課題文n-ro401 わたしは,そのニュースをけさ知ったばかりです。

解説
そのニュースを: la novaj^on または tiun novaj^on を使います。

けさ知ったばかりです: nur hodiau^ matene mi eksciis のように言うことができます。nur hodiau^ matene は文末に置くこともできますし,c^i-matene と1語で言うこともできますが,tiu c^i matene とするのは誤りです。tiu は指示形容詞ですから名詞を修飾することができるだけで,副詞を修飾することはできません。「知った」に sciis を使うのは誤りです。scii は「知っている」と言う状態を表す線動詞ですから,sciis は「知っていた」と言う過去の状態を表します。
「知ったばかりです」の訳として j^us eksciis が多く寄せられました。この表現には文法上の問題はありませんが,hodiau^ matene や c^i-matene などのような時を表す表現といっしょに使うと「けさ」と言う表現と「今さっき」と言う表現が衝突して,意味不明の文になってしまいます。日本語でも「けさ知りました」とか「今さっき知りました」とは言えますが,「けさ今さっき知りました」と言う表現は成立しませんね。ここでは上に挙げたように,nur を使って言います。
「けさ」と言う表現と「今さっき」と言う表現の衝突に気づかれた方の中には j^us を使わないで,Mi eksciis la novaj^on hodiau^ matene のような訳を寄せられましたが,これでは「ばかりです」と言う表現が欠けているので,課題文の内容を完全には伝えていません。

訳例
Mi eksciis la novaj^on nur hodiau^ matene.


課題文n-ro402 わたしも半時間前に着いたばかりなんです。

解説
半時間前に着いたばかりなんです: alvenis nur antau^ duonhoro と言うのがよいでしょう。duonhoro は tridek minutoj としても同じ時間の長さを表しますが,日本語の「半時間」と「30分」と同じように,duonhoro と tridek minutoj とは表現上の違いはあります。duonhoro は duona horo としても同じですが,duon horo のようには言わないので1語にしましょう。duonhoro は duonhOro と発音されますが,duon horo と書けば dUon hOro されるので,発音も違います。duon-horo のようにハイフンを入れることはしないのが普通です。辞書や雑誌などの印刷物の中ではスペースの都合でひとつの単語が2行に分かれることがありますが,その場合には duon- と horo のように書かれていても,それは duon-horo と言う表記を示しているのではありません。『日本語エスペラント辞典』では,例えば Esperanto-movado のようにハイフンを入れて書くのが普通になっている単語が2行になるときは,Esperanto=movado のように二重ハイフンを使って,本来ハイフンを入れないで書かれる単語と区別しています。(ただし,これは『日本語エスペラント辞典』の中だけで通用する表記法ですから,実際に文を書くときに二重ハイフンを使うことはありません。) la duonhoro と冠詞を付けるのはよくありません。
一般的に言えば「着いた」には atingis ではなく,alvenisを使って言うほうがよいでしょう。atingiには「困難を乗り越えて」と言うニュアンスがあって,日本語の「たどり着く」に近い感じで使われることが多いからです。状況によっては atingi も使えますが,atingi は他動詞ですから atingis c^i tien のように言うことはできません。
ankau^ は関係する語の直前に置くことになっているので,ここでは Mi ankau^ alvenis ではなく,Ankau^ mi alvenis と言う語順にします。

参考:
Ankau^ mi kantis en la c^ambro hierau^.
わたしもきのうその部屋で歌いました。(わたしだけでなく,ほかの人も歌いました)
Mi ankau^ kantis en la c^ambro hierau^.
わたしはきのうその部屋で歌も歌いました。(歌うだけでなく,ほかのこともしました)
Mi kantis ankau^ en la c^ambro hierau^.
わたしはきのうその部屋でも歌いました。(ほかの場所でも歌いました)
Mi kantis en la c^ambro ankau^ hierau^.
わたしはきのうもその部屋で歌いました。(きのうだけでなく,ほかの日にも歌いました)

訳例
Ankau^ mi alvenis nur antau^ duonhoro.


