魔法都市日記(62)
2002年1月頃
La baiser:Marie LAURENCIN
1月は大学入試センター試験があり、さらにそのあと、2月末には国公立大学の入学試験がひかえている。例年のことで慣れているとはいえ、これが終わるまでは落ち着かない日々が続く。目に見えないストレスもかなりのものがある。マジックをゆっくり楽しむという気分にはなれない。そのせいもあり、今月マジック関係で行ったのはIBM大阪リングの例会だけであった。
日記に書いたもの以外にも、いくつか記録しておきたいこともあるのだが、ゆっくり書いている気分になれないのでやむなくカットした。
上の絵は、マリー・ローランサン展(大丸ミュージアムKOBE:2001年12月31日−2002年1月22日)で購入した「接吻」。
某月某日藤城清治氏の「動く影絵のファンタジー」に行く。
藤城さんの影絵は本などではよく見かけるが、この影絵が動くところを見るのは初めてであった。今回の企画は藤城さんが影絵を作り始めて50年を越え、喜寿を迎えられたのを記念して行われたものである。
影絵が実際に動くという話を聞いたとき、幅1メートルくらいのスクリーンに裏から光をあて、雑誌や童話集で使われた影絵を映し出すのかと思っていた。せいぜい紙芝居のすこし大きいものくらいと考えていたら、実際は映画のスクリーンと変わらないほど巨大なものであったので、まずそのことに驚いた。
藤城さんが影絵を作るとき、カッターの刃を直接指先に持ち、ひとつひとつ紙を切り抜いていく。これはイメージーしたものをそのまま指先に伝えて、思うままに切り出したいためなのだろう。そのため線が大変シャープで繊細である。それに何枚ものカラーフィルターを貼り合わせることで独特の色合いを作り出している。
今回の公演では平面に切った人形だけでなく、立体の物も混ざっていた。それにいろいろな角度から光を当てるため、瞬時にまったく別のものがスクリーンに映し出される。同じものでありながら、光を当てる角度を少し変えるだけで観客からはまったく別のものに見えてしまう。まさに光のマジック、光と影の魔術師である。
客席で見ていると、色鮮やかな影絵が映し出されているが、スクリーンの裏で人形を操ったり、照明を担当したりしている人にとっては、影絵というより「光絵」といったほうが適切な世界が展開されている。
「影絵」という言葉から、ともすれば影を主体に考えてしまうが、影ができるためには光が不可欠である。光のないところには影もできない。今回、最後に見せてもらった「愛・よみがえる地球」は、上演後、スクリーンを取り外し、裏のセットや照明がどのようになっているのか見せてもらえた。影は光を当てる角度により、実物より大きくも小さくもできる。そのため、スクリーンに映っている絵がかなり大きなものでも、実際はずっと小さいものなのだろうと想像していた。
ところが仕掛けを見せていただくと、セットが予想外に大きく、まずそのことに驚いた。エレベーターが上下するビルの影絵に使われている模型など、4メートル以上の高さがある。操作する裏方の人も多く、人が中に入って動く恐竜、数百台の照明などを見ると、これまでもっていた影絵に対するイメージは完全に吹っ飛んでしまった。ここまで大がかりで、壮大なものとは想像もしていなかった。
藤城さんが50年以上前、インドネシアの影絵を見たとき、日本でも動く影絵劇をやってみたいと思ったのがきっかけであったそうだ。それが今では大きく飛躍し、独自の世界を作り上げておられる。
影絵劇は、切り抜いた紙に裏から光を当てそれを見せるのだから、紙芝居のようにいつ見ても同じものが再現できるのかと思っていたが、実際には同じものなど二つと演じることはできないことも今回よくわかった。人が人形を動かしているため、ちょっとした動きや光のあたる角度で表情ががらりと一変する。映画でも芝居でもない、一風変わった視覚芸術として、見るものに不思議な余韻を残す舞台であった。
藤城清治氏の影絵を動く形で、しかもこれほど大がかりな装置や、大勢のスタッフを使って見せていただけることは大変めずらしい。このようなことが可能になったのは、昨年(2001年)北九州市で開催された「北九州博覧会2001」に出展した「愛・よみがえる地球」がジャパンエキスポ大賞を受賞したことも契機になっているのであろう。
今回のイベントでは、受賞作以外にも、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や、アンデルセンの「絵のない絵本」、浜田広介「泣いた赤鬼」、ストリンドベリィ「海に落ちたピアノ」、さらに新宮愛子様のご誕生をお祝いして藤城さんが製作された影絵に美智子皇后作詩による「ねむの木の子守歌」を室内オーケストラの生演奏とソプラノ歌手・北村さおりさんの歌をコラボレーションさせたものもあった。「銀河鉄道の夜」は30年前に製作されたものだそうであるが、藤城さんと賢治の宇宙観には共通する部分が数多くあるため、この作品はご自分でも気に入っておられるようだ。
