Prologue
3月31日から4月20日までヨーロッパ各国を巡る旅に出る事になった。なぜこんな長い旅行にいけるかと言うと、会社を辞めたからである。
10年間勤めた会社の自分への御褒美と、そして次なる仕事(独立してデザイン事務所を設立する事。)を始めるまでの充電期間として、そしてなによりも建築をやっているものとして、街を、都市を、建築をそして、そこに暮らす人々を見に行きたかったからである。
しかし、全く始めてのヨーロッパ、始めての街(妻はヨーロッパを何回か旅行しているので決して不馴れではないが。)そして、途中は予定も決めなかった自由旅行なので、一体何がこれから始まるのだろう、何が起こるのだろう、期待と不安が交錯する。
結果から言えば、稀に見る珍道中となったのである。
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narita
2001.03.31.
sat
それにしても、出発するまでに時間がとにかく足りなかった。僕自身、3月で10年間勤めた会社を退職、30日が金曜日と言う事で最終日となった。部長からお誘いもあり、結局軽く(本当に軽く)一件だけ連れていってもらった。
これまた、純和風の小料理屋で、これからの旅行の食生活の事を考えたら、本当においしいものを頂いたという感じ。夜10時に約束通り、一軒目で開放され帰宅。
出発の準備を始めるが、遅々として進まない。前もって妻が準備を進めていたにもかかわらず、自分の身の回りの物を再確認するだけのはずが、あれこれやっていく内に夜中の2時くらいになってしまう。これではまずい。明日は朝一番の新幹線に乗るのだ。はやる気持ちを押さえつつ、浅いが寝に入る事になるのであった。
仙台発新幹線の始発列車(6:03仙台発)に乗り、成田空港に向けて出発する。上野駅であらかじめ予約していた京成ライナーに乗り換えそのまま成田第一旅客ターミナルに到着。足早にAirFranceのカウンターにてチケット受け取り、cargoに載せる荷物を預ける。いたってスムーズにことは運んでいる、全く問題はない。予定していたよりも早く出国手続きを済ませ、出発便カウンターにて乗り込むだけとなった。
しかしここに来て雲行きが非常に怪しい。3月末の本来ならば桜が満開で入学、入社式を控えた、春麗らかな天候なはずが、なぜかかなり重い雲が空一面に立ち込めている。
しばらくして桜の葉が舞うかのごとく、大粒の雪が舞い降りはじめたのだ。みるみる内に積もりはじめ、外は一面銀世界に変わりつつある。それでも機内乗込みの案内がアナウンスされ、淡々と離陸に向けて準備は進められる。機内に乗込んでシートベルトを締め、あとは出発するのみの時間となっても、一向に発車する気配がない。外は、雪が激しさを増して、窓から見える主翼の上にはもう薄らと雪が積もっている。
一瞬、30年くらい前に起きたワシントンのポトマック川に雪を積もらせたまま離陸に失敗し墜落した悲惨な事故を思い出してしまった。本当に大丈夫なのかね、、、でも、こんな些細な事でめげてはいけない。これからの怒濤の日々が待ち構えている。珍道中の始まりである。(この天候はあくまでも序章に過ぎなかった。)
出発予定を10分経過したところで、なんと機体に積もった雪を溶かす、液体噴射機が登場。しばらく、猛烈な勢いで液体を機体中に噴射し続け、退散。いよいよ出発である。その後の離陸から始まって、フライトは至ってスムーズ。ただし、海外旅行で飛行機にのるのはひさしぶりなので、あらためてエコノミークラスの狭さを実感。前方の人が椅子をリクラインしたら、本当に通って出ていくのも厳しい。日本人はまだ体格が小さいからまだ良しとしても、大きい欧米人にとっては本当に辛いのではないか。
たまたま隣席の人がフランス人(だったと思う)がかなり大柄な人で、足をまっすぐ揃える事が出来ず、廊下に片方の足、僕の席に残った足をのばすしかない。見ていても気の毒。本人もあきらめているのか、旅慣れているのかわからないけれども、食事以外は、準備良く、自分で持って来た空気を入れる枕とアイパットでぐっすり寝ていました。こっちが、トイレに行く時には、隣のおじさんが体を動かすのが大変なので、よっぽど我慢できない以外は本人がトイレに立つ時にあわせて、ササッと済ませる事とする。
そんな気使いもあったもので、気付いてみたら、あっという間に(とはいっても12時間くらい)でパリ、シャルル・ド・ゴール空港に到着。
すぐに、トランジットのためにウィーン行きのエールフランス機に乗り換える。なにしろ、2時間しか時間が許されていないのである。成田を30分以上大雪のために出発がおくれたので、到着がそのままずれ込むと、乗り換え便がギリギリ。しかし、機内放送で遅れた分は、飛行時間を短縮する事で解消すると言っており、なんとか予定時刻通り到着した。
念のために、預けた荷物がそのまま僕らと同じく受け取らずにそのままウィーンにて受け取れる事を確認。 そうそう、ここはもう海外なのだ。日本語はもう通じない。一応、アメリカ生まれの僕としては、日常の会話であれば、何とかなると自負はしているが、やはり普段からしゃべっていないので会話は緊張するもの。ここは何とか第1関門をクリア。
しかし、ここで早くも問題発生。エールフランス機に乗り換えるはずが、空港内バスに乗って到着したのが、なんとオーストリア航空機。早くも間違えたかと、緊張が走る。このまま空港に戻っても、もう飛行機発車には間に合わない。ちょっと冷や汗ものである。開き直ってスチュアデスに確認したところアッサリOK。ホッと胸をなでおろす。
良く見たら、AFの表示とオーストリア航空の機便名は連名になって記載されている。行く見れば済む事を、、、。
しかし、勝手がわからない外国の事、いちいち些細なことでも、反応してしまう。なんとも情けない状況だ。
飛行機は小さなボーイング727?(後ろに2発のエンジンがついているもの)。小型で、あっという間に離陸。いままで乗っていたジャンボ機とかなり動きに機敏さを感じる。
シャルルドゴールは9時くらいからやっと夕焼けが始まるくらい夜がふけるのがおそい。 離陸してから、しばらくしてすばらしい夕焼けを窓のそとから見る事が出来たのは、そう時間が掛からなかった。
夕飯の機内食は結構、豪勢なものが出てくる、お腹もこの時点でかなり空いている。容器もいままでと違って、とっても品が良い。暖かい、そして新鮮に感じられる野菜料理が温かく、そして美味しい。おまけにオーストリア産のチョコレート&市内観光用のマップがもれなくついてくる。
隣に座っていた、アメリカ人らしきおばちんも美味しいと感じているのか、ワイン片手に無心になって喰っていた。機内食でこれだけおいしいものを食べたのは始めてのような気がする。オーストリア航空ポイント高し。但し、日本からは便数も少ない上に料金は少々高めらしい。
程なくして飛行機は、下降態勢に入る。光のみで浮かび上がる街々は、キッチリとした幾何学も模様で浮び上がる。日本じゃ考えられない光景だ。
そして夜中のウィーンに到着するのだった。
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