八.クレタ会戦
アテナイから出陣していたアントニウス軍は左方面にクレタ、右方面にはスパルタを臨む航路上、キティラの小惑星帯に陣を布いていた。左右を航宙上の難所に挟む位置に部隊を展開して明らかな示威行動を取っている。自軍を挑発的に前面に展開させつつ、本隊は後方に構えていた。
「これ見よがしだな」
「挑発に乗ることはないわ。叛乱軍は向こう、むしろ降伏勧告でもしてあげた方が良くはなくて?」
今回、オクタヴィアヌス自身はクレタの戦場には来ていない。司令官ユリアヌスは旗艦ラウレントゥムの艦橋から通信スクリーンを通じてテオドラを会話を行っていた。テオドラの提案は相手の行動を決めつけ、味方の大義名分を宣言することと敵に先制させて味方の陣形に引きずり込むことが目的だった。ユリアヌスはその意見に理があることを認め、修正を加えた上で実行を指示する。
「敵を挑発することと先制させ誘い込むこと、これは宜しい。だがただ誘い込むのではなく貴官の右翼で敵を迎撃すると同時に中央と左翼は前進するのだ」
「成る程、斜線陣を取るという訳ね」
「そうだ。その間にカリスの部隊を貴官の後方から迂回させて、アントニウスの本隊を直撃する」
「了解。それで行きましょう」
かくしてユリアヌスからの高圧的な通信がアントニウスにもたらされる。総指揮艦ベロナの艦上、アントニウスとしては格下の司令官に挑発されて、表面は余裕を見せていたが内心では小生意気な新米司令官に忸怩たるものだあったろうか。
「ふん、若僧が生意気なことを言う」
「…ですがこれは明らかな挑発ですぞ。乗せられれば敵の罠にはまりましょう」
多少の危惧を込めてラルフが進言する。同時通信で敵の降伏勧告を含め話を聞いていたアルトとヘクトールは、苦笑めいた表情を浮かべていた。彼女らは新任のラルフ以上に司令官の人となりを知っている。
「罠に乗せられるのも悪くないわね」
「前衛を誘い込むとしたらその目的は何か?後衛を引き剥がすためだろうな」
二人の言葉にラルフはその意図を悟り、アントニウスは満足の頷きをした。ガリア征服の頃からアントニウスは英雄カエサルの最も信頼すべき人間であり、最強の将軍であったのだ。
† † †
両軍はクレタ宙域、キティラ周辺で対峙する。そこはギリシア星系の辺境部ぎりぎりの場所であり、ローマ星系への入り口でもあるのだ。
「強欲な叛乱軍よ!我等が執政閣下はご寛大である、今なら軍を引けば貴官らの蛮行も許されよう」
「成り上がりの青二才の部下は口の聞き方も知らぬらしいな。我等が代わりに教育してやろう」
彼我の距離が接近すれば通信の傍受が容易になる。更に接近すれば妨害と混信が激しくなるが、それまでは互いの悪口雑言が飛び交うのが通例であった。だが陽気で威勢の良い言葉の裏では、砲術士官たちが息を潜めながら攻撃可能距離の到達を待っている。
ユリアヌス軍は左翼サタジットの部隊をわずかに前に置き、敵の進軍を迎撃する体勢を取っている。対してアントニウス軍はやや無秩序にすら見える勢いで前進、接近を図っていた。司令官として始めての戦闘開始を前に、掌を汗で濡らしていたユリアヌスの耳にオペレータの声が聞こえてくる。
「正面艦隊旗艦識別完了。戦艦セオデリック、ラルフ・アルトゥア准将の艦隊です」
「主力は後ろか…このまま引き付けろ。テオドラが至近距離に入ると同時に前進、包囲戦を図る」
「距離65…64…敵、スピードを落としません。すぐに射程に入ります…61…60!至近です!」
「突破狙いか…撃て!」
半分は予想していたことだが、アントニウスは迎撃策を取るユリアヌスに対して積極攻勢をかけてきた。砲撃指令が艦隊の通信回路を飛び交い、両軍の艦艇がほぼ同時に砲門を開く。ごくわずかにユリアヌス軍の砲火に乱れがあったのは熟練の差であったろうが、先に仕掛けるべく動いたのはユリアヌスの左翼、サタジットだった。所属の云々を問う以前に生き残るために、部下を生き残らせるためには勝たねばならない。
「前進、砲撃。敵正面から左方面に砲火を集中して」
サタジットの指令は的確だった。戦艦オルトロスを筆頭に集中させた熱線の束が暗黒の宇宙空間を貫いて、アルトの指揮するアントニウス軍右翼に突き刺さる。先制の一撃を受けた箇所に集中された膨大なエネルギーが渦を巻き、艦艇を揺動させた。
「怯むな!敵は火力が弱い、押し返せ!」
