魔法都市日記(61

2001年12月頃


バラのキャンドルスタンド

マジック関係に限れば、今年は種明かしに始まり、種明かしに暮れた一年であったといえるだろう。

何ともうっとうしい年ではあったが、悪質な種明かしを監視するための世界的な組織"World Alliance of Magicians"(WAM)の日本支部も2002年から正式に発足することになった。

私個人に限れば、種明かし問題など本当のところあまり関心はない。しかしこのようなことをやっている団体や個人が現実に存在している。人の考えたものを暴露することで金儲けをしているのだから、それは泥棒以外の何ものでもない。ある程度マジック界のことを知っていると、そのようなところには近づかないが、何も知らない子供達やこれからマジックを始めようとしている人たちは、知らないと餌食にされてしまい、あとでいやな思いをしなくてはならなくなる。このようなものに引っかからないでいただきたいという思いから、いくつかの記事をラウンドテーブルに書いてきた。

しかし私のことを気遣ってくれる知人からは、いつまでもそのようなものに関わっている暇があったら、自分のペースを守り、やりたいことに専念せよというアドバイスももらっている。これは確かにそう思う。「種明かし問題」で、あれこれ振り回されるのはもう今年限りにしたい。


今月は映画を25本見た。また、関西で大流行している激安のカラオケチェーン店「ジャンカラ」(正式名称はジャンボ・カラオケ)にも5、6回は行っている。

私がカラオケに行くというとたいていみんな驚くのだが、歌うよりも喫茶店代わりに利用している。ジャンカラは1時間280円で飲み物付き、食事も全品250円以下と安く、値段の割にはおいしい。出先で書類を広げたいときや、ノートパソコンで文書を作るときも、ここなら個室のため、時間や周囲の目線を気にせずにできるので重宝している。

映画やカラオケ以外にもいろいろと出かけてきた。受験生をあずかっている身であるのに、この時期にこれだけ出かけていると、本当に仕事をしているのか疑われそうだが、そっちはそっちでまじめにやっているのでご心配なきよう。>ご父兄各位 (汗)

センター試験直前になると、教えている側も知らず知らずテンションが上がってくる。それを緩和させるために、無理をしても何か他のことをしたくなるのかもしれない。

映画は25本といったが、普通の映画は「ハリー・ポッターと賢者の石」「ムーラン・ルージュ」「みすゞ」くらいで、残りは後述するリュミエールやジョルジュ・メリエスの作品のため、1本あたり2、3分のものばかりである。



某月某日

ずいぶんひさしぶりに松田道弘さんのレクチャーが開催された。

松田さんは20年くらい前までは天海賞のパーティや、IBM大阪リング主催の「クロースアップマジックの集い」などでよく見せてくださっていた。しかしここ10数年は、IBMの例会をのぞいては、マニアの前でマジックを見せることはほとんどなかったはずである。そのため最近マジックを始めた方は松田さんのお名前や作品は著作物から知っていても、実際のところ、どのような雰囲気でマジックを見せておられるのか、知らない人が圧倒的に多くなっているはずである。

今回のレクチャーは「瓢箪から駒」のようなものであった。神戸組、これはIBM大阪リングのメンバーである松田さん、三田皓司さん、福岡康年さんが神戸にお住まいのため、私が勝手にそう呼んでいるのだが、昔から何かにつけて松田さんのお宅に集まっておられた。とくに三田さんは松田さんの本を校正する手伝いをなさっているため、週に1回は会っておられる。

10月の末、三人で酔っぱらっているとき、松田さんがお二人にホロウィッツの古典的なカップアンドボールを実演してくださった。これ以外にも、カードマジックを数点見せてくださったらしい。

30年以上の付き合いがあるはずなのに、どういう風の吹き回しか、福岡さんがいたく感激し、これを自分たち二人だけが見るのではもったいない、少しでも多くの人に見てもらうためにも、松田さんにレクチャーをやっていただくよう、お願いしたそうである。

松田さんは今さらレクチャーなどいやだと頑強に拒否されていた。しかし三田さん、それと松田さんの奥様にまで援護射撃に加わっていただき、説得を続けたら、しぶしぶではあったが引き受けてみようかという気分になっていただけたようである。

福岡さんが今回これほど強くレクチャーをお願いしたのは、松田さんも今年で66歳になり、あと10年もすれば、いやでも手が動かなくなってしまうと思ってのことなのだろう。本当にそうなってしまうと、松田さんのマジックを生で見たことのない人ばかりになってしまう。そのことを想像すると、おしいという思いに駆られたのが一番の理由にちがいない。決して酔っぱらった勢いだけで頼んだというわけではないはずなのだ。

周りの熱意にまけたのか、松田さんも、とうとう観念された。

「穴の中にもぐり込んで、静かに暮らそうと思っているヘビのしっぽを引っ張って、無理やり引きずり出されたような心境だ」と苦笑しておられた。

レクチャーをしていただけると決まったあとは、具体的に何を取りあげるか、会場をどうするか、参加者の数はどのくらいにすればよいのか、といった問題がある。

松田さんのご意向では、参加者の数を30名以内にしたいということ、お知らせするのはIBM大阪のメンバー以外では、福岡さん、三田さん、三輪の知人から、来ていただきたい方に限らせていただくということであった。しかも私に任されたのは4、5名であったため、どなたに連絡してよいものか、これも頭を抱える問題であった。

連絡しなかった知人からは、あとでだいぶ文句を言われたが、宝くじで1億円とはいわないが、100万円のくじにあたるくらいの確率でしか連絡できなかったことを、まずこの場を借りてお詫び申し上げる。

「観客」として参加してくださった方をざっとご紹介すると、プロマジシャンの前田知洋さん、ふじいあきらさん、アマチュアの方では浜松のプー博士(池田先生)、東京からは福井哲也さん、スティングさん、田代茂さん、小谷純司さん、木本秀和さん、金沢からはCULLさん他、いずれも日本のマジック界を代表するような方々が、ご遠方から参加してくださった。松田さんや、福岡さん、三田さん、三輪と何らかのつながりのある方ばかりということもあるが、終始なごやかな雰囲気の中で進められたのは、ひとえに参加者のみなさんが、会を盛り上げてやろうというご好意が結集したものと思っている。このことも参加者の皆様に、あらためて篤くお礼を申し上げる。

