魔法都市日記(49

2000年12月頃


12月1日、「魔法都市案内」が@niftyの「ホームページグランプリ 2000」にノミネートされた。また『YAHOO! JAPAN Internet Guide』(1月号)他、各種雑誌等でも取りあげていただいた。そのせいもあるのだろうが、12月ひと月だけで、千通近いメールが届いた。私が好き勝手に発言しているだけのものに、これだけの反響があることが信じられない。何にしてもありがたいことだと感謝している。


某月某日

とうとう21世紀になってしまった。昨年がピッタリ2000年で、今年が新世紀の始まりだそうだから、これだけ切りのよいときくらい「めでたい」と言ってもよいのだろう。私は昨日も一昨日もその前も、毎日十分めでたいと思って暮らしている人間なのだが、そう毎日めでたいと言っていては、年がら年中めでたいやつだと思われそうなので、年の初めくらいだけでちょうどよいのかも知れない。

21世紀のスタートということで、ニューセンチュリーを迎えるカウントダウンイベントが各地で開催されたようだ。カウントダウンをしてもしなくても新年はやってくるが、滅多にないことは、そのことだけで十分楽しめる。私も参加してきた。

当初、大阪の南港、ATC(アジア太平洋トレードセンター)がある一帯で”もんたよしのり”が出演するカウントダウンコンサートがあるので、そこに行くつもりにしていた。このコンサートに参加すると、野外で3時間ほどずっと飛び跳ねることになるのはわかっていたが、雨になると屋内になり、収拾がつかないくらいの混雑になることが予想された。また、うちから行くには少々交通の便が悪いので、結局こちらはやめた。その代わり、兵庫県の明石で、政府が始めたインターネット上の博覧会、通称「インパク」のイベントがあるのでそちらに行くことにした。

兵庫県の明石海峡大橋をバックに、フランス人のイブ・ペパン氏によるレーザー光線、音楽、花火を使ったカウントダウンのイベントが海岸で繰り広げられることになっていた。 ペパン氏はフランスで開催されたサッカーのワールドカップのとき、エッフェル塔全体が火を噴いたのかと思うような大がかりな仕掛けを見せてくれた。その人が明石海峡大橋の前でやってくれるのだから、面白そうなものを見せてくれるだろうと期待していた。

このイベントには当初二万五千人くらいの参加者を見込んでいたようだが、実際には予想を大きく上まわり、五万五千人くらい集まったようだ。当日の朝、問い合わせたところ、とにかく寒いのでそのつもりで来て欲しいと念を押された。海岸にあるコンクリートの階段に座るわけだから、半端な格好ではもたないことは想像できた。

午後11時くらいに着けばよいと思っていたが、予想外に人が集まりそうな気配がしたので、会場には10時少し前には着くように出かけた。家からイベント会場になっているJR朝霧駅までは約1時間かかるが、JR一本で途中乗り換えもなくそのまま座って行けばよいだけだからその点は楽であった。

3年ぶりにダウンジャケットを出してきて、座布団、膝掛け、カイロを3個準備して出かけた。それでも午後10時前から12時過ぎまで2時間以上、海からの風をまともにうけて、コンクリートの上に座っていれば寒くないはずがない。手袋と毛糸の帽子を持ってこなかったことがくやまれた。さいわいにも一緒に行った友人が耳にあてるイヤーウォーマーを持ってきていたのでそれを借りた。耳をカバーするだけで随分暖かい。

たいまつリレー

10時過ぎにはアマチュアのバンドが演奏があったり、11時頃から2001本のたいまつを順にリレーしていくイベントなども始まった。1時間ほど前から、海岸に近いところで棒を持って突っ立っている人が大勢いると思ったら、こういうことだったのか。砂浜一面が数百メートルにわたって火に包まれた。(上の写真)

私たちの座っているところから、正面には冬の星座オリオンが輝いていた。ここに集まっている人の99%は22世紀を迎える前にみんな消えてしまっているのだろうが、オリオンをはじめとする星々は地球にヒトが生まれる前からそこにあり、これからもあり続けるのだろう。冬の星は人のたましいを吸い取ると言われているが、じっと見つめていると、実際にそのような気分になってくる。

