<2019.1.14 K.Kotani>また、アニメーター低賃金問題を考える・完結編


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月刊近メ像インターネット


2019年01月14日

また、アニメーター低賃金問題を考える・完結編



前回の記事「「アニメーター低賃金問題」を考える」2015.8.27
前回の記事「「続・アニメーター低賃金問題」を考える」2016.8.12
前回の記事「「まだ・アニメーター低賃金問題」を考える」2018.3.24
参考記事「NEW BOOKS 「アニメビジネス完全ガイド」増田弘道著」2018.9.4

「近メ像」では、「アニメーター低賃金問題」について、過去3回にわたって、特集記事を掲載して来た。こういう事をしていると、「Kotaniさんはアニメーター低賃金問題を調べているから」と、ぽつぽつと情報を下さる方もあり、ありがたい。また、過去の記事で疑問を感じながら、結論を得ずにそのままにしていた問題についてもそれなりの推論が立ったので、再度特集記事を掲載させていただく事にした。

うちは、受け入れますので


 先日、昔のアニメーター志望者の方(結局、アニメーターにはならず、個人でアニメーション製作をされた後、現在は芸術系大学で講師をされている方)に、昔の話を伺った。学生当時(30年以上前ですが)、東京のアニメスタジオを見学に行き、「アニメーターになりたいんですが」と、スタジオのアニメーターの方(当時、アニメーターをしながら、アニメの同人誌の編集長をされていて、現在はアニメーションの評論をされている方)に聞いてみたそうである。
 答えは、「うちは、来ていただいた方は受け入れます。半年もやったら、向いていない方は自分で分かりますので」という事だったそうである。

「続・アニメーター低賃金問題を考える」の中で、「普通の会社のようにきちんと選考して適性のあるものを採用するのではなく、アルバイトのように簡単に採用を決めてしまうのが、高い離職率の原因ではないか、と書いたが、どうも本当にそうだったらしい。

 だが、これは「悪い事」なのか?

アニメーター志望者の今昔


 日本に商業アニメーションというものが始まった時、アニメーターというのは絵の描ける人間の就職先の一つだった。若い頃の手塚治虫が某アニメプロ(当時の事だから個人商店のような会社)に「入れて下さい」と頼んだ所、「アンタはアニメに向かん」と断られたというエピソードがあるが、こういう「アニメーションのファン」みたいな人間が行く場所というよりも、普通に芸大を出て就職先を探している人のような人が受ける会社のひとつ、という色が濃かったように思える。東映動画の初期の新人採用の様子などを当時の文献などで読んでいると、どうもそう思える。大体、あの頃は大人のアニメファン、というものは全国で100人もいなかったのではないか。

 ところが、1970年代から、テレビアニメが盛んになり、「海のトリトン」など、子どもではなく中高生を対象としたアニメーションが作られはじめた頃、同時に子どもの頃からアニメを観ていた人がぼちぼち就職の事を考える時期になった。若いアニメファンが激増し、各地でアニメのファンサークルが作られ、情報交換が盛んになされ、「アニメーターという職業がある」という事が一般に広く知られるようになった。商業誌としてのアニメ専門誌が出始めたのもこの頃だ。
 「アニメーター」が、「絵の描けるひとの就職先のひとつ」から、「アニメファンの憧れの職業」に変わったのはこの時代だと思う。「アニメーターになりたい」と家出した中学生の女の子がいたり、アニメスタジオが押し掛ける見学者の対応に追われて「仕事にならん」とぼやいていたという雑誌記事もあった。
 その後のアニメーターの多くは「元アニメファン」になったと思える。「アニメーションなんか好きでもなんでも無いけど、仕事だから仕方なくやってる」などという人はほとんどいないのではないか。

過剰採用の謎


 過去の記事で、アニメブロの関係者の方の「新人の2-3割は原画になれる。8-9割は動画にはなれる。」という話を紹介した。考えてみれは不思議な話である。入って来た時点で、「こいつは動画にはなれるが、原画は無理だろう」という事が分かっているのに、何故採用するのか。
 現在では、原画職に上がれなければ、食べて行くだけの年収を稼ぐ事は出来ない。
 また、動画は現在9割を海外発注していて、残りの1割は新人育成の為に残してあるだけ、という状態なのだから、企業の論理で行けば、「原画職に上がれる見込みのある人間だけを採用して、生活して行けるくらいの初任給を出して、しっかり育てる。」方が、利益追求という意味から見れば妥当なはずである。
 実際、ほんの一部ではあるが、固定給で正社員としてアニメーターを採用している会社もある。しかし、試験が難しいので、全新人志望者のうち、上位のほんの一部の人しか入れない。また、入社後2年間位限定で、歩合給とは別に一定額を支給している会社もある。「3年目になって給料が減った」とぼやいている動画職アニメーターの声がどっかのサイトに載っていたが、会社としては「2年で原画に上がれない人間は要らない」という事だろう。
 こういう会社に入れない新人でも、その他の歩合給オンリーの会社には入れる。この記事の第一回で「なりたい人全員がなれる。」という話があったが、こういう事であろう。また、「8-9割は動画職にはなれる」という発言からすると、1-2割は動画職にもなれない人も入ってくるわけである。
 そして「向いていない人は自分でわかる」から、半年位で辞めて行く。
 結局辞めるのが分かっていて、なんで入れるのか? 分からない、という事はないと思う。分かっているはずだ。