レクチャーはカードマジックを中心に、カップアンドボール、コインであり、大半は古典的なトリックを松田さんのセンスで手直しされたものである。内容について詳しく触れると長くなるのでそれはカットさせていただく。

松田さんのレクチャーが終わった後、ティーブレイクをはさんで、松田さんがお持ちくださった初版本や絶版本のオークションとサイン会があり、さらにそのあと、参加者の方数名によるマジックショーもあった。

実際にやっていただいたのは、六人部君がラムゼイの「シリンダーとコイン」をもとにしたムトベヴァージョン、小谷さんは「エッグ・バッグ」、IBM大阪リングの世話役である赤松さんはポーカーチップとダイスを使ったオリジナルトリック、それに前田さんとふじいさんにもたっぷりと見せていただいた。

何もかもが、まさに「夢のクロース・アップ・マジック劇場」に来ているのかと思うようなひとときであった。

小谷製エッグバッグ用たまご小谷純司さんは東京堂出版から出ている季刊誌、『ザ・マジック』にコラムを連載されているので、お名前だけはご存じの方も多いとは思うが、「エッグ・バッグ」いわゆる「袋たまご」の研究家としては知る人ぞ知る方である。古今東西のエッグバッグを研究し、独自のルーティンを考案されている。これは近々出る予定の、松田さんの新しい本にも解説されることになっている。

ルーティンや「袋」の研究だけでなく、エッグバッグ専用の「たまご」がまたすごい! 私もひとつ頂いたが、どこを見ても表面に傷がない。虫眼鏡で見てもわからないくらいよくできている。このたまごの作り方も解説していただけるようである。この本には、僭越ながら私も「エッグ・オン・ファン」、つまり扇子のうえで紙玉が本物のたまごに変化する古典的なマジックを解説する予定になっているため、マニアの家族はしばらくたまご料理ばかり食べさせられることになるかもしれない。

話が逸れたが、レクチャーのあと、会場をすぐそばのホテルに場所を移し、2次会、3次会も開かれた。遠方の方が多いにもかかわらず、大半の方が参加してくださり、そこでも遅くまでマジック談義で盛り上がった。2次会では、遅れてきた宮中君もカードマジックをひとつ見せてくれた。

みなさんのおかげで、松田さんも終始気分良く過ごされていた。3次会の席では、誰かから松田さんに「オイルアンドウォーター」のリクエストがあった。すると松田さんご自身が席を移り、何度か実演してくださっていた。これは普段では考えられないことである。

私は松田さんに教えていただくようになって約25年になるが、今回、あらためていろいろな刺激を受けた。特にこのレクチャーの2週間ほどあと、IBM大阪リングの例会で、松田さんの隣でいくつかの技法を見せていただいた。これに私はことごとく引っかけられた。これは少なからずショックであった。

福岡さんではないが、松田さんの手が動く間に、もう一度、生で見せていただき、教えていただかなければならないと強く感じたしだいである。

話が長くなるが、石田天海さんのカードマジックで、日本のマニアの間でもっともよく知られているのは「フライング・クイーン」であろう。海外では、「テンカイ・パーム」という技法はよく知られており、今でも多くのマジシャンが使っている。ところが「フライング・クイーン」はほとんど知られていない。

松田さんは今から30年以上前、天海さんと実際に会い、「フライング・クイーン」他、数点のカードマジックを見せてもらっておられる。そのときの話を先日うかがった。

松田さんによると、天海さんのマジックを間近で見ると、それまでに経験したことのない異質の驚きがあったそうである。

このことは、以前から何度かうかがっていたのだが、先日やっとその意味がわかった。理解するのに25年もかかってしまうところが、不肖の弟子たる所以とはいえ、われながら何とも情けない。

昔、天海さんがマニア相手に「フライング・クイーン」を演じると、99%のマニアは「テンカイ・パーム」ばかり注目していた。そして、「テンカイパーム」を目の前で見せてもらえたことに喜び、それで満足していた。しかし天海さんのすごさは、テンカイ・パームなどではなく、もっと目立たない部分にこそある。

ところがそのすごさを言葉で説明しようとすると大変難しい。「さりげなさ」がすごい、と言っても、わからない人には何のことかわからないかも知れない。ある動作を言葉で説明しようとしても、なぜそのようなことをするのか、読者は理解できない。無理に難しくしているとしか思えない部分がある。そのため、あるレベル以上のマニアであれば、その部分を自分なりに「改案」したり、代替案をもってきて、やさしく演じられるように代えてしまったりしている。私もそうであったため、このことはよくわかる。そしてなぜそうなってしまうのかも今ならわかる。

これに気がつくのは、"Be natural."「自然であれ」というのが、どういうことなのか、本当にわかっている人だけなのだろう。天海さんのすごさを本当にわかったのは、松田さんやごく一部の慧眼の士に限られていたにちがいない。天海さんがアメリカにいるとき、ダイ・ヴァーノンと仲がよかったそうだが、この二人なら通じ合うものがあり、親交を深めていたの十分うなづける。

先日私が松田さんに見せていただいて最も驚いたのは、複数枚(2枚から4枚くらい)のカードを、あたかも1枚であるかのようにテーブルに置く技術である。普通は2枚以上のカードを重ねたまま置くと、ずれてしまう。ところが松田さんは3枚でも4枚でも、まるで一枚のように扱いながら、複数枚数のカードをテーブルの上に置いてしまう。これがすごい。

2枚のトランプを1枚のように置く動作としてよく知られているのは、『ラリー・ジェニングスのカードマジック入門』(加藤英夫著、テンヨー)に解説されている「ダブルカードプットダウン」である。これはダイ・ヴァーノンの技法だそうだが、確かに2枚のカードをずれないように、1枚のようにテーブルの上に置く技法としてはすぐれている。先の本が初めて出たのは1972年のことだからすでに30年が過ぎ、マニアの間ではすっかりお馴染みの技法となっている。