しばらく星を眺めていたら、司会の辰巳琢郎氏が会場のステージに現れた。その後、堺屋太一新千年紀記念行事担当大臣(すごい肩書き!)やインパクのプロデューサー山本寛斎氏なども会場に着いた。この様子はインターネットを通じて、「インパク」のサイトから終始世界中に実況中継されていたようだ。12時前には森総理も首相官邸からインターネット経由で、海岸の左右にある巨大なスクリーンに現れた。

花火

森総理は1、2分何やら挨拶をしていたが、それが終わってしばらくすると、会場にある巨大なスクリーンに突然「5」が映った。いきなり5秒前になり、「5,4,3,2,1、ドッカーン」で花火が打ち上げられた。それにしても5秒前はないだろう。せめて1分くらい前から始めてくれないと、心づもりもなにもなく、会場に集まっていた人たちもあっけにとられていた。折角カウントダウンに来ているのに、何の前触れもなく突然5秒前はひどい。

寒い中、じっと待っていたのは、みんなそれなりの思いを込めて、20世紀から背負ってきた様々な煩悩を捨て、新たな気持ちで新世紀のスタートを切ろうと思っていたはずなのだから、それにひたる時間がもう少しあってもよいはずなのだ。さすがにこのあたりの演出にはみんな不満なようであったが、その後すぐに花火、レーザー光線、音楽によるショーが始まったため、文句を行っている暇もなく、そちらに意識は行ってしまった。このショーは10分程度のものではあったが、花火とレーザー光線をシンクロさせるのは日本の花火を見慣れているものにとっては新鮮で、十分見応えがあった。

帰りはあまりの混雑で、最寄り駅から乗れるような状況でなかったので一駅分、約30分ほど夜道を歩いて明石駅まで行ったら、待たずに乗れた。

「インパク」のサイトにジャンプできます。

某月某日

壁抜け男r劇団四季のミュージカル「壁抜け男」に行ってきた。私自身はミュージカルのファンというわけでもないが、周りには劇団四季のファンクラブに入っている知人が何人もいるため、情報だけはいろいろと入ってくる。この「壁抜け男」は、途中何カ所かマジックのような場面があると聞いていたので、その部分の興味だけで見に行ってきた。

東京公演では連日よく入っていると聞いていたが、私が行ったのは平日の昼の部であったこともあるのだろうが、6割位の入りであった。

壁を抜けるといっても、十数回ある「壁抜け」の場面で、多少なりともマジックのように見えるのは一番最初の「壁抜け」だけである。しかしこれもマジックとして見せられたら、とても合格点を出せるような代物ではない。ミュージカルの一場面として使っているから何とかマジックのようになっているが、一般の人が見ても、不自然な道具立てである。

マジック関係者がアドバイスしたのかも知れないが、もう少し優秀なスタッフがいればもっと不思議な壁抜けが実現できたはずである。最近では大きな鏡を通り抜けるイリュージョンもあるし、デビッド・カッパーフィールドなら「万里の長城」だって貫通してしまうのだから、もう少し何とかなったはずである。

しかしマジックのことを意識しないで見ていると、踊りながら突然花を出したりする場面もあり、それなりに楽しめた。

「壁抜け」というのが一体何を表現しているのか、今ひとつよくわからない。人間は自分で勝手な壁を作り、それで自分自身を身動きできないようにしているが、そのようなものは自分の思いこみが作り出しているだけのものであり、実体などない。それに気がつけば、壁など簡単に取っ払ってしまえると言いたいのだろうか。それとも壁抜けができるようになると、劇中であったように、金目のものを自由に盗んでくることもできるので、金だけは自由に手に入る。しかしいくら金があっても手に入らないものがあるということを言いたかったのだろうか。実際のところ、このようなものはどう解釈しようが見る側の勝手なのだから、好きに楽しめばよいのだろう。

