魔法都市日記(60)
2001年11月頃
今頃の時期にしてはめずらしく、5日間連続で休みがとれた。それを利用して東京方面に遊びに行っていたのだが、帰ってくるとコンピューターウイルスを含んだメールがどっさり届いていた。調べてみると、世界中で猛威を振るっているウイルス、W32.Badtransであった。これがごくわずかの間に、猛烈な勢いで広がっている。インターネットの普及に伴い、コンピューターに詳しくない方が増えたため、感染しても気がつかず、本人も知らない間にウイルスメールをまき散らしているのが最大の原因であろう。
11月20日頃からは、ウイルスメールだけでも連日50通前後来ていた。最初の数百通までは、送られてきたメールのヘッダー情報を感染者が所属しているプロバイダーに送り、警告してもらうよう連絡していた。今回の広がり方はかつてないほど深刻なため、大抵のプロバイダーも本気で取り組んでいる。すぐに契約者に連絡し、対処方法などを教えていたようである。もし感染者に連絡をして、それでも本人が対処しないときは、メールの送受信ができないようにするという強硬手段をとるところまであった。
ウイルス用ワクチンソフトは五千円前後で購入できる。まだワクチンソフトを入れていないのであれば、早急に導入したほうがよい。感染した後のトラブルを考えると、これくらいで済めば安い投資である。
某月某日ハリー・ポッターのシリーズが数ヶ月前から日本でも爆発し、どこの書店でも店の一番よく目立つところに高く積み上げられている。それに加えて、大型書店では関連グッズを扱うコーナーまでできている。
私も2、3ヶ月前から何点か頂いた。たとえば、振ると光るマジックウォンド。これはマジックにも使える。また、下の写真にあるような羽根ペン、羊皮紙の便せんと封筒、インクが一緒になったレターセットなどもある。
携帯電話につけるストラップや、小物も数多く頂いた。今も携帯電話には「魔法のほうき」"Nimbus 2000"がぶらさがっている。これは映画の前売り券を購入した人にだけ無料でもらえたものらしいが、今では手に入らないこともあり、プレミアがついてYahooオークションではかなりの金額で取り引きされているそうだ。
携帯のストラップだけでも、ホグワーツ魔法魔術学校に入学した後、どのクラスに入るかを決めるときにかぶる「組分け帽子」や、クイディッチというゲームで使用する玉に羽根のついた「スニッチ」もある。最初は頂くたびにうれしがってぶら下げていたが、数が増えてきて、携帯電話の本体よりもストラップのほうが重くなってきた。
鞄から取り出した携帯に、妙なストラップが数多く付いていると、神主がお払いのときに使う道具、榊(さかき)に、白い紙を稲妻のように切ったものがぶら下がっているもの、御幣(ごへい)というそうだが、あれを思い浮かべてしまう。おまけに、通話中点滅するストラップまで付いているため、電話するたびに派手なネオンサインのようになり、場所によっては恥ずかしくて取り出せないこともあった。くださった方には申し訳ないと思いながら、重いのと、神主と間違えられないかという心配から、ごっそり取り外してしまった。今では魔法のほうきと、猫のダヤン、金属製の小さいトランプとダイス、点滅するストラップ、貝殻に布をかぶせたものしかつけてない。書き出すとまだだいぶぶら下がっているようだが、これでも随分すっきりした。以前はテーブルの端に置いておくと、縁からはみ出たストラップが重くて、携帯電話まで一緒に床に落ちそうになったことがよくあった。
話を戻すと、ハリー・ポッターのシリーズは世界で1億3千万部以上、日本でも第三巻まですべてがベストセラーのトップを占め、計600万冊以上売れているそうである。