しかし、この技法の欠点は、1枚のカードを置くのであれば、普通はこのような置き方をしないことである。ご存じない方のために簡単に説明すると、一組のカードを右手に持つとき、「エンド・グリップ」または「ビドル・ポジション」と呼ばれる持ち方をする。2枚のカードでもこの持ち方をして、テーブルの上に置くと、ずれることなく置くことができる。しかし、実際に左手に何枚かのカードを持ち、それを配りながら1枚ずつテーブルの上に置いていく動作を想像してほしい。左手のディーリングポジションから右手で1枚ずつカードをつかみ、それをテーブルの上に配っていく。このとき右手が「エンド・グリップ」になることはない。2枚、または3枚のカードを重ねたまま、カードを配るときと同じ持ち方で、かつ同じリズムで配るのは大変難しい。

一度実験してほしいのだが、左手に4枚のカードを裏向きで持って、それを1枚ずつTフォーメイションに配るという動作をやっていただきたい。つまり3枚を横一列に配り、最後の1枚を中央手前に配るとTの字のような形になる。これを無意識に、2、3回やっていただきたい。やってみるとわかるが、最後の一枚を配るときも、最初の3枚と同じ持ち方で持ったはずである。決して最後の一枚だけをエンド・グリップで持つというようなことはしなかったはずなのだ。

今の場合、4枚のカードを普通に配っただけなのだが、もし左手に5枚ないし6枚のカードを持っているとき、今と同じようにTの字に配ると、最後は2枚、または3枚のカードを持ったまま1枚のように配る必要がある。これをディーリングポジションからカードを配るのと同じようにして配れたら、大変自然に見える。しかしこれは難しい。

松田さんの一連のカードマジックの本(『松田道弘のカードマジック』『松田道弘のクロースアップ・カードマジック』『松田道弘のマニアック・カードマジック』『現代カードマジック・アイディア』 いずれも東京堂出版)には、このような技法がいくつか解説されている。これを本で読むと、「こんなことはできない」と思うか、「別の技法でやっても同じ」と思い、変えてしまうことが多い。これは読者の責任でも、松田さんの責任でもなく、文字というメディアを通して学ぶとき、避けられない障害のひとつである。その障害のために、イマジネーションが発達するというよい面もあるのだが、それはひとまず置くとして、やはりこれはまずい。伝えられるものなら、正しく伝えたい。松田さんは本当に3枚のカードをまるで1枚のように重ねたまま扱っておられる。

天海さんのマジックはフロタさんのご尽力でかなりの部分残っているが、最も重要な部分、それは「さりげなさ」なのだが、これを文字で伝えることは不可能かもしれない。詳しく書けば書くほど、読む側はわけがわからないという何ともやっかいなことになってしまう。

松田さんのオリジナル技法に関しては、松田さんご自身よりうまいと思えるマジシャンを私は知らない。これは今まで、トリックの原理的な部分は読まれていても、技法に関しては、あまり注目されなかったからだと思うのだが、もしあなたが先の本を持っているのであれば、原理よりも動作が解説されている部分をしっかり読むことをお薦めする。私も2002年は、本気で松田さんのカードマジックを一から勉強しなおそうと思っている。

それと、これは私の「予言」であるが、東京堂出版から出ている先のシリーズは、筑摩書房から出ていた「遊びの冒険シリーズ」が大変入手困難になったように、これも近々そうなる可能性が大である。もしあなたがカードマジックが好きで、勉強したいと思っているのであれば、全巻揃えておくことをお薦めする。でないと、また古本屋通いか、復刊ドットコムにリクエストしなければならないだろう。

日記の中で、このような技法の解説などするつもりはなかったのだが、私のように松田さんに長年親しくしていただいている者でさえ、やっと気がついたのだから、松田さんのマジックを生で見たことのない方にとってはわからなくても仕方がないとは思うものの、だれも気がつかないまま通り過ぎてしまっては、あまりにももったいない。一人でも多くの方があの本を研究していただけることを願っている。

余談になるが、先日テレビで落語家の桂米朝師匠と立川談志師匠の対談があった。

その中で談志さんは、米朝さんが作った新作落語や、古くからある噺を手直ししたもののできばえに感心していた。米朝さんが作ったものは、誰が演じてもそこそこ聞ける噺になっているそうである。つまり完成度が高いということになる。しかし志ん生の落語は、文字として読んでもおもしろさは伝わらない。生で聞いてこそあのおかしさが伝わってくる。

ダイ・ヴァーノンのマジックは、修正しようがないくらいよくできている。そのおかげで、しっかり練習すれば、誰が演じてもそれなりのマジックになる。しかし天海さんのマジックや松田さんのマジックはそうはいかない部分がある。名人芸は継承できない。ビデオでも、技法の部分だけは残せても全体の雰囲気などを伝えるのは難しい。

「松田道弘氏プライベート・レクチャー」
日時: 2001年12月9日(日曜日) 開場 13:00
会場: 大阪梅田・阪急ターミナルビル 17階
レクチャー開始: 13:30〜16:00 (約2間半)
会費: 5,000円

追加更新(2002/1/24): 昨晩、三田皓司さんから早速メールをいただいた。松田さんの技法では、先の複数枚数のカードを一枚のように配る技法以外に、「カル」や「スプレッド」も重要であるとのことであった。とくに「スプレッド」は、5枚のカードを持っているとき、3枚、あるいは4枚のカードであるかのように広げる技法である。これは大変地味な技法であるが、天海さんの「フライング・クイーン」のときも、このような部分をさりげなく、かつ自然に行っておられたから、「本当の魔法」になっているのだ。先日松田さん流の「フライング・クイーン」を見せていただいたとき、大変不思議に見えるのは、このような部分がよく考えられているからである。

ただ一言お断りをしておくと、これは松田さんの本の校正を長年手伝っておられる三田さんだから言えることではあるのだが、松田さん自身がなさっている技法と、本に解説してあるものは、多少異なっているそうである。松田さんご自身のやり方を文章で説明しようとすると、見た目の自然さとは裏腹に、読者はわけがわからなくなってしまう。そのため、多少、やさしくできる方法が解説されている。これは実際に生で見せていただくか、この部分だけでも映像として残しておく必要があると、私も痛切に思っている。

