課題文n-ro281 わたしが30年前に植えた松の木が大きくなりました。

解説
わたしが30年前に植えた松の木: la pino, kiun mi plantis antau^ tridek jaroj。pino は「松の木」を指すので,pinarbo のように -arbo を付ける必要はありません。その松の木を聞き手が知っているときには pino に冠詞を付けますが,そうでないときには無冠詞で使います。ただし「わたしが30年前に植えた松の木」が1本しかないときは,冠詞を付けてそのことを暗示することができます。kiun は pino の直後に置くのがよいので,訳例のような語順にするのがよいでしょう。関係詞は次のような止むを得ない場合を除いて,先行詞のすぐ後に置くようにします。

参考:
C^i tio estas la c^apelo de mia filino, kiun s^i ac^etis por si hodiau^.(これはきょう娘が買った娘の帽子です)

kiu mi plantis ... の kiu は kiun としなければなりません。kiu の数は先行詞と一致し, 格は従属節の中での機能によって決まります。いい換えると, kiu は先行詞が複数のときは kiuj となり, 従属節の中で動詞の目的語になるときは kiun または kiujn となります。

参考:
* C^u vi konas la virinon, kiu staras tie?(あそこに立っている女の人をご存知ですか)
* Tiuj estas knaboj, kiujn s-ro A instruas.(あれはA先生が教えている少年たちです)

関係詞の前のコンマを付けない人もいます。ただし,固有名詞につける関係詞の前には,必ずコンマを付けるようにしましょう。

「30年前に」は antau^ tridek jaroj。tri dek と2語に書かずに tridek と書きます。(数詞の書き方については「入門講座」の「数詞」をご参照ください。) 「30年」は 30 jaroj と書くこともできます。antau^ 30 jarojn の -n は削除しましょう。

大きくなりました: grandig^is を使っていうことができます。grandig^i には alte kreski という意味があります。kreskis も使えますが,ここでは alte を付けて alte kreskis としたほうが「大きくなりました」という意味に近くなります。estas plene kreskinta や plene kreskis,plenkreskis は「成長しきった」という意味ですから,plene や plen- は削除しましょう。

訳例
Grandig^is la pino(,) kiun mi plantis antau^ tridek jaroj.


課題文n-ro282 わたしが20年前から文通している友だちが,きのう初めてわたしを訪ねてきました。

解説
わたしが20年前から文通している友だち: mia amiko, kun kiu mi korespondas de antau^ dudek jaroj のようにいえばよいでしょう。la amiko を使った訳が多く寄せられましたが,冠詞を使うと「わたしが20年前から文通している,あの友だち」という意味になるので,初めて話題にするときに la amiko を使うと聞き手は「えっ,どの友だちのこと?」と戸惑うでしょう。mia, via, lia ... などの代わりに冠詞を使うことができるのは,体の一部や身に付けている衣服などについていうときに限ります。

参考:
Lavu la(=viajn) manojn.(手を洗いなさい。)
Demetu la(=viajn) s^uojn.(靴を脱いでください。)

kun kiu mi korespondas(わたしが文通している) のところを kiu korespondas kun mi(わたしと文通している) とすると,意味は少し変わりますが,ふたりが文通友だちであるということは伝わるので,ここではよいでしょう。korespondas は korespondadas として「長年の文通」であることを強調することができます。korespondis とすると「過去の文通友だち」であって今は文通していないという意味になるので,ここでは誤りです。kun kiun の kiun は kiu としなければなりません。kun の後に対格(-n)が置かれることはありません。
「20年前から」は de antau^ dudek jaroj でよいのですが,antau^ を省略して de dudek jaroj ということもできます。「20年間文通している」という意味で korespondas dum dudek jaroj ということもできますが,この dum を por にするのはよくありません。dum と por の使い分けについては,ここをクリックして解説をお読みください。du dek は dudek と1語に書きます。dudek は u にアクセントを置いて発音されるので,du dek と離して書いた場合とは発音が違います。(数詞の書き方については,「入門講座」の「数詞」をご参照ください。)

初めて: unuafoje, por la unua fojo, la unuan fojon で表すことができます。unue は「(同じ人の一連の行為の)いちばん始めに」という意味ですから,ここでは不適当です。unua foje は unuafoje と1語に書きます。

参考:
Mi lernis unue la anglan lingvon kaj due Esperanton.(わたしは最初英語を学び,二番目にエスペラントを学びました。)

「友だち」は男女の区別なく amiko を使っていうことができますが,特に女性であることを明示したいときは amikino を使うことができます。

わたしを訪ねてきました: vizitis min または min vizitis。文末に置かれるときはアクセントの都合で min vizitis の語順が好まれます。

訳例
Hierau^ unuafoje min vizitis mia amiko, kun kiu mi korespondas de antau^ dudek jaroj.