幕間に藤城さんが舞台に現れて、ご挨拶していただいたが、喜寿を迎えた方とはとても思えないほど若々しい。いまでもボルゾイやサルキーといった大型犬を3頭も連れて、毎日散歩されているようなので、新たな大作を見せていただけるかも知れないと期待している。
日時:2002年1月13日(日) 午後2時半開演
会場:大阪メルパルクホール
料金:S席5000円
藤城清治さんのサイトにジャンプできます。
某月某日
IBM大阪リングの例会で、「ムトベパーム」でおなじみの六人部慶彦氏にコインの基本技法をいくつか実演してもらう。
六人部君とは彼が中学生の頃知り合い、それからの付き合いになるので20年以上になる。これまで何度もみせてもらっているが、技法だけをピックアップして見せてもらったのは随分久しぶりのような気がする。やはりすごい。
マッスルパスなどという妙なものが一部で流行っているが、このような特殊なものに振り回される前に、完璧に演じられたドロップ・ヴァニッシュやフレンチ・ドロップが、どれほど強烈なイリュージョンを作り出すか、ぜひ知ってもらいたい。六人部君と言えば世界的にも知られるようになった「ムトベパーム」が有名である。しかしこれは難しい。誰でも簡単にできるという技法ではない。
ドロップ・ヴァニッシュやフレンチ・ドロップは、コインの入門書にも載っている基本技法である。誰でも練習すれば実演可能である。問題は、これを完璧におこなえる人がほとんどいない点である。見よう見まねで、誰でもとりあえずはできる。しかし、マジシャンが見ても、本当にコインが消えたとしか思えないレベルで、このような基本技法を演じることのできる人は極めて少ない。
ドロップ・ヴァニッシュでよく知られているのは、石田天海さんである。右手の指先に持っているコインが、キラリと光って、回転しながら左手の中に落ちてゆく。そのあと左手を開けると、コインは消えている。
私は天海さんの演技を生で見たことはないのだが、IBM大阪リングの松田道弘さんや三田皓司さんは、30年くらい前に、実際にご覧になっている。このお二人にうかがっても、六人部君のドロップ・ヴァニッシュは完璧だそうである。
「魔法都市案内」の「これからマジックを始めたい方に」の中で、カードマジックの基本技法をいくつか紹介している。カードの持ち方や、配り方といったごく基本的なものであるのだが、それでもこれが予想外に好評である。このあとは、ダブルリフトやパームも紹介する予定である。
コインマジックの基本技法も紹介したいと思いながら、カード以上に、動きや全体の流れが重要なため、分解写真では紹介しにくい。天海さんのドロップ・ヴァニッシュでも、キラリと光りながら落ちていくところを、図や分解写真で細かく解説しても、実際に見たときの雰囲気は伝わらない。そのせいもあり、しばらく放っておいたのだが、ここにきて、インターネットで動画が扱えるようになってきた。ADSLでもかなりのことはできるが、これは比較的短命に終わりそうな気配である。代わって、あと2、3年すれば光ケーブルが普及するはずである。そうなると、インターネットを通じて、映画なども自由に見られるようになるため、動画が扱いやすくなる。
先月の日記でも触れた、松田さんのカードマジックや、今回のコインマジックの基本技法の件なども、動く形で紹介できるようになるだろう。幸い、六人部君も全面協力してくれることになっているので、なるべく早い時期にデジタルの映像として記録しておき、環境が整えば、紹介したいと思っている。
分解写真だけは例会のときに取らせてもらったので、ひとまずこれを近々アップロードする予定にしている。初心者のための基本技法を紹介するつもりであったのだが、実際にはマニアのほうがひっくり返るくらい驚くことは間違いないと思っている。
てのひらにタコを作ってまで、コインを何センチ飛ばせるかといった、くだらないことに挑戦している子供達がいるのを見ると、基本技法の大切さを痛感する昨今である。
とりあえず3月中には、コインの基本技法を紹介したいと思っている。
某月某日
永田萌さんの絵を一度でも見たことのある人ならわかると思うが、色彩が強烈な印象として迫ってくる。以前から、ぜひ原画で見たいと思っていたら、今回うまい具合に兵庫県の明石で、永田萌 色彩のファンタジー展「夢は、なに色?」が開催された。
日時:2002年1月5日(土)−1月27日(日)
