5.アドリア宙域「遭遇戦」1


 かつて銀河系の多くの星域を支配、統治していた銀河ローマ帝国は今や東西に分裂し、各々が覇を唱えているという有り様であった。東ローマ帝国では皇帝テオドシウスが新進の力を持って異民族を粉砕し、東方の大国ペルシアの脅威こそあれギリシア・マケドニア系民族の力と文化に支えられて活況を呈しつつある。一方で西ローマ帝国は旧いローマの伝統を保ちながらも首都をミラノ星に移し、辺境の安定を図ろうとしたがブリタニア総督マグヌス・マクシムスの征討の折り皇帝グラティアヌス帝が暗殺され、司教アンブロシウスが後見となり後継帝ヴァレンティアヌス二世が皇妹ガラを連れて即位する。

 この混迷の時代をして確かに終わりの始まり、と称する後の史家は多く存在する。だが、その時代にあってそれに気づく者は稀であるし、終わりの時代とやらが数年、数十年、あるいは数百年続くかを知る者にいたっては皆無だ。何しろ、長い歴史において終わりを迎えなかった時代というものはただの一つも存在しないのであるから。


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 西ローマ帝国皇帝グラティアヌスの暗殺とヴァレンティアヌス二世の即位は東西ローマに大きな波紋を投げかけた。事の発端となる叛乱を企図したブリタニア総督マグヌス・マクシムスはいったんは哀悼の意を表しこそしたものの、一時後退して陣容を整えるやすぐにイタリア星系に向かって侵攻を開始する。未だ若年であったヴァレンティアヌス二世は母后ユスティーナと皇妹ガラを連れてテオドシウスに庇護を求め、当初西ローマの状況を静観するつもりでいたテオドシウスもこれに介入を決意。東ローマ軍の果断即行によって叛乱討伐の戦はすぐに終わり、簒奪者マクシムスは倒されヴァレンティアヌスは叛乱軍の魔手から救われたのである。

「かくて西ローマは軍の力で為しえなかったことを女人の力によって為しえたのである、か」

 戦艦ロンデニウムの艦橋、ガイウス・ヘクトール・アウレリウス准将は自身が旧い叛乱軍提督の末裔であり、何度でも甦る、と揶揄されるヘクトール家の出自であることを広言してはばからない人物である。
 ヘクトールの皮肉は当時巷間に流布された笑話であったものの、事態がもう少し複雑なことをほとんどの人間は認識している。東ローマ皇帝テオドシウスがブリタニア叛乱軍討伐によって西ローマに対して保護権を主張する立場にあることを示そうとしたこと、同時に遠方にあるブリタニアを放置する危険を憂慮したこと。テオドシウスとしては西ローマに貸しをつくる一方で、潜在的な脅威を予め排除する方策を選んだ訳である。東ローマからはマケドニア・ギリシア星系から軍を向けてもブリタニアへは遠すぎる、好戦的なマクシムスがイタリアに向けて出征してくれていた時期を狙い、テオドシウスは将来の禍根を早期に断つことに成功したのだ。

「まあそこまでは良い。問題はこれからだ」

 西ローマ皇帝ヴァレンティアヌス二世の後見人であった司教アンブロシウスは、テオドシウスの思惑を良く承知していた。元来ローマの聖職者は祭儀をとりおこなう公務員であり、信仰や教義よりも形式や統治を重んじる者たちである。そうした中でもアンブロシウスは実業家肌の人物として知られ、世俗の能力によって現在の地位を手にしていたと言われている。
 アンブロシウスはブリタニアの危機を排除するに東ローマの手を借りたが、これによって東の優位性を助長させるつもりは全くなかった。彼は自らの地位を充分に利用し、東西を問わず宗教紛争の解決に自ら乗り出すことで西ローマの影響力を世俗勢力のレベルで誇示しようとする。ローマ帝国には貴族と商人と民衆が存在していたが、旧い貴族と新しい商人とで構成される元老院に対抗できる平民会議は民衆が所有していた。そして商人といえば民衆の動向に鋭敏な生き物なのである。

 こうして、形式的な保護権を主張する東ローマと実体的な影響力を駆使する西ローマの関係はその後急速に悪化していく。もとより両者が蜜月の関係を保っていた訳でもなく、緊張が抗争に、紛争まで発展するのに長い時間を必要とはしなかった。そして緊張線がマケドニア・ギリシア星系とイタリア星系との間に横たわるアドリア宙域に引かれたのは地勢から見れば自然の成りゆきであったろう。


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 アドリア宙域は幾つかの危険地帯こそ存在するものの、全体的には穏やかな空間を幾本もの星間航路が貫いている場所である。イタリア星系とマケドニア・ギリシア星系とを隔て、古来より東西を隔てる重要な宙域としての存在を主張していた。
 そのアドリア宙域で行われた戦闘は後に遭遇戦として語られることになるが、当事者の誰もがそれを遭遇戦だとは認識をしていなかった。両国の緊張が増大する中で哨戒と偵察の範囲が広く、規模が大きく変わっていき遂に発火した、その初戦であるから遭遇戦と呼ばれているだけであり、予め双方が予期している「偶然の遭遇」などというものは有り得ないのだ。

 ヘクトールの所属する東ローマ艦隊は今回、全軍を合わせても6000隻程度の小艦隊であるに過ぎない。彼等は哨戒行動の最中に「偶然」同程度の数の西ローマ艦隊と遭遇、戦闘に突入することになる。既に接触の連絡は本国に送られているが、数光年を隔てた首都星ニコメディアがその報を受け取るのは数時間は先のことであろう。