課題文n-ro283 きょうわたしは,今月のはじめから入院している友だちを見舞いに行ってきました。

解説
今月のはじめから: de la komenco de c^i tiu monato。de は ekde も使えます。「今月」は c^i tiu monato のほかに la nuna monato や la kuranta monato を使っていうこともできます。komenco, nuna, kuranata には冠詞を付けます。enhospitalig^is, eniris en hospitalon(入院した)を使うときは,de la komenco de c^i tiu monato ではなく,en la komenco de c^i tiu monato (今月のはじめに)を使いましょう。de antau^ は「の前から」という意味ですから,antau^ を削除します。

参考:
Li estas malsaneta de antau^ la someraj ferioj.(彼は夏休みの前から体の具合が悪い。)

入院している友だちを: mian amikon(,) kiu estas en hospitalo のようにいうことができます。la amiko は mia amiko としましょう。(la amiko と mia amiko については,バックナンバーで前回の解説をお読みください。) hospitalo は無冠詞で使います。英語では初めて話題にするときでも in the hospital のように冠詞を付けていいますが,エスペラントでは初めて話題にするときは無冠詞で en hospitalo といいます。「入院している」は esti en hospitalo というのがよいでしょう。hospitalig^i は「入院する」という行為を表す点動詞です。点動詞の現在形は1回きりの行為ではなく,反復される行為を表すので,「入院している」という意味で enhospitalig^as を使うことはできません。(点動詞についての説明はここをクリック,点動詞の現在形についての説明は,ここをクリックしてお読みください。) 
例えば,帽子についていうとき,「かぶる」が surmeti,「かぶっている」が porti となるように,日本語では活用部分を変えるだけの違いが,エスペラントではまったく別の表現になることは珍しいことではないので,注意することが必要です。

「入院する」を英語では be hospitalized という受け身形で表しますが,エスペラントで esti enhospitaligita とすると,「入院させられる」という意味に取られる恐れがありますし,文脈で「入院する」の意味だと分かっても,anglismo(英語風のいいまわし)と感じられるでしょう。点動詞の -ata形は,反復を表すので esti enhospitaligata は「入退院を繰り返す」という意味になります。

見舞いに行ってきました: vizitis だけで十分です。vizitis konsoli といっても誤りではありませんが,「見舞いに行く」は viziti を使っていうのが普通です。

訳例
Hodiau^ mi vizitis mian amikon(,) kiu estas en hospitalo de la komenco de c^i tiu monato.


課題文n-ro284 これはオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)がはいていた靴です。

解説
オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)がはいていた靴: s^uoj, kiujn surhavis Audrey Hepburn。「オードリー・ヘップバーンがはいていた」は,Audrey Hepburn surhavis でもよいのですが,surhavis Audrey Hepburn のほうが Audrey Hepburn を強調する形です。surhavis の代わりに portis を使っていうこともできます。metis, surmetis は「はいた」という行為を表すので,「はいていた」という状態を表すには surhavis または portis を使っていうのがよいでしょう。estas metitaj de Audrey Hepburn は誤りです。estas 〜-ita de ...は「...によって〜された」という行為の結果が現在も続いているという意味を表すので,ここでは不適当です。「オードリー・ヘップバーンによってはかれていた」という受け身形でいうときは,estis surhavataj de Audrey Hepburn または estis portataj de Audrey Hepburn としなければなりません。

参考:
esti -ata は次の場合に使われます。
1 状態の継続を表す場合
S^i estas amata de c^iuj. (彼女はみんなに愛されています)
S^i estis amata de c^iuj. (彼女はみんなに愛されていました)

