2.アドリア会戦
「両翼クレンダス隊、ガリアヌス隊が押されつつあります。このままでは挟撃の恐れが…」
「分かっている!それより司令部の様子は?」
「現在確認中、旗艦の存在は識別できております」
戦況は多分に不利に展開しつつある。戦艦エウリュティオンの艦橋で、カルレット・ザリエルは刻一刻と包囲網の完成しつつある戦況を注視していた。今はまだ味方が善戦しているが、ここで総司令部が崩壊すれば最悪、逃げるタイミングすら逸して全艦壊滅という事態にすらなりかねない。この状態でも生き残る手は幾らでもあるが、それには味方が連携をとり、戦線を維持するだけの力を残している必要があった。
中央部が混乱している間も両翼での戦闘は苛烈さを増していく一方である。西ローマ軍左翼コルネリウス・アエミリウスはヨハンナ・ガリアヌスを相手に戦闘の主導権を譲らず、突進で崩した敵前衛部を凹型陣からの的確な砲撃で撃ち減らしていく。その柔軟な機動性にヨハンナは対応することができない。
右翼ダリア=ハルトロセス隊も柔軟な艦隊制御能力を発揮して展開していた陣形を集結、今度は密集陣形から前進と前進を行いゼフェル・クレンダス隊を翻弄する。ゼフェル隊も砲火を集中して密集した敵陣に大きな穴を空けるが、あと一歩を突き崩すことができずにいた。
「総指揮艦ダイダロスより入電、司令部幕僚レオーナ・シロマーサ大佐と名乗っておられます」
「シロ…?ああ、『海賊女神』か。乗っていたんだな」
戦艦ダイダロスに乗船していたレオーナ・シロマーサ大佐は海兵隊出身、やはり「たたき上げ」の軍船乗りである。金髪でなかなかの美人との評判であったが、右目には眼帯、左頬には傷跡と些か時代錯誤な風貌でも知られていた。宇宙戦艦が戦場を飛び交うこの時代、電子治療の施術は傷跡をかんたんに消してしまうほどの技術力を持っているし、義眼の性能にしたところで同様である。戦傷を自らの誇りとするその性格が敢えて傷跡を完治させずに残しているのであり、女性らしからぬと言われる豪快な性格と風貌は西ローマ艦隊ではちょっとした有名人であった。
その彼女が総司令艦に乗り合わせていたのは、幕僚としてのレオーナの力量が相応に信頼されていたからに他ならない。ことが演習の査閲であり、兵士の信頼が厚いたたき上げの人物の存在が貴重であるのは無論であった。通信スクリーンに映る隻眼のブロンド美人の表情には、悪状況への緊張感の中にどこか不逞な余裕が絶妙なブレンドを見せていた。
「准将、総司令部代行、シロマーサ大佐であります」
「司令部代行…すると?」
「はい。旗艦ダイダロス被弾により総司令部は全員がズタボロに死傷、残留する士官の中では悪運強い小官が最高位になっておりますわ」
肩をすくめると同時に首を傾けるレオーナ。本来は無礼とも取られかねない物腰だが、状況はそのようなことを気にしている場合ではない。また、カルレットも他人にお説教できるほどに謹厳実直とした人物ではなかった。
「では今から貴官が総司令官代理だ。今後の指揮を頼もうか」
「え?正気ですか、准将?」
「俺は敗戦の責任を取るのは嫌だからな」
しれっと言ってのけるカルレット。だがレオーナは相手の言わんとするところを正確に理解していた。個々の部隊を連携させて状況の打破を図る、それには旗艦ダイダロスを中心とした本隊側の直接指揮を取る人物が必要になるのである。
「准将には何か策があるようね。司令官代理としてそれを進言することを認めましょう」
「いや、これは光栄の至りですな」
† † †
問題は総司令部代行からの指示を現に戦闘中の両翼の部隊にいかにして届けるかである。通信波でも緊急シャトルでも、傍受の危険性は変わらない。特にこれだけ戦況が混沌とした状況では尚のことであった。
「敵、総指揮艦より発光信号が出ております」
「何…この戦闘中にか?解読してみろ」
「はっ。解読します『戦況は不利、本隊の動向に合わせよ』との事です」
戦艦ロンデニウムで、ガイウル・ヘクトールは座したまま右の拳を口元にあてて考え込んでいた。この状況で通信が使えないのは分かる。敵の目的は暗黙の連携による戦況の打破にあることは疑いえない、だが問題はその内容である。
「退くつもりか、一気攻勢に出るつもりか…いずれにせよ敵の思惑に乗せられることはないな。急進して突入、敵に妙な手を用いる余裕を与える前に決めるぞ」