「見たところ敵はあまり左右に広がる様子を見せていない…急襲する気か、それとも迎撃に出るのか?」
「残念だけどそれを考えたければもう少し偉くならないとね」

 ヘクトールの独語に、通信スクリーンを通じて揶揄するように言うのはダリア・ハルトロセスである。ヘクトールと同格の准将であり、些か謹厳さに欠けると言われる女性指揮官であった。
 双方の戦力は互角、東ローマ軍が艦隊を横に広げているのに対して西ローマの艦隊はやや密集している。今の状況では相手が突破を図るか、受けてから側面にまわりこもうとするかは容易には判断しがたい。だが何れにせよヘクトールは前衛右翼を、ダリアは遊軍として更にその右翼を率いるいち中級指揮官であり、全軍の行動を決することができるわけではないのだ。

 東ローマ艦隊は右翼側にヘクトールとダリアが、中央前衛にピナル・アルトゥアが、そして後方側左翼にコルネリウス・アエミリウスの計4人の准将が戦線についている。この数の艦艇を率いるに過剰な指揮官の数は無論、この「遭遇戦」が予め予測されていればこそである。そしてその事情は西ローマ艦隊でも同様であった。


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「敵艦艇数は6000…報告通り、予定通りの遭遇戦というのも妙な感じですね」
「予定通りに血を流し流させる、いや実に良い身分ですな」

 カルレット・ザリエルの言葉にヨハンナ・ガリアヌス准将は眉をひそめる。目の前にいる「もと」同僚の皮肉っぽい性格が、謹厳実直な彼女にはどうしても好きにはなれなかった。ただでさえ新帝誕生で国家が混迷している最中である、身命を賭けてローマの剣となり盾となるのが武人の務めではないか。
 だが先のブリタニア征討戦で少将の位を得ていたカルレットは今回小艦隊とはいえ総司令官を任じられており、階級でも立場でも今回はヨハンナ上官となっているのだ。意識するヨハンナの性格を充分に理解した上でカルレットもからかっているとしか思えず、それも彼女には腹立たしい。そんな部下、の心情を理解していたかどうか。戦艦エウリュティオンの艦橋で開いていた幕僚会議の席上、シミュレーション図を示しながらカルレットは説明を続ける。

「右はクレンダス准将に頼むとして…先陣は欲求不満のご婦人方に任せるとしますか。戦艦ダイダロスにも連絡してくれ」

 どこまでも人を食った司令官である。ヨハンナの視線を気にした風もなく、カルレットの命令は戦艦ダイダロスの艦橋にある『海賊女神』レオーナ・シロマーサ大佐のもとに届けられた。叩き上げの海兵隊出身、隻眼の金髪美人はその異名に違わず勇猛果敢な近接格闘戦に至上の喜びを見いだすと称してはばからない。今回、ヨハンナの右翼艦隊に平行しての先陣を命じられたことは無情の喜びであったろう。

「許しが出たぞ!全艦殴り込み用意ぃーっ!」

 総司令艦の指示を受け、奔騰する好戦性を抑えようともせずに艦列を並べるレオーナ。既に敵軍は正面、横列に展開しており両翼から包囲すべく禿鷲の翼を広げていた。双方の距離は至近、戦闘を行うことそのものが目的であるアドリア宙域の「遭遇戦」はこうして始められることとなる。

pic  戦艦ダイダロスを筆頭に、重戦艦を横列に組んで突進するレオーナ分艦隊に対してヘクトール隊も艦列を展開する。砲撃を一点に集中し、急襲する敵の鼻面を捉えて一撃を加えればその勢いを削ぐことができるだろう。戦艦ロンデニウムから、号令一下ヘクトールの指示が飛んだ。遭遇戦は東ローマの先制攻撃が第一手となる。

「狙点固定、全艦砲撃…撃て!」

 暗黒の盤面に広がる無数の光点の先頭に向かって伸びる無数の光条、それが収束しつつ先頭の一点に命中して炸裂する。だが最先頭に偽装艦隊を並べ、更にその後方には装甲の厚い重艦艇を並べて突進するレオーナの勢いは止まらなかった。狂猛な突進を敢行している指揮官の姿は既に艦橋にはなく、自ら揚陸艇の一艦に乗り組み装甲服にしなやかな肢体を包んでいる。

「殴り込みだ!全員磁力靴は入っているか?揺れるぞぉー」

 その声と同時に、艦艇を鈍い衝撃が走る。激突する勢いで電磁石によりヘクトール艦隊に次々と吸着した揚陸艇が、壁面を破り兵員を敵艦に乗り込ませた。機先を制されたヘクトールは完全に混乱、後手にまわると配備した空母から艦載機を発艦させることもできず内側から艦を制圧されていく。レオーナの異名に違わぬ完全な海賊戦法である。
 そして両軍入り乱れる激戦にわずかに遅れて衝突したのが西ローマ右翼ヨハンナ艦隊と東ローマ左翼ピナル・アルトゥア艦隊である。ヨハンナはレオーナに負けじと戦艦アキピテルを先頭に急襲、突進を図ったがピナルは彼の性格としては珍しく前進を控えてタイミングを図り、敵を誘い込み行動線を伸ばしたところで一斉砲火を命じた。

「突撃撃撃撃撃撃撃撃ぃーっ!」

 そして一度攻勢に出れば、初老の人物とは思えぬ勇猛果敢さで突撃攻勢を開始する。一撃でヨハンナ艦隊の一列目が、二撃目で二列目が破壊されて吹き飛ばされると更に残骸を押しのけて突進する三撃目の砲火が襲いかかった。敵の猛攻に不利を悟ったヨハンナは一瞬悩み、陣形の再編を図るがこの場合は艦隊速度を落とすこと自体が大きな危険を招来することも承知している。最前線は両軍が入り乱れる混戦となり、各艦は呪いの声を発しながら自分の位置を掴むだけで精一杯となった。


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