11.ツァラトゥストラかく語りき
戦闘が始まってより丁度一日ほどが経過している。海賊女神レオーナ・シロマーサ率いる西ローマ艦隊は遂に東ローマ艦隊を半包囲下に捕らえたが、「不死身の」ヘクトールを始めとする東ローマも頑強に抵抗し容易に勝敗は決しそうにない。それでも、圧倒的に優位な体勢に立った西ローマはこれを機に全面的な攻勢へと転じようとしていた。
「よーし祝砲だ!全艦撃ちまくれ!」
威勢の良い総司令官の高言は、状況の優位を部下に認識させ士気を高揚させるに充分な効果がある。レオーナによる一斉砲撃の指令に従い、密集する東ローマ艦隊に次々と交錯する砲火が襲いかかると、最初に激しいエネルギーの揺動が起こり、次いでエネルギーの奔流が装甲を引き裂き、最後にはあらゆる存在が呑み込まれて短い光芒の末に消滅していった。
「撃ち負けるな!全艦応射!」
戦艦カンパーニアで懸命の指揮を行うコルネリウスを始めとして、包囲下にある東ローマ艦隊からも必死の指令が飛び交い、弾薬もエネルギーも使い果たさんばかりの激しい砲火が解き放たれる。鉄のたがをはめる如くに締め付ける包囲陣の一角に反撃の砲火が叩きつけられると、ある艦は一撃で爆発四散し、またある艦は爆発こそしなかったものの衝撃で押し潰され流されると味方の艦に衝突した。だが、強固な包囲の壁が確実に東ローマ艦隊ののどくびを締め上げていることを彼らも認識せざるを得ない。勇猛というより凶猛で知られるピナル・アルトゥアでさえも、守勢において無理な反撃を部下に命じることはできなかった。
「全艦密集!ええい、小娘がまだ来援に来ぬか!」
状況は時とともに不利になりつつあり、東ローマがこの戦況を変えるには包囲の外にあるダリア=ハルトロセス艦隊の来援を待つしかない。幸い、ダリアは先の積極攻勢によってゼフェル艦隊を抑えつつあり、急転して戦場に向かえば充分に味方を救い出すことも可能であろう。
「簡単に考えてくれるわね」
旗艦ハイラントは未だ激戦のさ中にあって、その機能美を誇る姿を悠然と敵前に晒している。彼女の艦隊は対峙するゼフェル・クレンダスの先手を確かに打っており、このまま攻勢を続ければ充分に目の前の相手を抑えることは可能だろう。だが、戦いとは眼前の戦場にのみ視野を伸ばしていれば良いというものではない。早期に転進して窮地にある味方の援護に向かわねばならぬ、とするのであれば彼女の戦場は途端に困難極まりないものとなるのである。
「とはいえ味方の不利を傍観もできないか。更に攻勢に出るわよ」
ダリアは旗下の艦隊に指令を下すと、前進攻勢を始める。急襲艦を利用して混乱させた敵を、並列前進によって深く押し込むのが狙いであった。可能な限り戦場から遠く押し出したところで反転して転進、味方の救援に向かう。ゼフェル艦隊は反撃の砲火を浴びせつつ力なくといった体で後退を始めていた。思惑どおりの動きではあるが、ダリアには不満と不安を消し去ることができない。相手は明らかにこちらの意図を看破した上で、こちらの動きに乗ると見せかけて後退をしているのである。反転のタイミングを誤れば、背後から致命的な攻撃を受けることになるだろう。
それでも、相手の思惑を承知でその手に乗らざるを得ない。相手の対応力を超える攻勢によって反撃の力を削ぐ、彼女の好みから比べるとずいぶん雑で強引な戦法だが、この際他に方法がないのであれば仕方のないところだ。
「とにかく前進、攻勢。艦載機と急襲艦は収容して」
一方で、ダリアの攻勢に対するゼフェル・クレンダスは相手が転進の機会をうかがうために攻勢を試みていることを充分に承知していた。押されていると見せかけておいて反撃のタイミングを図る、だがダリアの猛攻の前に確かに押されていることもまた事実なのである。相手は艦載機と急襲艦を収容した、いつでも転進をするつもりだろうが、こちらへの攻勢を止める素振りは見あたらない。
「敵はどういうつもりだ。まさか、本当に友軍を見捨てるつもりか?」
あり得ることだろうか。だが最初から友軍を見捨てるつもりであれば、転進の可能性を見せつけることでこちらの攻勢を抑えて戦況を優位に運ぶという手もある。実際に、今はゼフェルの艦隊は押されっぱなしなのだ。守勢にまわったことによる味方の損害も無視ができない状況にまで追い込まれつつあり、ゼフェルとしては敵の攻勢に対応するために迎撃陣の用意を命じざるを得なくなる。その瞬間、ダリアの旗艦ハイラントから鋭い指令が飛んだ。