ここで、「アニメーター」は「元アニメファン」という事を思い出そう。小さなアニメプロは、大抵社長もアニメーターである。
 (実はうちの近所(大阪府豊中市)にも「わんぱっくスタジオ」という個人経営のアニメプロがあった。良く買い物に行くスーパーの向いの建物の二階にあって、「へー、こんな所にアニメプロがあったの」と思っていたが、先だってアニメーターの社長が急死されたとかで、潰れてしまった。)
 さて、この小さなアニメプロのアニメーターの社長の所へ、他の会社に入れなかったアニメーター志望者がやってくる。大抵、社長といってもまだ若い人で、自分がアニメファンでアニメーター志望者だった頃の事もよく覚えている。志望者の絵を見ると無理があるようだが、志望者は眼をきらきらさせて、「どうしてもアニメーターになりたいんです」と必死で言ってくる。自分がアニメーター志望者だった頃が思い出される。机が空いていれば、つい、「厳しいけれど、やってみる?」と入れてしまうのも無理はない。どうせ歩合給なので、直接経費はさほどかからないのである。そして、「向いていない人は自分でわかる」ので、また机が空く。



 こういう風に、「とりあえず、全員にチャンスはもらえる。」のと、「2-3割の原画職候補者を残し、残りは門前払い」するのと、どっちがいいのだろう。
 この記事の第一回で「とりあえず、アニメーターになりたい人は全員なれる、という現在のシステムを止める、という事に疑問を感じる」という、アニメ会社関係者の話を紹介した。これは、こういう事だったのではないか。

 「2-3割の原画職候補者を残し、残りは門前払い」する事には、他の弊害もある。アニメ専門学校の問題である。現在、多くのアニメ専門学校では、就職率100%またはそれに近い数字を入学案内に提示している。この就職率が20%になったらどうなるか。
 前回の記事で、毎年の新人アニメーターの数は分からない、と書いた。ここでもう一度推計してみたい。現在、日本の動画職アニメーターの数は1300人程度と思われる。これと、「1年目で半分、2年目で残りの半分、数年で9割が辞める」という状況と、「1-2年で、動画職から原画職にステップアップさせていき、3年目の動画職はほとんどいない筈」の状況を組み合わせると、毎年、1000人位の新人が入って来ている筈、となる。この半分がアニメ専門学校の学生とすると、500人である。アニメ専門学校の学費は毎年100万位、2年制だから、年間10億円の売り上げを持つ、アニメ業界の中でもそれなりのウェイトのある産業である。また、声優その他の職種を含めると業界全体の新人は10000人だそうで、半分がアニメ専門学校の出身とすると、年商100億の産業だ。
 この就職率が2割、となると、入学志望者はどかっと減るだろう。(そうなったら、就職率は表示せず、「業界で活躍している本学卒業者」を表示するようになるのかもしれないが。)アニメ製作会社OBの貴重な再就職先である、アニメ専門学校としては、誠に困った事態になるだろう。

なぜ上がらない制作費


 以前にNHKで放送されていたアニメーター低賃金問題番組で、コメンテーターの方が、「制作費を2倍に上げて下さい。」(そうすれば低賃金問題は解決します)と訴えていた。上がるはずがない。大体、問題となっているのは「動画職アニメーター」の低賃金で、1000万から2000万くらいとされているテレビアニメ製作費の中で、動画部分の費用は、200円×3000枚・60万円位に過ぎない。なのに、1000万を2000万になぜ上げなければいけない。1060万にすれば、動画職アニメーターに現在の倍の賃金は払えるではないか。
 そもそも、現在でもアニメ番組の制作費は高い。深夜帯の、DVDや主題歌CDの売り上げで制作費を回収している深夜アニメで2000万、昼間の普通のCMで回収しているアニメで1000万。同じ30分番組の別種の番組(バラエティとか、観光地紹介とか)の制作費と比較して、不当に安い、という事は決してない。「いや、手間がかかるから、もっと高くして下さい。」というのであれば、そもそも「そんなに制作費の高いものをテレビで番組として放送できない」のである。

 で、あれば、「制作費の範囲で作れば良い」のではないか。
 昼間のアニメは1000万で作っている。よって、深夜帯のアニメの品質を昼間並みにして、昼間のアニメをもっと落として500万で作るようにすれば、スタッフに、ちゃんとした賃金を払えるはずだ。
 私は最近は昔みたいに全部のテレビアニメを観ている訳ではない。が、最近たまたまテレビを付けていて「昼間のアニメ」を観る機会があった。見事に動かない。いつまでたっても動かず、3DのCGを合成したシーンのみ、そこが動いている。画面を観ながら、正の字をつけて「一枚、一枚・・・」と動画枚数を数えられるのではないか。ただし、昔みたいな作画の乱れはなく、一枚一枚の絵はちゃんと描いてある。話はちゃんと作ってあって、普通に鑑賞する分には問題はない。ただし、昔気質のアニメファンの方は、「動かないなぁ」と不満だろう。
 一方、深夜帯のアニメはちゃんと動いている。しかも、絵が乱れずきちんと描いてある。(それでも文句を言う人は言っているが、昔のテレビアニメの絵と比較すれば抜群に奇麗である。)


(昔のテレビアニメ「聖戦士ダンバイン」(1983)より。左右のキャラは同一人物。一話の中で、ヒロインがこの作画・・・)