この本で驚くのは、読者層の広いことである。本を読まなくなったと言われている小学生や中学生が、あの分厚い本を最後まで読み通している。70歳を越えている私の母も、夜の12時前から読み始め、午前3時ごろまで読んでいた。おもしろくて、途中でやめられないと言っている。一巻目を読み終わるとすぐに第二巻、第三巻も読み終え、第四巻は来年の秋以降になるというと、ひどく残念がっていた。
本は時々妙なものがブームになり、どう考えても、このようなものが売れるとは思えない本がベストセラーに名を連ねることがある。しかしそのような本は買ったとしても、最初の数ページで投げ出してしまう。ハリー・ポッターのシリーズは、買った人はたいていみんな最後まで読んでいるようだ。
小学生から70歳を越える読者まで引きつけて、最後まで読ませてしまうストーリーテラーとしての著者の才能は確かに非凡である。予想外の出来事が次々と展開するおもしろさはあるが、それだけではこれほど多くの読者を獲得することはできない。
12月から映画も封切られるため、まだしばらくこの騒ぎは続くのであろう。
某月某日
頂き物と言えば、青森からリンゴが届いた。うちでは毎晩リンゴを食べる習慣がある。夏場など、リンゴの時期がはずれると、その間はイチゴやスイカ、ナシなど旬の果物になるが、一年の半分くらいはリンゴを食べている。
少し前、ホームページを読んでくださった青森の方から感想のメールを頂いた。
私は青森には行ったこともなく、思い浮かぶものといえば、昔映画で見た雪の『八甲田山』、演歌「津軽海峡・冬景色」の中に出てくる
♪ 上野発の夜行列車 おりた時から〜
青森駅は 雪の中〜 ♪に出てくる青森駅。それと毎晩のように食べているリンゴ、この三つくらいしかない。
お礼のメールの中で、私が青森で知っていることと言えばこれくらいであると申し上げたら、しばらくして大きな箱でリンゴが届いた。
箱を開けてみると中は3段になっていた。上から「金星(きんせい)」「王林(おうりん)」「ふじ」が、ひとつひとつ丁寧に包まれ、整然と並べられていた。どれも大粒で、きれいなリンゴである。
最上段にあった金星は黄色い皮なのだが、そのひとつひとつに、真っ赤なキスマークがついていた。私は箱を開けた瞬間、送ってくださった方のルージュかと思い、一瞬ひやりとした。家人に見られるとまずい……。しかしそれは杞憂であった。少々がっかりもしたが、本物のキスマークではなく、リンゴの皮に付いている模様であった。
私が頂いた金星にはすべて、スッーと一筆走らせたような朱が入っている。金星にはこのような模様が入っているのかと思ったらそうではなく、特定のリンゴ園だけのもののようである。リンゴを保護する紙の一部に穴をあけておくと、その部分だけ赤くなるようだ。
青森ではヴァレンタインデーのとき、チョコレートではなく、この「キスマーク付きリンゴ」を本命の人に贈るのが流行っている、という話は聞かないが、ここに書いておけば来年あたりから本当にそうなるかもしれない。
友人にこのリンゴを見せると、「ハリー・ポッターのリンゴだ!」と騒いでいた。赤い模様が、ハリーの額にある稲妻のように見えるのだそうだ。同じものを見ても、私と友人ではこれだけ感じ方がちがうのだから、何に見えるかで、性格分析ができそうだ。
ひとしきり金星の「キスマーク」で盛り上がったあとも、新鮮なリンゴのため、一週間ほど経っても家中リンゴの香りが満ちていた。
某月某日