最後は、ハッピーエンドなのか、悲しいできごとなのかもよくわからない終わり方であった。二人が抱き合ったまま時間が停止することは、幸福な瞬間が永遠に続くと思えばそれもハッピーエンドなのだろう。ただ私はあの場面では、エドガー・アラン・ポーの「黒猫」を思い出してしまった。

音楽は全編ミシェル・ルグランのオリジナル曲であり、ピアノ、リード、パーカッションの3つが生バンドで入っている。ブロードウェイの派手なミュージカルを見慣れていると、このような3つだけの楽器でミュージカルが構成されているのは新鮮であった。またセリフもすべて歌になっているレシタティーボ形式であるが、オペラとはちがい、大げさではないため終始気楽に聞くことができた。

2000年11月3日(金)−12月10日(日)
近鉄劇場(大阪・天王寺 最寄り駅:近鉄上本町駅)
入場料:10,000円

某月某日

1995年から始まった神戸のルミナリエも今年で6年目を迎え、今ではすっかり年末の風物詩として定着している。期間がクリスマスまでの約2週間だけであり、時間も午後6時頃から10時半までと限られているため、その間、大変な混みようになっている。特に点灯直後から午後8時頃までは、元町駅からゴールになる三ノ宮の東遊園地まで、道全体が人で埋まってしまう。

ルミナリエ1

私が行った日は二日目で、昼間雨が降っていたことと、午後8時半頃であったので、予想外に空いていた。スタート地点の反対側には中華街もあるが、むしろそちらのほうがにぎわっていたくらいである。混雑しているときは人の流れに乗って移動するしかないが、私が行ったときは、自由に動き回れるくらい、余裕があった。先に中華街に寄って、水餃子を食べてからルミナリエのコースに戻った。

ルミナリエ2

はじめてルミナリエを見たときは阪神大震災のすぐ後でもあり、ボロボロになった神戸の復興と、亡くなった方々の鎮魂のためということがひしひしと伝わってきた。歩いていても厳粛な気分になったものだが、今ではクリスマスのイルミネーションのひとつとしてしか思っていない人も増えてきたのではないだろうか。

デザインは同じように見えても、毎年少しずつどこかが変えられている。直線上のコースはアーチ型構造の「Galleria(ガレリア)」と呼ばれる遠近感のある回廊が続いており(上の写真)、ゴールである東遊園地に作られた「スパッリエーラ」(光の壁掛け)は、今年は完全な円になっていた。(右の写真)今までは壁面であったり、半円状であったが、完全な円になるとひとつの独立した建造物のようになり、中に入って、周りから光につつまれていると、今年のテーマである「光の永遠(インフィニティー)」を実感できる。


12月はルミナリエに限らず、どこに行ってもクリスマスの飾り付けが目に付く。今年行ったところで、とりわけきれいなものをいくつか紹介しよう。

神戸駅南、キャナルガーデン

キャナルガーデンのツリー

室内にあるツリーとしては最大級のものだろう。天使の羽根がついていて、時間ごとに色が変わる。

六甲アイランドのRink(六甲アイランド神戸ファッションプラザ)

人工雪

関西に住んでいると、クリスマスに雪が降ることはほとんどない。しかし、この会場では雪を降らせてくれた。写真には雪は写っていないが、人工雪も近ごろは様々なイベントで利用されているため、さほどめずらしくもなくなってきた。

デビッド・カッパーフィールドの"SNOW"のとき、客席全体に雪を降らせる演出があったが、あれは体についたとき、まだ泡のようになっていた。しかしこれはドライアイスの小さな粒なので、大半は床に落ちるまでに気化してしまう。

 

神戸の「モザイク」

モザイクのツリー

神戸駅南にある「モザイク」の広場にあるクリスマスツリー。後ろに見えている船は神戸港から明石海峡大橋までを遊覧しながら、音楽や食事を楽しめる「「コンチェルト」。その後ろに少し見えるのが、「メリケンパーク・オリエンタルホテル」。