会場:明石市立文化博物館
料金:一般800円 大学・高校生500円 中学・小学生300円色は無限にある。最近のコンピューターは、何万色、何千万色も表示できるそうである。しかしどれだけ色を作り出せても、必ずそのすき間にも無数の色が存在している。限りなくある色なのに、なにかを見たとき、その色をどうやって記憶するのか、そのことに関して萌さんは書いておられる。
ただ漠然と記憶しようとしてもまず無理なので、全体の中の一点の色彩を印象づけるようにします。
たとえば夕焼けの空なら、ひとひらのオレンジがかったピンクの雲だけを。
その色が青みがかった灰色の空をバックに、暮れなずむ街のビルが黒いシルエットとなって沈むのと対照的に明るく輝いているとすれば、それゆえに美しいのだと記憶するのです。そうすると、必要な時に無理なく全体の色彩がよみがえります。『夢は、なに色』(妖精村 1600円 ISBN4-9901019-5-2 )
そう言われても、絵心のない私には今ひとつよくわからないのだが、萌さんにはこれで十分再現できるだけの能力があるのだろう。それが才能なのか、そのような才能をもった人物が永田萌という魂なのか、いずれにしても、ただただ驚嘆するしかない。音楽家のモーツアルトは13歳のとき、バチカン宮殿のシスティナ礼拝堂の中だけで演奏される門外不出の曲を聞き、その後、記憶だけで正確に譜面に再現してみせたというよく知られた逸話がある。分野を問わず、天才が何かを記憶するメカニズムは精密なデジタル機器でもかなわない秘密があるにちがいない。
デザインなどの仕事をしている人に話をきくと、自分の頭の中にある色を印刷物として再現しようとすると、インクや紙の特性によって、色が微妙に変化してしまうものらしい。萌さんは「カラーインクの魔術師」とも呼ばれているように、『夢はなに色』のどのページを繰っても、普通の本では感じることのない感動が伝わってくる。描かれている個々の絵もすてきなのだが、それ以上に、一目見たときの色彩から受けるインパクトが強烈である。
色はそれぞれ魔法の力をもっているのだそうだ。たとえば「赤の魔法」
赤い色はわたしの心に「元気」の魔法をかける。少し疲れている時に、赤い色を使って絵を描くといつの間か元気になっている。もちろん元気な時は、もっと元気にね。
『夢は、なに色』より
「黄色の魔法」「緑の魔法」「青の魔法」「グレーの魔法」、萌さんはいろんな魔法を知っている魔法使いであったのだ。
同じ兵庫に住んでいても、明石まで足を伸ばすことはめったにないので、近くにある明石市立天文科学館にも行ってみることにした。
この天文台は1960年に、日本標準時子午線(東経135度)の真上に建てられたものである。イギリスのグリニッジを中心に、15度ごとに1時間ずつずらせるため、東経135度ということはグリニッジより9時間早いことになる。明石で自慢するものといえば他にはタコくらいしかないからというわけでもないが、小学生の頃、ここが日本の標準時と知ったとき、同県人として、意味もなく誇らしかったことを思い出した。兵庫県が日本の中心であるような気分になっていたのだろう。
1960年に天文台が建設されたのにあわせて、当時世界最高の性能という評価のあった旧東ドイツ、カール・ツァイス・イエナ社のプラネタリュウム投影機も設置された。これは私も小学生の頃、学校から見に行った覚えがある。あの機械が40年以上経った今でも現役で動いていると知って驚いた。懐かしさもあり、ぜひ見たかったのだが、1月末から2月末まで、機械のオーバーホールのため、プラネタリュウムは残念ながら見ることはできなかった。
右の写真が、現在も使われているイエナ社の機械である。
イエナ社製のものとしては、日本で最古の機械になっているらしい。オーバーホールをするにも、ドイツから来た専門の技師が1ヶ月以上泊まり込んでやっているそうだ。
プラネタリュウム以外にも、展示物が充実しているため、大変楽しめる。一番上にあるドームには40センチの反射望遠鏡があり、ここでは簡単な説明を受けることができる。ドームの開閉や、昼間の時間帯であれば太陽の黒点などを観測する様子を見せてもらえる。会員になれば、夜、星を観測する機会も持てるようだ。
ひとときでも星や宇宙に思いを馳せると、普段の時間とは桁違いの単位で動いているため、日々の些末な出来事がどうでもよくなってくる。人間の寿命は約80年である。同じ地球上の生き物でも、かげろうは朝生まれてその日の夕方には死んでいく。かげろうの一生はなんて短いのだろうと思うかも知れないが、星の一生から見れば、人間の80年という寿命もかげろうと何ら変わりはないとしか思えない。
…… 覚えていらっしゃる?
