板橋区赤塚の乗蓮寺には、奈良と鎌倉の大仏に次いで日本で3番目に大きいという「東京大仏」がある。 昭和52(1977)年に建立された大仏はブロンズ製で、高さが8.2m、重さは32トン。 境内には観音堂や七福神の像などもある。 また、この寺にはアラスカ・マッキンレーで行方不明となった冒険家の植村直巳の墓がある。 | ||
極楽を現した池には沢山の鯉が泳いでおり、餌をまくと多くの鯉が集まってくる。 | ||
山門の脇には閻魔堂があり、閻魔(えんま)大王が参拝者を睨んでいる。 私が小さな子供だった時には、「ウソをつくと、閻魔様に舌を抜かれる」とおばあちゃんに脅かされた。 ウソをつくのが得意な私は、それ以来、閻魔様の前を通る時はいつも舌を隠している・・・あっ、これもウソだった。 名所のご多分に漏れず、東京大仏にも名物がある。 寺の門前には「大仏漬物」と「大仏そば」の店がある。昔から「名物に旨いもの無し」と言うが、さて、この両店のお味の方は? 高島秋帆が使った大砲の碑のある松月院もすぐ近く(下赤塚方面)にある。 |
(98/07/25)
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板橋区赤塚の松月院、東京大仏(乗蓮寺)、板橋区美術館を結ぶ道(*)の脇に「赤塚不動の滝」がある。 滝と聞いて日光「華厳の滝」を連想する人は、おそらく前を通り過ぎてしまうだろう。「道ばたの茂み」と言った方が正確かもしれない。 山岳信仰が盛んだった江戸時代には、富士山や大山などに参拝する前に、ここで身を清めたという。昭和8年に滝つぼが整理されてから水量も減り、さらに近年の宅地開発でますます水量が減った。 今では「滝」と言うよりは「滴り」という感じだが、滝つぼの前には小さな祠(ほこら)もあり、今でも地元の人達が大事に奉っているようだ。 (*) 「東京大仏通り」と呼ぶらしい (98/07/25)
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アマチュアサッカーのメッカである西が丘サッカー場では、J2リーグ・大学リーグ・高校サッカー・Lリーグ(女子リーグ)・自衛隊杯などの試合が行われる。 地元の帝京高校が出る試合を除けば、観客はまばら、と言うよりはガラガラだ。スタンドから声をかければピッチの選手に聞こえる。主審にヤジを飛ばせば睨み返される。 近くの環七「姥ヶ橋」交差点の歩道橋にはサッカーのレリーフがある。 (98/07/26)
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江戸時代の五街道には、日本橋から1里(4km)ごとに「一里塚」が作られた。 英語ではマイル・ストーンと言うのだろうか。 現在、東京で完全な形で残っている一里塚は2ヶ所だけ。 | |
板橋区志村1丁目 三田線「志村坂上」より巣鴨方面に約100m 一里塚は道の両側に作られていたが、ここは中山道(国道17号)を挟んだ両脇に1対の一里塚が残されている。 (道路拡張の際に塚を守るため?)歩道が裏側を迂回するように作られている。 |
北区西ヶ原2丁目 南北線「西ヶ原」より飛鳥山方面に約100m どいういう経緯かは分からないが、ここは本郷通りの真ん中に一里塚が残されており、両側を自動車が通っている。 (98/08/22)
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