十一.ティレニア会戦(前)
シチリア周辺宙域で大勝したマルクス・アントニウスは勢いを駆ってローマ方面へと前進を開始する。勝利によってアントニウスはカルタゴ星系方面を治める三頭政の一人、レピドゥスの消極的な支持を取り付けることにも成功し後顧の憂いもなく永遠の首都ローマへと軍を進めていた。一方で銀河ローマ帝国執政ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスはこれまでガリア・ヒスパニア方面の叛乱鎮定に終始していたがここに到り遂に自らアントニウス討伐を決意。それまでローマの府でオクタヴィアヌスの足を引っ張ることに尽力していた元老院もギリシア・エジプト方面から新興勢力として伸張する「外敵」に対してオクタヴィアヌス支持を表明する。
旧きローマの伝統と権威を受け継ぐオクタヴィアヌス陣営、新しきローマ文化の母体であるギリシアを中核とするアントニウス陣営。元老院とオクタヴィアヌスがアントニウスだけでなく今やギリシア・シリア・エジプト星系の共同統治者となったクレオパトラに脅威を感じていることは明白で、ローマはかつてのカルタゴ以上の敵を内戦によって迎え撃つことになったのである。
† † †
ガイウス・オクタヴィアヌスはギリシア、シリア、エジプトを支配するマルクス・アントニウス将軍ではなくその共同統治者であるクレオパトラに対して宣戦を布告する。エジプト星系の女王にしてアントニウスを篭絡した大外交官こそローマが倒すべき相手であった。オクタヴィアヌスは軍を編成し、自ら本隊を率いて出陣の日を定める。
だがそこに飛び込んできたのは衝撃的な凶報だった。オクタヴィアヌス軍の中核であり先のシチリア周辺航路争覇戦でも主軸として活躍した中将ユリアヌス・シルウェステルが突如、アントニウス軍に寝返ったのである。受け入れる側となったアントニウスも突然の投降者を武装解除させると旗艦ベロナへと呼び入れ、詰問するかのような口調で尋ねた。
「貴官の帰順は本意か?貴官は何を望む?」
対するユリアヌスの返答は簡潔なものであった。
「栄達を望みます。ただ閣下に勝利を捧げることのみがそれを証明しうるかと」
「貴官は働きによって自己の立場を得ようとする、それは良い。だが貴官を信頼することはできぬ、最前線でその意を見せてもらおう」
「無論ですな。ご随意のままに」
野心のままに行動する心理を自らも野心家であるアントニウスは理解できたが、それだけに不名誉な行為を覆す実力と実績とをユリアヌスには見せてもらう必要があるだろう。
一方、戦闘前に中核部隊の指揮官の一人に去られることとなったオクタヴィアヌス軍では、早急に欠員の補充を求められていた。皮肉なことに残る将官の中で最上位となったのは、かつてアントニウス旗下の将でありながらローマに置き去りにされる形でオクタヴィアヌス陣営に残留していたサタジット・ラリベル中将である。
「大変になるわね、敵と味方を取り替えて…こんなことならいっそコルベールの商家でも継いだ方が良かったかしら」
「閣下、あまりそのような事を口にされては」
密閉された戦艦オルトロスの会議室で、副官に窘められていたサタジットがかつて滅びたカルタゴの英雄、ハンニバルの片腕であったコルベール家の傍流家系の出自であることはあまり公にはされていない。家を継ぐ立場にないとはいえ、敗戦後ローマに吸収されたカルタゴの名将の家に生を受けたことは必ずしも彼女の有利に働くとは限らないし、ましてコルベール家自体はもともと有力商人の家系であって、不利な記憶はむしろ抹消したいくらいに考えていたであろう。
オクタヴィアヌス軍は総司令官ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス自身が本隊を指揮、サタジットに後方を守らせて中軸を固め、両翼をテオドラ・ガリアヌスとカリス・レオルグの両少将が支える。更にユリアヌスの欠員を埋めるために辺境星系から転属されたグロムイコ・アンドレイ・アンドレイビッチ准将を遊撃の位置に配備、オクタヴィアヌスがガリア方面を鎮定していた際に外交官として周辺諸星域を経略していた人物であり、軍人としての経験もあるものの資質は未知の領域に属していた。
「粉骨砕身し同士のため尽力する所存、以後お見知りおきを願います」
グロムイコは意気揚々としていたが、次の戦に勝たねば後は無いのである。ローマは確実に追い詰められていたのだから。
両軍は首都星ローマを至近に臨む航路上、ティレニア宙域で正面から激突する。オクタヴィアヌス陣営は総司令官自らが中央前衛で重厚な布陣を敷いているが、対してアントニウス軍の先陣はユリアヌスが高速艦艇を中心に前進しており、やや突出のきらいもあった。不名誉な叛将に宛ててオクタヴィアヌス軍からの通信が届く。
「野心の為に乱を望む者よ、大恩あるローマに帰属するが良い。汝は寛容と砲火のいずれによって報われるを望むか」
「新しき世界の為だ。ローマへの大恩は仇で返させて頂くとしようか」
