談話室|コラム

■ 住い創りに街への視点を!

ヨーロッパの街、村の調和した美しさ、心地よさについては枚挙に限りありません。

一方でそうした土地を訪れる旅に出かけられ充実感にみたされて帰国するやいなや、そうした豊かさが失われてしまったこの国の現状に引き戻され、失望感を禁じえないのも多くの方の実感であろうと思います。

井形慶子さんの近著「古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家」にもそうした現状認識が書かれています。

おそらく誰もが自分たちが住む街が美しく、調和したものであってほしいと願っているのだと思います。
多くの人の願望とは逆になってしまった現状はいったいなぜなのでしょうか?

歴史的必然といえばそれまでなのでしょうが、背景に戦後の経済的な復興が急を要する最優先課題であった事も大きな要因にあげられます。
おそらくその経済至上主義の価値観によって今の経済的豊かさが達成されたといっていいのでしょう。

そうした価値観一色の中で、土地、家屋等は不動産的価値のみがクローズアップされ、それらが 地域・街を形造る 社会的な公共性を併せ持つものである面 ははほとんど省みられなかったのもやむを得ない歴史であったと思われます。

今やこの国の経済的優位性の中で、ある意味では世界の建材や住宅そのものを思いのままに造る事が可能になり、むしろその方が安価な場合もあるようです。
住宅展示場には和風から多種多様な洋風住宅 、アメリカ、カナダからの直輸入のものまで建ち並び、その様相が郊外の住宅地にそのままつながっている様にも見受けられます。

よく写真や映像で見かける、イタリアの街やアルプスの村々、井形慶子さんの紹介するイギリスの街に、和風や、コロニアルスタイルが移入されていたらどうでしょうか?

仮にそうした状況の街を想像して、訪れたいと思う魅力を感じるのでしょうか。
地域を逆転して考えて見ていただきたいのです。

これだけ経済的に豊かになった現在です、個人の資産であるから気に入ったスタイルで建てると主張する前に、街に対して自分の住まいがどうあればよいかを価値の基準のひとつに考えてよい時代になっているのではないでしょうか。

洋風のデザインを排除して、過去の伝統的な様式で街つくりの一体感を出そうという意図ではありません。

現に歴史的街並み保存を目的とした、行政による外観等の規制によってコントロールされている街が、厚化粧をまとったのみで本来の街の活気のような魅力を打ち消している様子からも、そうした安易にな方法では解決し得ない問題であろうと考えます。

過去の様式や、外来のスタイルを直接的に取り入れるのではなく、地域性および微視的な土地の状況といった平面的空間の広がりと、歴史的な伝統等との繋がり、時間的次元での住まいのあり方、その交点で創られようとする建物の在り様を模索しながら創る事が、結果として次の世代に調和のある、心地よい街を残すための方法のひとつではないかと考えています。

私たちが現在魅力的と感じ、心引かれる街や村の多くが、その成立した土地と時代に素直に呼応しているものである事を思い出していただければ、理解いただけると思います。

住宅の大半を供給している生産のメカニズムが「売れるものを造る」事にあるとすれば、買う側が意識しさえすれば状況を変えられる、つまり建てる側の一人々々の意識のあり方こそが最も大切なものように思います。

■ 悪条件は可能性!

狭く不整形な敷地、大きな高低差、規格住宅の建たない土地もあるでしょう。

敷地条件が良くないと、満足な住いは出来ないものでしょうか ・・・・・

住宅地の不動産的価値は、一般的な間取りの住宅を想定した上での評価が一つの尺度でもあるようです。

そこから外れた土地は、場合によっては、安価で、しかも潜在的に大きな魅力をもっている事もありえます。

もちろん、敷地条件に左右される、絶対的な部分もありますが、 一見悪条件に見える部分に、どのようなしつらえを造れば、それを逆手にとって、魅力とするかは、設計者の腕のみせどころ、設計ノウハウそのものなのです。

一方で、不整形な土地、高低差のある土地等は、工事費のアップ要因である事は、御存知の通りです。

しかし与条件ために必要なコストも、当たり前の敷地条件では望めなかったユニークな住いが出来上がるとすれば、大きな費用対効果と考えることもできるのではないでしょうか。

悪条件敷地は、可能性を秘めた土地 かもしれませんよ!