十.カンネ攻防戦


「大勝利を以て帝国ローマの期待に応えるのだ。汝等に大神ユピテルの加護があらん事を」

 妙手クイントゥス・ファビウス・マキシムスの唱えた「堂々たる無為の作戦」によって銀河ローマ帝国軍はカルタゴの名将ハンニバルに損耗を強いていた。だがその消極的な策を潔しとしない一部将校の悪意ある中傷によって司令官は更迭され、代行として新任の司令官アエミリウス・パウルスとテレンティス・ヴァロが着任する。故に彼等は積極的な勝利を望む者でなければならず、それは所信表明となる演説でも表されていた。如何にして勝つか、ではなく勝つことを命令とした指令に対し、長く戦場にある古参の将兵達は不安を禁じ得ない。

(今回は負けるか…)

 司令官の演説を聞きながら、旗艦ロンディニウムの艦橋でアエミリアヌス・コルネリウスは腕を組んでいた。老練のアエミリアヌスは過去にもこのような戦いを経験しており、司令官レベルで敗北が決定している戦いというものは確かに存在するのである。だがそのような戦いで如何にして部下を生かすか、また敵に如何に損害を負わせるかが部隊指揮官の腕の見せ所であった。大きな戦果を得られる戦いでそれを成し得なければ、それは長期的には大敗北に等しい。今回は、局所的な敵の攻勢を全て抑える事が出来れば帝国ローマの大勝利である。

「アイルリッツ少将の艦に回線を繋げ」

 アエミリアヌスは自部隊を再後衛に配備、必ず来るであろう敵の迂回作戦を迎撃するつもりでいた。要となる宙域で敵の攻勢を防ぐ、そしてこれまでの例を考えればカルタゴ連邦艦隊の主力はハンニバルの中央部隊とクローデット・コルベールの遊軍である。やがて戦艦バーミッシュに通信回線が開き、戦場で長く見慣れた女性指揮官の顔がスクリーンに映し出される。マクシリア・アイルリッツは三十以上も年齢の離れた老練の同僚に敬礼をすると口を開いた。

「如何なさいました?コルネリウス少将」
「貴官は今回中央を受け持つつもりと聞いたが」
「司令官御自ら先陣に出るそうよ。後詰めがいるでしょ?」

 皮肉っぽい笑みを浮かべるマクシリア。彼女が自分と同じ意図を持っている事を了解したアエミリアヌスも、同様の苦笑でそれに応える。

「敵を勢いに乗せると壊滅もあり得る。何とかハンニバルを止めてくれ」
「こっちには左翼のクルツもいるのよ。後衛の貴方よりは楽だわ」
「まあ、老人は若者とは気が合わぬのでな。一人でやるさ」

 互いに激戦を予想し、だがこれを抑えれば広大な戦局の中では優位に立ちうる事を知っている。カルタゴ連邦艦隊ハンニバル軍の後背、バルセロナ星系は若きスキピオの指揮する艦隊がその後背を絶つべく図っているし、マルテリウスの指揮するシチリア方面軍も戦況は優位に展開していた。言ってみればカルタゴは壮大な包囲戦の網にかかりつつあるのだ。無論、それには包囲が完成するまで網が食い破られない事が絶対条件になる。

「では、無事を祈る」
「大神ユピテルにでも祈っておいて」


† † †


 一方でカルタゴ宇宙連邦側、ハンニバル艦隊旗艦バール=ハーマンでは連日の会議に余念がない。議題は無論現在の戦局に対してであり、正面に展開しつつある銀河ローマ帝国軍艦隊と後背バルセロナを攻囲しつつあるスキピオの別働隊、そしてシチリア星系から本国にかけての戦況である。

「今更後に帰しても間に合うとは限らぬし将兵の疲労も激しくなる。まず正面の敵を撃破、敵主星を望み敵艦隊を反転撤退させる。これしか無かろう」

 ハンニバルは自分の信念に絶対の自信を持つタイプの人間であり、それ故にこそ如何なる難局に於いてもそれを克服する事が出来た。彼の部下達にしても今更無敵の司令官を疑う理由も必要も無い。だが戦局がかつてない程に厳しいものである事もまた事実であり、通信スクリーンを通した戦艦ゲーリュオンの艦橋から会議に参加しているクローデット・コルベールの顔色も陽気なものでは有り得なかった。

