10.アドリア決戦


 戦闘開始から半日程度が経ち、アドリア宙域における東西ローマ艦隊の決戦は膠着していた状況から徐々に、その様相が変化していた。「海賊女神」レオーナ・シロマーサ率いる西ローマ艦隊は長距離の砲戦を中心にしながらも戦線維持を図り、ゆっくりと敵を十字砲火の焦点に追い込むべく包囲網を構築しつつあったのである。これが成功すれば東ローマ艦隊は一挙に窮地に立たされることとなり、何としても阻止せねばならない。

「さて、神も悪魔も怠け者はお嫌いのようで」

 まず先に動いたのは旗艦ハイラントとダリア=ハルトロセス艦隊である。当初、迂回から遊撃を断念して後退していた部隊を再編すると戦場外縁から包囲を図るゼフェル艦隊に再攻勢を開始する。鈍重な戦況が一度に動き出す、その先鞭となる攻勢にゼフェルは完全に後手を打つ恰好となった。

「来るぞ。迎撃しろ!」

 時に気弱と称されるゼフェルであったが、この後に及んで敵に攻勢を許す危険については気がついているし、この柔弱な青年将校が危地において決して折れることのない強い意思を秘めていることを彼の幕僚たちは知っていた。現在のところ包囲を図る西ローマの意図は達成されている訳ではなく、その前に包囲の一角が崩されればそれは一点突破を許す危機に変じることになるのだ。既に先手を取られた、その上でゼフェルのすべきことはこの場を持ちこたえて敵の意図を阻止すること、そしてあわよくば敵を押し返すことである。
 ゼフェル艦隊の前面から射出された囮艦隊が、ダリアの初撃を受けると同時にその間隙を縫うようにして的確な砲撃が放たれる。ダリアの旗艦ハイラントの周囲にも火と光の華が咲くが、機能的な美しさでは東西ローマでも群を抜くと言われる戦艦ハイラントは平然として最前線の渦中にあり続けた。あくまでここは前進、突撃でありダリアに下がる理由はない。

「強襲揚陸艇を出して。近づくわよ」

 ダリア艦隊は勇猛に前進しつつ、ゼフェル艦隊に接近すると次々に急襲艦を発進させた。小型で機動性にすぐれる急襲用艦艇はゼフェル艦隊の戦艦群に潜り込むように急接近し、電磁石を利用して側面や後部に吸着すると、突入口を開いて乗せていた装甲兵たちを乗り込ませる。それこそ西ローマ軍総司令官である「海賊女神」の好む戦法であるが、東の将軍がそれを使っていけないという法はなかろう。急襲艦に取り付かれたゼフェルの艦隊では、ある艦は船ごと制圧され、そうでなくとも航行不能となり大きく指揮を乱すこととなる。その間に今度は艦載機ケントゥリアや小型の駆逐艦、宙雷艦などが発進して混乱した戦艦を一艦ずつ確実にしとめてゆくのだ。
 陣形を乱されたゼフェル艦隊は、だがそれでも戦線を維持して崩壊させず味方の損害を抑えながら交戦を続ける。そのねばり強さはダリアにとっては想定外であり、戦況を優位に進めながらもこの場を転進して包囲されつつある味方の援護に向かうことができずにいた。

「全く、坊ちゃんが手を焼かせてくれるわね…」

 そう言って、指揮卓でグラスを煽るダリア。今度のそれは景気づけではなく不機嫌を落ちつけるためのものである。

pic  こうして、戦況は少しずつ西ローマに優位に展開しつつある。「不死身の」ヘクトールはそれに気づいていたが、ダリアの遊軍が抑えられ、単調な砲戦を繰り返す現状では包囲の内側から力ずくで押し返す以外に現状打破の道はないであろうか。

「横列展開、主砲三連斉射により敵を押し返すぞ…砲撃!」

 これを正面どって迎え撃ったのがカルレット艦隊である。せっかくの好機をみすみす逃す手はないとばかり、敵砲火を堂々と受けとめながら反撃の槍を突き立てる。

「九時方向に囮を射出、重戦を盾に砲艦中心に砲撃。敵さんとの相対距離には注意しろよ」

 常にない勤勉さで迎撃指示を行うカルレットだが、それは寧ろ状況に余裕がないことの証明でもあった。「不死身の」ヘクトールは多少の損害を意に介さず、陣形を乱されてもすぐに立て直すと並列砲撃、並列前進を挑んでくる。双方の損害はほぼ五分といったところであり、味方の損害はすなわち横に広がる包囲網の層が薄くなるということでもあるのだ。まったく、薄いのは女性の衣服だけで充分だというのは不良中年の正直な思いであろう。
 だが力ずくで押すというのは強引な包囲網の完成を試みる、西ローマにとっても同様の戦術である。総司令官レオーナはコルネリウス艦隊の応射の正面に立ってなお、前進の姿勢を崩してはいない。部隊を整然と横列展開し、他に範となるほどの強引さで前進、攻勢を演じている。猛攻に晒されながら、戦艦カンパーニアにあるコルネリウスも頑強な迎撃指令を行っていた。

「敵の攻勢を集中させるな!全艦を二百隻単位の小集団に分けて個々の運動能力で対応する。距離をとって装甲で弾き、ミサイル艦を中心に迎撃を図れ」

 コルネリウスの指示は指揮能力に充分な自信がある彼ならではのものである。下級中級の指揮官を通じて自分の指揮が万全に伝わることを自負しているからこその機動戦術であったが、「海賊女神」にとっては相手の狙いよりも自分の嗜好がこの際は重要であった。カンパーニアの通信士官が急報をもたらす。

