2001.04.11.(wed)

AMALFI

●Amalfiへの長い道のり
朝の朝食は特に可もなく不可もないな程度。残念だったのは、ナポリ駅で一緒になった韓国人の家族と最後の挨拶くらいしたかったが、既に外出しているのか、いなかった。昨日あれだけ街をまわったのに、一度も顔を合わすことがなかった。適当に朝食を済ませ、フロントでチェックアウト。タクシーを呼んでもらう。 もう、昨日の大渋滞の中待っているのもいやだ。しかも今日は在来線でsorentoまで行かなくてはならない。タイムテーブルが良く判らないので、とにかく早目に駅に行くとする。
ナポリの在来線は地下にキップやら、ホームがあるのを知らずに、僕らはユーロスター(いわゆる長距離系の列車)の窓口に並ぶ。しかし、ここでは受け付けない。地下に行けといわれる。これで15分の遅れ。地下に行き、キップを窓口に買うが、一体どこのホームに行ったら良いのかわからない。僕らはフリーの旅行だから、トーマスクックの時刻表は持ち合わせていたけれども、何番線に着くかまではかかれていない。しかも、在来線だから、旅行者にとっては全く英語でも書かれていない。人に聞くしかないんだけれども、これがまた英語が話せない人達ばかり。ラチがあかない。やっと僕らの言葉が(とはいっても地図を持っての身振り手振りなんだけれども、、、)通じるおばさんに会い、こっちに来いといわれ、指定されたホームで待つとする。
しかし、いつまでたっても、予定の時刻に電車はこないのである。廻りの人達も、ちょっとはざわめきだっている。良く見ると、入ってくるホームのちょっと先に電車が線路の中で止まっている。どう見ても、不自然な位置にいるんだけれども、一向に動く気配がない。ホームにも行き先の正確な表示はどこにもない。10分位経過したところ、突然その電車が動き出す。びっくりしたのは、既に中に人が入っていた事。人を乗せたまま止まっていたのだ。そして、入ってきたと同時に一斉に行き先掲示板がバタバタと音を立て表示が変わったけれども、これがまた聞いたこともない所。おかしいと、思い、廻りの人に、sorento行きかと尋ねる。OKとのこと。しかし、僕らだけではない。どうみても地元民と思しき人達も、みんなお互いに確かめているのであった。なんという混乱ぶり。知らない人に、僕らが聞かれる始末。答えられるわけないよね。
とにかく、在来線は出発し、sorentoを目指す。予定では小1時間の旅。ナポリの街がどんどん小さくなっていく。在来線はずっと海岸線を走って行くのである。 だんだんと街を離れると、いままで見た都会とまた違った街の様相になってくる。
特に、一般の人達の住む住宅街がたくさん並んでいる。けっして裕福とは言えない街並みが続いている。どこへ行っても、街並みとしての表と裏を見せつけられる場面には遭遇するが、これだけ身近に通りすぎながら眺めるのは始めてだ。実際に、どんな暮らしがそこにあるのか、見当もつかない。僕ら観光客は表向きにしか見ていないし、また国もそこだけを見せようとする。しかし、どこにも現実というものはあるということを、感じながら、ボーっと外の世界を眺めていたのであった。
ここまで来ると、乗客も少なく、僕らの前にいる車掌さんものんびりと一般席に座っている。するとおもむろに持っていたカバンからなにやら、奥さんから渡された弁当を手に取り、食べ始める。なんとものどかな風景に、おもわず笑みがこぼれる。しかし、キッチリと全員検札されるのでごまかすことは出来ない。あしからず。