「速戦では敵の迎撃策に掛かる恐れがあります。一方時間を掛ければ背後の戦況が気がかりになります。ここは撤退するのも手かと…」
「撤退してどこに行く?本国からの補給が充分で無い以上、戦力が先細りするだけなのは貴官の方が良く知っていよう」

 ハンニバル艦隊が遠征軍である以上、そこには常に補給の確保が最重要課題となる。クローデットが治安政策を打ち立てたマルセーユ、ジェノバを中心とした占領星系からの援助で現在は補給を確保できているが、戦局が変われば占領地の態度も変わって然るべきであろう。彼等の選択肢は戦うか否かではなく、どのように戦うかという状態にしかなかったのである。

「我が本隊が中央で敵主力をせん滅する。ヘクトールは右から敵左翼を抑え、コルベールは左から迂回して敵後背に回り込め」
「了解」

 敬礼を残してスクリーンの通信映像が切られる。カルタゴ連邦艦隊にとって唯一の幸いは敵軍の司令官が恐るべきファビウス・マキシムスではなく単なる好戦的な政治屋に変わった事であった。

「勝つことは出来よう。問題はどれだけ勝てるかだ」


† † †


 そして両軍はオファント星雲カンネ宙域で対峙、両軍四万隻の艦艇同士の激突である。艦橋一杯に広がるスクリーンを埋め尽くす星々の光点が敵艦艇を示す光点と入れ替わり始め、双方の将兵の視界を満たしていく。声帯まで緊張させた艦隊オペレータが敵との相対距離を読み上げ、その数値が徐々に小さくなっていった。カルタゴ連邦艦隊旗艦バール=ハーマンの艦橋で無敵の司令官ハンニバルに届く報告も一秒ごとに変化していく。

「敵射程距離に入りました。砲撃が開始されています」
「まだだ。全艦後退しつつ相対距離を取れ」

 質量すら思わせる熱線の束が複数、連邦艦隊正面に降り注ぐが後退しつつその威力をエネルギー中和磁場で減殺していく。砲撃を効果的に使用する術をハンニバルは心得ていたが、ローマ帝国軍司令官であるパウルスとヴァロは知らなかった。

「相対距離51…50!至近です」
「全艦砲撃!突進せよ!」

 その戦闘の勝敗は一瞬で決した。ハンニバル艦隊からの一斉砲撃は初撃で2000隻に達する敵艦を消滅させ、その中には司令官パウルスの旗艦ディオニシウス、副司令官ヴァロの旗艦デメトラをも含まれていたのである。
 愛国心だけに溢れていた指揮官を失った艦隊は崩壊し、続けての攻撃に対して各艦レベルでの絶望的な反撃が行われるが無論効果を上げる事は出来ない。こうなる事は予測出来ていたとしても、これほどまでになるとは予測していなかった者もいたであろう、主砲の三連斉射で本隊である先頭集団の5割を壊滅させたハンニバル艦隊はその勢いのまま前進し、残余のローマ帝国艦隊は正面に立つ味方が邪魔になり反撃をする事が出来ない。

「考えようによっては敵に備える時間があると言う事だ。全艦迎撃戦用意」

 バーミッシュの艦橋でマクシリアが出した命令は酷薄なものであったが、不利な戦況下で自部隊の兵士達を生き残らせる義務が彼女には存在する。司令官の本隊が一瞬で消滅した事は寧ろ余計な命令がくる恐れがないという事であり、他の将兵達とは無言の連携が行える程度には長く共に戦ってきたつもりだった。

「前衛部隊、抵抗が散発的になっています。敵艦隊との相対距離は約80」
「よし、全艦砲撃用意…生き残れよ」

 銀河ローマ帝国軍艦隊前衛が壊滅し、ハンニバルとマクシリアとの砲戦が始まるまで数時間をしか必要とはしなかった。これまで幾度となく正面衝突、辛酸を舐められてきたマクシリアだったが、名将ハンニバルの攻勢に耐えきる粘り強さは他の将官の追随を許さない。「鋼鉄の壁」なる呼び名が一部で飛び交っているらしい事は女性としては些か不本意であったが、神経を削る防衛戦で彼女が欲しているのは寧ろ鋼鉄の胃壁であったかもしれない。

