七.堂々たる無為の作戦


 大勝によりフィレンツェ星系の確保に成功したカルタゴ宇宙連邦の名将ハンニバル。だがそれとて順風満帆という訳ではなく、遠く遠征を続けてきた将兵の疲労は決して少ないものではなかった。また、ローマから周辺星系が離反するであろうとのカルタゴ側の目論見もはずれ、依然として帝国は強固な団結を維持している。
 一方で大敗を喫した銀河ローマ帝国は宰相アッピウス・クラウディウスの元に民衆に奮起を促し、新たな司令官としてクイントゥス・ファビウス・マキシムスを任命した。また若いプブリウス・コルネリウス・スキピオも軍務省から帝国宇宙艦隊に転籍。対ハンニバルとは別方面でカルタゴ宇宙連邦と対峙する軍には司令官代理として新鋭のマルテリウスが任命される。

 銀河の動乱は未だ収束する様子を見せない。


† † †


「何と!?閣下、今一度ご説明を」

 新任の司令官ファビウス・マキシムスの旗艦コルネリアの艦橋にマクシリア・アイルリッツの声が反響する。承伏し難いという表情で問いかける部隊指揮官の質問に、心持ち顎を突き出すようにして司令官が答えた。

「言った通りだ。アルトマイヤー、詳細の説明を」
「はい、閣下」

 司令官に指名されて士官学校の生徒然とした青年将校、イエンス・アルトマイヤーが背筋を伸ばして説明を始めた。大規模な決戦には決して持ち込まずに小競り合いや奇襲で撹乱をしつつ、戦線をただ維持し続ける事をのみ目的とする戦闘。それがクイントゥス・ファビウス・マキシムスの唱える堂々たる無為の作戦だった。

「しかしそれでは…消極的に過ぎませぬか」
「今、敵軍の勢いを破るのは難しい。それより長駆遠征してきた敵の疲労を蓄積させて後退に追い込むが良策だ」

 ハンニバル軍にとって余りに遠いカルタゴ本国からの連絡は充分であるとは言えない。帝国ローマの被支配星系群は未だハンニバルに従属しきってはおらず、また占領地から苛烈な搾取も行われてはいない現在、寧ろ彼等の補給にかかる負担は増大しているであろう。
 ファビウス・マキシムスの命令によって前衛で敵攻勢を支える役目にはマクシリアが、左翼に入り敵を撹乱する役としてイエンス、アエミリアヌスは後衛に予備兵力として待機。以上の形で陣列が決定するとハンニバル軍に占領されたフィレンツェ星系へと侵攻を開始した。

 一方、カルタゴ宇宙連邦軍ハンニバル艦隊はファビウス・マキシムスの推察した通り占領地の行政に苦戦を強いられていた。連戦して連勝、にも関わらず旗艦バール=ハーマンの艦橋に届く報告は決して耳に快いものではない。

「…閣下。カルタゴ本国からの援助要請、断られました」
「ではバルセロナにいる弟のハスドルバルに連絡をしろ。占領地の様子はどうだ?」

 クローデット・コルベールの報告を受けながらハンニバルは苦虫をまとめて噛みつぶしたような顔をしていた。ローマ帝国軍の抵抗は頑強なものであり、現状ではその事実が占領地の協力を妨げている。カルタゴ商人の出自であるクローデットの配慮によって暴動こそ起きてはいなかったが、遠征軍を長期に支えるだけの物資は何とか調達できても将兵の士気を支えるだけの戦況は確保できていなかった。

「閣下、敵遠征軍進発の報が入りました」

 前線で待機状態にあったヘクトールより、苦慮する司令官のもとにローマ帝国艦隊がフィレンツェ星系奪回のために進軍を開始したとの報告が入る。この際は徹底的な戦勝によって味方の士気を高めるとともに占領星系の住民から従属の意思を引き出す必要があった。

「よーし、全艦隊出撃!返り討ちにしてやる」


† † †


「敵正面、艦影確認…バール=ハーマン、ハンニバル本隊が先頭に立っています」
「(果たして防ぎきれるか…)」

 乗艦バーミッシュの艦橋、スクリーン一杯に広がる暗黒の宇宙空間を埋め尽くすかのように、光点の群れが視界を満たし始める様子を見ながらマクシリアは胸裏に呟いていた。最強のハンニバル艦隊に正面から対峙して、とにかく味方の被害を抑えなければならない。損な役回りではあるがもともと迎撃防御は彼女の十八番でもある。