「閣下。敵、予測宙域よりも更に前進してきます!狙いはおそらく…」
「莫迦な、包囲戦だぞ!?この状況で近接格闘戦など有り得ない!」

 横列前進による砲撃で敵を押し包み、包囲網を完成させる。至極まっとうな戦術でありしかもそれが優位に展開しつつある、その状況で何故無理な接近による近接戦闘を試みる必要があるのか。コルネリウスの常識にとっては理解し難い。
 レオーナにはレオーナの主張があったであろう。司令官自らが度を越した攻勢によって味方を鼓舞する、優勢とはいえ膠着している現状を打破するに、強硬な手段も用いる。それは所詮、戦が虚実を伴うものであり常に結果をもって正否が論じられる類のものであるという証明なのだ。

「貴族出の坊やにお姉さんが激しいのを教えてあ・げ・る」

 流石に海賊女神自ら装甲服を着ての突入戦には到らないが、一気に接近すると主砲を用いずに副砲による零距離射撃や駆逐艦や揚陸艦の近接攻撃による混戦が戦場に展開されていく。このような状況では部隊ごとの多少の機動性などは考慮せずとも砲撃を命中させることができるし、混戦ともなれば指揮官の指示を的確に伝達する能力以上に、戦場における戦士たちの鍛え上げられた熟練こそが戦況に大きな影響をもたらすであろう。コルネリウスの小部隊は的確な連携によって無頼の敵に頑強な抵抗を試みていたが、レオーナ旗下の歴戦の船乗りたちは小部隊が自らの経験と判断で相手の連携を分断すると、各個にこれを撃滅していくのだ。勝勢から劣勢まで完璧に味方を統御しようとしたコルネリウスに対して、レオーナが制御するのは勢いのままに敵を狭い包囲網の一角へと押し込む、そのために味方を煽ることだけであった。
 レオーナの攻勢によって包囲網が徐々に構築されていく様を見て、西ローマ軍の最右翼にあるヨハンナは緊張の水位が喉元まで達しているのを自覚していた。総司令官の意図は分かっている、戦局全体としては包囲網の構築であり、そのためにヨハンナの右翼部隊は敵を追い込んで包囲網を完成させる必要がある。それは期待されているのでもなければ要求されているのでもない、成功しなければ単に全ての目論見が崩れさってしまうのだ。

「全艦、前進。このまま相手を半包囲に捕らえて!」

 決死のヨハンナ隊の攻勢を受けとめることになったのはピナル艦隊である。先のテッサロニケでは常軌を逸した突撃によって味方を逆転勝利に導いた、自他ともに認める猪突猛進型の猛将だが、それだけに戦機を見るに敏であった。そのピナルにしてみれば今の状況が極めて厳しいことは他者に指摘されるまでもない。

「前回は勝った、今回も勝ちだ。勝つためには攻めるだけだ!」

 包囲を図る敵に対してこちらは味方を密集させざるを得ない。だが、それは同時に戦力を集中できるという強みともなる。戦艦ヴァスパシアンを中心に球形に編成された味方に対して、ピナルは号令を送る。今この状況で、敵の包囲を防ぐにはただひたすら攻めるしか方法がなく、ただひたすら攻めることはピナルが最も好む戦法なのだ。

「弾薬なぞ惜しむな、全弾発射ァ!射って射って射ちまくれ!」

 指揮官の偏執が乗り移ったかのように、ピナル艦隊は包囲下にある危険を気にもしていないかのような圧倒的な勢いでの逆攻勢を図る。ヨハンナの猛攻は優位な体勢による効率においてピナルに勝るが、ピナルの無謀な勢いはともすればヨハンナ艦隊を内側から蹴散らしそうとするのだ。

「狂人め…人の世で裁きを受けるが良いわ!」

 対するにヨハンナもまた精神の平衡を保つのではなく、相手の不条理な威圧感に正面から対峙することを選択した。あくまで半包囲体勢を狙っての前進制圧。偏執的というのであれば、この時のヨハンナの強引さも余程偏執的であったかもしれない。旗艦アキピテルの周囲に咲き乱れる死と破壊の炎をものともせず、凶猛なまでの砲火を互いに撃ち合い、身を削りながらヨハンナ艦隊は一歩をすら退かずに前進を続ける。ピナル艦隊の砲火が集中し、一瞬、攻勢が途絶えてなお無謀なまでの前進を強行していた。

「十二時方向!正面!砲撃!来ます!」

 次の瞬間、戦艦アキピテルに白い閃光が衝突し、激しく旗艦を揺さぶった。それは辛うじて装甲によって阻まれ、砲座の半ばと艦載機格納庫の一部を吹き飛ばされたアキピテルの艦橋で、衝撃にしたたか背を打ち付けたヨハンナは立ち上がると真っ先に通信マイクを手に取り、全艦に対して号令を行う。

「全艦、前進!このまま敵を半包囲に捕らえる!」

 被弾してなお、それを一顧だにせぬ司令官の勇猛にこの時は全員が鼓舞されることとなった。ヨハンナ艦隊は損害を出しながらもピナル艦隊の猛攻を押し返して半包囲を完成させる。こうして、アドリアの戦いにおいて遂に最初の戦局の変化が訪れたのである。


11.ツァラトゥストラかく語りきを見る
地中海英雄伝説の最初に戻る