝居をやりたいんだということで東京に出てきたんですよ。
上田:この2つめのキーワードで「時代の風」というのを書かせていただいたんですが。
これは高校卒業なさって進学というよりは芝居という選択をなさったわけですよね。
清水:そうですね・・・
上田:それはやはり映画の街で育ったからですか?
清水:子供の頃から病弱だったんですよ、それでそんなに人前に出るというのは得意じゃなかったんです。
芝居はやってたんですが。それで、何か自分が思っていることをやるっていうのは、映画で派手派手しくこう出ていくよりも、
こつこつなんか自分の好きなことをやれることはないかなと思って、
お芝居の方が自分にあってるかもしれないなぁと思ってそっちの方にいったんですよ。
上田:この時代といいますと、この年譜で計算していきますと学生運動華やかかりし頃ですよね。私達のおじおばの世代。
清水:だから随分生意気でね、色々お話があってもそれを蹴飛ばして。
我々は自由劇場を作って、それからその後黒テントというのを作りまして、色んな空き地を探してはテントをたてて、お芝居をやって。
それでこれが自分達の思いを伝える手段だっていうんで一生懸命・・・大変でしたけどね、お金もかかりますし。
上田:そのあたりをじっくり後半うかがっていきたいと思います。
京都から、こつこつと作り上げる芝居をやりたいということで東京にお出になったというあたりで・・・
まずはメッセージが届いていますから、そちらを。
関口:そうですね、どうでしょうか古谷さん。
古谷:ではご紹介します。たくさん頂いているんですが、まず東京の中野区宮原さんという女性の方です。
「何を演じられても大変存在感のある清水紘治さん。はまり役はなんといってもニヒル、悪者、アウトロー。
このあたりかと思っていたら、近頃は風変わりな父親の役とか面白い堀部安兵衛の舞台などがあったり、
奥が深くてきらりと光る個性が本当に素晴らしいです。
これからもどうか清水さんの演技の一杯詰まった芝居の小箱を大切にして小出しにしながら
じわじわと長くファンを楽しませてください」
というメッセージを頂きました。
続いて大阪の男性の方なんですが
「私はあなたの大ファンなんですが、清水さんの役柄の殆どといっていいほど、善玉にしろ悪役にしろ、
常にニヒルで翳りのある役が多いんですが、実際の素顔はどうなんでしょうか、ぜひとも拝見したい」
大阪府の田代明さんという方なんですが、この後またインタビュー、お話の方でそこらへんも楽しみにしています。