梅田のヘップ・ファイブで、フランス出身の3人組、「レ・クザン(Les Cousins)」の公演があった。1991年に、ジャグリングのロロ、アクロバットのシュロ、クラウン(道化)のルネが集まり、グループを結成した。グループ名のとおり、3人は本当の従兄弟だそうである。一人一人が高いレベルの芸を持っているが、異なったキャラクターが三人集まると、一人だけで演じているときには表現できない笑いも作り出せる。
何度か来日して、ワークショップも開くくらい、笑いの方法論には自信をもっているようだ。実際、ストリートパフォーマンス(大道芸)の経験も豊富なため、ステージの上で演じても、観客と一体になって盛り上げてゆく構成はうまい。
今回、舞台の上には板を数枚立てて作っただけの簡単な壁のようなものと、机だけがある。
最前列の客5、6名にバラの花束(造花)を渡しておき、ある場面でそれを舞台に投げてもらったり、直径1メートルほどある大きなゴムボールを客席に飛ばしてそのやりとりで笑わせたりもする。
今回演じたものは、昨年同様「C'est pas dommage!〜どうってことないサ!〜」であった。この作品はこれで最後となる。次回からはもっとストーリー性のある構成になるそうだ。
手に持っていたシルクが消えて、別の場所から出現するマジックのような現象もいくつかあり、それも興味を引かれた。
日時:2001年11月2日(金)・3日(土)・4日(日)
会場:HEP HALL(大阪梅田 HEP FIVE 8階)
料金:前売3,000円 当日3,500円某月某日
11月の上旬、東京で数日過ごした。今回の上京は村上信夫さんの料理をいただくのが目的であった。
宿泊先のホテルの向かいには東京宝塚劇場がある。朝の9時ごろ、起き抜けに窓のカーテンを開け、下を見ると劇場前に人だかりができていた。黄色いシャツを着た女性が数十名道路に沿って並び、その後ろには二重、三重に一般の女性客が取り巻いている。しばらくながめていたが、何をしているのかよくわからない。
このあと1時間ほどして、今日会う予定になっている友人が部屋までやってきた。この友人の話では、宝塚劇場の正面入り口付近を通りかかったとき、道路にいる女性が一斉にシャッターを切り、フラッシュが光ったそうだ。カメラのレンズはみんな自分のほうを向いている。一瞬何事がおきたのかわからないまま、道にいる女性の方を見ると、手で払いのけるような格好をしている。どうやら「じゃまだからどけ!」と言われているらしい。
振り返るとタクシーが止まり、ドアが開いて、タカラジェンヌが降りてくるところであった。事情がわかり、あわてて飛びのいたと言っていた。
この混雑は一日中続いていたのだろうか。夜の8時過ぎ、銀座方面に出ようとすると、舗道はすべて着飾った女性で埋まり、かろうじて一人だけが通れる分の通路が確保されていた。両側をびっしり女性で囲まれ、その間をすり抜けるようにしながら進まなければならない。
旅行から帰ったあと、宝塚に詳しい友人にたずねてみると花組のトップスター「愛華(あいか)みれ」さんのサヨナラ公演があり、その千秋楽であったようだ。
同じ色の綿シャツを着て、ガードするように座っていた人たちは劇場の係員ではなく、ファンクラブの人なのだそうだ。宝塚の場合、マネージャーや付き人がいないため、普段から、ファンクラブの幹部の人達が稽古や公演中の弁当を毎日作り、その他いろいろな世話も無償ですることが慣例になっているそうである。あるタカラジェンヌが退団するとき、ファンクラブも解散となるため、今回のように、最後の顔見せをガードする役目がファンクラブの人達にとっても、最後の大きなイベントとなるのだと教えてもらった。