サンタクロースからの手紙

「サンタクロースからの手紙」がフィンランドから届いた。このようなサービスがあるとは聞いていたが、実際にもらうのははじめて。

某月某日

パケットトリックI.B.M.大阪リングの例会に、埼玉の田代茂さんが最近東京で注目されている若手カーディシャン、N君をお連れくださった。N君は現在高校1年生で、マジックを始めてまだ1年半程度だが、オリジナルマジックもすでに何点かあり、某ショップから商品として販売されているトリックもあるそうだ。パケットマジックがぎっしりと詰まった箱(右の写真) を見ただけで、どの程度のマニアか想像がつくだろう。

この日お二人は夜の7時過ぎに例会の会場に着き、N君には休む間もなくカードマジックを数点見せてもらった。翌日が学校の終業式のため、8時半頃には帰らなければならないという慌ただしさであった。

わずか一時間半ほどのために、東京から日帰りで来てくださったのは、愛好会のメンバーから率直な評価を聞きたいと思ってのことだろう。私や松田さんは最初から見せてもらったが、六人部君や宮中君は少し遅れて来たのでN君のマジックをあまり見ていないが、それでも人となりなどは敏感に感じ取っていた。

まだ高校一年生という若い人であり、これからの勉強次第ではいくらでも伸びる可能性があるので、N君には少々厳しいかも知れないが、率直な感想を申し上げた。もしどうってこともない人だと思えば、決して厳しいことなど言わない。「すごいですねー、すばらしいです!」と適当に誉めておしまいにするが、そのようなことを聞くために、わざわざ大阪までお越しいただいたわけではないと思うので、なるべく正直に申し上げた。それでも先日はバタバタしていたため、落ち着いてアドバイスもできなかったので、この場を借りて、もう少し一般的な話も含めて、僭越ながらアドバイスさせていただく。

まず今回の例会には、観客として小学生の女の子が4名遊びに来ていた。その子たちに見せるということでやってもらったのだが、カードマジックを見たこともない小学生を相手に、普段マニアに見せるようなカードマジックをやってしまうのはまずい。おそらく、会場に来るまでまさか小学生がいるなんて知らなかったと思うので、マニア用のマジックを準備していたのだと思うが、その程度の機転はきかせて欲しい。このようなことは、マニアが思っている以上に大変重要である。「その場の空気をよむ」という能力は、その人のマジシャンとしてのセンス全般に関わってくることであり、マジシャンとして成功するかどうかの決定的な因子であると私は思っている。

実際に見せてもらったカードマジックは、マニアが見ると確かに感心する部分があるのだが、それは一般の人に見せたとき、何の意味もないことが多い。N君は今のところ一般の人に見せる機会が少ないため、ついマニアが感心するようなものをやってしまうのだろうが、全体の構成ももうひとつうまくない。似たような現象が続きすぎる。ラリー・ジェニングスの「ビジター」をもうひとひねりしたものを見せてもらったが、観客からすると現象がわかりにくくなってしまっている。

それと、これが一番まずいのだが、写真を撮らせてもらおうと思ってカメラを構えていたら、結局最後までシャッターチャンスがなかった。演技中、ずっと自分の手元ばかり見ており、観客の方を見ないため、もしくは見ても一瞬だけのため、最後までシャッターを押す機会がなかった。現象の切れ目に、観客に対して何が起きたのかをしっかり見せないとまずい。

細かいことを言い出せばいくらでも直さなければならないところはあるが、とにかくマニアに見せるよりも、一般の人に見せる機会をなるべく多く持って、正直な反応を観察してみることだろう。そうすればどのくらいの数を見せれば観客が飽きてくるか、その他諸々のことがわかってくる。

演技者をめざすのか、研究者をめざすのかで変わってくるが、もし演技者をめざしているのであれば、勉強しなければならないことは山ほどある。先日私が書いた「フラフラするな」も意識して欲しい。N君も含めて、テーブルの後ろに立っていてもフラフラと体が揺れながらマジックをやっている人が目に付くが、あれも大変目障りなものだから、立って演じるのなら、ビシッと立ってもらいたい。

