十三.ローマ大戦 1
銀河ローマ帝国主星ローマを至近にのぞむ、ティレニア宙域での会戦はマルクス・アントニウス艦隊が圧倒的な勝利を収めることに成功した。執政ユリウス・ガイウス・カエサル・オクタヴィアヌスの軍はローマを守るべくこれを迎え撃とうとしたが、結果は全軍の過半を失う大敗、敗残の軍はローマに駐留する残余の勢力を糾合して最後の抵抗を試みようとしている。
一方で大勝に意気上がるアントニウスの軍で、総司令官アントニウス自身は先のティレニア会戦での戦果が思わしくなかったこともあり兵力を再編成後即時追撃、ローマ進攻を全軍に告げる。事態は急速に流れ、共和ローマ最後の戦いの時は刻一刻と近づいていた。
銀河ローマ帝国は震撼する。叛将マルクス・アントニウスはエジプト星系の女王クレオパトラの後援を得て、ギリシア、シリア方面の戦力を背景にしてローマへの進軍を進めていた。執政オクタヴィアヌス支持を表明していたローマ元老院は苦境に際して己の主張を曲げることはなかったが、あるいはそれは新興の周辺星系に対する伝統保守派代表としての最後の誇りであったのかもしれない。
「ローマは敵に屈する膝を持たぬ、我等は生命より名誉を重んじるものであるのだ」
これは嘘であろう。元老院は伝統保守派の代表として、アントニウスに膝を屈せばエジプトやギリシアに主権の全てを受け渡し、更に強硬な弾圧の対象となるであろうことも目に見えている。所詮、オクタヴィアヌスが勝利せねば彼らには未来がないのであった。
元老院はローマ星系を守る残余の軍、巡視・哨戒・警備の各艦艇までをかき集めてティレニアの敗残兵と糾合し促成の混成艦隊をつくりあげる。だが混成であれ帝国への忠誠と誇りが軍の士気の根幹にあるローマでは数こそが驚くべき力たりえるのであった。少なくとも、かつてハンニバルとカルタゴの軍を撃退したときのローマはそうであった。
「今はどうかしらね、それを指揮官が補うことができれば良いのだけれど」
戦艦キルルグスの艦橋、暗黒の宇宙空間に輝く星々の輝きに視線を向けながら、テオドラ・ガリアヌス中将は独語していた。状況は限りなく悪く、強力なアントニウス軍とその部下の艦隊を相手に勝算は薄い。だが、彼女は絶望もせず逃亡も降伏もする気はなかった。盟友であったカリス・レオルグとその旗艦ブラートヴルストが沈んだ、先のティレニア会戦の激闘を生き延びていたテオドラにとって、今この時になって諦めることは戦没者に対する礼を失することになるのだ。
頑迷で教条的な軍人主義だろうか。そう思いつつも、テオドラは促成の混成艦隊に最低限の士気と訓練とを徹底させるべく編成に余念がない。休息の間も惜しいとばかり精力的に艦橋で指示を行っているテオドラのもとに、通信士官が連絡をもたらした。
「閣下。前衛オリョール、アンドレイビッチ准将から定時通信が入っております」
「分かった、こちらに繋げ」
北方の辺境星系出身であるグロムイコ・アンドレイ・アンドレイビッチはその頑固さから外交官時代に「ミスター・ノー」の異称で呼ばれた人物である。ティレニア会戦からローマ陣営に将校として参加、この局面で動揺のそぶりは見せず、ただ出身星系にある同志たちの名誉のために黙々と自軍の査閲を行っている。粘りと統率、彼もまた不利な状況にあるローマ軍に求められているものが何であるかに気づいていたようだ。
「編成の状況は?准将」
「前線の連携には問題ありません。後は敵がどこまでの行動線を確保できているか、ですな」
「同感ね。敵は遠征軍であり補給はともかく増援には限界がある、決してこちらに比してぼう大な兵力を持っている訳ではないでしょう」
ギリシア、エジプト星系から遠く出征をしているアントニウス軍はシチリア星系に橋頭堡を得ていることで補給に関する不安は少ないが、連戦の中で艦艇数には限界があり増援を呼ぶには本星はあまりに遠い筈だった。帝国ローマ軍オクタヴィアヌス陣営の利はそこにあり、敵軍を撃破すれば後は続かず更に総司令官を打倒することもかなえば、その剛腕に支えられているアントニウス艦隊は瓦解を余儀なくされるであろう。それには長期にわたって戦線を維持して敵に損耗を強いること、彼らは未だ敗北の尾をつかんでいる訳ではなかった。
一方でローマの古臭い伝統と権威を破壊すべく、洗練されたギリシアの文化とローマ以上に長大な歴史を持つエジプトの後ろ盾を得てアントニウス軍は進攻する。だが総司令官マルクス・アントニウスは先の会戦で失った直属の兵団を編成せねばならず、即戦を望みつつも遅れて進発せざるを得なかった。猛将を自認するアントニウスとしては不愉快な状況であったろう。