陣形を凸形陣に編成して急進突撃を図るヘクトール。それに呼応して左翼部隊であったピナル・アルトゥアの部隊も同様の陣形を布く。もっとも、戦闘が始まってよりピナルの艦隊は常に凸形陣による突撃攻勢以外のことを行ってはいない。
「最終局面だ!右翼に合わせて並列前進、中央を突破せよ!」
ややヒステリックに騒ぎ立てる指揮官に煽られて、アルトゥア隊も前進を開始する。猛攻にさらされた西ローマ艦隊はこれを前面で迎え撃ちながらも力及ばず不本意ながら後退、ヘクトールとピナルはこれを押しまくる。
左右両翼が攻勢に出て中央部は逆に押され気味であった東ローマ艦隊はここにきて全面攻勢へと転じることになった。彼らが勝利の尾を掴むのももうすぐだろう、確信に満ちた本隊両部隊の艦橋に、数々の妨害電波を排してダリアとコルネリウスからの緊急通信が届けられたのはその数分後のことである。
『無闇な前進をするな!敵の目的は…』
その瞬間、オペレータの叫びが艦橋に響きわたる。
「敵、左右両翼が急進!こちらの後背に回り込まれます!」
西ローマ艦隊中央部と交戦して釘付けにする間に、両翼が攻勢に出て前進し中央本隊の側背に回り込み半包囲を図るのが当初東ローマ艦隊の基本構想であった。そして、それは完璧に機能していたが中央部が前進することによって自ら包囲体勢を破壊してしまったのである。
「反撃、来ます!」
戦力を温存し集中して使用する。カルレットとレオーナは充分に引き付けてから突進する東ローマ艦隊の前面に向けて全砲門を開いて一斉射撃を行った。同時に右翼のヨハンナ、左翼のゼフェルは損害を覚悟で一気に前進、戦場を突破。西ローマ艦隊は自分たちが狙っていた中央後退、両翼前進による半包囲策を敵に成立されてしまったのである。
「前進しろ!包囲されたなら突破するだけだ!」
「駄目です!敵は左右に展開、両翼が縦深陣を形成!」
「おのれぇ、狡猾な…!」
一方で敵両翼部隊の突破を許したダリア、コルネリウスの両隊はこれを追撃すべきか迷っていた。追撃すれば敵の包囲を破る可能性はあるが賭けの要素が大きい、しかも中央本隊が不利な戦況にあるのは周知の事実だ。だが追わずに敵本隊に向かえば二箇所での包囲体勢が混戦へと移行し、そのまま消耗戦となることもまた明らかであったろう。コルネリウスはカンパーニアに乗船している幕僚に指示を与える。
「やむをえない。敵本隊に向けて転進、攻勢に出よ」
「それでは混戦になりますが、よろしいのですか?」
「敵の目的は混戦に持ち込むことだ。であればその段階で退却するだろう」
同様にダリアの部隊もゼフェル隊の追撃を断念する。両軍が入り乱れる混戦となる前にカルレットとレオーナの隊は戦場を避けるように前進し、味方と合流すると戦場を離脱してしまった。
「良く言って…痛みわけというところかしらね」
「不利な戦況が痛みわけになったんなら、由とすべきではないですかね?」
「まあ、ね」
ヨハンナもゼフェルもとうてい満足とは言えないが、無事であれば名誉回復の機会はいくらでもあるのだ。それに彼らの戦いは東西ローマ同士の骨肉の争いのみではない。辺境では常に騒乱の火種がくすぶり、今でも火と煙を吹き上げている星域も存在するのである。眼前の戦場にのみ彼らの戦闘が存在するわけではなかった。
宇宙歴もすでに390年に達しようとしている。
†レオーナ・シロマーサ大佐(総指揮艦乗替) 中央 戦艦ダイダロス 06554/10000
†カルレット・ザリエル准将 中央 戦艦エウリュティオン 07782/10000
†ゼフェル・クレンダス准将 左翼 戦艦ケーニギン・ティガー 02797/05000
†ヨハンナ・ガリアヌス准将 右翼 戦艦アキピテル 03158/05000
‡西ローマ軍 総艦艇数 20291/30000
†ガイウス・ヘクトール・アウレリウス准将 中央 戦艦ロンデニウム 08292/10000
†ピナル・アルトゥア准将 前衛 戦艦ヴァスパシアン 07594/10000
†ダリア=ハルトロセス准将 右翼 戦艦ハイラント 04561/05000
†コルネリウス・アエミリウス准将 左翼 戦艦カンパーニア 04621/05000
‡東ローマ軍 総艦艇数 25068/30000 勝利点2832
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