夕方、かげろうの妻がたずねた
…… 階段の上であの頃あなたのチーズのかけらを盗んだのを老人らしい明るさでかげろうの夫が言った
…… ええ、覚えていますよ
そして彼は微笑した …… 昔々のこと…… 覚えていらっしゃる? 彼女はさらにたずねた
…… 私があのころ第六番目の膝(ひざ)したに
あの重い敗血症をわずらったのを…… そうだったかな 夫は半ば夢み心地で言った
…… 覚えていらっしゃる? あなたを恨んで
私がハエ取り紙自殺をしかけたのを
それから私が最初の卵を産んだのを
覚えていらっしゃる? あれが五時半だったのを
それから私がミルクの中へ落ちたのをかげろうの夫はもう何も答えなかった
疲れてひくく独りごちた
…… 遠いとおい昔のこと…… 遠い……「全生涯」リンゲルナッツ((訳:板倉鞆音)
『賭けと人生』(筑摩書房/ちくま文学の森)
一度死んだかげろうが、また新たな生を繰り返すことができるとすると、80年の間に29200回、別の生を生きることになる。もし人に、何度か生き直してみる機会が与えられたとしたら、あなたは別の生を生きてみたいと思うだろうか。それとも1回でも十分だろうか。かげろうの一生も、数十億年ある星の一生も、振り返れば一瞬である。とすれば、今日を生きるしかないのであろう。
明石市立天文科学館
住所:兵庫県明石市人丸町2−6
電話:078-919-5000
定休日:月曜日、第2火曜日、年末年始(12月27日から1月4日)
月曜日または第2火曜日が国民の祝休日と重なるときは開館し、
その翌日が休館。
久しぶりに明石に来たので「玉子焼き」のおいしい店にも寄ることにした。「玉子焼き」というのは、通称「明石焼き」、ようするに「たこ焼き」と同じと言えば同じなのだが、「たこ焼き」はソースを上に塗り、カツオと青のりをふりかけて食べる。「玉子焼き」は出汁(だし)につけて食べるのが基本である。それと「たこ焼き」よりも玉子の量が多く、全体に柔らかい。明石駅の近辺だけでも、玉子焼きの専門店は数十ある。前日にインターネットで調べてみると、駅のすぐ南側に評判のよい店が数軒あった。そのうちの「松竹」と「お好み焼き道場」という二軒に寄ってみることにした。
最初に行った「松竹」は、メニューは二種類だけ。玉子焼550円と特別玉子焼650円(ともに一人前15個) 。「特別」は何がちがうのか聞きそびれた。隣の人が食べているのを見ると、少し大きいような気がしたが、大きさがちがうのか、中に入っている玉子の割合が多いのかも知れない。
写真のような出汁をつけて食べる。ここは地元の人もよく利用しているようで、味も文句はない。
店名:松竹
住所:明石市大明石町1-5-24
電話:078-912-0091
営業時間:11:00〜20:00
定休日:水曜この店を出て、すぐそばにある「お好み焼き道場」にも行ってみた。ここは名前のとおり玉子焼きだけでなく、お好み焼きもやっている。見た目は地味な、昔ながらのお好み焼き屋といった風情だが、店主が味にはうるさいらしい。私は両方とも注文したが、確かにどちらもおいしい。
この店に二人で行くのなら各人がそれぞれお好み焼きと玉子焼きを頼んでもよいが、量が多すぎると思えば、お好み焼きを一枚ずつ頼んで、玉子焼きは一人前にしてそれを二人で分ける、逆の組み合わせを注文すればよい。ここの玉子焼きは一人前10個なので、お好み焼きと玉子焼きをそれぞれ一人前ずつ食べても、男性なら問題はないはずである。とにかく両方とも食べてみることをお薦めする。
店名:お好み焼き道場
住所: 明石市大明石町1丁目6-6
電話番号:078-911-8084
営業時間:11:00-20:30
休 業 日:無休この店は、お好み焼きは客が自分で焼くことになっている。しかし自分で焼くのに自信がなければ、店の人にそう言えば焼いてもらえるので、遠慮しないではっきり言ったほうがよい。やはり店の人が焼いてこそ、その店の味がわかるので、私もはじめて行った店では大抵焼いてもらうことにしている。
