十.シチリア周辺航路争覇戦(後)
一方でマルクス・アントニウス自身は自らの直属艦隊を率い、航路をややシチリア方面に外れた進路を通って軍を進めている。別働隊としての活動よりも、先のクレタ会戦同様アントニウス自らがシチリア周辺を航行することによる示威行為としての意味あいが強い。それはアントニウスの権威がシチリア周辺まで及ぶということを誇示するためのものであり、故にオクタヴィアヌス陣営としてはシチリアの重要性を示すためにも、これを迎え撃たざるをえなかった。でなければ、シチリアにいるレピドゥスが親アントニウスに傾くことになるであろう。
「しかし、オクタヴィアヌスの儒子は自ら出ては来れまい」
旗艦ベロナの艦上、アントニウスは自信を持って断言する。ガリア、ヒスパニア方面が落ちついたとはいえローマ本国の元老院はオクタヴィアヌスには面従腹背で従っており、頭痛の種になっているであろうことは容易に想像がつく。余程の事態とならねば、オクタヴィアヌス自らの出陣は有り得ないだろう。
虚空を失踪するアントニウス艦隊。それを迎撃すべく、司令官に任じられたユリアヌス・シルウェステルが派遣したのはかつてアントニウスの部下であったサタジットである。
「敵艦隊の位相は?」
「未だ捕捉できてはいませんが…現在10時方面にいる筈です」
「宜しい。このまま反時計回りに前進、6時間後に接触の予定で進んで下さい」
旗艦オルトロスから指示を伝えるサタジット。広大な宇宙空間で互いの位置を確認することは困難であり、レーダーも余程近距離にならなければ各種妨害装置の影響で役に立たない。故に索敵と、それ以上に敵の進路予測が重要であり、敵の位置と行動とを早く正確に把握することは艦隊戦において勝敗に影響する程の重要な要素である。
アントニウスの進軍速度は遅く、オクタヴィアヌスの迎撃軍を待ちかまえていることは明らかである。サタジットはアントニウスの予測よりも早く迂回行動を起こし、接触予定宙域の後方に回り込んで奇襲を図るつもりであった。
「敵軍、捕らえました。旗艦ベロナの存在を確認、後方7時の方角から接近可能です」
「前進!突入して先手を打つ!」
命令一下、サタジット艦隊は突入を開始する。先制して主砲を斉射、アントニウス軍の後方に集中砲火をたたきつけた。機先を制されたアントニウス軍は動揺し、艦列を乱す。
「後方7時より敵襲!旗艦オルトロスを確認、突入してきます!」
「ラリベル隊か…後部艦隊は応射して対応せよ。主力は前進しつつ回頭、まだ迎撃には間に合う」
アントニウスの知るサタジットであれば、守勢における粘り強さには見るべきものがあったが攻勢の剽悍さには欠ける筈であった。艦隊後部を犠牲に捧げれば充分に迎撃体勢を取る余裕は得ることができるだろう。
続けて砲撃を行うサタジット艦隊の砲火にさらされながら、アントニウス艦隊の後部から反撃の応射が飛ぶ。効果的な損害を与えることはできなかったが、一時敵の突進を牽制しその間に艦隊の回頭に成功するとアントニウスは反撃を指令、二回目の主砲斉射でサタジット艦隊の前面に戦力の不均衡を作り上げた。
「未だ!主砲斉射三連、そのまま前進せよ」
絶妙のタイミングで砲撃、攻勢に転じるアントニウス。サタジットも懸命に反撃するが相手の前進を阻むには到らず、それでも頑強に抵抗して突破は許さない。戦況としてはアントニウスが有利であるが、当初先制されて受けた損害もあり長期的に戦線を維持することはできないだろう。アントニウスは旗艦の艦橋で小さく舌打ちすると、仕方ないという表情で後退を指令した。相手の後退を見て、サタジットも安堵のため息を漏らす。
「損傷した味方の救出を急いで…警戒体制はまだ解かないで、敵が撤退するまで艦隊を再編しつつここを動かないこと」
かつての上官を相手に過半の戦力を維持したことは評価に値するだろうか。何れにせよ、辛うじて彼女の任務は果たされたといって良いだろう、サタジットは戦況と味方の損害の報告を後方のローマ本国、それに未だ戦闘中であろうユリアヌスの下へ送った。恐らく戦闘の苛烈さと通信妨害によってその報告が届くことはないであろうが、これも分艦隊指揮官の任務の一部である。
ユリアヌス・シルウェステルの指揮するオクタヴィアヌス軍と、ヘクトールとアルトの指揮するアントニウス軍の激戦は未だ続いていた。サタジットが予測した通り戦闘は苛烈さを増す一方であり、余所の戦況についてはその結末を信じる以外に彼等のすべきことはない。
戦況は中央テオドラを迎撃したラルフ、左翼ヘクトールを迎撃したユリアヌスが優位に立ち、ほとんど一方的な砲撃によってこれを押し返していた。双方の損害としてはほぼ互角、戦線の硬直を打破するために双方が遊軍の投入を指令する。
「アルト=サーディス隊、前進する」
戦艦アレンタムを先頭にアントニウス軍右翼部隊は前進を開始した。右翼から戦場を迂回する形で敵軍の左側面に回り込むことが目的である。これに対するのはカリス・レオルグ。前回クレタ会戦で被弾した旗艦を乗り替え、新造戦艦ブラートヴルストに乗船している。やはり敵陣を迂回してその側面を突くつもりであり、互いに相手の意図を挫き自分の目的を果たすためには目の前の敵を撃破せねばならい。