 本当に制作費を半分にして、この深夜のアニメが昼間のアニメみたいになったらどうするか。また昼間のアニメの制作費を半分にしたらいったいどうなるか、その現物がないから想像もつかないが、惨澹たるものになるだろう。
 いずれにしても、どっちも誰も観なくなる。
 誰も観ないから、DVDもCDも売れない。スポンサーもつかないから、テレビからアニメ番組は無くなる。そして、「僕も私も、こんな素晴らしいアニメを作りたい」と殺到していたアニメーター志望者も、質の落ちたアニメを観て「こんなものだったら、いい。」と来なくなる。業界は崩壊する。
 これが分かっているから、今の作品品質は保持せざるを得ないのだろうと思う。

 海外製のテレビアニメが日本に入って来ないのも、このせいかも知れない。日本程ではないが、海外でもテレビアニメは作られている。南米で最近「鉄腕アトム」の新作シリーズが作られた、という話を聞いた事がある。ただし、日本には入って来ない。ネットでちらりとこの作品の一部を見る事は出来るが、どうも大した事はないようだ。昔、映像コンテンツが不足している時代にアメリカから旧作のアニメを買って放送した事があったが、今は国内だけで膨大な作品が作られているから、一定レベル以下の作品は輸入しても誰も観ないだろう。誰も観ない作品をお金を払って輸入しても仕方ない。ディズニーものの3Dのアニメを最近テレビでやっているが、これは「ディズニー」だから、ある程度の視聴率を期待できるからだろう。また、この3Dのディズニー、中身も一度観た事があるが、中々良く動いてはいた。(これ、実は「中国製」だったら笑っちゃうけど。)動いてはいるが、話はどうという事は無い。この、「海外製」のテレビアニメ、多分「予算内」で、スタッフにはそれなりにちゃんと金を払って作っているんだろう。これが海外製テレビアニメの国内進出を阻む「非関税障壁」であるなら、喜ぶべきか悲しむべきか。

なぜ「製作委員会悪玉説」が生まれたか


 一時、ネットを中心に、「テレビ局は十分なお金を払っているのに、製作委員会というものが中間に入って、「自分の分」とかなりの金額を抜いてしまうので、実際に製作をしているプロダクションにはお金が渡らず、アニメーターが低賃金になっている」という説が流布した。もちろんフェイクニュースであるが、「最初の総制作費いくら」「製作委員会いくら」「どこそこいくら」「プロダクションに行く金これっぽっち」という表までついていたので、信じていた方もいると思う。(今でも信じている人がいるかも知れない。)
 この「製作委員会」というもの、制作会社のようなもので、「アニメーション作りますからお金出したい方集まってください。」と誰かか声をかけ、集まった出資を使って放映権料等を支払い、直接の制作費を支払い、広告を集めて広告料を取り、キャラクターを使って商品を作って売り、DVDやCD等を売り、その他もろもろを行うものである。決して、中間で抜いている訳ではない。
 「これだけしか残らない」とフェイクニュースで言われている金額は、実は元々の直接制作費であって、番組が当たろうがコケようが、一定の金額である。「大ヒットしているのに、アニメーターに回らない」かもしれないが、「映画・番組が大ゴケして大赤字になっても、一定額は直接の製作会社に渡る」仕組みなのである。」 ではなぜ、「製作委員会が悪い」という説が出て来て、ある時期「定説」のようになったのであろうか。
 思うに、我々は、何か具合の悪い事が起こると、「これは誰かが悪い事をしているのでこういう事になったんだ。犯人は誰だ。」と犯人探しを始め、誰かそれらしい人が見つかると「あいつが悪い!」とその人のせいにして納得する、というくせがある。週刊誌などはその最たるもので、事象・事件・事故が起こると「ソレッ」と犯人探しを始め、「何々事件のA級戦犯・真の責任者は誰それだ」という記事に仕立て、我々はその事件に何の関係がなくても、その記事を読んで溜飲を下げ「真の責任者は誰それらしいよ。」等と通ぶってみるのである。(そういう記事は、良く読んで深く考え、自分で疑問点を調べると、辻褄のあわない事が極めて多い。ちゃんと調べて書いてはいないのである。しかし、たいがい週刊誌という物は読む方も真剣に読む訳ではないから、バレないだけである。)
 今回の「製作委員会」というのも、その言いがかりを付けられた「誰それ」であって、中抜きをしてアニメーターを搾取している訳でもなんでもない。「アニメーションはこんなに当たっていっぱい儲かっているのに、アニメーターさんにはお金が回らない。犯人は誰だ。」と犯人探しをしたあげく、「この製作委員会というのは何だ。なんでこいつらがお金を抜いているんだ」という事になったんだろう。 そして、この「アニメーションは儲かっている」というのが、実は幻想なのである。「こんなにバンバン放送されて、一杯商品も出て、みんなコスプレをして、世界的にも評価されているから、儲かっているに間違いない」というのは、単なる思い込みであって、何の根拠もない。実際倒産しているアニメプロもぽつぽつある。大手の会社でも、「儲かっているのは2-3の番組だけ。他の赤字をそれで埋めてなんとかやっている。」というのが現状である。
 「製作委員会悪玉説」というのは、「誰かか悪玉であってほしい」という願望が起こした幻想である。

