6.アドリア宙域「遭遇戦」2
戦闘開始より5時間が経過、前衛部隊が激戦を展開しつつある一方で、遊軍を中心にした後方艦隊でも戦火は交えられ始めていたがその状況は対称的である。戦闘は既に開始されており砲火も交えられている、だが戦場全体の戦局はダイナミズムに欠け双方が未だ主導権を奪えずにいるのであった。
「やれやれ、女性に迫られるのは本来光栄なことなんだがな」
「なんて固い…迂闊な前進は避けて。誘い込まれるわよ」
ダリア・ハルトロセスは戦艦ハイラントの艦橋で舌打ちをする。前衛は密集、突撃しつつ後方ではこちらを誘い込もうとしているカルレットの意図を完璧に察し、高速艦艇で迂回して側面から砲火を浴びせたというのに敵の隊列は揺らぐそぶりも見せていない。初撃こそ先制したものの、その後は隙を見いだせず逆に反撃の砲火を浴びて味方が艦列を乱す有り様であった。この上は深追いを避けて戦況の変化を見るしかないであろう。
一方でカルレットも言動ほど平静であった訳ではなかった。何しろ当初の目論見は完全に外れている、前衛が敵を抑えている間に右翼ゼフェル隊が前進、左翼本隊が後退して敵を引きずり込み、左側面に並列攻勢をかける。だが本隊は奇襲された上に敵を誘い込むには到らず、右翼側もゼフェル隊が奮戦しているものの戦況は互角であり、圧倒しているとはとても言えなかった。
こうなれば戦況の変化を待って対応するしかないであろうか。戦闘の開始は双方が予測、予期していたとしても、戦況は双方にとって予測も予期もしえない不本意な状況となっているのであった。
最前線ではレオーナ、ヨハンナの前衛部隊に対して、ヘクトール&ピナルの本隊が激突、混戦に陥っていた。戦況を変えるべく西ローマ艦隊ではゼフェル隊が、東ローマ艦隊ではダリア隊がこれを包みこむように艦隊を移動させている。
「好機だ!全軍で戦場を迂回し敵の後背に回り込め」
更に東ローマではゼフェルとの戦闘を回避したコルネリウス・アエミリウスが功名心にはやる青年貴族らしく果敢で大胆な戦法を敢行、旗艦カンパーニアを先頭に戦場を大きく迂回しつつあった。これが待ちに待った戦況の変化となるか、西ローマの司令官であるカルレットは対するに無難だが危険な選択肢を選ぶことを決断する。
「デートを中断する必要はない。左翼戦闘は続行しつつ敵さんの迂回部隊も充分に引きつけろ」
戦力的には厳しいが、大雑把に言えば左半分でダリア隊との戦闘を継続し右半分でコルネリウスの迂回部隊を迎撃する。カルレットは部隊に散開を命じ、敵を引き付けつつ味方の損害を抑える策を図った。コルネリウスは敢えてそれに乗るつもりで前進、先制の砲撃を開始する。成功すればダイナミックな包囲戦の立役者として勇名を轟かせることができるだろう。
「砲撃!」
高速戦艦を中心に編成されたコルネリウス・アエミリウスの艦隊から複数の光条が飛来、カルレット隊の前面に火と光の花を咲かせるがすぐに反撃の応射が飛ぶ。東ローマ、ダリア隊との戦闘を続行しながらの迎撃戦は戦力比において不利を否めないが、カルレットは味方の損害を最小限に抑えることでそれを回避するつもりであった。西ローマ軍にすればゼフェル隊を後方の憂いなく最前線に投入することができる好機であり、戦場には新たな絵が描きあがりつつある。
「左舷10時方向より敵襲!来ます!」
「(表記不可能)狼狽えるな!まとめて迎撃ィ!」
戦艦ヴァスパシアンの艦橋でピナルの下劣な怒号が響く。右翼ヘクトール隊は依然として苦戦、そして攻勢に出つつあった自分の左翼隊の更に左に回り込まれては典型的な挟み撃ちになるではないか。
「一斉射撃!撃て」
襲来するゼフェル艦隊、旗艦ケーニギン・ティガーから号令一下砲撃とミサイルが解き放たれる。だが勇猛果敢が売りのピナルも急報に狼狽することはなく、左翼方向に囮艦隊を射出、初弾を受けとめた。ダリア隊の援護が味方が苦戦する右翼側から入る予定であり、今は少しでも時間稼ぎが重要であったろう。ただし、ピナルの言う時間稼ぎとはこの機に攻勢に出るということと同義語ではあったが。