某月某日

NTT DoCoMo Kansai Presents
X' mas Special Event

クリスマスイブの前日、午後3時から大阪ドームで引田天功プロデュースのマジックショーと歌手郷ひろみのコンサートをジョイントさせたイベントがあった。

これはドコモ関西のiモード契約が500万件を突破したのを記念して、インターネットやi-modeで申し込み、抽選に当たると1万組2万名が無料で参加できるというものであった。1万組も当たるのだから、出せば必ず行けるのだろうと思っていた。しかし予想外に多くの申し込みがあったようで、私や友人が申し込んだ分ははずれてしまった。あきらめていたら、当選した知人が仕事で行けなくなったため、チケットをゆずってくれた。明石のMさん、ありがとう。

デビッド・カッパーフィールドやランス・バートンも、東京国際フォーラムのような6千人くらい入る会場でマジックをやっているが、さすがに2万人も入る場所でマジックを見るのははじめての経験である。松田さんのレクチャーはクロースアップマジックということもあり30名に限定したが、同じマジックでありながら、目の前30センチの至近距離でも、数十メートル離れていても出し物によっては実演可能なのだから、なんてわかりやすい芸なのだろうと、あらためて感心してしまった。

とは言え野球場で見るのだから、数十メートル先からでは何をやっているのかわからないものもあるにちがいない。大きなスクリーンが用意されていることは予測できたが、念のため、双眼鏡を持っていくことにした。昔、祖父からもらったのがあったはずなのだ。母方の祖父が亡くなったとき、私はまだ小学生であったが、その頃もらったものがある。祖父はこれを戦場に持って行き、実際に戦地で使っていたという代物だから、革のケースはところどころすり切れている。しかし本体は今でも十分使えるくらいしっかりしている。阪神大震災のとき、窓から近所の状況を見るのに使ったのは覚えているが、それ以来だから6、7年ぶりくらいかも知れない。

戦場と言ったが、第二次世界大戦、つまり太平洋戦争のとき祖父はすでに高齢で、招集は免れたそうだから、その前の戦争ということになる。日露戦争は古すぎるので満州事変(1931年)あたりかも知れない。いずれにしても戦場で使われた双眼鏡が70年後、のんきにマジックや郷ひろみのコンサート見物に使われるようになるとは祖父も夢にも思っていなかったにちがいない。

これを持っていくつもりで探しているのに、どこへ行ったのか見つからない。どこかにあるはずなのだが、見あたらなくなっている。そのかわり、別の双眼鏡が二つ出てきた。これはどうやら父が使っていたようで、ひとつはニコン製の比較的大きなもの、もうひとつは小型のもので、観劇などにちょうどよい大きさのものであった。この小さいほうを持っていくことにした。

会場の大阪ドームは近鉄バッファローズが使用している球場である。JR環状線の大正駅から徒歩で7分程度のところにある。駅から会場までの間、このイベントに行く参加者を観察していると、年齢層に随分幅がある。小学生くらいの子供から60代くらいまで、各年代が満遍なくそろっている。男女の比率は女性が8割くらいかもしれない。

大阪ドームに着き、入り口でドコモ関西のロゴが入った袋をもらう。中味は大半が次世代携帯電話FOMAの宣伝である。携帯でテレビ電話や、動く画像が自由に見られるようになるらしい。テレビのニュースや、映画まで見られる。これまでなら、電話だけはどんな格好でも出られたが、これから電話が鳴ると同時に、髪の毛をなでつけるくらいのことをしなくてはならないのだろうか。化粧をする前に掛かってくると、受話器を取れない女性も出てくるかもしれない。風呂からの電話もしにくくなるな。


予定どおり、午後3時10分からマジックショーが始まった。引田天功だけが出るのかと思っていたら、随分多くのゲストマジシャンやジャグラーが紹介されたため、驚いた。これほど本格的なマジックショーになっているとは予想外であった。

ドコモは儲かっているのだろうが、これだけのマジックショーと、この後にある郷ひろみのコンサートを無料で2万人に見せるのだからえらいもんだ。

引田天功と郷ひろみの組み合わせは唐突なような感じがするが、何年か前、郷ひろみが出演したミュージカルの中で、イリュージョンの場面があり、それを天功が指導した縁があるため、今回、このような企画ができたのかも知れない。


出場メンバーの紹介があったが、名前などはよく聞きとれないところもあったため、正確ではないが、覚えている範囲でざっと紹介しよう。

★オープニングは引田天功が空の箱から出現した。


★ブラジル出身のジェイムズさんが、自転車を使った芸を見せる。火の輪をくぐったり、30センチくらいしかない世界一小さい自転車に乗って、走ってみせる。

★エド・アロンゾさん。イタリア出身のコメディマジシャン。イクスピアリにあるレストラン「ウイザーズ」にも出演していた。

最初、身長50センチくらいで、映画「スターウォーズ」に出てくるヨーダのような顔をした小さい人が背中に大きな箱を背負って出てくる。その箱をおろすと、中からエド・アロンゾ氏が現れる。

このあと、ヒンズーバスケットのコメディ版を見せる。最後は意外なオチがあった。

ナイフ投げのコメディ。観客の一人にステージに上がってもらい、目隠しをしてから板の前に立ってもらう。体の周りに風船を置き、ナイフを投げて風船を割る。大変よくできたコメディ。前に出た人は恐いかも知れないが、見ている観客は大笑いする構成になっている。

★名前はよく聞きとれなかった。中国の男女ペアのマジシャン。

前半は、直径が15センチくらいある大きな穴あきコインとスカーフを使った貫通現象や、火の棒が傘に変化するマジックを見せる。

後半、かぶっている仮面と服が、布で前をカバーするだけで一瞬に変化する芸を見せる。これが数度繰り返される。仮面だけが変わるものはよく見かけるが、同時に服まで変化するのははじめて見た。これはすばらしい。彼らがこれを日本で演じるのは今回がはじめてだそうである。

