十一.決戦前夜
カンネ星域の攻防戦に大勝したカルタゴ宇宙連邦軍ハンニバル艦隊。だがシチリア星系の陥落によって首都星カルタゴ周辺は敵に晒され、またハンニバル遠征軍の後方、バルセロナも陥落して守備隊の指揮官ハスドルバルは戦死。後方を絶たれた上に首都星からの援軍も期待できぬ状況で、だが彼等もまた銀河ローマ帝国の首都星ローマを至近の距離に臨んでいた。
「閣下、味方の再編が終了しました。動ける艦でおよそ三万隻といった所です」
ハンニバル艦隊旗艦バール=ハーマンの艦橋にヘクトールが報告を行う。転戦し、補給と増員を繰り返しながら連戦を重ねた、銀河最強と自負できる精鋭艦隊であるが補充が行われない現状その数の減少は避けられない。主星ローマから進発した迎撃軍は総数およそ六万隻、二倍の敵を相手にしなければならず、更に彼等の後方からは遠くバルセロナ方面から迂回して敵の別働隊、プブリウス・コルネリウス・スキピオが迫っている。状況は極めて不利である一方で、権威を重んじるローマ首都星を陥落させれば状況は一挙に逆転するであろう事も事実であった。
「御苦労、予定通り貴官は右翼を受け持ってくれ…コルベール中将はどうした?」
「また逃げる逃げないと言ってますが…」
「本当に逃げる場所があるならそれも悪くない手だがな」
勝たねば敵軍に完全に包囲殲滅される、その戦局で自嘲気味に苦笑する指揮官の顔をスクリーン越しに見て、ヘクトールは長く戦場に居た生真面目で異論の余地なく強いハンニバルがこのような冗談に反応した、その様を初めて見たように思った。まして自らも冗談で指示を返す、それが指揮官の余裕であるのか追い詰められた故であるのか判断のしようもない。
「敵前逃亡は銃殺、奴にはそう伝えておけ」
「了解」
同じ表情を浮かべ、長く戦場を共にした司令官に敬礼を施すとヘクトールは通信を終了する。中央にハンニバル本隊、右翼に遊軍としてヘクトール、そしてクローデット・コルベールが後衛で予備兵力として控える。困難な戦況において彼等は悲愴感に浸る事なく、陽気な力強さを以って進軍を続けているのであった。
† † †
一方、銀河ローマ帝国はハンニバル遠征軍を迎え撃つに妙手クイントゥス・ファビウス・マキシムスを司令官に再任命。積極攻勢を唱えたパウルスとヴァロの両司令官は先のカンネ攻防戦で旗艦もろとも蒸発し、これまで名将ハンニバルに唯一悪戦を強いたファビウスのみが敵を迎え撃つに相応しい人物であったろう。
「お帰りなさいませ、閣下」
若々しい敬礼で旗艦コルネリアに戻ったファビウスを出迎えたのは先のシチリア攻略で大功を立てたイエンス・アルトマイヤーである。自らファビウス派を公言する青年将校はカルタゴ連邦の宿将ハミルカル・バルカスを圧倒攻勢によって撃ち破り、敵国首都カルタゴを無防備も同前の状態とする事に成功していた。
「今回シチリア方面は宜しいのですか?」
「敵の首都を討ち、味方の首都を危険に晒すのは良策とは言えないだろう。先ず味方の首都を守り、そして敵の首都を討つ。それでこの戦も終わるだろう」
「軍人は戦がなくなると…少し困りますかね」
それは少しく先走った発言であったかもしれない。イエンスは司令官の令を受け、各艦隊指揮官に伝令を送る為に戦艦コルネリアを辞すると、自らの旗艦ワルトロウテへと戻っていった。何しろ六万隻を数える大軍の運用であり、一歩誤れば命令が行き届かず互いが邪魔をし合うような事態にもなりかねない。各指揮官同士の通信網を最大限に駆使した、そして同時に無言の連携が重視される事受け合いであった。
ファビウス・マキシムスは全軍を掌握する為に待機、その後衛には守勢に強い『鋼鉄の壁』マクシリア・アイルリッツ中将が構える。前衛中央は先の会戦で負傷しながら戦列復帰を果たしたアエミリアヌス・コルネリウス中将。左翼はクルツ・メラニウス少将が、右翼にはイエンス・アルトマイヤー少将が配備。これに遊軍としてシチリア攻略戦の司令官であったマルテリウスが控えており、ハンニバル遠征軍を迎え撃つ形となる。乗艦であるロンディニウムを破壊されたアエミリアヌスは新造艦タレンティウムに乗り替わり、未だ馴染んでいない指揮シートに腰を下ろしていた。
「如何かしら?新しい船の乗り心地は」
「まあ、それなりにな」
通信スクリーンを通じてアエミリアヌスに語りかけているのはマクシリア。女性ながら常に激戦区にあって敵の攻勢を阻み続けてきた、その粘り強さは老練のアエミリアヌスでさえ舌を巻く程である。今回後衛にある彼女の意図は首都星ローマの防衛、カルタゴ軍がローマ艦隊と交戦する一方で別働隊を首都へ向けるべく図る事は必定であり、一艦たりとも抜けさせない事が彼女の任務であった。
「怪我の方はもういいの?」
「今更大人しくベッドで寝てなどいられぬよ。無理ならとうに更迭されておる」
「それもそうね」
戦いを前にして不要な心配にはあたわないのであろう、話題は実務的な内容に移るとやがて通信は打ち切られる。彼等は前衛と後衛にあって全艦隊の中央を支える重要な位置にあり、その連携が得られなければ艦隊は分断されてしまうのである。だが年齢も性別も異なるこの両者が連携という点では不安がないという事は、司令官のファビウスを含めて幾人もが知るところであった。
「…ご無事で」
「これが終わって無事ならせいぜい養生するさ」
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