これだけ多くの人が外で長時間待っているのだから、引退するトップスターが劇場の前で挨拶でもするのかと思ったら、ただ手を振るか、お辞儀をしておしまいなのだそうだ。時間にして1、2分のことだと思うが、そのわずかな時間のために、朝から晩までじっと待っているのだから、ファンというのはありがたい。
某月某日
宿泊先のすぐそばに、東京ディズニーランドや、今年の夏オープンしたディズニーシーのチケットだけを販売しているショップがあることを知った。
ディズニーシーはまだ行ったことがないため、一度は行ってみたいと思っていた。夕方、チケットショップに寄ってみると、店の中で長い列が作れるよう、うねうねと折り曲がりながらロープが張り巡らされていた。私が行ったときは先客は数名しかいなかったが、店に入りきれずに、行列が外までできることもあるらしい。ここでチケットを買っておくと、当日そのままゲートをくぐれるので、便利なのだそうだ。
翌日、ディズニーシーに向かうが、午後の遅い時間から出かけたため、アトラクションやショーを見ることよりも、概観と全体の雰囲気を味わえたらそれでよいと思っていた。適当にぶらつきながら、もし待たずに入れるものがあれば、そこに入るつもりにしていた。しかし現実はそれほどあまくなく、めぼしいところはどこも1時間以上待たなくてはならなかった。待ち時間が30分以上のものは全部パスするつもりであったため、結局ほとんどのアトラクションを横目で見ながら、会場内をただうろついていた。
事前に知人から、アラジン・コーストにある「マジック・ランプ・シアター」ではマジックがあると聞いていたので、そこだけは多少待つことになっても見る予定にしていた。
会場内を歩いていると、大阪のユニバーサルスタジオ(USJ)の中にいるのかと錯覚するほどよく似ている。どちらも外国の古い街並みを再現した場所が数多くあるため、そう感じるのかも知れない。金を掛けて、細かいところまで手を抜かないで作ってあるのはわかるのだが、巨大テーマパークはどこも同じようなコンセプトで設計されているらしい。それがわかると、この種のテーマパークも多少興ざめになってくる。作り物はどこまでいっても所詮作り物である。見る側がそれを補おうとするせいか、想像力が過剰に反応して、普段しないような疲れ方をする。こんなことなら、本当にどこかの田舎町か静かな港町にでも行って、ぶらついたほうが気分は安らぐにちがいない。まあ、こんなところでそんなことを言い出せば身も蓋もないことはわかっているので、それは封印しておくことにする。
話が前後するが、関西では11月上旬まで、長袖のシャツ一枚で過ごしていた。ディズニシーにも同じ格好で行ったら、舞浜に着き、イクスピアリの入り口に隣接しているモノレールの駅、リゾートゲートウェイ・ステーションで待っている頃には、これは失敗であったと気がついた。ここは海に面しているため、予想外に風が強く、寒い。周りの人を見ると、みんな厚手のジャケットやコートを着て、冬のような格好で来ている。
それでもディズニーシーの中を歩いているときはあまり寒さを感じなかったのだが、アラジンコーストに着き、外でしばらく並んでいると身にこたえてきた。同伴者は隣りのTDLやこのディズニーシーに何度も来ているため、セーターにダウンジャケットという完全装備で来ていた。鞄にはまだマフラーも持っていたのでそれを貸してもらい、首に巻くと、これだけでも随分暖かい。
「マジック・ランプ・シアター」のあるアラビアンコーストは、辺り一帯がアラビアンナイトの世界に出てくるような造りになっている。らくだが寝ていたり、アラジンとジャスミンが突然現れたりする。おへそを出したジャスミンは、男性客の視線が全部集中するほどかわいい!