関西で育ったものにとっては、体の何割かはお好み焼きでできているのではないかと思うくらい馴染みがある。大阪の子供は離乳食として、はじめて食べるのはたこ焼きかお好み焼き……、というのはおおげさにしても、子供の頃から食べ慣れているため、みんな味にはうるさい。また大阪では9割くらいの家庭に、たこ焼きを焼く専用の道具がある。そのため、焼き方もそれぞれ一家言ある連中が少なくない。しかし基本さえ押さえておけば、お好み焼きなんて何もむずかしくはないので、ぜひ自分で焼いてみてほしい。
これまで一度も自分で焼いたことのない方のために、いくつかのポイントをあげておく。
まず絶対にやってはいけないことは、焼いている途中、上から押さえないこと。ふんわりと空気を含んだまま焼き上げるのが基本である。
もう少し具体的にアドバイスすると、お好み焼きを頼むと、上の写真のようなカップに入って出てくる。これが届く頃には、鉄板はすでに熱くなっているので、備え付けの油を鉄板に塗ってから、一度拭き取る。
豚肉や牛肉が入っている場合、肉はカップの上に乗っている。これをいったん取りあげ、鉄板の隅のほうに置いておく。
カップの中の粉や野菜を手早くかきまぜる。このときサクサクと空気を含ませる感じで混ぜる。パンやうどんを作るわけではないので、間違ってもこねすぎないこと。2、30秒以内で手早くやらないと、肉が焼けてしまう。この肉も、置くときは鉄板の上に広げないで、かたまりのままちょっと横に置いておくだけにする。広げると油が出てしまう。
玉子がカップの中に入っているときは、それも粉と一緒に混ぜる。
手早く混ぜたら鉄板の上に流すが、一度に全部流さないで、2/3くらいを流し、丸く形を整える。中央を少しくぼませ、そこに残りの粉を流し込む。そのあとすぐに肉を広げて、上に均等に乗せる。
時間は火加減によっても多少異なるが、まず4分間くらい、そのまま片面だけを焼く。
大きなコテを使って、全体をひっくり返す。コテはひとつでもできるが、不安なら二つ使ってもよい。
若い女の子が、お好み焼き屋で「ギャーッ」と悲鳴をあげているのは、大抵ここで失敗している。よほど不器用でもない限り、ひっくり返すくらい誰でもできると思うだが、一度もやったことがないとグシャッと落としてしまったり、随分上から落下させて、まだ焼けていない面の粉をそこら中に飛ばして、服にシミを作ったりしている。もしこの部分が自信がないのなら、家で練習しておいたほうがよい。布巾を濡らして、軽く絞ったものをテーブルの上に置いて、コテでひっくり返しても、水分が飛び散らないようになればまず問題はない。
関西人にすると、お好み焼きを裏返せないなんて、どこかの星から来た異星人かと思うくらい信じられない光景なのだが、店の人の話では珍しくもないらしい。特に昨今のグルメブームで、雑誌やテレビで紹介されると全国からやってくるため、信じられないような光景が展開されるそうだ。粉が飛び散るのを恐れて立ち上がり、随分上から落としている女の子もいたそうである。お好み焼きを裏返すのに、1メートルも上から落とせば、そのほうが粉が飛び散るくらいわからないのだろうか。とにかく東京方面から来る若い女の子はひどいらしい。
無事ひっくり返したら、少し形を整えて、あとは触らないこと。コテで上から押さえつける人がいるが、最初にも言ったように、これがお好み焼きでは絶対にやってはいけないことである。中に空気を含ませたまま焼くからふんわりするのに、押さえてしまっては空気が逃げてしまう。このまま5、6分間焼く。実際には時計を見ているわけではないので、頃合いを見て、少し持ち上げ、裏の焼け具合を確認する。全体に焦げ目がついていたらひっくり返して出来上がり。つまりひっくり返すのは2回だけである。
あとは好みでソースを塗り、カツオ、青のりなどをふりかける。