何故立ち上がらないアニメ関係者


 1990年、アエラの記事の中で、アニメプロの社長は「このままでは日本のアニメ制作は立ち行かなくなる。」と述べている。2007年、週刊東洋経済の中では、「アニメ産業は重大な危機に直面している。」という記事が掲載されている。そして2015年、庵野監督は「このままでは、10年持たない」と発言している。
 ところが、この20年以上にわたって、アニメ業界全体が危機感を持って結束し、次世代を担う人材確保・育成に向けて動きだした、という話は全くないのである。(それどころか、東映では人材育成をしていた「東映アニメーション研究所」を2011年に閉鎖してしまった。)
 ひとつには、現在のアニメーション業界のお偉いさんの皆さんの多くは70年代にアニメーターを経験していて、「昔から、低賃金・長時間労働だった。」事を知っており、「昔からそうだよ。何をいまさら。」という事なのだと思う。(直接の現場を離れて久しいので、70年代と今とは全然状況が違う、という事がワカッていないのだろう。)
 また、前にも述べたように、毎年新人がじゃんじゃか入って来るので、どんどん辞めていこうとどうしようと、結局は大丈夫だろう、という事が現場の感覚としてあるのだろう。
 じゃあなぜ「いや、大丈夫ですよ。」という声も出ないのかと言うと、「危機だ、あぶない、大変だ」という騒ぎになっている方が、アニメ業界にとって何かと都合が良いからだと思う。「制作費、もう少し安くならない?」という圧力に対しては、「いや、現場のスタッフは今の制作費でも月収10万でやってるんですよ。とんでもない。」と言えるわけである。正直に「このままでも大丈夫だ」といっている業界人は、「アニメビジネス完全ガイド」を書いた元社長さん位ではないか。

一番悪いのはアニメファン?


 深夜帯のアニメは、DVDと主題歌CDの売り上げで製作費をまかなっている。よって、もっとDVDとCDが売れたら、制作費が上がって、スタッフの人件費も上がるはずである。「おそ松さん」の番組内のCMで、トト子ちゃんがDVDを持って「買って下さい、一人一枚いや二枚!」と言っていたが(これは、もちろん同じDVDを2枚ずつ買ってくれ、という意味です。)、その通りで、アニメファンの皆さんは、今までの2倍のソフトと関連商品をご購入いただきたい。そうすれば、アニメーターの待遇は間違いなく良くなります。(昔、「くりいむれもん」(アダルトアニメ)のテープソフトを一人で1タイトル3本買っていた人がいた。見習っていただきたい。) 大体、今のファンは眼ばっかり肥えて文句ばかり良い、ちゃんと金を払わない。DVDなんか買わず、テレビを録画したり、レンタルソフトをコピーしたりして済ませる。それだけならまだいいが、録画して置いておくだけで、観ない。観ない上に「録画したソフトの山で部屋が狭くなって困る」などと文句を言う。あげくに「新番組が毎期何十本もあって、観るのが大変だ」と文句を言う。その毎期何十本もの新作テレビアニメを作るスタッフの方がもっと大変である。
 さらに、直近のテレビアニメでは、テレビシリーズの最終回では話が終らず、「続きは劇場で」というものが出て来ているそうだ。制作費を回収する為の涙ぐましい努力である。SNSでは、「最近のこれはひどいね。」という声も上がっているが、面白いんだったら、ちゃんとお金を払って観に行こうよ。つまらなければ観に行かなければ良い。
 その新作テレビアニメたるや、最近は全部一定以上の品質のものがずーっと放送されて続けているから誰も不思議に思わないが、動画のキャラはきちんと揃い、背景アートはきちんと整えられ、「毎週放送して使い捨てられる」TV番組にこんな手間をかけて大丈夫かと思うような画質のものばかりである。海外のファンから、「日本のアニメは絵が奇麗で、ストーリーが複雑で面白い」と評価されているのもさもありなん。
 海外では、日本のように大量のテレビアニメは作られていないそうだが、まったく作られていない訳ではない。しかし、日本のように手の込んだ高品質のものではないらしい。ネットでの報道では、最近は中国で国内向けのテレビアニメが作られ始めていて、日本アニメの下請けをしていたアニメーターが作画をしているのだが、日本向けよりも簡単な図柄で枚数が稼げるので、大変儲かっているそうである。要は、「予算内で作れる品質のもの」を作れば、アニメーターにもきちんとお金が払えるという事である。
 その「予算以内で作れる品質」を許さないのが、我が日本のアニメファン達である。

二番目に悪いのは、アニメーター?