★ゴールドフィンガー&ドーブ(アメリカ)

 頭にターバンを巻いた黒人のマジシャン。近年、日本のコンベンションにも何度かゲスト出演している。(レストラン「ウィザーズ」にも出演していたかも知れない)

1本の棒の先で、女性が寝る「邯鄲夢枕」。
新聞紙を破って復活させるもの。助手の女性に首枷をつけ、剣を首の後ろから突き刺すと、剣が喉のところから飛び出してくる。
大きなトランプを3枚使ったカードモンテ。
体をロープで固定するが、男女が入れ替わる交換現象。

やっているマジック自体はどれもたいしたことはないのに、音楽とリズムに乗った演出で、楽しめる。

★マイケル・グドー

ランス・バートンの東京公演にも出演していたジャグラー。
大きなビニール袋を使ったジャグリングから始まり、ナイフ3本でのジャグリング。そのあと3個のリンゴを使い、リンゴをかじりながら、段々小さくしていく。実際にみると大変おかしい。最後は動いている電動ノコギリ、ボーリングのボール、火のついた棒という危険なものを三つ同時に使ったジャグリング。普段ラスベガスに出演しているだけあり、見せるつぼを心得ている。扱うものはどれも3個までなのに、素材や演出で楽しませてくれる。数を5個、7個と増やして難易度を上げても、観客に伝わらない。難易度とウケる度合いは必ずしも比例しないところが、マジックと似ている。

★ナポレオンズ

数字を使ったマジック。

ある数字をひとつ心の中で決めてもらい、その数字に暗算である操作をしてもらうと、会場のほぼ全員が同じ結末になる。最初思った数字は各人でバラバラなのに、同じ結末になるのが不思議……らしい。私のように、数字ではなく「X」とおいてやっていたら、そうなるのは当たり前で、全然不思議ではなかったのだが、まあそんなことをするのは私くらいのものかも知れない。

このあと、彼らがよくやっている「腕立て伏せ」を使ったお馴染みの「人体浮揚」。

★この次に現れたのが、仰天!! マスクマジシャンであった。

まさかこんなところで、こいつに会えるとは思わなかった。テレビで種を暴露することで世界中のマジシャンから顰蹙をかっているオヤジが、ライブでどんなものを見せてくれるのか興味があっただけに、それをタダで見られるのはありがたい。

やったのは3つ。このうちのひとつだけを種明かししていた。そしてそれを「進化」させたものを種明かしせずに見せたのだが、それ自体30年以上前からある。いったいどこが進化なんだ?おまけにそれだって、このオヤジが考案したものではない。

おもしろかったのは、どの演技に対しても観客から全然拍手が起きないことである。唯一拍手があったのは、3つ目の演技が終わったときだけである。

「観客を2度喜ばせてはならない。始まったときと終わったとき」という言葉がある。まさに、それを地でいくような演技であった。

今回のイベントはマジックを好きな人ばかりが集まっているわけではないので、一般の人の反応がよくわかる。とにかく、全然うけない。それまでの出演者は、観客から「すごーい!」という歓声や拍手が何度もあがっていた。ところがマスクマジシャンの演技中、客席にはシラーっとした空気が流れていた。

テレビの場合、効果音を入れたり、司会者やゲストの出場者が大げさに驚いて見せたりすることで、それなりに盛り上げているが、生の観客の前でやれば、相変わらず救いようもない三流のマジシャンに過ぎないことがよくわかる。心底くだらない芸人であることがわかっただけでも収穫である。ステージに出てきたときから華がない。おまけに暗くて薄汚い。とても金を出して見るようなステージではない。これではタネを暴露して稼ぐことしかできないだろう。「啓蒙」だの「進化」だのが聞いて呆れる。

暮れにはまた日本のテレビ局に出ていたようだが、この数ヶ月前から日本の番組に出ているのは実際には偽物のマスクマジシャンである。以前と比べると明らかに体型が変わっているのでおかしいとは思っていた、スケジュールを調べてみると、海外にいるはずなのに日本でやっている。まあ、あの芸なら、マスクさえかぶれば誰でも代役が可能であるから、その程度は簡単なことだろう。影武者を作るには、あのマスクは重宝かも知れない。

このあと、最後に引田天功がもう一度現れ、2、3、イリュージョンを見せてショーは終わった。

マスクマジシャンを除いては、どれもそれなりに楽しめるショーであった。省いたが、マジックやジャグリング以外にも、ダンスなども間にはさまれていた。

このあと、第二部の郷ひろみのショーまで30分ほど休憩。

休憩中、しばらくすると会場内のあちこちで、黄、緑、赤などの棒が光りはじめた。会場入り口でもらった袋の中には、コンサートなどでお馴染みの光る棒が入っていた。しかし、どうすれば光るのか、これがよくわからない。普通のコンサート会場であれば知らない人などいないと思うのだが、今回のイベントは抽選で当たった人ばかりなので、このような棒を扱うのは初めてという人がかなりいるらしい。

一緒に行った同伴者も、棒を振ってみたり、先についているクリップを回してみたりしているが、全然光る気配がない。となりに座っている親子連れらしいカップルも私たちと同じようなことをやっていたから知らないようだ。たぶん中央で折れば光るのだと思うが、もしヘタに折って、液体が漏れだしても困るので、あたりを見渡し、すでに光らせている人にたずねて教えてもらう。やはり中央を少しだけ曲げると、二重になっている内側の管が割れて、二つの液が混ざり、光るようになっていた。

暗い会場のなかで、2万人が曲に合わせてこの棒を振ると、ステージと客席に一体感が生まれ、随分盛り上がるだろう。

ほどなく郷ひろみがステージに現れた。今年の紅白を最後に、30年の歌手生活を休止して、アメリカでビジネスに励むらしい。現在46歳だそうから、デビューしたのは16歳だったのか。「男の子女の子」でデビューした頃は私もよく覚えている。芸能界で30年歌い続けて、私のように音楽に詳しくない人間でも、郷ひろみの曲は10曲くらい知っているのだから、それを思えばたいしたものだ。