2 動作の反復を表す場合
La c^ambro estas purigata c^iutage. (部屋は毎日掃除されます)
La c^ambro estis purigata c^iutage. (部屋は毎日掃除されていました)

3 動作の継続を表す場合
La c^ambro nun estas purigata. (部屋はいま掃除されています)
La c^ambro tiam estis purigata. (部屋はそのとき掃除されていました)

esti -ita は次の場合に使われます。
1 動作の完了を表す場合
La c^ambro estis purigita hierau~. (部屋はきのう掃除されました)
2 動作の結果である状態を表す場合
La c^ambro estas purigita. (部屋は掃除されています= 掃除してあります)
La c^ambro estis purigita. (部屋は掃除されていました= 掃除してありました)

注)La c^ambro estis purigita. は「部屋は掃除されました」という動作と「部屋は掃除してありました」という状態を表すことができるので,どちらの意味にとるかは文脈によります。
例えば,Kiam mi eniris en la c^ambron, g^i estis purigita という文は「わたしがその部屋に入ったとき,部屋は掃除されました」という意味ではなく,「わたしがその部屋に入ったとき,部屋は掃除してありました」という意味にとるほうが自然ですね。
しかし,文によってはどちらの意味にとるのか迷う場合もあります。
例えば,Kiam mi venis al la domo, la pordo estis malfermita は「わたしがその家に着いたときに入り口が開かれました(着いたときに誰かが開いた)」という意味と,「わたしがその家に着いたときは入り口が開かれていました(着いたときにはもう開いていた)」という意味のどちらにもとれますね。そこで,「もう開いていた」という状態を表すときは estis の代わりに statis を使って,Kiam mi venis al la domo, la pordo statis malfermita と表現することができます。

冠詞を付けて la s^uoj とするのは,よくありません。冠詞を付けると「オードリー・ヘップバーンがはいていた,あの靴」という特定の靴を指すことになります。「オードリー・ヘップバーンがはいていた靴」というのは,一足ではなく何足もあるので,初めて話題にするときは無冠詞で言わなければなりません。

訳例
C^i tiuj estas s^uoj, kiujn surhavis Audrey Hepburn.


課題文n-ro285 こちらは,きのうわたしがあなたにお話した中国の方です。

解説
こちらは: c^i tiu。c^i tiu や tiu は persono や homo を付けなくても,人を指して「この人,この方」という意味で使うことができます。c^i tiu と「これ,こちら」が完全に対応している訳ではありませんが,自分のすぐ傍にいる人を指すときは tiu より c^i tiu を使うほうがよいでしょう。c^i tiu と同じ意味の tiu c^i を使ってもよいのですが,c^i tiu は「弱強弱」という,最後から2番目の音節にアクセントを置くリズムで発音されるので,tiu c^i より発音しやすく,美しく聞こえます。c^i tiu, tiu は文脈や状況で分かる場合には,次のように物を指して使われることもあります。

参考:
El la du valizoj c^i tiu estas pli peza ol tiu.(このふたつの旅行鞄の中で,こちらはそちらより重い。)

なお,『エスペラント初級・中級の作文』の111ページに,「これ,あれ」と c^i tio について,図入りで詳しく解説してあるのでご参照ください。 

きのうわたしがあなたにお話した中国の方: la c^ino, pri kiu mi parolis al vi hierau^ のようにいえばよいでしょう。al vi と hierau^ の位置は移動が可能です。c^ino の後のコンマは付けない人もいます。日本語では紹介するときの表現として「この人」といういい方は丁寧ないい方ではないと感じられるので,「この方」とか「こちら」といういい方が使われますが,同じように「この中国人」というのは丁寧な表現ではないと感じがするため,「この中国の方」のようにいうことがあります。しかし,エスペラントではこのような区別をせずに,「中国の方」も「中国人」も c^ino というのが普通ですから,c^ina sinjoro のようにいう必要はありません。h^ は k または c^ に置き換えられる傾向のため,h^ino は今ではほとんど使われないようです。
聞き手には「きのう話された,あの中国の人」ということが分かるので,c^ino には冠詞を付けます。
「あなたにお話した」は parolis al vi を使っていうのがよいでしょう。rakonti は「実際の出来事や作り話を語る」という意味で rakonti ion, rakonti pri io の形で使うのが普通です。anonci, diri, sciigi も人を直接目的として使うことはできません。diri, paroli, rakonti の違いについては『作文のためのエスペラント類義語集』の10ページをご参照ください。

訳例
C^i tiu estas la c^ino, pri kiu mi parolis al vi hierau^.


