二.ヒスパニア叛乱
ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスはカエサルの遠縁の甥に当たり、養子となることでユリウス・カエサルの名を冠している青年であった。だが高名な伯父に比べるとオクタヴィアヌス青年は線が細く身体が弱く、まだ二十歳にも届かない坊やでしかなかった。戦場にも侍医団を引き連れ、薬を携えて歩くひ弱な青年がヒスパニアで勃発した叛乱鎮定の司令官であると聞いて将兵は動揺する以前に驚き呆れたのである。
「うちの司令官様は病気持ちとは、カエサル閣下も何を考えておいでやら」
討伐軍右翼にある戦艦ラウレントゥムの艦橋で、ユリアヌス・シルウェステルは未だ若い軍人だったが勇猛で特にその俊敏さには定評があった。ヒスパニア星系で勃発した叛乱は次第にその規模を大きくし、勢力も侮れないものとなっている。その重要な戦場に派遣されたのがカエサルの養子でしかない、如何にも虚弱そうな青年とあってはその指揮下で働く人間としては不安を禁じ得なかったであろう。
もっとも、ユリアヌス自身には野心があったからどんな機会であれ戦場に立って己の才幹を示せることは好ましかった。カエサルの養子である司令官閣下を助けて活躍した勇将、とあれば栄光の門へ続く出世の道も拓けてくるに違いない。
叛乱軍は惑星カルタヘーナを要塞化して軍を駐留させ、更に衛星軌道上に艦隊を展開してローマ軍を迎え撃つ構えである。ユリアヌスは高速艦艇を中心に前進、一挙に敵せん滅を図るがこの時は突出の感が否めなかった。充分な迎撃体制にあった叛乱軍はローマ艦隊を引き付け、熱線の束で敵軍を出迎える。両軍の戦端が開かれ、突撃の勢いのままユリアヌス隊からも応射が放たれた。
「右翼戦闘に入りました、中央左翼も一時間後には戦闘に突入します」
「早いな…あれでは混戦になるぞ」
友軍の状況を遠望し、右翼部隊指揮官カリス・レオルグは戦艦ニブルヘイムの艦橋から味方と通信を交わしていた。右翼の突進に呼応して時差突撃、正当な戦術ではあるが戦場の様子を見るに敵も一筋縄では攻略できそうにない。中央左翼は連携して同時攻勢を図るべく、カリスは中央部隊のテオドラ・ガリアヌスに連絡を取っていたのである。
「相手の反応自体は決して早くは無い。このまま押し切れるかしら?」
「だがこのまま押し切られるかもしれない」
カリスの慎重な発言は臆病な故ではなく、冷静な故であった。前進が突出となったユリアヌスの右翼部隊は反乱軍と混戦状態になり、思ったように統制が取れずにいた。士気だけは高い叛乱軍を相手に出血戦となる状況は好ましいものではなく、更に言えばユリアヌスの隊も徐々に押されている有り様である。
「右翼を援護するぞ。撃て!」
「砲撃!」
充分に距離が詰まったところでカリスとテオドラから同時に砲撃の指令が下された。艦隊前面から太い熱線の束が吐き出されて敵陣に吸い込まれ、ほぼ同時に敵陣からも反撃の熱線が撃ち放たれる。双方の艦隊前面で熱と光が球形を形作り、その中で不幸な犠牲者達が原子に還元されていった。
こうして全面衝突となったヒスパニア鎮圧戦であるが、戦況は必ずしもローマ軍優位には展開しなかった。
理由は幾つかある。叛乱軍が充分な迎撃体制を整えてローマ軍に対峙したこと、士気高く、それ故に長期に渡って戦線を維持し反撃を持続させることができたこと、対するローマ軍は連携にずれが生じ、陣形を混乱させその間隙に叛乱軍の反撃を受ける形となったこと、等であった。特にカリスの左翼部隊は自軍の混乱を収拾し得ず、形としては敵に先手先手を許すこととなってしまいその被害も大きなものとなる。一方でユリアヌスやテオドラの部隊は体勢を立て直し、敵に反撃して損耗を強いていたが当初の混乱で受けた損害が意外に大きく、全体としてはローマ軍が敗勢に近づいている。
(負けるか…?)
指揮官はそう思ったとしてもそれを口に出すことはできない。だが事実として刻一刻と悪化していく戦況を見るにつれ、敵軍を撃滅することよりも味方の損害を抑えることに考え方を変えざるを得なくなってきていた。そしてそれは敗色が濃厚であるということに他ならない。正面、左翼、右翼、どの戦場でもローマ軍は叛乱軍に押されていたがその戦況に突然変化が訪れた。
「敵、後方で混乱しています!原因は不明、後退を開始する模様!」
「行かせるな!全軍砲撃、戦線を維持しろ」
「好機だ!各艦距離を保ちつつ前進!」
「敵の混乱に乗じて前進。深追いはするな、状況把握に努めよ」
通信士官の声に三人の部隊長は三人が同じ命令を下した。叛乱軍が隊列を乱した原因は直ぐに判明、後衛に控えていた司令官オクタヴィアヌスが遠く戦場を迂回し惑星カルタヘーナへの攻勢を開始した為であった。完全に虚を突かれた形となった叛乱軍は守備隊を差し向けるがさしたる効果を上げることなく撃退、未だ全体の戦況は優位にあったが本拠地を制圧され降伏を余儀なくされた。
「叛乱の首隗は捕らえた、全軍戦闘を停止せよ。各艦は被害状況を調査し損害を受けた味方を収容する事」
戦闘終了に至り、始めてガイウス・オクタヴィアヌスの声が全軍に流れる。叛乱は鎮圧され、この戦闘は疑いなくローマ軍の勝利であったが、記録にはオクタヴィアヌス軍苦戦或いは悪戦の上勝利と記され、地方叛乱の鎮定程度に苦労した「坊や」の印象が強まるだけに留まったのである。
† † †
混乱の幕開け、そのきっかけは屍衣を纏ってまずガリアから帰参したマルクス・アントニウスの下に訪れた。執政ユリウス・カエサルが血縁にあたる属州総督の手によって暗殺されたというのである。暗殺者はカエサルの義兄であるカッシウスと愛人の息子であるブルートゥス。彼等の主張は独裁者の打倒であったがカエサルの独裁によって恩恵を受けていた多くの平民達は暗殺者を支持しなかった。
当面の混乱を収拾したのはローマに帰着したアントニウスである。悲報にいち早く帰国した彼は群衆に犯人処罰を約束して慰撫すると秩序維持に当たり、まずカエサルが常に残していた遺言状を確保、その封は解かずに先ず偉大な執政の葬儀を厳粛に、かつ盛大に執り行う事とした。恐らくこの時、アントニウスは自分自身がカエサルの後継者に指名されるものと思い込んでいたのであろうが、それは彼以外の者も同様の思いだった。
伯父暗殺の報を受けてローマに急行したオクタヴィアヌスを迎えたアントニウスは会談を行い、葬儀を前に穏健に行われたその席上では目の前の「坊や」がカエサルの遺言状に指名された後継者であるとは思いも寄らなかったのである。
†右翼 ユリアヌス・シルウェステル隊 旗艦ラウレントゥム 06500/10000
†中央 テオドラ・ガリアヌス隊 旗艦キルルグス 05900/10000
†左翼 カリス・レオルグ隊 旗艦ニプルヘイム 03620/10000
†後衛 ガイウス・オクタヴィアヌス本隊 旗艦インペラトール 09400/10000
‡ローマ軍 25420/40000 損害率36.45%
‡ヒスパニア叛乱軍 26280/40000 損害率34.30%
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