五.ローマ最後の軍団(前)


 銀河ローマ帝国執政ユリウス・カエサルの暗殺犯は愛人の息子であったブルートゥスと義兄のカッシウスであった。
 そしてカエサル死後、その後継者となったガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスは当然の如くその処刑を元老院に要求するが、若年の儒子に従うを潔しとしなかった元老院はこれを却下する。帝国ローマが権威のみを重んじていることを誰もが今更のように思い知らされてはいたが、その権威をささえる貴族の伝統が既に失われつつあるということもまた元老院議員を除く誰もが理解していたのである。

 高圧的な元老院の返答を受けたオクタヴィアヌスは政敵であり先の内戦で衝突したばかりのマルクス・アントニウスと講話を図った。アントニウスはかつてカエサルの腹心であり、やはりオクタヴィアヌスの台頭を快く思ってはいなかったが、この際元老院を押さえ付けることで古参の兵士に人望のある自分の立場を強化できると考えたのかもしれない。
 同様にカエサルの旧部下であり穏健派として知られるレピドゥスを仲介に立てて、両者は手を結ぶことになるのであった。
 軍・政の実力者が手を結んだことによって、元老院もこれに屈服せざるを得ず沈黙する。後に三頭政と呼ばれるオクタヴィアヌス・レピドゥス、アントニウス三者に共通していたのはカエサルの名であった。そして銀河ローマ帝国では彼らの名によって軍の威圧のもと、カエサル暗殺者に対する苛烈なまでの大粛正が開始されることになる。
 カエサル暗殺とそれに荷担した共謀の罪によってまず元老院議員二百名が、更に官吏二千名が逮捕、拘禁されると処刑された。逃亡者の首には賞金がかけられたが大部分は自殺、護民官サルヴィウスは一夜の宴を張り、ありし日の偉大なローマを偲びつつ毒杯を仰ぐ。更にアントニウスは自分を批判する弁論を作成したキケロを追跡、これを捕らえて首と右手を斬ったのである。
 残るは主犯であるブルートゥスとカッシウス。元老院から属州総督の任を受けてローマ星系外に逃亡していた彼等はこれに対抗することを決意、ローマ新体制も彼等の討伐を宣言し、アントニウスとオクタヴィアヌス自ら討伐軍の指揮を取ることとなった。


† † †


 マケドニア、シリア星系方面に逃走していたブルートゥスとカッシウスはそこで旧守派の貴族勢力と手を組み軍団を編成して周辺星域を制圧、徹底的な徴発を行って軍費に充てると戦力を増強する。ブルートゥスはローマ貴族として人格高潔をもって知られる人物であったが、他星系の都市を包囲し飢餓に陥れ、住民を虐殺することは貴族伝統の正義には反しない行為だった。

「…トラキアの代表から救援要請が来ています」
「知っている。本国から輸送があるまでは各星系に艦隊の物資を供出して充てよとの司令官の命令だ」

 旗艦アレンタムの艦橋でアルト・サーディスは部下に命令を伝えていた。彼等はローマ星系を出立してギリシア星系を経由、トラキアからキリキアへとシリア星系方面へ逃亡するブルートゥス軍を追撃していたが、そこに見いだしたのは徹底的な徴発にあい困窮する諸星系の姿であった。彼等への援助活動は結果として討伐軍に大義名分を与えてはいたが、時間を取られることで敵が軍備の増強を図っているかと思えば、前線指揮官の脳裏には焦慮の念が浮かばざるをえない。

「かといって捨ててもおけん。ここに橋頭堡を確保できねば、遠征軍の補給を維持することも極めて難しくなる…そうだな、ヘクトール提督に連絡を取ってくれ」

 アルトは同僚であるルフス・ヘクトール・アウレリウスの乗っている戦艦イリリクムに通信回線を繋がせた。遠征軍の陣容はアントニウスを先陣として敵を追撃、オクタヴィアヌス軍が本隊となってそれに続くとともに後方、ローマとの補給を確保する体勢となっている。そしてアルトとヘクトールの部隊はアントニウスについて両翼を固めていた。

「どうした、サーディス提督」
「味方が一団で進む必要はないわね。ラリベル隊を残して道を拓いておいた方が良いと思うのだけどどう思う?」

 先行して敵を捕捉し、そこで戦線を維持して味方の到着を待つ。このままでは遠征軍の進軍距離ばかりが長くなり補給の負荷が増大するであろうことは自明であった。彼等はサタジット・ラリベルの部隊を統治の治安維持に残すと進軍を再開する。敵も軍備を編成しながら逃亡しており、急行すればその後背に追いつくことは決して不可能ではない筈であった。

 同じ旗を仰ぐ戦友、とはいえ互いが先日砲火を交えていたとあれば、そこに釈然としない感情が芽生えていたとしても仕方のないことだったろう。トラキア星の治安維持に残り、艦隊の物資を供出していたサタジット・ラリベルは後続のオクタヴィアヌス本隊に合流する。