課題文n-ro286 わたしは,日本人とエスペラントで文通したいと思っているロシア人を探しています。

解説
わたしは〜を探しています: mi serc^as 〜。mi estas serc^anta ともいえますが,serc^i という動詞自体が継続の意味を持っているので,serc^as だけで十分です。

日本人とエスペラントで文通したいと思っているロシア人を: ruson(,) kiu volas korespondi kun japano en Esperanto。ruson に冠詞を付けるのは,ここではよくありません。la ruson とすると「(あなたがご存知の)あのロシア人を」という意味になります。rusanan personon は誤りです。rusana という語はありません。rusiano(ロシアに住んでいる人,またはロシアの市民権を持っている人) という語はありますが,rusiana persono といういい方はしません。ruso は「人種としてのロシア人」を指しますが,rusiano は人種に関係ありません。しかし,japano は「人種としての日本人」だけでなく,「日本の市民権を持っている人」の意味でも使われます。「日本に住んでいる人」を指す語としては japaniano がありますが,この語が使われる機会はあまりなく,実際には例えば,Mi estas ruso log^anta en Japanio(わたしは日本に住んでいるロシア人です)のようにいうのが普通です。しかし,形容詞形の japania は「日本の」という意味で使われることがあります。「日本の」のという意味でよく使われる japana には,de japano(日本人の) という意味と de Japanio(日本の) という意味があるので,ときにはその両義性が問題になる場合があります。例えば,日本人以外の会員がいる Japana Esperanto-Instituto(日本エスペラント学会)の Japana は,「日本人の」という意味を含まない Japania にすべきだという意見を持っている人がいるのは,この両義性のためです。また,国名に -ano を付けると例外なく「その国の市民権を持っている人」を指すわけではなく,新PIV によると,usonano は「アメリカに住んでいる人」のことであって,「アメリカの市民権を持っている人」ではありませんが,kanadano は「カナダの市民権を持っている人」と説明されています。しかし,kanadano を「カナダの市民権を持っている人」の意味に取らない人もいるでしょうから,この意味をはっきりさせたいときは civitano de Kanado というのがよいでしょう。同じように「アメリカの市民権を持っている人」は civitano de Usono となります。

「したいと思っている」を表す語には voli, deziri, intenci などがあります。deziri は気持ちに重点をおいた表現で,voli は意志に重点をおいた表現です。intenciは「〜しようという意図をもっている」という意味ですが,pensi が動詞の不定形(-i)を目的語にして,intenci の意味で使われることがあります。いずれもここでは -as の形で使いましょう。-us を使うのはよくありません。
「エスペラントで」は en Esperanto がよいでしょう。「日本語で」とか「ロシア語で」などの場合は japane, ruse という副詞形を使ってもよいのですが、esperante には「希望して」という意味があるので,volas korespondi esperante のようにいうと,聞き手が一瞬とまどう場合があるかもしれません。「エスペラントを使って」という意味で per Esperanto を使うことができますが,ザメンホフは en Esperanto という表現を勧めています。

訳例
Mi serc^as ruson(,) kiu volas korespondi kun japano en Esperanto.


