六.ローマ最後の軍団(後)


 ブルートゥス本隊およびオクタヴィアヌス艦隊。敵味方双方の来援に、アントニウスは副官を顧みると待ちくたびれたというように片頬を上げた。

「面白い。見物させてもらおうか」
「よろしいのですか?」
「こちらもすぐには手が離せん。むしろ儒子には敵の増援を抑えてもらわねば困る」

 戦場にあるが故に指揮官として余裕を見せていたアントニウスだが、その心中は決して穏やかなものではなかった。現在の戦況がローマ帝国軍の圧倒的優位に展開しているのは事実だが、である以上ブルートゥス軍は苦戦するカッシウスを助けるために全軍をもってこの宙域になだれ込もうとするだろう。それに対応するには戦線が膠着しているために自由に動き得ず、敵の包囲下に置かれる危険が極めて大きい。味方の増援であるオクタヴィアヌスがそれを迎撃できなければ、アントニウスの軍は後背から大軍によって叩きのめされ、一時の勝勢も容易に逆転されてしまうだろう。

 そしてアントニウスの言葉が聞こえた訳でもなかったが、戦況の推移を見たオクタヴィアヌスは即時に各艦隊指揮官に向かって指示を送っていた。

「戦況は優位に展開している。戦場に割り込み…敵増援軍を迎撃せよ!」

 アントニウスの推察通りブルートゥスの増援軍は大軍を横に広げ、ローマ軍を半包囲下に置こうとしている。その間に強引に割り込んだオクタヴィアヌスは右翼にテオドラ・ガリアヌスを、左翼にユリアヌス・シルウェステルを置いてこれを迎撃、更にカリス・レオルグとサタジット・ラリベルの遊軍を両翼の更に外側に広げて、敵包囲陣に正面から対抗する構えを見せていた。オクタヴィアヌスの左にあるユリアヌスが、旗艦ラウレントゥムの艦橋で好戦的な声を上げる。

「カエサル暗殺犯を倒せば報償は思いのままだぞ…よーし、撃てぇ!」

 戦意にはやりながら、だが迎撃戦の心得は忘れず充分に引き付けたところで砲撃命令を下す。旗艦ラウレントゥムに倣い各艦の砲門が複数の熱線を同時に吐き出し、暗黒の宇宙空間を数瞬で横断すると突進する敵軍の正面から突き刺さった。
 火球と閃光がブルートゥス軍の前進を阻み、その前衛部隊を混乱させる。更に陣形を凹形陣に展開させたユリアヌスは、前進する敵軍の最先頭部に火線を集中、人工的な熱と炎の壁を作り出しそこに衝突した戦艦が爆発、炎上すると自らも炎の壁の一部と化していく。
 ブルートゥス軍の勇猛さは傭兵隊とは思えないほど士気高いものであったが、それが仇となり彼等は断崖に自ら落ち込む羚羊の群のように撃砕され生贄の祭壇に捧げられていった。ユリアヌスの勇戦に同調する形で、正面の敵を迎撃していた総司令官オクタヴィアヌスの下に前線からの報告が届けられる。

「敵の前進が止まりました!両翼との連携に不均衡が生じています!」
「よし。ガリアヌスとレオルグに連絡、敵を一気に押し戻させろ」

 連絡を受けたテオドラとカリスはそれぞれの部隊を駆って一挙に攻勢に出る。両者とも高速艦艇群を中心に編成した部隊を駆使し、激戦を縫うようにして敵陣に突入を開始した。

「味方の連携を忘れないでね。突撃!」
「先手先手で攻めるぞ。九時方向から敵の右側面に回り込んで、こちらが半包囲網を完成させてやる」

 ニブルヘイムの艦橋からカリスは指令を下し、高速機動からブルートゥス軍の右翼に攻勢をかける。戦艦キルルグスの艦橋にあるテオドラもまた攻勢を指令、同様にブルートゥス軍の左翼部隊に突入を開始した。反撃の応射こそ受けるが敵軍を強引に押し返し、オクタヴィアヌス、ユリアヌスの中央と呼応して敵を包み込むように包囲する。包囲下に落ちたブルートゥス軍の艦艇は身を守るために戦線を縮小させるが、三方向から襲い掛かる砲火に次々と打ち負かされると戦列を削られていった。

「敵、一部が戦場を迂回しています…包囲網の外側に回り込まれます!」
「慌てるな、あそこには遊軍が配置されている」

 包囲網の外側を突破して後方に回り込まれればオクタヴィアヌス艦隊の後方から、或いは未だ戦闘が継続されているアントニウス艦隊の側面から敵の急襲を受けることとなり、その行動はローマ帝国軍の戦列を崩壊させるくさびの一撃と成りかねない。だが総司令官の顔に狼狽の色はまるで見られなかった。