「即戦で行くぞ…突進!」
シチリア周辺航路の争覇戦が激戦となった要因としては、彼等が互いに正面からの激突を余儀なくされた、その艦隊行動によるであろう。防御用の磁場を展開する戦艦の正面から、それに勝る出力の熱線の束をたたきつけあい奔流するエネルギーが艦艇を揺さぶる。混乱する陣形を立て直しながらアルトが砲撃を指令、カリスも味方を叱咤激励しつつ報復の炎を飛ばす。だが高速艦艇で即戦を狙ったカリスの艦隊に装甲で勝るアルトの艦隊はやがて優位に立ち始め、カリスは防戦一方に追い込まれていく。
「敵の突破は許すな!体勢は不利だが圧倒はされていない、このまま粘れ!」
「消耗戦になるわね…艦載機は出さないで宜しい、砲戦で削って」
こうして戦況は完全に膠着、時間が互いの犠牲を強要するようになる。だが初戦で不利を受けていたテオドラとヘクトールはそのまま戦況を覆すことができず、血生臭い祭壇に自分達の艦艇をのみ捧げていた。オクタヴィアヌス軍では司令官のユリアヌスがヘクトールを完全な包囲下に敷き、前後左右からの砲撃で次々と敵艦を破壊していたが、中央のテオドラはラルフの縦深陣形に完全に引き込まれており、左翼のカリス艦隊も辛うじてアルト艦隊の猛攻を支えている状況である。このまま事態が推移すれば自分がヘクトール艦隊を突破して敵の後方に回ったとしても、遊軍となるアルト艦隊が来援すれば不利は免れない。
「そろそろ退くぞ。敵さんもこれ以上進軍はできんだろうからな」
ユリアヌスとしては自艦隊の損害を抑えたことで戦果としては充分すぎるほどである。全体としてアントニウス軍に押されていたことは不本意ではあっても、彼自身の立場はこれで強化されるだろう。何より消耗戦と化しつつある戦闘をこれ以上続けても双方の犠牲者が増えるばかりであったし、中央テオドラ艦隊は既に壊滅寸前まで撃ち減らされており戦闘続行は不可能な状況である。テオドラ艦隊はこの戦闘で八割以上の損害を受け、乗艦キルルグスも被弾、指揮官は負傷したものの応急治療後病床から指揮をとり続けて戦場を離脱。アントニウス陣営ではヘクトール艦隊がやはり損害率八割を超える惨状となったが、司令官は激闘の最前線にあって尚無傷であった。苦虫をまとめて噛み潰したような顔で腕を組み、敗残の兵を率いている同僚をアルトは安堵の視線を込めて見やっている。
「まあ、無事なら再戦の機会もあるわよ」
「・・・」
慰労の言葉に、黙り込んだまま答えないヘクトールの心情は理解できるつもりでいる。軍としてはラルフの活躍もあり勝勢と呼んで良いであろう。戦略目的としてはシチリア方面の進攻は阻まれたわけだから、成功とまではいえないがオクタヴィアヌスのローマ軍はかなり不利な状況に立たされた筈である。
「次は、オクタヴィアヌスが自身出てくるでしょうね」
「・・・」
その言葉にもヘクトールは答えない。アルトは軽く肩をすくめると、敬礼をしてから通信を切った。負傷した艦艇と兵士を収容し、クレタ方面からギリシア星系までの帰途を指揮するために艦隊をまとめなければならない。
シチリア周辺航路の争覇戦はアントニウス軍が優勢を得たものの、航路制圧には及ばずユリアヌス・シルウェステルが戦線を防衛することに成功していた。
† † †
シチリア周辺宙域での苦戦を遺憾とし、オクタヴィアヌスは自らアントニウスを迎撃すべく兵を出すことを決意する。事がこの状況に到り、元老院もアントニウス軍がローマに到達すれば自分達の権威も失われるとあってオクタヴィアヌス支持を再表明する。苦境にあって恩を売ることが元老院の思惑にはあったのだろうが、これによってオクタヴィアヌスは後顧の憂いを少なく出陣が可能となった。
対するアントニウスも軍の勢いに任せて、この際三頭政の首座を占めるべく軍を再編しつつある。ギリシアに到るまで政務をクレオパトラに委ね、自らは戦場に立つことになるが、こと戦場で武勇を振るうに際してマルクス・アントニウスの実力は故人であるユリウス・カエサルも認めたものであった。
既に銀河ローマ帝国は最大規模と呼べるほどの内戦に突入していた。
†本隊 マルクス・アントニウス 旗艦ベロナ 06680/10000
†左翼 ルフス・ヘクトール 旗艦イリリクム 01900/10000
†右翼 アルト・サーディス 旗艦アレンタム 08100/10000
†中央 ラルフ・アルトゥア 旗艦セオデリック 09700/10000
†アントニウス軍 26380/40000 損傷率34.05%
†本隊 ユリアヌス・シルウェステル 旗艦ラウレントゥム 10000/10000
†左翼 サタジット・ラリベル 旗艦オルトロス 04660/10000
†右翼 テオドラ・ガリアヌス 旗艦キルルグス 01300/10000
†遊軍 カリス・レオルグ 旗艦ニブルヘイム 05200/10000
†オクタヴィアヌス軍 21680/40000 損傷率47.10%
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