40分ほど外で並んだ後、入り口で3D用の眼鏡を借り、座席に着く。
ステージでは本物のマジシャンと3Dの画像が一緒になったマジックが楽しめると聞いていたのだが、「世界で一番偉大なマジシャン」シャバーンのマジックがあまりにつまらない。途中で3Dの映画と連動し、魔法のランプからランプの精、ジニーが現れる。これもいまひとつおもしろくない。
シャバーンが演じるマジックは、もう少し本格的なものにしないことにはどうしようもない。3Dの映画も、今では隣のTDLや大阪のUSJなどでも本格的なものが見られるため、立体というだけでは観客も驚かなくなっている。不満だらけのマジックと3Dで、機嫌が悪くなりかけていたら、突然、座席を誰かに蹴り上げられた。小さい子供が足をばたつかせて、後ろからイスの真下を蹴ったのかと思うような衝撃があった。
後ろを振り返って、叱ってやろうかと思ったら、全席、このような衝撃があったらしい。少し時間をおいて、また同じように蹴り上げられた。隣にいた同伴者はひと月ほど前、階段から落ちて尾てい骨を骨折していた(汗)。それがやっと治りかけたときであったため、本気で怒っていた。衝撃自体はそれほど強いものではないが、ある程度事前に警告がないとまずくないか? 妊婦や、痔の人、同伴者のように尾てい骨を骨折中!という人も現実にいるのだから、いきなり尻の真下を蹴り上げるのはまずいぞ。それにしても、この衝撃って画面と連動していたのかな?なんだかわけもなく、唐突に蹴られたような気がしてならない。あまりのつまらなさに、寝ている客を起こすためにやっているのかも知れない。
ショーは不満であったが、外に出ると陽は落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。ライトアップされた会場は昼間とは趣が一変している。夜は昼間のチープさが隠れるため、一層幻想的な雰囲気になるのであろう。
ここはアメリカンウォータフロント、メディテレーニアンハーバー等、大きく7つのエリアに分かれている。隣のTDLは、夜でも全体がもっと明るいと思うのだが、ディズニーシーは演出上からか、随分暗く感じる。薄暗い中、通りを歩いていると、実際の街角にいるのかと錯覚するくらいである。
会場内では何も食べないで歩き回っていたので、お腹が空いてきた。アラビアンコーストの中には屋台、「カスバ・フード・コート」があり、ここでナンとカレーのセットを食べ、腹の虫を抑えてから、再び夜の散歩に出かけた。
この後、アクアトピアというゴムボートのようなもので、水面を不規則に走ってゆく乗り物に乗ったくらいで、一日は終わってしまった。全体の0.1%も見ていないような気がする。やはりこの種のところに来るのであれば、ある程度下調べをし、朝から気合いを入れて来ないと十分楽しめない。ディズニーシーの中にあるホテル、ミラコスタにでも泊まって、開場前から目当てのアトラクションのところに行くという戦術が取れたら一番賢明だと思うのだが、このホテルの予約がなかなか取れない。
某月某日
港区白金台にある東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)で「カラヴァッジョ 光と影の巨匠−バロック絵画の先駆者たち」展を見る。
1933年に建てられたこの建物は、20世紀のはじめ、ヨーロッパで全盛を極めたアール・デコ様式のインテリアが全室施されている。日本でこれほど完全なものはここしかないようだ。
昭和初期くらいまでに建てられた「豪邸」には、今とは桁違いのものがある。神戸や芦屋の、古くからある屋敷町には今もそのようなものが残っているが、都会の真ん中で、野球場がすっぽり入ってしまうくらいの広い庭のある家など、税金の問題もあり、今では個人で所有することはまず無理である。庭園美術館も、元は朝香宮夫妻が建てたものだが、戦後、東京都の施設として買い上げられ、美術館として一般公開されている。
それはさておき、これだけの建物が第二次世界大戦も空襲で焼けることもなく残っていたのは幸運である。柱や壁、暖炉の飾り、内装のどこを見ても細部にいたるまで手の込んだ細工が施されている。当時ガラス工芸の分野で絶大な人気のあったルネ・ラリックが制作したシャンデリアやガラス扉も、一部ひび割れがあるが、ほぼ完全なまま残っている。
今回、ここではじめてカラヴァッジョの絵を間近で見ることができた。入場制限があるほど人気があるようで、この日もチケット売り場には長い行列ができていた。