「今だ!全艦後退して180度回頭!」
「しまった…狙っていたか!」
痺れを切らしたゼフェル艦隊が迎撃のために動きを遅めた、その瞬間を辛抱強く待ってダリア艦隊は急速に後退すると回頭して戦場を離脱、包囲されている味方の救援へと向かう。直ぐに後方から追撃がかかることを承知しているダリアは解き放たれた矢の勢いで宇宙空間を疾駆し、ゼフェル艦隊も艦列を整えると全艦船首を揃えて追撃へと取り掛かっていた。レオーナによる包囲網の完成により、戦局は急激に動き始めると戦場の人々を貪欲な口腔で呑み込もうとしている。
「閣下、後方より敵襲!旗艦ハイラント確認、ダリア=ハルトロセス艦隊です!」
「やれやれ。あまりご婦人に好かれるのも考えものか」
レオーナの包囲陣の一角を形成するカルレットは、後背からダリアの援軍による急襲を受けることとなった。せっかく構築した体勢を放棄することはできず、かといって前後から敵砲火に襲われれば相応の損害を覚悟しなければならない。であれば包囲を味方に任せて敵増援に当たるか、いっそ部隊を二分して時間を稼ぐか、或いは後ろの敵には構わず包囲を優先するか。
「客人をお出迎えしない訳にはいかんだろう。全軍を左に展開、屋敷に門を作ってさしあげろ」
この状況ではどのような決断をしたとしても、あとは結果のみがその正しさを証明するであろう。カルレットは敢えて包囲網の一角を開いて東ローマ艦隊を合流させる方法を選んだ。敵戦力が集結する危険こそ覚悟しなければならないが、挟撃の危機は回避することができる。ただし、包囲網が開くことによって敵が勢いづく可能性もまた考慮せねばならないだろう。
カルレットの動きと意図をダリアはすぐに理解したが、彼女も敢えてその思惑に乗ることを選んだ。後方からはゼフェル・クレンダスの艦隊が迫っており、味方が集結しても西ローマ軍はゼフェル艦隊によって包囲を再構築してしまうだろう。だが、この期に及んで小手先の動きで戦局を操ろうとするよりは、自然の勢いを最大限に活かすことを考えるべきだった。
「全艦、突進!砲弾を撃ち尽くすつもりで景気良く行け!」
決めた以上は徹底的にやるべきである、ダリアは圧倒的な火力で突進を図るとカルレット艦隊後部に近接砲撃を叩きつけながら、包囲下にある味方との合流を図る。カルレットにすれば多少の損害は覚悟の上だが、相手がそれを承知で可能な限りの損害を与えようとする、その意図がいまいましくもあった。
「だがこれで出席者は揃った。楽しい舞踏会の始まりだ」
カルレットの言葉と同時に、侵入するダリア艦隊に続いていたゼフェル艦隊が戦場に到着する。ここからはもはや戦略でも戦術でもなく、戦場での力量だけがただ勝敗を決するであろう。
東ローマ艦隊を四方から包囲下においた、レオーナ率いる西ローマ艦隊は一斉砲撃を指令した。体勢の優位を活かしてただひたすら砲撃し、交錯する砲火によって密集する敵の包囲せん滅を図る。すでに彼らは優位な体勢を確立した、あとはそれを完成させるだけだ。
「ケントゥリアを出せ!制宙権を確保しろ!」
「全艦砲撃!これが最後の戦闘である!」
「神の恩寵は得られた。あとは人の手で為すのみだ!」
「撃てぇぇぇぇぇっ!」
レオーナの総旗艦ダイダロス、カルレットの戦艦エウリュティオン、ヨハンナの戦艦アキピテル、ゼフェルの戦艦ケーニギン・ティガーからそれぞれ激烈な調子で一気攻勢の指示が下された。もはやこの後の戦いはないのだ、彼らは最後の戦果が報われることを欲して次々と砲門を開き、弾薬を解き放ち、砲弾を打ち出し、艦載機を発進させる。時とともに東ローマ艦隊は、包囲下にあって装甲を突き破られると複数の艦艇が一度に爆発四散してその数を撃ち減らされた。
だが、対するに東ローマ艦隊も連携を保ち、包囲下にあって頑強な抵抗を続けている。不利な体勢下にあるとはいえ、その艦艇数は西と同等か、わずかに勝る程であったのだ。戦艦ロンデニウム艦上、不死身のガイウス・ヘクトール・アウレリウスが味方を叱咤する。
