九.シチリア周辺航路争覇戦(前)


 クレタでの会戦で実力を誇示、そのまま威圧する形でオクタヴィアヌスと講和を結ぶことに成功したマルクス・アントニウスとクレオパトラ。ギリシア、シリア、エジプトの共同統治権を有して軍備はアントニウスが、政治はクレオパトラが掌握する形となってその地盤を強化する。一方で不本意な状況に追い込まれていたガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスはローマ本星にある元老院の権威主義に頭を痛めながらも後方のガリア、ヒスパニア星系を抑えることには辛うじて成功していた。
 いま一方、カルタゴ星系方面にあるレピドゥスは不干渉の立場をとり両者からは等距離を保っている。特にアントニウスにすればカルタゴはローマを側面から抑えるための要地であり、オクタヴィアヌスとしてはローマを側面から守る要地であった。

「ギリシアのアントニウスから通信が来ております」
「今度はギリシアからか…」

 三頭政の一人としては、レピドゥスはオクタヴィアヌスやアントニウスほどに野心のある人物ではなかった。かつてカエサルの存命時、その副官としてカルタゴ方面をよく統治し、人民にも慕われている人物であり、彼がカルタゴを抑えたことは自然の成りゆきもあったのだろう。
 そのレピドゥスのもとにアントニウスとオクタヴィアヌス双方から協力の要請が届いていたが、カルタゴ方面司令官としてはここで一方への荷担を明言することは避けたいところである。現在のカルタゴの戦力では両者のいずれにも対抗しえないし、また三頭政の大義名分としてはいずれにもつかず、互いのバランスを取ることも許されている。せいぜい丁重に追い返したいところであったろう。

「カルタゴは現在リビア方面の航路整備に兵を裂かれているため大規模な動員は困難。シチリア方面の安全保障については任せて頂こう」

 レピドゥスは双方にこう回答した。シチリア星系はローマに近接する、もっとも重要な要地であり現在はカルタゴ星系に属するレピドゥスの領土である。容易にいずれかに軍を出す用意のないこととシチリア周辺を安易に使わせる意思のないこと、現時点ではそれだけを伝えれば充分だろう。

「もっとも将来はどうなるか知れんがな」


† † †


 クレタ星系周辺航路、小惑星群を横目にして暗黒の宇宙空間に艦隊を展開させていたマルクス・アントニウスは旗艦ベロナの艦橋で部下たちと協議を行っていた。

「レピドゥスめ、流石に簡単に兵を寄こしはせぬか」
「如何なさいますか?この再もう一度ローマへの示威行為を目的にして、元老院にプレッシャーをかけるのも手かと存じますが」

 アントニウスを支える二名の中将の一人、アルト=サーディスは戦場でも戦場の外でも、その落ちついた冷徹さが知られていた。一方で彼女の同僚であるルフス・ヘクトール・アウレリウスは対称的なその剽悍さで知られている。時に火と氷に例えられる彼らであったが別段アルトはヘクトールと不仲ではなかったし、自分が氷のような人間だと思われるのも些か不本意であった。
 アルトの進言はアントニウスを満足させるものだったらしい。総司令官は短い間首肯していたがすぐに顔を上げると、遠足を楽しみにする小児のような表情になる。勇将アントニウスが部下に慕われている、最大の理由はこの司令官の性格にこそあったろう。

「由、今回はヘクトールとアルトに本隊を任せる。俺は別働隊をシチリアに向けるぞ」
「シチリアへ?宜しいのですか?」
「レピドゥスと砲火は交えぬ。だがオクタヴィアヌスの儒子は抑えを送ってくるだろう」

