venice
2001.04.04.(wed)
朝、起きたら景色は一変していた。のどかな丘陵地帯、ところどころに大き目の樹木が立っており、爽やかな田園風景が続く。家も赤レンガの屋根、ベージュ色の塗り壁など、明らかにイタリア国内に入ったことを知らせてくれる。長い田園風景を抜けていくと、突然海が開けてくる。いよいよ、ヴェネチアにようだ。
遠くのほうに、幻影のように薄っすらとヴェネチアの街の輪郭線がぼんやりと見えてきた。中世に栄華を極めたベネチアはきっと当時とも変わらないシルエットだったのだろう。当時の商人はこれを眺めながら何を考えていたのだろうか。
一方の僕らのカタコト列車は贅沢にも1等車だったので、何と朝食付き。とは言ってもパンとコーヒー、そしてなぜか、洋梨がついている。洋梨だけで、なんだかとても贅沢な気分。しかし、近づいてくる異国の地に、気分が高鳴っているせいか思ったよりものどを通らない。ちょっと興奮気味。
街の淡い影が、近づいてきて、その輪郭がはっきりしてきた。いよいよあこがれの地、イタリアについたのだ。
●忙しないイタリア人達
サンタルチア駅のホームに降りたら、漂っている空気が明らかにいままでのウィーンと違うのが肌でわかる。歩いている人々はみな顔の作りが掘り深い、髪の毛が濃い、そしてだれもが声が大きい。降りた客の間を電動のポーターが猛スピードでぼくらの片の脇をギリギリすりぬけていく。降りたら、みんな、”何か”にとりつかれたように、忙しなく歩くものだから、なんだか観光客なのか地元人なのか判別がつかない。みんなイタリア人に見えてくる。みんなそんなに急いでいないのだろうが、そう見えてくるから不思議。
●不思議なシステムのベネチアの銀行
まずは、日本円をリラに換えるために、駅を出たところの右手奥の銀行に行く。駅でのexchangeはレートが悪いといわれていたので、とにかく日本円持っていって、その国々で交換することにしていた。円の大金を持ち歩くのは長旅を行くものしては邪道だし、危険だと思うのでお勧めは出来ない。たまたま僕ら2人で行動しているのでやったこと。
さて、銀行の前には回転扉(しかも一人しか入れない大きさ。)がある。しかし、その前に立っても、うんともすんとも動かない。中を見ると明らかに営業はしているのだ。しかし中に”入れない”このジレンマ。どうしたものか、ここの国の銀行は暗証番号なり、”開けゴマ”の様なことを言わない限り、特定な人しか中に入れてもらえないのか。しばし呆然。
じっと人の動きを観察するしかない。まもなく(というか当然)そこへ、一人がインターホンらしきものに触って中に入っていく。インターホンで用件を言うシステムなのか。もう一人入る。やはり同じ行動で中に入る。中の人も出ていく。
ベネチアの銀行で日本人二人が、出入口をじっと観察しているなんて、他人から見たら相当おかしいな光景だったろう。しかし、我々にはリラが一銭もないのだ。ここで換えるしかないのだ。
らちが明かないので、とにかくインターホンのボタンを押す。程なくして扉が開く。中は入ると、一人がやっと立てるくらいのスペースしかない。すぐに外側の扉がしまり、内側の扉が開く。人間のためのパスボックスの様なシステムだったのだ。
しかし、結局ここで荷物が引っ掛かることに。20kgもする荷物と一緒じゃ、一人でやっと立てるくらいのパスボックスにタイミング良く入れるわけがない。荷物を抱えようと思っても、肘が引っ掛かってしまうくらい狭いのだ。扉は無情にも閉まってしまう。荷物が思いっきりしめつけられる。日本の自動扉のように引っ掛ったら開く様な親切なセキュリティーなんてあるわけがない。ジタバタしていると、近くの人に助けられる。どっと汗が出てくる。なんともなさけない、あやしい日本人だ。