「集中砲撃、かわされました」
「気にするな、体勢は有利なんだ。耐えれば陣形が完成する」
ゼフェル・クレンダスは線の細い外見に違わず、言動や物腰もどこか頼りなく見える。親の薦めで士官学校に入ったとまことしやかに噂される、そんな噂が似合う青年であったがそれは彼の冷静さとも表裏一体であった。今はゼフェルの参戦で中央部隊となったヨハンナが戦線を維持、自分とレオーナの両翼が敵を挟撃しつつある絶好の状況である。目の前のミサイル一発の着弾に戦況を忘れる理由はない。
その戦況を遠望しつつ、戦艦ハイラントで歯がみする思いに囚われていたのはダリアである。コルネリウス隊との挟撃戦が開始されているにも関わらずカルレット艦隊の統制は厳しく、ダリア隊は最前線方面に味方を投入することができずにいる。今はピナルが剛腕で戦況を支えているが、ヘクトール隊は『海賊女神』の攻勢に動けず堤防は刻一刻と決壊しつつあった。
「四隻目制圧!つぎ行ってみようかー!」
赤黒く彩られた装甲服の面当てを上げて、レオーナが景気良く叫ぶ。通常、揚陸艇による私掠船戦術は一艦が一艦を制圧するのが常であるが、レオーナ曰く「お宝を持って帰らないからすぐに次に行ける」と豪語するだけあって敵船に貼り付き、素早く効率的に要所を制圧したあと即時離脱する手際は見事なものであった。ヘクトール艦隊は効果的な砲戦に移るだけの距離を確保することができず、敵味方入り乱れた状況では戦場外縁にいるダリア艦隊も迂闊に砲火を交えることができない。
こうして右翼ヘクトール隊が抑えられていたところで、側面から砲火を浴びていた左翼ピナル隊の負荷が遂に限界に達する。一艦から破られた防御はまさに堤防に穿たれた蟻の一穴となり、瞬く間に東ローマ艦隊は死と破壊の炎で彩られた。その砲火は最前線にいるピナルの戦艦、ヴァスパシアンにも届こうとしている。
「後部砲塔に被弾!危険です、このままでは…」
「転進せよ!ええい、後方宙域に下がるぞ!」
至近で沈められていく味方の姿を見ながら、東ローマ艦隊は戦場離脱を図りだした。ピナル隊は損害を出しながらも転進、ヘクトールも旗艦ほか数十隻まで撃ち減らされるが辛うじて脱出に成功する。
「味方が逃げるまでもう少し粘れる…その後で退却」
「仕方ない、このまま迂回して戦場を離脱せよ」
ダリアとコルネリウスも交戦を断念して戦場外縁から離脱、東ローマ軍がアドリア宙域を放棄する形で戦闘は終了した。こうして「偶然の遭遇」によって始められた艦隊戦は西ローマ軍が制し、同時に東西ローマの対立も決定的となる。西ローマ皇帝ヴァレンティアヌス二世はこれを機にマケドニア星系への遠征を決意、将軍アルボガストを総司令官に任じ自らはアンブロシウスと伴にミラノに残留する。一方東ローマ皇帝テオドシウスは敵の暴虐と味方の敗戦とに遺憾の意を表し、自ら主星ニコメディアを発ち西ローマ軍を迎え撃つ考えだった。
こうして分割されたローマ同士の戦いは本格的なものとなっていく。かつて銀河帝国と称されるに相応しい姿を持っていた星間国家における争いは、すでに内乱ではなく戦争と称すべきものとなっている。
†カルレット・ザリエル中将 戦艦エウリュティオン
†レオーナ・シロマーサ中将 戦艦ダイダロス
†ゼフェル・クレンダス中将 戦艦ケーニギン・ティガー
†ヨハンナ・ガリアヌス少将 戦艦アキピテル
‡西ローマ軍 総艦艇数4281/6000
†ピナル・アルトゥア少将 戦艦ヴァスパシアン
†ダリア=ハルトロセス少将 戦艦ハイラント
†コルネリウス・アエミリウス少将 戦艦カンパーニア
†ガイウス・ヘクトール・アウレリウス少将 戦艦ロンデニウム
‡東ローマ軍 総艦艇数3880/6000
>7.テッサロニケ事件を見る
>地中海英雄伝説の最初に戻る