歌った順にメモしておいた。

1.「マイ・レディ」
2.「お嫁サンバ」
3.「よろしく哀愁」
4.「遭いたくてしかたない」
5.「男の子女の子」
6.「花とみつばち」
7.「あなたがいたから僕がいた」
8.「哀愁のカサブランカ」
9.「この世界のどこかに」
10.「2億4千万の瞳 〜エキゾチック・ジャパン〜」
11.「なかったコトにして」
12.「GOLDFINGER '99」
アンコール 「言えないよ」

私はここ十数年の間に出てきた歌手の歌なんて全然知らないのに、郷ひろみのは大抵歌えてしまう。何でだろう。

某月某日

毎年神戸では12月の中旬からクリスマスまでの2週間、光りの祭典ルミナリエが開催される。

最後の数日は大変な混雑になる。また初日も混雑する。これまでの経験では二日目か三日目くらいの平日がねらい目である。時間帯も、遠方からの人は点灯の6時ごろから8時頃までに来るため、もう少し時間を遅らせた方が空いている。特に今年は二日目の夕方に雨が降ったため、午後9時過ぎに会場に着くとガラガラで拍子抜けするほどであった。これだけ空いているのは開催期間中全体をとおしても他にはないだろう。

ルミナリエ2001

JRの元町駅から、ルミナリエのスタート地点である大丸百貨店までは普通に歩けば5分もかからない距離である。しかしこれが混雑しているときは1時間ほどかけないと到着しない。この日は平日と変わらない時間でたどり着けた。混んでいるときは人の流れにそって、動くしかないが、この日は道路を自由に動けるため、大丸の西側にある中華街に寄ってから行くことにした。ほかほかの水餃子で体を温めてからコースにもどる。

ルミナリエのコースに入ってからも、警備にあたっている警察官やガードマンのほうが多いのではないかと思うほどである。写真を撮るにしても、混雑しているときは少しでも立ち止まれば、ガードマンから「立ち止まらないでください」と言われるが、この日はルミナリエのイルミネーションをバックに、自由に記念写真が撮れるほど好き勝手に動き回れた。

昨年の電飾は赤が目立っていたが、今年は黄色とブルーが多く、全体に落ち着いた雰囲気になっており、好評であったようだ。

開催期間 : 2001年12月12日(水) 〜 12月25日(火)
点灯時間 : 午後6:00頃 〜 午後10:30

某月某日

12月24日、世間はクリスマスイブ。友人から、女性プロマジシャンの和田奈月さんが大阪駅前の阪急百貨店でマジックのイベントを行うという連絡をもらう。年末の買い物もあるので、寄ってみることにした。

阪急百貨店と阪急グランドビルの間にある通路は、ステンドグラスの装飾があり、ヨーロッパのどこかの街角にいるような雰囲気になっている。そこにルミナリエを簡略にしたようなイルミネーションができていた。最近、このようなイルミネーションが日本各地にできている。どうやら全国的な流行りなのかも知れない。通路の一角には特設ステージができていて、「驚きのショータイム クリスマスイリュージョン」と書いてある案内板があった。場所はここでまちがいないようだ。

予定時刻の15分ほど前から最前列で立ったまま待っていると、係員がステージの掃除を始めた。それはよいのだが、ほうきで掃くとき、観客のほうに向かってほこりを飛ばすのには呆れてしまった。怒鳴りつけてやろうかと思ったが、バイトの子のようでもあるし、ぎりぎりこちらまでほこりが飛んでくるかどうかといった距離であったため、見過ごすことにした。しかし責任者らしい人もそばにいたのに、気がつかないのか、それとも客のほうに向かってほこりを飛ばすことを失礼とは思っていないのか知らないが、あれはまずい。

ほどなく予定時刻になり、マスクをかぶった女性が数名ステージに現れた。マスクマジシャンの女性版かと思ったが、ベネチアのカーニバルでかぶるマスクと衣装であったため、種明かしはしないのだろう。とにかくマスクマジシャンとは関係がないようだ。それと男性が一人。この人だけはマスクをかぶっていない。名前は失念したが、関西のイベントではよく見かけるジャグラーの方である。

ベネチアンの衣装を着た和田奈月さん

女性はみんなマスクをかぶっているため、誰が誰だかわからない。たぶん、金のマスクをかぶり、実際にマジックをやっているのが和田奈月さんのようである。

マジックはシルクや花を使うものから「鳩出し」「ゾンビボール」「人体浮揚」と狭い場所の割に、いろいろなものを見せてくれた。マジックもそれなりに楽しいのだが、衣装や全体の雰囲気が人目を引くため、通りを歩いている人も興味をもって集まって来る。マジックだけを見せるよりも、イベント会場などで人を集めたり、待っている人へのサービスとしてマジックを使うのであれば、このような演出も効果的だと思う。

この後、買い物をしていたら外はもう薄暗くなりかけていた。世間はクリスマスで浮かれているのに、私は5時から10時まで仕事が待っている。ゆっくり夕食を食べている時間もないため、となりの阪神百貨店地下にある立ち食いのコーナーで、たこ焼き8個と阪神名物イカ焼き2枚を食べる。

クリスマスイブの夜にしては何とも寂しいディナーになってしまった。イカ焼きだけは奮発してデラックス版(デラバン)にしておいた。(イカ焼き スタンダード120円、デラバン(玉子入り 170円))

「驚きのショータイム クリスマスイリュージョン」
日時:2001年12月24日(月・振休) 12時30分・午後2時30分
場所:1階コンコースグランドドーム
料金:無料

某月某日

12月28日、映画が誕生した日を記念して、大阪のプラネットスタジオで「映画の106年」と題した映画会があった。

106年前のこの日、つまり1895年12月28日、パリのグラン・ブールヴァール、キャピシ−ヌ通り14番地のグラン・カフェ地下、「サロン・インディアン」においてリュミエール兄弟の「シネマトグラフ」が興行として上映された。

今回、会場ではリュミエール兄弟が世界で初めて上映した作品他、計18本と、ジョルジュ・メリエス(1861-1938年)の作品も4本見ることができた。私の関心はリュミエール兄弟よりも、メリエスにあった。上映されたメリエスのものは以下の4本である。