「相対距離6万…今射程距離に入りました!」
「撃て!」

 散発的な砲撃、そして後退。双方の艦隊前面を光の球が彩り、その代価として数百の艦艇と数万の人命が戦神の生け贄に捧げられる。防御を重視したマクシリアの砲火は敵艦隊に僅かな損害しか与えることができず、ハンニバル艦隊の的確な砲撃は強力でこそあるものの陣形を密集させて容易には艦列を崩さない。
 長期に渡る戦線の維持は充分に期待できる。問題は彼女が胃に穴の開きそうなこの状態を誰も予想の出来ないほど長く続けなければならないということだったろう。

 一方、得意の迎撃戦に持ち込もうとしていたハンニバルだが、敵の出足があまりにも鈍いことに不満と疑念を抱かずにはいられない。ことに敵右翼に陣を取った司令官、ファビウス・マキシムス本隊はまるで動く様子を見せていない。

「敵が迂回を図るやもしれん…コルベールは後方に待機しつつ索敵範囲を広げろ。右翼ヘクトールは前進、敵を巣穴から引きずりだせ」
「了解!」

 意気込んで旗艦ギルガメシュを進発させるヘクトール。部隊を平均的な横列陣に展開して前進、敵左翼を強引に突破して左側面から半包囲を図るカルタゴ連邦軍得意の戦術である。だがそのイエンスの左翼部隊は敵の行動を完全に読み切っていた。自軍を後退させつつ敵の攻勢を受けとめ、陣形を左右に広げて逆に敵を半包囲に誘い込む。

「砲撃!」

 命令一下、先頭部隊一点を狙って最も効果的に収束された複数の熱線が一斉に発射され、ヘクトール艦隊の前衛部を一撃で消滅させる。光と熱の塊に高速で激突を余儀なくされた戦艦と乗員が一瞬にして蒸発、遅れて爆発と火災がそれに続く。続けて第二射、瞬時にヘクトール艦隊の三割を破壊した攻撃力は戦史家の目を疑わせるほどであった。

「反撃しろ…撃て!」

 無論、ヘクトールも祭壇に捧げられるだけの無抵抗な羊ではありえず、突撃からの強引な砲火でイエンス艦隊旗艦ワルトロウテの周辺に火を付ける。陣形を展開していた分だけ陣容が薄くなっていたイエンス艦隊は陣形を混乱させるがすぐに立て直し、続けての砲撃を堪えると双方長距離からの撃ち合いを開始。だが熱と光の壁だけで相手を押し止めてしまおうとするイエンスに対して強引な前進、突破を図るヘクトール艦隊の損害は徐々に大きくなっていく。

「仕方がない、後退して陣形を再編!」
「逃がすな!敵の転進先に砲火を集中…撃て!」

 絶妙のタイミングであった。イエンスの砲撃によって艦隊の転回中を狙撃されたヘクトールは莫大な損害を被り、それ以上の戦線維持が不可能になる。初弾の破壊力といい、好機を最大限に活かす若い指揮官の能力は相当なものであったろう。


†イエンス艦隊    09150/10000
†ヘクトール艦隊   05900/10000


 そしてイエンスによって甚大な打撃を受けたハンニバル軍右翼に対して、これを迂回して背後から回り込むべくアエミリアヌスが進発する。敵側背に回って牽制、ただし深追いはせぬようにとの司令官からの指示を受け、乗艦ロンディニウムを先頭に苛烈な戦場を回避して、暗黒の虚空を進軍してゆく。だがカルタゴ側もその鼻面を抑えるかのように、クローデットが回り込んでいた。

「敵旗艦ゲーリュオン確認…コルベールの艦隊です!」
「流石に早い…全艦砲撃用意!」

 得意の密集隊形から突進してくるクローデット、そのスピードに対応できずアエミリアヌスは相手に先制を許す形となった。本来は両者共に守勢に強い堅実な指揮官であるが、クローデットは相手の機先を制する速攻も充分に為すことができる。

