十七.ローマ大戦 5


 戦闘が開始されてより一日以上が経ち、帝国元帥ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスの軍もギリシア、シリア、エジプト方面総督マルクス・アントニウスの艦隊も疲労と損耗の極致にあった。両軍は申し合わせたように互いの距離をとるが、そのまま戦場を離脱しようとはせず戦闘を終了する素振りもない。

「停戦の好機ではありませんか。これ以上は完全な消耗戦になります」
「承知の上だ。だが、両者が退かぬのであれば他に方策はない」

 下士官と兵士が僅かな休息をとっている間、総指揮艦インペラトールの幕僚会議ではサタジット・ラリベル中将が総司令官オクタヴィアヌスを諌めていた。これだけ双方に多大の損害が出て、既に勝者も敗者も無いであろう状態で何故これ以上の戦闘を続けなければならないのか。通常であれば既に両者停戦、適当な条件での講和を結ぶべき時期である。
 だがオクタヴィアヌスには、あるいはサタジット自身にも分かっていたのかもしれない。ローマの混迷する情勢を立て直すには強力な指導者が必要であり、それはオクタヴィアヌスとアントニウスの何れかであるべきだった。彼らの能力や性行の問題ではなく、彼らの支持基盤である民衆と元老院層、または属州民とその王族との間に協調の橋がかけられない現状でアントニウスとオクタヴィアヌスは掲げられるべき旗であったが、いかに優れた旗でも二本立てれば改革は決して成功しないのである。

 そう、これは好機というべきであった。ここでアントニウスとオクタヴィアヌスの何れかが戦場に倒れれば、残った者はその遺産の全てを受け継いだ上でローマと近隣星系の再建を図ることができるのだ。辺境星域はオクタヴィアヌスとアントニウス自身の手によってすでに鎮定されており、嬉々としてであろうが渋々とであろうが、戦乱は一応の終結を見てその後は一時の平穏な時代が訪れるであろう。

「皆も少し休むが良かろう。二時間後に戦闘を再開する」
「…了解」

 だが本当に、それが良い方法なのであろうか。答えの見いだせぬ問いを自らに投げかけつつ、彼らは艦橋を辞すると自分の旗艦へと帰っていく。
 それから二時間後、それまで射程距離外ぎりぎりの間合いを保っていた両軍はやはり示し合わせたかのように部隊を動かし始める。短い時間で陣形を立て直す余裕はなかったが、全体としてオクタヴィアヌス軍は凸形陣を、アントニウス軍は凹形陣を敷いて正面から戦端を開こうとしていた。

「敵、射程距離内に入ります。63…62…」
「まだだ、味方の編成に粗がある。50、いや、49まで引き付けろ」

 射程距離内に入り依然としてどちらの砲撃も行われない。砲術士も通信士官も、戦闘艇操縦士も指揮官も一様な静寂の中で声を発せず、ただオペレータの報告のみが各艦内に響き渡っていた。

「完全に射程距離内です。53…52…51…」
「砲撃用意!」

 オクタヴィアヌスが艦橋で右手を振り上げる。全将兵の緊張がその一瞬に集中された。

「50…49!」
「撃てぇ!!」

 ほぼ同時に、アントニウス軍からも統制された砲火の一斉射撃が行われる。最終局面を過ぎた、本当に最後の戦いである。


cut


 先手を取ったのはオクタヴィアヌスであった。少数の兵力が僅かに艦隊指揮を容易にした状況は先程と変わらず、アントニウス軍に主砲の三連斉射を撃ち放つ。アントニウス艦隊からも応射が飛ぶものの効果は薄く、周囲では次々と光と炎の群舞が演出された。

「中央、突破されます!」
「させてやれ!もともとこちらは増援と合わせて二部隊のようなものだ、挟み撃ちにしてやる」

 総旗艦ベロナの艦上でアントニウスがうそぶく。オクタヴィアヌスの突撃攻勢は尋常なものではなく、まともに受けとめるのは愚策であるように思えたアントニウスは艦隊を分断されつつも、両側面から反撃の砲火を叩き込む。勢いを減じたオクタヴィアヌス艦隊に「火」と「氷」の両名が二方向から襲い掛かった。

