地中海英雄伝説3
ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスが「尊敬すべき人」アウグストゥスとして銀河ローマ帝国の主人となってより、すでに400年近い時が過ぎようとしていた。その後も銀河ローマ帝国は多くの皇帝を排出し、善悪美醜の様々な歴史をかたちづくってきた。アウグストゥスの時代より帝国の版図は銀河系の広大な宙域、ローマ星系を中心として西はヒスパニア・ガリア・ブリタニアへ、東はギリシア・マケドニア・シリア・エジプト星系へと広がりを見せている。
だが数百年の間に巨大な帝国を支える体制が常に平穏であった訳ではない。アウグストゥス没後の帝国を公人として安定させながらも家庭の幸福には恵まれなかったティベリウス帝、後に歴史的な放蕩者として知られることになる皇帝ネロ、倹約主義で民衆の評判は悪かったがネロ以降の帝国の財政を立て直したヴェスパジアヌス、15年の賢明な統治の後に暴君に変貌したドミティアヌス帝、長く帝政を保持した五賢帝時代。しかし皇帝がゲルマニア星系戦役で病に倒れて後は国内の混乱が相次ぎ、帝国の後継者たちはついに自らの剛腕によって国を支えきることができなくなったのである。
かくして「帝国四分制」が実現する。時の皇帝ディオクレチアヌスは混迷する帝国の主となったものの、その時代のローマ皇帝とは辺境紛争か宮廷闘争の犠牲となるための存在でしかないことを彼は知っていた。ディオクレチアヌスは首都を遥か東方星系のニコメディア星に移転、ローマ星市民は激昂したが、皇帝はローマからあまりに遠い東方の治安維持と軍事作戦の中心としての遷都が必要である、と強弁し遷都を強行する。同時にディオクレチアヌスはローマ星系とガリア星系の境にあるミラノ星にも首都を設け、東西それぞれに正帝と副帝を選び、自身は東の正帝として分割された帝国に対して賢明な統治を布いたのである。それは数十年にも及ぶ久々の安定した平穏な時代であった。
だがディオクレチアヌスの死後、分割された帝国では継承者間の争いが勃発することとなった。予想されていたことであった。それでも後代の歴史家は口を揃えて言うのである。
「ディオクレチアヌスは偉大な業績を残した、即ち帝国ローマの滅亡を遅らせた事である」
そして皇帝ディオクレチアヌスの没後、更に50年程が経過していた。ローマ帝国は混迷の後に東と西に二分され、東では辺境星系ゴート民族の平定に失敗して命を落としていたヴァレンス帝に代わり、将軍テオドシウスが帝位についていた。軍人でありながら思慮深く、腰が重く賢明で敵対するものからは「ぐず」とか「のろま」とか呼ばれるほど熟慮慎重の人であった。一方の西ローマ帝国では若いグラティアヌス帝がやはり辺境星系の騒乱に頭を悩ませつつも、ミラノにある司教アンブロシウスの助けと組織力を得て慎重な統治を続けている。アンブロシウスもやはり聖職者でありながら行動的で抜け目のない実業家肌の人物であった。
両者の仲は険悪なものではなかったが、蜜月と称すには緊張感を多くはらんでもいた。それぞれが辺境に不安を抱えている状況で、互いに本格的な衝突を行うことができずにいた、というのが当時の状況に最も近しいであろう。
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