三.モデナ宙域会戦(前)
ユリウス・カエサルが暗殺者の手に掛かった時、常に残していたその遺言状によって後継者に指名されていたオクタヴィアヌスはカエサルの養子ではあったが、当時は未だ無名の青年将校に過ぎなかった。伯父の威光によって相応の地位を得ている、そのような例は元老院を産する貴族階級には無数にあり、例えばヒスパニアの地方叛乱鎮圧に苦労する程度の「坊や」に対して人が注目するべき理由は全くなかった。
だがその者が事実上の独裁権を持つ銀河ローマ帝国の執政によって後継者として指名されたとあれば話は別である。時に十八歳、伯父暗殺の報に主星ローマに帰着したガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスは、故人の副官であり腹心中の腹心でもあったマルクス・アントニウスとの会見を果たす。病弱で線の細い「坊や」をアントニウスは見くびっていたが、当のオクタヴィアヌスは一向平気な様子で、当時慣習となっていた兵士市民への遺産配分の件がどうなっているかを尋ねた。アントニウスにすれば認められる筈の無い帝国の後継者に、会見して早々に指示めいた事を問われて良い気がしなかったのであろう、早急に対応せねばなあと答えるに止まった。だがオクタヴィアヌスは直ぐに伯父の友人であった富豪連から資金を借りると、遺志に従って市民への分配を行う。早急で鮮やかな措置に民衆だけでなく古参兵の一部も「坊や」に好意を抱き始めたのである。
だがこれではアントニウスがおさまらないのも無論であったろう、彼は自らが掌握している軍を駆って大規模な演習を執り行った。それは挑発としては稚戯と言うべき行いであったが、兵士達はそのような司令官の気質を好ましいものに思っていたから彼に従う将兵の一部は新参の「坊や」が自分達の統治者となる事を潔しとしなかった。両者の間に緊張関係が築かれたのは確かであったが、それに火をつけたのは彼等自身ではなく不穏分子の暴発によってである。古参の兵に好かれており、オクタヴィアヌスより階級が上で且つ実力も人望もある将軍の存在を危険視したオクタヴィアヌス支持派の士官がアントニウス暗殺を企てたのである。
この計画は失敗し、アントニウスを激昂させるだけに終わった。彼はオクタヴィアヌスの刺客に襲われた、と公言すると軍勢を合し先に平定したガリア宙域で軍備を編成する。力ずくでカエサルの遺産を継ごうとしているかに見えるアントニウスに対して元老院はオクタヴィアヌス支持を表明、その理由は若年の彼を擁してカエサル時代まで長く続いていた独裁体制を打破、元老院の権威を取り戻そうとした為であった。アントニウスが主権者となれば、カエサル時代同様の独裁体制が築かれるであろう事は目に見えている。
† † †
元老院の一員であり熱弁家として知られるキケロがアントニウスの私行を非難する一連の弁論を作成し、アントニウス討伐を宣言した。オクタヴィアヌスはヒスパニアから帰参した兵にローマで補充した新兵を合わせると艦隊を指揮し出陣する。
両軍はモデナ宙域で対峙する事となった。戦争が終われば叛乱が起こり、内乱が起こる。それがこの国の救いがたい現状であった。
叛乱軍右翼にて戦艦イリリクムの艦上にあるルフス・ヘクトール・アウレリウスは、既に滅びたカルタゴ連邦民の末裔であった。褐色じみた肌が彼の血の所以を物語っていたが、既に純粋なローマの家系など途絶えて久しい昨今に於いては肌の色などに大きな意味がありはしない。
「我等が司令官は無知無道、心の平穏がなく顔は土色、目は血走り、言動は狂気じみているとさ」
「笑えないわね」
キケロの弁論を読んでいたヘクトールに、通信スクリーンの向こう側にいるアルト=サーディスは肩をすくめていた。元老院というのは名望や侮蔑にことのほか敏感な貴族の集まりであったから、政敵に対する非難というのは存外に論拠に欠ける悪口雑言でしかない例がある。自分達の司令官を罵る声は快いものではないが、何れにしても彼等の役割は貴族と口喧嘩をする為ではなく、敵軍と砲火を交えるにありアルトは表情と口調を改めると僚友に注意を喚起した。
「元老院はどうでもいいけど、相手の坊やは厄介よ。隊列は見たかしら?」
「斜線陣でこっちに向かっているな。先陣は貴官の左翼部隊になるだろう」
前面に迫りつつあるオクタヴィアヌス軍は右翼、中央、左翼の順で前進する斜線の陣形を取っていた。正面から敵に対しつつ、その側方に回り込むのが目的の戦法であるが更に双方の衝突の時差を利用して迂回部隊を出すのが定石であった。これを見るに敵軍は戦意充分に、だが秩序を持ってこちらを撃滅に来ようとしている。