 アントニウスが自身、カルタゴ方面に向かえばカルタゴを重視する表明としてオクタヴィアヌスは対応せざるを得ない。いわば自身を陽動に使う訳だが、

「危険ではありませんか?」
「戦場では何処でも危険だ」

 アントニウス軍の挑発的な前進に、ローマ本星でも対応が協議されていた。講和をまるで気にしないかのような軍事行動は明らかにローマの権威そのものに対する挑戦である。アントニウスが言った通りオクタヴィアヌスとしては兵を出さない訳には行かないが、やはり彼自身がローマを離れる訳にはいかず戦場での成果は旗下の指揮官達に委ねるしかない。宰相オクタヴィアヌスの指示によって艦隊が編成され、アントニウス軍に対しこれを後退させる旨、命令が下された。

「状況は良くないな…まさか寝返る訳にもいかないが」

 ローマを出立して数日、戦艦ラウレントゥムの艦上でユリアヌス・シルウェステルの軽口は冗談で済まされる範囲を少しく逸脱していただろう。しかも彼自身がローマ艦隊の総指揮官という身であっては、通信スクリーンを挟んでテオドラ・ガリアヌスが眉根を寄せたとしても無理からぬことである。

「聞かなかった事にするわ。それよりラリベル隊はあれで良かったの?」
「いいんじゃあないか?彼女の守勢での粘り強さはかなりのモンだ」
「そうじゃなくて…」

 そこまで言いかけて、テオドラは口を閉ざした。現在、分艦隊として別行動をしているサタジット・ラリベルは元アントニウス派の将校であり、今はオクタヴィアヌス陣営に名を連ねている。その彼女の部隊を示威行動に出ているアントニウス艦隊の抑えに派遣することは危険ではないだろうか、だがその論調を進めていけば今度はテオドラの発言の方が余程問題になるだろう。味方が味方を疑ったところでろくな事はないのである。
 一方でそのサタジットは単独、シチリア方面を掠めるように航路を取り部隊を進めていた。かつての上司であるという以上に、あの勇将アントニウスと一対一で対峙せねばならないという状況に自分の置かれている立場を再認識せずにはいられない、筈であったが

「もう直ぐ年末だしね」

 ささやかながら酒を振る舞い、慰労のための艦内放送を行うサタジット。料理となると軍艦で豪勢な饗宴を行う訳にもいかず、それは生還してからのこととなるだろう。気の弱い、人の好いように見せて或いは存外に胆の座った人物であるかもしれないしそう装っているだけなのかもしれない。部下に取っては交替でも休息と飲酒が許されることはめでたいことではった。
 ローマ軍は進軍するアントニウス軍を迎え撃つために、ローマからクレタへと繋がる航路に兵を進めていた。そこは平和な時代であれば、両者の交易を結ぶ重要な本街道とも成りうる航路である。

 シチリア周辺航路を抜けたオクタヴィアヌス艦隊のレーダーに、アントニウス艦隊の艦影が映しだされる。重戦艦から空母を中心とした重厚な布陣、対するオクタヴィアヌス軍は高速艦艇を加え機動力を活かせる編成となっている。双方の通信回路が開かれたが、口火を切ったのはテオドラだった。

「直ちに後退せよ!貴官達の軍事行動はローマの秩序と航路の安全とを脅かすものである。従わねば法と秩序の名に基づき実力で貴官達を排除する」

 戦艦キルルグスの艦橋でそう言いながら、艦隊に第一級の臨戦体勢を取らせる。高圧的に威嚇しつつ先制するつもりであることは明白で、対して二名で艦隊司令の任を与えられていたヘクトールとアルトがスクリーン越しに顔を見合わせていた。

「退く理由はないが…如何するね?」
「前線指揮は任せるわ。
 指揮系統は一本の方が良いでしょう」

 アルトの発言にヘクトールは本隊に前進を指令する。中央はラルフ・アルトゥア、自らは左翼を、アルトには右翼を率いさせる。火と氷とが両翼を固める陣形であった。
 予想通りというべきか、勧告を無視して前進するアントニウス軍に対してオクタヴィアヌス軍も陣形を整える。中央はテオドラ、左翼にカリス・レオルグ、右翼には司令官にしてオクタヴィアヌス派の重鎮、ユリアヌスが睨みをきかせている。両軍の距離が縮まるとともに将兵の緊張感が増大し、艦内では砲術士官がスイッチに指をかけたまま息を呑んでいた。戦艦セオドリックの艦上、艦内オペレーターがラルフに報告を告げる。

