8.剣と盾は悩みを持たぬ
突破を図る西ローマでは中央部が優勢、包囲を企図していた東ローマ艦隊では両翼が優勢。それは両軍が当初意図していた通りの展開であるが西ローマは前進による深追いを思いとどまり、両翼に対峙することを決断する。当初の戦術を放棄する訳であるから、戦況としては包囲戦の企図が崩れていない東ローマが優勢と言って良いであろう。カルレットとしては前進を放棄したことが裏目に出ている訳だが、一方であそこで前進したところで今より悪い状況になることは目に見えている。
「さてもこの状況、海賊女神なら如何いたしますか」
「あたしは貴官の艦隊にまで責任は持てない、以上」
「これは放任主義の司令官で…では左右に分かれて迎撃するとしますかな」
西ローマ艦隊は阿吽の呼吸で二正面作戦に移行、東ローマではコルネリウスとヘクトールが先制の砲撃を開始するがこれが受けられてしまうと、相手の一気攻勢に対して守勢に回ることになる。包囲とは言わぬまでも挟撃された敵がこれほども迅速に、積極的に攻勢に出てくることは彼等の想定外だった。
カルレットは密集陣形を崩さぬまま積極的に艦載機ケントゥリアを発進、制宙権の確保を試みる。レオーナ艦隊はやはり好みの白兵戦、をする訳には流石にいかず両翼を展開させてコルネリウス艦隊の鼻面に砲火を集中した。東ローマの艦列には次々と爆発光が咲き乱れ、味方は優勢に戦況を展開しつつある。流石は西ローマの誇る二人の良将である、その様子を後方から遠望していたヨハンナは嫉視にも似た思いを抱いていた。
「だが…そんな個人的な感情は封じなければならない。剣と盾は不満も悩みも持ってはいけない、その筈なのに…」
ヨハンナは損害を受けた艦列の再編を完了すると、直ちに全艦に出撃を指示する。同時に左翼後方で控えていたゼフェル艦隊も戦場復帰を図り前進を開始した。上手く行けば二正面作戦をとった双方の戦場で敵を挟撃することが叶う筈である。そうすれば自分の戦力がこの会戦での決戦戦力となるに違いない、ヨハンナは自分の視野が功名心で狭まりつつあることに気がついてはいなかった。だが、功名心に囚われつつあるヨハンナの目算が間違えていた訳ではない。挟撃の危機にあったレオーナ隊とカルレット隊は思い切った攻勢に出ることで戦況を有為に展開しつつあり、ここに休息して活力を回復した別働隊が合流するのである。まさしく必勝の体勢の筈であった。
無論、西ローマによる大攻勢の予兆を感じたものは東ローマにも存在する。やはり後方に下がり戦列を再編成していたダリアの旗艦ハイラントに、ピナルからの緊急通信が届いた。
「アルトゥア提督、今の戦況では…」
「小娘が何を呑気にしとるか!このままでは負けるぞ!我が隊は直ちに全軍突入する!」
「待て!貴官の隊は修復が」
返答も待たず、ピナルは通信を切ると戦艦ヴァスパシアンを最先頭に既に前進を開始していた。正気の沙汰ではない、ピナル艦隊はレオーナ隊の猛攻を受けて戦力が二割以下に撃ち減らされているのである。その不名誉をそそぐ思いも強いのであろうが、それにしてもこの状況でピナルの即時突撃は常軌を逸していた。艦橋の指揮シートから立ち上がり、こめかみには血管を浮き上がらせ、口からは泡混じりの唾液を飛ばし、目は血走って焦点が定まっていない。
だがこの狂人じみた猛攻は興奮剤によるものでも精神的な疾患によるものでもないのだ、その事を不幸なピナルの幕僚達は知っていた。彼等がこの老将の下にいることは危難の大きさにおいて不幸である。しかし、このままでは負けるという老人の言葉が紛れもない真実だという、老人の言葉は彼等の危機感を刺激した。ピナル艦隊の幕僚団は躊躇いを捨てて司令官に続くと、最大速度での突進を敢行する。
「突撃ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それは後の戦史では、決して参考にしてはならぬとされた展開である。壊滅寸前であった艦隊で、再編も不充分なまま無謀な突進を図ったピナルの艦隊が、西ローマ軍レオーナ艦隊とカルレット艦隊の間を突破して両者の分断に成功してしまったのだ。後方を遮断されて阿吽の連携を断たれた西ローマ艦隊に、右翼のコルネリウスと左翼の不死身のヘクトールは一気に攻勢を命じる。再前進を開始していたダリアの艦隊もこれに乗って、混乱した敵を三方から包囲せん滅にかかった。防護シールドが突き破られて装甲が破壊され、艦内を熱と光が荒れ狂い爆発して四散するのは今度は西ローマ艦隊の番だったのである。
「左舷90度回頭!敵の動きに構うな!逃げろ!」
「駄目です!敵砲火が厳しく展開ができません!」
「阿呆!回頭ったら回頭だ、敵に腹見せても逃げるんだよ!」
「密集して後退!連絡なぞしても無駄だ、率先して下がれ!」
「旗艦エウリュティオン被弾、機関部に異常無し!」
「砲撃、来ます!」
「まだだ!味方の損害は小さい、全艦踏み留まって!」
実際の損害以上に指揮系統が崩壊している中で、レオーナとカルレットの懸命の指揮によって西ローマ艦隊は後退、戦場離脱に成功する。だがテッサロニケ周辺からマケドニア星系への西ローマの進出は断念せざるを得ず、辛うじてアドリア宙域の維持には成功したもののギリシア、マケドニアに橋頭堡を確保しようとした西ローマの戦略目標は達成できずに終わったのである。一方で東ローマ艦隊はマケドニア星系の平定とテッサロニケの制圧に成功、そして殆ど見せしめとして件の剣闘騎手は処刑されることになる。民衆の人気を盾として正当な逮捕拘禁に抵抗し、騒乱を起こした元凶として裁かれたのであった。
† † †
この極めて世俗的な事件により、皇帝の威と東の保護権を示すテオドシウスと、民衆の感情的な支持と影響力を土台にするアンブロシウスの対立は決定的なものとなった。戦乱は完全に引き返せない場所へと足を踏み入れてしまい、東西ローマの激突は最早既定事実となっている。単に戦略的な視点から見ても西ローマでは不安定なアドリア宙域を確保せねばならず、東ローマはギリシア及びマケドニア星系への西側の流入を防ぐ必要があった。双方が武断的な処置を望んでいる以上、後は流血の時と場所、そして量だけが問題となるのである。
イタリア星系にある西ローマ主星ミラノに帰還する艦隊、戦艦アキピテルにある私室でヨハンナ・ガリアヌスは船窓から暗黒の宇宙空間を眺めていた。両の掌を窓に押しつけ、時折、額が硬質ガラスを叩く音が響く。テッサロニケの会戦、西ローマ軍で彼女の隊ほどに味方を失ったものはいなかった。
†レオーナ・シロマーサ大将 戦艦ダイダロス
†カルレット・ザリエル中将 戦艦エウリュティオン
†ヨハンナ・ガリアヌス中将 戦艦アキピテル
†ゼフェル・クレンダス中将 戦艦ケーニギン・ティガー
‡西ローマ軍 総艦艇数24550/40000
ガイウス・ヘクトール・アウレリウス中将 戦艦ロンデニウム
ダリア=ハルトロセス中将 戦艦ハイラント
ピナル・アルトゥア中将 戦艦ヴァスパシアン
コルネリウス・アエミリウス中将 戦艦カンパーニア
東ローマ軍 総艦艇数26060/40000
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