課題文n-ro403 わたしは,全員が救助されたと言う報告をいま受け取りました。

解説
全員が救助されたと言う報告を: la raporton(,) ke c^iuj estis savitaj と言うのがよいでしょう。日本語の「報告」にはいくつかの意味がありますが,この文脈では「ある任務を与えられた人が、その経過や結果などについて上司または担当者に伝える内容」と言う意味に取るのが自然ですから,informo, sciigo, novaj^o ではなく raporto(ここでは対格にして raporton)を使います。la raporton, kiu diras ke ... は diras を diris にすれば文法上の誤りはなくなりますが,このような回りくどい表現は使わないで la raporton(,) ke ...と言うのが普通です。
「全員」は「みんな」と言う意味の代名詞 c^iuj を使うのがよいでしょう。グループの構成員を指す場合なら c^iuj membroj も使えますが,「全員」は何かの構成員を指す場合だけでなく,一般的に「みんな」と言う意味でもよく使われる言葉です。
「救助された」は estis savitaj と言います。estas savitaj は「救助された」と言う行為ではなく,「救助されている(危険から救出されて安全な状態に置かれている)」と言う状態を指します。helpitaj はここでは不適当です。savi と helpi の違いについては『作文のためのエスペラント類義語集』,p.54または『エスペラント初級・中級の作文』,p.94
をご参照ください。savig^is もよくありません。savig^i は「自力で危険から逃れる」と言う意味で「ほかの人によって救助される」と言う意味に使うことはできません。

いま受け取りました: j^us ricevis と言います。この「いま」は「さっき」と同じ意味で,「ほんの少し前」を指します。「いまの電話は誰からでしたか」の「いま」と同じで,日常よく使われる表現です。nun ricevis のように nun を使うのは誤りです。『エスペラント日本語辞典』の見出し語 nun のところに「たった今,=j^us 」と言う記述がありますが,これは誤りです。nun と j^us とは区別して使われる語で,『エスペラント日本語辞典』でも j^us のところでは「いくら近くても過去のこととして捉えている。現在を指す nun との違いに注意」と言う(注意)が付けられています。
「受け取りました」に akceptis を使うのは,ここではよくありません。akcepti は「承諾して受け取る」と言うような意味です。

比較:
ricevi ies inviton ある人から招待を受ける(招待に応じるかどうか決めていない)
akcepti ies invitoan ある人から招待を受ける(招待に応じるつもり)

訳例
Mi j^us ricevis la raporton(,) ke c^iuj estis savitaj.


課題文n-ro404 いま入ってきた若い女の人をご存知ですか。

解説
前回の課題文にあった「情報を受け取る」の訳について,「試験を受ける」をricevi ekzamenon とするのは間違いであると言う解説を読んだことがあるので、ricevi la reporton を使うのを躊躇しました,と書き添えてこられた方がありました。確かに「試験を受ける」を ricevi ekzamenon,「手術を受ける」を ricevi operacion のように言うのはよくありませんが,これは ricevi を「受ける」と言う訳語でおぼえていることから来る誤りで,ricevi を「受け取る」と言う訳語でおぼえておれば,「試験を受け取る」,「手術を受け取る」と言う表現はおかしいが「情報を受け取る」と言う表現はおかしくないことに気づくはずですね。ただし,ricevi を「受け取る」と言う訳語でおぼえると言うのは,あくまで入門段階における便法のひとつに過ぎないので,ricevi の正確な意味はエス・エス辞典で確かめておぼえる必要があります。

いま入ってきた若い女の人を: la junulinon(,) kiu j^us envenis でよいのですが,junulinon は junan virinon と言うこともできます。また,関係詞 kiu を使わずに,la junulinon j^us envenintan または la junan virinon j^us envenintan のように言うこともできます。ここで使われている「いま」は直前の過去を指す表現で「いましがた,さっき」と同じ意味ですから,j^us を使って言います。nun は誤りです。子供の感情の変わりやすいことを表す「いま泣いたカラスがもう笑う」と言う表現がありますが,この「いま」も「いまさっき」と言う意味です。国語辞典は漢字の分からないときに調べるためにだけ使うのではなく,「いま」のような日常何気なく使っている言葉の正確な意味を調べるためにも役立てたいものですね。j^us が jus や j^s になっていたのは,うっかりミスでしょう。
「入ってきた」は envenis を使って言いましょう。eniris は日本語の「入っていった」に当たる語です。建物や部屋の外にいて言うときは「(中に)入っていった」と言いますが,課題文の「入ってきた」は建物や部屋の中にいて言うときの表現ですから,envenis または envenintan を使って言います。日本語でいま入ってきた人を指して「いま入っていった人」と言えばおかしいのと同じで,enveni と eniri は使い分けることが必要です。ただし聞き手のところへ行くのは enveni を使いますから,ドアの外から「入ってもいいですか」と尋ねるのは C^u mi povas enveni? と言います。
junulinon または junan virinon は,聞き手にどの人を指しているのか分かっているはずですから,la を付けて言います。

ご存知ですか: C^u vi konas と言います。scias を使うのは,ここでは誤りです。scias la junulinon のように,scii の目的語に人を使うことはできません。学習辞典として作られた『エスペラント日本語辞典』は,作文をするときの親切な相談相手になりますから,迷ったときには調べてみるのがよいでしょう。見出し語 scii のところに <ion, ke, c^u>と書かれているのは,scii の目的語に人は使えないことを示しています。koni のところに(1)<ion> と(2)<iun>が書かれているのは,koni の目的語には「人以外のもの」も「人」も使えることを示しています。

訳例
C^u vi konas la junulinon(,) kiu j^us envenis?