 1977年のマスコミ評論の記事に、気の合う仲間達とじっくり良い作品を作りたい、というアニメーターの発言があった。1991年のCOMICBOXの記事にも、時間と予算をかけて、ちゃんとした仕事をしたい、というアニメーターの発言が載っている。
 長編やアート系短編まで含めれば、日本のアニメーションは世界一であるとは言えないと思う。しかし、テレビアニメに限って言えば、質、量共に日本が世界一である事は間違いない。世界一であれば、スタッフは経済的に正当に待遇されてしかるべきかと思う。しかし、実際はそうはなっていない。質の点では制作費に対してあまりにも高い品質の作品を作っているため予算が足らず、また量の点では、あまりにも作品本数が多いため、ソフトや関連商品購入で作品を支える筈のファンの経済力が追いついていかないのである。
 前の回にも少し書いたが、アニメーターのみならず、制作スタッフ一同、「少しでも良い作品を作りたい」としか考えていないのが今の日本のアニメ界である。そうでないのは、「アニメビジネス完全ガイド」を書いた元アニメプロの社長さんとか、アニメ学会の大会で、マーケティングの講演をされた某大手プロの幹部の方のような、部外者のビジネスのプロフェッショナルの方たちだけだろう。なにしろ、アニメーター以下ほとんどのスタッフは、「元アニメファン」なのだから。
 そして、「少しでも良い作品を作りたい、としか考えていないから、作品制作の合理化、に手が回らないのではないか。」とも書いたが、実は、制作の合理化はゆっくりであるが進んでいる。昔は、動画を一枚ずつ手でセルにトレスしていたから、各アニメプロにはアニメーターと同じくらいの人数の「トレーサー」という職種の人がいた。ところが、「トレスマシン」という、原画とセルと転写用紙を重ねて、ぽんぽんと機械に通すときれいにトレスのできる機械が出来て、トレーサーの皆さんは一部をのぞき、ほぼ一斉に失業した。相当な経費の節約になった筈である。また、一枚ずつ絵の具でセルに彩色する「仕上げ」という作業もデジタル化され、カチカチとマウスで作業するようになった。これも、相当の経費節約になったはずだ。さらに、フィルム撮影からデジタルになったため、一枚何十円もするセルは不要になった。撮影自体も巨大なマルチプレーン撮影台に数名のスタッフが群がって、パシャリとコマ撮りしてはセルを交換したり、セルの位置を少しずつ動かしていたのが、パソコンの中にデータを取り込んで処理するようになった。これも経費の節約になった筈である。これは、実際に16mmフィルムからデジタルに製作を移行させたアニメーション作家である私が言っていることだから、間違いはない。1989年に16mmで製作した「鯨おいしいね」は30万円かかった。ところが、2012年にデジタルで製作した「鬼ケ島」は、1万円もかかっていないのである。(個人の自主制作なので、人件費は当然入っていませんが。)
 ところで、日本アニメ学会の大会の後で、学会員有志が、某大手プロダクションに見学に行った事がある。そのおり、「デジタル化したので、省力化が進んだのではないか」と、スタジオの案内係のスタッフに尋ねられたそうである。その答えは「確かに手間はかからなくなったが、一方簡単になんでも出来るようになったので、なんでもどんどんやってしまい、結局いままでとかかる手間はかわらない。」というものだったそうだ。嗚呼。
 これでは、どんなに合理化して経費を節約しても、浮いたお金は全部作品を良くする方向に回ってしまい、アニメーターを初めとするスタッフには回らないではないか。
 このアニメーター、元は、アニメーションの品質に厳しい目を向けるアニメファンであって、文句ばかり言ってお金を払わないアニメファンである。アニメファンの成れの果てのアニメーター・スタッフが、ファンの期待に答えて少しでも良い作品を作ろう、と頑張りすぎた結果が今日の状況ではないのか。

1.誰かが頑張って作った質の高い作品が放送される。

2.その作品を観て、若いアニメファンが「自分もこんなものを作りたい」と憧れ、一部は本当にアニメーターになる。

3.アニメーターになったはいいが、作らないといけない作品の期待値がものすごく高いので、滅茶滅茶に頑張らないと追いつかない。

4.なんとか追いついて、業界の水準レベルの作品を作る。予算からすると明らかに過剰品質なのだが、みんなほぼ同じレベル(日本国内では)なので不思議には思わない。過剰品質なので、予算が足らず、お金がスタッフに回って来ない。

5.最初に戻る。

アニメーション業界は本当に崩壊しないのか


 「アニメーター低賃金問題」がネット上で持ち上がった時、「このまま行くと、後10年で業界は崩壊する」という「仮説」が広がった。あくまで「実証されていない仮説」なのだが、なぜかデフォルトの「事実」のように取り扱われ、ネット上でのフェイクニュースの格好のネタになった。

 この「フェイクニュース」というもの、何故作られるかというと、ネット上で注目される記事を作って公開するとその閲覧数が増え、その記事の横に付いている広告の表示回数が増えて、記事を公開した人が小金が稼げるためである。時々、ネット上で妙な記事が出で来る事があるのはそれだ。この妙な記事はネット上で目立つため、世間の常識とは違った事が真実である、と強調しなければならない。「牛乳有害説」などは一例である。書いた本人もウソとは分かっているが、今の所はどこの国でもこの「ウソの記事を作って公開した小金を稼ぐ行為」は犯罪にはなっていないようである。

 さて、興隆を極める我が日本アニメ業界が、後10年で崩壊するとは、なんという格好のネタであろう。しかも、業界関係者本人たちが、そうだと言っているのである。「ウソ」と糾弾される心配もない。「それっ」と、便乗する輩が続々出ても不思議ではない。
 この仮説、「アニメーターが低賃金のため、新人がどんどん辞めている」よって、「10年後位には、業界を支えるアニメーターが不足して、アニメが製作出来なくなる。」というものである。
 しかし、この「このまま行くとアニメ業界は後10年で崩壊する」という仮説が誤りであった事は、すでに事実で証明されている。