「撃て」

 先制の一撃、相手の艦列に穿たれた穴に突入する。そのまま零距離射撃による近接戦闘、密集隊形による先制攻撃を優位に用いる術をクローデットは充分に心得ていた。打ち出される磁力砲弾の弾頭が樹脂と金属とでできた戦艦の外壁を叩き、数分のうちに巨大な宇宙戦艦を単なる金属屑へと変えてしまう。

「撃ち負けるな、反撃しろ!」

 直ぐに艦列を立て直したアエミリアヌスが叱咤する。先制こそ許したものの、混戦になれば両者の力量は互角に近い。両艦隊が接近した状態で双方が撃ち合い、消耗戦となる。先手を取られたにも関わらず、劣勢を挽回したアエミリアヌスがやや優位に立ってはいたが、当初参加した艦艇の絶対数が多いクローデットの陣営を破るには到らない。
 地味だが苛烈な戦闘が続き、双方の士気系統が負荷に耐え切れなくなるに至ってようやく軍を後退させた。相応の損害を与えたものの、クローデットやハンニバルにとっては相手の側背から打撃を与えるという策は完全に失敗したこととなった。


†アエミリアヌス艦隊 07600/10000
†クローデット艦隊  09750/12000


 右翼ヘクトールは撃退、遊撃のクローデットも抑えられたハンニバルは意外な苦境に立たされていた。全体としては戦況を優位に進めてはいるものの、決定的に展開を変えるには到らないでいる。正面マクシリア部隊の抵抗は頑強というよりも頑迷なもので、ハンニバルが圧倒的に優勢であるものの、逆に言えばハンニバルの本隊はマクシリアによって足止めを受けている状態であった。だが、強力な攻勢に耐え続けているマクシリア部隊の士気も既に限界に達している。

「(まだか…もう、もたない)」

 徹底的な迎撃、防御戦術で戦線を維持し続けているが既に戦闘開始から四日間が経過、不眠不休に近い状態で戦線を維持し続け、最前線の艦艇を頻繁に交替させながら頑強な抵抗を続けている。しかし五日目、遂に堤防が決壊し、正面艦列に埋めがたい穴が開くと満を持したハンニバル軍の砲撃がマクシリアの部隊に突き刺さる。一瞬で1000隻近い艦艇が吹き飛ばされ、戦列が崩壊するかに見えた。

 その時、にわかにハンニバル軍後方部隊が混乱を始めた。旗艦バール=ハーマン艦橋に色めき立った通信士官からの報告が入る。

「司令官!ハスドルバル閣下より入電、バルセロナ星系が敵の攻撃を受けているとの事です!」
「何ぃ!」

 後方を遮断された連邦軍は浮き足立ち、ハンニバルは全軍にフィレンツェ星系までの後退を司令する。そして敵の後退を見たクルツ・メラニウスが乗艦ロスロリアンを駆り、この機に乗じて追撃を図る。

「撃て!」

 だがハンニバルの苛烈な抵抗に遭って追撃は失敗、逆撃を被って損害を拡大させる。無傷に近かった本陣左翼部隊から兵を突出させるとクルツ艦隊の戦闘部隊に激烈な砲火を集中させる。

「まずい!全艦後退!」

 慌てて後退したクルツの様子を見て、改めて全艦を撤退させるハンニバル。ファビウス・マキシムスもそれ以上の深追いはせずに全軍に後退を司令、戦局の変化によりカルタゴ連邦軍はこれまで以上に補給と将兵の疲労に悩まされることになる。またハンニバルの即戦によってかなりの戦火が交えられたにも関わらず、双方の被害が最小限に抑えられてしまったこともカルタゴ側には誤算であったろう。堂々たる無為の作戦はこれからがその真価を発揮すると思われ、その事を察知したハンニバルも悪寒を禁じ得ないでいた。


†マクシリア艦隊   08650/10000
†ハンニバル艦隊中央 09050/10000
†クルツ艦隊     06325/10000
†ハンニバル艦隊左翼 09450/10000

‡帝国軍艦艇数 33100/40000 損害率17.25%
‡連邦軍艦艇数 32700/40000 損害率18.25%


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