お金のエクスチェンジなんてたいした話じゃないんだけれども、この対応した人がとても銀行員とも思えないくらいの格好をしているのだ。トータイに、メンパン、皮ジャンに無精ひげの面で、そして態度はぶっきらぼう。イタリアはとくにスーツが常識ではないのか。特に行員などという固い職業のイメージのする職業はスーツを着用する事は当り前な気がするが。事実、自分もそのような格好を何の疑問も持たずに10年前に入社したわけだから。しかしこの行員はどうみても、レートをチョロ負かされそうな感じ(そんなことは決してないんだけれども。)。いきなりイタリアに来て色んな意味でのカウンターパンチを喰らう事になったわけだ。国越えれば、こんなにも事情が変わろうとは、、、
●どこへいっても、going my way、、、
さて、現金も手にした事だし、さっそくヴァポレット(水上バス)の3日間通し券を購入。 RIALTOまでの急行で行く。急行は何しろ通常のヴァポレットよりも混んでいる。そして、当然ながら観光客で一杯だ。ウィーンでも同じだが、なしろ西洋諸国はイースターと呼ばれる休日=観光シーズン。あわせて、学校が始まる前の春休みらしく、どこもかしこも中、高生やらでいっぱいだ。これがまた厄介な存在だ。こればかりは各国どこも事情は同じだろう。うるさいし、マナーは悪いし、ちょっかい出してくるし、どこでも平気で座っているし、そして大量な固まりとなって、至る所にいるわけだ。参ったのは、ただでさえリアルト橋は観光客でごった返しているのに、平然とヤンキー座りしているどこかの国の高校生達。しかも引率の先生も一緒にヤンキー座り。橋を渡ってくる観光客は、彼らを避け、何とか通ろうとしているので、まさしく大渋滞。こっちはあの橋を渡るのに20kgもある荷物を担いでいるので、体の自由がきかないまま何とかのぼっているのに、こやつらがいるために本当に苦労してしまった。ここでは注意する人もいないし、引率の先生も楽しそうに涼しい顔をしている。going
my wayが当たり前なのか。ちょっとは状況というものも考えてほしいもの。 その喧噪も抜けて、やっとrialto橋のたもとのこれから3日間泊まる事になるhotel
marconiに到着。チェックインするもまだ早く午前中のため、荷物だけ預けて、いざヴェネチアの街に出る。
●サンマルコ広場のネコ
まず、真っ先にサンマルコ広場を目指す。なにせ、この街の中心的な広場でもあり、中世の街の表玄関でもあり、また僕が大学時代に多少勉強した場所でもあったのでどうしても始めに行きたかったのだ。しかし、行く先々で気が散ってしまう。この街は街路と路地と運河と海の街。始めてだった事もあるが、どこを向いても絵だ(そう見えるのだ)。自分がキョロキョロしているので結果として人の邪魔をしているのと、観光客がたくさんで、細い路地のキャパを超えているので一向に前に進まないのだ。
そして、やっとサンマルコ広場に到着。朝はまだ早く、広場に面するカフェもまだ準備中。あっちこっちでカフェ所属の演奏家達は軽い練習をしているところ。広場は、観光客の話声、生演奏の音、鳩のバタバタ、とにかく音の洪水と活気で溢れている。
サンマルコ広場の建築的な特徴の中で、広場自体が台形の形状をしており、広場の中心となる寺院からは遠近感が強調され、見た目よりも広く見えるようにしてあること。一方で、海に面して2つの塔が立っているんだけれども、これが、海の空間、広場の空間を結界として分けていること。それを巧みに演出するこれらの組み合わせで、世界まれに見る美しい広場空間が出来あがっているのだ。
そんな中で、世界最古のカフェフローリアの前でおおきなネコが突然のっそのっそと歩いて来るのが見えた。こっちはすぐにカメラを構えると、それが分っていたかのようにこっちの真ん前でどすんと腰を据える。ちょうど、カフェのお兄さんが準備中で、椅子と椅子の間の通路をふさぐような形で座っているのだ。ふざけてウエイターがネコのしっぽを踏んでも、全くネコは動じない。“止めろよと“と言っているかのようにニャーと言うだけで、決して動こうとしない。たいしたもんだ。そのうち、こっち見るのも飽きたらしく、サンマルコ広場の喧騒の中へ消えていってしまった。残念ねがら何回もここサンマルコ広場に行ったけれども、このネコには二度と会う事はなかった。
●あの老夫婦はどこへ?