 動画職アニメーターの収入については、年次で正確に記録したデータは無い。しかし、1977年の「マスコミ評論」1990年の「AERA」2007年の「東洋経済新報」には、当時の動画職アニメーターの収入が掲載されている。物価上昇、大卒の初任給などの賃金レベルなどを参考にして、現在の金額に換算すると、1977年で月収25万、1990年月収15万、2007年月収10万、2015年月収10万という数字が出て来る。この数字をグラフ化して、月収10万くらいになった時期を推定すると、おそらく1990年代半ばには、動画職アニメーターの収入は現在と同じくらいになったのではないかと思われる。
 つまり、20年以上前から、現在と同じ状況なのだから、低収入で業界が崩壊するとするならば、10年前に崩壊していないとおかしい。しかし、実際には崩壊はしていないのだから、「このまま行くと、後10年で業界は崩壊する」という「仮説」が誤りである事は既に証明されているのである。

しかし、これからも本当に崩壊はしないのだろうか。

 新人アニメーターが主に経済的な要因でドンドン辞めているのは事実である。しかし、現状は、辞めて行く新人を埋め合わせる位の数の膨大な新人が毎年業界に押し寄せて来ていて、穴の空いたバケツやザルでも大量の水を入れ続けていると多少は水が中に残るように、最低必要な人数は確保されている。また、新人の内、最後に生き残った1割の人間はたいがい原画職になっているだろうから、食べて行けるので、当分辞めない。動画職の一時的な不足は、海外発注で十分補えるのである。

しかし、押し寄せる新人が来なくなったら、どうなるのか。

 何かの原因で、「アニメーター」という商売の人気が無くなったとしたら、新人は今程は来なくなる。離職率は変わらないだろう。動画職の不足自体は海外発注でまかなえるだろう。しかし、原画職以上の離職率は動画職ほど高くないにしても、やはり毎年いくらかは辞めている。じわじわと高齢化と人手不足が進んで行くのは間違いない。作り手がいなくなると、業界は崩壊する。

 また、海外の発注先が仕事を受けてくれなくなったらどうなるのか。

 昔、韓国のアニメーターが日本のアニメーションの外注先の主力だった時代、収入面では大変よかったそうだ。日本のアニメーターが「あの人たちは、お金がいいからやっているだけなんです。作品への愛情なんか無いんです。」と憤っていたのもその頃だ。ところが、韓国の経済発展が進み、生活レベルが上がった今日になると、韓国でも動画職アニメーターの生活は大変苦しくなってきているそうである。(韓国のアニメ関係者に聞いた話である。)
 現在では、外注の主力先は中国と東南アジアだそうだが、先に書いたように、中国では国産のテレビアニメが作り始められていて、「絵が簡単で、枚数が稼げ、お金がいい」と、そっちに走るアニメーターが増えているそうである。昔韓国に外注して技術指導などしていた東映は、現在はフィリピンに子会社を作ってスタッフを育成し、仕事を出している。労働集約的産業であるアニメーションでは、どうしても人件費の安い所に仕事が移行して行くという事だ。そういえば、昔日本でも、人件費の安かった頃は、アメリカの下請けでアニメを作っていた。国家が経済的に豊かになると、動画職アニメーターは貧乏になる、という図式である。
 しかし、作業をどんどん安い国へ移行して行っても、いつかは限界が来る。スタジオジブリの「熱風」にアニメ関係者の間の冗談として、「スタジオのすぐ外をライオンが歩いているような場所で日本の動画を描くようになるかも」という話が載っていたが、ありえない話ではない。今ではインターネットがあるから、描いた動画のデータはネットで送れば、あっという間に日本に着く。東京とソウルの間を動画を手で持って人間が移動していた時代とは違うのである。
 しかし、日本から韓国・中国を経て、フィリピン・インドネシアを通り、インド洋を渡ってアフリカまで行ってしまえば、その向こうはもうアメリカである。
 もちろん、そこまで行くのは遠い先の話であろうが、いつかはそうなる事は間違いない。
 もし海外が受けてくれなくなったら、国内で動画作業をすべてまかわなくてはならない。今では必要な人数の4分の1、しかも未熟練の新人が大半を占める人数しかいない動画職の戦力では、とても作業が追いつかない。しかも、この動画職はドンドン減って行くのである。止むなく原画職の半分を動画職に転用するとしよう。すると残った原画職は今までの半数になるから、今の半分しか作品は作れない。かつ、動画職に降格になった人は収入が低くなるので、これもドンドン辞めて行く。 やむを得ず、動画職の待遇を70年代程度に改善するとする。動画一枚500円、月収25万くらいにすれば、離職率は劇的に下がるだろう。しかし、動画職だけをドーンと上げる訳にも行くまい。年収300万だと、最近の原画職よりも高くなるのである。「監督」は現状のままとしても、各職種を少しずつ引き上げないとバランスがとれない。そうすると、全体の人件費がドーンと上がる。前に言ったように制作費は上がらないから、作品の品質を落として経費を減らすしかない。品質が落ちれば、そんなつまらないアニメなんてみんな観なくなって、業界は崩壊する。