戦艦アレンタムの艦上でアルトが叫ぶ。反撃の応射は的確であり、しかも強力だった。双方が撃ち合いになるが攻守のバランスに於いて勝るアルトが艦列を整えつつ砲撃するのに対して、サタジットは味方をまとめる一方で敵の蠢動を効果的な砲火で抑えることができない。陣形を立て直したアルトが速攻を指令し、軍を前進させる。戦闘が始まり徐々に激しさが増していく一方で、中央のユリアヌスはラルフの艦隊に正面から対峙、既に激烈な砲戦を展開していた。
「敵は密集している。砲火を集中して一網打尽にしろ!」
「撃ち負けるな!密集陣形のまま前進、正面への砲火を集中せよ!」
完全に正面からの衝突で、一気に激化する戦闘に双方が次々と艦数を撃ち減らされていった。敵と味方の残骸を突き破るように熱線が飛び交い、至るところで単独あるいは連鎖した爆発が発生する。あまりに勢いをつけて突進しすぎたために砲撃が当たる前に双方が激突して爆発する艦すら存在した。
「混戦になるか…全軍、速度を落とせ!砲撃が弱くなる」
「各艦ケントゥリアを発進、接近格闘戦に移れ!混戦にして制宙権を確保する」
その判断が戦況を分けることとなった。混乱の収拾をつけるために陣形の再編を図ったラルフの艦隊に、空母中心のユリアヌスの艦隊から艦載機が射出される。懐に飛び込んだケントゥリアは零距離射撃でラルフ艦隊を火の海に沈めていった。こうして戦況を優位に進めていくユリアヌス軍、だが右翼、テオドラはヘクトールの剛勇に苦戦を強いられている。
「砲撃!」
万全の迎撃体勢からの集中砲火、ヘクトール艦隊はテオドラの作り上げた炎と熱の壁に自ら飛び込むように艦隊を爆発させた。音のない宇宙空間で球形の光の球が輝き、光が消え去ったあとには虚無の深淵が残される。
一方的な展開、だがヘクトールは味方の犠牲を意識すらしないかのように前進、突撃を指令した。
「左に5度、敵艦隊の結節点から負荷をかける…撃て!」
旗艦イリリクムを先頭に、死も破壊も恐れぬかのような剛毅さで突進するヘクトール艦隊の砲火が遂にテオドラを捕らえる。凹形陣の左に戦力を集中され脆くも突破されたテオドラはそこから敵を更に引き込もうとしたが、崩れた味方が迎撃を阻害し反応を遅らせた。
「…しまった!」
「よーし、突撃!零距離射撃でスペースを空けたら艦載機を出すぞ!」
ヘクトールはテオドラ艦隊の懐に飛び込むと短距離砲撃で優位を確保し、艦載機を発進させる。テオドラ艦隊は混乱したところに艦載機からの正確で容赦のない攻撃を受けて次々と撃沈していった。
戦闘が始まり、やや無秩序な混戦状態に入りつつある前衛部隊を傍観しつつ、カリス・レオルグは戦場を迂回しつつある。右翼テオドラの艦隊の後方を通り過ぎて敵の後背に回り込み、アントニウスの本陣を直接攻撃する目論見であった。
これが成功すればそのダイナミックな用兵は後世から賞賛されるであろう、だがダイナミズムでより勝るのはアントニウスの側だったのである。
「敵、左から来ます…旗艦ベロナ!アントニウス本隊です!」
「何!?…早い!」
通信オペレータの絶叫に舌打ちし、艦隊に戦闘体勢を指令するカリス。完全に機先を制したアントニウスの艦隊から容赦のない砲撃が浴びせかけられ、衝撃が戦艦ニブルヘイムを揺動させる。カリスもすぐに陣形を立て直すと反撃の応射、アントニウス軍の前面を光と熱で飾りたてるが突撃の勢いにおいてこのときはアントニウスが勝っており、至近距離まで飛び込まれると全砲門を開くかのような一斉攻撃が開始された。総指揮艦であるベロナの艦橋では戦場の興奮と先手の優位に高揚したアントニウスが好戦的な表情を閃かせる。
「右は10度、左は45度、あとは全て正面に撃て!そのまま突破できる」
反時計回りに移動するカリス艦隊の行動曲線を予測し、左右に牽制の砲火を放ちつつ正面に戦力を集中させる。アントニウスの砲撃は勇猛さと冷酷さが完璧なまでの調和を保っていた。カリスは自然な曲線を描いて敵軍に向かったがその左右を砲火の壁に挟まれ、動きを制限されたところに正面から砲火を浴びせかけられることになったのである。こうなると機動力がある反面で装甲に劣る高速戦艦がかえって仇となり、カリス艦隊は反撃の砲火も弱く、すさまじい勢いで撃ち減らされていく。
「レンス分艦隊指揮崩壊!ファーバ隊通信途絶!このままでは…」