サンマルコ広場は、僕らも含めてまず観光客がだれでもまず最初にいくところなので、とにかく人びとでごった返している。僕らはもう、そこにいることに我慢できずに海沿いを歩き、フィガロに掲載されていた見学路を目指してひたすら歩くとする。裏路地に入りすぐに、僕らの目の前でなにやらせわしなく歩いている老夫婦に気付く。もうそろそろお昼に差し掛かる頃。たぶんランチを食べるためのお目当てのレストランを探しているらしく(これは僕らの勝手な想像なんだけれども。)、通りすがりの人に何やら聞いては、右に行ったり左に行ったりしている。きっと、相当においしいところを目指しているのだろうと、少し距離をおいて後をついて行くことにした。僕らはその漁夫の利を授かろうという魂胆だ。しかし、この老夫婦はあっちいっては戻って来ては、こっちいってはまた戻ってくるのだ。こっちは後から追い掛けているものだから、戻って来た時には必ずすれ違ってしまうのだ。それを15分間続けていれば、結構な数ですれ違う事になる。こっちは東洋人でまったく人種が違うので、そのうちに後をついている事がばれてしまうのではないのかとハラハラ。いい加減に目的地にたどり着きそうにもない。僕らもあきらめて、もとの散歩道を戻る事にしたんだけれども、当然だけれども元の道に戻れるわけがなかったのだ。僕らも結局は迷子になってしまったのだ。短気で、しかもブツブツ言っているおじいさんの声も遠くなってしまった。
果たして、彼らはたどり着けたのだろうか。ヴェネチアはとにかく迷路。
●リストランテ AL GIARDINETTO
結局、僕らは何にもありつけずに、とにかくフィガロ掲載散歩ルートNo.3と思われる道を歩くことに。ここまで来たら、結構な時間。かなり腹は減っている。ふと目の前にあった立派な看板のリストランテに決定。これまた入っていったら、立派なヴォルト天井のある格式あるもの。期待は膨らむ。まずは、アンティパストミストを注文。日本では見たことのない美味しいサラミが出され、その圧倒的な種類に驚く。メインはカルボナーラとタリオリーニのパスタ(正確に言うと第一の皿なんだけれども、僕らの小さな胃にはとても、イタリア人並みの食欲はないのであった。)。絶好のタイミングで、アルデンテ状態でだされる。これは、相当に美味しい。いままで日本では相当にいろんなイタリアレストランにはいったけれども、これほど美味しいパスタは、カルミネ、カッチャーニ以来だ。しかし、これ以上第二の皿にまではたどりつけない。ここまでで相当に満腹、満足である。しかし当然別腹で、ドルチェ(ティラミス、プリン)はいただく。ティラミスはこれまたリッチでも決してしつこくない味に満足。ここのティラミスは東京で良く行くカッチャーニ以上に美味しい。言葉では言い表せない。
最後に満足のまま、会計となるわけだけれども、あらかじめ買っていったガイドブックには席代が含まれていなければ、10%くらいはチップに、そして入っていれば1000liから2000li程度と書いてあったのを思いだし、早速レシートを拝見。、、、読めない。というか、席代とはイタリア語で何と言うのかもわからず(copertoというのを後でわかったんだけれども。)、カードで会計。結局9000liも置いていってしまった。
そのときの、対応したいかにもイタリアオヤジという風貌のウエイターの一瞬にしてほくそえんだ顔を今でも思い出す。 基本的な用語ぐらいは、勉強して覚えていくものだ。
AL GIARDINETTO
30122 VENEZIA-Castello 4928
tel 041-528-8332
ヴェネチアに行けるとしたらまた尋ねてみたいね。
●ベネチアっ子
始めてのイタリアにランチという今だかつてない、最高のもてなしを頂き、満足な状態でまた街をひたすら歩きはじめる。それにしても、この街のおいたちを考えても、答えが出ない。不思議としか思えない。なぜにこのような、迷路の様な街作りをしたのか、さっぱり理解できない。あまりにも、無造作に、そしてスプロール化した状況が余りにもすごいからだ。確かにヨーロッパの街の基本的な要素である、路地、広場、教会、塔はそろってる。だけれども、余りにも複雑で、到底、ガイドラインにたった都市計画ではないことだけは明らかだ。不思議なのはここに立っていること自体、人工物なのである。人工であれば、この様な自然発生的な、そして無作為なそして無謀なことはしないと考えるのが普通。しかし、それがイタリア人といわれてしまえばそれまでだけれども。街をうろうろ一日考えたって、答えはでるわけがない。