「撃て」

 両軍同時に下されたであろう命令と共に、両軍から同時に複数の熱線が放たれる。だが強力無比な攻撃力ではやはりハンニバルが勝り、双方の艦隊前面を飾る熱と炎の光はよりマクシリア艦隊の至近で展開された。二度の砲戦、三度目に先手を取ったハンニバル軍の砲火がマクシリア艦隊の連携を乱すが直ぐに立て直し、そこに前進をかけてきた連邦艦隊の砲撃を受けながらも応射を返す。そしてここで思わぬ自体が生じた。

「敵、連携を乱しております!」
「何…好機だ!全軍前進!」

 連戦による疲労が出たのかもしれないが、名将ハンニバルの艦隊が連携を乱す機会などそうあるものではない。その機を逃さず前進に出たマクシリアのタイミングも絶妙で、大打撃とまでは言えないながら確実な砲撃で相手に損害を与えて行く。

(勝てる…これでクルツが左翼を抑えてくれれば)

 強力な攻勢に自ら撃ち減らされながら耐えて反撃。それは彼女が戦乱に於いて学んだ戦闘指揮能力である。

 その帝国軍左翼、クルツ・メラニウスと連邦軍右翼のヘクトールも既に交戦状態に入っていた。後の戦史家の評価ではこの両者の実力はほぼ同等、だが凸形陣での積極攻勢に出たクルツが迂回策に出ようとしていたヘクトールの鼻面を捕らえる事に成功した。

「撃て!」

 クルツの旗艦ロスロリアンから命令が飛び、熱線が連邦艦隊に撃ち込まれる。だが守勢に回ったヘクトールも続けての砲撃に耐えると反撃を司令、当初の迂回策は断念して横列に展開した部隊でクルツ艦隊の両翼を叩こうとする。

「主砲、斉射三連!」

 ヘクトールも戦艦ギルガメシュから砲撃命令を下し、効果的な砲撃でクルツ艦隊の足を止めた。突進力を削がれると凸形陣は不利となり、堅実な砲撃によって数を撃ち減らされて行く。懸命に体勢を立て直したクルツは反撃、ヘクトールもこれに応射。双方が出血戦の様相を呈してくるが損害の比率ではクルツ艦隊の方が大きい。戦況としては双方共不本意に近く、勢いに乗じた完勝で敵を打ち破りたいヘクトールに対して、クルツも敵の機先を制しておきながら反撃によって損耗を強いられている状況となった。

「損傷した艦を後退、装甲の厚い艦で前進砲撃、その隙間から砲艦で侵入できないか!」
「駄目です!敵両翼からの砲火を突破できません!」

「敵、これで七度目の突撃!勢いが落ちません!」
「粘るな…これでは包囲に行けない」

 ロスロリアンとギルガメシュの双方の艦橋で指揮官が舌打ちの音を立てる。ヘクトールが優位ながら出血により双方後退、不本意ながら帝国艦隊はここでもハンニバル軍の突進阻止に成功する事になる。

 だが無論何処の宙域でも帝国軍に幸運が訪れていた訳ではない。本隊壊滅、その負担は何処かが受け持たねばならず、それは後衛アエミリアヌスの艦隊にどうやら纏めて降り懸かってくるようであった。

「後方に迂回艦隊!旗艦確認、ゲーリュオン!コルベール艦隊です!」
「来たか…」

 本来本隊がハンニバル艦隊を止めていれば後詰めのマクシリアが迂回艦隊を防ぐ。それが無い以上、アエミリアヌスは後方から敵本隊を牽制し前衛部隊の負担を軽減しつつ後背に回った迂回艦隊を自ら防がねばならない。一方、クローデットは中央右翼が予想以上に止められている以上、ここで戦況を決定づける必要がある。両翼を広げて防御の薄い敵後背に展開、既に勝利は確定していたが、

「できるだけ派手にせん滅せよ」

 それは戦闘指揮と呼べるような命令ではなく、その事実が優位すぎる戦況を物語っていた。一方的な破壊と殺戮は性に合わぬ、とばかりに高揚感の無い命令が逆に兵達を駆り立て、統制された複数の熱線がアエミリアヌス艦隊の後方から突き刺さる。それは指揮官の命令通りに、核融合エンジンと圧縮された熱線のエネルギーとが絡み合って幻想的な前衛画を宇宙空間に描き出していた。その状況は遠くハンニバル本隊と交戦を繰り広げているマクシリアの旗艦バーミッシュにも届けられる。