「砲弾が尽きても構わん!撃ちまくれ!」
「捕捉できる敵艦を正確に、確実にしとめろ!補給は無いと思え」

 左方向からは豪快で勇猛な砲撃が、正面からは的確で冷徹な砲撃が襲い掛かる。挟まれた艦艇はその温度差に耐えきれずに次々と爆発四散するしかない。更にラルフとユリアヌスも激減していた兵力をかき集めて凶猛な攻勢を演じている。
 戦前に予想されていたとおり戦況は果てしない消耗戦の深淵へと流れ込み、拮抗する互いの能力が突破も許さず、包囲も許さずにただ艦艇と将兵とを失い続けていた。そして再戦闘が開始されてより既に15時間、偶然の産物であろうか、両軍の拮抗が崩れ出したのは双方の戦力がほぼ5000隻程度ずつになってからのことである。

「ローマはもう手の届くところだ!砲撃!砲撃!最後まで攻撃の手を緩めるな!」
「ミサイル、尽きています!エネルギー残量も15%を切りました!」
「構わん!撃てる限りのビームを撃てぇ!」

 この戦闘で戦艦セオデリックは常に激戦の最渦中にあり続け、砲弾もエネルギーも尽きるまで戦い続けた。そして遂には防御磁場の発生に費やすエネルギーをも砲撃に回した、それがラルフの最後の命令となったのである。乱戦の中で過負荷状態となったエネルギーが艦艇に襲い掛かり、既に幾度かの損傷を受けていた装甲の亀裂を押し広げると、艦外で荒れ狂っていた高温の濁流が一瞬で艦内に流れ込む。各所で放電と小さな爆発が生じ、警報で赤く包まれていた艦内が熱で赤く、そしてすぐに白く漂白されると世界を白い輝きが包み込んでいき、爆発した。

「戦艦セオデリック…撃沈!」

 その報を艦橋で聞いていたユリアヌスは、自分の戦艦ラウレントゥムがセオデリックと然程離れていない至近の宙域にあることを知っていた。彼の艦隊も既に旗艦以下数十隻まで撃ち減らされており、やはり砲弾もエネルギーも尽きかけ逃亡は不可能な状態になっていた。

「もっとも、逃げる道も降伏する道も有り得ないが…最後まで、好きにやらせてもらうさ」

 自嘲した次の瞬間、ラウレントゥムの重装甲を複数の熱線が刺し貫いた。機関部への直撃こそしなかったものの、推力を失った戦艦は煙と火花を発しながら宙域を漂い、次の砲火もやはり機関部を外れたが艦そのものが耐えきれずに二つに折れ曲がると今度こそ、爆発して閃光に包まれる。
 包囲を試みていたアントニウス軍は戦線の崩壊に伴い各所で寸断され、未だ統制を保っているオクタヴィアヌス軍の的確な砲撃で撃ち減らされていった。戦局は決し、あとは最早消耗戦ですらなく単なる掃討戦に過ぎない。通信網が回復したのも通信妨害を行うことができる者がいなくなったからである。

「閣下、既に勝敗は決しています。アントニウス軍に降伏の勧告を…」
「・・・・・・」
「閣下!」

 サタジット・ラリベルの嘆願にオクタヴィアヌスは全艦隊に戦闘の一時停止を命じる。荒涼とした戦場、既にアントニウス軍には無傷の艦艇は存在しない。

「敵…将に通告します。貴官らは完全に包囲下にあり、直ちに動力を停止して降伏しなさい。敵将に通告します…」

 オクタヴィアヌスに代わって降伏勧告を行ったのはサタジットであり、この勧告をアントニウスが受け入れることは彼女には分かっていた。長きに渡った戦乱の終結に伴い、その代表者の処罰が必要となること、代表者がいなければ代わりの者が犠牲の祭壇に奉られるであろうこと。そして、それをアントニウスが潔しとしないであろうこと。彼女の、そして多くの者が知るマルクス・アントニウスはそんな人物であった。

「だが、それでも仕方がないと思う。ここまで生き残った人には、せめて生きていて欲しいだろうから」

 その言葉もまた、誰に聞こえることもなかった。

 こうしてローマ大戦は終結した。後の史書に大戦の勝者としてガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスの名が刻まれることになるのは周知の通りである。

Phase4.
‡オクタヴィアヌス軍   03703/09003 損傷率 58.86%
‡アントニウス軍     00000/13694 損傷率 100.00%


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