オクタヴィアヌスの降伏勧告を聞き流しつつ、戦艦ラウレントゥムの艦橋でユリアヌスは副官を顧みる。相手は執政ガイウス・オクタヴィアヌス、ここで大魚を釣り上げれば実力のみによってのし上がった建国の元勲の名は欲しいままとなるだろう。機動力を活かして急速前進し、相手の側面から突入して全軍の指揮系統を圧迫する。ユリアヌスの目論見はだがオクタヴィアヌスには充分に予測されていた。
「相対距離70…敵、予定の宙域に留まりません。尚も前進、突入コースです」
「速い…間に合うか?こちらも突進!」
「距離…60!砲撃来ます!」
正面激突を避けるつもりが、移動する鼻面を突かれる形となったユリアヌスは速戦を断念して受け身にまわる。太い熱線の束が敵軍から放たれると数瞬で味方の前面に届き、ユリアヌス艦隊の前面でまばゆいばかりの爆発光が連鎖した。
「怯むな、反撃!」
だがユリアヌスは自分の困難な立場を充分に心得ている。ここで勝つことができなければ彼には未来がない、ユリアヌスは退くことができないし最初から退くつもりも無かった。全砲門を開くかの如く激烈な砲火で反撃、主砲を三連斉射するとオクタヴィアヌスも真正面から反撃の砲火を叩きつける。総旗艦インペラトールの艦上、オクタヴィアヌスは敵の頑強さに舌打ちをしていた。
「流石にやる…アンドレイビッチ艦隊に連絡、本隊の右から前進し敵前衛の左側面から半包囲をかけよ。更にガリアヌスとレオルグ艦隊にも前進を指令、敵両翼を牽制」
総司令官の指揮により、オクタヴィアヌスの軍は虚空に翼を広げる猛禽のように一斉に動きはじめる。グロムイコは戦艦オリョールから味方に指示、前進を開始するがそれに呼応するかのようにアントニウスも旗艦ベロナの艦橋から指揮を飛ばしていた。
「儒子が狙ってくるぞ。ラルフ艦隊は前進、敵の思惑を阻止しろ!」
「了解ッ!」
ラルフ・アルトゥアは猛将と呼ばれるに相応しい、爆発的な攻撃能力を持っている指揮官である。その実力は先のシチリア周辺航路争覇戦でも充分に証明されており、ラルフは下卑た笑いを浮かべながら目の前の敵を倒すことが楽しくて仕方ない、といった風情で戦艦セオデリックを先頭に全艦突入を指令する。
動きこそ鈍いが重厚な布陣で決して退かぬ突撃、ユリアヌスの先鋒隊の影から踊り出るとラルフ艦隊は半包囲を企図していたグロムイコの部隊と正面衝突した。グロムイコは目の前に出現した敵に向けて砲火の壁で相対し、ラルフは自ら前進する形でこれに飛び込むが火と光に包まれながらも構わず強行突破を図る。先制の一撃を破られたグロムイコ艦隊は艦列を乱し、敵の勢いに対応できずにいる。
「砲戦は不利だ!艦載機発進準備、接近戦で対応!」
「駄目です、間に合いません。敵、突入来ます!」
ラルフの突入と零距離射撃によって急速に戦況は激しさを増すことになった。テオドラ・ガリアヌスとカリス・レオルグの指揮する両翼の戦線も例外ではなく、左右連携して陣形を広げ敵全体を包囲下に敷くべく既に砲戦を開始していた。カルタゴ戦役の時代から猛威を発揮してきた鉄桶の布陣を狙うテオドラは先の敗戦の汚名をすすぐべく、戦艦キルルグスの艦橋で指揮を行いながら人の言う地獄の業火で焼き尽くしてあげるわ、と豪語する。
だが対するアントニウス軍右翼、アルト・サーディス中将は速攻を指令、更にオクタヴィアヌス軍が広げた両翼の外側に部隊を展開、一端から狙撃することに成功していた。
「誘うわよ。全艦並列砲火、主砲一斉砲撃を開始」
その冷徹さは氷の如く、と称されるアルトの艦隊から並行砲撃による熱戦がテオドラ艦隊の側面から襲来、広い範囲に光と熱の華を乱舞させる。出力よりも広範囲な打撃を狙った砲火に艦列を乱したテオドラは右方面に流れるように陣形を崩してしまう。テオドラは艦隊前面を敵に向け直し、反撃を試みようとするが容赦のないアルトの砲撃は敵艦を撃ち減らすよりも混乱させることに終始し、指揮系統の破壊を狙っている。テオドラの背筋に悪寒に似た感覚が走りぬけた。
「拙い…戦線を崩しては駄目よ!一気に持っていかれる!」
一瞬見せた弱さが最悪の未来図を予想させる、それは左翼側でヘクトール隊の攻勢を受け止めることになったカリスにも伝播していた。『鉄桶』による包囲殲滅を図るオクタヴィアヌスに対してアントニウス軍は広がった両翼に牽制の砲火を撃ち込み、動き止めておいてからの平行突撃を企図している。相手を包囲する前に突破を許せば、軍を広げている分だけ密集の度合いは薄くなる道理だった。
ヘクトールは旗艦イリリクムの艦橋で全艦並列前進を指令、更に艦載機を一斉発射し力押しでカリスに襲い掛かる。カリス艦隊は重戦艦主体の機動性の鈍さが災いし、装甲こそ厚いながら激しすぎる攻撃の直撃を受けると高熱と衝撃で艦隊を揺るがされることとなった。艦内にオペレータの絶叫が響きわたる。
「制宙権を獲られました!敵、艦載機来ます!」
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