課題文n-ro287 わたしの友人の奥さんは,日本語がまったく話せないイタリア人です。

解説
わたしの友人の奥さん: la edzino de mia amiko というのが普通です。edzino には冠詞を付けます。無冠詞の edzino にすると,unu el la edzinoj(何人かいる妻のうちの一人)という意味になります。イスラム圏では一夫多妻が認められているので,誤解されないためには冠詞を付けることが必要です。日本語では「友人の妻」という表現は普通ではありませんが,エスペラントでは上のようにいうのが普通です。自分の妻を指すときは,以前は謙称として「愚妻」などのような表現が使われましたが,今では年配の人は「家内」のようにいうのが多いようです。これもエスペラントでは mia edzino が普通です。edzino の発音は[ed-zi:no]ですが,エッヅィーノと聞こえるように発音してもかまいません。一部の方言を除いて日本語では ザ,ズ,ゼ,ゾ が za, zu, ze, zo と発音されないで,dza, dzu, dze, dzo と発音されるので,ヅィの発音は日本人には難しくありませんね。「伊豆半島」(イズハントウ)の「ズ」は dzu ではなく zu と発音されますが,「ズボン」の「ズ」は dzu になるのが普通です。Zamenhof を Dzamenhof と発音する日本人は多いのです。ただし,エスペラントでは z を dz と発音しても誤解されることはありません。(英語では d と dz の区別をきちんとしないと,cars[車の複数]が cards[カードの複数形]になってしまうなどの不都合が生じます。)

日本語がまったく話せないイタリア人: italino(,) kiu tute ne povas paroli en la japana のようにいえばよいでしょう。「イタリア人」は複数形では男女を含めて italoj が使われるのが普通ですが,italo が単数形で使われると,itala viro という意味合いが感じられるので,ここでは italo を使うことに違和感を感じる人が多いことも知っておくのがよいでしょう。これは italo に限ったことではなく,例えば Multaj japanoj opinias ke ...(...と思っている日本人が多い)という場合の japanoj は男女を含めていると理解されるのが普通ですが,japano と聞くと男性を思い浮かべる人が多くいます。itala と形容詞形を使うのは誤りです。英語では国籍を強調するとき以外は,名詞を使った He is an Italian でなく形容詞を使って He is Italian というのが普通ですが,エスペラントでは itala ではなく italo または italino を使っていいます。italino に冠詞を付けるのはよくありません。la italino とすると,聞き手の知っている「あのイタリア人」を指すことになります。tute ne の代わりに neniel を使っても同じです。neniom も使えますが,tute ne の同義語は neniel です。paroli en la japana lingvo は paroli la japanan lingvon ということもできます。lingvo, lingvon は省略することができます。japana lingvo には冠詞を付けるほうがスマートですし,とくに lingvo を省略したときには必ず付けましょう。

訳例
La edzino de mia amiko estas italino, kiu tute ne povas paroli en la japana.


課題文n-ro288 あそこに屋根が見えている建物は何ですか。

解説
あそこに屋根が見えている建物: la konstruaj^o, kies tegmenton vi vidas tie のようにいうことができます。この形を使った方はすべて ni vidas になっていました。話し手も聞き手といっしょに見ているのですから,ni でもよいように思われますが,こういう質問の場合は vi を使っていうのが普通です。kies tegmenton vi vidas は kies tegmento estas videbla または kies tegmento vidig^as としてもよいでしょう。vidig^i は PIV では ig^i vidata(見えてくる), aperi(現れる)という意味しか挙げていませんが,実際には esti vidata(見えている)という意味でも使われているので,エス和やエス英などの民族語の辞書の中には,両方の意味を挙げている辞書もあります。ただし,民族語の対訳辞書の中には PIV と同じように「見えている」という意味を挙げていない辞書もあるので,そういう辞書を使って学んだ人が読むと vidig^as が使われていることに違和感を感じたり,誤用だと思うかもしれません。aperas や montrig^as を使うのはよくありません。どちらも「見えている」という意味で使うことはできません。ni videblas は誤りです。videbli は esti videbla と同じですから,la konstruaj^o, kies tegmento videblas としなければなりません。kies の前のコンマは付けない人もいます。

「建物」は konstruaj^o。domo は「人が住んでいる建物(一戸建ての家やアパートなど)」を指して使われる語ですから,この課題文の返事として domo を使うことはありますが,「人が住んでいる建物」かどうか分からない場合の質問としては konstruaj^o を使って尋ねるのがよいでしょう。

訳例
Kio estas la konstruaj^o, kies tegmenton vi vidas tie?