「アニメーター人気の低下」「海外発注先の消失」いずれにしても、今日明日起こる問題ではない。しかし、このまま放置していて良い、という話でもない。

近未来のアニメーション製作


 「アニメビジネス完全ガイド」によると、アニメーターによる作画作業は、アニメ製作全プロセスの中で、デジタル化の恩恵を受けていない唯一の部門だそうである。
 「作画の中割り」については、90年代に一度コンピューターによる自動化が試みられたが、見事に失敗した。それは、原画Aと原画Bの中間の絵を自動的に作るだけ、というものなら到底実用にはなるまい。その昔、NFBのCGアニメで「ハンガー」という作品があり、原画Aから原画Bにモーフィングする、という実験的手法で作られた中々面白い作品だったが、実験的手法としては面白いが、劇映画のアニメの中割りとしてはダメだろう。中割りには、平面画である原画Aと原画Bをそれぞれ立体のキャラクターとして把握し、中間の位置のキャラクターの形をイメージして描く、という知的作業が必要であり、かつ、それが動いた時にどう動いて見えるか、という事がちゃんと理解できていないとダメなのである。
 また、最近、中国の会社がアニメの動画の中割り・作画サポートをするソフトを作り、実際の製作に応用された、というニュースがあった。しかし、どうも、直線的な動きを作ったり、左右をひっくり返したり、という事はなんとかこなすが、ある程度以上複雑な中割りはどうも無理のようである。

 ところが、最近、コンピューターのAI(人工知能)が、「レンブラントの新作」の油絵を描いた、という話をニュースで聞いた。レンブラントの過去の作品をAIに覚えさせ、その作風とパターンで新作を描かせた所、素人目にはレンブラントの未発見の新作、と説明しても通じる位の「油絵」が出来上がったそうである。3Dプリンターで絵の具のデコボコまで見事に再現したそうなので、まことに手が込んでいる。
 また、別のニュースでは、AIに人気のある彩色済みのイラストを覚え込ませ、未彩色の線画を与えると、セル画風に塗りつぶすだけではなく、暗影や光沢までつけて人気のイラスト風に奇麗に塗ってくれる、というものが出て来たそうだ。
 こういう事が出来るのであれば、AIに動画の中割りをやらせる、というのは十分実用化の見込みのある事なのではないか。私は自分でも自分の作品は原画動画全部描くので分かるのだが、現在のテレビのアニメーションの動きのパターンの種類というのはある程度決まっていて、有限である。何百通りなのか何千通りなのかはわからないが、「こういう原画が来て、こういう指示だったら、こういう風に割る。」という形があるのである。そうでなければ、経験1年未満のアニメーターが放送で使えるような中割り作業ができる訳がない。この形を沢山覚えると、仕事で来た原画を見て、「これは、このパターン」というものを自分の引き出しから出して来て、作業をする。仕事でする、というのはどの職業もそういうものである。以前に宮崎駿がアニメーターに「君たちに動画を描かせるとみんな同じようなパターンのものしか描いて来ない」と怒っていたそうだが、それはそうだろう。一々「発想からフィルムまで」に書いてあるように、自分の経験の原点からイメージを起こして動きを作っていたのでは、毎週の放送に間に合わない。

 さて、「AIに覚え込ませるべき動きのパターン」である。幸いな事に、アニメーションの製作がデジタル化されてもう10年以上経つ。その間の現動画のデータは全てデジタル化されたデータになっているから、その中からAIに覚えさせたいパターンを選んで、これが原画、これが中を割った動画、と覚えさせ、新しく「原画」を与えると、パタパタと割ってくれるだろう。人間は出来上がった動画を見て、動きをチェックして、必要なら修正する、という事をすればよろしい。
 もちろん複雑な動きでAIでは割れないケースもあるだろう。そういう場合は、「AIが割れるように描く」のである。手前のキャラクターで奥のキャラクターが隠れたり見えたりする場合は、奥と手前のキャラクターを別のセルとして作画するとか、いろいろあるだろう。「板野サーカス」の板野一郎氏は、「昔は一枚の動画に全部描き込んでいたが、今のアニメーターはそれが出来なくて、手前と奥を別々のセルに描いて重ねる」と嘆いていた。昔本物のセルに描いて重ねて撮影していた頃は、セルの重ね過ぎると背景が暗くなるので重ね枚数に制限があったが、今はデジタルで重ね放題になっている為らしい。まあ、合理化の影響の一環、という事でやむをえないのだろうか。
 もちろん、一種類のAIで全部の作業が出来るとは思わない。アクションの得意な「金田くん」とか「大塚くん」とか、繊細で優雅な動きが得意な「森くん」とか、アメリカからの下請け専用の「ウォードくん」とか、やる仕事別に覚えさせるパターンを替え、AIを育てる必要があるだろう。使うAIを間違えると、「おい、このミッキーなんで日本のアニメみたいに動いているんだ」という事になるかもしれない。 ここまで来ると近未来SFだが、その世界の動画作業はこうなる。まず、今まで通り、原画がラフで原画を描く。受け取った「動画職」は、原画をクリーンアップしてAIに渡す。AIが中を割って「動画職」に戻すと、動画職はその動画の動きをチェックして必要ならば修正し、出来上がれば原画に戻す。原画が動きを再度見て、問題がなければ、そのまま次のプロセスに回す。未来の「動画職」は、今の第二原画と動画と動画チェックを合わせたような職種になる。
 新人の育成はどうなるのか、というと、それは今と同じく、最初は「動画中割り」をしつつ仕事を覚えていく、という事になるのではないか。アニメーターは、元の動きをイメージして原画を描くタイプと、その原画を元にクリンアップして動画に仕上げるコンピュータ相手のタイプの2つの職種になるのではないか。あるいは、原画が自分で全部やってしまい、「育成途中の動画職」と、「原画の作画から、パソコンを使って中割りまで全部こなす原画職」の二種類になるかも知れない。
 そうなると、今海外で日本のアニメの下請けをしている推定1万人くらいのアニメーターはどうなるのか、という事になるが、本当にこうなったら、海外の下請けアニメーターは全員失業である。気の毒であるが仕方が無い。
 その前に、彩色である。一定のパターンで色を塗っていくだけ、という彩色の方が、AIによる自動処理にはなじむのではないか。今のアニメのキャラクターの彩色は、それぞれのキャラクター別に時間帯別(朝・昼・夜?)に3種類位の色のセットがあるそうだが、中割りの終った動画セットをAIに渡して、「昼」と指示したら、ササっと彩色をすませてしまい、後は背景に彩色済みのセルを載せて動かしてみてチェックするだけ、という事になるだろう。今カチカチとマウスを動かして彩色をしている人はどうなるか、というと、これもほぼ全員失業である。昔、トレーサーが一斉に失職したようなものである。気の毒であるが仕方が無い。
 そういう時代はいつ来るのか、というと、当分は来ないかもしれない。というのは、この「AIで動画中割りを自動処理する」というのは、今ここで私が言っているだけで、どこかで誰かがもう開発を進めている、というものではないからである。また、仮にそういうソフトが完成しても、しばらくは実用にならないかも知れない。というのは、どうもコンピューターにとって非常に「重い」処理になりそうに思えるので、普通のパソコンでは時間がかかって仕方がなく、やむを得ずそれなりのスーパーコンピューターを借りて処理する、という事になると、経費もそれなりにかかるだろう事が想像されるので、「それならば、人間が手で描いた方が安くて早い」という事に、今ではなりかねない。しかしながら、コンピュータの性能は上がる一方、価格は下がる一方であるから、コスト的な部分はいずれかは解決されるだろう。