『月世界旅行』(1902年 15分)
『ジュピターの雷鳴』(1903年 3分)
『人魚』(1904年 3分)
『マジック・ランタン』(1903年 3分)

1902年制作の『月世界旅行』はメリエスの作品としては最もよく知られているが、リュミエール兄弟がシネマトグラフを始めた翌年、1896年にはもうメリエスも作り始めている。

メリエスは当時、マジシャンとして自分でもマジックをやっていたが、ロベール・ウーダン劇場を買い取り、そこでマジックのショーを企画し、見せていた。映画を作り始めてからはこの劇場もマジックより、映画の上映が中心になっていた。

リュミエール兄弟の映画は、日常のある場面を映したようなものばかりであったが、メリエスはそのようなものではなく、映像の中にマジックの基本的な現象、「消失」や「出現」を表現できればもっと観客を驚かせることができると思い、関心はもっぱらそちら方面に集中していた。

魔術師メリエス

『魔術師メリエス』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著 古賀 太訳 フィルムアート社 1994年 3,500円 ISBN4-8459-9428-3)の序文を書いているルネ・クレールの言葉を引用するなら、

「ほかの人間が現実を写しだすための機械と考えていたものを、彼は非現実や幻想を作りだすものとしてとらえたのです」

ということになる。

ちょうどこの頃、ドコルタによって「消える貴婦人」というステージマジックが考案された。

舞台の上にイスを置き、そこに女性を座らせる。頭からすっぽりと布をかぶせるが、布の下には女性がいることは観客からもシルエットではっきりとわかる。ドコルタが布を素早く取り去ると、女性は消えてしまっている。

メリエスがシネマトグラフのなかで非現実的な映像を表現したいと思ったのは、このマジックがきっかけである。メリエスはカメラトリックとして、同じ現象を実現することを思いついた。今から思えばカメラトリックとしてはきわめて幼稚なものであるが、まだそのようなことを誰も思いついていなかったときにやったことに、メリエスの類い希な好奇心と、才能を感じる。

このあともカメラトリックを使った映像を数多く作り出している。世界で初めての2重映しによるトリックも実現させた。これで現実にはありえない現象を作り出すことが容易になった。

今回上映された『マジック・ランタン』のなかでは、マジックの世界で「がっくり箱」と呼ばれる「箱ネタ」を映像として再現している。原案のマジックは空の箱からつぎつぎと品物を取り出すプロダクション現象である。何もないところから物を取り出すのは、観客に夢を与えるのか、昔から好んで演じられているマジックの一つであり、日本でも江戸時代から「取り寄せ箱」として知られている。

「マジック・ランタン」では、板を数枚持ってきて大きな箱を作る。実際にはこれがマジック・ランタン、つまり巨大な「幻灯機」である。この箱の中から女性が数名現れる。一度箱の中を見せて空であることを確認したあと、また数名出現する。実際のマジックでは、ネタ場の関係で出現させられる人の数は2、3人が限度なのだが、カメラトリックを使えば何人でも、無尽蔵に出現させられる。

シネマトグラフから少し離れるが、1900年前後のパリは世紀末の高揚した気分のところに万博があり、街全体が前代未聞の浮かれ方をしていた。この頃ナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」もオープンした。カンカンの挑発的な踊り、高級娼婦、酒。金のある男にとっては、つかの間ではあっても、桃源郷のような世界ができていた。画家のロートレックはムーラン・ルージュの踊り子を描き、恋に落ち、入り浸っていたが、ジョルジュ・メリエスもパリにいるときは夜ごとムーランに通っていたようである。

MOULIN ROUGE

今月はニコール・キッドマンがムーラン・ルージュのスター、サティーン役を演じる映画『ムーラン・ルージュ』が公開されている。どうも私はこの「ムーラン・ルージュ」という言葉を聞くと血が騒ぐ。それは私自身が100年前、このムーラン・ルージュに通っていたからではない。100年にはならないが、私が昔よく通った道路沿いに、ラブホテル「ムーラン・ルージュ」があった。

このホテルの屋根にも「赤い風車」が廻っていた。今でも「赤い風車」を見ると、条件反射のように、昔の記憶がよみがえってくる。 

といっても、私がロートレックやメリエスのように、ラブホテル「ムーラン・ルージュ」に通い詰めていたからというわけではない。いつも前を素通りしていただけなのだが、それでもこの言葉には胸をときめかせる響きがある。

こう言えばいかにもロマンチックなのだが、端的に言えば、昔を思い出し、条件反射として「発情」しそうになっているだけかもしれない。(私はパブロフの犬か……)

閑話休題

ジョルジュ・メリエスは、マジックの世界でさえ今ではすっかり忘れ去られた人となっている。しかしマジックをやっているのであれば、ぜひ記憶に留めておいてほしい人物である。

晩年はモンパルナス駅の売店で細々と玩具を売り、貧困の中で亡くなった。そのため、彼の生涯を概観すると、いかにも悲惨な人生であったかのように思えるが、私はそうは思わない。若い頃、壮年期、晩年とやってきたことは違っていても、人を驚かせ、喜ばせることだけがメリエスの関心事であった。それをまっとうしただけであり、極めて幸福な人生であったと思っている。

以前からジュルジュ・メリエスについては詳しく紹介したいと思っているのだが、日記で書くには長くなりすぎるため、いずれあらためて取りあげてみたいと思っている。

某月某日

Love & Peace12月31日の夜、神戸のメリケンパーク・オリエンタルホテルで、日野皓正さんのライブと前田知洋さんのマジックを楽しみながら、新年をカウントダウンで迎えるという、わくわくするようなイベントがあった。

今年は前日の30日まで仕事でバタバタしていたこともあり、気がついたらもう大晦日になっていた。最後まで残っていた私の部屋の大掃除は途中で切り上げ、7時頃家を出て、ホテルに向かう。

メリケンパークオリエンタルホテルは神戸港の端にあり、夜になると建物全体がブルーに輝き、とても美しい。ホテルの中にいると見えないのが残念なのだが、対岸から見ると、海の上に巨大なサファイアが浮かんでいるかのようだ。