課題文n-ro405 わたしは Petroを知っていますが,彼に妹がいるかどうかは知りません。

解説
わたしは Petroを知っていますが: mi konas Petron, sed と言えばよいでしょう。エスペラント化された固有名詞を対格にする場合には -n を付ければよいので,Petro は Petron となりますが,主格の形を示すためにハイフンを入れて Petro-n としても構いません。-n を付けると発音しにくい固有名詞の場合(例えば,日本人の女性の名「かりん」など)には,-n を付けずに Mi konas Karin のように言うこともできます。Mi scias Petro のように,scias を使うのは誤りです。前回の解説に書いたように,scii の目的語に人を置くことはできません。
「が」は sed を使って言いましょう。kvankam は malgrau^ ke と同じように,強い逆接を示すので,ここでは不適当です。

参考: Kvankam mi falis, mi relevig^os.(たとえ倒れても,わたしは起き上がる。ミカ書,7:8)

彼に妹がいるかどうかは知りません: ne scias(,) c^u li havas fratinojn と言うのがよいでしょう。konas は ke や c^u の前に使うことはできません。koni は koni ion, koni iun のように使うとおぼえておきましょう。ひとりの妹について話していることが,はっきりしている場合には fratinon を使って言うことができますが,漠然と妹がいるかどうかという場合には複数形で尋ねるのがよいでしょう。pli junan fratinon と言っても誤りではありませんが,普通は単に fratinon と言うだけでよいでしょう。pli を付けずに junan fratinon と言うのはよくありません。例えば,50歳の妹を指して pli junan fratinon と言うことはできますが,junan fratinon と言うことはできません。havas sian fratinon のように sian を付けるのはよくありません。

比較:
Mi amas mian edzinon.(わたしは妻を愛しています。)
Mi havas edzinon.(わたしには妻がいます。)

日本語では「わたしは妻を愛しています」と言うのが普通の表現ですが,エスペラントでは Mi amas edzinon とは言わずに,Mi amas mian edzinon と言います。しかし,「わたしには妻がいます」と言うときは,上に挙げた例文のように mian を付けませんし,「わたしは先月妻をめとりました」と言うときにも mian を付けずに Mi prenis edzinon en la lasta monato と言います。(al mi を付けて Mi prenis al mi edzinon ... のように言うこともあります。)
このように所有代名詞(mia, via, lia ...など)を付けるか付けないかと言う区別は,英語やフランス語などの印欧語では当たり前のことで,これらの言語を母語としている人たちには,所有代名詞の使い方で迷うと言うことは思いもよらないことなのですが,わたしたちは学習によって身に付けなければなりません。

訳例
Mi konas Petron, sed ne scias, c^u li havas fratinojn.


課題文n-ro406 わたしには兄がふたりいますが,ふたりとも外国に住んでいます。

解説
わたしには兄がふたりいます: mi havas du fratojn と言えばよいでしょう。「兄」は pliag^a frato(ここでは pliag^ajn fratojn)としてもよいのですが,普通は frato(ここでは fratojn)と言います。

が: kaj を使います。この課題文の「が」は順接の「が」ですから,逆接の接続詞の sed を使うのはよくありません。日本語の「が」は順接にも逆接にも使えるので,「が」をいつも sed に訳すと間違いになることがあります。

(注)
順接: 両立可能な文または句の接続の仕方。(例)「マサオに会いましたが,元気そうでした」

逆接: 両立できない文または句の接続の仕方。(例)「マサオはそのことを知っているようですが,わたしには教えてくれません」

この課題文の「が」は,訳例に挙げたようにセミコロン(;)を使ってもよいでしょう。

ふたりとも: ili ambau^ ですが,訳例に挙げた文のように,関係詞で結ぶ場合には kiuj ambau^ となります。ambau^ ili や ambau^ kiuj はよくありません。ambau^ を入れなくても文としては成立しますが,原文を尊重すれば,やはり入れたいですね。

外国に住んでいます: log^as en la eksterlando または log^as eksterlande と言えばよいでしょう。eksterlando は国の外の地域全体を指す語ですから,冠詞付きの単数形を使って言います。
「外国」は alilando を使って言うこともできますが,単数形が使えるのは,ふたりの兄が同じ国に住んでいる場合に限られます。la alilandoj と冠詞を付けるのはよくありませせん。

訳例
Mi havas du fratojn, kiuj ambau^ log^as eksterlande.
Mi havas du fratojn; ili ambau^ log^as en la eksterlando.