 さて。

 近い将来、AIにより動画・彩色作業が自動化され、大幅なコスト低減になったとする。そうすると、アニメーターの待遇は本当に良くなるのか。「お前は、アニメーター及び製作関係者が、経費の浮いた分は全部作品を良くする方に回してしまうから、結局ちっとも待遇は改善されない、と前に書いたではないか。」と言われるかも知れない。しかし、そうではないかも知れない。
 そもそも、最終的に出来上がる作品というものは、創作をする作家のイメージを超える事は普通はない。たまたま間違って超えてしまう事はあるかも知れないが、今は、日本のテレビアニメにおいては、時間もないし予算も足りず、スタッフが本当に作りたい作品までは作れないので、やむを得ず「出来るだけ」の品質で納品しているのである。よって、作家の「ここまで作りたい」というイメージ通りの作品が作れるようになれば、それ以上手間ひまお金をかける必要は無くなる。
 アマチュアの現在の自主作品がまさにそうで、昔は16mmのフィルムは高いし、アマチュアではマルチプレーン撮影台は使えないし、やむを得ず「できるだけ」の範囲で作って来たが、今となっては、マルチプレーンでも何でもかんでもバンバン手法は使い放題、高価なセルやフィルムを使う必要も無い。今では作家のイメージと技術と製作にさける時間の制限だけが作品の制約となっており、昔では考えられなかったようなハイレベルの作品群が短期間で製作されて発表されている。最近の若手の新作を観ると、「これ、もし昔のPAFでかかったら超バカウケするだろうな。」と思えるような素晴らしい作品がずいぶんある。(あまりに素晴らしい作品が多いので、よほどの傑作でないと埋没してしまうが・・・)また、昔なら数人がかりで何年かかけてようやく出来上がったような作品が、現在は一人で数ヶ月で作れる。

 よって、いつかはアニメーターの待遇が改善される時代は必ず来る、と思う。

 テレビの「ドラえもん」に、のび太君がアニメを作る話があった。スネ夫が自宅の自室をスタジオにしてアニメを作り始め、ジャイアンやしずかちゃんが「すごいなぁ」と感心しているのを見て、のび太は「僕も作りたい」とドラえもんにねだる。最初にドラえもんが出したのが「コマ撮り機」で、これで椅子とかをちょっとずつ動かすと、椅子が動く動画が作れる。(これは今ではスマホで可能だ)「そうじゃなくて、テレビでやってるようなかっこいい奴」というリクエストが出て、次にドラえもんが出したのが「発光下敷き」で、厚さ1mmのトレス台。(これも、1mmは無理だが1cm位のものはある。)これでのび太君が動画を描いた所絵がむちゃくちゃでどうしようも無い。そこで出て来たのが「アニメーカー」というひみつ道具。素材を入れて操作すると音楽セリフ入りのアニメが出来上がる。オートモードというのがあって、自分で出来ない部分はアニメーカーに任せるとアニメーカーがやってくれる。全部フルオートにしたら、何もしなくてもアニメーションが作れる。「よし」とのび太とドラえもんはフルオートモードでアニメーカー任せにして、外に遊びに出かける。通りがかったのが、締め切り直前で「みんな、もう一息よ!」と悪戦苦闘中のシンエイ動画の前。「アニメ作りなんて、簡単じゃん!」と大笑いしながら通りすぎるのび太の声で、全員ズッこける。さて、めでたくアニメが出来たので、みんなを集めて試写会。傑作が出来ていて、「のび太さん、すごいわぁ」としずかちゃんに褒められるが、エンドのスタッフロールで、脚本演出作画彩色音楽等々全部「アニメーカー」になっていたので「なんだ、お前が作ったんじゃなかったのが。」とズッこける、というお話。

AIによる製作支援も、ここまではなって欲しくはないけどね。
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