「閣下!敵迂回部隊に後背に回られました!」
「コルネリウス艦隊はどれだけ持ちそうか?」
「前後からの挟撃です。持って数時間かと」
「くっ…こちらへの支援攻撃など緩めて良いものを」

 敵左翼を釘付けにしている状態で、それ故に自艦隊がハンニバル本隊を抑えていられるという事実を誰よりも強く認識していたのがマクシリアだった。これ以上戦闘続行すれば後衛部隊の壊滅は避けられず、或いは既に手遅れかも知れない。

「全軍一斉砲撃!こちらは押している、相手との距離を離して戦場を離脱せよ!」

 戦場離脱時に反撃こそ受けたものの、マクシリアはハンニバル艦隊と堂々と渡り合ってその前進を食い止める事に成功した。合わせてクルツの左翼艦隊も後退、だがアエミリアヌス艦隊は前後を敵に挟撃されて離脱する事が出来ない。

「構わん、逃げられる艦から逃げろ!主星方面に向かえば後で味方が回収してくれる」

 戦場に最後まで残りつつ、味方の撤退支援をするアエミリアヌス。一艦、また一艦と単独で離脱すると同時に、それ以上の数の味方が撃沈されている現状でその指揮系統だけは最後まで崩壊する事が無かった。

「よし!全艦砲撃!ありったけの弾を敵にぶつけて逃げろ!」

 その瞬間、アエミリアヌスの旗艦ロンディニウムの周辺を虹色の光芒が包み込み、残余の艦隊は塵となって消滅した。


†パウルス&ヴァロ本隊  00000/10000
†マクシリア右翼艦隊   05900/10000
†クルツ左翼艦隊     06200/10000
†アエミリアヌス後衛艦隊 00000/10000

†ハンニバル中央本隊   05700/10000
†ハンニバル左翼艦隊   09800/10000
†ヘクトール右翼艦隊   07600/10000
†クローデット別働隊   09700/10000

‡帝国軍艦艇数      12100/40000 損害率69.75%
‡連邦軍艦艇数      32800/40000 損害率18.00%


 銀河ローマ帝国主星へ撤退を続ける途上、旗艦バーミッシュ艦橋に通信が入る。緊張と焦燥の面もちを隠し切れぬまま、マクシリアは通信士官の報告を急がせた。

「ロンディニウムは…アエミリアヌス少将は脱出したか!?」
「戦艦ロンディニウムは撃沈、ですがアエミリアヌス提督はシャトルで脱出後収容されております。現在負傷加療中ですが生命に別状は無いそうです」
「そうか…」

 こうしてカンネの攻防戦はカルタゴ宇宙連邦ハンニバル艦隊の大勝に終わる。だが敵軍の主星ローマを指呼に臨む、その状態にあってハンニバルの旗艦バール=ハーマンに告げられる戦局は急変を遂げていた。

「シチリア星系陥落!ハミルカル閣下は撤退し首都星カルタゴへと後退しました」
「バルセロナ陥落、ハスドルバル将軍戦死!敵将スキピオは既に出立、マルセーユ方面からこちらに向かっています!」

 背後を分断され、完全に孤立無援状態になったハンニバル遠征軍。シチリアが陥落し首都星カルタゴが敵に晒されるに至って援軍は期待できず、彼等には次の一戦に勝って首都星ローマを陥す、それ以外の選択肢は無くなってしまった。

「全軍補給と艦艇の整備を行った後に発進…目標は敵主星、ローマ」

 一方、銀河ローマ帝国も敵遠征軍に首都星を臨まれる危機の直中に有る。若き天才スキピオの策とシラクサ方面軍の活躍によって広大な戦局自体は優位に覆ったが、首都が落ちれば帝政ローマの権威は地に墜ちるだろう。広大な占領地が一斉に離反し、大逆転が起こるであろう事疑いない。
 皇室の一族にして宰相であるアッピウス・クラウディウスは決戦を宣言、迎撃軍の総司令官にクイントゥス・ファビウス・マキシムスを再任命し、カルタゴ遠征軍を後背から討つ、その別働隊の指揮官には若き天才プブリウス・コルネリウス・スキピオが指揮、宿将ルタティウス・カトゥルスがそれを補佐する。

 第二次ポエニ戦争は最後の大規模な激突を迎える。


十一.決戦前夜を見る
地中海英雄伝説の最初に戻る