課題文n-ro407 わたしは海外に何人かの友だちがいますが,そのうちのひとりは100歳の女性です。

解説
わたしは海外に何人かの友だちがいます: mi havas kelkajn amikojn en la eksterlando でよいのですが,en la eksterlando は eksterlande としても同じです。前回の解説で述べたように,eksterlando は国の外の地域全体を指す語で,冠詞付きの単数形を使って言うので,eksterlandoj と複数形にするのは誤りです。「外国に」と言う意味で en fremdlandoj も使えますが,単数形の fremdlando にすると,友だちがみんなひとつの国に住んでいることになってしまいます。
「友だち」は geamikoj(ここでは対格にして geamikojn) としても誤りではありませんが,男女を含めて amikoj(ここでは対格にして amikojn) と言うのが普通です。
「何人かの」は kelkaj(ここでは kelkajn)を使います。kelke da は,ひとつにまとまっているときに使われる表現ですから,ここでは不適当です。

参考:En la c^ambro ludis kelke da infanoj.(その部屋では数人の子供が遊んでいました。)

が: ここでは kaj を使うか,セミコロン(;)を使えばよいでしょう。コンマでつなぐのはよくありません。

そのうちのひとりは: unu el ili と言えばよいのですが,kaj で結ぶかわりに unu el kiuj と関係詞を使って言うこともできます。

100歳の女性です: centjara virino, centjarag^a virino などのように言えばよいでしょう。virino kun la ag^o de cent jarojn の jarojn は jaroj に,cent jarag^a は centjarag^a または cent-jarag^a に,100 jarag^a は 100-jarag^a にします。cento jarag^a は誤りです。

訳例
Mi havas kelkajn amikojn en la eksterlando, kaj unu el ili estas centjarag^a virino.


課題文n-ro408 あすはきっと雪になると思います。

解説
あすはきっと雪になる: morgau^ certe neg^os のように言えばよいでしょう。morgau^ は文末に置くこともできます。「きっと」は sendube を使って言うこともできますが,nepre は不適当です。nepre はロシア語の nepremenno(devige, neeviteble)から作られた語で,義務,強制と言う意味を感じさせるため,下に挙げた例文のように,約束や命令に使うのはよいのですが,この課題文の場合に使うと不自然になります。

参考:
Mi nepre elfaros c^i tiun laboron g^is la monatfino.(わたしはこの仕事を月末までにきっと仕上げます。)
Vi nepre devas elfari c^i tiun laboron g^is la monatfino.(あなたはこの仕事を月末までに必ず仕上げなければなりません。)

「きっと」に probable, vers^ajne を使うのはよくありません。certe がほぼ100%の確率を表すのに対して probable, vers^ajne は90%くらいの確率しか表しません。eble は50%くらいの確率です。

と思います: mi pensas(,) ke を使って言うのがよいでしょう。antau^supozas や kredas も使えますが,s^ajnas al mi はよくありません。s^ajni は「不確実さ」と結びついている表現なので,S^ajnas al mi, ke morgau^ certe ... のように certe といっしょに使うのは不自然であるからです。同じことは timi についても言えるので,Mi timas, ke morgau^ certe ... のように,timi と certe を使うのは不自然です。senti も「なんとなく」と言うような漠然とした感じを表す表現なので,Mi sentas, ke morgau^ certe ... のように certe といっしょに使うのは不自然です。

訳例
Mi pensas(,) ke morgau^ certe neg^os.