ピザに入っている切れ目のつもりなのか、細かく切る人がいるが、これもやらないでほしい。熱いまま、コテで自分の食べやすい大きさに切り、そのまま口に運ぶ。上品に、小皿に取ってから箸で食べるなんてことはやらないこと。
お好み焼きは日本古来のファストフードである。焼き上がったら、時間をかけずにさっさと食べてほしい。10分以上かけたら焼けすぎてしまうか、皿に入れてあるときは冷たくなってしまう。
玉子焼きの店は明石駅周辺にだけでなく、住宅地の中にも点在している。インターネットで検索したとき、駅から少し離れたところにも、一風変わった味ではあるが大変評判のよい店があった。そこの玉子焼きも試してみたかったのだが、連続して3軒はきつい。先の2軒で食べたあと、永田萌展と天文台に行き、それから3軒目に向かうことにした。実際に行ってみると、インターネットで見た地図は距離が正しく縮小されていないため予想外に遠く、徒歩で20分ほどかかってしまった。おまけにやっとついたと思ったら、日曜で店は閉まっていた。駅周辺の店は観光客が相手のため日曜でもやっているが、ここは日曜を定休日にしているらしい。
天文台から明石駅まで歩いて20分くらいあり、さらにそこから歩いてきたので40分くらいは歩いている。私は1時間くらいのウォーキングはよくやっているのでこれくらいはどうってこともないのだが、同伴者は「足が痛〜い」「しんど〜い」と、だいぶ機嫌が悪くなりかけていた。帰りはタクシーを使うつもりにしていたのに、朝まで待ってもタクシーなど一台も通りそうにもないくらいへんぴなところである。おまけに永田萌展や天文科学館でいろいろ買い込んだこともあり荷物が重い。また駅まで歩いて戻るのかと思うと、私まで足が痛くなってきた。
店の前で看板をながめながらしばらく思案していると、所沢ナンバーの車が止まった。中年のカップルが窓から顔を出し、しきりにグルメマップを見ている。どうやらこの店を目当てに来たらしい。わざわざ埼玉から玉子焼きを食べにやって来たのだろうか。
この店からさらに遠くにもう一軒評判のよい店があるのだが、日も暮れて寒くなってきたのと、このようすではそこも日曜が定休の可能性大なので、行くのは断念した。
帰りは駅前にある「魚の棚」という、明石の浜で捕れたばかりの魚介類を販売している商店街に寄ってみた。ここで並べられているものは、明石の海から朝や昼に捕れたばかりのものである。そのためどれも活きがよい。タコが陳列台から降りて、商店街の中を横切って歩いているほどである。明石の玉子焼きがおいしいのは、新鮮なタコが入っているのも理由のひとつであることは間違いない。
某月某日
久しぶりにユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行く。
USJでは1月中旬から2月11まで「レジェンド・イン・コンサート」と題したスーパースターの「そっくりさんショー」をやっている。ラスベガスでは最長の公演記録を持ち、現在も続いている大変人気のあるショーなのだそうだ。これだけを見るために、1月31日(木)に行ってきた。他のアトラクションやショーはすでに全部見ているので、本当にこれだけが目的であった。
この日は午後6時で閉まることもあり、USJの入場者は大変少ない。入り口のゲート付近も閑散としている。中に入るとベティも暇なのか、所在なげに突っ立っていた。
この日は空いていたが、昨年の春にオープンして以来、予想以上に好評で、入場者数は当初の予定を5割ほど越えているらしい。そのため、2年にひとつの割で増やす予定であったアトラクションを毎年ひとつずつ作ることになったそうである。
「レジェンド・イン・コンサート」の会場になっているスタジオ33に行ってみると、この日の2回目、2時40分の部がブリトニー・スピアーズ/ジェニファー・ロペス/マイケル・ジャクソン、3時50分の部がマドンナ/ジャネット・ジャクソン/リッキー・マーティンであることがわかった。日によって組み合わせが変わることもあるようなので、もし行くのなら、当日会場で確認したほうがよい。ワンステージは約20分、それが日に5、6回ある。2回並べば6人のスター全員を見ることができる。