●一列に並ぶことの出来ない人達と地元の人
そんな、のんびりムードの中sorentoに到着する。 sorentoは南国の雰囲気を漂わす感じの良い街である。まあ、逗子マリーナーをもっと高級感のある、いわゆる、つくられた観光地といったところか。特に、ヤシの木とかあるので余計にそう思うのかもしれない。駅を出てすぐに、駅の売店みたいなところで切符を購入し、今日の目的地amalfi行きのバスに乗り換える。一時間に一本。僕らが駅で大荷物を抱え、もたもたしている内に、丁度僕らがバス停に着いたところ、出発してしまったのである。あと一時間待たなければならない。しかし、僕らは結構前の方なので、良い席にある着けるのは見えている。しばらくすると、それなりに人が並び始める。しかし、困ったことに、バス停がちょうど交差点に近いこともあり、いつの間にか、バス停から枝分かれして2方向に人々が並んでいる。これにはびっくりした。どうみても、というか正当に判断しても、僕らの並んでいる方向が普通に並ぶ方向である。しかも、バスは先程行ったばかりだから、一方向にしか並んでいなかったのである。全く、身勝手極まりない人達(間違いなく観光客なんだけれども。)。なぜ、ルールというものが(あるいはルールなんてないのかもしれない。)守れないのか。これだけ並んでいると、僕らの席すら危うい状況。まあ、バスが来るのをジッと待つしかないのである。
そこへ、また問題な人登場。どうみても地元民なんだけれども、先頭に立っている人に真前に堂々と、あたかも、そこに自分の場所があらかじめ用意されたかのように、全く違和感なく、そしてなんの断りもなく、スッとそこに立ったのである。もちろん、それまで先頭に立っていたアメリカ人らしき観光客達は口々に”信じられない”というジェスチャーをしながら、文句を言っていたように見えたんだけれども、一向に耳を貸す気配もなく、シカト状態。この座った根性には、感嘆したよ。何言ってもびくともしない。あきらめたかに見えたアメリカ人も無駄な抵抗をすることもあきらめてしまった。 こんな、のんびりとした街なのに、全く何とも言えない気まずい雰囲気が漂っている始末。待ち時間がやたら長く感じてしまった。
さて、そうこうしている内にも予定時刻ギリギリにバス到着。僕らは荷物をバス下のカーゴーに突っ込んで、とにかく上がるとする。先程のジモッピーは乗り込もうとするも、アメリカ人の肘による抵抗にも全く屈せず、堂々と先頭に乗り込むのであった。ここまで来るとアッパレである。一方の列にも人が沢山並んでいるが、もうここまで来たら早い者勝ち。これまた大混乱である。全く、整然と並ぶこと、暗黙のルールすらわからない人達には、ほとほと困ってしまうよ。どこの国に行っても、あるんだけれどもね。
さて、ぼくらは乗り込んだところは、前から3列目の進行方向に対して左側の席を陣取る。この席があとで大失敗だったことがわかったのはすぐ後のことだった。とにかく、みんな競って右側に座ろうとするのである。当然、横入りの地元民は右側の一番良い席に陣取っているのである。
あっという間に満席になり、バスは出発するが、窓の外を見たら、まだ乗りきれない人達が10数名いる。全くにして気の毒である。 さて、出発しバスをsorentoの街を抜け、徐々に高度を上げていく。明らかに、岩肌が露出している険しい山岳地帯といった様相をしている。そこへ、峠越えをしたと思いきや、いきなり海に向かう絶景が忽然と表れる。まさしく息を呑むとはこのことかと始めて認識できるくらい、すばらしく、いままでの人生の中では見たことのない、すばらしい絶景がそこにはあった。気づいたと思うけれども、この景色が見えるのは僕らの席の反対側であったのだ。つくづく、自分の情報の甘さと、ここにいるアメリカ人らしき人達のどん欲さには頭が下がる思いがした。これではお人好し日本人は、経済的にも負けるよね。ふと、いままで、出会っていた韓国人達はどのような行動を取ったのだろうか。同じアジア人として、きょうみがあるが。
それにしても、険しい道のりが延々と続くのであった。大型バスが一台通れる位の幅しかない曲り角ではバスはけたたましくクラクションを鳴らし、警告を促す。実際にこれをしないと、マジで危険。山側は切立った絶壁、海側は、100m近い崖地。とても居心地が良いとは言えない。しかし、それに勝る景色がそこにはあるのだ。カーブを曲がるごとに乗客は歓声を上げ、喜びを分ち合おうとする。しかし、それが1時間半も続くと、さすがに声を出す人はほとんどいなくなっている。気持ち悪くなる人や、ジッと景色に静かに対峙している人やらで、バスの中は、エンジン音とクラクションだけが室内の中を支配している。 それにしても、延々と続くのである。ぼくは、それ程乗物には強くないので、少々疲れてきたが、何しろ前方の席なので、運転手が忙しく、そしてギリギリの運転を見届けているので、気がまぎれる。逆に、延々と風景だけを見ていたらきっと気持ち悪くなっていたことだろうと思う。実際に帰路は痛い目に会うのである。
positano経由で、ずっと海岸線を着く抜けていと、そこにやっと今日の目的地amalfiに到着する。そうそう先程行っていた、割込みじじぃは途中で降りていった。彼が座っていたのは、もちろん右側の運転席から程近いところに陣取っていた。運転手と会話を交わしながら降りていったところ見ると顔見知りか、、、だからといって、割込んで良いとは誰も思わないはずだ。まったく。
bus "vita"
departure sorento am 11:00
arrival   amalfi  pm 1:00