課題文n-ro409 ハルオはきっと友だちがたくさんいると思います。

解説
きっと: certe または sendube を使って言うのがよいでしょう。devi を使って言うのは,ここではよくありません。devi には「〜に違いない」と言う意味があるので,La raporto certe estas falsa(その報告はきっとうそです)は La raporto devas esti falsa(その報告はうそに違いない)のように, devi を使って言い換えることができる場合もありますが,このような言い換えがいつも可能なわけではありません。devi が「〜に違いない」と言う意味になるのは,無意志動詞の前に置かれているときだけであって,意志動詞の前では「〜しなければならない」と言う意味になるのが普通です。この課題文の havi は意志動詞ですから,devas havi multajn amikojn は「友だちをたくさん持たなければなりません」と言う意味に取られるおそれがあります。
動詞が意志動詞であるか,無意志動詞であるかは,命令文にしてみると分かります。命令文として成立するのは意志動詞です。Havu multajn amikojn.(友だちをたくさん持ちなさい)と言う文は成立しますから,この havi は意志動詞です。ただし,havi には複数の意味があるので,Ni havas belan veteron hodiau^(きょうはよい天気です)の havi は無意志動詞として機能しています。Havu belan veteron と言う文は成立しないからです。文脈によって誤解されるおそれがない場合は,devi が意志動詞の前でも「〜に違いない」の意味で使われることがありますが,一般的に言って「〜に違いない」の意味に使うのは,無意志動詞の前に置く場合に限るのがよいでしょう。
kredeble, vers^ajne は「たぶん」に当たる表現で,「きっと」より小さい蓋然性を表すので,上に挙げたように,certe, sendube を使いましょう。

友だちがたくさんいる: havas multajn amikojn を使います。multe da amikoj はよくありません。multe da は「ひとまとまりになっている」と言う意味を含みます。

参考:
En c^i tiu urbo trovig^as multaj esperantistoj.(この市には多くのエスペランチストがいます。)
En la c^ambro trovig^is multe da esperantistoj.(その部屋には多くのエスペランチストがいました。)

と思います: kredas は「証拠を求めないで,真実だと思う」と言う意味なので,ここでは pensi(理由があってそう思う)を使って言うのがよいでしょう。

訳例
Mi pensas(,) ke Haruo certe havas multajn amikojn.


課題文n-ro410 あしたは必ず8時までに,ここへ来てください。

解説
あしたは: morgau^ を使って言います。morgau^ を置く位置は文頭でも文中でも文末でもよいのですが,「あした8時までに」のように時刻を表す語句といっしょに使うときは,morgau^ g^is la oka と言わずに,g^is la oka morgau^ のように言うのが普通です。ただし,会話では Nepre venu morgau^ c^i tien g^is la oka のように, morgau^ と g^is la oka が離れることがあるので,そのときは morgau^ が g^is la oka より前に出てきてもおかしくはありあせん。

必ず: この課題文は命令文ですから,nepre を使うのがよいでしょう。certe も使えますが,nepre は相手が断れない強い調子を感じさせる表現です。certe, nepre をどちらも「きっと,必ず」と言う日本語でおぼえていると,このふたつの語の違いが分かりませんが,動詞形にしてみると,その違いがはっきり現れます。

参考:
Certas ke li venos.(彼が来ることは確実です。)
Nepras ke li venu.(彼が来ることが必要なのです。)

nepre の位置は動詞の直前,または「8時までに」と言う句の前に置くことができます。動詞の前に置けば「必ず来てください」と言う意味を強調し,句の前に置けば「必ず8時までに」と言う時刻厳守を強調することになります。

8時までに: g^is la oka horo ですが,horo はたいてい省略されます。oka には冠詞を付けます。g^is je la oka のようには言いません。ここでは g^is の代わりに「〜前に」を意味する antau^ を使ってもよいでしょう。ただし,次のような場合には g^is と antau^ とを区別して使わなければなりません。

参考:
Redonu la libron g^is la monatfino.(その本は月末までに返してください。)
Redonu la libron antau^ la monatfino.(その本は月末前に返してください。)

g^is la monatfino は「月が変わるまでに」と言う意味ですから,3月でしたら3月31日中に返せばよいのですが,antau^ la monatfino と言われたら,遅くとも3月30日には返さなければなりません。
antau^ ol la oka は誤りです。『日エス』の見出し語「-までに」に antau^ ol が出ていますが,名詞の前に antau^ ol を置くのは誤りですから,そこに出ている例文 antau^ ol la unua de majo の ol は消しておいてください。

ここへ来てください: venu c^i tien または丁寧な表現なら bonvolu veni c^i tien と言います。ただし,日本語の「〜してください」はいつも bonvolu -i の形で言わなければならないという訳ではありません。エスペラントの -u は,日本語の「〜しろ」,「〜しなさい」から「〜してください」までを含む幅広い表現です。

訳例
Nepre venu c^i tien g^is la oka morgau^.
Venu c^i tien nepre g^is la oka morgau^.