「これで仲良くなれたら、いいんだけれど」

 それが虚しい願いがあることを承知の上で、サタジットは独語せずにいられなかった。三頭政と呼ばれるオクタヴィアヌスとアントニウス、そしてレピドゥスの協調体制が一時的なものに過ぎないだろうということを彼女は承知していたが、現に共同作戦を行っている味方同士がいずれ殺し合うというのはできれば勘弁願いたい、というのも本音である。
 だが合流したオクタヴィアヌス艦隊の中で、サタジットが後方予備戦力として当てられたことは果たして彼女の守勢に強い適性が認められた故のことなのか、或いは信頼の置けない部隊を後方に置いて戦力から除外するつもりであるのかは判断がつかなかった。

「信頼されてないなら最前線に置かれる筈よね」

 オクタヴィアヌス本隊がトラキアを出立したのはアントニウス軍に3日遅れてのことである。


† † †


 アルト等の即断により、銀河ローマ帝国軍は反乱軍がキリキアを出立する前にその周辺宙域で捕捉することに成功した。双方が味方に来援を要求、それまでに戦況を優位に保つべく戦端を開く。敵の指揮官はカエサル暗殺主犯の一人であるカッシウス、いずれブルートゥスの増援軍も到着するであろう。総旗艦ベロナの艦橋でアントニウスが部下を鼓舞する。

「争乱の元凶の一人だ!
 奴等を討ちカエサルの墓前に捧げよ!」

 アントニウスは自らが中央、ヘクトールを左に置いて前進を開始、右翼のアルトには敢えて遊軍として控えさせた。対するカッシウスは重戦艦を中心に横列に陣形を取り、後方には高速艦艇中心の予備戦力を置いている。双方の距離が狭まると、一斉に砲撃命令が下された。

「撃てぇ!」

 号令一下、両軍の陣形の前面を火と光の球が彩り、続けての砲撃によってその数が更に増していく。重厚な布陣を布いて受けるカッシウスに対して、ローマ帝国軍はアントニウスが砲戦による制圧、ヘクトールは空母中心に艦載機による近接戦闘が狙いであった。
 まずはヘクトールとアントニウスが呼吸を合わせての絶妙な砲撃、徴発した傭兵中心のカッシウス軍は守勢に弱く、これで陣列を乱したところにヘクトール隊が突入を開始する。アントニウスはそれを援護するために砲撃を続行、だがカッシウスから反撃の砲火を受けて、むしろ前進を止められるかたちとなった。

「サーディス隊に連絡、左からヘクトール隊の更に外側を回り敵の後背を狙え」

 アントニウスの指令にアルトも部隊を移動させる。戦場を迂回させて後背から突撃、戦術に対する柔軟性はアルトの指揮官としての能力の高さを証明していたと言えるであろう。だがカッシウスも流石カエサルの義兄、というべきであろうか予備戦力の高速機動部隊を動かしてこれに対応する。先制の砲撃がアルト艦隊の鼻面に突き刺さった。

「閣下!?」
「怯むな、敵は速いが薄い。反撃せよ!」

 味方を叱咤すると強引な突進命令を下す。攻勢で押し切るしかない敵の弱点を看破した上で、味方の優位を保つには強引にでも戦況をひっくり返してしまうことだった。アルトとヘクトールは味方の損害を意に介さず、砲火を連続させて敵の陣形に隙間を作り出すことに成功する。

「今だ!前進して突入、艦載機発進!」
「ケントゥリアを出せ!ドッグファイトだ!」

 好機と見たアルトとヘクトールがほぼ同時に艦載機発進の命令を下した。空母から高機動性を誇る単座式戦闘艇ケントゥリアが次々と発進し、接近した敵軍に襲い掛かると磁力砲弾を叩き込む。反撃の応射でアルトの空戦隊が多少の損害を被ったものの、ヘクトール共々優位な状態で接近戦に持ち込むことに成功した。

「どうやら勝ったな」

 旗艦ベロナの艦橋で会心の笑みを浮かべるアントニウス。いかにカッシウスが散財を惜しまず軍備を増強していたとしても、戦闘艇を操るパイロットの技量は財力だけではどうしようもない。アントニウス自らは残余の敵の攻勢を引き受ける形となったが、カエサルの下で長く軍歴を重ねてきた歴戦の司令官は守勢にあっても慌てることなく、ともすれば混乱しそうになる味方を指揮しつつ時間を稼いでいった。そして時が経つとともにアルトとヘクトールの艦隊が敵を撃ち減らしていき、戦況は刻一刻とローマ軍勝利へと近づいていくのだ。
 そこに通信士官からの報告が届いた。ブルートゥスの増援軍、そしてオクタヴィアヌスの本隊が双方、ほぼ同時に戦場に到着したという知らせである。


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