amalfiに到着。すぱっと岸壁から切り開かれた小さな街。13〜14世紀頃かなり栄えた時期もあったようだけれども、いまはすっかり観光地として、そして金持ちの別荘地として定着している。そのほかの産業としては、漁業と行き道すがらひたすら見えていたレモンとオレンジ類の柑橘類の物くらいしか見当たらない。
さて、今日の宿泊場所のhotel cappccini convento を目指して歩く。場所は正確にはわからなかったが、バスに乗っていたときに、それらしき建物が見えたのでとにかくそこを目指す。途中で不安になったので、途中にいる老人に聞くと、指差しながら、"many japonese !"と叫びながら。日本人とくれば、ここらしい。そして僕らもしっかりと日本人しているわけだ。
急な階段を上り、さっき通った街道を渡ると、そこにカプチーニ・コンヴェントのホテルの入り口。とはいってもエレベーターの入り口である。ドアマンが待っており、予約の名前を確認すると、エレベーターを呼ぶ。程なくエレベーターが到着。洞窟見たいな暗がりをつきぬけると、一面絶景の海が見える。50m近く登りエレベーターから降りると、もうポーターがそこに待っているのであった。どうも、天候が不安らしく、ちょうど、エレベーターから降りた瞬間に、雹が激しく降ってきた。足早に建物の中にはいる。僕らが案内された部屋ベランダ着きの、すばらしい景色の部屋。とはいえ、ここにある部屋はすべて海に面している。建物自体は年代物で、かつては、カプチーノ派の修道院だったと聞く。カプチーノ派とは何なのか良くわからないが、なるほど中には教会らしきものやら、それなりに創玄で厳かな空間がそこかしこにある。夜はちょっと怖いかも。僕らは、日本から予約を1泊しかいれていなかったが、ここまで苦労してたどり着いたところ。もったいなくて、入った瞬間に、もう一泊できないかと頼んだところ、部屋が違うが、何とか用意できるとのこと。ラッキー。但し、ここのホテルは、全旅行を通じて、一番高値であったことを記す。気軽には行ける場所でもないし、気軽に泊まれる所でもない。
ほっとしたところで、全くお昼を食べていなかったので、荷物を置いて、さっさと街にまた、下りるのであった。雹は止んでいるけれども、まだ雲行きは怪しい。とにかく、さっき降りてきたところにリストランテが見えていたので、とにかくそこを目指すとする。

●レモンの食後酒
リストランテの前に着くと、もうお腹が限界に来ている。さっきホテルの場所を教えてくれた老人がこっちに近づいて、リストランテの扉を開けてくれる。なんだろ、このおじいさんは。 ワインと、レモン汁を使ったパスタ、海の幸のパスタ、サラダ、ミネラルウォーターを注文。どれも文句のつけようがない位な美味しさと新鮮さが、口の中で広がっていく。さっきまでの長距離の出来事を考えると、疲れは一気に解消される気分。やっとお腹が落ち着いたころに店の中を見廻してみると、お客さんの身なりが明らかに、僕らみたいな汚いカッコウとは違う。これは立派なリストランテであったのだ。しかも、お店のウエイターがお客さんと、楽しげに話しているのだ。各テーブルには、あたかも友人に振舞っているホストのごとく、ウエイターが客のテーブルにある空席に座って楽しくしゃべっているのだ。これは、初体験、見たことない状況。ぼくらはひょっとしたら場違いなところにきてしまったのか。一瞬、引いてしまったが、それでも、快く受け入れてくれたんだから心配はないのだろう。さて、一通り満腹になったところで、ぼくらはもう決まってカプチーノを注文するのだけれども、調子の良いここのウエイター達のこと、早速からかわれてしまった。”カプチーノなんてこの店にはないよ!”といわれて、”レモンリキュールならあるけれども、どうだ!”といわれれば、飲むしかないでしょう。しかし目の前にはしっかりエスプレッソマシーンが置かれているんだけれどもね。まあ、いいやと思いつつも、飲んでみるとこれまた新鮮で美味しいのだ。もちろんアルコール度数が結構なものなのかもしれないが、とても美味しい。人に勧めるわけだ。さっきまでバスで延々と通ってきたレモン畑とかは、このようなものになっていると改めて実感したよ。
ristorante Lido Azzurro
L.mare dei Cavalieri 5
tel 089 871384 84011 amalfi (sa)