この日、会場に着いたのは午後1時半頃。少し時間があるので、これまで入ったことのないレストランの中からKWBBに行ってみる。ここはハンバーガーの店なのだが、サンフランシスコにある古い倉庫を改装して作ったラジオ局をイメージしている。時間帯によってはDJがいて、選んだ曲を流しているらしい。
ハンバーガーを頼むと、パンと焼いた肉が出てきた。野菜や調味料はサラダバーのようなところで自由に好きなものを好きなだけ挟むシステムになっている。
味は悪くない。私はバーガーセット(800円)とオニオン・リング(300円)を頼んだが、チキンベーコンサンドセット(800円)を頼んだ友人は、チキンが固いと言っていたので、普通のハンバーガーのほうがよいかも知れない。
この日は空いているせいか、すぐ向かいの席にいた、かったるそうな若いカップルが、座席で横になって寝ていた。寝ていたのは男だけだが、店員は注意しない。しかしこれはまずい。私はもう出るところであったので何も言わなかったが、空いているからといって座席で横になって寝るような客を放置しておくと店の雰囲気が悪くなることくらいわからないのだろうか。
味は悪くなかったのに、これだけでこの店の評価はマイナス無限大になってしまった。
2時40分から始まる本日2回目のレジェンド・イン・コンサートの会場に行ってみると、随分人気があるようで、すでに100人くらいが並んでいた。初めてUSJに来た人はこのようなものよりもジョーズやジュラシックパークのアトラクションに行くのだろうが、一通り体験しているリピーターには今これが一番人気のあるショーのようである。500人以上入る会場もすぐに満席になっていた。
日本でもこれと同じようなショーはあるようだが、デフォルメされた形で演じられるため、どうしてもお笑いになってしまう。しかし今回のものは大まじめで、出演者も本物になりきっていた。歌も踊りも、本人よりうまいんじゃないかと思うくらいの実力がある。
しかし不思議なもので、本物との違いは歴然としている。一口で言えば、ステージに出てきたときのオーラがちがう。どれだけ姿や形、声や仕草が似ていても、このオーラだけは真似できない。真似ようとしても真似られないもの、それが個性であり、その人間の魂なのだろう。
この種の芸は観客も本物を前にしているつもりにならないと盛り上がらない。アメリカでは、ステージにいるのがたとえそっくりさんであっても、本物と変わらないくらいの声援をおくるため、一層盛り上がるのだろう。
今回の出演者の中では、リッキー・マーティンが別格といってよいほど人気があった。すでにこのそっくりさんの私設ファンクラブもあるのかもしれない。日本でも郷ひろみが歌ってヒットした"Goldfinger '99"、例の「アーチッチーアッチー」のオリジナル"Livin' La Vida Loca"を歌った歌手である。マドンナやマイケル・ジャクソンなどより拍手も大きく、会場全体が盛り上がっていた。昨年リッキー・マーティンは日本にも来たそうだが、これなら本物と遜色がないくらい、人気があるかもしれない。
このレジェンド・イン・コンサートは予想外に好評であったため、当初の予定を延長して、3月17日までやることになったそうである。
スタジオを出たあと、スヌーピー・サウンド・ステージに行ってみる。お馴染みの3人がそろっていたので後ろから記念写真を撮る。ここでひとしきり遊び、スヌーピー・バックロット・カフェで、骨の形をしたエクレアと、コーヒーを注文する。
気がついたら外はいつのまにか陽が落ち、すっかり薄暗くなっていた。TDLもそうだが、USJも夜になると景色が一変する。もう少し暗くなるまで遊んでいようかと思ったが、生徒が試験勉強をやっていると思うと、そういつまでも遊びほうけてばかりもいられないので早々に帰ってきた。
関連情報:「魔法都市日記(53)」