課題文n-ro289 この地方には,山頂が一年中雪で覆われている山がいくつかあります。

解説
この地方には: en c^i tiu regiono というのがよいでしょう。regiono は地理的な特性による区分です。provinco や gubernio は行政上の区分ですが,「この町は坂道が多い」と言えるように,行政上の区分が使えないことはありません。

山頂が一年中雪で覆われている山がいくつかあります: 「山がいくつかあります」は「いくつかの山があります」という形にして estas kelkaj montoj, kies supro estas kovrita de neg^o tra la tuta jaro のようにいうのがよいでしょう。(kies の前のコンマは付けない人もいます。) estas は trovig^as または staras や ekzistas を使っていうことまできます。
この「山頂」に montosupro を使うのはよくありません。「山頂」は montosupro ですが,monto と一緒に montosupro を使うと,日本語で「山の山頂」というのと同じような不自然さを伴います。supro は,ここでは単数形でも複数形でもよいでしょう。文法書には,複数の人または物がそれぞれ一つずつ持っている物は単数形を使うと書かれていますが,実際には単数形も複数形も使われています。ザメンホフにも複数形を使った用例があるのですが,いま手もとでそれが見つからないので,ここに挙げることはできません。実はヨーロッパの言語,例えばイタリア語でも,こういう場合に単数形を使うか複数形を使うかには揺れがあるので,イタリアのエスペランチストにも両方の形が見られますが,これはイタリア語だけでなく,いくつかのほかのヨーロッパの言語についても同じです。そのため,それらを母語とするエスペランチストには,母語の影響で単数形を使うか複数形を使うかに揺れが見られますが,一般的にいえば,この課題文のような場合には単数形が使われることが多いようです。ただし,下に挙げる例の場合などは, 複数形の suproj を使わなければならないことは明らかですね。

Neg^o kovras neniun el la suproj de la montoj en c^i tiu reginono.(この地方では山頂が雪で覆われている山はひとつもありません。)

「一年中」は tra la tuta jaro のほか,dum la tuta jaro などが使えますが,tuta の前には冠詞を付けましょう。

「雪で覆われている」は estas kovrita de neg^o としましょう。kovrata を使うと,「覆われる」という動作が進行中であることを表し,「雪で覆われている」という完了した状態を表しません。per neg^o とするのはよくありません。例えば,La montosupro estas kovrita de neg^o(山頂は雪で覆われています)は,能動態に書き換えると,Neg^o kovras la montosupron(雪が山頂を覆っています)となりますが,per neg^o とすると,何かが雪で山頂を覆っているという意味になって,「何か」という行為者がいることを暗示します。次の例文を見ると,行為者が de で示され,道具・手段が per で示されていることがよく分かるでしょう。

受動態: C^i tiu letero estis skribita de Masao per krajono.(この手紙はマサオによって鉛筆で書かれました。)
能動態: Masao skribis c^i tiun leteron per krajono.(マサオは鉛筆でこの手紙を書きました。)

訳例
En c^i tiu regiono estas kelkaj montoj, kies supro estas kovrita de neg^o tra la tuta jaro.


課題文n-ro290 Braun夫妻には,名前が Anna という娘がいます。

解説
Braun夫妻: gesinjoroj Braun といいます。こういう場合の gesinjoroj には冠詞を付けません。書くときには ges-roj のように書くこともできます。geedzoj はよくありません。geedzoj は Tiuj estas geedzoj(あの人たちは夫婦です)のように使うのはよいのですが,geedzoj Braun のように人名の前に使うと,日本語の「ブラウン夫婦」のように g^entileco(ていねいさ)に欠ける感じを伴いますし,場合によっては失礼な感じを与えます。sinjorino kaj sinjoro Braun は sinjoro kaj sinjorino Braun という語順が普通です。演説の最初によく使われる呼びかけは,sinjorinoj kaj sinjoroj という語順ですが,××夫妻というときには sinjoro を先に置きます。日本語エスペラント辞典には「Z夫妻」の訳語として sinjorino kaj sinjoro Z が出ていますが,sinjoro kaj sinjorino Z に訂正しておきましょう。

名前が Anna という娘: ここでは havas の目的語になるので対格(-n)にして,filinon(,) kies nomo estas Anna または filinon(,) kiu nomig^as Anna あるいは filinon nomatan Anna。filinon に sian や冠詞を付けるのはよくありません。

訳例
Gesinjoroj Braun havas filinon(,) kies nomo estas Anna.