「密集しろ。続けて指示があるまで各艦は艦長の指示に従い、交戦を続行せよ。暫く耐えれば勝機が巡ってくるぞ」
包囲下にあって圧倒的な攻勢を受けている、その時点では誰もがその言葉を信じてはいなかったが、ヘクトールには試してみる価値のある策がひとつだけ残っていた。だが、混戦下にあるこの状況では綿密な通信も作戦も行うどころではないし、味方の指揮艦の所在を探し当てるのさえ容易ではない。であれば時間をかけてでも味方を捜して伝令のシャトルを飛ばすしかないのであり、それまでは明確な指示も命令も与えられないまま強敵と困難な状況を相手に戦線を維持する必要があった。
「このままではジリ貧で失血死するぞ!特攻…」
「閣下!戦艦ロンデニウムより伝令です!」
続いている苦難に危うく、精神の平衡を失いかけていたピナルの下に友軍からの伝令が届く。不死身のヘクトールからの提案を受けた老提督は、この状況で戦力を集中して最後の突破を図るべく、陣形の再編に取り掛かった。同様の伝令は既に多量の武器弾薬や艦載機を費消していたダリアと戦艦ハイラントにも、そして戦艦カンパーニアの艦橋で不眠不休の指揮を続けていたコルネリウス・アエミリウスにも届けられている。一斉に艦隊を再編し、全軍を巨大な凸形陣のような姿に変えつつある東ローマ艦隊の様子に、海賊女神はいよいよと味方に覚悟を促した。
「敵さんが最後の攻勢に来るぞ!押し返せ!」
東ローマ艦隊の狙いは明白だろう、戦力を集中してこちらの艦隊の継ぎ目を狙って突進による一点突破を図る。包囲下にある艦隊としては他に有り得ない、現状打破の唯一かつ最善の方法であった。レオーナの号令一下、各艦は砲火を強めるが東ローマ艦隊は凸形陣から竹が割れるように左右に広がって艦隊を動かし始める。狙いは左右の二箇所、一方はレオーナ本体の右、ヨハンナ艦隊との接合点であり、一方はゼフェルおよびカルレット艦隊に繋がる結節点であろう。例えるなら網に捉えられた二匹の蛇が、その隙間を縫って抜け出すべく鎌首をもたげた状態のように見えたかもしれない。
突進する東ローマ艦隊先頭部から激しい砲火が吐き出され、後続する艦からも突破口を開くべく激烈な砲撃が行われる。だがその勢いは決して充分ではなく、西ローマ艦隊は損害を出しながらも遂に、これを押し戻すことに成功した。これで勝った、と誰もが思ったであろうその時、旗艦ダイダロスの艦橋に急報が届けられる。
「総司令官閣下!わ、我が軍は敵の包囲下にあります!」
「何・・・?」
レオーナが問い返したのも無理からぬことであったろう、包囲をしているのは自分たちの筈なのだ。だが東ローマ艦隊は軍を二つに分け、突破を図ると見せて隊列を縦に長く伸ばすと、それまで包囲陣を形成していた西ローマ艦隊の両翼を逆に包み込むようにして二つの半包囲体勢を作り上げたのである。充分な通信もままならぬ状況でそれが為されたのは、正しく東の四将軍の熟練と連携の結果であったろう。最後の戦局の変化に、彼らは一斉に大攻勢の指令を下した。
「砲撃せよ!」
「撃て!」
「撃て!」
「全弾発射ァッ!」
その瞬間、勝敗は決した。包囲陣を布いていた艦隊が逆に相手に包囲されるという魔術的な状況の変化を、指揮官は把握することができても彼らの、彼女らの部下はそうではなかった。ありえない方角から襲来する砲火が交錯すると艦艇の装甲も防護壁も、やすやすと突き破られてしまう。砲火が艦内を席巻し、それが機関部に達すれば艦艇はたちまち爆発して白い光の塊へと姿を変えていった。
通信回路を絶叫と後悔が飛び交う中で、撃ち減らされていく味方にもはや、誰も決死の反撃を命じようとはしていなかった。勝敗は決しており、降伏するのでなければ残余の味方を守りつつ敗残の身となって逃げるしかないのである。指揮官はここまで彼らにつき従ってきた、部下たちを戦場から逃がして、せめて本国へと連れ帰るために全力を尽くす。そこには何のために戦うのか、何のために逃げるのかという理由はもはや必要とされてはいなかった。全ては、決したのである。
「かくて、神は死んだのだ(ヨハンナ・ガリアヌス)」
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