「閣下、敵中央が想定宙域に留まらず突進を続けています。
 旗艦はキルルグス、テオドラ・ガリアヌス少将の艦隊です」
「小娘が…最初からそのつもりということか。迎撃体勢、砲戦準備だ」

 前進突撃を図るテオドラにラルフは重厚な迎撃陣をとる。相対距離が至近となり、双方の陣門から砲火が閃くと数瞬で敵の陣営に到達した。シチリア周辺航路の争奪戦の開始である。

 機先を制するつもりでいて、だが先制されたのはテオドラであった。突進に対応して艦隊中央部を後退させたラルフは左右から砲門を伸ばし、一瞬以上早い攻勢をテオドラ艦隊の第一陣にたたきつけることに成功する。絶妙のタイミングでの開戦に片頬を上げたラルフは副官を顧みると自信ありげに命令した。

「このまま両翼を広げろ。浅慮な小娘を包囲せん滅してやる」

 ラルフは凹型陣から更に左右を展開させていわゆる鶴翼の陣形への移行を指示する。敵を引きずり込みつつ陣形を伸ばし、側面から後背までまわりこんで包囲戦を図るラルフの意図がテオドラには理解できたが、既に苛烈な戦闘状態にある中で即時対応を行うことは容易ではない。戦艦キルルグスの艦橋で懸命に指揮を行っていたが、その効果は充分に現れてはいなかった。

「全軍を密集させろ!前部は速度を落とせ、集結後反撃に転じる!今は撃ち減らされるな!」
「敵、左右交互から砲撃来ます!只今艦載機発進を確認!」
「くっ…駄目だ、まだこちらはケントゥリアを出せない、短距離砲撃で応戦せよ!」

 先手先手で攻勢を仕掛けるラルフにテオドラの、テオドラの艦隊は反応が追いつかない。小型の艦載機が近接格闘戦によって集結を図っているテオドラ艦隊の行動を妨げ、そこに左右から容赦のない砲撃が襲い掛かってくると損害は幾何級数的に増大していく。艦隊秩序を回復させつつ、崩壊を防ぐ以上のことがテオドラには殆どできなくなっていた。
 そして中央ラルフ艦隊の攻勢を遠望しつつ、左翼ヘクトール艦隊も既に交戦状態にあった。火の異名に恥じぬ積極攻勢、突進を指示した猛将ヘクトールに対してユリアヌスもやはり凹型陣をとると迎撃体勢を指示。激烈な砲火の壁によってヘクトール艦隊を包み込むように前進を阻むことに成功していた。旗艦ラウレントゥムの艦橋で司令官は会心の表情を浮かべている。

「正確に、確実に、効率的にだ。完璧に勝つぞ!」

 艦隊を完璧に統御した、勇猛さと冷徹さの絶妙なバランス。ユリアヌスの砲撃は半包囲状態に捕らえた敵艦を正確に捕捉し、それに勝る砲火を的確に集中させて確実に破壊していく。ヘクトールの勇猛さは他に比肩するものがないが、狭い檻に押し込められた猛獣の如くその牙を敵に届かせることができないでいた。

「敵砲火を突破できません!味方の被害、甚大!」
「怯むな!突進せよ!」

 戦艦イリリクムの艦橋で悲鳴と怒号が飛び交う。激烈な砲火の渦中にいるにも関わらず、ヘクトールは艦隊を尚前進させていたがユリアヌスも攻勢の手を緩めず、反撃を許さない。戦艦が次々と爆発炎上して火球や光球と化していく。戦場の様相は更に苛烈さを増し、激戦へとなだれ込んでいくのであった。


十.シチリア周辺航路争覇戦(後)を見る
地中海英雄伝説の最初に戻る