それとマジックを始めて一年半で、よく勉強しているのは事実であるが、それを周りの人たちがことさら持ち上げるのもどうかと思う。そこそこのマニアであれば、マジックに熱中し始めた最初の1、2年は、みんな彼くらいの吸収力はあったはずなのだ。今が一番いろいろなことを吸収できる時期なのだから、もっとじっくり勉強できる環境を与えてあげるのが親切というものだろう。早くから過剰に持ち上げすぎて、へんにスター扱いしていると、N君がマジックに行き詰まる時期を早めるだけにしかならないのではないかと私は心配している。まだ洋書はあまり読んでいないようなので、これからはぜひそちらのほうにも手を広げて欲しい。

私がここまでうるさく言ったのは、ひょっとすると大化けする可能性があると思っているからなので、あまり怖がらないでね(汗)>N君

I.B.M.大阪リング

ちなみに私がやったのは、「スタック・オブ・クオータ」と「キャンディ・キス・マシーン」の二つだけ。前日にもらったクリスマスプレゼントの袋が銀色で、それらしい雰囲気であったのでこれに道具を詰めて持って行った。

某月某日

20世紀という時代は、人類の歴史全体でみればどのような位置づけになるのだろう。いつの時代でも戦争、災害、その他いろいろなことがあったが、20世紀ほど、人間が地球という生態系全体をむちゃくちゃにした時代はなかっただろう。地球をこれだけ荒廃させておいて、人間だけが心穏やかに過ごすことを望むのは虫が良すぎるというものだ。言いたいことは山ほどあるが、その話はひとまずおくとして、マジックの世界にとっての20世紀はどのような時代であったのだろう。

カップと玉マジックの歴史は記録に残っているものだけでも二千年を越えている。しかし、現在おこなわれているようなスタイルが確立したのは高々この百年程度のことである。19世紀後半までは、奇術師といえば魔法使いのようなスタイル、つまりダブダブの衣装に円錐形のとがった帽子、ひげをはやし、杖を持ったようなものが一般的であった。演技スタイルもエンターテイメントというより、いかにも中世の魔法使いのイメージをそのまま受け継いでいた。

奇術の歴史は長いのだが、その割には記録として残されているものは大変少ない。昔は奇術師がそのやり方を何かに残すことはなかったため、伝承されてきた奇術といえば、左の絵にあるような「カップと玉」くらいのものだろう。街頭で奇術師が演じているマジックといえば大抵これに決まっていた。

それが今から150年くらい前、フランスのロベール=ウーダン(Robert-Houdin)が奇術師のスタイルを一変させた。これが近代奇術の幕開けと言ってもよい。

ロベール=ウーダンは当時の奇術師が着ていたような衣装をやめ、燕尾服にシルクハットという正装で舞台に立った。ステージの照明も明るくし、それまでの暗い雰囲気を払拭した。これではじめて社交界のパーティなどでも演じられるようになった。それまで千年以上続いてきたマジシャンといえば、街頭で芸を見せる芸人か、時の権力者に近づき、占い師のようなことをやるくらいが関の山であった。ロベール=ウーダンのスタイルは、奇術師にとって新しい職場を開いてくれた。

20世紀になってボードビルの全盛を迎えるにあたり、この衣装は奇術師のスタイルとして定着した。この頃から1960年代初頭までが奇術師にとっては最もよい時代であったのかもしれない。その後テレビの普及により、ナイトクラブで酒を飲みながらショーを楽しむという形式は世界中で急激にすたれてしまった。

奇術師に限ったことではないが、これからの芸人は自分の芸をマスメディアを通じて売るのか、そうはしないのか、戦略的にもはっきりさせておかないと、生き残って行けないだろう。必ずしもマスメディアに乗らなくても生きて行くことは十分可能である。名前を売るのにマスメディアを利用するのはよいが、芸はそのようなものでは売らないくらいの覚悟がないと、マジックという意外性で成り立っている芸は生き残れないだろう。



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