ここヴェネチアはイタリアだけれども、この後に行くフィレンツェやローマとは明らかに違う人種の様だ。目は黒いし、目鼻立ちはオリエント系が入っている。歴史的に見ても、ここは東西の交易として栄えていたので、たしかにヴェネチア人といってもおかしくはない。数々の栄枯盛衰を体験してきたここの古都は、民族として、そしてベネチアっ子として、しっかり歴史を息づいてきた感じだ。
あとにも書いているけれども、ここに住んでいるあるいは、働いている人達は独特の誇りを感じた。”何か”が息づいている、そんな民族、そんな街だ。
そんなことも、くだらないことも考えながら歩いていると、もう夕方になっている。歩いていくうちに、なぜか始めてきたサンマルコ広場に来てしまう。これは、習性とも言えるもので、ここに滞在した3日間はだいたい夕方、日が暮れてくると、サンマルコ広場に来てしまう。理由は簡単。完全に夜になってしまうと、自分のいる位置を確実に突き止めておかなければならない。そうでないと、この複雑怪奇な街の中に完全に溶け込んでしまい、どこに、どこへ向かっていくのか、わからなくなってしまうと心配してしまうから。
地図でいくら目を凝らしたところで、正確にはここはどこにあるのかすらわからない。わからない自分があることを認識し、そして納得することからこの街が始まるのだ。
腹が減ったので、夕飯とする。 またもやフィガロさまさまで、特集号に掲載され、ちょうど宿泊先のマルコーニに程近いANTICO DOLOという居酒屋に行く。地元の人が行く店でもないのかもしれないけれども、どことなく田舎くさいところが良い。結局、そこは、観光客だらけ何だけれども。右隣はイギリス人、左隣はアメリカ人であった。日本人の気配は感じられなかった。まあ、季節的にも完全にオフシーズンなので、そんなに日本人はいるとは思えないんだけれども。僕らは特殊ケースなんだと改めて考えてしまうこの状況。そうそう、僕はフリーで、会社を辞めたんだと。
ここは前菜盛合わせ(アンティパスト・ミスト)が有名。当然、注文。それからリゾットとフィットチーネかなにか(忘れた)と、ここ自慢のワインを一本(本当は、グラスのつもりだったんだけれども、おじさんに巻く仕立て上げられ、まんまと乗せられてしまった。)。
前菜は何しろ量が盛りだくさんで、これだけでももうお腹は満腹状態。これ以上は食えないくらい。せっかく出てくる主菜は、何とか流し込むといった感じで、とてゆっくりと優雅に食事をとるといった感じではない。ワインももったいないのでガバガバ飲んでしまったら、相当に酔っ払ってしまったのだ。今晩は爆睡である。
●HOTEL MARCONI
今日から3泊するホテルマルコーニは、日本からファックスにて予約を入れたホテルである。ここは、以前に買った旅行雑誌に載っており、単純に写真の良さからココに決めていた。この、混雑しているイースター休日にも関わらず、三ツ星ホテルが予約できただけでも、良かったが、何しろ部屋の位置が悪かった。僕らは、運河側が見れなくても、安いダブルを希望していたんだけれども、ココの部屋が何と、もと従業員部屋と思われる位置にあったのだ。この部屋を見て、妻はカンカンになってしまったのだ。明日には、残りの宿泊をキャンセルしてでも、出ていくとすごい剣幕。
ここは、1Fの受付カウンターから階段で2Fの廊下を歩き突当ったところで、また別の階段を下がって(建物の中も見事に迷路になっているのだ。)、食堂を抜け、従業員の裏口を通って、やっと部屋の入口にたどり着くありさま。しかも、部屋のすぐ外は通路になっており、人が通るたびに声がする。部屋にはもともと使用していたと思われる扉があり(もちろんしっかりと閉められているのだが。)、始めてのイタリアに来たものとして、とても安全とも思えない部屋だったのだ。
インテリアはすごく凝っており、清潔にしているので、僕は全く気にならなかったが、すごく不満。彼女はいままでフリーであっちこっち旅行している百戦錬磨の持ち主なので、気に入らなければ、さっさと次のホテルを探すバイタリティーがあるので、せっかく大金を払う(そしてここに2度と来れないかもしれない場所かも、、、)のに、こんな場所では絶対に満足できない。ホテルを換えるというのである。もう、僕はその勢いを止めるだけでも精一杯だった。何とか他のことに目を生かせるために必死。