●中世の都市アマルフィー
先程の天候が嘘のように、晴れ渡って、満腹になったところで、街に出ることにする。街といってもメインの通りは一本しかない。アマルフィーは中世12か13世紀くらいに栄えた街であると、記述されている。カーペット、コーヒー、紙などの貿易の中継地点として、そして独自の貨幣で流通されていたと書かれているから、相当に文化的にも発達したところだったんだろう。しかし、どうみても険しい、そして地中海に面してはいるが、小さな点にしか見えないだろうこの街が、繁栄していたのは、甚だ考えにくいところ。歴史を紐解くと面白いのかもそれない。しかし、そんなことを考える余裕すらない。ひたすら街を歩いて、”今”を体験するしかない。そういえば、街の通り沿いに紙を製作している工場があり、見学させてくれると書いてある。これも、いままでの歴史の名残なのかもしれない。とにかく、小さな街である。おおよそ、繁華街(とはいっても、程度が知れているくらいの小ささ。)を把握したところで、夕方となり、ディナーに備えるとする。天候も、さっきまで晴れていたのに、また雲行きが怪しくなってきた。とっとと帰るとする。 ディナーは、海外では珍しいのかもしれないが、レストラン付きのホテルであり、宿泊客は特に外食の希望がなければここで食事をすることになる。日本の旅館みたいなものだ。食事は、正真正銘のイタリア料理のフルコース。お腹が破裂しそうなくらいの量である。味も文句はないくらいのレベル。しかし、とにかく量が多いので、最後まで結局はたどり着けない。デザートがもったいない。
前菜
第1の皿 ニョッキ、リゾット
口直し
第2の皿 魚、肉の料理
デザートのケーキ
カプチーノ
こんな食べたのは、久しぶり。しかし、これ程は必要ないね。

●荒れ狂う深夜の雷雨
食事を終え、部屋に戻り、さっそく今日の行動の復習と、CNNのニューズをベッドゆっくり見ているところ、にわかに遠くのほうから稲妻とかすかながらも雷音が響いている。それが、見る見ると近づいているのがわかるくらいに音が大きく、地響きがなり始める。最後には、まさしく映画に出てくるくらいの激しい雨と、雷と、雷音の見事な演出で、すごいことになってしまっている。ベランダからはさすがに窓を開けっ放しには出来ず、窓越しではあるが、一部始終見ることが出来る。特に雷の轟音が激しく、地響きを伴うので、岩場地帯にへばりついているこのホテルのこと、落石が起きないか、それから、特徴的なあのやわいエレベーターが落雷に会わないか、結構心配なくらいの程度になってきている。
と、その時、窓一面の光と轟音が同時に起きた瞬間に、部屋の中が真っ暗になってしまった。この建物自体が落雷にあってしまったのだ。窓下には、なにやら非常設備の警告音が鳴り響いている。本当に、直撃をくらってしまったのだ。廊下の外で、あわてて人が行き交う足音が聞こえてくる。さすがにここはもと修道院だったので、お昼について内部を見学したときに、廃墟になっている、使われなくなっている礼拝堂とかあるので、ちょっと想像するだけでも、怖い。しかも、その部屋が廊下挟んだ向かいにあるんで、なおさらかこと。アナウンスが入り、必要な人はロウソクを配布するとのこと。でも、そんなのもらっても、余計に怖いと思う。ちなみに、廊下を見ると、これが何と、明るいのだ。非常電源設備は、一応完備されていることにびっくり。こんな古い建物、そして街外れた場所にもちゃんとこの様な設備は義務付けられているんだと。感心。 それにしても、荒れ狂う天候は、まだまだ納まりそうにない。2時間くらいしただろうか、やっと雨やら雷が上がって来たところ、睡魔が襲ってきた。明日は天候になっていくれることだけを祈って、、、





 02

 

 


バスから見た
海岸線。標高が
高いのは、
お分かりかな。

 


カプチーノコンベントの
最初の晩の部屋。

 


廊下は、修道院の
雰囲気はあるね。

 


ホール内も素敵な
インテリアだ。

 


西洋建築も
奥が深い。
すばらしいの一言。

 


何処を撮っても
絵になるのだ。


ホテルのテラス
からの風景。

 


天気は、本当に
気紛れ。
今晴れていても
次の瞬間には、、、

 


ホテルは崖地に
建っているのだ。



やわな鉄骨で出来た
塔みたいなものが
エレベータシャフト。

 


藤棚が美しい。
ローマも同じで
藤の花はあっちこっちと
咲いているのだ。

 


ristorante Lido Azzurro
かなり、高級な
リストランテ。

 


美味しそうでしょう。
実際にも美味しいのだ。

 


夜景が美しい。
しかし、この後に
大嵐が、、、

 


ホテル内の
食堂は人で
あふれている。



料理は、中の上と
いったところか。