 オクタヴィアヌスの大包囲陣を辛うじて迂回したブルートゥスの軍には、サタジットの部隊が立ちはだかる。先陣のアントニウス軍でも、本隊のオクタヴィアヌス軍でも自分が重要な位置に配されているとは思わなかったサタジットだが、今自分の目の前にいる敵に撃ち負けたら戦況がどう推移するかは容易に想像できる。彼女としてはオクタヴィアヌスと、アントニウスの双方の艦隊を護るために敵の突破を許す訳にはいかない。

「う、撃てっ!」

 旗艦オルトロスの艦橋から砲撃指令を飛ばす。ブルートゥスにしても起死回生を狙ったその位置に既に一軍が配備されているとは思っておらず、先手を取られ砲火を浴びせられるが絶望的な攻勢に出て強引に中央突破を図ってきた。

「損傷した艦は下がって!長距離艦の砲撃で装甲の隙間から砲撃!敵の前進を止めることに専念!」

 機先を制した分、ややサタジットが有利だったが双方の被害状況は互角に近い。だが敵を足止めして戦線さえ維持できればやがてブルートゥス軍は自壊する。神経を削られるような消耗戦だが、諦めるなら間違いなく敵の方が先に音を上げるだろう。

「このまま密集しながら後退!味方の様子はどう?」
「アントニウス閣下の艦隊が敵を壊滅させつつあります。既に掃討戦に入っているとのこと」
「やれやれ…なんとかなりそうね」

 サタジットは艦橋で胸をなで下ろした。単座式戦闘艇ケントゥリアによって完全に制宙権を得ていたヘクトールとアルトの艦隊はほぼカッシウス軍を壊滅、アントニウスが砲撃によって威嚇し、逃亡の不可能を悟ったカッシウスは旗艦を包囲されて艦橋で自殺を遂げた。指揮官を失った艦隊は抵抗力を失い、次々と動力を停止して降伏を申し入れる。
 更にブルートゥス自身が指揮していた増援軍もユリアヌス、テオドラ、カリスに完全包囲され壊滅は時間の問題である。勝敗の帰趨は定まり、自軍の壊滅を認めざるを得なくなったブルートゥスもやはり艦橋で命を断つ。

「ローマ最後の花が絶えたのだ」

 と最後の言葉を残し、艦橋に同乗していた友人の手で胸を貫かせた。こうして旧守派であるローマ貴族階級の最後の精神は戦死もしくは自殺によって滅びたのである。
 建国から時を経て既にローマ伝統貴族の血統は失われて久しかったが、その最後の精神がこの戦いで潰えたのである。元老院に代表される銀河ローマ帝国貴族の威信、それはこれ以降の帝国の歴史においても、遂に回復することが叶わなかった。


† † †


 勝利者たちは広大なローマの版図を分割する。オクタヴィアヌスはローマ・ガリア・ヒスパニア方面を、レピドゥスはカルタゴ方面を、そしてアントニウスはギリシア・シリア・エジプト方面を得た。そしてレピドゥスはともかく他の二名は自分の分け前に満足してはいなかったのである。
 だがともかくも決着したように見える三頭政が早期に瓦解した理由は他にあった。アントニウスは新たな自分の領土となった各星系を回り、自らの威を示していたがエジプト星系を訪れたときにクレオパトラに出会うことになる。彼女は女性としては美貌の持ち主という程度であったが、政治家としては希有の存在だった。アントニウスは支配下にあるエジプトを自分に従属させるつもりでいたが、会談終了後にはシリアやマケドニアを含む広大な土地の共同統治権がクレオパトラに与えられたのである。


†中央 マルクス・アントニウス   旗艦ベロナ     06400/10000
†左翼 ルフス・ヘクトール     旗艦イリリクム   09200/10000
†遊軍 アルト・サーディス     旗艦アレンタム   08100/10000
‡アントニウス軍                    23700/30000 損傷率21.00%

†中央 ガイウス・オクタヴィアヌス 旗艦インペラトール 07800/10000
†左翼 ユリアヌス・シルウェステル 旗艦ラウレントゥム 07180/10000
†右翼 テオドラ・ガリアヌス    旗艦キルルグス   04820/10000
†遊軍 カリス・レオルグ      旗艦ニブルヘイム  06500/10000
†遊軍 サタジット・ラリベル    旗艦オルトロス   07400/10000
‡オクタヴィアヌス軍                  24980/40000 損傷率37.55%


七.クレオパトラとアントニウスを見る
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