受付が8時から始まり、8時半からディナーと同時進行で、前田さんが各テーブルを廻り、クロースアップマジックを見せていただけることになっていた。

前田さんには12月9日にあった松田さんのレクチャーのとき、数年ぶりに見せていただいたばかりなのに、間近で見せていただける機会が続けて持てるなんてありがたい。レクチャーのときはマニア、それも「超」が30個くらい付くマニアばかりの会であったため、それようのマジックを見せてくださったが、今回は一般客が相手である。それも9割の人は、前田さんのことを知らないと思う。そのような席で、前田さんがどのような雰囲気で、どのようなマジックを見せてくださるのかを知ることは、私にとっても大変勉強になる。

楽しみにしながらテーブルに着いていると、早速前田さんが私の座っているテーブルを見つけて、本番前にひとつ見せてくださった。小さく折りたたんだ空の紙袋から、2リットル入りの大きなペットボトルが出現する例のマジックである。これは私もオンラインマジック教室で解説しているのに、前田さんに見せていただくと、むちゃくちゃ不思議で、違う原理なのかしらと思ってしまうくらい、驚く。前田さんはこのマジックをジャケットなしでも平気で演じておられるので、ますます不思議である。

食事は8時半から10時まであり、その間、前田さんは8人掛けの丸いテーブルが25ある会場を順にまわって、各テーブルで約3分半、マジックを見せてくださっていた。昔うかがったときも、ひとつのテーブルではたいてい3分から4分程度とおっしゃっていたが、まさにそのとおりであった。食事の時間が10時までで、そのあと日野皓正さんのライブが10時半から始まるため、時間を厳守しなければならない。もしまだ見せていないテーブルがあるのに、時間切れでアウトとなれば問題である。

テーブルを廻る順番は、食事が一段落したところや、配膳の都合ですき間のあいたところを見つけて、廻っておられた。どのテーブルに行ったのか、メモでも取っておられるのかと思い、うかがってみた。するとメモではなく、記憶しているのだと言われ、これも驚いてしまった。座席場号を記憶するのではなく、顔を覚えているのだそうである。このテーブルの人は、まだ見せていないと思うところを見つけて廻るそうである。それにしてもすごい。

前田さんは昔、横浜にある座席数東洋一という大きなレストランで、数年間テーブルホッピングのお仕事をなさっていた。そのことを思えば25くらいのテーブルであれば、どうってこともないのかも知れないが、私など絶対無理である。同じテーブルで3回くらい見せても、気がつかないだろう。

実際に見せていただいたものをすべて紹介するのは、差しさわりがあるかもしれないのでカットさせていただく。

全部のテーブルを廻られたあと、日野さんのライブが始まるまで、まだ少し時間があったので、「リング・フライト」をこっそり教えていただいた。観客から借りた指輪が、キーホルダーから出てくる例のマジックである。このマジックで一番難しいのは、あの部分……、このマジックをやっている人であればわかると思うのだが、種の性質上、詳しくは書けない。

強引にやってしまってもなんとかなるが、きちんとミスディレクションを使い、指輪を借りた方の視線がマジシャンの顔の方に向くよう計算されていた。このとき、観客にする質問が大変よくできているのに、あらためて驚いた。もしどこかで、前田さんのリングフライトを生で見る機会があれば、ぜひこの部分をしっかり勉強させていただくことをお薦めする。

ミスディレクションの原理そのものは、『ターベルコース』にも載っていると仰っていた。そんなのあった?! もう一度、私も読みなおしてみようと思っている。

午後10時半になり、日野さんのライブ演奏が始まった。当初、ピアノ、ベース、ドラムの予定であったのだが、アルトサックスの多田誠司氏も神戸にいたため、飛び入りで参加してくださった。

Pf:石井彰/ Bass:金澤英明 / Dr:井上功一 / As:多田誠司

ニューヨークではニュー・イヤーズ・イブには、たいていのライブハウスでカウントダウンのイベントをやっている。年が明けてしまえば、日本のお正月のような風習はないが、カウントダウンで新年を迎えるのは好きなようだ。

神戸は日本におけるジャズ発祥の地でもあるため、ぴったりである。ジャズはリラックスできて、それでいてお洒落で理屈抜きにかっこいい。神戸はこのような雰囲気がよく似合う。

ただ今回はライブハウスなどでの演奏ではないため、日野さんも客の好みが今ひとつわからないようであった。1曲目だけは事前にメンバーとうち合わせをしてあるが、2曲目からは日野さんが観客の雰囲気を読みとり、適宜曲を決めてゆくそうである。マジックでもテーブルホッパーのような仕事をしている人は、最初のひとつは決めていても、二つ目からは観客の反応で、どのようなマジックを見せるか、そのつど変えることも少なくない。プロとしてやってゆくためには、瞬時にその場の空気を読むくらいの能力がないと無理なのだろう。今回は正月をホテルで過ごすため宿泊している人が偶然来ていることもあり、いつものジャズファンが集まっている場所とは勝手が違ったのかも知れない。

途中、日野さんのタップダンスもあった。今年で60歳を迎えるはずなのだが、タップダンス用の靴のかかとが飛んでしまうくらい、激しいものであった。私なら1分で息が上がってしまいそうなタップであった。

カウントダウンは12時10秒前から数え始め、参加者全員、シャンパンで乾杯をした。予定では12時ちょうどに神戸港にいる船が一斉に汽笛を鳴らすはずなのだが、どういうわけか、今回は聞こえて来なかった。最近は船が汽笛を鳴らすのはやっていないのだろうか。カウントダウンの時計が間違っていたとも思えないのに、謎である。

新年を迎え、「一月一日」の歌、「年の始めの ためしとて〜」で始まるあの曲であるが、これをジャズのアレンジで聞くのもおつなものであった。

2002 New Year's Eve! Special Live!
日時:2001年12月31日 20:30-00:30
会場:神戸メリケンパークオリエンタルホテル 4F宴会場 「瑞天」
料金:18,000円


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