「ローマとオクタヴィアヌスの儒子に余裕を持たせることはない。まず戦端を開き、敵に時間を与えぬことだ。本隊はその間に戦場を迂回しつつ編成を行う」
「了解」
アントニウス軍総指揮艦ベロナとつながっている通信スクリーンに対して、ルフス・ヘクトール・アウレリウスとアルト=サーディスの両大将は同時に敬礼を施す。一連の戦乱の中、両者はアントニウスと伴に戦場を往来することで栄達した者たちであり、氷と評される冷徹なアルトに対して剽悍さで知られるヘクトールは炎のふたつ名で呼ばれることがあった。彼らの猛々しい知性と冷静な勇猛さは眼前の敵軍に対して常に優れた戦果を収め、主君が野心と栄達の階段を上る足どりを支え続けてきたのである。
首都星ローマを指呼にのぞむ宙域、オクタヴィアヌスとローマ元老院が用意した艦隊が進発した情報は既に彼らの下にも届いている。後続のマルクス・アントニウス本隊を除けば双方の兵力はほぼ互角、ローマ軍は戦闘を長期化させてアントニウスを引きずり出そうとするであろうし、こちらはその敵を覆滅することでローマに城下の盟を誓わせることを望んでいる。
「ここで敵の総司令官を討ち取れば、各星系への軍の影響力は並ぶものがなくなるでしょうね」
「戦闘前だというのに、どうしてもクレオパトラのことが気になるようだな」
「…そうね」
エジプト星系の王家の血をひく統治者であり、マルクス・アントニウスとの共同統治権を謳うクレオパトラの存在は軍船乗りである将兵たちに決して好かれてはいなかった。戦場では無敵の勇者だが政治には疎く、また美女となると見境のないアントニウスが彼女に篭絡されたのだろうという意見は未だに多かったし、そんなアントニウスの危うさと子供っぽさもまた彼が部下に好かれている原因でもあったようだ。だがもしもエジプトの女王がアントニウスへの影響力を背景に軍部を蔑ろにするようなことになったら、と思えば戦場に身命を捧げている武人としては心安らかではいられない。
「何れにせよ明日の話をする前に今日の宿題を片づけるべきだろうな。敵の布陣はどうだ?」
「見たところは分散せず集結しているようね。即席の艦隊で指揮範囲にも自信が無いだろうし、当然の選択だと思うわ。でも、だからこそ…」
「敵は突破を、味方は包囲を図るに恰好の状況という訳だな」
ヘクトールの言葉にアルトは口元をほころばせる。彼らが一対の名で呼ばれる理由、それは長く戦場を往来した彼ら自身の連携にこそあるのだった。
† † †
もはやローマ宙域としか呼びようのない場所、平時であれば多数の商船が往来しているであろうその航路に今は軍船以外の姿を見ることはできない。互いの哨戒艦はすぐに敵軍の姿を捕らえ、その位相を味方に報告すると同時に自らの存在を敵に知らせる。
「敵艦隊、確認しました。接触まで推定約四時間」
首都星ローマから進発したガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスの軍は密集して互いの連携を保つようにしながら前進、対するマルクス・アントニウスの軍は左右に陣形を広げて敵を迎え撃つために展開する。アントニウスの本隊は恐らく遥か後方にいるのであろう。
オクタヴィアヌス軍の先鋒はグロムイコ・アンドレイ・アンドレイビッチ准将、アントニウス軍は両翼にヘクトールとアルトの両大将が支え、中央部はラルフ・アルトゥアと叛将のユリアヌス・シルウェステルの中将二名が陣取っている。乱世に出世と栄達とを望み、昨日までの味方を敵と取り替えたユリアヌスは自己の才幹と実績のみによって宝を得る必要があった。
「先の悪戦の汚名を雪がねばならん。出るぞ」
戦艦ラウレントゥムの艦橋、ユリアヌスの言は視野の狭いものにも聞こえたが、彼としては即席の混成軍が密集している以上、対するに有効な戦法は敵の遅さを利用して半包囲を図ることにあると見ていた。
両軍の姿は既にレーダーにもはっきりと認められ、その距離も刻一刻と狭まってゆく。充分に距離が近づいたところでユリアヌスは砲撃準備を示すべく右手を高く振り上げると、些か演出過剰気味に宣言した。
「こいつは旧いローマに捧げる最後の花束だ。全軍一斉砲撃・・・・・・撃てぇ!」
その瞬間、同じ命令を下していた複数の艦艇から複数の熱線がほとばしるとローマ至近の宙域を熱と光で埋め尽くす。後にローマ大戦と呼ばれる、その激闘が遂に開始された。
>十四.ローマ大戦 2を見る
>地中海英雄伝説の最初に戻る