「後退するな!後退すれば味方の後ろに回り込まれる、そうすれば我が軍は全滅だ!」
既に敗北に直面していたが、カリスは最悪の事態を免れるために奮戦しなければならなかった。彼の戦艦ニブルヘイムも右舷に被弾、砲塔の過半が吹き飛ばされるが機関部には達せず、懸命に指揮を続け敵軍の中央突破だけは押し返して阻止することに成功した。
「突破は無理か。生意気な…全軍に伝達、後退して軍を引くぞ」
即戦で突撃攻勢をかけた以上、戦闘が長期化すれば不利になる。アントニウスは全軍に伝達し、交戦の中止と後退を指令した。無論、戦闘中に軍を引くことは相当な難事である。それを行うには敵に充分な痛撃を与え、制宙権を確保した上で整然と後退を行わなければならない。それこそアントニウスのように。
「敵、後退します!」
「反撃しろ!このまま勝ち逃げさせてたまるか!」
テオドラ艦隊の砲火はヘクトール隊の最後尾に多少の損害を与えたものの、その効果は十全なものではなかった。ユリアヌスとラルフは互いが混戦を脱するのに精一杯であり、追撃する余裕などなかったが艦載機により制宙権を確保したユリアヌスが戦況を優位に進め、辛うじてオクタヴィアヌス軍の名誉を守る結果となった。だがアントニウス軍右翼にいるアルトの艦隊は突撃攻勢の最中にあり、ここからの即時後退は至難の業である。
「前進せよ」
「よ、よろしいのですか!?」
「…凸形陣でここから後退ができる訳ないでしょ。敵を押し戻してから時計回りに移動、敵の左方面に旋回して後ろに戻るわよ」
多少、表情を崩したアルトは全艦隊を更に密集させると強引な突撃を開始した。幸い敵は布陣こそ重厚だが砲撃は弱い、こちらの砲撃に押されるかたちで後退し、反撃の機会を伺っているがアルトの側にはそこまで戦闘を継続させる意思はなかった。
「今よ。全艦主砲斉射、そのまま右に回頭して戦場を離脱!」
絶妙のタイミングで砲火が放たれると、押し戻されたサタジット艦隊との間の空間を横切るようにアルトは部隊を旋回させて戦場を離脱した。その見事な手練にサタジットは疲れたような顔で無言で首を振り、ため息をひとつつくと艦隊に伝達する。
「戦闘は終わったわ。損傷を受けた味方の収容を急いで、それから戦場を離脱する…」
こうしてクレタ会戦はアントニウス軍がその実力を誇示する形で幕を閉じたのである。
† † †
オクタヴィアヌス軍を撃破したアントニウスとクレオパトラは、優位な状況でローマと講和を結ぶことに成功する。誰しもそれがすぐに破られることを知っていたが、オクタヴィアヌスは内治の時間を少しでも稼ぐために承諾せざるを得なかった。ギリシア・シリア・エジプトにおけるアントニウスとクレオパトラの共同統治権を認めること、クレオパトラの子にカエサリオンの名を与えてエジプト星系の王位継承権を認めることの二点が主な内容だった。その内容はオクタヴィアヌスにとって直接の損害こそないが、これで三頭政のバランスは完全に崩れることになるだろう。
短期間で領土をまとめあげ、更に軍事的な優位を示したアントニウスとクレオパトラに対して、オクタヴィアヌスは未だ元老院が暗躍しているローマ主星系、そして反抗的なガリアやヒスパニアを抑えながらこれに対抗しなければならない。機会があればアントニウスは宣戦するに違いなく、なければその機会を作ろうとするであろう。オクタヴィアヌスの立場は極めて困難なものとなった。
†本隊 マルクス・アントニウス 旗艦ベロナ 08800/10000
†左翼 ルフス・ヘクトール 旗艦イリリクム 06600/10000
†右翼 アルト・サーディス 旗艦アレンタム 07280/10000
†中央 ラルフ・アルトゥア 旗艦セオデリック 05140/10000
‡アントニウス軍 27820/40000 損傷率30.45%
†本隊 ユリアヌス・シルウェステル 旗艦ラウレントゥム 06800/10000
†左翼 サタジット・ラリベル 旗艦オルトロス 05640/10000
†右翼 テオドラ・ガリアヌス 旗艦キルルグス 05940/10000
†遊軍 カリス・レオルグ 旗艦ニブルヘイム 03300/10000
‡オクタヴィアヌス軍 21680/40000 損傷率45.80%
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