双方が正面決戦を狙い前進、その相対距離は時が経つとともに短くなり続けていた。どちらも大義名分を背負っての戦闘であり、自らの力量を示す必要があるから敢えて奇謀奇策を使おうとはしていない。それはつまり部隊指揮官である彼等に取っては戦闘の激しさが約束されているという事でもあった。通信回路に司令官の声が流れ、相手に聞こえる事を承知した開戦前の演説が行われる。口火を切ったのは叛将であるアントニウスからであった。
「元老院に与し、先人の遺産を貴族に売り渡す儒子を討つ!ローマを支えるは我等前線の兵なるを知れ」
「我にカエサルの遺志あり。新しき秩序を分裂せんとする輩よ、同胞に弓引く愚を改めよ」
ユリウス・カエサルの遺志は何れにも共通していた。一方はその正当なる後継者を主張し、一方はその時代を支えた兵の信頼を得ている。それは双方が互いの実力を相手に知らしめる為の戦いであったのかもしれないが、戦闘が始まってしまえば如何なる理想も大義名分も将兵には関係がない。既にオクタヴィアヌス軍右翼は敵との射程圏内に近づいており、戦艦ニブルヘイムにあるカリス・レオルグは乾いた唇を舐めつつ砲撃開始の瞬間を待っている。艦橋では静寂の中、ただオペレータの声だけが響きわたっていた。
「正面敵左翼旗艦確認、アレンタム。アルト=サーディス艦隊です。距離65…64…」
「このまま前進、距離60で砲撃せよ。戦線を維持しつつ相手の左に廻り半包囲を図る」
だがその意図はカリスを迎撃するアルトによって看破されていた。相手の機先を制して突進、巧くいけば迂回を図って砲火の衰える一瞬を狙い攻勢に出る事ができる。
「よし、全艦突進、敵の鼻面を叩け!」
こうしてモデナ宙域会戦が開始された。アルトの先制攻撃がカリス艦隊の前面を火と光で彩り、爆発が艦艇を揺さぶり艦列を乱そうとする。積極的な突進攻勢に出たアントニウス軍左翼は主砲を連続斉射、先手を打つ筈であったカリスは陣形の維持が精一杯で、効果的な反撃に転じる事ができないままに艦列を撃ち減らされる事となった。
やがて中央のオクタヴィアヌス本隊が前進、アントニウス本隊と砲火を交え始める。カエサルの後継者とされた「坊や」は確かに凡庸な指揮官ではなく、苦戦するカリスの右翼が敵と交戦している、それを利用してアントニウス軍の左側面に砲火を集中して先手を取る事に成功した。熱線がエネルギー中和磁場を破り、戦艦の装甲が食い破られると血や内臓の代わりに熱と炎を吹き出してのたうちまわる。
「怯むな、反撃せよ!」
総指揮艦であるベロナの艦上、マルクス・アントニウスの号令と伴に反撃の砲火が敵軍に突き刺さった。その応射も激烈を極めていたが、体勢としてはアントニウス軍がやや不利にある。続けてオクタヴィアヌスが主砲斉射三連、致命傷とはならなかったが戦況の支配に成功する。
「シルウェステルに連絡、所定の行動に従い敵軍の後背に廻り込め」
戦艦インペラトールの艦橋から、オクタヴィアヌスは遊軍に控えている部下の名を呼んだ。前衛が敵と砲火を交えている間に別働隊が戦場を迂回して側背に廻り込む、叛乱軍のヘクトールやアルト=サーディスが推察した通りであるが、それだけに正当でしかも強力な戦術であった。成功すれば叛乱軍は正面と左翼方面から敵に半包囲をされてしまう事になり、何としても阻止せねばならない。
その間も戦場は苛烈さを増大させ続けていた。オクタヴィアヌス軍左翼、斜線陣の最後方にいたテオドラ・ガリアヌスの部隊が遂に敵と接触、対する叛乱軍部隊指揮官はルフス・ヘクトール、カエサルの下でガリア戦役より活躍、先日もそのガリアで海賊掃滅に軍功を立てていた熟練の将官である。
「来るぞ、砲撃!」
「甘いわね。全艦密集陣形、ぎりぎりまで引き付けてから一斉砲撃!」
初撃を捌かれたヘクトールは次の斉射までの間隙に砲火を合わせられる形となった。戦艦イリリクムの周辺、小さいがかなり近い場所に炎と光の花が咲く。衝撃が艦を揺らし、突進する艦隊は列を乱した。絶好の機会を逃さずテオドラが主砲の斉射、ヘクトール艦隊の前衛部を吹き飛ばした。混乱する部隊の中心で、ヘクトールは味方を叱咤すると懸命に艦隊の立て直しを図る。その間も無慈悲で的確な砲火が彼等の傷口に塩を擦り込むが、状況の悪化する速度を確実に減じながら指揮官は反撃の機会を窺っていた。
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