あ〜あ、明日は一体どこに泊まるのやら。
2001.04.05.(thu)
●ご機嫌直しに、、、
結果から先に言えば、結局3泊ともマルコーニに泊まることになったのだ。なぜなら、朝食は最高に美味しかったからなのだ。ちゃんと席に付けば、暖かいパンを出してきてくれるし、水は頼めばミネラルをタダで出してくれるし、ジャム&ヨーグルトは取り放題、ともに5〜6週類はあったと思う。そして、ハムの種類とベーコン(柔らかく、ジューシーで最高。)が今だかつてないくらい満足するくらいの美味しさである。これだけ出されれば、もう気分は一転。食事も全くにして重要なファクターなのである。
あとから、僕らの部屋は食堂に直結していることもあり、その特権を利用して、ジュースは無尽蔵に飲めるのであった。ホッホッホッ。良い子のみなさんは決してまねしない様に。
さて、朝食で満足して、颯爽と街に出ようとするが、空は怪しい天候。
昨日の夜から雨模様がそのまま引きずっているのであった。ヴァポレットに乗船し、最初の目的地のpeggy guggenheim美術館に一直線。現代美術に傾倒している僕にとってどうしても見に行きたいところ。ニューヨークのグッゲンハイム美術館の圧倒的な絵画の質と量にノックアウトされてきているので、期待大である。しかし、ここに来て、天候がさらに悪化。突風も吹くあれ模様。なんとか入口にたどり着いたのは良かったが、ここも高校生たち(多分)の大集団が列をなして雨に打たれている。仕方なく、雨の中を並ぶとする。
ずぶぬれになりながらも、やっと受付にたどり着くが、ここまた大混乱に陥っている。なにしろここはバッグ持ちこみ禁止なので、物を預けるもの、返してもらうもの、切符や案内を買うものなど人々であふれている。もともとは邸宅を改造して美術館にしたものなので、致し方ないところか。とにかく、大人数のキャパはないのである。
大変な思いをしたにもかかわらず、結局展示物に関しては、あまり興味をそそるものは発見できなかった。まあ、ベネチアの小ビンが窓越しの映っている姿が美しかったくらい。
外は、ますます荒れ模様。 サンマルコ広場対岸にある、CHIESA DELLA SALUTE寺院にたどり着くが、ここは吹きさらしでもあり、かさが破壊されるくらいの風雨。急いでヴァポレットに飛び乗り、すべての出発地点のサンマルコ広場に行く。
それにしても、結局この旅行中においてどこへ行っても、この高校生たちと観光客(ほとんどアメリカ人)に圧倒され、ほとんどの美術館やら遺跡やらには入れないのであった。時期が悪い。
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幻影のように
浮び上がる
ヴェネチアの街
サンマルコ広場にいた
巨大ネコ
こんなほほえましい
光景もヨーロッパ
ならでは
サンマルコ広場は
壮大なスケールで
美しい。
ヴェネチア名物の
ゴンドラ。
とにかくタクシーの
様な舟は
括弧良いのだ。
運河を渡る風景は
絵画そのもの。
裏路地に入っても
美しい。歩く人も
絵になってしまう。
にぎわっている運河
とにかくこの街は
活気にあふれている。
廃墟の様な
建物でも
絵になってしまう。
この塔は(も)
傾いているのだ。
al giardinettoの
内部。
ハムのアンティパストは
言葉に表せません。
今見ても
よだれが出そうな
パスタ。
デザートも相当に
いけてます。
この美しさは
写真で見た以上。
高級リストランテ。
とても手が出ません。
ホテル フローラ
美しいファサード
だったので思わずパチリ
こんなナイスな
モダンデザインの
店もあるのだ。
必ず戻ってしまう
サンマルコ広場。
リアルト橋。手前に
オープンなリストランテ。
ウエイターもかっこよい。
リアルト橋上からみた
リストランテ。
ディナーをした
リストランテ
antico dolo
名物の
前菜盛り合せ
リゾットにきてお腹は
満腹である。
ホテルマルコーニの
食堂。とても美しい。
そして美味しいのだ。
ベーコンが特に
美味しかった。
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