カラヴァッジョはイタリアのミラノで生まれ、1610年に39歳という若さで亡くなっている。どのような理由か知らないが殺人を犯し、逃亡生活を続けるという、まさに波瀾万丈の人生であった。しかし絵画においては、ルーベンス、フェルメール、レンブラント等、バロック期の多くの画家に影響を与えている。
カラヴァッジョが好んで用いた「光と闇」の「技法」はフェルメールの絵を思い浮かべても、多大な影響を与えていることが歴然としている。
また、カラヴァッジョが描くと、宗教画でさえ肉感的なる。「聖チェチリアと天使」に描かれている天使も聖チェチリアも、宗教画というより、現実のひとこまを描いたように思えてしまう。時の教皇はカラヴァッジョの絵を受け入れなかったそうだが、それは宗教のもつ神秘性が薄れてしまうことを恐れてのことであろう。神と人間の差を縮めてしまうため、見るものを戸惑わせるのかもしれない。「品位に欠ける」という批評もあるが、天使や聖女がこれほど肉感的に迫ってくる宗教画を見るのは私にとってははじめての経験であった。
左上から光が射し、明と暗とがはっきりしているカラヴァッジョの絵は、善と悪、聖と俗、神と人間、このような、一見対極にあると思えるものであっても、実際は少し視点をずらすだけで、二つはたちまち同化し、あるいは逆転してしまうことを感じさせてくれる。これが彼のフィルターを通して見た世界観なのであろう。
宗教にむりやり神秘のペールをかぶせることなど不要である。どれだけ赤裸々に描いても、神秘は神秘として存在している。一部の教会関係者にすれば、神は我々の手の届かない、どこか上のほうにいてくれないと営業上困るのかも知れない。
建物の外に出ると、広い庭に弁当持参で遊びに来ている家族連れが何組かあった。彫刻や石のオブジェなどもある。
オープンカフェでは、天気のよい日は外でお茶や軽食が楽しめる。それは良いのだが、店の中の造りが今ひとつよくない。テーブルやイスも気に入らない。一昔前の大学の食堂で食べているような雰囲気である。最近の女子短大など、一流のレストランと比べても遜色のない学食もあるため、うかつに学食並みという言葉も使えない。
美術館の余韻が残っているだけに、この落差はいただけない。もう少し何とかして欲しい。
某月某日神戸の元町にある「トアロード・デリカテッセン」に行く。
この店は1949年、日本で初めてのデリカテッセンとして、神戸にオープンした。デリカテッセンというのは、「お総菜」という意味である。
神戸には昔から外国人が数多く住んでいる。この人達は自分たちの国のチーズやハム、ソーセージ、キングサーモンなどを食べたいと思っても、当時は簡単に手に入らなかった。そのような需要を叶えるためにできたのがこの店である。
小さい店なのだが、一階の食材売り場には厳選されたハムやチーズがある。オリジナルの各種ソーセージ(野菜入り、チーズ入り、チキン入り、プレーンなボローナソーセージ)、スモークサーモンは特にお薦めする。
二階はレストランになっている。ここではサンドイッチが食べられる。中に挟む具は、もし自分の好みがわかっているのならそれをリクエストしても良い。また下で販売されているハムやチーズで、食べてみたいものがあれば、それを使って作ってもらえる。普通のミックスサンドを頼んでも、何でこんなにおいしいのか、わけがわからないくらいおいしい。
20数年前、高木重朗氏と奥様が神戸までお見えになったとき、松田道弘さんの奥様がホテルでの夜食として、ここのサンドイッチを差し入れされたそうだ。高木先生はおいしいものには目がない方であったのだが、本当にこのサンドイッチには感激されたようで、その夜、早速松田さんのところに電話があり、このサンドイッチはどこで買えるのか教えて欲しいとたずねられたそうである。翌日高木先生は、本当はどこかの会食に招かれていたのだが、それをキャンセルして、元町のデリカテッセンまでお出かけになったそうだ。
私が今まで日本で食べたサンドイッチの中では、ここのものがベストである。松田さんの奥様の話では、最近は味が落ちたとのことであるが、これよりおいしいものは他に知らない。
2階のレストランは、12月など、1階が忙しい時期は閉鎖されるので、行ってみたいと思っておられる方は事前に電話で確認していただきたい。トアロード・デリカテッセン
〒650-0012 神戸市中央区北長狭通2−6−5
電話l (078)-331-6535
営業時間: 8:30〜18:30 (日曜・祝日:9:30〜17:30)
定休日: 水曜日